心を落ち着かせるのに努めた日々
※おことわり… 今日は、人の生死の話と認知症などの話を書きます。あまりそういう話題は……という方は、控えていただいた方が良いかと思います。 フランス南部。10月の半ば過ぎから11月の初旬まで、子どもたちは秋のバカンスだった。 バカンス開始後3日後、日本の祖母が亡くなったと連絡があった。病気という病気ではなく、老衰で。96歳だった。葬儀に帰るには遠く(夏に帰ったばかりだったので金銭的な意味でも、物理的にも)、日本には帰国しなかった。けれどその代償は、やはり他の家族と祖母を見送ることができないことには少し堪えた。 その気持ちを整理して静かに祖母を自分なりに見送る為に、予定していた家族4人で義父の家へ泊まりに行く予定は私だけキャンセル。夫と子供達だけで行ってもらった。言葉を発したり、何かを聞くのも避けたかった。 1人のある日、砂浜に行って祖母のお見送りをした。その日の写真が上のもの。 やはり1人で過ごさせてもらって良かった。日本に帰ら(れ)なかった自分も、心の中にいる祖母と静かに向き合えたと思う。* * * ただその後、もうひとつ受け入れなければいけないことがやってきた。73歳の母親のこと。 3年前の一時帰国の時、実家の母の物忘れがひどくなっている気がするという話を他の家族としていた。それが今年の夏の一時帰国の時にも、話題に出た。話題に出たどころか、何度も目の当たりにした。何もわからない状態ではないし、日常生活は普通に送れているけれど、完全に記憶が抜け落ちることが度々あった。3年前と比べると、頻度が高くなっていたし、驚くような物忘れをしていた。 心配した姉と私が、父親にお願いして、母を物忘れ外来での検査に連れていってもらった。色々な検査の結果、よくある(らしい)認知症の初期であることがわかった。ただMRIで脳の萎縮が多少あり、萎縮の場所がアルツハイマーの可能性があるところであるらしかった。 アミロイドPET検査というものをした結果で、アルツハイマーを遅らせる点滴治療をするかどうかを決める…… という直前までいったものの、治療期間が長い(1年〜1年半)の割に遅らせられる期間が短い(5ヶ月ほど)ということと、治療の間に精神的に耐え難くなりそう、という理由で、ひとまず母は治療をしないことに決めたそうだ。認知症が進んだら進んだ時で仕方ない、ということらしい。姉からメッセージで教えてもらった。 初めは受け入れるのが難しかった。来年にはひ孫が生まれる母。5人の孫たちともまだこれから楽しいこともできるだろうし、もっと楽しく健康に長生きして欲しいと思っていた。でもやはりこれはただの私の希望で、ただのわがままなんだろうと思った。姉も治療をしてくれたらと思っていたようだ。 今まで自分のことより家族のことばかり考えてやってきた母。結婚前も結婚後も、今までずっと。そんな母にこれ以上何かに抗って頑張ってほしいなんて。彼女のしたいように、色んなことがわからなくなるまで、寿命が尽きるまで生きてほしい。他の家族と、そのための準備をしておかないとね、という話を姉としたばかり。 そんなわけで、この2週間は日本の家族の生死について静かに考える期間だった。深く深く。 年末に向けて、子供達の生活もまた再スタート。フランスの家族のこと、日本の家族のこと、自分のこと。色々と考えてやることは尽きない。とにかく自分の心身を整えながら元気にやっていこう。