の続きです。
学校(社会)や親に対する反発心が出てきた。
さらに目立ちたがり屋な性分も出てきて、
服装などのルールも守らず、
スカート長くしたり短くしたり、
髪を染めてみたり、
とにかく校則という枠におさまりたくなかった。
あるとき、友人との話の中で、
その頃のトップクラスの某高校は、
すごく自由で楽しいらしいという話を聞いた。
“自由”
私はその言葉に猛烈に惹かれた。
それを母に話すと、
教育熱心な母はもちろん喜んで、
「それなら塾に行かなね」
と行って、
行かせてくれることとなった。
でもそこで私は、
夜に外出するという解放感を味わった。
次第に塾をさぼって、
夜遊びばかりするようになった。
私は単に束縛や抑圧から逃れて、自由になりたかっただけだったのだ。
それが夜遊び、
ダメだと言われることに手を出す。
自由への欲望が歪んだカタチで出てきたのだった。
私の反発心は、
どんどんエスカレートしていった。
気がつけば、
周りもいわゆる不良と言われるような
人ばかりになっていった。
他校のヤンキーと言われる人たちと絡んだり、
ここには書けないようなこともあり、
警察に補導されることもしばしば。
「自分の体を大切にしなさい」
って言われても、何それ??
どういうことか全く分からなかった。
学校をさぼることも増えた。
塾は夜遊びするからと、
家庭教師をつけられたけど、
勉強なんてしなかった。
家にいたくなかったので、
いつも公園とかでたむろして、
ときに警察がやってきたり、
うちの母がやってきた。
母はいつも世間体を気にしていた。
そんなことやってる娘たちに、
世間からどう思われるかということを
気にしていた。
「世間体が大事に決まっとるやんね」
と何度も当然のように言われた。
私はたった一言でいい。
「世間体じゃなくあんたが大事」
と言ってほしかった。
そうやって荒れていたので、
高校受験なんてどーでもよかった。
一応受験したものの、
内申書が悪すぎて受かるはずもなく(笑)
私立の女子校を
受けなさいと言われてイヤイヤ受けて、
そちらはたまたま受かったけど、
かなり厳しいと言われていた女子校、
ぜったいに嫌だ!!
と、高校に行かない選択をしたのだった。
続く・・・
中学の写真はあまりなくて…部活の写真。吹奏楽でした。真ん中のソプラノサックス。そこまで荒れる前のまだかわいげのあった頃の私(笑)
食と心の発酵教室 りんからん