好かれる理由と嫌われる理由
先日、聞いていた 心屋さんのユーチューブ ポットキャストで ハッと気がつかされる事が。それは、嫌われる性格の部分と 好かれる性格の部分は同じってこと。ギャーー確かに!と思いました。天真爛漫なところがいいねって言われたりしてもそういうところが、鼻につくとか明るいから、ウルサイに派生していったり自分暗いなぁって思っていても物静かだから話しやすいってことになったりとか人のことを 色々首突っ込むことで 嫌われることもあるけれど逆に お世話好きで 甲斐甲斐しいってことにもなったりしますよねそれに助けられる人もいるわけで他にも色々あるだろうけれど過去10年くらいで いわゆる 絶交的なことが 結構あって自分自身をさらに 否定してあーでもない こーでもないって 思っていたけれど嫌われる要素は好かれる要素でもあって表裏一体なのか捨てる神あれば拾う神ありってことか捨てられた人たちのことを思うと自分がただ最低な人でしかないって思うけれどそれでも 家族とか 遠くにいて変わらない友達とかそばにいて 見守っってくれる人々がたくさんいてその人達は 私の 嫌な要素も受け止めてくれてるんだよなちゃんと愛されているじゃあありませんかと思い起こすことができたりして多分人生の殆どを 私は人に嫌われるし 愛されないっていう概念をどっかしら 持ちながら生きてきていて人に 羨ましがられたり 褒められたりしても受け取ることが まったくなかったんだけどこんなわたしでも(この言い方もいかんのですよね)友だちと思ってくれたり、大事に思ってくれる人もいるわけでそうそうどのみち 好かれるようそは 嫌われる要素なんだから気にせんでいい っていう 心屋さんのお話でした確かに!!!(第二弾)だから 前よりは 気にしなくなって自分がもっと感じたとおり 思ったとおりに 色々やってみたらいいんだなってもうちょっと いい意味で 「自分本位」の感覚を取り戻せたそんなありがたい瞬間でした