ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ローマ帝国

「五賢帝」の一人、

ストア派の哲人皇帝として有名な、

 

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんの、

自省録(岩波文庫)

 

 

の中から、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんは、

ローマ帝国の歴代の皇帝の中でも、

名実ともに偉大な皇帝だったのですが、

決して、

スーパーマンのような人では

なかったのですね(^^;

 

ボヤいたり、嘆いたり、

自分の弱き心を吐露したり・・・

 

そして、そんな自分を、

叱咤激励するような文章も、

多く残されています(^^;

 

第二巻の冒頭、

引用します。

 

 

二巻 一

 

あけがたから

自分にこういいきかせて

おくがよい。

 

うるさがたや、

恩知らずや、

横柄な奴や、

裏切者や、

やきもち屋や、

人づきの悪い者に

私は出くわすことだろう。

 

 

皇帝として、

いろんな人と接したんでしょうね(^^;

 

時には、

「もうやってらんねえよ!」

と思う時も、あったでしょう・・・

 

(実際、信頼していた

シリア総督カッシウスに

裏切られたりもしています)

 

 

この連中に

こういう欠点があるのは、

すべて彼らが

善とはなんであり、

悪とはなんであるかを

知らないところから

来るのだ。

 

しかし私は

善というものの本性は

美しく、

悪というものの本性は

醜いことを悟り、

悪いことをする者自身も

天性私と同胞であること

 

―それは

なにも同じ血や種をわけている

というわけではなく、

叡智と一片の神性を

共有しているということを

悟ったのだから、

 

彼らのうち

誰一人私を損ないうる者はない。

 

というのは

誰ひとり

私を恥ずべきことに

まき込む力はないのである。

 

 

「どんな人とも仲間である」

 

なぜなら、

「叡智と一片の神性を共有しているから」

というのですね。

 

 

また私は

同胞にたいして

怒ることもできず、

憎む事もできない。

 

なぜなら

私たちは

協力するために

生まれついたのであって、

たとえば両足や、

両手や、

両眼瞼や

上下の歯列の場合と

同様である。

 

それゆえに

お互いに邪魔し合うのは

自然に反することである。

 

そして

人にたいして

腹を立てたり

毛嫌いしたりするのは

とりもなおさず

お互いに邪魔し合う

ことなのである。

 

 

「ムカつく相手」も、

同じ体の中の一部、

 

たとえば、

相手が右足なら、

自分は左足、

 

同じ体なのに、

腹を立てたり、

毛嫌いしたり、

お互い邪魔し合ってどうするの?

 

ということなんです。

(おもしろいたとえですね(^^;)

 

「自然に反する」

の自然とは、

いわゆる山川草木ではなく、

宇宙の秩序を示す法則

(理性、ロゴス)

を意味しています。

 

ちなみに、

アドラー心理学の

「共同体感覚」

の思想は、

このストア哲学の影響があるようです。

 

アドラー心理学で有名な、

哲学者、岸見一郎先生が

分かりやすく解説されている、

マルクス・アウレリウス『自省録』 (100分 de 名著

 

 

この本も、オススメします!

 

 

というわけで、戻りますが、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんは、

どんな嫌な奴でも、

仲間として接するように、

自分を戒めていたようですが、

こんなことも述べています。

 

 

(中略)

 

書物はあきらめよ。

これにふけるな。

君には許されないことなのだ。

 

(中略)

 

 

ホンネでは、

人間関係のしがらみから抜け出して、

学問の世界に没頭したかったのかも

しれません・・・

 

 

 

神々のわざは

摂理に満ちており、

運命のわざは

自然を離れては存在せず、

また摂理に支配される事柄とも

織りあわせれ、

組み合わされずにはいない。

 

すべては

かしこから流れ出るのである。

 

さらにまた必然ということもあり、

全宇宙

―君はその宇宙の一部なのだ―

の利益ということもある。

 

しかし

自然のあらゆる部分にとって、

宇宙の自然のもたらすのは

善であり、

その保存に役立つものである。

 

宇宙を保存するのは

元素の変化であり、

またこれらによって

構成されるものの

変化である。

 

もし以上が信条であると

するならば、

これをもって

自ら足れりとせよ。

 

書物にたいする

君の渇きは捨てるがいい。

 

そのために

ぶつぶついいながら

死ぬことのないように、

 

かえって快活に、真実に、

そして心から

神々に感謝しつつ

死ぬことができるように。

 

 

「宇宙を保存するのは、

元素の変化であり・・・」

 

の箇所は、

仏教の「無常観」や「色即是空」

を連想しますね。

(もしかしたら、

多少影響を受けたのでしょうか、

いや、それはなさそうです)

 

宇宙が変化することは、

必然であり、

それは、善である。

 

その中で、

自分が皇帝になったのは、

運命なのだから、

それを受け入れて励め!

