弥栄

弥栄

いやさか

もう10年くらい前からでしょうか。
何かを説明するときに、

「求められています」

という言い方をするようになりました。
正直、『何にだ!』、あるいは『誰にだ!』と怒りがこみ上げてきます。

何が「求められています」だ。
どうして「必要です」と言えないんだ?

例えば、
「今、企業には国際化が求められています。」
という文章があったとします。

一体この国際化は誰に求められているのか。

この文章の作者?
もし作者ならば「今、企業には国際化が必要です。」と書けばいい話です。

これではまるで

「私(作者)は今企業に国際化が必要だと思ってるけどぉ~、
 これはあくまで私一人の意見じゃなくて、世の中のみんなが
 国際化が必要だと思ってるんだから、この意見は正しいんだよね!」

という意味を隠しているとしか思えません。
そして、この意味を読み取れ、という強制とも取れます。

これはぜひともやめていただきたい。

もし自分の意見として言うのであれば、自分の発言に責任を
持つためにも「求められている」は使わずに、きちんと言い切るべきだ。

もし言い切れないようなら、そんな発言は始めからしてはいけない。

「求められていますとは、物事を決められない戦後日本人の姿そのものですよ。

こんな事をしていたら、いくら国際化といえども外人と対等になんて渡り合えません。

周りの空気をうかがうのではなく、理に応じた道を見極め、本(もとい)を示していくべきです。


日髙見 剱

 

かなり昔、自由律俳句に凝っていた時があります。

きっかけは、たまたまお盆に行った先の旅館に種田山頭火の俳句が書かれた掛け軸を見たこと。

わたくしはあまり俳句に詳しくはありませんが、山頭火の自由律俳句を見て

「めちゃくちゃな俳句だな。俳句って言うよりつぶやきだ」

と言ったらうちの愚弟が「山頭火は兄みたいに旅ばっかしてたよ」言いました。
それで興味がわき、山頭火のこと、自由律俳句についてと調べてみました。

山頭火、おもしろい。
もう人生めちゃくちゃ。
それでも自由律俳句を愛してやまない姿に心打たれました。

山頭火も57まで生きたんだと思うと、元気が出てきます。

日常の写真なんかをXに上げながら、わたくしも再び自由律俳句に挑戦してみようかと思います。


日髙見 剱
 

どうして男子に女のような名前をつけるのだ。
どうしてひと目で読めない名前をつけるのだ。

そんな事をしていると、神様が名前見ても人間だと認識してくれず、護ってもらえません。

「そんな名前をつけるからだ」

と言われるようでは困ります。


日髙見 剱