「悪は和合して改心させよ」ハタレの話 | 日本が良くなりますように

日本が良くなりますように

日本が大好きな人のブログです。
アメンバー記事は完全な個人的メモとして使おうと思います。メモなので面白くないと思いますが、保守思想でスピリチュアルに抵抗のない方限定で見てもらってもいいです。コメントはお返事等できない場合もあります。

謎の古代文字

漢字以前から文字があったとされる理由

縄文時代のイメージ

 

日本精神は太古の昔からあった。


何度も紹介しています神代文字とよばれている文字の一つ、ヲシテ文字。

                日本ヲシテ研究所

 

そのヲシテ文字によって書かれたホツマツタエは古事記、日本書紀の原本だと言われています。

それは神話のように神様の不思議な物語ではなく、実在した人物の実績であり、歴史そのものです。


邪気(ハタレ)の話

 


<こちらの動画のコメント欄から転載させて頂きますm(__)m>

初代アマカミ・クニトコタチの日本建国の歴史・理念から、私達日本人の大切な原点がわかります。

 

ヲシテ文献を最新の考古学や地誌・式内社の古伝承などを参照して、研究・解読することにより、日本が縄文時代の最初から理性的で高度な哲学や志を持って建国されたことがわかってきました。

 

8代アマカミ・アマテルカミはクニトコタチの治世を理想として弥生時代の日本の混乱を鎮め繁栄させました。

 

一方、漢字国字化された『古事記』を元にした神話神道は、チャイナ文明の影響を受けて歴史を改竄・削除・貶め・劣化させられたものだと気付きます。

 

我が国の建国の原点を知る事で、日本人の誇りを取り戻すことができます。

 

ヲシテ文献から初代の天皇クニトコタチから現代まで続く立憲君主・恵民立国の高度な文明の本質が理解できます。

 

和歌や端午の節句や雛祭りという言葉さえ、漢字国字化後の支那崇拝・習俗・概念変化の影響を受けてしまっています。

 

なので、原字原文から地道に研究・解読して、漢字の影響を排すべしというのが晩年の松本善之助先生や池田満先生の研究方針です。

 

国語・ヤマトコトバの研究のイメージがつかめますでしょうか。https://www.youtube.com/watch?v=vw36iqQ9jyE 『定本〔ホツマツタヱ〕―日本書紀・古事記との対比』(松本善之助 監修/池田満 編著)でヲシテ文献が古事記・日本書紀の原書である可能性を見極めて欲しいです。

(高価な研究資料ですので最寄りの図書館でご覧ください)

 

同文・近似文の箇所を比較して、日本書紀の数種の別伝の記(これらが失われた『天皇記』『国記』に該当する)や、古事記の記述にヲシテ文献からの漢字翻訳の移行・変更・過程を丁寧に比較検討されました。

 

記紀と比較・検討することで、ヲシテ文献は、神代から景行天皇在位56年(西暦126年)までを記述した、日本最古の歴史書であり、第一級の史料と判断できるわけです。

 

 

ヲシテ文献が古事記・日本書紀の原書だと理解・判断できたらチャイナ起源説(端午の節句が屈原の命日の由来等)が後世の「こじつけ」という判断も出来ることになります。

 

もちろん天皇号は漢字・チャイナ起源ですからヲシテ時代ではアマカミ、後にスヘラギとお呼びしていました。

 

それまでは群婚でツマ(配偶者)を定めていなかったのが4代アマカミ、ウビチニ・スビチニがモモの花咲くヤヨヒの三日にサカツキ(逆月・盃)でミキ(御酒)をすすめ合って初めて結婚の儀式をしたのを機に、臣民モロタミもミナ、ツマ(夫婦)を定めたという故事を記しています。

 

これが近現代に皇室の婚礼人形を飾る雛祭りの原点だったわけです。

 

ヲシテ文献には48音図は書かれていませんが、原字原文のアワウタの記述を見れば、48音図表を前提として知っていないとイサナギ・イサナミが前後に分けてウタを詠唱できません。

(読み方は写本にカタカナのルビが振られている)

 

残念ながらヲシテ愛好者でも、後代の日本書紀・古事記の内容をごちゃ混ぜにしたり、『竹内文書』や『カタカムナ』、神道や中世の概念を取り混ぜて意に介さず、とうとう『ムー』ちっくなオカルト神秘主義に堕ちてしまう人も多いようですが。。。

 

すべては原字原文を読まないから、正しい判断ができないわけです。(同音異字体の区別ができないため。)『ホツマ ツタヱを読み解く』(池田満/展望社)を読んでみてください。

 

 

驚くべきことに「トのヲシヱ」の精神が少なくとも6000年前から現在まで皇室に連綿と受け継がれてきた事がわかります。

 

 

