前回に引き続き、

遠藤周作さんの人生論、

自分をどう愛するか―「生活編」幸せの求め方

から、

「弱き人間」でも、

マイナスをプラスに転化して、「生活」を楽しむ。

その知恵を紹介していきます。

 

(以下引用)

「見栄とか虚栄心によって、

人間というのは前進するということを

忘れちゃいけない。」

「見栄をもつことにより、

その人が前進するならば、

この見栄を逆利用したほうがよろしい。

これは生きる上での知恵であり、

処世術といってよい。」

「自分に見栄をもつことで、

目標を達成できるいい方法がある。」

「その第一の方法は、毎日鏡に向かい、

『オレは偉いんだ。

オレは必ず会社で実力者になるんだ』

ということを自分にいいきかせなさい。

そのときに、

自分がなりたいと思う欲求の強いものにする。

たとえば、絵描きの卵なら、

オレはすごくすばらしい絵を描く。

作家を志す人ならば、オレはすばらしい作品を書く。

映画監督志望なら、すごい映画をこしらえる、

ということを毎日、

鏡に向かっていいきかせるわけ。」

 

「そして、いいきかせるだけでなく、

それを達成したときの自分の状態を

思い浮かべることです。

つまり、理想の自分をイメージしなさい。

これを毎日やっていれば、必ず希望どおりになる。」

「ただし、これは人には絶対にいったらいけないんだよ。

あくまでも他人には秘密にしておくことが肝要だ。」

(引用終わり)

 

これは多くの人がおっしゃっている、

成功法則ですね(^^)

 

補足しますと、

3つの真実(3) 真実その2「鏡の法則」

 

 

でも紹介しましたが、

ポイントは、

「自分が心の底から認めること」

そして、そのためにも、

「世間の価値観ではなく、

自分の価値観と合致していること」

だと思います。

 

(以下引用)

「人間は一生、学び続けなければいけないけど、

どうせやるなら楽しみながら学ぶ方法はないか、

と考えなさい。」

「誰もが刻苦勉励できる強い意志をもっている

とは限らない。

大部分の人が

自分の意志の弱さを嘆いているんです。」

「昔、手術をして左腕が自由に動かないときがあった。

病院の先生は、

『筋肉が固まって手が動かんようになるから、

体操をやりなさい』という。

それで、一遍やってみたんだが、

痛くてすぐにやめてしまった。

一か月たって、先生が、

『遠藤さん、あんたは全然、体操に出てこないから、

まだ腕があがらんでしょう。上げてごらんなさい』

というんだ。

やってみると、実にスムーズに上がるわけ。

『あれ、どうしたの』

ときくから、

『ええ、毎日、左手で花札をやっていました』

病院の大部屋の連中を相手に、

毎日花札をやって左手を動かしていたんだ。」

(引用終わり)

 

私は花札はやったことはありませんが(^^;

でも、この考え方、好きですね~

 

たとえば、

私は、日々、

健康のためにウォーキングを心がけていますが、

ただ、ひたすら歩くだけだとつまらないので、

3つの真実(6)「心のチューニング」

 

 
でも触れましたが、
仕事帰りに、ちょっと遠回りをして、
神社に立ち寄ってお参りするのを、
ルーチンにしています。
 
お参りすると、気持ちがすっきりしますし、
その目的があるので、歩くことが苦になりません(^^)
 
また、
このブログを書くのも、
仕事で疲れているときもありますが、
自分が過去、読んだことのある
「自分の好きな本」を紹介しているので、
苦ではありませんし、
アウトプットすることによって、
著者の英知を、血肉化することができます。
 
紹介したからには、
自分が実践しなければ!
という気にもなりますし(^^;
 
そして、少しでも、
皆さまのお役に立てるとすれば、
ほんと一石二鳥です!
 
