ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

地域によって不安定な天候が続いています。

どうか被害が拡大しませんように・・・

 

今回、紹介させていただく本は、

中村哲さんの自伝、

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

 

 

中村哲さんといえば、

アフガニスタンの人々のために

生涯を捧げた方。

 

2019年12月に

凶弾に倒れたというニュースは、

まだ記憶に新しい気がしますが、

 

私は以前から、

中村哲さんの生き方には興味があり、

一度、自伝を拝読したいと思っていました。

 

その中村哲氏。

井戸を掘ったり、

用水路を開拓したことが有名ですが、

実は、医師なんですね。

 

もともとは医師として

アフガニスタンに赴き、

ハンセン病の治療などに

従事されていたのですが、

 

診療所を訪れる人の多くの病気が、

十分な食料、清潔な水があれば

防げることに気づきます。

 

そこで、

井戸を掘り、用水路の開拓に

取り組むようになるのですが・・・

 

内戦、空爆、テロが続き、

さらには、

大干ばつも進むアフガニスタンの地。

 

常に命の危険にさらされている中で、

30年以上もアフガニスタンのために

力を尽くされた。

 

その原動力とは、いったい何なのか。

 

興味深く読み進めました。

 

中村哲氏は、

1946年福岡県生まれ。

 

少年期は「昆虫」が大好きで、

ファーブル昆虫記を読み、

将来は農学部の昆虫学科に

進みたいと考えていましたが、

 

西南学院中等部時代に、

キリスト教に出会い、

内村鑑三氏の「後世への最大遺物」

に感化されて、

九州大学医学部に進みます。

 

精神科医ビクトール・フランクル

の影響もあり、

卒業後は佐賀県の療養所の

精神科に勤務します。

 

そこでの

「生きる意味」

にまつわるエピソードが、

なかなか興味深いです(^^)

 

引用します。

 

 

ある時、

受け持ちの統合失調症の患者が

自殺しようとして止めたとき、

患者から尋ねられた。

 

「生きることの意味感が

ないのです。

先生はなぜ生きているのですか」

という。

 

だが、

改めて問われると、

自分もよく分からない。

 

「仕事や昆虫の興味で」

というのも

まともな答えにならないし、

 

「与えられた生命の意義」

を説くほど宗教的でもない。

 

結局、

その時々の状況の中で、

義理や人情に流されながら

生きているだけで、

 

確たる信念を

貫いているわけではない。

 

 

「義理や人情に流されながら

生きているだけ」

 

何とも、正直というか、

謙虚というか(^^)

 

でも、考えてみたら、

私も含めて、

多くの人はそうかもしれません(^^;

 

 

このとき悟ったのは、

「自分」や「個人」

という実態が

あやふやなものだと

いうことである。

 

ヒトという生物個体としての

自分はあるが、

精神生活においては

「自分」や「自我」

というものが、

甚だつかみ所がない。

 

「人間とは関係である」

という難解なことばを

理解したような気がした。

 

哲学者で精神科医の

ヤスパースは明快に述べている。

 

「一人で成り立つ自分はない。

自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。

 

他者との関係において

自分が成り立っている」

 

 

そうですね・・・

 

自分を見つめることは

とても大切なことだと思いますが、

それだけだと、

たしかに、

行き詰ってしまうことがあります。

 

自分というものは、

やっぱり、

他者との関係で試行錯誤する中で

見えてくる部分があると思います。

 

 

それ以上の細かい議論は

よく分からないが、

少なくとも

臨床医としての立場に立つとき、

 

「意味は人間に隠されている。

その隠された意味を

人間が無理に意識しようとすれば、

それは人為の造花になって

虚構から免れない。

 

不安は意識されることによって

現実化する。

 

悩む者に必要なのは、

因果関係の分析で

無意識を意識化することではなく、

意識を無意識の豊かな世界に

戻すことである」

 

と、フランクルは

近代的な精神分析の罠を

警告している。

 

そしてこれらの発見は、

当時の私としては

何かを納得させるものがあった。

 

 

ちょっと難解な感じがしますが、

私なりに読み解いてみますと・・・

 

いわゆる、

フロイトの精神分析では、

「無意識」、つまり、

抑圧された感情や記憶、欲求などを

「意識化」することを重視します。

 

無意識に光を当てることは、

クライアントの気づきにもつながるので、

それはそれで、

大切なことなのですが、

 

一方で、

それがいきすぎると

無意識を無理矢理に解釈する、

たとえば、性の抑圧に強引に結び付けたり

することにもなりかねない。

 

そういうことを

警告しているのではないかと。

 

 

理屈はさておき、

「空の空、一切は空である」

(伝道の書)

