オクイカオリと申します。


熊本市在住、現在43歳、中1・小4・小1・4歳の4人の男の子のママです。

 

糀・発酵ごはんで大地と繋がり、カンタンおいしく生命力高まる食のあり方や、本当の自分を知り自分と繋がるノートや本質的な幸せなあり方をお伝えしています。

 

 

お仕事のご依頼・お問い合わせはコチラより承ります。

 

 

 

〜これまでの歩み〜

 
 
幼少期〜学生時代
 
1978年10月 福岡市にて、双子の妹として生まれる。今思えば、幼少期から周りの雰囲気や親の期待を読み取りいい子であろうとしてきた。
 
 中学生の頃にその反動がやってきて、不良娘となる(笑)そのおかげで高校にも行かず、母の勧めで大検を取得することに。これまた母の勧めで医療秘書の専門学校に行くも自分には合わないと感じて中退し、パソコンを学ぶために麻生電子ビジネス専門学校へ。
 
 
 
社会人へ
 
20歳に卒業後、電力関連会社のシステムエンジニアとして入社。
関連会社の若手の組合活動が盛んで、交流イベント、飲み会、キャンプ、研修などの活動にどんどん参加してはまっていく。イベントの企画力、運営力、コミュニケーション力、人に伝える力、リーダーシップなど多くのことを学ぶ。
 
 
 
26歳 〜フィリピンへの植林活動を機に環境問題に目覚める〜
 
組合活動の一環で、フィリピンへの植林活動への参加を熱望して実現することに。
そこで目の当たりにした木がない山々、木がないために今もなお水害がある現地の方々の暮らし、伐採された木は高度成長時代の日本に輸出されたと知り、

私たちの便利さは何を犠牲に成り立っているのか?
大きな疑問を感じる。

これは多くの人へ伝えていかねば!
と環境問題の本を読み漁る。

環境問題は、私たちの暮らしそのものなんだと気づき、当時一人暮らしだった私は、使い捨てのものを減らす、合成洗剤をやめるなど暮らしを見直す。

産地の近いものや旬のものを選ぶようにしたり、パン食はゴミが多いことに気づき、ごはんと味噌汁にするようにしたりと、食生活も少しずつ変化していった。


 
27歳 〜マクロビ,「食卓の向こう側」との出会いで食こそ大切にしようと思い始める〜
 
 
ある日、母子共にアトピーで悩んでいた姉からのメールで、マクロビオティックを知り、お肉を食べなくてもいいという考えに衝撃を受ける。環境問題の本に肉食のことなど書いてあるのを見たことはあったものの、お肉は食べるものだし…と思っていたが、現代の食のあり方が必ずしも良いものではないかもしれないと疑問を抱くようになる。

それを機に、前から気になっていた西日本新聞の
「食卓の向こう側」を一気に読む。今の食のあり方は環境だけじゃなく社会にも大きく影響していることを知る。

蔓延する心や体の病気、子どものおかしな行動、不可解な犯罪。いろんな不安を感じるニュースがたくさん流れているけど、結果には原因があるのだ。食のあり方が変われば社会は変わるのかもしれない。

食さえ大切にしていれば人生大きく踏み外すことはないんだ。食こそ大切にしよう!と強く思った。


 
28歳 〜妊娠9ヶ月でお空にかえった娘〜
 
28歳のときに、組合活動を共にしていた夫と結婚。

すぐに子どもを授かり、
「食卓の向こう側」を読んで、できるだけ医療介入せず体を整えて本来の生む力・生まれる力を発揮した自然なお産をしたいと思い、助産院で産むことを決意。

厳しい食事指導に健診後は毎回反省ばかりで凹むこともあったけど、身体づくりのために料理を勉強しようと、マクロビオティックの料理教室にも通うように。

妊娠9ヶ月、産休に入って間もなく、助産院と提携している病院で健診を受けるため、妊婦健診に行ったところ、前日まで動いていたお腹の子は心臓が止まって息絶えていることを聞かされる。

翌日から入院して、促進剤を使って産ぶ声のない出産。私の大きな泣き声だけが響き渡る。

言いようのない喪失感、深い悲しみ・・・

生きることとは何か?
人は何のために生まれ、何のために生きるのか?
大きく死生観が変わる。
 
自分のこれからの生き方を見つめ、9年勤めた会社を退職。

 
29歳 〜安武千恵さんとの出会い。ブログスタート〜

人と会うことが大好きでしたが、死産の後、生まれて初めて怖いと思った。
でも怖がってばかりもいられない、と死産前に通っていたマクロビオティックの料理教室に思い切って参加。