このブログが書けるのも、
読んでくださる皆さまがいるおかげです。
感謝感謝です(^^)
 
今回もお読みくださいまして、
有り難うございました。
 
次回も、この本から、
引き続き、自分を愛するための知恵を紹介します。

前回は、

遠藤周作さんの小説、

女の一生 二部・サチ子の場合の、

アウシュビッツ強制収容所における、

コルベ神父と、ヘンリックという若者に、

焦点を当てて紹介しました。

 

今回は、

遠藤周作さんの人生論、

自分をどう愛するか―「生活編」幸せの求め方

を紹介したいと思います。

 

この本、

私が20代のころに、初めて読みました。

 

氏の人生論・エッセーは、

読み応えのあるものが多いですが、

その中では、

かなり読みやすく平易な方だと思います。

(別で、ぐうたら狐狸庵ものもあり、

それは、くすっと笑えるシリーズです(^^)

 

若かりし頃は、もう少しパンチの利いた、

ポジティブで刺激的な本に惹かれたこともありましたが、

この本、何故か忘れがたく、

読みやすいこともあり、何度も読み返しています。

 

メインターゲットは、若者だと思いますが、

ある程度、年をとってから読んだほうが、

この本の「深さ」がわかるかもしれません。

 

ただ、残念ながら、

この本、今は「品切れ重版未定」

となっております・・・

(古本ならアマゾンで買えますが)

 

ですので、

このブログを読んで、

皆さまの生き方の参考に、

少しでもなれば嬉しいです。

 

この本は、

「自分をどう愛するか」

というテーマで、

第一集、第二集に分かれています。

 

第一集は「生活編」

第二集は「生き方編」

 

氏は、「生きること」と「生活」することの違いを、

こう定義しています。

 

(以下引用)

生きることと、生活することとは違う。

生きることは世間や他人という壁を無視して

自分の心にあくまでも忠実であろうとすることだ。

 

だが生活することとは世間や他人をやはり考慮して

自分の未来をつくることだ。

 

―「ただいま浪人」より

(引用終わり)

 

要は、

「生きる」とは、理想

「生活」とは、現実

ということでしょうか。

 

今回は「生活編」のほうですので、

すなわち処世術的なことが多いですが、

いわゆるハウツー本のような、

薄っぺらいものではないです(^^;

 

「はじめに」

が、とてもいいです。

 

(以下引用)

私は人間が人間である一つの要素は

自分にたいする劣等観念だと思っている。

絶対的に自分は正しい、

絶対的に自分は強い、

絶対的に自分は自信がある、

と思っている人はこの世のなかに

まず存在しないのではないか。

 

そして、われわれはこの劣等観念に

ふりまわされてばかりいる。

時には背のびをして強がってみせたり、

時には逆に意気阻喪してウジウジしすぎたりする。

私も長い間、そうだった。

 

だが年の功のおかげで

私は自分の弱さにたいする扱いかたを憶えた。

無理をして強がらなくてもいいのだ。

ありのまま、自分の弱さを承知して、

その弱さを

「できるだけ自分に有利に活用してみよう」

と思うようになったのです。

 

だから、これからあなたに話すことは

自分の弱点をいかに活用するか

ということに盡きると思います。

(引用終わり)

 

この爺さんの話なら、

聞いてみたいと思いませんか(^^)

 

以下、私がためになった文章を、

紹介していきます。

 

(以下引用)

「口ベタで人とつき合うのが下手なら、

聞き上手になりなさい。

人間というものは、

どんな人でも自分の話を誰かに聞いてもらいたい、

わかってもらいたいと思っている」

(引用終わり)

 

この文章がおそらく遠因になって、

私はカウンセラーの資格を取りました(^^;

 

(以下引用)

「あんまりみんなと調子よくつき合うやつを

八方美人というけど、

ぼくはたいへんいいことだと思う。

やたらとおべっかを使うのも困りもんだけど、

それによって利益を得るという下心がなければ、

八方美人も大いに結構ではないですか」

(引用終わり)

 

今、読むと、

この文章に救われます。

私は「敵を作ってでも、自分の信念を貫き通す」

というよりも、やっぱり、

できれば「敵を作らずに、みんなで仲良くしたい」

というタイプの人間だからです。

 

(以下引用)

「能力的なマイナス点は

別のプラス点に転化できると思う。

計算が下手なやつは、

計算以外のことで必ず長所がある。

自分が、能力的な自己嫌悪になったら、

それじゃ、何ができるのかを思い浮かべて、

そこでカバーすることだ」

(引用終わり)

 

例として、

非力なやつは、弁舌でカバーする。

 

三流大学なら、逆に頭角を現せば、

教授にかわいがってもらいやすい。

 

小規模な会社なら、

比較的早く上にいきやすい。

 

音感のすばらしいやつが、

ドストエフスキー読まなくたって、

一向にかまわない。

 

野球の選手が、

微積分や高等数学なんか知らなくたって、

恥でも何でもないんだ。

 

と述べられています。

勇気が出ますね!

