と タイトル通りに思えてたわけではなかった。

 

 

ずっと悶々とスッキリしないことがあって

 

悲しいなぁって思ったり 

自分を卑下したり

やっぱり私はいつも違うんだよなぁ

仲間には入れないんだよなぁ

 

って 思っていたけれど

 

それは 今に始まったことではなくて

前にも同じような感情を抱いたこともあり

 

それは

いわゆる あの頃のように いや あの頃にだって

同じような志や 想いを持っていたのかもわからないけど

 

進むべき道、住んでる世界が違うのか と 悲しくなって

切なくなって 孤独を感じたことが 若いときにもあった

 

 

それになんとなく似てた

 

 

でも 考えたら当たり前

自分は 4人の子供のお母さんにまずなっちゃってるし

社会の中で責任を負う立場 というよりも

 

家庭の中での 責任をまっとうするっていうことが

今の私に課せられた場所

 

社会の中で 仕事を全うしている力のある人々とは

時間の使い方や 重きを置く場所も 違うし

 

そんな自分を見て あー私スローだなぁって 凹んだり

なんでできないんだろうって 嫌になる。

 

だけど

そんなことを自分が自分に言っているときに はっと思った。

 

 

家族いるのと いないとのでは

全然違って 当然なんだ!

だって 違いすぎるじゃん!

 

 

あー ああいうふうになりたい って思う気持ちはいっぱいあるけど

あー やっぱりわたし おかあさんなんだなぁっていう スピードなんだよなぁ

 

だから それをずっと否定してたり 拒絶してたり

駄目だ駄目だって ずっとどこかで思っている節があったけれど

 

しょうがないんだよ 違って当然なんだよ!

と やっと 気持ちとして 受け入れられた

少し 罪悪感だったり 否定する気持ちが なくなったかなぁと思いました。

 

お母さんにはなったけど

お母さんだけで終わるのは 悲しすぎる とも 思う。

 

今日 久々に 先輩のママにあって話をした。

 

あーこんなふうに 自分の世界 自分の時間 自分の人生をまた

積み重ねていける日が いつかは来るんだなぁと

今は 足踏みしている感じだけど

それでも いいんだ 違っててもいいんだ!と

ちょっと自分を 抱きかかえてあげられた気がしました。

 

子供はいつか巣立っていってしまうだろう。

だから

いま パパママにまとわりついて 

パパママが必要な時

そばにいて 手助けをすることのほうが

私にとっては 必要なことなのだろうな。

 

と 言い聞かせてみる。

 

 

 

 

 

子供が 音読の際、覚えちゃって見なくても暗証できる詩を シェア

これ そのとおりかもっておもって。

 

 

 

わたしと小鳥とすずと

 

私が両手を広げても

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のように

地べたを早くは走れない

 

私が体を揺すっても

きれいな音は出ないけど

あの鳴るすずは 私のように

たくさんの歌は知らないよ

 

すずと小鳥とそれから私

みんなちがって みんないい