(だから学問の道に

没頭するのはあきらめよ)

 

と自分に言い聞かせたのでしょうね。

 

以下の文章も、

とても印象的です(^^;

 

 

五巻 一

 

明けがたに

起きにくいときには、

つぎの思いを

念頭に用意しておくがよい。

 

「人間のつとめを

果たすために

私は起きるのだ。」

 

そのために

この世にきた

役目をしに行くのを、

まだぶつぶついっているのか。

 

それとも

自分という人間は

夜具の中にもぐりこんで

身を温めているために

創られたのか。

 

「だってこのほうが

心地よいもの。」

 

では君は

心地よい思いをするために

生まれたのか。

 

それとも

行動するために

生まれたのか。

 

小さな草木や

小鳥や

蟻や蜘蛛や

蜜蜂までが

おのがつとめにいそしみ、

それぞれ

自己の分を果たして

宇宙の秩序を

形作っているのを

見ないのか。

 

 

二巻の一もそうでしたが、

明けがたの自分に対する、

メッセージですね。

 

執筆したのは、

ゲルマン辺境、戦場の野営地、

気の進まない戦の前でしょうか。

 

それとも、

ローマの宮殿、

元老院との、

不毛で重たい会議の前でしょうか・・・

 

「だってこのほうが心地よいもの。」

 

この、心のつぶやき、

ちょっと笑えます(^^;

 

そんな朝はなるべく、

ゆっくり寝ていたい。

 

私たちと同じですね(^^;

 

草木や小鳥や虫たちは、

それぞれの役割で、

ちゃんとつとめを果たしている、

それなのに・・・

 

たしかに、そうですね(^^;

 

 

しかるに君は

人間のつとめをするのが

いやなのか。

 

自然にかなった

君の仕事を果たすために

馳せ参じないのか。

 

「しかし

休息もしなくてはならない。」

 

それは私もそう思う、

しかし自然はこのことにも

限度をおいた。

 

同様に

食べたり飲んだりすることにも

限度をおいた。

 

ところが

君はこの限度を超え、

適度を過ごすのだ。

 

しかも行動において

そうではなく、

できるだけのことをしていない。

 

 

「できるだけのことをしていない」

 

どきっ、

私のことをいわれている感じ・・・(^^;
 

 

結局君は

自分自身を愛していないのだ。

 

もしそうでなかったらば

君はきっと自己の

(内なる)自然とその意志を

愛したであろう。

 

ほかの人は

自分の技術を愛して

これに要する労力のために

身をすりへらし、

入浴も食事も忘れている。

 

ところが君ときては、

彫師が彫金を、

舞踊家が舞踊を、

守銭奴が金を、

見栄坊が

つまらぬ名声を貴ぶほどにも

自己の自然を

大切にしないのだ。

 

右にいった人たちは

熱中すると寝食を忘れて

自分の仕事を

捗らせようとする。

 

しかるに君には

社会公共に役立つ活動は

これよりも

価値のないものに見え、

これよりも

熱心にやるに

値しないもののように

考えられるのか。

 

 

人びとは、それぞれ、

自分の与えられた持ち場で、

全力投球しているのに、

(「見栄坊」は笑えますが(^^;)

君は、為政者としての職務を、

まっとうしているのか。

 

運命として与えられた

その職務をまっとうすることが、

「自分を愛すること」

なのではないか。

 

そうやって、

自分に必死に言い聞かせ、

自分を奮い立たせたんですね。

 

皇帝でありながら、

また、

すぐれた哲学者でありながらも、

(いや、だからこそ)

権力や、書物の世界に溺れることなく

自分に鞭を打って、

社会公共に役立つ活動を実践し続けた、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さん。

 

素晴らしい方だったんだなと、

改めて感じました(^^)

 

 

次回もこの本の紹介・解説を続けます。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

-----------------------------------------

 

 

おまけ

 

しばらく、

愛猫の宮音(みやお)が

登場しておりませんので、

声をかけてみます(^^)

 

「みやお~」

 

・・・

 

「ニャーに?」

 

 

おかげさまで、元気です😸

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

私、岩波文庫は、

ちょっと堅苦しいので、

そんなに読むほうではないのですが(^^;

 

たまには見栄を張って・・・

ということで(笑)

 

今回は、

マルクス・アウレーリウス

自省録(岩波文庫)

 

 

の中で、私が印象に残ったところを、

紹介・解説していきたいと思います。

 

自省録

とは、

ローマ帝国「五賢帝」

の中の最後の一人、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

のいわば内省日記のような書物です。

 

ローマ帝国と言えば、

「サイは投げられた」

で有名な、

カエサル(シーザー)

が特に有名ですが、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

もストア派の哲人皇帝として、

なかなか有名なお方です。

 

(世界史の教科書でも出てきますね。

名前が長くて、

なかなか覚えられなかった記憶が・・・(^^;)

 

塩野七海さんの、

ローマ人の物語シリーズでも、

もちろん主要な登場人物で、

詳しく描かれています。

 

(ちなみに、

映画「グラディエーター」でも、

老皇帝として登場しますよ!)