 

(以下引用)

「さて、今度は対人関係とか道徳的な劣等感による

自己嫌悪をもつというやつだ。

これは、キザないい方だけど

人間修行にいちばんいいんだって。

これはいわないでもわかってくれるだろうと思うけど、

古今東西の宗教がいっていることは、

自己嫌悪をもったやつこそ救われるということです。

親鸞さんも、キリストもいっているわけだ・・・」

(引用終わり)

 

自己嫌悪で悩んだり、葛藤してもいいんですね。

成熟した大人への通過儀礼です。

 

(以下引用)

「昔、ある雑誌の企画で二十人くらいの社長と

連載対談をしたことがあった。

そのとき、毎回かならず、

『あなたはスランプのとき、どう克服しましたか』

という質問をした。

その時に気がついたことは、

積極的で闘志あふれる人は、

そういうスランプの時に、

嵐に立ち向かっていくという感じで、

どんどん手を打って克服したということだ。

 

ところが、

そうでない非積極的な人は、

『いや、私は嵐が吹き去るのを辛抱強く待っていました』

というような意味のことをいう」

(引用終わり)

 

人それぞれ、

タイプを見極めることが大切だということですね。

私は、う~ん、後者です(^^;

 

(以下引用)

「ライバルを抜こうと思うな。

ライバルを立てて、風よけにしてうしろから走れ」

 

「憎しみをいだかせないという点では、

ライバルとの付き合い方も『生活の知恵』なんだ。

大切なのは、ライバルを自分の見方にして、

友だちになることだ、

ライバルから助けてもらうことを考えた方が楽です。

人生というのは長距離競争・・・」

(引用終わり)

 

「ライバルを立てて、風よけにしてうしろから走れ」

 

このセリフ、

小賢しいようですが、

私は、氏の愛情を感じます。

 

人生を深く見つめ、経験を重ねた方でないと、

なかなか言うことができないセリフだと思います。

 

たしかに、人にはそれぞれタイプがありますが、

意外と、このやり方のほうが、

うまくいく人が多いような気がします。

 

少なくとも私はそうですね(^^;

 

次回に続きます。

 

今日もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

前回からの続きです。

 

遠藤周作さんの、

女の一生 二部・サチ子の場合

を紹介しています。

 

そこに登場する、

アウシュビッツ強制収容所における、

コルベ神父と、ヘンリックという若者に、

焦点を当てて解説しています。

 

コルベ神父の死後も、

ヘンリックは、エゴイズムをむき出しにして、

生き延びようとしますが、

時折、コルベ神父の顔が目に浮かぶようになります。

 

以下、引用です。

 

(俺はあんたじゃない。

俺は神父じゃない。普通の平凡な男だ。

俺にはあんたのように、誰かの身代わりになって、

飢餓室で死ぬことなど、とてもできない)

 

あんたは強いさ、だが俺は弱い、弱い男だ。

放っといてくれ、

と、ヘンリックはコルベ神父の面影にむかって叫んだ。

 

何ヵ月がたった。

ヘンリックは生きのびていた。

エゴイズムと生存の智慧とを使い分けて、

彼は衰弱死していく仲間の中で生き残っていた。

ちょうど秋にあらかたの虫が息たえても、

まだ動いている生命力のある虫のように・・・。

 

(俺はどんなことがあってもここでは死なん)

 

彼は毎日、自分にそう言いきかせた。

言いきかせることで

自分の力を燃やそうとしていた。

 

そんな頃、

彼と寝台を共にしている男が目立って衰えてきた。

顔に白い粉のようなものが吹き出て、

皮膚がカサカサになり、

腹だけが奇妙にふくらんでくる。

栄養失調で死ぬ一歩手前であることは、

もうヘンリックたちにわかっていた。

 

(あの男に、君のパンをやってくれないか)

 

この時、突然、

彼の耳に思いがけぬひとつの声がきこえた。

ひくい囁くようなその声は聞きおぼえがあった。

コルベ神父の声だった。

 

(あの男は死ぬかもしれん。君のパンをやってくれないか)

 

ヘンリックは首を振った。

今日あてがわれたたった一つのパンを他人にやれば、

倒れるのは自分だった。

 

