ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

精神科医・泉谷閑示さんの新書、

 

「普通がいい」という病

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を

紹介、解説しております(^^)

 

今回は、

ニーチェの「三様の変化」、

駱駝・獅子・小児の比喩の箇所を

紹介させていただきます。

 

駱駝・獅子・小児の比喩は、

よく他の本でも紹介されていますが、

 

本書では、

精神の成熟過程を理解するうえで、

とても説得力を持って語られています。

 

 

このプロセス

(精神の成熟過程)には

三つの段階があって、

最初、人間は駱駝(らくだ)

として描かれています。

 

駱駝は、

従順さ、忍耐、努力、

勤勉さ等の象徴です。

 

「遠慮なく重いものを

積んで下さい。

もっと重いものは

ありませんか?」

 

と望むような存在です。

 

駱駝は元来、

龍の存在によって

駱駝にさせられたのでした。

 

この龍は

「汝なすべし」

という名前の龍で、

 

「私は絶対者なのだから、

私の言うことを聞いていれば

いいのです」と言う。

 

つまり、

龍以外の主体性を認めず、

ただ龍に従順に従えと

命ずるのです。

 

従っている限りは、

あなたを守ってあげましょう

ということです。

 

 

「龍」とは、

社会通念、道徳だったり、

 

心理学の精神分析でいえば、

「超自我」

のことだと考えます。

 

「駱駝」とは、

いわゆる社会人、

大人になるということですね。

 

本書でも出てきますが、

夏目漱石でいえば「他者本位」。

 

 

この駱駝が、

ある時自分が窮屈であることに

気付きます。

 

そして、駱駝は

獅子に変身し、

この龍を一気に倒してしまう。

 

そして獅子は

自由を獲得します。

 

つまり、

自分の場所や主体性を

獲得したのです。

 

この獅子の言葉は、

「われは欲す」です。

 

ここで「われ」

すなわち一人称の自分が

誕生したわけです。

 

この獅子は「怒り」

の化身です。

 

去勢されていたような駱駝が、

自分の不当な扱われ方に

疑問を感じ、

「怒り」の爆発とともに

獅子に変身し龍を倒したのです。

 

 

「獅子」になって「龍」を倒す!

というと

いかにも激しい感じがしますが、

 

「龍」はかなりの強敵ですので(^^;

私の感じだと、

やっつけるというよりも、

「龍」から精神の独立を勝ち取る

イメージでしょうか。

 

「自分らしさ」に目覚めて、

それを受け入れる。

 

簡単なことではありませんが、

「中年の危機」を乗り越えることも、

これにあたるかもしれません。

 

夏目漱石のいう

「自己本位」というやつですね。

 

 

このようにして

「われ」を獲得した獅子は、

そこで終わるのではなく、

つぎに小児に変身します。

 

この小児の言葉は、

「然り」です。

 

「然り」とは

「その通り」という意味で、

別の言い方をすれば、

「すべてはあるがままに」

ということです。

 

小児は、

創造的な遊びに没頭します。

 

これはとても

重要な点です。

 

自由を獲得するために

一度獅子になるが、

そのあと獅子の

「われ」は消えて

「あるがまま」の小児になり、

純真無垢で無心に

創造的な遊びに没頭していく。

 

これが、

人間の究極の姿

なのだということです。

 

 

「小児」になるというと、

「好々爺」のイメージが湧いてきますが、

 

この場合の「小児」は、

「駱駝」や「獅子」を経ての

「小児」といういうことが

ポイントですね。

 

 

これはただの小児ではなく

獅子を通ってきた小児です。

 

ですから、

純粋・繊細であると同時に

ゆるぎない自分を備えた

強さがあります。

 

ガラス細工のような脆さとは、

もはや無縁です。

 

 

本書では、

「敏感で太い自分」

という表現がされています。

 

普通は

鈍感で太いか、

繊細で細いか、

どちらかになりがちですが、

 

「駱駝」や「獅子」

を経た「小児」は、

 

「敏感で太く」

なれるということですね。

 

で、著者いわく、

このニーチェの

「三様の変化」は、

東洋思想の「十牛図」と

同じことを言っているといいます。

 

「十牛図」

簡単に紹介しますと、

(図解できないのが歯がゆいですが(^^;)

 

 

第一図、

若者は

牛はどこにいるだろうと

探している。

 

第二図、

若者は牛の足跡を見つける。

 

第三図、

やっと牛を見つけた。

 

第四図、

牛を捕まえる。

 

第五図、

牛がおとなしく

手綱でつながれ、

ひかれています。

 

第六図、

牛の背に乗って、

笛を吹きながら

楽しそうに家に帰る。

 

第七図、

牛は画面から消え、

人は月を拝んでいる。

 

第八図、

人も牛も共に忘れる。

つまり、どちらも

画面から消えている。

 

これがよく言われる

「円相」です。

そこには全く何もない、

空です。

 

第九図、

川が流れ、

木に花が咲いています。

ただそれだけです。

 

第十図、

布袋さんみたいな

立派なお腹の老人が

徳利をぶら下げて、

ニコニコとふもとの里に

現れる。

(これが昔の若者だと

考えても考えなくてもよい)。

 

ふもとに下りて来て、

若者と出会う。

若者はそこで

深い影響を受けます。

 

 

この一図から十図までを、

ぐるっと円にならべたものが、

「十牛図」です。

 

この「牛」とは、

「本当の自分」

のことを指しますが、

 

興味深いのは、

せっかく牛を捕まえて、

楽しそうに家に帰るのに、

 

なんと、その後に、

自分も牛も消えてしまうんですね😲

 

これは、

「本当の自分」を受け入れたことで、

「自我」が消えたということでしょうか。

 

あるがまま、

自然の境地。

 

しかし、

山奥で仙人になるわけではなく、

 

いわば小児のような自然体で、

里に下りて若者の前に現れる。

 

そして、若者は、

牛を探しに・・・

 

・・・こんなふうに、

「十牛図」は、

無限のループ(螺旋)になっているんですね。

 

本書では、

人間の精神の成熟過程は、

「螺旋の旅路」だと述べられていますが、

私も同感です。

 

ぐるっと360度回って、

振り出しに戻ると、

「結局成長しなかったのか・・・」

と思ってしまいがちですが、

 

実は、螺旋階段のように、

一段上のレベルに進化している。

 

もっとも、

螺旋階段を登るには、

「駱駝」から「獅子」への

苦しい葛藤の時期があるのですが、

それは決して無駄なことではない。

 

それを乗り超えれば、

最終的には

「小児」のような心境になれる(かも)。

 

そのような境地に達することは、

なかなか難しそうですが(^^;

 

「敏感で太い自分」

 

目指していきたいです😊

 

 

 

**********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます!

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^)

 

新しいトレッキングシューズを買ったせいか、

毎週のように山歩きに行っています(^^;

 

一週間ほど前ですが、

今回は札掛方面から塔ノ岳へ!

 

 

 

 

ここもミツマタ咲いてました!

 

 

 

モリモリしててカワイイです(^^)

 

 

 

ええっ、

上級者向けということで、

少しビビりましたが(^^;

 

よく整備されていて、

そんなに危険な感じはありませんでした。

(整備して下さる人に感謝です😊)

 

 

 

沢を渡ります・・・

 

 

 

なかなかアドベンチャーで

おもしろいコースでした(^^)

 

ひたすら登ると・・・

 

 

 

塔の岳着きました!

 

 

 

が、上のほうは曇ってました・・・

富士山見えず😢

 

 

 

丹沢山方面は、完全にガスの中・・・

 

 

 

大山は見えました!

 

 

 

帰路、上のほうはまだ

雪が少し残ってました。

 

サクサクして気持ちいい歩み・・・

 

 

 

ヒノキ林、

何だか絵画のようですね。

 

 

 

下山後、相模国三ノ宮の、

比々多神社へ。

 

 

 

ご神木。

 

 

 

鈴緒が5本掛かっています。

高さのある独特な拝殿がかっこいいです!

 

 

 

これは今日のウチの庭。

コデマリがもりもり咲いてきました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

花冷えの日が続いておりますが、

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

前回から、

精神科医・泉谷閑示さんの新書、

 

「普通がいい」という病

 

 

を紹介、解説しております。

 

この本はタイトルで、

「普通がいい」

ということは「病」である。

といっています。

 

ええっ「病」?

 

私自身は、

変に背伸びをせずに、

等身大の自分を受け容れる

という意味での

「普通がいい」

というのは、むしろ、

望ましいことだと思うのですが、

 

著者は、

「普通がいい」

というのは一種の「病」であるという。

 

 

「普通」という言葉には、

平凡で皆と同じが

良いことなんだとか、

「普通」に生きることが

幸せに違いない、

という偏った価値観が

べったりとくっついています。

 

つまり、

「普通」になれば

「普通」に幸せになれると

思い込んでいるわけです。

 

しかし、

幸せというものには、

「普通」はない。

 

なぜなら、

「普通」ではないのが、

幸せの本質だからです。

 

 

「普通」でないのが、

幸せの本質?

