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芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

久々のLinQネタです。といっても、そのほかのブログは毎日2つ更新しておりますので、そこそこ頑張っております。順番に更新しておりますので、ご了承のほどよろしくお願いします。

ところで、どの研究者もそうだと思うのですが、とりわけ戦略論の研究者はやはり最終的に組織の方へ目がいきます。ハーバードでも戦略論より組織論の方が格が上なのもそのためで、やはり組織がどのようになっているかは重要な要素だと考えております。そしてなぜ今になって組織論を引っ張るかというと、これはLinQメンバー内で卒業や脱退する人が多いことがあげられます。それも今年になってから加速傾向にありまして、LinQ大丈夫か?と思うのは戦略というよりも組織に問題があるからかもしれないと思うからです。そしてこの組織の問題は人間関係からくることも多く、状況は深刻ですね。とりあえず5周年という区切りもLinQとしてはあるようですから、その区切りを重視した理論を一つご紹介しましょう。これはグレイナー、一説にはグライナーという名の学者が1972年に提唱した「成長の5段階」という理論です。

まずこの先生の主張を日本の経営学の教科書(石井重蔵、奥村昭博、加護野忠雄、野中郁次郎 共著 『経営戦略論』 有斐閣 1998年 183頁)から引用いたしますと、

1:組織に頼らない創業者の強力なリーダーシップによる成長が限界に達する時点で生じるリーダーシップの危機。

2:集権的な組織が末端での自立性を失わせることからくる自立性の危機。

3:分権的な組織が、組織全体の統合性を低下させるコントロールの危機。

4:分権的な組織を調整しようとして生み出される管理組織の形式化の危機。

という危機を乗り越えながら、スタートラインをプラスして合計5つの成長段階があるというものです。

これはあくまでも予想の範囲内ですけど、結成して正味5年のLinQで組織内部で危機に直面しているとするならばやはり第一段階の「リーダーシップ」の危機かと思われます。しかしながら、外部の私が時間をかけてメンバーや運営の個々人にヒアリングを行ったわけではないので、それは違う!!と思った場合はご自分たちで該当する箇所を探し出し、問題解決へと導いてください。

今回はこれまで。私の理論である「無意識の破壊と蘇生」に関するLinQ論に関してはグレイナーの解説が終わった後にやっていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。
ついにこのマトリクス解説も最後となってしまいました。最初から読んでいただいた方々、お付き合いいただき誠にありがとうございました。、これを読んだからといって得することは何一つありませんし、そもそも私の欲求を満たすだけのために行っただけですから、今回も読み流していただくことをお勧めいたします。

さて、このマトリクスの全体的な説明ですが、このマトリクスは近年において成功している企業の戦略を調べてみた結果、4つの形態に類型化されております。ですから4つのうちの一つに外れくじが隠されているということはなく、どの戦略も企業を成功へと導く意思決定の方法の一つとしてカウントできるのですが、どこに自分を配置するかについては企業の生い立ちとか、文化とか、環境などの要因によって異なってきます。LinQが破壊的イノベーション戦略で成功しているからといって、Tick tikが成功するとは限りません。ここが難しいところ。さらに、どの位置をベンチマークしているかによっても変わってくるので本当に難しいですが、その難しいところをこのマトリクスによって答えを出しやすくしよういうのが狙いです。

ところで、原文でゲイリーが述べているよいうに、ある一つの戦略だけを選択するだけではなく、戦略の組み合わせが重要であることも述べております。とりわけ、慣習的イノベーション戦略との組み合わせが重要であると述べております。例えば、私たちのバンドは新設計イノベーション戦略で進んでおりますが、常に新しいものを作り、しかし、作り上げたものを捨てて、さらに新しいものを作り続けるというのではなく、せっかく作り、ある程度の成功を収めたのであれば、それをさらに育て、発展させることも必要であると述べております。これには私も賛成で、ある程度は「育てる」ということをやっていかないと資源の枯渇につながりますので、慣習的イノベーション戦略以外の戦略で歩んでいる企業は、いったんは該当する戦略を軸とするのですが、その後は慣習的イノベーション戦略の枠に収まり、そして、そこからさらに新しいイノベーション戦略へとつなげていくというサイクルが必要となると思います。