(俺はいやだ)

 

(あの男は死ぬかもしれぬ。

だから死ぬ前にあの男が

せめて愛を知って死んでほしいのだ)

 

哀願するようなコルベ神父の声。

ヘンリックはその時、八月の夕暮、

身代わりになるために列外にのろのろと進み出た

神父の猫背を思い出した。

 

ヘンリックはパンをその男にやった。

 

男は眼にいっぱい泪をためて

「ああ、信じられない」とつぶやいた。

 

ヘンリックができた愛の行為はこれだけだった。

それでもヘンリックは愛を行った。

(引用終わり)

 

読むと、いつも魂を揺さぶられる場面です。

 

コルベ神父の影響(神のはたらき、復活、転生)で、

私たちと同じような「弱き」男が、

ちょっぴり「強く」なれたんですね。

 

遠藤周作さんの小説には、

こういった神(大いなる存在)が語りかける場面が、

いくつか出てきます。

 

以下、

わたしが・棄てた・女

からの引用です。

 

風がミツの眼にゴミを入れる。

風がミツの心を吹き抜ける。

それはミツでない別の声を運んでくる。

赤坊の泣声。駄々をこねる男の子。

それを叱る母の声。

吉岡さんと行った渋谷の旅館、湿った毛布、

坂道をだるそうに登る女、雨。

それらの人間の人生を悲しそうにじっと眺めている

一つのくたびれた顔がミツに囁くのだ。

 

(ねえ。引きかえしてくれないか・・・

お前が持っているそのお金が、

あの子と母親とを助けるんだよ。)

 

引用終わり

 

神(大いなる存在)の声というか、

人間に本来備わっている「良心」(神性・仏性)

が呼び覚まされるのだと思います。

 

ちなみに、

私は、街頭で募金活動をしているところに出くわすと、

実際、素通りしてしまうことが多いのですが、

「何か」を感じ、後から引き返すことがあります。

(常にではありませんが)

 

そして、少額の寄付をして、

気の利いた会話をすることもなく、

足早に立ち去ります(^^;

 

遠藤周作さんの本を読んだ影響もあって、

無意識に内なる声が聞こえることがあるのかな

とも思います。

 

他にも、

沈黙では、主が語りかける有名な、

(踏むがいい・・・)

 

女の一生 一部・キクの場合では、

聖母が、

(いいえ。あなたは少しもよごれていません・・・)

 

と語りかける、

心揺さぶる場面があります。

 

これらは、

カウンセラーの受容的、共感的な姿勢にも、

通ずるところがあるなあ、と感じます。

クライアントに寄り添う同伴者として・・・

 

これは、改めて別の機会で解説したいと思います(^^;

 

遠藤周作さんの本は、

今回、再読してみて、内容的にとても深く、

「心の学び」にも、大いにつながると感じました。

 

まだ読んだことのない方は、

おすすめしますし、

若いころ読んだことのある方にも、

再読をおすすめします。

 

人生を重ねたあとだと、

また違ったものが見えてくるかもしれません。

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました(^^;

 

皆さまが、

「心ゆたかに生きる」

のに役立ちそうな本を紹介しています。

 

今回は、

前回までと少し趣向を変えて、

小説を紹介します。

 

遠藤周作さんの、

女の一生 二部・サチ子の場合

です。

 

遠藤周作さんといえば、

沈黙

海と毒薬

わたしが・棄てた・女

深い河

あたりが有名ですが、

(いずれ紹介したいと思います)

今回は、少しマイナーな、

女の一生 二部・サチ子の場合

を紹介します。

 

私は学生時代から、

遠藤周作さんの本が好きです。

 

精神的に高まるような気がするのと、

何だか、心にずっと残るものがあるので、

今でも、たまに読み返したくなる本が多いです。

 

また、エッセーや人生論も、

ユーモア溢れる中で、とても深いものを感じます。

 

「プラスにはマイナスがあり、マイナスにはプラスがある」

という捉え方をはじめて学んだのは、

遠藤周作さんの本からでした。

 

今回の、

女の一生 二部・サチ子の場合

は、第二次世界大戦下の長崎が舞台なのですが、

並行して、入れ替わり立ち替わりで、

アウシュビッツ強制収容所が描かれます。

 