 

そんな、彼の自省録を、

精神科医の神谷美恵子さんが

素晴らしい翻訳をしてくださったのが、

本書になります(^^)

 

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

は今からさかのぼること、

およそ1900年前のお方ですが、

いわば絶頂期のローマ帝国の皇帝。

 

当時の世界の中でも最高権力者、

権力の頂点に君臨したお方

だったと思います。

 

やりたい放題、

わがまま放題も

簡単にできたはず(^^;

 

しかし、

本書を読むとわかるのですが、

驚くことに、とても

「謙虚」でかつ、

「自分に厳しい」お方なのです(^^;

 

(ちなみに、

ストイックという英語の由来は、

ストア派からきているようですね)

 

たとえば、

本書の第一巻は、

「感謝」の言葉で埋められています。

 

お世話になった人に、

 

「こんなことを学んだ」

「こんなことも教わった」

 

というような、

感謝の言葉のオンパレードなんです。

 

 

祖父ウェールスからは、

清廉と温和(を教えられた)。

 

父に関して

伝え聞いたところと

私の記憶からは、

慎ましさと雄々しさ。

 

母からは、

神を畏れること、

および惜しみなく与えること。

 

悪事をせぬのみか、

これを心に思うさえ控えること。

 

また金持ちの暮らしとは

遠くかけはなれた

簡素な生活をすること。

(を学んだ)

 

・・・

 

 

こんな感じで、

十七もの人に対して、

感謝の言葉をつづっているんですね(^^)

 

よく、あとがきで、

感謝の言葉を述べる著者は多いですが、

冒頭に持ってくるあたりが、

いかに、彼が、

感謝の気持ちを大切にしていたか、

お世話になった人があっての自分だと

本気で思っていたのかを、

うかがい知ることができます。

 

先の皇帝で、

叔父のアントニヌス・ピウスに対しては、

特に長文です(^^;

 

 

十六

 

父からは、

温和であることと、

熟慮の結果

いったん決断したことは

ゆるぎなく守り通すこと。

 

いわゆる

名誉に関して

空しい虚栄心をいだかぬこと。

 

労働を愛する心と

根気強さ。

 

公益のために

忠言を呈する人びとに

耳をかすこと。

 

各人に

あくまでも公平に

その価値相応のものを

分け与えること。

 

いつ緊張し、

いつ緊張を弛めるべきかを

経験によって知ること。

 

少年への恋愛を

止めさせること。

 

公共的精神。

 

友人たちに

食事を共にすることを

少しも強要せず、

また義務的に

旅行のお供もさせなかったこと。

 

何か用事のために

そばを離れていた人々が

帰って来て見ると、

つねに同じ彼を見出したこと。

 

評議の際、

ものを徹底的に

検討しようとする態度。

 

ねばり強さ。

 

安易な印象で満足し、

いい加減のところで

詮議を切り上げてしまうようなことを

決してせぬこと。

 

(中略)

 

・・・

 

 

まだまだ続くのですが(^^;

 

おもしろいのが、

「少年への恋愛を止めさせること」(?)

 

織田信長の森蘭丸みたいな感じでしょうか。

(おそらく寵愛を戒めたんですね(^^;)

 

それはそれとして(笑)

 

心から、

叔父のことを尊敬していたんでしょうね。

 

同じく五賢帝の一人として、

もちろん、偉大な叔父だったと思いますが、

それにしても、

 

「美点凝視」

(=相手の長所や徳性を意識的に注視すること)

 

の嵐、見本のようです!

 

人を観察して、

その人の良いところを見習おうとする姿勢が、

素晴らしいし、何より謙虚。

 

しかも、

自省録は、

いわば内省日記なので、

どうやら、

人に見せるために書かれた書物では

ないんですね。

 

見返りを求める気持ちや

虚栄心から、

美辞麗句を書いたわけではない。

 

常日頃から、

「おかげさま」の精神、

「感謝」の気持ちを忘れまいと、

自分自身にいいきかせ、

心がけておられた方だったのだと思います。

 

(まさか、1900年の時を超えて、

自分の内省日記が読み継がれているとは

思いもよらなかったでしょうね)

 

最後は神々にも、

感謝の言葉を述べています。

 

 

十七

 

神々からは

よき祖父たちを持ったこと。

 

またよき両親、

よき妹、

よき師、

よき知人、

親類、

友人たち

 

―そのほとんどことごとくが

よい人びとであった―

 

を持ったこと、

 

そして

彼らのうち

なんぴとにたいしても

過ちを犯さなかったこと。

 

もっとも私は

機会があれば、

そのようなことを

しでかす性質を

持っているのであるが、

 

神々の恩恵により、

かかる試みに

私を逢わすような

まわり合わせが起こらなかった

までのことだ。

 

(中略)

 

・・・

 

 

あやまちを、しでかさなかったのは、

ひとえに、

神々のおかげだというのです。

(うう謙虚!)

 

やはり、真に偉大な人は、

自分以外の「大いなる何か」に対して、

畏れの気持ち、

すなわち、

信仰心のようなものを

持っているんですね(^^)

 

そんな、

素晴らしい人格者であった、

哲人皇帝、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

ですが、

 

常に、偉大な皇帝として、

「鉄の意志」

で、王道を貫いた!

 

というわけではないんです(^^;

 

自分の弱き心を吐露したり、

それを、叱咤激励するような文章も、

残されています(^^;

 

 

次回に続きます・・・(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

おまけ

 

 

私が仕事帰りによく立ち寄る、

桐ケ谷氷川神社の参道です(^^;

 

都会にありますが、

雨上がりには、よく、

大きなカエル🐸が

ぴょんぴょん跳ねています!

 

(踏んづけないように、おそるおそる・・・(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

DeNA創業者、

南場智子さんの著書、

 

不格好経営

 

 

という本を、紹介します(^^)

 

この本、

私が敬愛する

小倉広さんが、

Voicyという音声アプリで

おすすめしていたので、

さっそく読んでみました。

 

私、存じ上げなかったのですが、

 

著者の南場智子さんは、

女性初の経団連副会長、

すごい方なんですね!