と聖書記者が述べるとき、

 

「現象は即ち空、空は即ち現象」

(般若心経)

と仏教徒が唱えるとき、

 

同様のことが

述べられているのである。

 

空とは虚無ではない。

 

そこに

「豊かさと神聖さを

秘めたなにものか」

なのである。

 

 

「色即是空」ですね。

 

ここでいう「空」とは、

さきほどの精神分析でいうと

「無意識」のことだと考えます。

 

無意識すなわち空は、

個人の抑圧された感情なども含まれますが、

それよりも、

 

「豊かさと神聖さを秘めたなにものか」

 

ではないかということですね。

 

 

では、

人間に隠された神聖なものを

どうして人間が分かるのか。

 

精神科医フランクルは、

「良心が意味を感ずる器官だ」

と言い、

 

神学者カール・バルトは

神と人の厳然たる序列と一体性、

万人に通ずる恩寵の普遍性を説き、

 

人間中心の

近代の自由神学を否定している。

 

『論語』は最も明快で、

「これを知るを知るとなし、

知らざるを知らずとなせ」、

「温故知新」だと、

この消息を伝えている。

 

 

無意識の中にある

「神聖」なるものを、

どうして人間が分かるのか。

 

それは、

人間には「良心」があり、

それを通じて、神聖なるものに、

触れることが出来るからだ。

 

人間は、あらゆることを

知性で考えて理解できるわけではない。

 

無意識の中には、

人知では計り知れない

神聖なるもの、大いなるものがある。

 

だから、

人間はもっと謙虚になるべきだし、

現代の科学を駆使すればすべて解決できると

思い上がってはいけない。

 

ということでしょうか。

 

 

いささか理屈っぽいが、

以上が精神科医生活で得た

最大のもので、

迷い多き青年期の思想の

総決算だったと思っている。

 

後にペシャワールや

アフガニスタンで

イスラム教に接したとき、

 

特別な違和感を持たず、

むしろ自分の思いが確認され、

誰とでも共通の土俵で

話しができたうように思う。

 

 

中村哲氏は、青年期から、

「人間には、隠された神聖なものがある」

と、心の底から信じていたからこそ、

 

宗教や人種を超えて、

アフガニスタンの人々と

信頼関係を結ぶことができたのではないかと

感じました・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

****************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

***************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

久々に宮音(みやお)くん登場です!

 

 

夏になると増えるポーズ!

 

おっぴろげ~😸

 

 

 

ここでも(^^;

 

 

 

うが~

 

 

 

毎年恒例。

三浦半島荒井浜でのシュノーケリング遊び!

 

波高めでしたが、

おかげさまで、

魚たちとたくさん出会えて楽しめました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

この本は、

第二次世界大戦中、

密偵として、中国北部からチベット、

インドまで苛酷な旅を続けた、

西川一三氏のノンフィクションなのですが、

 

なかなか示唆に富む文章があります。

 

苛酷な砂漠地帯を越えたあと、

西川氏はこんな感慨を抱くようになります。

 

 

もしかしたら、

困難を突破しようと

苦労をしているときが

旅における

最も楽しい時間なのかもしれない。

 

困難を突破してしまうと、

この先にはまた新たな困難が

待ち受けているのではないかと

不安になる。

 

困難のさなかにあるときは、

ただひたすら

それを克服するために

努力すればいいだけだから、

 

むしろ不安は少ない、と。

 

 

なるほど・・・

 

困難に直面しているときは、

早くこの状態から脱したいと、

ただひたすら

願うような気もするのですが(^^;

 

でも、一方で、

 

この旅のような

生きるか死ぬかの苛酷な状況下だと、

そもそも、そんな余裕がないというか、

 

とにかく、

眼の前の困難を克服することに必死で、

余計なことを考える暇もない、

 

だから、

「無心」になれる

ということなのかと思います。

 

変に余裕が出てくると、

私たちは、あれこれ妄想をし、

悲観的になってしまいがちですが(^^;

 

苦労や困難を克服するために集中すれば

それは、

「無心」になれるチャンスともいえる。

 

そう考えると、

苦労や困難の経験も、

悪くはないかもしれませんね😊

 

ちなみに、

私の趣味のひとつが山歩きなのですが、

 

もっとも、何日もかけて縦走したり、

ハードな雪山には登ったりはしない

せいぜい初級~中級レベルの登山なのですが、

 

それでも、鎖場やザレ場、

道が狭く崖になっている箇所など、

多少、危険なところを通ったりもします。

 

私は人が少なめのコースが好きなので、

その分、熊に遭遇するおそれ?もあります😲

 