そこで登場する、

コルベ神父と、

ある若い男に、

今回は、フォーカスを当てて解説したいと思います。

 

コルベ神父は、

7つの習慣(4)第一の習慣「主体的である」

でも少し紹介しましたが、

ポーランド出身の実在した人物(のちに聖人)で、

日本の長崎にも住んでいたことがあります。

 

のちにポーランド帰国後、

アウシュビッツに収容されてしまうのですが、

この小説では、

ヘンリックという一人の若者が、

コルベ神父と対比されて紹介されます。

 

このヘンリックという若者、

私たちと同じように、いわゆる「俗物」なんですね。

収容所という過酷な環境の中で、

まず第一に自分が生き延びることを考えています。

 

でも、考えてみたら、

そりゃそうですよ、当然ですよね(^^;

 

生きるか死ぬかの世界。

ホンネのところ、

私も、そのような過酷な環境下であれば、

そのような思考になると思います。

 

ヘンリックはコルベ神父に言います。

(以下、引用)

「神父さん、俺は天国は信じんが、地獄のほうは信じるぜ。

この収容所が地獄だ」

 

「まだここは地獄じゃない。地獄とは・・・

ヘンリック、愛がまったくなくなってしまった場所だよ。

しかしここは愛はまだなくなっていない」

「昨日、私は一人の囚人がもう一人の体が弱った囚人に、

自分のパンを半分わけているのを見た。

一日たった一つしかもらえぬあのパンをだよ」

 

「信じられない」

とヘンリックは首を振った。

「そんなことはこの収容所ではありっこない」

 

「いや。それがあったんだ。

私はそれを見て人間がまだ信じられると思った。

人間はどんな時でも自由が残されていると思って、

自分が恥ずかしくなった・・・」

ヘンリックは神父をにらんだ。

「あんたが人間を信ずるのは勝手だ。

だが俺はここでは他人は信じない。

信じれば、いつやられるかわからない。

あんたがその立派な男をみて、

自分のパンをくたばりかけた野郎にやるならやるがいい。

しかし誰も感心しないぜ。

お前のことを偽善者のセンチな甘い野郎だと言うだろう。

愛なんてやさしいものさ。

俺だって何人の女に愛を口にしたかわかりゃしない」

 

「ヘンリック、しかし、愛はたやくすないのだよ」

コルベ神父は悲しそうな眼をした。

 

「くたばれ」

毒づいて去っていくヘンリック・・・

(引用終わり)

 

後日、囚人の脱走者が出ます。

 

見せしめとして、

理不尽にも10名が飢餓室で処刑されることになります。

 

無慈悲にランダムで10名が指名されますが、

その中の一人の男が、うめくように叫びます。

 

「女房と・・・子に・・・会いたい」

 

・・・

 

その時だった、

助かったグループから、

一人の囚人が列を離れて

のろのろと前に歩いてきます。

 

「私を・・・」

「その泣いている人と、かわらせてください」

 

コルベ神父です。

 

「彼には妻や子供があります・・・

私は神父ですから

死んでも歎き悲しむ妻子はありません。

それに私は年を取っています」

 

コルベ神父は、

飢餓室で、10人の仲間と賛美歌を歌いながら、

14日間生きながらえますが、

最期は注射により処刑されました。

 

 

コルベ神父たちが亡くなったという情報は、

意外に早く伝わりました。

 

そして、その日の労働が終わった夕暮れ時・・・

 

(以下引用)

西のほうの地平線が今日も薔薇色にそまった。

「作業終了」の笛があちこちで鳴り、

囚人たちは自分たちの掘った穴から這いあがり、

点呼を受けるため整列した。

彼等の前面には燃え上がる空と、

夕日を受けた城のような雲が拡がっていた。

囚人たちが番号を叫んでいる間、

うるんだ硝子玉のような夕陽が少しずつ落ちていった。

 

「ああ・・・」

 

と一人の囚人がつぶやいた。

 

「なんて、この世界は・・・美しいんだ」

 

みんな黙っていた。

ああ、なんてこの世界は美しいのだろう。

昨日までこの世界は愛もなく喜びもなかった。

ただ恐怖と悲惨と拷問と死しかない世界だった。

それが今日、この世界はなんて美しいのだろう。

 

彼らはその世界をかえてくれたものがわかっていた。

愛のない世界に愛を作ったものを・・・。

 

それから長い間――、

 

収容所のなかでヘンリックの記憶の底から、

あのこわれた丸い眼鏡をかけた

コルベ神父の顔がたびたび浮かび上がった。

(引用終わり)

 

 

次回に続きます!