 

マッキンゼーという、

超一流のコンサルティング会社で

活躍されたのち、

ベンチャーで、DeNAという

インターネット関連企業を創業。

 

DeNAは、今や、

プロ野球の球団も持つ大企業ですが、

私、最初、

DeNAが球団を持つと聞いたとき、

正直、「えっ?」と思いました(^^;

 

私の中では、

横浜の球団といえば、

(私は東京多摩の田舎の出身なのですが)

子どもの頃から、

大洋漁業の、

「大洋ホエールズ」

でした(^^;

 

「DeNAベイスターズ」

と聞いても、なじみがないし、

 

「モバゲーの成り上がりの会社が、

大丈夫か?」

 

という、偏見を持っておりました(^^;

 

今から数年前、

実際に横浜スタジアムに

観戦に行ったことがあるのですが、

イニングが替わるたびに、

ショー的要素を取り入れていたんですね。

 

アメリカンヒーローみたいな人が、

オープンカーで走り回り、

ホースで派手に放水したりする・・・

 

私は、

「なんか軽薄だなあ」

と思いましたが、

ただ、一緒にいたカミさんは、

「おもしろい~」

といって喜んでいました(^^;

 

実際、DeNAが親会社になってから、

観客動員数がうなぎ上りなんですね!

 

女性客を含めた、

野球ファン以外の客層を開拓して、

人気球団となったDeNAベイスターズ。

 

「さすが、エンターテイメントの会社、

侮れない・・・」

と思った記憶がありますが(^^;

 

そんな、DeNAを創業した方の

著書のタイトルが、

 

不格好経営

 

拝読すると、

たしかに、

「不格好」なんですね(^^;

 

創業時は、こんな感じです。

 

引用します(^^)

 

 

登記は、

1999年3月4日。

 

渋谷の代々木公園近くに

20平米余りの

小さなアパートを借り、

マッキンゼーから贈られた

しゃれた打ち合わせテーブルと、

知人の会社からもらってきた

商品デスクを並べて

少しちぐはぐな

巣をつくった。

 

ひとつしかないトイレを

男子と共有するのも

仕方ない。

 

掃除は我慢くらべに負けて

いつも私。

 

(中略)

 

・・・全員泊まり込みだ。

 

私は男子が使った

寝袋には

どうしても入る気になれず、

誰かの家族の

アメリカ土産という

NASA謹製の銀紙に

くるまって寝た。

 

保湿性が高いという。

 

茂岩は

アパートを引き払い、

住民票を会社に移した。

 

IBMのエリートが

「ホームレス」になった。

 

・・・

 

 

リアルですね~

 

どんな大企業でも

ご多分に漏れず、

創業時は、いずれも、

こんな感じなんでしょうね(^^;

 

システムの

大規模障害の際には、

システム担当者の自宅に

朝駆けしますが・・・

 

 

アパートに入ろうとしたが、

オートロックで入れない。

 

ナベが

「カギの110番」

というサービス会社の人と

全力で交渉したが、

本人じゃないので

開けてもらえない。

 

仕方が無いので、

 

起きろ、

データーベース、

倒産、

全部消えた、

切腹、

 

と茂岩が

飛び起きそうな言葉を

力の限り2時間にわたって

叫び続けた。

 

寒い朝だった。

 

・・・

 

 

・・・切腹(笑)

 

システム障害の、

このシャレにならない感じ、

分かる気がします(^^;

 

こんな感じで、

「不格好」に経営を続けられた、

南場智子さんですが、

もともとはマッキンゼー出身のエリート、

 

お父様がとても厳格な、

新潟のお嬢様だったそうです(^^;

 

家から出たい一心で、

なんとか女子大ならと許可をもらい、

東京の津田塾大学に進学。

(本当は東大も楽勝のレベルだったようです)

 

そこで首席!留学も経験されて、

マッキンゼーに就職。

 

選ばれて、

ハーバード・ビジネススクールにも

入学されるなど、

名実ともに、超エリートなんですね。

 

そんな方ですが、

決して、スマートなタイプではなく、

悪戦苦闘しながら、

体当たりで泥臭い

経営をされてきたことが、

この本からはうかがえます。

 

たとえば、

コンサルタントと事業リーダーは、

違うといいます。

 

 

もし将来

起業することを知っていたら、

コンサルティング会社ではなく、

事業会社で修業したかった、

というのが

私の偽らざる本音である。

 

(中略)

 

私が何に苦労したか、

まず、

物事を提案する立場から

決める立場への

転換に苦労した。

 

面食らうほどの

大きなジャンプだったのだ。

 

 

たしかに、

「提案」することはできても、

それを

「決断」「実行」し、

「責任を取る」のは、

胆力が要ります(^^;

 

 

若くして

コンサルティング会社に

身を置くことで

事業にマイナスな癖を

拾ってしまうこともある。

 

まず、できる限り

賢く見せようとする姿勢。

 

知らず知らず

身につけている人が多い。

 

これは事業では

一銭の特にもならない。

 

会社を経営していると

いくつもの修羅場をくぐる。

 

自分のアホさを

さらけ出してでも

助けてもらわなければ

切り抜けられないことが

あまりにも多いのだ。

 

 

現場で実際に、

事業経営をされた方のお言葉・・・

 

重みがありますね(^^;

 

MBA(ビジネススクール)

