はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、ホーソーンの「緋文字」という作品についてです。一応、「フラニーとゾーイー」 「沈黙」 「塩狩峠」 「氷点」

 

とキリスト教文学を読んできて、今回もその一環です。清教徒革命の最中、イギリスから逃れて新天地、アメリカに渡った人々が築いた社会で、起こった事件とは。

 
 
 

 

「緋文字」ホーソーン(光文社古典新訳文庫)

 私は、幸福なのか。そもそも、幸せとは何なのか。誰と比べることもなく、自分のことを幸せだと決めるのは、本当に可能なのだろうか。

 

 夫がありながら、他の男と不貞を働いたとして、裁かれるヘスター・プリン。罪の象徴である鮮やかな緋文字を胸につけ、周囲の厳しい視線に晒されながらの、へスターの辛い日々が始まった。娘のパールと共に、彼女は苦境の中で変貌を遂げていく。

 

 罪という名の下、周囲の冷たい視線を一身に受けながらも、じょじょに顔を上げられるようになっていくヘスターがとにかくまぶしかった。周囲からの軽蔑の目を向けられるという、厳しく苦しい環境の中に長く置かれたからこそ、得た彼女の強さに、感動せずにはいられない。そのような境遇でなかったら、勝ち得なかっただろうものだ。

 

 私は、へスターとは比べものにならない安穏とした日常を送っている。そのこと自体は、決して不幸だとは思わない。だが、へスターのように苦境の中で成長し、そうでなければ手に入れられなかったであろう芯の強さを見せつけられると、自分の幸せを省みてしまった。ただただ、無為に日々を送っている自分には、このような強さはない。すると、自分を不幸だと思えるほうが、ひょっとしたら成長の機会は多いのかもしれない。自身が幸せであると決めることは、「不幸」な自分を捨て去ろうと、死に物狂いで努力するというチャンスを奪っていることになりはしまいか。

 

 苦境に陥らなければ、人は成長できないのかもしれない。だとすれば、人間という存在はとても虚しいものだ。幸せであると自分で思い込むことが、負い目につながる。幸せとは本当に良いものなのか。

 

 世の中には、周囲によって残酷な状況に追い込まれた主人公が、その原因となった周囲を見返す、という物語が山ほどある。けれど、この作品のヘスターほど苦しい日々を送らされた者もいないだろう。自分の矜持を守り抜いた彼女に、賞賛の言葉は惜しめない。

 

 ちなみに、最近読んだサトクリフの「白馬の騎士」と同時代だった。本当にたまたまだったので、少し嬉しかったことも書いておく。

 

 

おわりに

 ということで、「緋文字」についてでした。お楽しみいただけましたでしょうか。

 

 「北欧神話と伝説」「マキァヴェッリ全集2」「歴史(ヘロドトス)」が今読み途中なのですが、色々あって上橋菜穂子さんの守り人シリーズの再読を始めてしまいました。

 

 ということで、次回はついに「精霊の守り人」についてです。これまでに何度も私の原点として言及してきた作品なので、いずれ書きたいとは常々思っていました。お楽しみいただければ幸いです。

 

 それでは、またお会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました!