ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
皆さま、GWはいかがでしたか。
私は、大阪・関西万博に行ったり、
山歩きに行ったり、
おかげさまで楽しませていただきました(^^)
明日から仕事なので、
今、ちょっぴりブルーな気分ですが(^^;
・・・で、
だいぶ期間が空いてしまいましたが、
精神科医・泉谷閑示さんの新書、

を紹介・解説しています。
今回で5回目、最終回です。
「小径を行く」
という講から、引用します。
必ずどんな人にも、
その人なりの敏感な
アンテナというものが
どこかにありますが、
その敏感さゆえに、
もろくなってしまったり、
弱くなってしまったり
していることがよくあります。
本人自身がそのアンテナを
「みんなと違う感覚だから
良くないものだ」
と思ってしまうと、
それをひた隠しにして、
使わないようにしてしまいます。
使わないから、
磨きがかからない。
しかし、
そのアンテナが
無くなることはありませんから、
結果として、
中途半端に敏感で
細い状態になり、
その人自体が
弱くなっていって
しまいます。
そうですね。
このアンテナとは、
この本を紹介した最初の記事
の「角」と同じ意味ですね。
茨木のり子さんの詩の一部(汲む)が
紹介されています。
(大好きな詩です!)
大人になっても
どぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶
醜く赤くなる
失語症
なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ
傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような
感受性
それらを鍛える必要は
少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇
柔らかく
外にむかってひらかれるの
こそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが
隠されている
きっと・・・
何だか勇気づけられますね(^^)
「すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている」
ほんとそう思います。
私事になりますが、
若い頃は、
人が人前で話す時に、
「今、緊張しています」
とか、
「うまく話せるか自信がない」
と言うのを聞くと、
「言い訳するな!」
「何、甘ったれたこと言ってるんだ!」
と反発心を感じることが多く、
自分ではそういう弱音は
決して吐かない人だったのですが、
近年は、
「ちょっと緊張してます」
と素直に自己開示できるように
なりました。
そのほうがリラックスして
自然体で話せますので(^^;
少しは自分の弱さを
受容できるようになったかな(^^)
・・・横道にそれました💦
「小径」の話に戻ります。
マジョリティの大通りは、
不自然で窮屈な道です。
人間はそれぞれに
ユニークな存在なのですから、
本来一万人いたら
一万通りの道なき道が
あるはずです。
にもかかわらず、
大勢の人が通る
大通りというものが
あること自体、
とても不自然なことです。
たしかに・・・
大通り、すなわち、
皆と同じ道を歩むというのは、
本来、無理があるのかもしれません。
大通りを歩くということは、
いろいろなことを諦めたり、
感じないように麻痺していたり、
すなわち、
去勢された状態で
歩いているということです。
そうでもなければ、
苦痛で歩けたものでは
ありません。
感じないように麻痺する・・・
「抑圧」というやつですね。
しかし、
それでもなぜ多くの人間が
そこを歩きたがるのか。
どんな人だって、
本当は自由でありたいはずなのに。
この不思議な現象について、
『愛するということ』
の著者エーリッヒ・フロムは
『自由からの逃走』
という本一冊をかけて、
詳しく論じてくれています。
「自由からの逃走」
まだ私は通して読んだことはないのですが、
エッセンスが紹介されています。
自由というものは、
何の指針もなければ、
その小径が正しいのかと
問われても
答えようがないもので、
自分の判断以外に
あてに出来るものはない。
マニュアルもなければ
他人との比較も出来ないし
前例すらない。
これが自由ということの
大変さなのです。
そして多くの人は、
このリスクが怖くてしょうがない。
それに比べて、
大通りは不自由だけれど安全。
これが、
人々を大通りに
強くひきつけている
最大の理由である
ということなのです。