70余年前、米国に敗北・初めて外国に占領され『WGIP/War Guilt Information Program』で対米従属国家になってしまった日本。

日本人が誇りを取り戻し自立できなければ、中共に侵略されかねない時代に直面しつつあります。

 

天智2年8月(663 年)白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れ、日本は初めて対外戦争に敗北しました。

古事記は(712年)、日本書紀は(720年)に完成。

支那帝国に対抗するために支那文明を取入れて、文化的に対抗し、武装したものと思われます。

 

70余年前、いや明治維新以降、欧米に劣等意識を植え付けられたと同じように、1300年前、漢字で国史を作る過程でチャイナ文明によって歴史を改竄され、劣等意識を埋め込まれていたのでした。

 

偽書と疑う方はまず、『定本〔ホツマツタヱ〕―日本書紀・古事記との対比』(松本善之助 監修/池田満 編著)でヲシテ文献が古事記・日本書紀の原書である可能性を見極めて欲しいです。

そうすれば、日本本来の文化文明がいかにチャイナ文明に毒され貶められていたのか気が付くと思います。

 

「保守」を標榜しながら、安易にヲシテ文献を偽書と決めつけている人がいますが、誠実に研究された論書もロクに参照せず、でたらめな根拠で他人に食って掛かる「なんでもチャイナ起源説」は「韓国起源説」と同じようなものだとわかります


3書を比較して見て、『魏志倭人伝』など、チャイナの史書は支那以外は劣った民族で倭人(=小人)の歴史を侮蔑して書く慣わしが、すでに漢字漢文化で支那化した『記紀』に狡猾に織り込まれていることに気付けるかどうか。

 

雲上天上の神様から皇統が降りて来た。とか

皇祖天照大神の御母堂であるはずの伊邪那美命が火の神カグツチ神を産んで女陰(女性器)を焼けどして苦しみのあまり嘔吐して生まれたのが金山毘古神と金山毘売神。

さらに苦しみから脱糞し、糞から生まれたのが 波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神。

次に苦しみから失禁し、尿から生まれたのが 弥都波能売神と和久産巣日神。

和久産巣日神の子供は富宇気毘売神。

とか オオゲツヒメが鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。

とか冷静に考えて欲しい。

 

神話にするにしても、これ、ひどくないですか?これは日本人の正常な感覚ではないと思うのです。

こんな神話を古代の大らかさだと尊んで盲信するほうがおかしく感じます。せっかく建国の神話を語るのに皇祖の神さま達の言動が狂ってる。こんなバカバカしい神話が日本の起源?

 

漢字国字化の混乱期にチャイナ文明特有の他国他民族を侮蔑侮辱する神話が注入されてしまっていたのです。。。現実の地上で営まれた、私達の先祖の建国の歴史や哲学・理念が、チャイナ文明の影響で劣化した神話に書き換えられたのだと気が付きます。

 

せっかく6000年前から高度な文明があったという遺跡や文献が出てきたのですから、日本人なら1300年前の反日歴史の書き換えに気づいたら正したいと思うはずです。ヲシテ原字原文と『記紀』を丁寧に比較してこれを確認できるか否か。

 

端午の節句のちまきの習慣が「紀元前278年5月5日」に没した屈原の命日が由来なのだとか、七夕は牽牛と織り姫の支那の行事が伝わったとか、桃も梅も櫻も大陸から持ち込まれたとか。。。

 

チャイナ文明をありがたがるあまり、何でもかんでもチャイナ起源に固執しなくても良くなりました。

縄文遺跡から高度な文明が発掘され、ヲシテ文献が発見されたのですから。

War Guilt Information Programと同様、チャイナ・欧米文明崇拝主義も見直すべき時代が来ているのだと思います。

 

これからは私達は共産主義者やグローバリストの偏向フェイクニュースや反日フェイクヒストリーに

騙されないようにしないといけません。

 

ここの見極めが大事かと…戦後体制を作った人々による日本文化の破壊工作が日本の文部科学省や教育機関・学会・マスコミに及んでいますので、真実をしっかり見極め、打ち破りたいところです。

転載おわり (いときょうさんが池田満先生の系譜かどうかはわかりませんが、とてもかみ砕いて動画で語って頂いたことに感謝です)

 

 

先日、日月神示についてコメント欄である方と議論をさせて頂いたのですが、その方が皇室を否定されている方だったのですね。

「皇室を擁護されるような人に日月神示が理解できるわけがない」というような文面でした。ちょっと驚きました。神話、「天の岩戸」にもあるように、主に”岩戸開き”が騙したものだったからということなのですが、これについては話が複雑になるので割愛します。

 

(ちなみに2,3日前にやっと「完訳 日月神示」上巻下巻を読了致しました。平行して色々な本を読みながらということもあり、結構時間がかかりましたが、また読後感など記事にしたいと思います。)


 

