ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
地域によって不安定な天候が続いています。
どうか被害が拡大しませんように・・・
今回、紹介させていただく本は、
中村哲さんの自伝、
中村哲さんといえば、
アフガニスタンの人々のために
生涯を捧げた方。
2019年12月に
凶弾に倒れたというニュースは、
まだ記憶に新しい気がしますが、
私は以前から、
中村哲さんの生き方には興味があり、
一度、自伝を拝読したいと思っていました。
その中村哲氏。
井戸を掘ったり、
用水路を開拓したことが有名ですが、
実は、医師なんですね。
もともとは医師として
アフガニスタンに赴き、
ハンセン病の治療などに
従事されていたのですが、
診療所を訪れる人の多くの病気が、
十分な食料、清潔な水があれば
防げることに気づきます。
そこで、
井戸を掘り、用水路の開拓に
取り組むようになるのですが・・・
内戦、空爆、テロが続き、
さらには、
大干ばつも進むアフガニスタンの地。
常に命の危険にさらされている中で、
30年以上もアフガニスタンのために
力を尽くされた。
その原動力とは、いったい何なのか。
興味深く読み進めました。
中村哲氏は、
1946年福岡県生まれ。
少年期は「昆虫」が大好きで、
ファーブル昆虫記を読み、
将来は農学部の昆虫学科に
進みたいと考えていましたが、
西南学院中等部時代に、
キリスト教に出会い、
内村鑑三氏の「後世への最大遺物」
に感化されて、
九州大学医学部に進みます。
精神科医ビクトール・フランクル
の影響もあり、
卒業後は佐賀県の療養所の
精神科に勤務します。
そこでの
「生きる意味」
にまつわるエピソードが、
なかなか興味深いです(^^)
引用します。
ある時、
受け持ちの統合失調症の患者が
自殺しようとして止めたとき、
患者から尋ねられた。
「生きることの意味感が
ないのです。
先生はなぜ生きているのですか」
という。
だが、
改めて問われると、
自分もよく分からない。
「仕事や昆虫の興味で」
というのも
まともな答えにならないし、
「与えられた生命の意義」
を説くほど宗教的でもない。
結局、
その時々の状況の中で、
義理や人情に流されながら
生きているだけで、
確たる信念を
貫いているわけではない。
「義理や人情に流されながら
生きているだけ」
何とも、正直というか、
謙虚というか(^^)
でも、考えてみたら、
私も含めて、
多くの人はそうかもしれません(^^;
このとき悟ったのは、
「自分」や「個人」
という実態が
あやふやなものだと
いうことである。
ヒトという生物個体としての
自分はあるが、
精神生活においては
「自分」や「自我」
というものが、
甚だつかみ所がない。
「人間とは関係である」
という難解なことばを
理解したような気がした。
哲学者で精神科医の
ヤスパースは明快に述べている。
「一人で成り立つ自分はない。
自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。
他者との関係において
自分が成り立っている」
そうですね・・・
自分を見つめることは
とても大切なことだと思いますが、
それだけだと、
たしかに、
行き詰ってしまうことがあります。
自分というものは、
やっぱり、
他者との関係で試行錯誤する中で
見えてくる部分があると思います。
それ以上の細かい議論は
よく分からないが、
少なくとも
臨床医としての立場に立つとき、
「意味は人間に隠されている。
その隠された意味を
人間が無理に意識しようとすれば、
それは人為の造花になって
虚構から免れない。
不安は意識されることによって
現実化する。
悩む者に必要なのは、
因果関係の分析で
無意識を意識化することではなく、
意識を無意識の豊かな世界に
戻すことである」
と、フランクルは
近代的な精神分析の罠を
警告している。
そしてこれらの発見は、
当時の私としては
何かを納得させるものがあった。
ちょっと難解な感じがしますが、
私なりに読み解いてみますと・・・
いわゆる、
フロイトの精神分析では、
「無意識」、つまり、
抑圧された感情や記憶、欲求などを
「意識化」することを重視します。
無意識に光を当てることは、
クライアントの気づきにもつながるので、
それはそれで、
大切なことなのですが、
一方で、
それがいきすぎると
無意識を無理矢理に解釈する、
たとえば、性の抑圧に強引に結び付けたり
することにもなりかねない。
そういうことを
警告しているのではないかと。
理屈はさておき、
「空の空、一切は空である」
(伝道の書)
と聖書記者が述べるとき、
「現象は即ち空、空は即ち現象」
(般若心経)
と仏教徒が唱えるとき、
同様のことが
述べられているのである。
空とは虚無ではない。
そこに
「豊かさと神聖さを
秘めたなにものか」
なのである。
「色即是空」ですね。
ここでいう「空」とは、
さきほどの精神分析でいうと
「無意識」のことだと考えます。
無意識すなわち空は、
個人の抑圧された感情なども含まれますが、
それよりも、
「豊かさと神聖さを秘めたなにものか」
ではないかということですね。
では、
人間に隠された神聖なものを
どうして人間が分かるのか。
精神科医フランクルは、
「良心が意味を感ずる器官だ」
と言い、
神学者カール・バルトは
神と人の厳然たる序列と一体性、
万人に通ずる恩寵の普遍性を説き、
人間中心の
近代の自由神学を否定している。
『論語』は最も明快で、
「これを知るを知るとなし、
知らざるを知らずとなせ」、
「温故知新」だと、
この消息を伝えている。
無意識の中にある
「神聖」なるものを、
どうして人間が分かるのか。
それは、
人間には「良心」があり、
それを通じて、神聖なるものに、
触れることが出来るからだ。
人間は、あらゆることを
知性で考えて理解できるわけではない。
無意識の中には、
人知では計り知れない
神聖なるもの、大いなるものがある。
だから、
人間はもっと謙虚になるべきだし、
現代の科学を駆使すればすべて解決できると
思い上がってはいけない。
ということでしょうか。
いささか理屈っぽいが、
以上が精神科医生活で得た
最大のもので、
迷い多き青年期の思想の
総決算だったと思っている。
後にペシャワールや
アフガニスタンで
イスラム教に接したとき、
特別な違和感を持たず、
むしろ自分の思いが確認され、
誰とでも共通の土俵で
話しができたうように思う。
中村哲氏は、青年期から、
「人間には、隠された神聖なものがある」
と、心の底から信じていたからこそ、
宗教や人種を超えて、
アフガニスタンの人々と
信頼関係を結ぶことができたのではないかと
感じました・・・
・・・次回に続きますね(^^;
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回もこの本の紹介を続けます(^^;
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おまけ写真集(^^;
久々に宮音(みやお)くん登場です!
夏になると増えるポーズ!
おっぴろげ~😸
ここでも(^^;
うが~
毎年恒例。
三浦半島荒井浜でのシュノーケリング遊び!
波高めでしたが、
おかげさまで、
魚たちとたくさん出会えて楽しめました😊





















