に対しても懐疑的です。

 

 

ビジネススクールで

教えられることは

ほとんどが常識的なことだと

感じた。

 

実践で身をもって

学ぶことと違って

すぐ忘れてしまうし。

 

(中略)

 

ビジネススクールに行くことで

人脈ができるのでは、

ともよく訊かれるが、

そうも思わない。

 

逃げずに壁に立ち向かう

仕事ぶりを見せ合うなかで築いた

人脈以外は、

仕事では役に立たないと

痛感している。

 

誰もが

自分のことで忙しいときに、

自分の仕事の最短ルートから

少し外れてでも

ほかの誰かのために

何かをしようとするならば、

 

それは、

ひたむきな仕事ぶりに

魅せられた相手に対してだけ

なのではないだろうか。

 

 

同感です(^^)

 

ご自分は、

ハーバードのビジネススクールを出られた、

超エリートなのに、

こう言い切れるのは、すごい!

 

ほんとうに真摯に、

現場の仕事に

取り組まれてきたのだと思います(^^;

 

南場智子さんは、

こんな素敵な方なのですが、

私が、もっとも「すごい!」

と感じたところは・・・

 

癌を告知されたご主人の

看病に専念するために、

一度、会社を退任されているんですね。

 

 

私たち日本人は

自分のことは

自分でやりなさい、

人に迷惑を

かけないようにしなさい、

と言われて育つ。

 

でもそんなことは

全部かなぐり捨てて

生きることに固執し、

悪あがきをし、

 

いろんな人に

支えられて踏ん張った

夫のこの2年間は、

 

迷惑をかけない生き方よりも

人間としてはるかに

しっくりとくるように

感じることがある。

 

病はこれまで経験したことのない

苦しみや悲しみを突きつけた。

 

けれども、

いくつかの大事な拾い物を

した気がする。

 

私は

人に喜びを伝えるのは

下手なほうではないが、

「今年も家族で

桜が見られてよかった」

という喜びは、

なかなか伝えるのが難しい。

 

同じ桜なのに、

こんな気持ちで見ることができ、

また、

だからこそ

開花が待ち遠しくて

わくわくできることは、

私の人生に

新しい彩を添えた。

 

蝉の声もそう。

満月も。

 

自然には、

人間や企業のすったもんだに

惑わされず、

きっちり刻むリズムがある。

 

大きな宇宙の営みのなかで

少しの時間だけ

存在することが

許されている、

はかない生き物の

私たちだからこそ、

 

一緒にいられる喜びや、

人の気持ちの温かさ、

皆が元気で何かに

一生懸命になっている

ことなどが、

とても尊く感じられるのだ。

 

私はこの拾い物が

気に入っている。

 

 

残念ながら、こののち、

ご主人は亡くなったので、

今は、代表取締役に復帰されていますが。

 

それにしても・・・

 

競争社会で、一度、

頂点、高みを極めた方が、

日々のささやかな生活の場に下りてくる。

 

ご主人を看病しながら、

自然のうつろい、人と一緒にいられる喜び、

気持ちの温かさ・・・

 

それを尊いと感じる。

 

なかなか、

できないと思います。

 

人としての、

ほんとうの強さを感じます。

 

 

不格好経営

 

 

この本を読んで、

私は、すっかり、

南場智子さんのファンになりました(^^)

 

経団連副会長にとどまらず、

早く会長になって、

この閉塞感漂う日本経済を

リードしていって欲しいと思います!

 

私も、

超・微力ながら、

自分の持ち場で頑張ります(^^;

 

 

今回、肝心の経営のところ、

どうやって、

DeNAを拡大、成長させていったのかは

触れませんでしたが、

興味のある方は、

是非、本書をお読みください!

 

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を紹介します。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的なスピリチュアルリーダー、

エックハルト・トールさん

(監修は飯田史彦さん)

のロングセラー、

 

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

 

の内容で、

私が有益だと感じたところを、

私の考えも交えながら、

紹介・解説しています。

 

今回で最終回です(^^;

 

前回は、

 

「時間」は幻である。

 

時間には、

「時計時間」と

「心理的時間」がある。

 

という考え方を

紹介しました。

 

今回は、

 

「インナーボディ」

 

という考え方を紹介・解説します。

 

「インナーボディ」

とは、

からだの奥にある

「うちなる生命」

のことです。

 

「うちなる生命」

を感じることで、

「大いなる存在」

と繋がっていることが、

分かるようになるといいます。

 

自動思考(無意識)状態から

解放されるためには、

「インナーボディ」

(うちなる生命)

に意識を向けるのが効果的です。

 

エクササイズが紹介されています。

 

よかったら、

ちょっと、やってみてください(^^;

 

 

慣れないうちは、

目を閉じたほうが、

エクササイズが

しやすいかもしれません。

 

(中略)

 

意識をインナーボディに

向けてください。

 

からだを

内側から感じるのです。

 

からだは生きていますか?

手には生命がありますか?

腕はどうですか?

脚はどうですか?

足先はどうですか?

おなかはどうですか?

胸はどうですか?

 

からだ全体を

くまなくおおい、

すべての臓器、

すべての細胞に

生命力を与えている、

かすかなエネルギー場を

感じることができますか?

 

これをひとつの

エネルギー場として、

からだ全体で

同時に感じることが

できますか?