 

どういうことでしょうか?

 

 

ある親御さんが、

 

「私は、息子に

普通の子になって欲しかった。

 

ある時、息子は

『普通って何!』

と言った。

 

私は、何でもいいから普通に、

みんなと足並みを

揃えて欲しいって思って

育ててきた。

 

普通じゃないと

他人に説明できないから、

ただ分かりやすい人に

なって欲しいという

気持ちだった」

 

と、話されたことが

ありましたが、

 

きっと親御さん自身にも

「私は普通に

なれなかったために、

色々とうまくいかなかったのだ」

という後悔があって、

 

「子どもにだけは

そんな思いをさせたくない」

となったのでしょう。

 

 

なるほど・・・

 

「普通とはみんなと

足並みを揃えること」

そして、

「自分がみんなと足並みを

揃えられなかったから

うまくいかなかったのではないか?」

という後悔。

 

つまり一種の「怖れ」から、

子どもに「普通であること」

を求めてしまうということですね。

 

 

しかし、どんな人も、

決して最初から

「普通」を求めていたはずは

ありません。

 

この親御さんの場合は、

ご自身が幼い頃から

周囲の視線や言葉によって

傷ついてきた歴史があって、

 

「普通でないことは

こんなにもまずいことなのかと

考えるようになった。

 

それで、どこか

窮屈さを感じながらも、

「普通」におびえ、

「普通」に憧れ、

「普通」を演じるようになった。

 

そして、わが子も

そうやって生きるべきだと

考えるようになったのです。

 

こうやって人は、

「普通」を信奉する価値観を、

代々継承していこうとします。

 

 

う~ん・・・

 

「普通」つまり、

「みんなと同じ」でないと、

 

周囲の視線や言葉によって

傷つけられた経験があるから、

窮屈さを感じながらも、

「普通」を演じるようになる。

 

これは、

現実にありますよね。

 

もし、普通でない、

つまり、「自分らしく」あり続けても、

それが受け入れられるのであれば、

もちろんそれでいきたいのだけれど、

 

それだと、

なかなか実際にうまくいかないから、

(うまくいかないと感じてしまうから)

結局、「普通」を

信奉するようになってしまう。

 

特に日本の社会は、

その傾向があるのではないかと

感じます。

(近年少しずつ

変わってきているとは思いますが)

 

こんなふうにも、

述べられています。

 

 

親自身の人生で

果たせなかった願望が、

 

「あなたのために~しなさい」

という形で

子どもに押し付けられます。

 

親の欲望による、

子どもへのコントロールです。

 

しかし親は、

自分ではそれが

子どもへの愛情だと

思い込んでいます。

 

まだ十分に

判断力の育っていない子どもは、

たとえそれを窮屈に

感じたとしても

「あなたのためよ」

と親に言われれば、

 

きっと意味のあることなのだろう

と思い、嫌がる心を無視して

これを受け取ります。

 

子どもの内部にこのようにして

「頭」による

自己コントロール体制が

作られます。

 

子どもは、

この自己コントロールに従って

行動すればするほど

 

親から良い評価が得られるために、

ますます言われた通りの

行動をするように

条件付けされます。

 

 

「あなたのために」

というのは

実は親の願望、

つまりエゴなのですが、

親はなかなかそれを自覚できない。

 

それどころか、

それを本気で愛情だと

思い込んでいる。

 

子どもは、

「あなたのために」

と言われれば、

たとえ、それに違和感を感じても、

反発できないわけですね。

 

子どもは誰よりも、

親を愛しています。

 

だから、

何とか期待に応えようとしますが、

 

しかし、

それにも限界があって、

 

限界を超えると、

様々な問題が生じてくる・・・

 

 

・・・以上のことから

考察してみると、

 

人は、決して好き好んで、

「普通」を目指すのではなく、

 

本当ならもっと「自分らしく」

ありたいけれど、

親や周囲の目、社会通念が

それを許さないと感じてしまうので、

 

同調圧力、

いってみれば「怖れ」から、

「みんなと同じ、普通がいい」

という価値観になってしまう

ということでしょうか。

 

これは、

私たちが生きている現代社会において、

ある程度はやむを得ないのではないかと

思います。

 

もちろん、

「自分らしさ」がもっと許される

社会になったほうがいいし、

現に少しずつそうなってきているという

実感もありますが、

 

しかし、

集団生活を営んでいる社会では、

同調圧力から完全に逃れることはできない。

 

では、どうすればいいのか?

