日々はそれでも過ぎていく。 | 空は、碧く、何処までも広く。

空は、碧く、何処までも広く。

うまく生きられない、混沌としている日々は、双極性障害のせい?ときに、途方もなく明るく有能な気がするのに、ある朝突然消えたくなる。





躁、と、調子がいいのその差異が不明。


数日前から不思議なほど機嫌がいいし、話せる。

仕事も軽やかだし、何より、朝の目覚めがいい。

調子が良くなってる、と思いたいが、躁転してるだけじゃないか?と不安。



怖いのは、長年勤めて天職だと一時期は思えていた職場を具体的に辞めよう、と妄想すること。

かと思えば、急に英語を勉強して転職しようと求人を探してみたり、執筆してみたり。


そんな1日を過ごすと、もはや生きることの意義が分からない。


そして、今更のように、自分が精神的に異常であったことを思い出し、何もかもを棄ててしまいたいと願う。



仕事のことを夫に相談した。

彼は、責任の放棄だ。

私の好きにしろ、と言う。

好きにする、それが出来ない。

その選択が正しいのかどうか、自分で判断が出来ないのだ。

自分の生活の基準は、躁鬱の波で左右されており、合理的でないのだ。

「選択の基準」を示唆してほしかった、といのが私の意図だったが、彼には伝わらなかった。




上司は先日私に、時給制で働くことを打診してきた。

フルタイムで働く見通しが、立たないからもっともだ。

もっともであるにもかかわらず、私は勝手な被害者意識を抱き、自分はもういらないお荷物である

と宣告されたかのように感じた。

バカバカしいとは分かっている。

でも、どうにもならない。

あんなに、必死に孤軍奮闘したのに。

使いものにならないから用無しってわけだ。

つまらない、愚かな考え…




とにかく、一貫しているのは、昼夜「生き方が見つからない」ということだ。

どうすれば、躁鬱の波をコントロールできるのか。

ニュートラルとは何か。


そんなものを軸に日々は、それでも過ぎていく…