 

しばらくのあいだ、

インナーボディを感じることに、

意識を集中しつづけましょう。

 

インナーボディについて

考えるのではありません。

ただ感じるだけです。

 

意識を集中させれば

させるほど、

 

感覚はより鮮明に

なってきます。

 

まるで全細胞の生命力が、

あふれ出してくるかのように、

感じられます。

 

 

・・・いかがでしょうか。

 

私は、こういうのは、

あまり敏感な方ではないのですが(^^;

からだの部分部分に、

丁寧に意識を向けていると、

たしかに、エネルギーが

感じられるような気がします。

 

本書によると、

 

「さとりとは、

からだを通してひらくもの」

 

だといいます。

 

私は、

さとりとは、

むしろ、からだは邪魔で、

肉体以外の

スピリット(精神性)の高さのみで

決まるのかと思っていましたが、

そうではないんですね。

 

たとえば、

ブッタが、さとりをひらいたのも、

断食や苦行をして、

体を痛めつけ、

捨てようとした時ではなく、

それをやめたときでした。

 

すなわち、

からだを受け入れたとき、

 

からだをとおして、

さとりをひらいたんですね(^^)

 

からだをとおして、

意識を、インナーボディ

(うちなる生命)

に置いていると、

「いま、ここ」に

いかりをおろせるといいます。

 

思考から解放され、

「大いなる存在」

につながりやすくなります。

 

さらに、

インナーボディ

(うちなる生命)

を意識して、

「からだに住まう」「いまに在る」

ことが、

「免疫力」を高めることにも、

つながるといいます。

 

(さきほどのエクササイズ

の発展形ですが)

本書には、

そのための瞑想法も

紹介されています(^^)

 

 

エクササイズは、

心身ともに

リラックスしている就寝前か、

朝起きぬけ時の

寝床の中でおこなうのが

理想的です。

 

すべての活動から

からだを開放し、

意識で充満させるのです。

 

まず仰向けに寝て、

目を閉じます。

 

手、足、腕、おなか、

胸、頭、

という具合に

順繰りに

からだの各部に意識を

集中させていきます。

 

最初は一か所につき、

十五秒くらいずつ費やします。

 

各部のうちにある

生命エネルギーを、

できるだけはっきりと

感じましょう。

 

次に、

意識を足から頭、

頭から足と、

前進にくまなく、

波のように数回

かけめぐらせます。

 

これは一分間もすれば

いいでしょう。

 

それから

インナーボディを

ひとつのエネルギー場として、

全身で感じます。

 

その感覚を

数分間保ちます。

 

その間、

からだのすべての細胞に、

強烈に「在る」よう

意識を集中させます。

 

時おり、

思考がはいりこんできて、

意識がからだの外に

引っぱり出され、

考えに没頭してしまうことが

あるかもしれませんが、

気にしないでください。

 

集中力が乱れていると

気づいた時点で、

意識をインナーボディに

戻せばいいのです。

 

 

・・・実際にやってみると、

からだの余計な力が抜けて、

楽になる感じがします(^^)

 

これは、

「マインドフルネス瞑想」の、

ボディスキャンという手法ですね。

 

今のご時世、

特に「免疫力」は

ぜひ高めておきたいところです。

 

よかったら、

みなさんもぜひ

やってみてくださいね!

 

 

「からだに意識を向ける」

ということで、

思い浮かんだ話があります。

 

たしか、

五木寛之さんの本だったと思いますが、

五木寛之さんは、

ほとんど病院にいかないそうですね。

 

とくに健康に気を付けているわけでもないのに、

過去、大きな病気をしていない。

 

なぜか?

 

考えられるのは、

風呂に入った時に、

からだをねぎらうのだそうです。

 

たとえば、足をさすりながら、

 

「今日も一日頑張って支えてくれて、

ありがとう」

 

と声をかけて、

感謝しながら洗い流す・・・

 

そういったことを日々繰り返しているから、

からだは、

その感謝に応えてくれているのではないか。

 

細かいところは違うかもしれませんが、

大筋、こんな話だったと思います。

 

たしかに、

からだに意識を向けて、感謝をすれば、

からだは応えてくれそうだし、

何より、からだをいたわり、

大切にすることにつながります。

 

細かい異変にも気づくようになると思います。

 

 

私は、もともと、

からだには無頓着で、

そのせいで、

15年ほど前に大病をこじらせることにも

なったのですが(^^;

 

いつもは、入浴も、

温泉に行ったとき以外は、

基本、カラスの行水です(^^;

 

今日(こそ)は、意識して、

風呂でゆっくりしながら、

からだの各部をさすって、

十分に、ねぎらってあげたいと思います😊

 

「からださん、今日も一日有り難う」

 

 

・・・忘れないように(笑)

 

 

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以上、

5回にわたって、

エックハルト・トールさん

(監修は飯田史彦さん)

のロングセラー、

 

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

を紹介・解説してきました。

 

この本の原題は、

「THE POWER OF NOW」

というタイトルで、

1999年に発行、

日本語翻訳版は、

2002年初版ですが、

 

紹介してみて、

改めて、今、ブームの

「マインドフルネス」

の元になっている本なのかなあ

と感じました。

 

スピリチュアルや、

マインドフルネスを深く知りたい方には、

おすすめします!