「自由」という小径を行くには、
道なき道を、
自分で選んで、自分で決めなければならない。
そのリスクが怖いし、面倒だから、
つい、自分を殺して、
皆と同じ大通りを歩んでしまう・・・
・・・現実論として、
それは、ありますね。
正直、私自身にも(^^;
ドストエフスキー
「カラマーゾフの兄弟」
の「大審問官」の章にも描かれている
テーマですね。
(この大著もいつか解説に
チャレンジします(^^;)
「誰か決めてくれ!」
それがいきすぎると、
やがては、独裁者を生み、
全体主義、ファシズムへの道に
突き進むことになるのは、
歴史が物語っているとおりですが・・・
大通りの人たちは、
必ず徒党を組みます。
彼らは、
内に不自然さ、窮屈さを
無意識に抱えているので、
どうにかしてそれを
打ち消しておく必要がある。
そうでなければ、
自分たちの大通りが
間違った道であるということが
バレてしまう。
打ち消すには、
井戸端会議的に徒党を組むのが
一番手っとり早い。
「ね、そうよね。
私たち正しいわよね。
あの人はちょっと変よね」
というようなことを言って、
大通りを外れた人の
ゴシップをネタに、
自分たちを正当化して
安心するわけです。
なるほど・・・
自分が抑圧しているものを、
他人に投影して、
自分を正当化するという
メカニズムでしょうか。
巷にあふれる
ワイドショーや
ゴシップ週刊誌は、
そういう人たちの
根強いニーズがあるからこそ
成り立っているわけです。
大通りの人にとっては、
「人の不幸は蜜の味」
なのです。
自分が幸せな場合には、
そんなものを見たいとも
思わないでしょうし、
むしろあさましく思えて
不愉快なものですが、
大通りを行く人が
たくさんいる限りは、
こういうものも
無くならないのでしょう。
そうですね・・・
自分が大通りを
ガマンして歩いているからこそ、
そこから外れる人のことを
許せないという心理。
私は、ワイドショー的なことには、
あまり関心がないのですが、
しかし、このような心理が、
自分の中にまったくないとはいえません(^^;
エゴを抱える人間ですから、
完全になくすことはできませんが、
(と自己弁護していますが)
やはり、幸せな人、
自分らしく生きているほど、
「人の不幸は蜜の味」
というのは、
感じにくいのだと思います。
茨木のり子さんの詩にあるように、
まずは、自分の中の、
「震える弱いアンテナ」を大切にすること。
「心の声」に耳を澄ますこと。
そして、
時には、その声に従って、
大通りから小径に外れてみること。
それが、
自分以外の他者を理解、尊重することにも
繋がるのではないか・・・
そんなことを思いました😊
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以上、
かなり期間が空いてしまいましたが(^^;
5回にわたって、
精神科医・泉谷閑示さんの新書、

から、私の印象に残った箇所を、
紹介させていただきました。
精神医学、心理学の知見から、
内容濃く、されど分かりやすく、
語られている新書です。
「自分らしく生きる」
ために勇気を与えてくれる本。
おすすめします!
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回からは、別の本を紹介します(^^;
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おまけ写真集(^^;
GW前半、
カミさんと万博行きました!
あいにくの空模様、でも、
かなり混んでいました(^^;
オーストリア館。
コロンビア館、ポルトガル館。
サウジアラビア館。
西陣織の飯田パビリオン。
未来の都市館。
夜の水上ショー。
何回もチャレンジしたら、
夜の当日予約で
奇跡的にガンダム館取れました😲
おもろかった!
閉館まぎわ、
PASONA館も駆け込みで!
IPS心臓!
映像美しかったです。
人気パビリオンは、
夜が狙い目でした!
(少し並べば入れるところが増えます)
欲張って、
朝から閉場まで11時間もいましたので、
ヘロヘロになりましたが💦
往路、三重県鈴鹿市の椿大神社に寄り道。
(つばきおおかみのやしろ、と読むそうです)
渋くて立派な神社でした!
復路は、京都の醍醐寺に寄り道。
大きなお寺でした!
(霊宝館では仏像もたっぷり観れます)
車で行ったので、くたびれましたが(^^;
寄り道もできて、
いい思い出になりました😊


















































