となると、最初から慣習的イノベーション戦略を選択する企業はかなり長期にわたり慣習的イノベーション戦略の枠に収まることになるのか?ということになるのですが、これはそうならざるを得ないと考えます。例えばフランク永井先生を例にすればよくわかると思います。源流はジャズなので昭和歌謡のマーケットに参入しただけでも厳密的には慣習的イノベーション戦略ではないのですが、永井先生の場合、もともと持っている資源をそのまま使用することができたので別のイノベーション戦略から慣習的イノベーション戦略に向かったわけではなく、もともと慣習的イノベーション戦略の道を歩んだことになります。これが成功へのカギとなるのですが、しかし先生は自殺という道を最後に選んでしまいました。

ゲイリーのいうイノベーション戦略のサイクルについてはお分かりいただけたと思います。しかしながら、永井先生の例でお分かりのように、慣習的イノベーション戦略から新しい戦略で勝負しないといけないとき、人によっては「自殺」ということにもなるほどに2巡目は困難を極めることになります。「永井先生の自殺は戦略に悩んだからではない!」とおっしゃる方も大勢いるかと思われますが、私は職業柄、非常に多くの経営者の方とお会いするのですが、この戦略に関する部分で回答を出せず自殺する経営者が非常に多いことを問題視しておりまして、この点を何とかすることも私達、政府関係者の仕事の一つでもあります。このようなこともあり、永井先生の自殺については動機が語られないままですが、経営学的に永井先生の自殺を考えてみると、昭和歌謡からポップスの時代に移り変わりつつある歌の世界で、とりわけ昭和歌謡の帝王の存在が確実に薄れていく中、次なるステップに踏み出せなかった結果であろう、というのが仮説となります。

これにてゲイリーのマトリクス解説は終わります。大事なことは、何か一つ軸になる戦略を持つこと、そして、それを開発していき、また次に新しい戦略の道筋をつけることです。非常に難しいことでありますが、皆様方の参考になれば幸いです。

長い間のご高覧、深謝いたします。
今回でマトリクスの解説は最終回となります。次回は結びとなりまして、今回と合わせてゲイリーのネタではあと2回で終わります。


イノベーション戦略

出所:http://ameblo.jp/linqno1/entry-12148094812.html


本日は最後のマスとなる新設計イノベーション戦略です。

これは見てのとおり、全てが新しいことになります。技術もビジネスモデルも新しいわけですから、相当な困難が待ち受けているか、既に困難な状況ゆえにこの道を選択するかのどちらかです。論文の原文ではコダックとポラロイドを例にあげ、本業のカメラよりもサービスや紙製品などで利益を上げていることを説明しております。

もう少しわかりやすい例はないかと探してみるのですが、日本の企業では近いことをやる企業はあるものの、本業より稼ぐ全く別の事業という例はありません。近い例は、コンビニの親会社がコンビニ事業を展開する子会社に売り上げを抜かれるとか、自動車企業が家を製造販売するケース、家電メーカーが自転車を製造販売ケースなどがありますが、そもそも資本関係はあっても別会社であるとか、同一の企業内であっても、収益の柱にはなっていないなど、ゲイリーの理論には当てはまりません。そこで、卑近な例でいくと、私と内村がアイドルグループLinQのカバーをやるなどはどうでしょうか。

