みなさんおはようございます菊澤多門です。


「そちらへ行きますので、
もしも時間が合えば
食事などご馳走したいです」

あの時、確かに私はそう誘いました。


あの方は当日、

途中で仕事を切り上げて来られたそうです。


高級な食事メニューを選ぶ時、

「肉は食べますか?」と尋ねられたので

私は反射的に「はい食べます」

と答えたところ

あの方は肉ついている高価なセットを

ご自分のも併せて

速やかに注文されました。

そしてその後、食事中の会話から

あの方は肉を好んでいないのだけれど

私が「はい食べます」と答えたから

自分のものもそれに合わせて

注文されたのだと察しました。


食事の途中、あの方は

トイレへ立たれました。


肉を噛みながらも

「まさか」と、

胸騒ぎがした私は、立って

その方向へと足早に行きました。


懸念した通り、

あの方は精算の最中でした。

会計のテーブルの上にはすでに

一万円札が置かれていました。


そしてお金の押し付け合いをしましたが

あの方は断固として

お金を受け取ろうとせず

会計を済まされました。


後になって私は

後悔と自責の念に駆られました。


こんな場合には何としてでも、

私が会計するべきだったと思ったのです。


外に出てからもあの方は

にこやかに冗談を交えながら

楽しくお話しされていました。


そんな出来事がありましたので

今日は「男の見栄」について

少しお話を聞いてください。


「男の見栄」とは、小学生だった私に

11歳離れている姉が教えた言葉ですから

「男」とか「見栄」という表現が

どれほど適切なのかはわかりません。

とにかく出来の悪い弟に大切なことを

教えたかったのだろうと思います。


それは、

「例えば女の子が

重そうな荷物を持っていたら

「僕が持つ」と言って持ってあげる。

それが男なんやで。

気前よく持ったとき、

ほんまに重うても

我慢しているのが顔に出んように

涼しい顔で持っているのが男なんやで。

そういうのを「男の見栄」ってゆうんや。

「見栄」と違って「男の見栄」は

周りの人の役に立つねん」


というものでした。

つまりは

武士は食べなくても食べたふりをして

楊枝を使うものだ。

という意味の

「武士は食わねど高楊枝」

に見られるような

日本人男性ならではの在り方や精神を

教えたかったのかもしれません。


あの時、

会計のテーブルに

あの方が置いた一万円札は

二つ折りでした。


自分が二つ折りの札を使う時の

印象が重なって

今まで大切に仕舞い込まれていた

一枚に私には見えたのです。


その後、多大な時間をかけてあの方に

案内していただき見た景色は

子供の頃に馴染んだ景色に似ていて

だからなのか

ふと聞こえたような気がしました。


「それが男なんやで」