今回もお読みくださいまして、有り難うございました。

 

7つの習慣

を17回にわたって紹介してきました。

 

今回、

第七の習慣

「刃を研ぐ」の後半部分を紹介して、

7つの習慣を終了したいと思います。

 

「あなたの思いが相手を生かす」

とあります。

 

世の中のほとんどの人は、

「社会の鏡」に依存しており、

周りの人々の意見、知覚、パラダイムなどによって、

脚本づけられています。

 

「自立」かつ「相互依存」状態にいる人は、

自分は周りの人にとって、

「社会の鏡」になっていると自覚しているといいます。

 

「ラ・マンチャの男」というミュージカル、

中世の騎士が、ひとりの娼婦と出会う物語

が紹介されています。

 

周囲の人は、誰もが娼婦を見下すが、

騎士は、彼女の中に、

美しく気高い、彼女本来の姿を見ていた。

 

彼女は、彼が映してくれる自分の姿を信じ、

その新しいパラダイムに基づいて行動することによって、

周りの人々が驚くほど、

彼女自身が変わっていったという話です。

 

間違ってプログラムされた、

コンピューターの話も紹介されています。

 

秀才の子供たちの学力を低いと表示し、

逆に、成績の悪い子たちを優秀と表示してまった。

 

その資料が、新学期に先生に渡された結果、

5か月半後、

成績の悪い子たちの学力が伸び、

秀才の子たちの学力が下がったというのです。

 

いわゆる、

「ピグマリオン効果」

ですね。

 

私たちが、

どんなパラダイム(ものの見方)で、

どのように見るのかによって、

人は変わってくるんですね。

 

野口嘉則さんから教えていただいた、

セラピスト東豊教授の、

P循環とN循環という話があります。

 

カウンセリングでは、

クライアントを、問題のある人とは見ない。

 

人は、本来、

「水晶玉」(仏性)であるが、

「絆創膏」(問題)によって、

それが見えなくなっているだけ。

 

水晶玉を拝みながら、

絆創膏を見せていただく。

(話を聞かせていただく)

 

肝に銘じます。

 

私たちが、

刃を磨きながら、上向きの循環をしていくには、

「良心」が必要だといいます。

 

「良心」の小さな、か細い声をよく聞き、

それに従って生活することです。

 

そして、「学び」「決意」「実行」

さらに、「学び」「決意」「実行」

なおも、「学び」「決意」「実行」・・・

 

この循環を重ねていくことで、

らせん階段を登るようにして、成長していくのです。

 

ということですが、

 

正直、

 

これはけっこう大変そうですね(^^;

 

めげずに、

自分自身に言い聞かせるためにも、

勇気の出る言葉を紹介します。

 

「Better than nothing」

 

何もしないより、何かやったほうがまし!

ホントそうですよね。

 

「三日坊主、歓迎!」

 

これは、小倉広さんの本に書いてあったのですが、

三日坊主でやめても、めげずに、やり直す、

また三日坊主・・・、でもやり直す、

また・・・

 

と三日坊主でも、これを繰り返せば、

三日やる、一日休む、三日やる、一日休む・・・

ですから、何と、達成率75%なんですね!

 

そして、人生後半戦に入り、

特に共感する言葉、

 

「人生には何ひとつ無駄なものはない」

人生には何ひとつ無駄なものはない

(遠藤周作さん)

 

何事も経験になります。

勇気をもって、まずは第一歩です!

 

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以上、

7つの習慣

を17回にわたって紹介してきました(^^;

 

今回、久しぶりに読み返してみましたが、

ケン・ブランチャートさんも、

「この一冊は、成功文献を集めた図書館くらいの価値がある」

と述べているように、

人類の叡智が詰まったすばらしい良書だと、

改めて感じました。

 

これらの習慣を身につけるのは、

私にとって、一生モノの課題ですが、

今後も、何度も読み返しながら、

コツコツ、粘り強く取り組んでいきたいと思います。

 

今回も、お読みくださって有り難うございました(^^;

 

次回から、別の本を紹介いたします!