ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ローマ帝国

「五賢帝」の一人、

ストア派の哲人皇帝として有名な、

 

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんの、

自省録(岩波文庫)

 

 

の中から、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんは、

ローマ帝国の歴代の皇帝の中でも、

名実ともに偉大な皇帝だったのですが、

決して、

スーパーマンのような人では

なかったのですね(^^;

 

ボヤいたり、嘆いたり、

自分の弱き心を吐露したり・・・

 

そして、そんな自分を、

叱咤激励するような文章も、

多く残されています(^^;

 

第二巻の冒頭、

引用します。

 

 

二巻 一

 

あけがたから

自分にこういいきかせて

おくがよい。

 

うるさがたや、

恩知らずや、

横柄な奴や、

裏切者や、

やきもち屋や、

人づきの悪い者に

私は出くわすことだろう。

 

 

皇帝として、

いろんな人と接したんでしょうね(^^;

 

時には、

「もうやってらんねえよ!」

と思う時も、あったでしょう・・・

 

(実際、信頼していた

シリア総督カッシウスに

裏切られたりもしています)

 

 

この連中に

こういう欠点があるのは、

すべて彼らが

善とはなんであり、

悪とはなんであるかを

知らないところから

来るのだ。

 

しかし私は

善というものの本性は

美しく、

悪というものの本性は

醜いことを悟り、

悪いことをする者自身も

天性私と同胞であること

 

―それは

なにも同じ血や種をわけている

というわけではなく、

叡智と一片の神性を

共有しているということを

悟ったのだから、

 

彼らのうち

誰一人私を損ないうる者はない。

 

というのは

誰ひとり

私を恥ずべきことに

まき込む力はないのである。

 

 

「どんな人とも仲間である」

 

なぜなら、

「叡智と一片の神性を共有しているから」

というのですね。

 

 

また私は

同胞にたいして

怒ることもできず、

憎む事もできない。

 

なぜなら

私たちは

協力するために

生まれついたのであって、

たとえば両足や、

両手や、

両眼瞼や

上下の歯列の場合と

同様である。

 

それゆえに

お互いに邪魔し合うのは

自然に反することである。

 

そして

人にたいして

腹を立てたり

毛嫌いしたりするのは

とりもなおさず

お互いに邪魔し合う

ことなのである。

 

 

「ムカつく相手」も、

同じ体の中の一部、

 

たとえば、

相手が右足なら、

自分は左足、

 

同じ体なのに、

腹を立てたり、

毛嫌いしたり、

お互い邪魔し合ってどうするの?

 

ということなんです。

(おもしろいたとえですね(^^;)

 

「自然に反する」

の自然とは、

いわゆる山川草木ではなく、

宇宙の秩序を示す法則

(理性、ロゴス)

を意味しています。

 

ちなみに、

アドラー心理学の

「共同体感覚」

の思想は、

このストア哲学の影響があるようです。

 

アドラー心理学で有名な、

哲学者、岸見一郎先生が

分かりやすく解説されている、

マルクス・アウレリウス『自省録』 (100分 de 名著

 

 

この本も、オススメします!

 

 

というわけで、戻りますが、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さんは、

どんな嫌な奴でも、

仲間として接するように、

自分を戒めていたようですが、

こんなことも述べています。

 

 

(中略)

 

書物はあきらめよ。

これにふけるな。

君には許されないことなのだ。

 

(中略)

 

 

ホンネでは、

人間関係のしがらみから抜け出して、

学問の世界に没頭したかったのかも

しれません・・・

 

 

 

神々のわざは

摂理に満ちており、

運命のわざは

自然を離れては存在せず、

また摂理に支配される事柄とも

織りあわせれ、

組み合わされずにはいない。

 

すべては

かしこから流れ出るのである。

 

さらにまた必然ということもあり、

全宇宙

―君はその宇宙の一部なのだ―

の利益ということもある。

 

しかし

自然のあらゆる部分にとって、

宇宙の自然のもたらすのは

善であり、

その保存に役立つものである。

 

宇宙を保存するのは

元素の変化であり、

またこれらによって

構成されるものの

変化である。

 

もし以上が信条であると

するならば、

これをもって

自ら足れりとせよ。

 

書物にたいする

君の渇きは捨てるがいい。

 

そのために

ぶつぶついいながら

死ぬことのないように、

 

かえって快活に、真実に、

そして心から

神々に感謝しつつ

死ぬことができるように。

 

 

「宇宙を保存するのは、

元素の変化であり・・・」

 

の箇所は、

仏教の「無常観」や「色即是空」

を連想しますね。

(もしかしたら、

多少影響を受けたのでしょうか、

いや、それはなさそうです)

 

宇宙が変化することは、

必然であり、

それは、善である。

 

その中で、

自分が皇帝になったのは、

運命なのだから、

それを受け入れて励め!