 

また、

マインドフルネス瞑想を実践してみたい方には、

2回目の記事でも

紹介させていただきましたが、

 

吉田昌生さんの、

1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門

 

 

をおすすめします(^^)

 

(おそらく、

マインドフルネス瞑想の実践本で、

一番売れている本です)

 

特にすばらしいのが、

合計70分の瞑想誘導CD。

 

瞑想は、

なかなか独力では

集中できない方も多いと思いますが、

CDに誘導してもらうと、

とてもスムーズにできますよ!

 

たった1760円で、

セミナー数回分以上の

価値があると思います(^^)

 

ちなみに、

著者の吉田昌生さん、

私、存じ上げているのですが、

顔も性格もイケメンですが、

声もとてもイケメンです!
 

CDの声に、

思わず吸い込まれそうになりますよ(^^)

 

 

ということで、長くなりました(^^;

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

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おまけ

 

神奈川県三浦半島の城ヶ島より、

 

 

正面に小さく富士山が望めます(^^)

(逆光で暗くてすみません・・・)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的なスピリチュアルリーダー、

エックハルト・トール

さんのロングセラー、

 

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

 

の内容で、

私が「なるほど」と思ったところを、

私の考えも交えながら、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目となります。

 

前回は・・・

 

「感情」とは、

「思考」が鏡のように

体に反映されたものだということ。

 

そして、

「感情」に操られないためにも、

(思考と同じく)

それを観察してながめる。

 

ただし、

「怒り」のような

二次感情には浸らずに、

直前の一次感情に気づいて、

それを受容し、感じて味わう。

 

そうすれば、

感情の痛み(ペインボディ)

は、解消される。

 

それが、

「感情」に自分を乗っ取られない、

主導権を渡さないためのカギである。

 

ということを述べました。

 

今回は、

 

 

「時間」は幻である

 

 

という考え方を紹介します。

 

エックハルト・トールさんは、

思考(感情も含めます)は、

「ほんとうの自分」ではないと述べますが、

そのためには、

 

「時間は幻だと、さとること」

がコツだといいます。

 

えっ、時間は幻???

 

これは、にわかには信じがたい。

 

現に、私たちは、

時間の中に生きていますが・・・

 

どういうことなのでしょうか。

 

 

時間と思考は、

いわば「一心同体」。

 

お互いに離れることが

できません。

 

頭から時間の概念を

とりはらうと、

思考活動は、

ぴたりとやみます。

 

つまり、

「思考とひとつになる」

ことは

「時間のわなにはまる」

ことなんです。

 

そうすると、

ほぼ自動的に

「記憶」「期待」「不安」

だけを糧にして

人生を送るようになります。

 

過去と未来に

四六時中没頭し、

「いま、この瞬間」

というものを貴ばず、

ありのままに

受け入れもしません。

 

過去をアイデンティティの

よりどころとし、

未来を目標達成の道具に

してしまうために、

執着心を抱くようになります。

 

「過去も未来も幻である」

 

―これが真実なんですよ!

 

 

う~ん・・・

 

たしかに、

あまりにも思考にとらわれると、

自動操縦状態になって、

「いま、ここ」

を感じられなくなるというのは、

わかる気がします。

 

何かで読んだのですが、

「時間」というものは、

チョークで書いた線のようなもの

だといいます。

 

チョークの線は、

一見繋がっているように見えますが、

よくよく拡大してみると、

点(ドット)が並んでいるだけなんですね。

 

「時間」もそれと同じで、

連続して線で繋がっているようですが、

冷静に見つめてみると、

「いま、この瞬間」

が並んでいるだけである。

 

つまり、

「いま」の集合体が、

「時間」というものなんですね。

 

 

わたしたちが

過去だと思っているものは、

頭に保管された、

かつての「いま」

の記憶の断片にすぎません。

 

わたしたちは

過去を思い出すとき、

記憶の断片を

よみがえらせています。

 

それをおこなうのは

「いま」です。

 

未来というのは

思考がつくりだした

想像上の「いま」です。

 

未来がやってくる時には、

「いま」として経験されます。

 

未来について

考えるとき、

わたしたちは

「いま」おこなっているのです。

 

過去も未来も、

それのみでは、

現実になりません。

 

過去と未来は、

ちょうど月にたとえられます。

 

月そのものは、

発光体ではありません。

 

太陽の光を反射して、

はじめて輝くことができます。

 

同様に、

過去も未来も、

「光」であり、「パワー」であり、

「現実」であり、「永遠」である

 

「いま」

 

のおぼろげな影でしか

ないのです。

 

 

なるほど・・・

 

あくまで、

「いま」が発光体。

 

「いま」がどれだけ輝くかによって、

「過去」「未来」の輝きが

変わってくるんですね。

 

私自身でいえば、

おかげさまで、

「過去」への思考にとらわれることは、

少なくなってきましたが、

「未来」への思考には、

まだまだ、とらわれることが多く、、

「いま」がおろそかになってしまうことが、

けっこうあります(^^;

 

たとえば、

 

「もうすぐ連休があるから、

それまでの辛抱だ」

「それまでは、心にフタをして過ごそう・・・」

 

「10月から組織の再編があるから、

どうせ、今がんばってもムダ」

「それまでは、適当にやり過ごせばいいや・・」

 

「定年後はどうしよう」

「何だか、不安だなあ・・・」

 

・・・やばい、

 

「いま」

を生きていないですね(笑)

