空は、碧く、何処までも広く。 -2ページ目

空は、碧く、何処までも広く。

うまく生きられない、混沌としている日々は、双極性障害のせい?ときに、途方もなく明るく有能な気がするのに、ある朝突然消えたくなる。




先日、誕生日だった。

夏は、比較的調子が上向いていて、自分が一つまた歳をとったことを、率直に幸せに思えた。



調子に乗っているのか。

仕事も、プライベートも混沌とした事件が多いが、平然としていられる。

このまま、秋も冬も迎えられたらいいとただ願う。

が、万が一不調になっても、それはそれで構わない、そんあ風に思いながら生きていきたい。



躁鬱の波に恐怖を感じるあまり、ずっと日常にセーブをかけてきたけど。

もう、セーブをかけるのを控えようと思う。


コントロールできる範疇は広くないのだ。

いい時はいいし、悪い時は悪い。

抗わず、受け入れよう。

セーブして生きる生き方は、あまりに息苦しく、仮死状態に近い。


ある朝、突然劇鬱になっても。

今を生きていきたい。



そんな考えを抱くのは、そもそも危険の兆候か?

躁気味なのか?









いわゆる、混合状態。

気持ちは、鬱々するが、強烈に仕事をしたり、人と会う約束をしたり。


気持ちと体が一致しない。

ただ、思うのは、


ここから逃げてしまいたい。



それだけ。



何をしても楽しくないし、行動に意味など、生産性などない。

全てに敵対意識を持ちながら人混みを行くことは、核爆弾を懐に隠している心情と大差ない。




とにかく、現実逃避のためひたすら仕事をした。


仕事は社会のために行うのが道理だが、今は自分の意識を無くしてくれる麻薬だ。






しばらく、軽快な日々だった躁が粛々と加速し、緩やかな鬱の趣が垣間見える夏の朝。


頭の動きがどうも悪く、自分の意識が遠くにある。



今日は、久しぶりに、仕事で致命的なミス。

どうしてこんな初歩の初歩のレベルをスルーしてしまったのか。

病気になる前には考えられないような過ち。

謝って済まされることではない。



そこから、呆然としてしまったのか。

ミスを引きずるな、とはよく言う話だが。

以前なんともなく出来ていたことができなく待っている自分に、愕然とした。


「やはり、私にはこんな仕事は荷が重すぎる。もう私には何も出来ない。」

仕事中にもかかわらず、
何処か遠くに逃亡したいとひたすら妄想した。

そして、自分を痛めつけたいと切望してしまう自分がいた。



ここで、剃刀を使って一時の魂の解放が得られたなら…




私は、今の仕事を続けられるのか。

期待してくれる人は少なからず、存在していて応えたいと思う。

しかし、今の私に何ができる。

私は、会社にとって、もはやマイナス因子。



帰り道、雨の中、ただふっと消えられたらいいのにと思った。

私は、私の望む仕事すら満足に出来ず、周りに迷惑をかけるばかりだ。



雨は、ひたすら降り続き、こんあ気持ちの時は、雨は好都合だと思う。




事務所で疎外感を覚える。

圧倒的疎外感。

「私は戦力でない」そんな状況と対峙する。



たとえ、疎外感があったって、負けやしない。

見返してやる。

そんな思いから、ここ数日異常なほど勤務している。


自分は、こんなレベルのこと、すぐ処理できる。

もっと多くのことを人より出来るのに、任せられないことへのジレンマ。



そして、健康で頑張れる人への、無駄な嫉妬。



そんなぐちゃぐちゃな心境で、とにかく仕事と日々をこなすことに注力する。



とにかく頑張れるだけやって。


無理なら、逃避行。


消えてしまってもいい、とにかくやれることをやる。




ああ、頭が混乱する…









躁、と、調子がいいのその差異が不明。


数日前から不思議なほど機嫌がいいし、話せる。

仕事も軽やかだし、何より、朝の目覚めがいい。

調子が良くなってる、と思いたいが、躁転してるだけじゃないか?と不安。



怖いのは、長年勤めて天職だと一時期は思えていた職場を具体的に辞めよう、と妄想すること。

かと思えば、急に英語を勉強して転職しようと求人を探してみたり、執筆してみたり。


そんな1日を過ごすと、もはや生きることの意義が分からない。


そして、今更のように、自分が精神的に異常であったことを思い出し、何もかもを棄ててしまいたいと願う。



仕事のことを夫に相談した。

彼は、責任の放棄だ。

私の好きにしろ、と言う。

好きにする、それが出来ない。

その選択が正しいのかどうか、自分で判断が出来ないのだ。

自分の生活の基準は、躁鬱の波で左右されており、合理的でないのだ。

「選択の基準」を示唆してほしかった、といのが私の意図だったが、彼には伝わらなかった。




上司は先日私に、時給制で働くことを打診してきた。

フルタイムで働く見通しが、立たないからもっともだ。

もっともであるにもかかわらず、私は勝手な被害者意識を抱き、自分はもういらないお荷物である

と宣告されたかのように感じた。

バカバカしいとは分かっている。

でも、どうにもならない。

あんなに、必死に孤軍奮闘したのに。

使いものにならないから用無しってわけだ。

つまらない、愚かな考え…




とにかく、一貫しているのは、昼夜「生き方が見つからない」ということだ。

どうすれば、躁鬱の波をコントロールできるのか。

ニュートラルとは何か。


そんなものを軸に日々は、それでも過ぎていく…