最近のこのブログでの検索ワードをみておりますと、「芸能 戦略」というキーワードでお越しになっている方が非常に多くなってきております。どのような人が調べているのかわかりませんが、日本政府の研究機関で芸能を専門とする私からいえることは、芸能の戦略には法律との協働が必要になると思います。というのも、何か新しいことを行おうとすると、それは「違法行為」であることがほとんどで、これが芸能の世界の大きな特徴の一つでもありますが、戦略=意思決定は法律との闘いであることを忘れてはなりません。このようなこともあり、芸能の世界での戦略論は簡単に「芸能戦略論」と名付けるわけにはいかず、正確には「法解釈戦略論」というタイトルの下で芸能を考えるというのが正解だとするのが私の研究室での立場です。
では、現実の法律はどうなっているかというと、実に細かくできており、下手をすると芸能活動そのものが違法であると解釈することもでき、その意味で芸能人であることが同時に犯罪者であるという仮説を持つことができ、かなり危険な商売であることは容易に想像できるはずです。しかしながら、なぜ芸能人は芸能人であるというだけで犯罪者として立件されないのかというと、それは裁判所に「訴える人がいない」からです。犯罪者となるには民事であろうと刑事であろうと裁判にかけられないといけませんが、芸能人が芸能人であるがゆえに裁判所に訴える人などいないわけではないですが、社会通念上、裁判はふさわしくないということで書類を受理しないと思います。法律の条文と実際の運用方法とが異なることがありますが、この件はその典型です。
こう考えてみると面白い仮説が山ほど出てくるのですが、犯罪につながるといけないので危ない方向の仮説は述べませんが、一つ考えられるのは、「芸能は犯罪なの?」という単純な問いにたどり着くと思います。しかし、実際に芸能が理由で逮捕され裁判にかけられた人など、戦前や数百年前にはあったかもわかりませんが、少なくとも戦後にそのような判例はないところを見ると、これは日本人のほとんどの人が「芸能は犯罪であるはずがない」と無意識に思っているからだという仮説が成り立ちます。
この仮説を立証するのに役立つのがユングの「集合的無意識」という無意識の世界、それに関連してポランニーの「暗黙知」の命題をあげることができ、これら二つに共通するのは「普遍」というキーワードでありまして、普遍的であることは数の理論からすると「数が多い」ということになり、結果、意識化されると「犯罪であるのはおかしいから裁判所に訴えない」ということになります。
ようは、「直感」といわれているものがありますが、「芸能は犯罪である」と聞いた時に、「これはおかしい」と直感的に感じると思います。この直感の源が集合的無意識であり、言葉にならないが間違っていることは認識できる、ないし行動ができるという「暗黙知」の領域でありまして、これが表層化(意識化)されていく過程にカッシーラなどの命題である「シンボル形式」というものが出てきて、これらがミックスされることにより直感の意識化が可能となり、これを「無意識の破壊と蘇生」という命題で研究することが私の現在の研究のメインテーマですが、この無意識に訴えかける方法であるならばLinQは九州のローカルアイドルである必要性がなく、広く全国の人に認識されておかしくなという仮説に向かいます。例えば、地方のゆるキャラを見てください。千葉県某市の非公認ゆるキャラさんなどは、地方色があまりにも出すぎている反面、全国展開に成功しているものすごく興味深いゆるキャラです。これはただ単に地方色が「濃い」というだけではなく、先に無意識に働きかけ、それを意識化させることに見事に成功させているからだと考えております。
最近の芸能の世界では地方色をものすごく前面に出すようにセッティングされておりますが、そこには人間の「無意識」に訴えかける仕込みが必要であることを芸能界の皆様方にお伝えしておきたいと思います。実のところ、無意識は意識化できていない部分なので「訴える」ことは理論的には不可能なのですが、「直感」となると「訴える」ことは可能だと思えませんか?この部分を重視して芸能界を盛り上げていただければ日本政府としても研究のやりがいがあったというものです。
今回は序論として書いてみましたが、続きは少しづつ書いていこうと思います。先にゲイリーの論文でのLinQと他のアイドルとの比較についての結論を行っていこうと思いますので、お楽しみに。
今回もご高覧、ありがとうございました。