で、そんな山歩きをすると、

気分がすっきりすることが多いのですが、

それは、

そのような多少のリスクを抱えている中で、

感覚を研ぎ澄まし、

「いま、ここ」に集中して、

「無心」になる瞬間があるからかもしれません。

 

もちろん、

気分がすっきりするのは、

やっぱり、自然に触れ合うことができるのが

大きいとは思いますが、

 

「いま、ここ」に集中して、

「無心」になれる瞬間があることも、

少なからず影響しているような気がします。

 

実際、たまに滑ったり、コケそうになって

冷や汗をかくことがありますが、

 

だいたいその時は、

目の前に集中せずに、

余計なことを考えていたり、

周りの人に気を取られている時です(^^;

 

ある心理カウンセラーは、

山歩きは「歩く瞑想」

だとおっしゃっていましたが、

言い得て妙だと思います😊

 

 

・・・さておき、

本書の内容に戻ります(^^;

 

西川氏は、ラマ僧に扮して、

旅の後半はインドを訪れるのですが、

いろいろなところで、

人々から親切にされることが続きます。

 

何故なのでしょうか。

 

 

― いまの自分は、

綺麗に欲がなくなっている。

 

何をしたいとか、

何を得たいとか、

何を食べたいとかといったような

欲望から解放されている。

 

一日分の食糧があれば、

どこで寝ようがかまわないと

思っている。

 

水の流れに漂っている

一枚の葉と同じように、

ただ目の前を歩いている。

 

その欲のなさが、

人の好意を

誘うのかもしれない・・・。

 

 

なるほど・・・

 

八年もの間、

苛酷な旅を続けた西川氏は、

ラマ僧に扮していたとはいえ、

 

本物の修行僧のような境地に

達していたのかもしれませんね。

 

「欲のなさが人の好意を誘う」

 

実際に私も、

人の好意を受ける時というのは、

無欲の時が多いような気がします。

(もっとも、

そんなに頻繁にあるわけではないのですが(^^;)

 

もっと正確にいえば、

無欲というよりも、

どこか感謝の気持ちを抱いている時でしょうか。

 

西川氏はこう述懐します。

 

 

旅における駝夫の日々といい、

シャンでの下男の日々といい、

カリンボンでの

物乞いたちとの日々といい、

デブン寺における

初年坊主の日々といい、

新聞社での見習い職工の日々といい、

この工事現場での苦力の日々といい、

 

人から見れば、

すべて最下層の生活と

思われるかもしれない。

 

いや、実際、

経済的には最も底辺の

生活だったろう。

 

しかし、

あらためて思い返せば、

その日々のなんと自由だったことか。

 

誰に強いられたわけでもなく、

自分が選んだ生活なのだ。

 

やめたければいつでも

やめることができる。

 

それだけでなく、

その最も低いところに在る生活を

受け入れることができれば、

 

失うことを恐れたり、

階段を踏みはずしたり、

坂を転げ落ちたりするのを

心配することもない。

 

何と恵まれているのだろう、

と西川は思った。

 

 

「自由」

 

選択する自由があるということは、

とても恵まれていることなのだと思います。

 

自由がないということは、

たとえ経済的に豊かであっても、

それは、奴隷と同じかもしれない。

 

自由は、

あると当たり前に感じてしまいますが、

実は、とても有り難いこと。

 

自由に感謝する。

そして、

自分の人生は、自分で選択をするということ。

 

忘れずにいたいです😊

 

 

 

****************************************

 

 

以上、

2回にわたって、

 

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説してきました(^^)

 

まるで西川氏になったように、

実際に中国北部からチベット、

インドを放浪したような気分になれる、

 

そして、

自分らしく生きる勇気が湧いてくる本。

 

ご一読をおすすめします😊

 

 

 

********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

前回の富士登山から、

続きです・・・

 

 

 

ヘロヘロになりながらも・・・

 

 

 

山頂の奥宮(久須志神社)

着きました!

 

 

 

頂上限定お守りゲット😊

 

 

 

せっかくなので、

お鉢巡りにもチャレンジ!

 

 

噴火口・・・

大迫力でした😲

 

 

 

・・・反対側の、

浅間神社奥宮まで来ました!

 

 

 

富士宮方面、

雲海・・・

 

 

 

これが、

3,776mのホントの頂上、剣ヶ峰・・・

 

この登りきつかった💦

 

 

 

何とか着きました\(^o^)/

 

 

 

下ります・・・

 

 

 

山中湖を見下ろしながら・・・

 

 

 

須走の砂走ルート!

