ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
ユング派の臨床心理学者
河合隼雄さんのエッセー集、
を紹介しています。
この本、
久しぶりに読み返していますが、
読めば読むほど、
味わい深くて、
新たな発見があります!
今回紹介するのは、
「理解ある親」を
もつ子はたまらない
というタイトルのエッセーです。
えっ・・・
逆ではないのか。
「理解のない親」を
もつ子はたまらない
のでは?
と思いますが、
違うんですね(^^;
実際、
下着盗みのためにつかまった、
中学生の男の子が、
カウンセラーに言った言葉が、
「理解のある親をもつと、
子どもはたまりません」
なのです。
どういうことなのでしょうか。
子どもは成長してゆくとき、
時にその成長のカーブが
急上昇するとき、
自分でもおさえ切れない
不可解な力が
湧きあがってくるのを
感じる。
それで何でもいいから
ぶっつけてみて、
ぶつかった衝撃のなかで、
自らの存在を確かめて
みるようなところがある。
そのとき
子どもがぶつかってゆく
第一の壁として、
親というものがある。
親の壁にさえぎられ、
子どもは自分の力の
限界を感じたり、
腹を立てたり、
くやしい思いをしたりする。
しかし、
そのような体験を通じてこそ、
子どもは
自分というものを知り、
現実というものを知るのである。
たしかに・・・
自分が子どもだったころを振り返っても、
そうだった気がします(^^;
いわゆる、
「理解のある親」
というのは、
このあたりのことを
まったく誤解して
しまっているのでは
なかろうか。
子どもたちの力が
爆発するとき、
その前に立ちはだかる
壁になるのではなく、
「子どもたちの
爆発するのもよくわかる」
などと言って、
その実は、
それをどこかで回避し、
自分はうまく衝突を
免れようとして
いるのではなかろうか。
壁が急になくなってしまって、
子どもたちは
いったいどこまで
自分が突っ走るといいのか、
どこが止まるべき地点か
わからなくなる。
なるほど・・・
例として、
角力(すもう)取りの、
ぶつかり稽古が挙げられています。
胸を貸す先輩が
逃げまわってばかりいては、
成長の機会を
奪ってしまうことになる。
もっとも、
胸を貸してやるためには、
こちらもそれだけの
強さをもっていなくては
ならない。
子どもに対して
壁となれるために、
親は自分自身の人生を
しっかりと歩んでいなくては
ならないのである。
どきっ
親自身の人生の歩みが
問われるのか・・・
厳密に言うなら、
理解のある親が
悪いのではなく、
理解のある
ふりをしている親が、
子どもにとっては
たまらない存在と
なるのである。
理解もしていないのに、
どうして理解のあるような
ふりをするのだろう。
それは
自分の生き方に
自信がないことや、
自分の道を歩んでゆく
孤独に耐えられないことを
ごまかすために、
そのような態度を
とるのではなかろうか。
痛っ、
胸に突き刺さる言葉・・・
たしかに、そうですね(^^;
「実は理解していないのに、
理解のあるふりをする」
これは、私、けっこうやってしまいます。
部下に対しても、
妻に対しても・・・
「自分の生き方に
自信がないことや、
自分の道を歩んでゆく
孤独に耐えられないことを
ごまかすため」
う~ん、
言われてみれば、
たしかに、そうですね・・・
私自身、
自分らしさに自信が持てない時や、
周囲の目を気にしている時、
ぶれている時ほど、
安易に、調子よく、
理解のある「ふり」を、
しているような気がします。
それって、
やはり、相手には、
見抜かれるんですね(^^;
真剣に受け止めていないということが。
田坂広志さんが、
「正対する」
ことの大切さをおっしゃていますが、
不器用でも、
真摯に相手に向き合うことが、
何よりも、その姿勢が、
相手に通ずるのだと思います。
それは、エネルギーを使いますし、
弱っている時や、
疲れているときなど、
正直、大変なのですが・・・
そのためにも、
常日頃から、
自分自身のしっかりとした
「心の器」を作っておくことが、
大切だと感じました。
次回に続きます(^^;
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
