花丘佳奈のブログに
訪れてくださり
ありがとうございます。
このブログでは
夫から離婚を切り出され
このまま離婚するのは不安だと
お悩みのアラフィフ女性のあなたへ
離婚の不安から抜け出して
どうしたら女性が離婚しても
安心して幸せに生きていけるかを
発信していこうと思います
家族紹介
【離婚騒動中の夫】
・46歳、別居中
・仕事に夢中
【長女】百花(ももか)
・中学2年生
・学校はほぼ毎日遅刻
【長男】虎太郎(こたろう)
・小学6年生(育成クラス)
・発達障害グレーゾーン
【次男】虎次郎(こじろう)
・支援学校小学部4年生
・重度知的障害
以下のブログランキングに
参加しています。
クリックのご協力いただけると
嬉しいです
『ジェットコースターな
離婚騒動』連載物語
【離婚騒動-第06話】《喜び》虎次郎が入園して私は晴れて自分の時間ができる
本日も私の連載ストーリーを
お読みいただき
ありがとうございます
今日から3月ですね。
暖かくなるのが
待ち遠しいです
目次はこちら
朝7時半頃受け入れの病院に
着きました。
虎次郎はすぐ救急の処置室に入り
私はただ外の椅子に座って
待っているだけでした
私は何が起こっているのか
さっぱり分からず、、、
でも不思議と涙は出ませんでした。
点滴を打っても
発作が止まらないと
先生は焦っていました。
約1時間後、やっと
発作が止まったので
CTを撮り、検査しますと
言われました。
その準備をしていたら
また発作が始まりました
更に先生は焦っていました。
そして虎次郎を深く深く
息をしているのを忘れるくらい
眠らせました。
救急車で病院に運び込まれてから
次に虎次郎に会えたのは
午後からで、ICUの中でした。
小さな虎次郎の体にいっぱい
管が繋がれて眠っていました。
先生から説明を聞いてる途中から
もう嗚咽するように、、、
涙が止まりませんでした
昨日まであんなに元気だったのに…
なんでこんなことになったの?
ICUの中には
長い時間居れなかったので
一旦家に帰ることになりました。
この時夫は朝早くから
仕事で岡山へ行ってました。
「虎次郎が救急車で運ばれたから
すぐに帰って来て」
と言いましたが
仕事が終わるまで無理だと言い、
すぐには帰ってきて
くれませんでした。
病院の先生から何回も
「ご主人は何時ごろ来られますか?」
と言われました。
先生も夫が居ないと
虎次郎の状況を
話してくれませんでした。
夫はやっと夜7時頃病院に着き
先生が虎次郎の状況を
話してくれました。
翌日、夫と義母から
救急車で運ばれる前日に
何をしていたか聞かれ、
病院に行っていたことを
言いました。
そして帰りに
バスに乗ったことを言うと
「なんでタクシーを使わなかったの?こんな寒い日に」
と言われました。
私だって救急車で運ばれることが
分かっていたらそんなことしません。
何もなかったら普通
バスに乗るでしょ…
ただでさえ傷ついてる私に
なんでそんなひどいことを言うの?
更に気分が落ちていきました。
ICUには5日間居ました。
大変なのは
ICUから出た後でした。
ICUから出て
小児科の病棟に移りました。
まだ2歳なので私も一緒に
入院しなければいけません。
その時百花は小学1年生、
虎太郎は年中でした。
まだまだ母親が必要な時です。
実母に来てもらって
家のことをやってもらいました。
その後虎次郎は順調に回復し、
この時は20日間入院しました。
夫は仕事がないときだけ
来てくれました。
多分20日間のうち、
2~3回くらいしか
来なかったと思います
退院後家でしばらく療養し、
3月には通っていた療育施設の
クラスのみんなと一緒に卒園でき、
先生達も喜んでくれました。
そして、年少~年長まで
丸1日療育してくれる園に
入ることになりました。
その園も家から車で
20分くらいの場所にあり、
園バスはあるものの、
バス停は車で15分の所でした。
私はそれまで
ペーパードライバーでしたが
このような状況なので、
この時から車の運転を
するようになりました。
そして私はやっと約10年ぶりに
虎次郎が園に行ってる時間が
自分の時間になりました。
誰かに頼らずに自分の時間ができる
このことが
めちゃくちゃ嬉しかったのを
覚えています。
(つづく)
少しずつ園に慣れていきました。
私は虎次郎が園に行ってる間
自分の時間ができるように
なりました
年少の12月にまた
発作を起こし、
入院しましたが大事には
至りませんでした。
そんな矢先、
虎次郎が年中のとき、
なんと私は大けがを
してしまいました
気になる次回の記事はこちら
目次はこちら
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
花丘 佳奈