ぺちゃんこになったお腹を見て、顔見知りの人たちが「生まれたんですか?」と聞かれ、「ダメだったんです…」というと、さーっと引いていき、来なければよかった、逃げ出したい・・・と思った。

そんな中、声かけてくれた一人の女性がいた。今となっては本や映画にもなった「はなちゃんのみそ汁」のはなちゃんのお母さん、安武千恵さん。
 

 

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とても親身になって話を聞いてくれた。そして話していくうちに、当時夫が教えてくれて毎日楽しみにしていた西日本新聞の連載~乳がんでありながら奇跡的に子どもを授かって出産して再発して生きる女性…生きることの意味を深く考えさせられた記事~の当事者であることが分かり、この出会いに身体中に衝撃が走る。
 
そして千恵さんと繋がり、千恵さんのブログ(▶︎早寝早起き玄米生活〜ガンとムスメと、時々、旦那〜)を見て、私がやりたいのはこんなことだ!と、その日のうちにブログを開設。
 
死産してから、ネットで見る同じような経験をされた方のお話にとても救われたので、自分も経験や気持ちを綴るように。そうしたことで、何より自分が救われた。
 
 
 
29歳 〜ホールフードとの出会い〜
 
ブログを始めたことで、新たにいろんな情報が入るようになり、こだわりすぎるようにもなった。
お肉などの畜産品などに対して「食べなくていいもの」から、「食べると体に悪いもの」という考えに染まっていく。
 
そんなとき、夫が組合活動で関わりのあった食や環境の活動をされてるNPOの方からの話を聞き、ある農家さんの新聞の連載や本を教えてもらい、生産者の視点で考えるように。
 
農薬だって薬だって使われるようになったのはさまざまな時代背景があってのこと。どんなに薬が使われていたとしても野菜だってお肉などの畜産品だっていのちそのもの。それをすべて悪として否定することに違和感を感じ始める。

食と環境と農業をまるごと考えるホールフードを知り、私が大切にしたいことはこれだ!と思い、安武千恵さんの尽力により福岡で開講することとなったホールフードスクールを受講することに。
 
 
その間に長男を授かり、出産。
母乳の出がかなり悪かったのに母乳育児にこだわったり、布おむつにこだわったり、自然育児にこだわり、育児を楽しむ余裕がなかった。
 
 
ホールフードのタカコ・ナカムラ先生との共著も出されている長崎・佐世保の大地といのちの会 吉田俊道先生の生ごみリサイクルで元気野菜・元気人間づくりの活動にも共感し、ホールフード仲間である川口理恵さんが立ち上げたふくおか大地といのちの会の活動にも運営委員として携わる。
 
 
 
30歳 〜糀(麹)との出会い〜
 
長男を授乳中、レシピ本に載っていてお料理に使った残りの甘酒を飲んだときに、そのおいしさに衝撃を受ける。

甘いもの大好きなのに、砂糖は悪と思っており、さらに授乳中ということもあり食べるものを制限していたため、甘酒の自然だけど甘くておいしくて、猛烈に糀に興味をもつ。

受講中のホールフードの講座でもその後、糀の講座があり、そこで塩麹も知りさらに興味を深める。
 
そしてホールフードで大分・佐伯市の糀屋本店さんに行く糀ツアーに参加。そこで女将 浅利妙峰さんの気さくで温かい人柄にふれ、「糀の活躍の場を家庭に戻したい」という思いにも共感し、糀をもっと広めたい!と思うように。

それからすっかり糀にはまり、塩麹・甘酒・糀納豆の3点セットを近所の方や知り合ったママさんたちに配っているとみなさんはまっていき、料理を教えてほしいと言われるようになる。

きっず〜なさんとの出会いがあり、料理教室をすることに。

それを機に自宅で糀料理教室を始める。
糀がブームになり始めた頃には、新聞やテレビの取材も受ける。
 
 
 
33歳 思いがけず熊本へ転勤
 
次男を妊娠・出産。
長男を預けていた保育園が本人に合っていないかもと感じ始め、悶々とする日々。育児環境を本気で変えたい、田舎でのんびり子育てしたいと、糸島への移住を決めたところで思いがけず夫の転勤。
夫が生まれ育った田舎で同居暮らしスタート。

越してすぐに
ママイキを受講。子どものために、母としてこうあるべき、などたくさんの制限をしていたが、少しずつ自分がどうしたいのかを大切にし始める。

友人のススメで受けた田村香春先生のパーソナルカラーセミナーで、かなり衝撃を受け、外見の大切さ、女性としての生き方をガツンと教わり、自分が女であったことを思い出す(笑)

それまで自然派一辺倒だった生き方が、自分を大切にする生き方に徐々に変わっていく。

料理教室もお店や出張などの依頼を多数いただくようになり、活動の幅が広がる。
 
 
 
36歳 三男を妊娠・自宅出産
 
三男を妊娠。その前に自宅出産した友人の話を聞いて、三男を自宅出産することに。助産師さんの自宅での健診では、1時間くらいかけて母体のこと、赤ちゃんのこと、丁寧に教えてくださり、体を整えていった。

そして家族が見守る中、無事に出産。生まれた姿そのままでしばらく胸に抱いた時間は、いのちを生み出す幸せを全身で噛み締めるひとときだった。
 
しかし、生後3日目に黄疸の数値が高く交換輸血、入院することとなった。
またしても自然育児にこだわろうとしていた私。「大切なことはそこじゃないよ」と教わったような気がした。

さらに、産後の体の養生や母乳育児などでも、食さえ大切にしていれば大丈夫、食で心も体も整えたい、健康でありたいと思っていた。

でも食にこだわっていても自分の体に自信がもてず・・・

食は大切。でも食だけじゃないんだ。
心のあり方のほうが大切なのかもしれない。

そう思って、心と体のことを深く学びたいと思っていたときに、
グラウンディングヨガのティーチャートレーニングの講座が目に止まり、学ぶことを決意。

心と体と魂についての学びを深める。

 
 
37歳 自分の本質を問い、生き方が変わる
 
この頃の私…大きな変容期だった。
 
脳の断捨離といわれるアクセスバーズの施術者にもなり、より見えないエネルギーの世界に触れるようになる。ヨガの学びやアクセスバーズを通じて、いかに頭でっかちで自分の感覚に対して不感症になっていたか、自分の感情に蓋をして生きてきたのか、ということに気づく。

知識ばかり詰め込み、良い悪い・正しい正しくないで物事を判断していたが、五感を研ぎ澄ませて心の声に耳を傾け、食べたいものを食べる、やりたくないことはやらないなど、自分の感覚を取り戻すことを始める。


 
 
37歳 熊本市への引越しを決意
 
玉名(熊本県)の夫の実家に同居していたが、自分たちの居場所はここではないとハッキリ思う出来事があり、そのタイミングで夫の熊本市への転勤が決まる。通勤可能な範囲の転勤だったが、引っ越しを決意する。

引越し直後の熊本地震で、大きく揺さぶられる。
ますます宇宙の法則などスピリチュアルな世界への興味を深めていく。
 
 
 
食と心の発酵教室 りんからん 活動スタート
 
2016年9月 食と心の発酵教室 りんからん として活動スタート。

料理教室を中心に食のことを伝え続けてきたが、心のことも伝えたいと思い、食や心のあり方を伝える活動を行う。
*グラウンディングヨガは2017年2月をもって活動を終了しました
 
 
 
38歳 四男を妊娠・自宅出産
 
四男を授かり、今回もまた自宅出産することに。家族全員が見守る中、新しいいのちを迎え、四児の母となる。
 

 

39歳 ノートで魂の探求を始める
 
四男の妊娠・出産を機に、同じ四児の母であり幸せな生き方を体現している藤本さきこさんの生き方あり方に興味を深める。

「お金の神様に可愛がられる3行ノートの魔法」の本を読んだことが大きな転機となり、

自分と向き合うためにノートを書くことを始めることで、これまで探し求めてきた本当の幸せな生き方がすべてそこにあると確信をもつ。
 
セミナーにも通い、勝ち負けや二極の視点ではない私たちの本質的な魂の視点を深めていき、地に足のついた本質的に幸せなあり方、ノートを伝える活動を始める。
 

糀のもとはお米、麹菌は元々稲穂からとれる菌。稲の語源はいのちの根。私たちのいのちの根が稲です♡


発酵の世界、日本の食文化、
その中心にあるお米が
大切にされていきますように。


自然と調和し、自分自身と調和する
本質的に幸せな食べ方生き方が
広がっていきますように♡


すべてのいのちが
調和していきますように♡


そんな思いで活動しています!
どうぞよろしくお願いします。



オクイカオリ

 
【参考:これまでの歩みを詳しく書いた記事】