ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

2009年NHK大河ドラマ

の原作にもなった、

火坂雅志さんの歴史小説

天地人

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介しています(^^)

 

主人公は、

「愛」の兜で有名な、

直江兼続

(大河ドラマでは妻夫木聡さんが演じました)

です。

 

今回が最終回です(^^;

 

前回は、

兼続と、石田三成

とのやりとりを紹介しました。

 

「三成、もう少し、

大人になってくれよ・・・」

 

という感じでしたが(^^;

 

やがて、

決戦の時が迫ってきます。

 

上杉家は、

徳川家康

から、因縁をつけられ、

上洛、釈明を求められますが、

兼続は、

理路整然と反論。

 

家康に、

挑戦状をたたきつけます!

 

世にいう、

直江状ですね。

 

立腹した家康は、

会津上杉征伐に向かうのですが、

栃木県の小山付近で、

三成挙兵の報を受け、

(小山評定)

上方へ引きかえすこととなります。

 

ここで、

兼続と、主君の上杉景勝

は、決断に迫られます。

 

家康の留守を狙って、

江戸に攻め入るか、否か。

 

「千載一遇のチャンス!」

「今こそ、好機です!」

 

と兼続は言いますが、

 

なんと、

景勝は、こう答えます。

 

「退却する敵に、

背後から追い打ちを

かけること、

それは、

上杉家の義ではない。

利しか眼中にない、

卑しい野心家のすることだ」

 

(中略)

 

「敵の背中に

矢玉を撃ちかけた瞬間から、

上杉の名は

薄汚い泥にまみれる」

 

こ、こんな時に、

きれいごとを言っている場合ではないのに・・・

 

今は、「義」じゃないでしょ(^^;

 

兼続は言います。

「泥にまみれても

前に進めねばならぬ

ときがあります」

しかし、景勝、

「わしは、そうは思わぬ」

(中略)

「どうしても出陣する

というのなら、

このわしを切り捨てて行け」

 

ああ、無念!

兼続・・・

 

景勝は、

偉大過ぎる、義父謙信の

「義」の影に縛られてしまったのでしょうか。

 

その後、

ご存知のように、

関ケ原の戦い

で、家康方の東軍が勝利をおさめ、

事実上の天下を握ります。

 

上杉家は、

家康に従順するか、

徹底抗戦するか、

意見が割れますが、

兼続と景勝は、

家康に従う決断をします。

 

(これ以上戦っても、

得るものはない。

 

家康に対して、

上杉家は武士としての

意地をしめすことができた。

 

このうえは、

こだわりを捨て、

新しい生き方を

もとめるべきだ・・・)

 

その結論に達したとき、

兼続は船の舵を大きく

逆方向に切った。

 

そうした兼続の姿を、

人は、

 

「志を捨てた、

みじめな敗残者だ」

 

と、言うかもしれない。

 

しかし、

それは人生の真実を

知らぬ者の戯言であろう。

 

上杉家を滅亡に導く死の

「美学」に殉ずるのではなく、

たとえ汚名にまみれても、

生き残りの

「実学」に徹する道を

兼続は選んだ」

私が、

兼続を尊敬するのは、

ここのところです(^^)

 

責任を取って、

潔く自決したほうが、

汚名にまみれて生きるよりも、

よほど楽だったと思います。

 

主君を振り切ってでも、

家康が不在の、

江戸に攻め入っていれば、

展開が変わったかもしれないという、

悔やみきれない気持ちもあったと思います。

 

しかし、

兼続は、生き恥をさらす、

「ぶざま」な道を選びました。

 

兼続は言います。

「生きることが、

すなわち義です」

 

(中略)

 

「志に殉じて死ぬことも、

ひとつの道です。

しかし、

あえて全身泥にまみれながら

生をつらぬきとおすことも、

また義の道」

 

上杉家の領地は、120万石から、

30万石に激減されました。

 

兼続自身、30万石あった禄を、

自ら、なんと5千石まで減らしました。

 

徳川家に接近するため、

嫡男を廃し、

徳川家の重臣、

本田正信の次男政重を

養子に迎えました。

 

のちに、政重は上杉家を去り、

嫡男も若くして亡くなってしまいます。

 

その後、あえて養子をとらなかったため、

名家、直江家は断絶・・・

 

自ら責任を取る気持ちが、

あったのかもしれません。

 

兼続と言えば、

「愛」の前立ての兜が有名です。

 

この「愛」は、

愛染明王の「愛」

からきているという説が濃厚ですが、

この小説では、

「慈愛」すなわち「仁愛」

のことだと述べられています。

 

兼続の「愛」は、

すなわち、民を憐れみ、

家臣を憐れみ、

敵をも憐れむ、

広い意味での

仁愛の精神なのである。

自ら陣頭指揮に立ち、

世に「直江石堤」

といわれる治水工事をしたり、

灌漑用水をつくったり・・・

 

殖産興業、商工業の振興、

鉱山開発など、

藩のために、

民のために、

やれることは何でもやりました。

 

おかげで、

上杉家の実収は、

30万石から50万石を超えるほどに、

膨らんだようです。

 

のちに、

上杉家(江戸時代の米沢藩)には、

上杉鷹山

という名君が出現しますが、

その鷹山が心の師と仰ぎ、

政策の手本としたのが、

兼続だといいます。

 

この小説の最後に、

再び真田幸村が登場します。

 

このシーンは、

史実ではないと思いますが、

大坂夏の陣の直前に、

2人はお忍びで会い、

酒を酌み交わして、

語り合います。

 

30年ぶりに・・・

 

兼続から教えを受けた

幸村の義は、

たんに豊臣家に

忠義を尽くす

ということではない。

 

徳川幕府、

すなわち天下の覇権を握った

巨大な権力に対し、

(力がすべてか・・・)

と、みずからの命をかけた

行動をもって、

挑戦状をたたきつけることでも

あった。

 

兼続は幸村の心中を

理解している。

 

おのれの双肩にかかった

上杉30万石がなければ、

迷いなく幸村と同じ道を

選んでいた。

 

しかし、

結果として上杉家を

関ケ原の敗戦に巻き込み、

いまの苦境をまねいた

責任を感じる兼続には、

死の美学に殉ずることは

許されなかった。

せつないですね・・・

 

でも、

上杉謙信

「義」の精神は、

それぞれ、立場は違えど、

兼続、幸村へと

ちゃんと、引き継がれていったんですね。

 

そして、

「仁愛」という形で、

兼続から、

上杉鷹山へと、

後世に引き継がれていった・・・

 

その精神、

現代に生きる私たちも、

大切にしていきたいですね。

 

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以上、

火坂雅志さんの歴史小説

天地人

から、

私の印象に残ったところを、

5回にわたって、紹介してきました(^^;

 

最後に、

本の紹介をさせていただきますね。

 

故ケネディ大統領が、

最も尊敬する日本人として挙げた、

名君上杉鷹山ですが、

 

童門冬二さんの小説、

全一冊 小説 上杉鷹山 (集英社文庫)

をおすすめします!

 

困難に直面した時に読むと、

勇気が湧いてきますよ!

 

また、

鷹山は、

内村鑑三さんの名著、

代表的日本人

でも取り上げられています。

 

他には、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮

の4人が紹介されていますが、

「大人の伝記集」として、おすすめします。

 

日本人の誇りを感じられますよ!

 

直江兼続の師匠、

上杉謙信の小説では、

海音寺潮五郎さんの名作、

天と地と

をおすすめします!

 

私が、たしか高校生の時、

はじめて読んだ長編歴史小説で、

おもしろくて、一気読みした記憶があります(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)