ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
花冷えの日が続いておりますが、
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
前回から、
精神科医・泉谷閑示さんの新書、
を紹介、解説しております。
この本はタイトルで、
「普通がいい」
ということは「病」である。
といっています。
ええっ「病」?
私自身は、
変に背伸びをせずに、
等身大の自分を受け容れる
という意味での
「普通がいい」
というのは、むしろ、
望ましいことだと思うのですが、
著者は、
「普通がいい」
というのは一種の「病」であるという。
「普通」という言葉には、
平凡で皆と同じが
良いことなんだとか、
「普通」に生きることが
幸せに違いない、
という偏った価値観が
べったりとくっついています。
つまり、
「普通」になれば
「普通」に幸せになれると
思い込んでいるわけです。
しかし、
幸せというものには、
「普通」はない。
なぜなら、
「普通」ではないのが、
幸せの本質だからです。
「普通」でないのが、
幸せの本質?
どういうことでしょうか?
ある親御さんが、
「私は、息子に
普通の子になって欲しかった。
ある時、息子は
『普通って何!』
と言った。
私は、何でもいいから普通に、
みんなと足並みを
揃えて欲しいって思って
育ててきた。
普通じゃないと
他人に説明できないから、
ただ分かりやすい人に
なって欲しいという
気持ちだった」
と、話されたことが
ありましたが、
きっと親御さん自身にも
「私は普通に
なれなかったために、
色々とうまくいかなかったのだ」
という後悔があって、
「子どもにだけは
そんな思いをさせたくない」
となったのでしょう。
なるほど・・・
「普通とはみんなと
足並みを揃えること」
そして、
「自分がみんなと足並みを
揃えられなかったから
うまくいかなかったのではないか?」
という後悔。
つまり一種の「怖れ」から、
子どもに「普通であること」
を求めてしまうということですね。
しかし、どんな人も、
決して最初から
「普通」を求めていたはずは
ありません。
この親御さんの場合は、
ご自身が幼い頃から
周囲の視線や言葉によって
傷ついてきた歴史があって、
「普通でないことは
こんなにもまずいことなのかと
考えるようになった。
それで、どこか
窮屈さを感じながらも、
「普通」におびえ、
「普通」に憧れ、
「普通」を演じるようになった。
そして、わが子も
そうやって生きるべきだと
考えるようになったのです。
こうやって人は、
「普通」を信奉する価値観を、
代々継承していこうとします。
う~ん・・・
「普通」つまり、
「みんなと同じ」でないと、
周囲の視線や言葉によって
傷つけられた経験があるから、
窮屈さを感じながらも、
「普通」を演じるようになる。
これは、
現実にありますよね。
もし、普通でない、
つまり、「自分らしく」あり続けても、
それが受け入れられるのであれば、
もちろんそれでいきたいのだけれど、
それだと、
なかなか実際にうまくいかないから、
(うまくいかないと感じてしまうから)
結局、「普通」を
信奉するようになってしまう。
特に日本の社会は、
その傾向があるのではないかと
感じます。
(近年少しずつ
変わってきているとは思いますが)
こんなふうにも、
述べられています。
親自身の人生で
果たせなかった願望が、
「あなたのために~しなさい」
という形で
子どもに押し付けられます。
親の欲望による、
子どもへのコントロールです。
しかし親は、
自分ではそれが
子どもへの愛情だと
思い込んでいます。
まだ十分に
判断力の育っていない子どもは、
たとえそれを窮屈に
感じたとしても
「あなたのためよ」
と親に言われれば、
きっと意味のあることなのだろう
と思い、嫌がる心を無視して
これを受け取ります。
子どもの内部にこのようにして
「頭」による
自己コントロール体制が
作られます。
子どもは、
この自己コントロールに従って
行動すればするほど
親から良い評価が得られるために、
ますます言われた通りの
行動をするように
条件付けされます。
「あなたのために」
というのは
実は親の願望、
つまりエゴなのですが、
親はなかなかそれを自覚できない。
それどころか、
それを本気で愛情だと
思い込んでいる。
子どもは、
「あなたのために」
と言われれば、
たとえ、それに違和感を感じても、
反発できないわけですね。
子どもは誰よりも、
親を愛しています。
だから、
何とか期待に応えようとしますが、
しかし、
それにも限界があって、
限界を超えると、
様々な問題が生じてくる・・・
・・・以上のことから
考察してみると、
人は、決して好き好んで、
「普通」を目指すのではなく、
本当ならもっと「自分らしく」
ありたいけれど、
親や周囲の目、社会通念が
それを許さないと感じてしまうので、
同調圧力、
いってみれば「怖れ」から、
「みんなと同じ、普通がいい」
という価値観になってしまう
ということでしょうか。
これは、
私たちが生きている現代社会において、
ある程度はやむを得ないのではないかと
思います。
もちろん、
「自分らしさ」がもっと許される
社会になったほうがいいし、
現に少しずつそうなってきているという
実感もありますが、
しかし、
集団生活を営んでいる社会では、
同調圧力から完全に逃れることはできない。
では、どうすればいいのか?
この本にも書かれているのですが、
人生の後半に、
そのカギはあるのだと考えます。
ニーチェの「三様の変化」、
駱駝・獅子・小児の比喩や、
禅の「十牛図」が
紹介されているのですが・・・
・・・次回に続きますね(^^;
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回に続きます(^^;
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おまけ写真集(^^;
恒例の低山歩き!
少し前になりますが、
最明寺史跡公園から高松山へ
安全祈願をして・・・
富士山見えました!
途中、ミツマタ!
下から見ると、
黄色っぽいです。
着きました!
空気は、もやっとしていましたが、
富士山ばっちり🗻
また、ミツマタ!
アップで見ると、
こんな、なっています。
はなじょろ道から下山しました。
(これは下山後の入り口)
その昔、花嫁さんが通った道。
ええっ、こんな険しい山道を!
ここからは、別日、
愛川町、仏果山周辺巡り。
高取山山頂から、
丹沢方面の上の方は、
雲で隠れていました・・・
仏果山山頂、着きました!
関東平野、
ああ開放感・・・
スリル満点の痩せ尾根越えて、
ダウン、アップ・・・
弘法大師伝説の、
巨大な経石越えると・・・
経ヶ岳!
気持ちいい尾根道。
下山後、勝楽寺。
中津川沿い、桜並木きれいでした!
菜の花。
春を感じますね・・・
有り難うございました😊



























