(だから学問の道に

没頭するのはあきらめよ)

 

と自分に言い聞かせたのでしょうね。

 

以下の文章も、

とても印象的です(^^;

 

 

五巻 一

 

明けがたに

起きにくいときには、

つぎの思いを

念頭に用意しておくがよい。

 

「人間のつとめを

果たすために

私は起きるのだ。」

 

そのために

この世にきた

役目をしに行くのを、

まだぶつぶついっているのか。

 

それとも

自分という人間は

夜具の中にもぐりこんで

身を温めているために

創られたのか。

 

「だってこのほうが

心地よいもの。」

 

では君は

心地よい思いをするために

生まれたのか。

 

それとも

行動するために

生まれたのか。

 

小さな草木や

小鳥や

蟻や蜘蛛や

蜜蜂までが

おのがつとめにいそしみ、

それぞれ

自己の分を果たして

宇宙の秩序を

形作っているのを

見ないのか。

 

 

二巻の一もそうでしたが、

明けがたの自分に対する、

メッセージですね。

 

執筆したのは、

ゲルマン辺境、戦場の野営地、

気の進まない戦の前でしょうか。

 

それとも、

ローマの宮殿、

元老院との、

不毛で重たい会議の前でしょうか・・・

 

「だってこのほうが心地よいもの。」

 

この、心のつぶやき、

ちょっと笑えます(^^;

 

そんな朝はなるべく、

ゆっくり寝ていたい。

 

私たちと同じですね(^^;

 

草木や小鳥や虫たちは、

それぞれの役割で、

ちゃんとつとめを果たしている、

それなのに・・・

 

たしかに、そうですね(^^;

 

 

しかるに君は

人間のつとめをするのが

いやなのか。

 

自然にかなった

君の仕事を果たすために

馳せ参じないのか。

 

「しかし

休息もしなくてはならない。」

 

それは私もそう思う、

しかし自然はこのことにも

限度をおいた。

 

同様に

食べたり飲んだりすることにも

限度をおいた。

 

ところが

君はこの限度を超え、

適度を過ごすのだ。

 

しかも行動において

そうではなく、

できるだけのことをしていない。

 

 

「できるだけのことをしていない」

 

どきっ、

私のことをいわれている感じ・・・(^^;
 

 

結局君は

自分自身を愛していないのだ。

 

もしそうでなかったらば

君はきっと自己の

(内なる)自然とその意志を

愛したであろう。

 

ほかの人は

自分の技術を愛して

これに要する労力のために

身をすりへらし、

入浴も食事も忘れている。

 

ところが君ときては、

彫師が彫金を、

舞踊家が舞踊を、

守銭奴が金を、

見栄坊が

つまらぬ名声を貴ぶほどにも

自己の自然を

大切にしないのだ。

 

右にいった人たちは

熱中すると寝食を忘れて

自分の仕事を

捗らせようとする。

 

しかるに君には

社会公共に役立つ活動は

これよりも

価値のないものに見え、

これよりも

熱心にやるに

値しないもののように

考えられるのか。

 

 

人びとは、それぞれ、

自分の与えられた持ち場で、

全力投球しているのに、

(「見栄坊」は笑えますが(^^;)

君は、為政者としての職務を、

まっとうしているのか。

 

運命として与えられた

その職務をまっとうすることが、

「自分を愛すること」

なのではないか。

 

そうやって、

自分に必死に言い聞かせ、

自分を奮い立たせたんですね。

 

皇帝でありながら、

また、

すぐれた哲学者でありながらも、

(いや、だからこそ)

権力や、書物の世界に溺れることなく

自分に鞭を打って、

社会公共に役立つ活動を実践し続けた、

マルクス・アウレーリウス(・アントニヌス)

さん。

 

素晴らしい方だったんだなと、

改めて感じました(^^)

 

 

次回もこの本の紹介・解説を続けます。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

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おまけ

 

しばらく、

愛猫の宮音(みやお)が

登場しておりませんので、

声をかけてみます(^^)

 

「みやお~」

 

・・・

 

「ニャーに?」

 

 

おかげさまで、元気です😸