実は、このLinQのカバーがあまりにも好評なため、パールジャムのカバーやオリジナル曲の需要をはるかに上回り、田中&内村=LinQとなるほどに皆様方の頭の中に刷り込まれるに至っております。もはやLinQ抜きのライブは考えられず、私たちにとっては大事件となっております。このようなことから、私たちが運営するバンドは「破壊的イノベーション戦略」に見えているかもしれませんが、実際には「新設計イノベーション戦略」でバンドの運営が行われております。アイドルのダンスの技術もビジネスモデルも全く持ち合わせていないにもかかわらず、この戦略が通用するのはなぜかというと、それは周りの人々が持ち上げるからです。要するに、この戦略で前に進むには強烈なほどの支援者が必要で、事業主よりも支援者が前面に出えてくるような場合にのみ通用する戦略です。ここで少し心配なのは、LinQ自体が新設計イノベーション戦略を選択するようになってきておりますが、まずはこれを支持する猛烈な支援者がいるかどうかを見極めてほしいと思います。

最後は自己分析も含め、LinQへの提言まで行いました。次回は結論と将来展望となるわけですが、この修士レベルの研究も改めてやってみると面白いですね。この程度の研究を行ったところで「だから何??」という声がたくさん聞こえてくるのですが、まあ、自己満足です。私の研究室でこのような研究は許されませんから、せめてブログでは自由にやらせていただきたいですし、ブログはそのような場として活用しております。

次回は結語です。ご高覧、ありがとうございました。
最近のこのブログでの検索ワードをみておりますと、「芸能 戦略」というキーワードでお越しになっている方が非常に多くなってきております。どのような人が調べているのかわかりませんが、日本政府の研究機関で芸能を専門とする私からいえることは、芸能の戦略には法律との協働が必要になると思います。というのも、何か新しいことを行おうとすると、それは「違法行為」であることがほとんどで、これが芸能の世界の大きな特徴の一つでもありますが、戦略=意思決定は法律との闘いであることを忘れてはなりません。このようなこともあり、芸能の世界での戦略論は簡単に「芸能戦略論」と名付けるわけにはいかず、正確には「法解釈戦略論」というタイトルの下で芸能を考えるというのが正解だとするのが私の研究室での立場です。

では、現実の法律はどうなっているかというと、実に細かくできており、下手をすると芸能活動そのものが違法であると解釈することもでき、その意味で芸能人であることが同時に犯罪者であるという仮説を持つことができ、かなり危険な商売であることは容易に想像できるはずです。しかしながら、なぜ芸能人は芸能人であるというだけで犯罪者として立件されないのかというと、それは裁判所に「訴える人がいない」からです。犯罪者となるには民事であろうと刑事であろうと裁判にかけられないといけませんが、芸能人が芸能人であるがゆえに裁判所に訴える人などいないわけではないですが、社会通念上、裁判はふさわしくないということで書類を受理しないと思います。法律の条文と実際の運用方法とが異なることがありますが、この件はその典型です。

こう考えてみると面白い仮説が山ほど出てくるのですが、犯罪につながるといけないので危ない方向の仮説は述べませんが、一つ考えられるのは、「芸能は犯罪なの?」という単純な問いにたどり着くと思います。しかし、実際に芸能が理由で逮捕され裁判にかけられた人など、戦前や数百年前にはあったかもわかりませんが、少なくとも戦後にそのような判例はないところを見ると、これは日本人のほとんどの人が「芸能は犯罪であるはずがない」と無意識に思っているからだという仮説が成り立ちます。

この仮説を立証するのに役立つのがユングの「集合的無意識」という無意識の世界、それに関連してポランニーの「暗黙知」の命題をあげることができ、これら二つに共通するのは「普遍」というキーワードでありまして、普遍的であることは数の理論からすると「数が多い」ということになり、結果、意識化されると「犯罪であるのはおかしいから裁判所に訴えない」ということになります。