 

靴が小石の砂の中に埋もれながら下るという、

他の山では味わえない感覚・・・

 

ヒザは楽ですが、

靴の中が小石まみれ(^^;

(ゲイター・スパッツつけた方がいいです)

 

 

 

シャトルバス停まで、

もう一息・・・

 

 

 

古御岳神社、

無事下山できました。感謝!

 

富士登山・・・

いい思い出になりました。

またいつか、別のルートから登りたいです!

 

おつきあいいただきまして、

有り難うございました😊

 

自由に遊ばせてくれる、

妻にも感謝(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ちょっと、

ブログの間隔が空いてしまいました(^^;

 

猛暑が続きますが、

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

 

先日、

念願の富士登山に行ってまいりました🗻

おまけコーナーで

写真アップさせていただきますね(^^)

 

さておき、

今回紹介させていただく本は、

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

沢木耕太郎さんの代表作と言えば、

言わずと知れた

深夜特急シリーズ

 

大学生の頃、

心躍らせて読みました(^^)

 

「よし、オレもシュラフ(寝袋)

持参で一人旅に出よう!」

 

という気になったのですが、

 

小心者の私は、

海外に一人で行く勇気はなく、

北海道の旅で

お茶を濁した記憶があります(^^;

 

で、今回の、

天路の旅人(上)(下)

 

第二次世界大戦中、

密偵として、

中国北部からチベット、

インドまで苛酷な旅を続けた、

西川一三氏のノンフィクションです。

 

いやあ、

さすがに沢木耕太郎さん、

読ませますね~

 

まるで主人公になったような気分で、

旅の世界にグイグイ引き込まれます(^^)

 

私は中国に安ツアーで訪れたことは、

何度かあるのですが、

 

「ああ、チベットやインドにも

行ってみたいなあ~」

という気分になりました(^^)

 

ネタバレになるので、

ストーリーの詳細は割愛するとして、

 

私の印象に残った箇所を、

引用、紹介させていただきますね。

 

西川氏は、

帰国後、化粧品の卸売店を営むのですが、

晩年、著者のインタビューに、

こう答えます。

 

 

「狭くて、汚い店です」

西川はそう言った。

 

だが、それも、

あえて汚いままにしてあると

いうことであるらしい。

 

「人はむしろ

汚いくらいのほうが

安心するんです。

 

通行人が道を訊くために

店に入るのは、

近隣の中ではうちが最も

多いくらいのものでね」

 

そして、

自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても

生きていけるものです、

 

と言った。

 

 

「自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても生きていける」

 

そうですね~

 

西川氏は、

駱駝が落としていった糞を

湯を沸かす燃料にするような

苛酷な旅を経験したからこそ、

言える言葉ですね。

 

そして、西川氏が

何度もピンチに会いながらも、

生き延びてこられたのは、

 

どんな民族や職業の人に対しても、

決して見下したりしない、

 

人として尊重する姿勢、

謙虚さがあったからこそではないかと

思えてきます。

 

西川氏は、

正月の1日以外は、

364日毎日仕事をする

(休みなし!)という

生活を続けていました。

 

そのせいで、

沢木耕太郎さんの取材は、

いつも仕事を終わった後の

晩酌タイムだったというエピソードが

述べられていますが、

 

古き良き日本人、

という感じがしますね(^^)

 

ゴビ砂漠へ向かう中でのシーン・・・

 

 

(雪の積もる中)

出発が可能になり、

歩き始めれば、

 

西に向かう西川たちの背中に

東から昇ってくる陽光が当たり、

 

その暖かさと

自分の発する熱によって

ポカポカしてくる。

 

― 幸せとは

こういうことを言うのか・・・。

 

西川は歩きながら思っていた。

 

旅に出ると、

生活が単純化されていく。

 

その結果、

旅人は生きる上で

何が大切なのか、

どんなことが重要なのかを

思い知らされることになる。

 

火がおきてくれれば

湯が沸き、

太陽の光を浴びれば

体が暖かくなる。

 

たったそれだけで

幸せになる・・・。

 

 

そうですね。

私たち現代人は、

便利なものに囲まれて生活しているので、

 

それが当たり前になっており、

なかなか幸せが

実感できなくなっていますが、

 

でも、ほんらい、

湯が沸いたり、

太陽の光を浴びられることは、

それ自体で、

とても幸せなことなんですよね。

 

ただ、苛酷な体験をしなければ、

それが実感できないのは、

人間の悲しい性でありまして・・・

 

ちなみに、

私は山歩きをするのですが、

 

汗だくで疲れ切って

下山した後に入る日帰り温泉、

 

「ああ、ありがたや~」

といつになく幸せを感じます(^^)

 

(同レベルにするな!と、

西川氏に怒られそうですが(^^;)

 

 