 

この本にも書かれているのですが、

人生の後半に、

そのカギはあるのだと考えます。

 

ニーチェの「三様の変化」、

駱駝・獅子・小児の比喩や、

禅の「十牛図」が

紹介されているのですが・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

*********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

恒例の低山歩き!

 

 

少し前になりますが、

最明寺史跡公園から高松山へ

 

 

 

安全祈願をして・・・

 

 

 

富士山見えました!

 

 

 

途中、ミツマタ!

 

 

 

下から見ると、

黄色っぽいです。

 

 

 

着きました!

 

 

空気は、もやっとしていましたが、

富士山ばっちり🗻

 

 

 

また、ミツマタ!

 

 

 

アップで見ると、

こんな、なっています。

 

 

 

はなじょろ道から下山しました。

(これは下山後の入り口)

 

その昔、花嫁さんが通った道。

ええっ、こんな険しい山道を!

 

 

 

 

ここからは、別日、

愛川町、仏果山周辺巡り。

 

 

 

高取山山頂から、

 

丹沢方面の上の方は、

雲で隠れていました・・・

 

 

 

仏果山山頂、着きました!

 

 

 

関東平野、

ああ開放感・・・

 

 

 

スリル満点の痩せ尾根越えて、

ダウン、アップ・・・

 

 

 

弘法大師伝説の、

巨大な経石越えると・・・

 

 

 

経ヶ岳!

 

 

 

気持ちいい尾根道。

 

 

 

下山後、勝楽寺。

 

 

 

中津川沿い、桜並木きれいでした!

 

 

 

菜の花。

 

 

 

春を感じますね・・・

 

 

 

有り難うございました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

精神科医・泉谷閑示さんの新書、

 

「普通がいい」という病

 

 

を、紹介・解説します。

 

この本、山口周さんのVoicyで

おすすめされていた本なのですが、

 

いやあ~、

久しぶりに読み応えのある、

本格的な人文系の新書に

巡り会えた気がします(^^)

 

著者の泉谷先生は、

精神科医だけあって、

しっかりとした

精神療法の知見の裏付けがあり、

 

また、様々な文学や詩、

思想書からの引用が、

説得力を増しており、

その解説も分かりやすいです。

 

さらに、特筆すべきは、

要所要所の「図解」によって、

とてもイメージがしやすくなり、

「ああ、こういうことか!」

と腑に落ちてきます(^^)

 

図解が紹介できないのは、

歯がゆいのですが・・・(^^;

 

「はじめに」

に、こう書かれています。

 

 

私たちはみんな、

ほかの人とは違う

「角」(つの)を持って

生まれてきました。

 

「角」とは、

自分が自分であることの

シンボルであり、

 

自分が生まれ持った宝、

つまり生来の資質のことです。

 

 

そうですね。

私たちには皆、

生まれ持った資質、

特性というものがあります。

 

 

この「角」は、

何しろひときわ目立ちますから、

他人は真っ先にその

「角」のことを

話題にしてきます。

 

動物としての

習性からでしょうか、

集団の中で

「角」のために

つつかれたり

冷やかされたりして、

 

周囲からの格好の餌食に

されてしまうことがあります。

 

そんなことが

繰り返されますと、

いつの間にか

「この『角』があるから

生きづらいんだ」

と思うような人も

でてきます。

 

 

特に子供の頃は、

よくありありがちですね。

 

これがエスカレートすると、

いじめに繋がったりもする・・・

 

 

自分が自分らしくあること、

その大切な中心である「角」、

 

それを自分自身で憎み、

邪魔にして隠しながら

生きるようになってしまうと、

 

生きること自体が

色あせ始め、

無意味なものに

感じられるようになってきます。

 

生きるエネルギーは枯渇し、

すべてが立ち行かなく

なってしまいます。

 

 

そうですね・・・

 

自分らしさを憎み、

隠しながら生きるようになると、

 

人生に意味が感じられなくなる・・・

 

 

(中略)

私たちの身近に、

目に見えぬ「角」の切除が

はびこっているように思います。

 

人間社会の至るところで

多数派の信奉する

価値観によって、

私たちは知らず知らずのうちに

一種の洗脳を施され、

 

「自分で感じ、自分で考える」

ということから

遠ざけられてしまっています。

 

 

