ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
前回から、
臨床心理学者
河合隼雄さんのエッセー集、
を紹介しています。
釈迦に説法になりますが、
カウンセラーやコーチ、セラピストの方や、
それを目指している方、
もしくは、
単に興味があるという方にも、
参考にしていただければ
嬉しいです(^^)
この本、
「人のこころなどわかるはずがない」
という、
ちょっとびっくりする、
タイトルのエッセーから始まります。
「日本を代表する
臨床心理学者が、
そんな、匙を投げるようなことを、
言ってしまっていいの?」
と、一瞬思ってしまいましたが(笑)
そういうわけではないんですね。
見た目や、経歴などで、
簡単に判断せずに、
「人のこころなど、なかなかわかるはずがない」
ということを前提にして、
先入観を持たずに、
丁寧に、話を聴いていくということです。
たとえば、
われわれカウンセラーの
ところには、
「札つき」
の非行少年と呼ばれる子が
連れて来られるときもある。
(中略)
そこで、
「専門家」に期待されることは、
この子の心を
分析したり探りを入れたりして、
それだけではなく、
子どもの親に対しても
同様のことを行ない、
非行の原因を明らかにして、
どうすればよいのかという
対策を考え出すということである。
ところが、
本当の専門家は
そんなことをしないのである。
心を分析して、
原因を明らかにして、
対策を立てる・・・
それが、いわゆる、
「カウンセリング」だと、
イメージされる方もいらっしゃると思いますが、
(私も学ぶ前まではそうでした(^^;)
そうではないのですね。
一番大切なことは、
この少年を取り巻く
すべての人が、
この子に回復不能な非行少年
というレッテルを貼っているとき、
「果たしてそうだろうか」、
「非行少年とはいったい何だろう」
というような気持ちをもって、
この少年に対することなのである。
「悪い少年」だと
きめてかからないことが
大切である。
クライアントの考え、感情、行動の
妥当性を認め、理解を示すことを、
カウンセリング用語で、
「支持」といいますが、
支持とまではいかなくても、
「何か止むに止まれぬ事情が
あったのかもしれない・・・」
ということを、
心の片隅に置きながら、
話を聴くことが大切だと思います。
そんなつもりで、
少年に会ってみると、
あんがい少年が
素直に話をしてくれる。
少年は涙を流しながら、
実はお母さんが怖い人で、
小さい時から
叱られてばかりだったと言う。
それを聞いて、
「母親が原因だ」
とすぐに決めつけてしまう人も
素人である。
なるほど、深い・・・
少年が、
母親が怖いと
涙ながらに訴えるとき、
それはその少年にとっての
真実であるだろうし、
それを我々は
尊重しなくてはならない。
しかし、
そのことはすぐに
母親が怖い人だということには
ならないし、
ましてや、
母親が原因などと
速断できるはずもない。
そして、
われわれは母親に対して
会う時も、
少年に対してと同様に、
簡単にきめつけたものではない
という態度で会ってゆく。
ネガティブな状態や、
未解決な状態を、受容する力のことを、
「ネガティブ・ケイパビリティ」
といいます。
(精神科医・帚木蓬生さんの本が有名です。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書))
別の言い方だと、
明治大学教授の
諸富祥彦さんが、
「カウンセリングとは、
クライアントと、
暗い森の中を同行するようなものだ」
とおっしゃっています。
カウンセラーが、
未解決なままの状態を受け止めきれずに、
変に、クライアントを分析して、
無理矢理、変えようとしたり、
解決しようとしてしまうと、
言い換えると、
カウンセラーが、
暗い森の中を同行することに耐え切れずに、
無理矢理、森の外に連れ出そうとすると、
クライアント自身の気づきや成長には、
つながらないんですね。
そのためにも、
暗い森の中を一緒に歩き続けるには、
カウンセラー自身のしっかりした
「心の器」が必要になってくるのですが・・・
このような態度で
会い続けていると、
それまで見えなかったものが
見えてくるし、
一般の人が
思いもよらなかったことが
生じてくるのである。
母親が怖いとばかり
訴えていた少年が、
ふと幼い頃に
母に優しくして貰ったことを
思い出すときもある。
自分の子を悪い子と
決めつけてしまっていた父親が、
ふと子どもに話しかけ、
子どもがそれに応じる
などということもでてくる。
このエッセーのタイトルである、
「人のこころなどわかるはずがない」