立ち止まって、

はるか遠くを見ると、

 

西方に真っ白な

ジャルタイ塩湖が

太陽の光を浴びて

輝いている。

 

それを見ながら、

西川は考えていた。

 

― 砂漠を歩いていると、

路傍にさまざまな動物の死骸が

横たわっているのにぶつかる。

 

砂漠では

どんな死骸も放置されたままだ。

 

最初こそ無残な姿を

晒すことになるが、

 

すぐに獣や鳥たちに

肉を食べつくされ、

風に吹かれ、

砂に洗われているうちに

美しい白骨となる。

 

そうした大自然の営みを

前にすると、

 

人間の力ではどうしようもない

巨大な力を感じる。

 

そして、

ここにおけるすべてのことは

大自然が解決してくれるように

思える。

 

あるいは、

その大自然の意志を

天と呼ぶのかもしれない。

 

自分は、

その天が命ずるままに、

眼の前に続く道を

歩いて行けば

いいのではないだろうか・・・。

 

 

このような

大自然を畏怖するような

経験をしたことが、

 

西川氏の謙虚な生き様を支える

バックボーンになったのではないか

という気がしてきます。

 

私もスケールは違いますが、

山歩きなどで、

大自然に触れる機会があると、

 

畏敬の念を感じるといいますか、

「自分も大自然の一部なんだ」

という気がしてきて、

敬虔な気持ちになることがあります。

 

ただ、下界に帰ると、

それを忘れてしまいがちなのですが

・・・(^^;

 

次回に続きますね・・・

 

 

 

******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本を紹介します(^^;

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

念願の富士登山に

行ってきました🗻

 

道の駅すばしりで車中泊・・・

 

 

富士山の頭が見える!

 

心配だった天候も、

大丈夫そう!

 

朝4:30シャトルバス始発・・・

 

 

 

シャトルバスから御来光!

 

 

 

おおっ😊

 

 

 

比較的空いているといわれる

須走口の五合目から、

登山スタート!

 

 

 

古御岳神社で安全祈願して、

樹林帯を登ります・・・

 

 

 

山頂は近く見えますが、

ま~だまだ先です(^^;

 

 

 

振り返ると、

山中湖と雲海・・・

 

 

 

・・・ひたすら登って

ようやく八合目まで来ました!

 

 

 

ここからがきつかった・・・

 

空気が薄いせいか、

足取りが重くなります(^^;

 

 

 

うう、もう一息・・・

 

 

 

五合目から5時間半で

ようやく頂上浅間大社奥宮🗻(^O^)

 

ヘロヘロ状態でしたが、

お参りしてからお鉢巡りへ・・・

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの新書、

 

教養を磨く

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回のテーマは、

「『不運』の姿をした幸運」

 

有名な故事

「塞翁が馬」が紹介されています。

 

 

「中国北辺の老人が飼っていた

馬が逃げたが、

後に立派な馬を連れて帰ってきた。

 

老人の息子がその馬から落ちて

足を折ったが、

そのために戦争に行かずにすんだ」

 

 

「塞翁が馬」は、

私が座右の銘のひとつにしている言葉で、

IPS細胞の山中教授や、

サッカーの岡田武史監督なども

よくおっしゃっています。

 

この言葉は、

一見、悪いことのように見えることでも、

実は、悪いことではない。

 

または、

不運の後には、必ず幸運がやってくる。

 

と読み取れると思いますが、

田坂さんは、こう述べます。

 

 

幸運は、不運の姿をして

やってくる

 

 

不運に見える出来事は、

実は、幸運そのものだというのです!

 

 

実際、著者の人生を

顧みるならば、

 

当初、

「なぜ、このような不運が

起こったのか!」

と嘆くような出来事が、

それから何年もの歳月を歩んで

振り返るとき、

 

「ああ、あの出来事のお陰で、

このような有り難い道を

歩むことができた」

と思えることが大半である。

 

 

実際、田坂さんは、

大学院の研究職に就くことが出来ず、

深い挫折感を抱いて

民間企業に入りましたが、

 

そこで新たな、

営業や企画の能力を磨かれて、

その後、シンクタンクの立ち上げ、

ダボス会議での活躍、

やがては内閣官房参与までなられたり、

 

30代で大病を患いましたが、

そこから、

「いま、この瞬間を生き切る」

という生き方と、

「いつ死んでも悔いが無い」

という覚悟を掴まれた。

 

というエピソードが

紹介されています。

 

 

おそらく、

この随想を読まれる

読者の多くも、

 

不運に見えた出来事が、

実は、幸運であった

という体験を、

いくつも持たれているのでは

ないだろうか。

 