ようは、「直感」といわれているものがありますが、「芸能は犯罪である」と聞いた時に、「これはおかしい」と直感的に感じると思います。この直感の源が集合的無意識であり、言葉にならないが間違っていることは認識できる、ないし行動ができるという「暗黙知」の領域でありまして、これが表層化(意識化)されていく過程にカッシーラなどの命題である「シンボル形式」というものが出てきて、これらがミックスされることにより直感の意識化が可能となり、これを「無意識の破壊と蘇生」という命題で研究することが私の現在の研究のメインテーマですが、この無意識に訴えかける方法であるならばLinQは九州のローカルアイドルである必要性がなく、広く全国の人に認識されておかしくなという仮説に向かいます。例えば、地方のゆるキャラを見てください。千葉県某市の非公認ゆるキャラさんなどは、地方色があまりにも出すぎている反面、全国展開に成功しているものすごく興味深いゆるキャラです。これはただ単に地方色が「濃い」というだけではなく、先に無意識に働きかけ、それを意識化させることに見事に成功させているからだと考えております。

最近の芸能の世界では地方色をものすごく前面に出すようにセッティングされておりますが、そこには人間の「無意識」に訴えかける仕込みが必要であることを芸能界の皆様方にお伝えしておきたいと思います。実のところ、無意識は意識化できていない部分なので「訴える」ことは理論的には不可能なのですが、「直感」となると「訴える」ことは可能だと思えませんか?この部分を重視して芸能界を盛り上げていただければ日本政府としても研究のやりがいがあったというものです。

今回は序論として書いてみましたが、続きは少しづつ書いていこうと思います。先にゲイリーの論文でのLinQと他のアイドルとの比較についての結論を行っていこうと思いますので、お楽しみに。

今回もご高覧、ありがとうございました。
最近はアイドルにも陰りが見えてきたという、ネット上での記事を目にすることも多くなってきましたが、これについてはライフサイクルというものがありますから仕方ないといえるでしょう。問題は、アイドルグループをいくら経営学や実の経験を活かして考えてみたところで、アイドルグループの本体は法律上の「会社」という組織ではないため、経営学上の「企業」という概念で考えてみても限界があるのも実情です。

例えば、LinQというアイドルグループは企業であるかもしれませんが、法律的に登記された会社ではないため、株券を発行したり、そのほかの資金調達活動を直接的に行うことができません。そこで物販でたくさんCDを販売したりするのですが、一人で一万枚のアルバムを買ったとしても、何らかの発言権を得られるわけではなく、握手券がたくさん手に入るにすぎません。これはいつも見ていて残念に思うのですが、これが直接的に有価証券を販売し、小さな市場ではあるものの、「アイドル株の取引市場」なるものを作り、株券を売買するとかなり面白いことになるでしょうけど、現状では違法な取引となるため何もできないのが現実です。

取引市場ができて適正に取引がされるならばアイドルにたくさんのお金をつぎ込んだ人にも、今以上に報いが出てくるのですが、アイドルは一般に開かれた身近な存在をアピールするのであれば、お金の流れをまずはオープンにするのが大切ではなかろうか?と私は常々思っております。

さすがに市場の中で枠番と倍率をつけて株券の取引数や値上がり高を予測して掛け金を分配するようなギャンブル的なことまで行うと、最後には人身売買のような事件や事故が起こるので行ってはならないと思うのですが、アイドル専用の株券の取引市場くらいは用意できないものか?などと妄想にふけっております。

アイドルの専用市場が可能であれば、それ以外にもロックバンドの専用市場とか、漫画家や小説家の専用市場とか、細分化された小さな株取引の市場がたくさんできることによって、投資をやりやすくし、さらに、各種のアーティストや専門家が資金調達しやすい環境を整えると経済の発展とまではいかないまでも、芸能や娯楽市場は今よりももっと活気のあるものとなると思うのですが、いかがでしょう?

まずは私が合法な手段で何らかの市場を作るアイディアはあるのですが、非常に残念なことに私は国家公務員であるがゆえにそのあたりことが制限されてしまいますので、だれかやってもらえる方がいればお願いします。

私の個人的な話にお付き合いいただき、ありがとうございました。次回をお楽しみに。