「多数派」「多数決」

で決めるというのは

最も民主的であると、

一般的には考えられていますが、

 

そうでもないと

私は最近、思うようになりました。

 

それでごり押しするのは、

一種の暴力ではないかと

思うこともあります。

 

 

たとえば、

「あるがまま」

の人間は邪悪なもので、

 

「あるべき」姿に向けて

しっかりコントロール

すべきなのだといった

考え方などは、

 

そうしてすり込まれた

価値観の代表格です。

 

こういうことが、

今日の「角」の切除を

引き起こしている根本に

あります。

 

 

「あるべき姿に向けて、

人をコントロールすべきだ」

 

という考え方は、

たしかに、

今の世界にはびこっていますね。

 

ある意味、

ビジネスの世界、

組織の力学の中にも、

そういう面が

根底にあるような気がします。

 

 

「角」の切除を

施された人たちは、

 

初めに感じていたはずの

窮屈さも忘れ、

「普通」であることを

みずから望むようになり、

 

周囲の人間や子どもたちにも

同じ価値観を求めはじめます。

 

「『角』の切除をして

普通になることが

大人になることなのだ」

 

という洗脳が、

こうして拡大していきます。

 

 

「普通であること」

 

私は、スーパーマンではない

等身大の自分を受け容れる

という意味での

「普通であること」

は大切だと思います。

 

万能感に囚われることなく、

謙虚になり、

感謝の気持ちを忘れない

という意味での

「普通であること」

は望ましいと思います。

 

しかし、

周囲から浮いてしまうのではないか、

という恐れから、

自分らしさを捨てて、

 

多数派でいよう、

長いものにうまく巻かれろ

という意味での

「普通であること」は、

 

やはり、

生きる意味の喪失に

つながるような気がします。

 

 

今、私たちが

取り組まなければならないのは、

 

人間という生き物の

根本的な特性を深く理解し、

 

その上で

「自分で感じ、自分で考える」

という基本に支えられた生き方を

回復することです。

 

そのためには、

外から仕入れた公式に

ただ数値を入力するような

考え方を捨てて、

 

今まで疑うことなく信じていた

さまざまな常識や知識を、

一度ていねいに

洗い直してみる作業が必要です。

 

 

・・・同感です。

 

今の世の中で信じられている、

常識や知識といったもの、

 

一度ていねいに

洗い直してみる価値はありそうです。

 

 

この本は、

カウンセラーや医療職を

目指す人達に向けた

講座や講義でお話しした内容を

ベースにしていますから、

 

治療にまつわる話や

病気についての話も

たくさんありますが、

 

決して専門家に向けて

書いたわけではありません。

 

心の問題について

本気で新しい手ががりを

探している人であるならば、

 

治療者であれ、

患者さんであれ、

あらゆる立場の方に

何らかのヒントがあるのでは

ないかと思います。

 

また、

クリエイティブな仕事を

されている方たちにも

結構役立ちそうな、

 

様々な表現者の言葉も

ちりばめられています。

 

 

はい、この本は、

「心の学び」に関心のあるすべての方に、

とても有益だと思います。

 

ドストエフスキーや夏目漱石、

中原中也、茨木のり子といった

文学者、詩人の言葉、

 

ニーチェやフーコー、

デカルト、フロムといった

哲学者や思想家の言葉、

 

空海、親鸞、ユングの思想も

効果的に引用されており、

知的好奇心も満たされます!

 

 

・・・と

前置きが長くなりましたが(^^;

 

次回以降、

私の印象に残った箇所を、具体的に、

紹介・解説させていただきますね😊

 

 

 

*********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました!

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

割と近所にある、

新羽の西方寺。

 

 

 

茅葺屋根が美しい、

素朴な本堂です(^^)

 

 

 

桜が咲いていました🌸

(河津桜かな?)

 

 

 

春ですね🌸

 

 

 

 

こちらは等々力不動尊。

 

 

 

花まつり

(4月8日お釈迦様の誕生日)

に向けて。

 

 

かえる?のお地蔵様🐸

 

 

 

不動尊って、だいたい

きれいな湧き水が湧いていることが

多いですね!

 

(残念ながらこの先の都会のオアシス、

等々力渓谷は通行止めでした)

 

 

 

やった大吉!

 

皆様にも幸運が訪れますように😊

 


 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

花粉症の方にはつらい季節ですね💦

 

私は幸いにも重症ではないのですが、

この時期は、

マスクをしないとくしゃみ連発!