例えば、

人生で与えられた苦労や困難、

失敗や敗北、

挫折や喪失、

病気や事故など、

 

様々な逆境を振り返るとき、

 

「あの苦労のお陰で、

大切なことを学べた」

 

「あの失敗のお陰で、

成長することができた」

 

「あの挫折のお陰で、

この道へと導かれた」

 

といった深い感慨を抱く人は、

決して少なくないだろう。

 

 

そうですね・・・

 

過去ブログで

詳しく書かせていただいたことも

ありますが、

私自身思い返してみても・・・

 

暗い高校生活や浪人時代を

過ごしたことをバネに、

希望の大学に入ることができました。

が、そこでは、

特に恋愛関係が

さっぱり上手くいかなかったり(^^;

 

その後、就職は上手くいきましたが、

当初は希望の部署には行けず、

念願叶って異動できたと思ったら、

今度は大病を患ったり、

 

それによって、

働くことへの考え方も変わったり、

また、中間管理職になった頃には、

人間関係や妻との関係で悩みましたが、

それが、ライフワークである

心の学びをすることに繋がったり・・・

 

・・・何だか、

挫折や苦労をしていると、

やがて報われることがあり、

それに調子に乗っていると、

またまた苦労するという、

 

そんなリズム、変化を繰り返して

いるような気がしますが(^^;

 

何だか、

自然界の法則のような、

 

春夏秋冬、季節は巡る、

昼と夜、明けない夜はない、

晴れの日があれば、

雨の日もある・・・

 

雨は、恵みにもなるように、

本来、出来事には、

「いい」「悪い」

はないのかもしれないです。

 

が、私たちの認知は、

どうしても歪んでしまうので、

 

そのまま、つい目先のことに、

とらわれてしまいがちですが(^^;

 

 

読者には、一度、

自身の人生全体を振り返り、

 

「幸運は、不運の姿をして

やってきた」

 

という体験の棚卸を

されることを勧めたい。

 

読者は、その棚卸によって、

いかなる逆境をも肯定的に受け止め、

それを越えていく力、

 

「人生の解釈力」

 

と呼ぶべき力を

身につけることができるだろう。

 

 

人生の「解釈力」?

 

 

この「解釈力」とは、

人生で、

いかなる苦労や失敗や挫折が

与えられても、

それを、

 

「この苦労は、

何を学べという天の声なのか」

 

「この失敗は、

どう成長せよという声なのか」

 

「この挫折は、

どの道を歩めという声なのか」

 

と前向きに受け止め、

その逆境を肯定的に

解釈する力のことである。

 

 

なるほど・・・

 

目先のことにとらわれることなく、

この出来事には、

どのような「意味」があるのか?

と、内省しつつも、

 

広い視野で、肯定的に

「解釈」をするということですね。

 

 

そして、実は、この

「逆境を肯定的に解釈する力」、

 

それこそが、

「不運」に見える出来事を

「幸運」へと転じていく力に

他ならない。

 

一方、我々に、

その「解釈力」が無ければ、

 

人生の逆境を前に、

「なぜ、こんなことが

起こったのか」

「なぜ、こうした不運が

降りかかったのか」

「なぜ、自分は、

いつも不運なのか」

 

といった後向きの想念、

否定的な想念に心が支配され、

 

目の前の問題に正対して

取り組む力は

生まれてこない」

 

 

そうですね・・・

 

田坂さんは、

もともと地頭がよく、

東大出のエリートで

いわゆる成功者だから、

結果論として、

 

「幸運は、不運の姿をしてやってくる」

 

ということが

余裕を持って言えるのではないかと

一瞬思いましたが、

 

実際はそうではなく、

 

逆境に遭遇する度に、

 

「これは何を学べという声なのか」

「どう成長せよという声なのか」

「どの道を歩めという声なのか」

 

と謙虚に自分自身に問いかけて、

それを肯定的に解釈をされてきた。

 

その姿勢、積み重ねがあったからこそ、

今の成功者、人格者としての、

田坂さんがあるのではないか。

 

そんな気がします。

 

田坂さんはこうも述べます。

 

 

我々が、この

「解釈力」を身につけ、

どこまでも深めていくならば、

 

いつか、

次の言葉が真実であると

感じる日が来るだろう。

 

人生で起こること、

すべて良きこと。

 

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

(このタイトルで文庫本にもなっています。

人生で起こること すべて良きこと

 

う~ん、

すべてとは、ちょっと・・・

 

私はまだ、こう言い切れる

境地には達しておりませんが(^^;

 

でも、よくよく考えると・・・

 

そうなのではないか、

という気もしてきます。

 

出来事を、どのように意味づけ、

解釈するのか。

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

この人生で、少しでも

こう思えるような境地に近づきたいです😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

三浦半島、

秋谷の立石ちらっと見て、

 

 

 

途中のお寺で、感謝のお参りをして、

 

 

 

渓谷を歩き、

その後、黙々と登ると・・・

 

 

 

大楠山山頂!

