参政党をはじめとした、よく分らない勢力から出ている、
「日本も核兵器を保有するべきだ」という意見に対し、
今の思いを記録しておきたいと考えました。よ
●参政党支持者は核を使用した相手国に対して、
天皇陛下に頭を下げていただく覚悟はあるのか
核を使用した場合、勝敗とは無関係に被爆国と使用した国の関係になります。
被爆国日本の場合、米国大統領が被爆地を訪問するまでに71年かかりました。
日本が核を使用した場合、(そんな事態の日本はまた敗戦国でしょう)
たとえば71年後までに
被爆地で天皇陛下に頭を下げていただく覚悟もビジョンも
参政党支持者は持っていないでしょう。
あの傍若無人な米国の大統領が71年間、
戦後71年間、当時の核兵器使用正当性について国内外に強弁しつつ、
しかし、
ヒロシマナガサキを直視できない程度には
良心の呵責にさいなまれる呪いを受けているように見えます。
使用側の倫理的負担が大きい兵器であることを認識するべきです。
日本人の良心を信じる私は、
日本人が核兵器を使用した場合、
日本人が歴史に対して背負う良心の呵責は米国の比ではないと考えます。
私は核兵器使用命令を出せません。
●核兵器はコストパフォーマンスが悪い
前述の通り、日本人が歴史的な背景から
所持しても使うことができない兵器は
非常にコストパフォーマンスが悪いです。
本来防衛の為に使うべき研究・開発・配備・改良・管理の予算を削って、
使えない核兵器の維持管理に予算を使う。合理的ではありません。
核兵器はお守りではありません。
核兵器は使う覚悟がないと全く無意味です。コストで大きなハンデとなります。
核兵器の 研究・開発・製造・配備・改良・管理に費やすコストを
・自律兵器(無人/ドローン)改良
・電子的攻撃手段の改良
・対中国包囲網への自律防衛システム輸出と量産効果(コスト低減と品質向上)
に使うべきでしょう。
どれも日本が本来得意としていた産業のスキームですよ
核兵器よりも日本の産業と防衛を強化しつつ、
防衛で同志国とイニシアチブを執るスキーム。です。
↓2020年にも同じようなことを書いていました
終戦の日の内容はYahooブログ時代に書いていたものを再掲しております
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太平洋戦争において
日本を廃墟にしたのはアメリカではなくて、
無能・無策・無責任で愚鈍な組織(軍と官僚)と、
能力不足な責任者(軍と政治)です。よ
・出口戦略の重要性、
・当初の遂行目的の確認、
・客観的かつ定量的に確認し最適な修正を行う判断力と柔軟性、
・中止を含む重要な決定を迅速に行う決断力、
=プロジェクト管理
そんな視点で見てみると、どうみても炎上プロジェクト。
個々の戦場の勝敗とは全く別なところで、
いずれ終わっていたのではないのかな。と。
終戦記念日という表現が敗戦記念日よりもしっくりくるな。と感じます。
結論としましては、数回書いていることではありますが、
無能な上司ほど恐ろしい敵はいない
無能な指揮官が最も恐ろしい。
ただ、
当初の遂行目的と終戦の詔勅(いわゆる玉音放送)を念頭に置いて、
令和7年8月15日を見渡した時に、
ある程度目標を達成しているのではないか。とも思えるわけです。
達成したのは
栄誉も賞賛もなく満員電車に詰め込まれた背広を着た兵隊さんと、
家庭を守ったお母さんなのではないか。とも思えるわけです。
目的達成に至る工程、リソース、献身。戦争と比較してどうなのかな。と
私は、栄誉も賞賛もなく満員電車に詰め込まれた背広を着た兵隊さんと、
家庭を守ったお母さんの、不断の努力と献身にこそ深く感謝をしたいと、
それが、国難に遭われた方々の望まれたことなのではないかと、
終戦の日に考えました。よ
