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ことの葉だより

 日々の暮らしの中で出会った素敵な人を紹介したり、美しいことばや優しいことば、感動した出来事などをシェアできたらいいなと思っています。みんなで一緒に幸せになりましょう!

昨日、以前勤めていた学校の同窓会に行ってきました。

同窓生の佐藤啓子さんが、詩集を出版されたことが紹介されました。

そして、佐藤さんご自身が3編の詩を朗読してくださいました。

佐藤さんの声は力強く、聴く私たちの心に真っ直ぐ入ってきました。

家に帰って、会場で買い求めた
震災ポエム「海をうらまない」(合同出版)
を読みました。


私は、3.11をこんなに真剣に受け止めただろうか。

こんなに他者の「いのち」に思いを寄せただろうか。

こんなに希望を語っただろうか。


壊れた防波堤の残骸や折れた松の木、
地盤沈下した道路や瓦礫の山、
被災した何千何万台もの車、
家屋が無くなってすっかり変わってしまった風景…
そんなものを見なければ、
高台から遠くを眺めれば…
以前と変わらない海がそこにある!
あの真っ黒になって
多くの人や車、家を飲み込んでいった海の姿はどこにもない。
海は静かにそこにある。

そこに住む人たちの生活は一変してしまったのに。


この詩集は、
亡くなった人たちへの鎮魂と
生き残った者たちへの励まし
そして、私たちのなすべきことを示してくれています。
多くの人たちに読んでいただきたいと思います。

2011.9.19 「さよなら原発集会」の発言内容完全書き出しを読む機会が与えられました。

武藤類子さんについて、私はここに書かれていること以外は知らないけれど、

福島の現実を正に今生きていらっしゃる方の言葉は重くて強いと感じました。




武藤類子(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)さん

みなさん、どうぞ一緒に立ちあがって下さい。

みなさんこんにちは。
福島からまいりました

今日は福島県内から、避難先から、何台もバスを連ねて沢山の仲間たちとやってまいりました
初めて集会やデモに参加する人達も沢山います
それでも、
「福島原発で起きた悲しみを伝えよう」
「私たちこそが原発はいらないと声を上げよう」と
声を掛け合い、誘いあってやって来ました

初めに申し上げたいことがあります

3.11からの大変な毎日を、
命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを深く尊敬いたします。
それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をして下さった方々に

お礼を申し上げます

ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった
子どもたち、若い人々に、
このような現実を作ってしまった世代として
心から謝りたいと思います

ほんとうにごめんなさい。

さて、皆さん、福島はとても美しいところです
東に紺碧の太平洋を望む浜通り
桃、梨、リンゴと果物の宝庫の仲通り
猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野
その向こうを深い山々が縁取っています
山は青く、水は清らかな、私達のふる里です。

3.11原発事故を境に、その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ
私達は被ばく者となりました。

大混乱の中で、私達には様々なことが起こりました

素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安のはざまで
引き裂かれていく人と人とのつながり

地域で、職場で学校で、家庭の中で
どれだけの人が悩み悲しんだことでしょう

毎日毎日否応なく迫られる決断
逃げる、逃げない
食べる、食べない
子どもにマスクをさせる、させない
洗濯物を外に干す、干さない
畑を耕す、耕さない
何かに物申す、黙る。
さまざまな苦渋の選択がありました

そして今、半年という月日の中で次第に鮮明になってきた事は

「事実は隠されるのだ」
「国は国民を守らないのだ」
「事故はいまだに終わらないのだ」
「福島県民は核の実験材料にされるのだ」
「莫大な放射能のゴミは残るのだ」
「大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ」
「私達は捨てられたのだ」

私達は疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます

でも、口をついて出てくる言葉は

「私達をバカにするな」
「私達の命を奪うな」  です

福島県民は今、怒りと悲しみの中から
静かに立ち上がっています

「子どもたちを守ろう」と、母親が父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが
「自分たちの未来を奪われまい」と 若い世代が
大量の被ばくにさらされながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと 労働者たちが
土地を汚された絶望の中から 農民が
放射能による新たな差別と分断を生むまいと 障害を持った人々が
一人ひとりの市民が、国と東電の責任を追い続けています

そして、「原発はもういらない」と、声を上げています

私達は静かに怒りを燃やす東北の鬼です
私たち福島県民は故郷を離れる者も、福島の地に残り留まる者も
苦悩と責任と希望を分かち合い
支え合って生きていこうと思っています

私達と繋がって下さい

私達が起こしているアクションに注目して下さい

政府交渉、疎開裁判、避難、雇用、除染、測定、原発・放射能についての学び
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。

今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます
思いつく限りのあらゆる事に取り組んでいます

私達を助けて下さい
どうか、福島を忘れないでください

もうひとつ、お話ししたい事があります

それは私達自身の生き方、暮らし方です
私達は何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません

便利さと発展が差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません


原発はその向こうにあるのです。

人類は地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません
自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか?

私はこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。

ささやかでも、エネルギーを大事に使い、
工夫に満ちた豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです

どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか
誰にも明確な答えは分かりません

出来る事は誰かが決めたことに従うのではなく
一人ひとりが、ほんとうに、本当に、本気で自分の頭で考え、確かに目を見開き、
自分が出来ることを決断し、行動する事だと思うのです、

一人ひとりにその力がある事を思い出しましょう

私達は誰でも変わる勇気を持っています
奪われてきた自信を取り戻しましょう

原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば
限りなく横に広がり繋がり続けていくことが私達の力です

たった今、隣にいる人と、そっと手をつないでみて下さい。
見つめ合い、お互いの辛さを聞き合いましょう
涙と怒りを許しあいましょう
今つないでいるその手のぬくもりを日本中に世界中に広げていきましょう。

私たち一人一人の背負っていかなければならない荷物が
途方もなく重く、道のりがどんなに苛酷であっても
目をそらさずに支え合い、軽やかに、朗らかに
生き延びていきましょう。

ありがとうございました。

4月の初め、南三陸町に向かっていた私たちは、津波の爪痕の残る道端に水仙の花を見た。

5月だったと思う。宮古でハマユリの花が咲いたと地方局のニュースで放映された。

6月、瓦礫の向こうの柿の木を見て母がつぶやいた。「2本とも枯れてしまった」

しかし、7月その柿の木に葉っぱが出ていた。生きていた!

8月の終わり、家が全壊流失してしまった跡地の母の家庭菜園跡に草が生い茂り、その中にたくさんのトマトが苗の大きさにまで育っていた。

9月、トマトはまた大きくなって花をつけていた。そして、よく見ると、草とトマトの中にナスまで生えている。

昨年落ちた種が芽を出していたのだ。

この季節では実がなるまでには至らないかもしれないけれど、

塩水に何時間も浸かっていたはずの場所でこんなにしっかり生きている。


遺伝子工学の第一人者である村上和雄先生が、ドキュメンタリー映画「1/4の奇跡」の中で語られていた言葉を思い出す。

「生きとし生けるもの、過去に生きていたもの、今生きているもの、これから生きるもの・・・アメーバから人間まですべて同じ遺伝子暗号を使っている」


ならば、この植物たちの強さは人間にもあるはず、

私たちも強く生きていける!

そんなふうに思った。


今被災地では、草があちこちで勢いよく伸びていて、まるで大地を修復しようとしているかのようだ。

その中にたくさんの黄色いひまわりが咲いていて心を明るくしてくれる。

神様は、試練とともに脱出の道も備えてくださるのだ。

何でもかんでも「風評被害」という言葉で片付けるのは違うのではないかと思います。


今は、実際に害を受けているものも含めて風評被害と呼ばれているように感じられてなりません。

だから、「『安全』って言われているけど、本当に安全なの?」と

多くの人が不安を感じるのだと思います。


きちんと検査して実害と風評をはっきり分け、

実害を受けたものは流通させず、補償してもらう。

安全なものは、適正な価格で流通させる。

そうしないと、農家の方々の収入は減る一方だし、

「安全でおいしいものをつくりたい」という願いも踏みにじられてしまいます。

また、命を守るという観点からも当然であり必要なことと思います。


「風評被害」という言葉でうやむやになっているものがあると思うのは私だけでしょうか?

教会フリーペーパー「れたす らん」No.2に掲載されていた

aiko3さんの「第2回 今こそがんばらないで」から抜粋しました。



*****ここから


なお、災害を受けた地域は、次のようなプロセスをたどると言われてます。

期間はあくまでも一般的なものですが、ご参考までにどうぞ。


【英雄期……災害直後】

命を守るため、関係機関を含め、誰もが力を尽くす。


【ハネムーン期……6カ月まで】

衣食住が問題となり、生き延びた人が助け合い、外部からの援助も行われる。被災地は連帯感に包まれる。


【幻滅期……2カ月~1、2年】

衣食住だけはどうにか確保されたところで、心の問題が徐々に目に見える形になってくる。

人々は自分の受けたダメージに直面し、やり場のない不満と怒り、避難生活の疲れ、被害の程度の違いによる感情的な反目などが表面化。飲酒問題も出現する。この時期が終わるまでは、地域だけでなく外部からの物心両面の支援が欠かせない。


【再建期……数年間】

被災地に「日常」が戻り始め、被災者は自分の生活の再建だけでなく地域としての再建に参加。一方、復興から取り残されたり精神的支えを失った人に対しては、地域での長期の援助が必要。


*****ここまで



今は、幻滅期と再建期がごっちゃになっているところでしょうか。


せっかく確かめた絆です。

みんなで支え合って、知恵を出し合って

以前よりももっともっと住み良い町を創りましょう!


全国の皆様、

息の長いご支援をよろしくお願いいたします。