 

未来を目的にしてしまうと、

それまでの「いま」というプロセスを、

ついつい軽視してしまいます。

 

「いまの輝きが、未来を照らす」

 

「いま、ここ」

を充実させるべく、

過ごしていきたいです(^^;

 

 

一方で・・・

 

そうはいっても、

 

やっぱり、

私たちは、現実問題として、

「時間」の概念から、

完全に解放されて生きることはできません。

 

日々の仕事は、時間で動いていますし、

計画を立てて、実行することは、

限られた人生を充実させることにも

繋がると思うのです。

 

では、現実の中で、

いったいどのように、

時間というものを捉えればいいのか。

 

著者は、

「時計時間」と、

「心理的時間」

があるといいます。

 

 

実用的な目的で、

時間を活用し

(これを「時計時間」

と呼ぶことにします)、

用事がすんだあとは、

ただちに

「いまに在る」

意識に戻る方法を、

身につけましょう。

 

こうすれば

「心理的時間」を

心に積もらせたりしません。

 

「心理的時間」とは、

過去と未来を

アイデンティティーに

使ってしまうことです。

 

「時計時間」は

予約をしたり、

旅行を計画したり

することだけでは

ありません。

 

二度と同じあやまちを

くりかえさないように、

過去の経験から学ぶことも、

そのひとつです。

 

ゴールを定め、

それに向かって

邁進することも同様です。

 

過去に学んだことを

考慮に含め、

パターンや法則で

未来を予測し、

的確な手段を講ずることも、

またしかりです。

 

 

なるほど、

実用的な目的で活用する

「時計時間」は、

むしろ有益なんですね(^^;

 

 

ただし、

過去と未来なしに、

物事を進められない場面でさえ、

「いま」

という時が中心になります。

 

過去で学んだ

いかなるレッスンも、

「いま」に関連し、

「いま」に適用されます。

 

いかなるプランニングも

ゴール達成に向けての努力も、

それをするのは

「いま」です。

 

 

いずれにせよ、

「いま、ここ」

に焦点を当てることは、

大切なんですね。

 

 

さとりをひらいた人の意識は

常に「いま」に注がれています。

 

しかし、

このような人たちも、

意識のかたすみに、

ちゃんと時間をおいています。

 

言いかえるなら、

「時計時間」

を活用しているものの、

「心理的時間」

にまどわされていないのです。

 

うっかり

「時計時間」を

「心理的時間」に

すりかえてしまうことがないように、

注意しましょう。

 

たとえば、

過去に失敗をして、

「いま」

そこから学ぶのであれば、

それは

「時計時間」

を使っていることになります。

 

ところが、

精神的に失敗にひたりきって、

批判、後悔、罪悪感などで、

自分を責めているようなら、

あやまちを

「自分の一部」

にしていることになりますから、

「心理的時間」

を使っているのです。

 

「心理的時間」

はいつも、

にせのアイデンティティと

結びついています。

 

人や出来事を許せないという、

こわばった心は、

必ずと言っていいほど、

心理的時間にとらわれている

証拠です。

 

 

思考が、過去の失敗に浸りきってしまうと、

「心理的時間」になってしまい、

「いま」の自分を見失ってしまう・・・

 

 

目標を定め、

それに向かって努力するなら、

「時計時間」

を使っていることになります。

 

自分がどこに向かっているかを、

よく認識したうえで、

「いま、この瞬間」、

自分がとっているステップに、

全意識を集中させるのです。

 

一方、

もし幸せ、充実感や、

立派なアイデンティティ

などを求めて、

ゴールだけに焦点を絞ると、

「いま」は

なおざりにされてしまいます。

 

「いま」は、

未来に到達するための、

価値のない、

ちっぽけな踏み台に

なってしまいます。

 

「時計時間」は、

「心理的時間」に

姿を変えます。

 

人生の旅は、

もはや「冒険」ではなくなり、

味気の無い

「義務行為」になり果てます。

 

プレゼントの包みを

開ける時のような、

わくわくした気持ちは失われ、

道ばたに咲く花々に

目をとめたり、

その甘い香りを

かごうとしたりすることも

なくなります。

 

「いまに在る」

時には、

自分の周りで、

万華鏡のように

くりひろげられる美や、

生命の奇跡に

気づくものですが、

そんな経験も

できないでしょう。

 

 

ゴールだけに焦点を絞ると、

「いま」が単なる踏み台になってしまう。

 

味気ない義務行為になってしまう・・・

 

そんなのいやですよね(^^;

 

私は、

特に若い頃、

(いや、今でもその傾向はありますが)

 

「人から認められたい」

「ひとかどの人物になりたい」

という思いが、強くありました(^^;

 

それはそれで、

「時計時間」として活用すれば、

よかったのですが、

私の場合、

「心理的時間」になってしまい、

「いま、ここ」

をあまり意識しなかったせいで、

今、考えても、

ずいぶん、味気ない日々を過ごしてきたという

自覚があります。

 

今でこそ、

道端に咲く花々に、

少しは目をとめるようになりましたが、

2~30代の頃は、

気にもとめなかったなあ~(^^;

 

子どものころは、

短い通学路の中にも、

春夏秋冬、日々たくさんの発見があったのに・・・

 

 

「いま、ここ」

のプロセスこそが人生。

 

大切にしていきたいです😊

 

次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)