この記事の後半で詳しく書きますが、上の動画にあるように、いわゆる岩戸閉めより前の時代からずっと皇室はその「トのヲシヱ」()といわれる精神を守ってきたのです。

※建国に際して憲法と呼ぶべき理念。他者・他人の、ちょっとでも良いようにと・幸せを願う心。日本精神。

 

古事記以前の真実はヲシテを始めとする神代文字によって今後の研究によって明らかにしてほしいと願っています。

古事記が侮蔑的だということについて上記コメント主のおっしゃることもよくわかりますが、私は古事記には古事記の真実があるとも考えています。また、素人考えですが、古事記は暗号としての意味が大きく、これが不可思議な内容になる原因になった様な気がします。

 

 

白村江の戦いの敗戦のあと、唐の影響下にあった日本。

神代文字がことごとく破壊されていく世における古事記編纂。

それが古事記に与えた影響。

この体制下で作られた書だということを考慮にいれなければなりません。

漢字の書物ではあるけれど、なんとかして日本人の心を残して行きたいと苦心の末書かれた書物なのかもしれません。(古事記は万葉仮名なので日本語なんですけどね)

難しいですが、いつか全て明らかになってほしいです。

 

過去記事 白村江の戦いと大東亜戦争(太平洋戦争)

 

白村江の戦い(663年)で日本が敗戦したあと、実は唐が日本を占領していたと言われています。

 

<日本が白村江の戦いに敗れ、唐に事実上占領されいた>

 

 「日本書紀」天智天皇の条より

1)白村江の敗戦後、日本へやってきた唐の使節団の人数が665年のときは254人だったのが、668年と669年には2000人にふくれあがったとされています。

        

2)667年に九州の太宰府が「筑紫都督府」という呼び名に変わっています。

〝都督府〟という表現は、唐の軍隊が高麗と百済の都をそれぞれ占領したときに「平壌都督府」「熊津都督府」と称した例をみてもわかるように、唐の占領軍司令部が置かれた外国の都をさしています。

 

3)天智天皇はこの年の春、近江京に遷都し「漢字使用令」を出しました。

 

4)この時代以降、日本の都城や古墳の設計単位がそれまでの高麗尺から唐尺に全面的に改めさせられています。

 

太宰府が第二次世界大戦後に皇居前の第一生命ビルに置かれたマッカーサーのGHQと同じようになっていたというのです。戦後の日本が英語使用を強要されたのと同じように、いやそれ以上に、白村江の敗戦後は漢字使用を強制されていたとも

 

秦・漢帝国以来の支那の諸王朝が、周辺諸国にみずからの漢字文化を押しつけ、支那の宗主権を認めない国を侵略して、その国の文字文化を破壊しました。

漢字以外の文字で書かれた他民族の記録を抹殺し、他民族を従属していくやり方の最も顕著な例が秦の始皇帝による"焚書坑儒"です。

 

(出典 高橋良典)

 

 

ここで、少し話題を変え、動画より興味深いところをまとめてます。

 

「ハタレ(邪気)の乱」

水田開発の恩恵にあずからない人達、不平不満を持った人達。

それらが大集団になって押しかけます。

豊かさを羨む者達が群れ集まって悪さをするようになる。

これがハタレの乱の始まりでした。

その人数、70万9千人!

アマテルカミ様は各地の指導者から情報をあつめながら助言します。

 

そのなかの一つの話。

お稲荷さんはどうして出来たかという話です。

 

九州のほうから3人がボスとなったキツネの顔を持った集団がやってきました。

そのキツネの集団をどうやっておさめるかということになりまして

 

そのとき、天照大神様が常にお考えだったこと。

「彼らを殺すのではなくて生きたままとらえて、そして改心させる」

 

オモタルカシコネさん(6代目の天皇)の時、沢山の罪なき人々を誤って殺してしまった事件があり、その結果、お世継ぎがなくなってしまったということがあったのです。

 

アマテルカミ様は出来るだけハタレを殺さずに捕らえる方法、

わらび縄を使って捕らえることにしました。

 

キツネの顔の集団には食べ物をあげて一気に捕らえるというやり方をしました。

彼らの好物は”揚げネズミ”でした。

それが今では”油揚げ”にかわっているということです。

 

そのときに間違えてお亡くなりになる方もいました。

タマ返しの御供養。をします。

(たましいのタマですね)

 

(タマ返しの御供養)

亡くなると悪い心のタマが宇宙に戻る

そのタマは動物のお腹に入ってさらに苦しむ。

タマはねたみや嫉妬を持つことにより一番苦しむ。

供養とはタマからそれらを抜いてあげること。

 

以上

 

キツネ顔というのはきっとあのオリエンタルなお顔立ちの民族のことですね~ニヤリ

 

日月神示

日月神事には裏社会(悪)を「討ち滅ぼせ」とは書いていません。

「抱き参らせて和合しなさい」と書いてあります。

皇室は実際にそれを実行されてきたのですね。

 

長文、お付き合いありがとうございました。