鼻水が垂れてきますし、

何だか、気だるい感じがします(^^;

 

独立研究者、

山口周さんの最新刊、

 

人生の経営戦略

 

 

を紹介・解説してきました。

 

今回で6回目、最終回です(^^;

 

今回紹介する知見は、

「サーバントリーダーシップ」

です!

 

「サーバントリーダーシップ」

とは、

米国の研究者グリーンリーフ

によって提唱された概念で、

 

端的に言えば、

「支配する」のではなく、

「支援する」「支える」

リーダーシップのことです。

 

 

(グリーンリーフは)

それまで米国で優勢だった

「支配型リーダーシップ」

が有効に機能しない時代が

やってくことを指摘し、

 

権力に頼らない

「支援的なリーダーシップ」

として

サーバントリーダーシップ

という概念を提唱しました。

 

 

「支配」ではなく「支援」。

 

本書では、人生の「秋」、

すなわち中年期以降のリーダーシップは、

「支援型」を目指すことを

推奨しているのですが、

 

ではなぜ、

「支配型」ではまずいのでしょうか。

 

「賞賛依存症」「達成依存症」

つまり、

「支配型リーダーシップ」は、

一種の「依存症」だというのです。

 

 

この依存症に

かかっている人は、

 

支配的リーダーシップによって

影響力を発揮し、

 

チームを力強く引っ張って

目標を達成することで

 

「お金」や「権力」や

「快楽」や「賞賛」

といったものを手にして

興奮することに

病みつきになっており、

 

何度も繰り返して

これらを求めようとします。

 

 

たしかに、

「賞賛」や「快楽」は、

くせになりそうです・・・

 

 

しかし、

この追求は報われません。

 

なぜなら依存症の常として、

これらの「賞賛」や「快楽」

によってもたらされた高揚感は

数日~数週間もすれば

消えてしまい、

 

ドーパミンに飢えた脳は

さらなる「賞賛」や「快楽」

を欲して

人を駆り立てるからです。

 

まさに無間地獄です。

 

 

これは、ギャンブル依存症と、

構造的には同じかもしれませんね。

 

 

そして、

この無間地獄を

「もっと、もっと」

と追求し続けているうちに、

 

人生のバランス・スコア・

カードは崩れ、

 

自分の人生にとって

本当に大事なものが蔑ろにされ、

 

個人のウェルビーイングは

破壊されることになります。

 

 

落とし穴ですね・・・

 

 

そして、

挙げ句の果てにやってくるのが

「第一線を退く」

というタイミングです。

 

有能さを遺憾なく発揮し、

組織を率いて、

卓越した業績を達成し、

組織や社会から賞賛されることに

病みつきになっている人が、

 

自分の能力が低下し、

人々から頼られなくなり、

社会から忘れられる、

 

ということを

受け入れなければ、

ならなくなるのです。

 

 

これを受け入れられない人が、

権力にしがみつくと、

「老害」

といわれるようになりますが(^^;

 

やっぱり、どんなに優秀な人でも、

長い間、権力の座に座り続けると、

多くの人は、万能感にとらわれて、

それに執着してしまう、

 

そして、晩節を汚すことになる。

 

古今東西、

身近なところから、

歴史上の人物まで、

 

悲しいかな、

それが人間というものの

現実だと思います。

 

だからこそ、

中年以降は、

「支配型」のリーダーに

執着するのではなく、

 

それを手放して、

「支援型」のサーバント・リーダーを

目指すべきなのですが、

 

人間の「知能」には、

「流動性知能」と「結晶性知能」

があるといいます。

 

 

流動性知能とは、

「過去の経験や学習に依存せず、

論理的に考えたり、

パターンを見つけたりする

知的能力」のことで、

 

例えば、

「複雑なパズルを解く」

「未経験の問題に対処する」

「スピードを要する案件に対して

論理的に判断する」

際に有効です。

 

(中略)

 

「流動性知能は」

20歳前後にピークに達し、

40代以降は

急激に低下することが

分かっています。

 

 

うわっ、

40代以降は急激に低下するのか・・・

 

たしかに、

近年、頭の回転が鈍くなってきた

自覚ありありですが(^^;

 

では、

結晶性知能は?

 

 

結晶性知能とは

「過去の経験や学習によって

蓄積された知識やスキルを

活用する知的能力」のことで、

 

例えば、

「複雑なアイデアをわかりやすく

説明する」

「混乱した状態で

適切な意思決定を行う」

「専門分野で熟達した判断を行う」

際に有効です。

 

結晶性知能は

経験や幅広い分野の

蓄積に依存するため、

 

年を追うごとに向上し、

50~60代にピークを迎え、

その後も高原状態を維持します。

 

 

おおっ、

「結晶性知能」は、

今がピークで、

これからもそんなに落ちないのか!

 

 

「高齢になっても

知的パフォーマンスが

低下しない人」は、

 

人生の後半になって

結晶性知能を発揮しているのです。

 


なるほど・・・

 

人生の後半は

「流動性知能」にこだわることなく、

「結晶性知能」で勝負したほうが

いいということですね!

 

ちなみに、

「結晶性知能」

が発揮されやすい職業のひとつは、

「歴史家」なのですが、

もうひとつは・・・

 

 

結晶性知能と

とても相性の良い職業が

カウンセラー

(医師・弁護士・コンサルタント

といった専門職を含む)

や教師などの

「支援者」です。

 

これらも、

歴史家と同様に

「大量の知識と洞察を蓄え、

それを人生経験と

統合する必要がある」ため、

 

やはり

結晶性知能に依存する度合いが

高いのです。

 

つまり

「年長者でありながらも支援者」

というサーバントリーダーシップの

スタイルは、

 

50~60代の

「人生の秋」のステージから

高まってくる結晶性知能と、

非常にフィットするのです。

 

 

出ました、

カウンセラー(^^)

 

カウンセラーに限らず、

「支援者」

すなわち、

「サーバントリーダー」は、

 

様々な人生経験を重ねてきた

年長者の適性としても

合致するんです!

 

 

サーバントリーダーシップが

訴えているのは

「能力の低下する、

つらくて苦しい人生後半期は

端っこで支援者として

過ごしましょう」

などという

消極的なものではありません。

 

むしろ逆で、

他者を支援し、

その成功を手助けすることで、

 

金銭や名誉とった

虚しいものでは

得ることのできなかった

大きな喜びが

 

人生の後半期に

得られるということ・・・

 

フランク・シナトラの

墓標銘の言葉を借りれば

 

「お楽しみは、これからさ」

ということなのです。

 

 

そうですね・・・

 

職場のリーダーや管理職に限らず、

どんな立場の人でも、

もちろん仕事以外でも、

 

「支援者」「支える人」として、

今までの人生経験を踏まえた

何らかの貢献は

できるのではないかと思います。


「お楽しみは、これからさ」

 

人生の後半期、楽しみです😊

 

 

 

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以上、

独立研究者、山口周さんの最新刊、

 

人生の経営戦略

 

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を、

6回にわたって、

紹介・解説してきました。

 

「経営学の知見を人生に生かす」

 

取り上げた箇所は一部ですが、

他にも、自分の人生を

「経営」していくための知恵が満載です。

 

巻末には、

「経営学独習ブックガイド」

も付いていますよ(^^)

 

人生という名のプロジェクト、

苦楽しみながら、

自分らしく歩んでいきたいものですね😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です。

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

ニャンモナイト。

 

 

 

おおっ、マトリックス!

 

 

 

球体か・・・

 

何故か、

透明のビニール袋を

カミカミするのが好きな、

宮音くんでした😸

 

 

 

 

田坂広志先生の講演会の帰り、

皇居ちら見。

 

インバウンドで賑わってました!

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)


独立研究者、

山口周さんの最新刊、

 

人生の経営戦略

 

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で5回目になります(^^;

 

今回は、

「発達指向型組織」

の章から、

 

「みっともない」ことを

しているか?

 

です(^^;

 

 

今、これを読んでいる

皆さんが、

ここ一年を振り返って、

大きな不安やストレスもなく、

スムーズに

周囲の期待する結果を

出せていたのだとすれば、

 

それはそれで

まことに喜ばしいことでは

あるのですが、

 

学習や成長といった

観点からすると

「天井にぶつかってしまっている」

という状態だと言えます。

 

このような状態が長く続くと、

先述した

『山椒魚』のような状態に

なってしまう可能性があります。

 

 

たしかに、

大きな不安やストレスがないことは、

有り難いことですし、

何より感謝すべきことのように

思われますが、

 

しかし、

学習や成長という観点から見ると、

停滞しているといえる・・・

 

 

この停滞が

発生しがちなのが、

特に40代の

「人生の夏の後半」

からです。

 

この年代になると、

それなりに実績も

評価されている方が多く、

あまり「みっともない姿」は

見せられないなと

思うようになります。

 

そうすると、

自分の経験の範囲内で

やれる仕事ばかりをやり、

 

みっともない姿を

見せることになりかねない

難易度の高い仕事や

新しい環境を

避けがちになります。

 

 

そうですね・・・

 

私自身を振り返ると、

たまたま40代以降、

転職はしないまでも、

 

幸か不幸か、

グループ内の出向や異動を

いくつか経験しました。

 

それぞれ、

未経験の仕事だったので、

否が応でも、

「みっともない姿」をさらすことに

なりましたが(^^;

 

もし、それがなくて、

同じ部署に

ずっと居続けていたとしたら・・・

 

・・・う~ん、

自分ではどちらがよかったのかは、

まだ何とも言えませんが(^^;

 

少なくとも、今より、

幅広い経験を積むことが

できなかったので、

 

人として

あまり成長できなかったのではないか

と思います。

 

 

これは

「最終的にどういう人生を

生きたいのか?」

ということにも関わってくる

問題なので、

 

放っておいてくれ!

と言う人に

無理強いするつもりは

ないのですが、

 

人生が長期化し、

労働する期間が

長くなればなるほど、

 

この「みっともない姿は

見せたくない」という恐れは、

 

その人の人生が

大きく開かれる可能性を

阻害するようになります。

 

 

心理学者の河合隼雄さんは、

常に「先生」として

ちやほやされ続ける立場に、

危険を感じて、

 

あえて、

カルチャーセンターなどで初心者、

「生徒」と呼ばれる立場に

身を置いたそうです。

 

河合隼雄さんといえば、

日本における

カウンセリングの第一人者として

誰もが認めるお方、

 

大家として、

ふるまい続けてもよかったのですが、

 

しかし、あえて、

コンフォートゾーンから抜け出し、

「みっともない姿」

をさらすことを恐れなかった。

 

そこに、

氏の真の偉大さを感じます。

 

私もカウンセラーの

はしくれでありますが、

 

私の場合は逆に

本業をやりつつも、

10年ほど前から、

本格的にカウンセリングの学びを

始めました。

 

最初の頃は、

特に人前でロールプレイングをする際、

うまくできず、

恥かきまくり(^^;

(今でも、かきまくっていますが)

 

職場では上司づらして、

偉そうにしてるのに・・・

 

ダメ出しをくらったりもして、

何度か、くじけそうになりましたが、

 

その分、謙虚にもなれましたし、

そこから、もっと力をつけたい!

という成長意欲も湧いてきました。

 

 

キーガンらによる研究は、

私たちが、

必死になって見せまいと

隠している

「弱さ」

「みっともなさ」にこそ、

 

実は私たちが

成熟していく機会が

潜んでいることを

明らかにしています。

 

 

そうですね・・・

 

なかなか難しいことではありますが、

「弱さ」「みっともなさ」

をさらけだせるようになることは、

 

自分の「弱さ」「みっともなさ」

を受け入れることになりますので、

 

人としての幅が広がりますし、

他人の「弱さ」「みっともなさ」にも、

寛容になれるような気がします。

 

「この人も私と同じように、

弱さや、みっともなさを

抱えて生きているんだな~」

 

と思えるようになる。

 

そして、

自分の「弱さ」「みっともなさ」

を受け入れられれば、

失敗を恐れずにチャレンジできるし、

謙虚にもなれる。

 

そこから自然な向上心も湧いてくる。

 

簡単なことではありませんが、

それがほんとうの意味での

「成長」「成熟」

ということなのかなあ~

 

と思う今日この頃です(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回も、もう少し

この本の紹介を続ける予定です(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

雪が降る前に、

山歩きしておこう!

 

ということで、

丹沢の塔ノ岳&丹沢山に・・・

 

 

天神尾根から登りました。

近道ですが、かなり急(^^;

 

 

 

目指せ塔ノ岳!

 

 

 

富士山見えてきました!

 

 

 

これが塔ノ岳・・・

 

 

 

山頂着きました!

(めずらしく自分入り、

親切な方が撮ってくださいました)

 

 

 

絶景・・・

この山、人気なのも、

うなずけます!

 

 

 

富士山アップ🗻

 

 

 

今回は丹沢山まで足を延ばします・・・

 

 

 

丹沢山頂!

仏さまに感謝。

 

 

 

富士山に見守られながら、

 

 

 

塔ノ岳に戻ります。

 

 

 

この時間帯、

まるで絵画のよう・・・

 

 

 

無事下山・・・

 

天気もよくて、

サイコーの登山でした😊

 

ただ、

スギ花粉がきつかった・・・💦