(242mの低山ですが(^^;)

 

 

 

下山、

気持ちいい木漏れ日・・・

 

 

 

浄楽寺。

 

 

 

有名な運慶の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。

予約しないと観れませんが、

以前、横須賀美術館の運慶展で拝見しました。

(すばらしい仏像です!)

 

 

 

秋谷海岸。

まだ人は少ないですね(6月末現在)

 

 

 

秋谷の立石。

 


 

岩場の先に行って、

足だけ海に浸かりました!

 

 

 

池みたいなところで、

 

ああ、きもちよかった・・・

 

 

 

なかなかの風光明媚!

 

 

 

車で森戸海岸にも足を延ばしました。

海に浮かぶ鳥居とヨット・・・

(富士山はまったく見えず(^^;)

 

 

 

鳥居の向こうに鳥居・・・

 

おかげさまで、

海と山を、両方満喫できました!

有り難うございます😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回、ご紹介させていただく本は、

田坂広志さんの新書本、

 

教養を磨く

 

 

田坂広志さんの本は、

何十冊も読ませていただいておりますが、

 

志が低くなった時に、

読みたくなるといいますか、

 

私にとって、

人生の羅針盤のような存在です(^^)

 

で、この、

教養を磨く

 

初版が2023年7月なので、

著者の最新刊だと思いますが、

 

サブタイトルに、

「宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで」

とあるように、

 

田坂広志さんの思想の集大成、

いわば、

オールスターのような本であります!

 

氏は、「教養」をこのように定義します。

 

 

真の「教養」とは、

本来、多くの本を読み、

様々な知識を学ぶことではなく、

 

そうした読書と知識を通じて、

「人間としての生き方」

を学び、

実践することである。

 

 

同感です!

 

特に社会人になってからの「教養」とは、

単なる知識を身につけるのではなく、

 

それをいかに、

自分の「生き方」に反映させ、

実践に結び付けるかどうかだと考えます。

 

私が自分の「生き方」に

反映させたいと思った箇所を

紹介していきますね(^^;

 

私たちの悩みの多くは、

「人間関係」の問題ですが、

それを真に解決するために求められるのは、

「人間の心の『エゴ』に処する力」

 

それは2つあるといいます。

 

 

第一は、

「相手のエゴに処する力」

であるが、

 

その力を身につけるためには、

まず、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力を

身につけられなければならない。

 

なぜなら、

人間関係が壊れるのは、

ほとんどの場合

「自分のエゴの視点」

を「正しい基準」

であると思い込み、

 

相手の言動を

「間違っている」

と批判し、非難し、

 

ときに、

嫌悪する状態に

陥ってしまうからである。

 

 

そうですね・・・

 

私たちは、

自分が道徳的に正しい、

明らかに正義だと思う時ほど、

まるで鬼の首をとったかのように、

相手を非難しがちですが、

 

よくよく考えて見ると、

それは片寄った見方であったり、

それこそ、

自分の「エゴ」だったり、

するわけです(^^;

 

 

しかし、もし我々が、

次のような視点で

相手を見つめることが

できるならば、

 

相手の姿は、

全く違って見えてくる。

 

「たとえ、

どのような姿を示していても、

相手には相手の、

必死の思いや叫びがある」

 

「自分を含め、

誰もが未熟さや欠点を抱えており、

その未熟さや欠点で、

内心、悩んでいる」

 

「誰もが、心の中に、

扱いにくいエゴを抱え、

そのエゴに振り回されて、

苦しんでいる」

 

 

「この人も私と同じだ」

という視点ですね。

 

この人も、私と同じで、

未熟なところもあるし、

人に理解してもらいたいと願っているし、

エゴを抱えながら生きている・・・

 

 

それが、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力に他ならず、

 

この視点の転換ができたとき、

不思議なほど、

自分の心が変わり始め、

相手との関係が好転していく。

 

 

もちろん、

法令、コンプライアンスの観点から、

明らかに相手が間違っている時や、

こちらが被害を被っている時などは、

毅然とした態度を示す必要があります。

 

しかし、

実際の行動とは別に、

自分の中に、

「相手も自分と同じく、

エゴを抱えた人間なんだ」

という視点があれば、

 

相手の気持ちを理解することに繋がるし、

その姿勢は、

相手にもきっと伝わるので、

 

人間関係は、

好転しやすくなると思います😊

 

 

「人間の心の『エゴ』に処する力」

の2つめは、

 

「自分のエゴに処する力」です。

 

ただしこれは、

「エゴを捨てる」ことや

「我欲を捨てる」ことではないといます。

 

 

なぜなら、

我々の心の中の

「エゴ」や「我欲」は、

生物としての

「生存本能」

と深く結びついた、

極めて強固なものであり、

 

捨てようと思って

捨てられるほど、

生易しいものでは

ないからである。

 

 

たしかに・・・

 

仮にエゴをすべて捨ててしまったら、

「生きる気力」のようなものも

同時に失ってしまうような気がします(^^;

 

 

それゆえ、

「エゴを捨てよう」

と思って、

エゴを抑圧しても、

 

それは、一時、

心の表面から姿を消すだけで、

必ず、どこかでまた、

鎌首をもたげてくる。

 

 

そうですね。

エゴを捨てたつもりでも、

それは単に抑圧しただけであって、

 

抑圧すると、

今度は無意識の領域から、

悪さをしはじめますから(^^;

 

余計に制御しずらくなってしまう。

 

では、どうすればいいのか?

 

田坂さんはいいます。

 

 

否定も肯定もせず、

ただ、静かに見つめる。

 

 

エゴを、

ただ、静かに見つめる?

 

 

実際、

自身の心の中のエゴが

蠢(うごめ)くとき、

叫ぶとき、

 

それを抑圧するのではなく、

ただ静かに、

 

「ああ、自分の中で、

嫉妬心が動いている」

 

「ああ、心の中で、

怒りが湧き上がっている」

 

と見つめるならば、

不思議なほど、

そのエゴは静まっていく。

 

 

なるほど・・・

 

まずはエゴがうごめいていることに、

「気づいて」

そして、

肯定も否定もせずに、

「静かに見つめる」

ということですね。

 

まずは、

エゴの存在を認めて、

それに「気づく」ところから。

 

瞑想もそうですね。

 

ちなみに、

天外伺朗さんは、

自分を見つめる瞑想法のことを、

「鳥の瞑想」と名付けています。

 

自分の後方右上3メートル付近に

鳥が飛んでると仮定して、

そこから自分を見つめるという手法です。

 

いわゆる「メタ認知」ですね。

私も意識してやっています。

(なかなかうまくいかないことも

多いですが(^^;)

 

 

逆に、

「エゴを捨てよ!」

「我欲を捨てよ!」と、

無理矢理エゴを抑圧すると、

 

しばしば、

「自分はエゴを捨てた人間である」

と思い込み、

 

自分が一段深い境地に

入ったと思い込む、

「エゴの自己欺瞞」や

「エゴの巧妙な罠」に

陥ってしまう。

 

 

どきっ・・・

これはありますね(^^;

 

ある程度歳を重ねて丸くなり、

まるで達観したような、

悟りの境地に入ったと勘違いをする。

 

つまり、

すっかり「いい人」になったと(^^;

 

でも、実際はそんなことはないし、

自分のエゴをオープンに話す人を、

どこか見下すことにもなりかねない。

 

それって、

「エゴ」ですよね(笑)

 

「エゴ」に知らぬ間に乗っ取られている(^^;

 

「エゴ」はなくすことはできないし、

抑えつけても、

今度は無意識の領域から

私たちを脅かすことになるので、

もっと質が悪くなる(^^;

 

ですので、

まずは「エゴ」の存在に気づいて、

それを静かに見つめる。

 

時には言語化してみる。

 

そういう意味でも、

カウンセリングという手法は、

有効なのかなと思います😊

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

晴れた日の週末は、

山歩きすることが多いのですが、

 

梅雨の時期も、

土日いずれかは晴れ(曇り)

の日が多かったので、

 

毎週のように山に行っています(^^;

 

晴耕雨読ならぬ、

晴山雨読(^^;

 

 

 

足柄の21世紀の森から、

矢倉岳へ!

 

 

 

山頂着きました!

 

富士山の絶景がまっているはずが・・・

 

 

 

うう、まったく見えず😢

 

 

 

反対側の小田原方面は

晴れているのに・・・

 

 

 

下山、

木漏れ日きれい・・・

 

帰りの21世紀の森で、

きゅうり、なす、いんげん、

袋パンパンに入って、

それぞれ100円で販売していました😲

 

有り難うございました(^^)

美味しかったです!

 

 

 

近くの河村城跡にも立ち寄り。

 

 

 

遠藤周作さんの影響もあり、

山城、好きになりました(^^)

 

 

 

美しい風景!

 

ちと暑かったけど、癒された一日でした😊