ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回、ご紹介させていただく本は、

田坂広志さんの新書本、

 

教養を磨く

 

 

田坂広志さんの本は、

何十冊も読ませていただいておりますが、

 

志が低くなった時に、

読みたくなるといいますか、

 

私にとって、

人生の羅針盤のような存在です(^^)

 

で、この、

教養を磨く

 

初版が2023年7月なので、

著者の最新刊だと思いますが、

 

サブタイトルに、

「宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで」

とあるように、

 

田坂広志さんの思想の集大成、

いわば、

オールスターのような本であります!

 

氏は、「教養」をこのように定義します。

 

 

真の「教養」とは、

本来、多くの本を読み、

様々な知識を学ぶことではなく、

 

そうした読書と知識を通じて、

「人間としての生き方」

を学び、

実践することである。

 

 

同感です!

 

特に社会人になってからの「教養」とは、

単なる知識を身につけるのではなく、

 

それをいかに、

自分の「生き方」に反映させ、

実践に結び付けるかどうかだと考えます。

 

私が自分の「生き方」に

反映させたいと思った箇所を

紹介していきますね(^^;

 

私たちの悩みの多くは、

「人間関係」の問題ですが、

それを真に解決するために求められるのは、

「人間の心の『エゴ』に処する力」

 

それは2つあるといいます。

 

 

第一は、

「相手のエゴに処する力」

であるが、

 

その力を身につけるためには、

まず、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力を

身につけられなければならない。

 

なぜなら、

人間関係が壊れるのは、

ほとんどの場合

「自分のエゴの視点」

を「正しい基準」

であると思い込み、

 

相手の言動を

「間違っている」

と批判し、非難し、

 

ときに、

嫌悪する状態に

陥ってしまうからである。

 

 

そうですね・・・

 

私たちは、

自分が道徳的に正しい、

明らかに正義だと思う時ほど、

まるで鬼の首をとったかのように、

相手を非難しがちですが、

 

よくよく考えて見ると、

それは片寄った見方であったり、

それこそ、

自分の「エゴ」だったり、

するわけです(^^;

 

 

しかし、もし我々が、

次のような視点で

相手を見つめることが

できるならば、

 

相手の姿は、

全く違って見えてくる。

 

「たとえ、

どのような姿を示していても、

相手には相手の、

必死の思いや叫びがある」

 

「自分を含め、

誰もが未熟さや欠点を抱えており、

その未熟さや欠点で、

内心、悩んでいる」

 

「誰もが、心の中に、

扱いにくいエゴを抱え、

そのエゴに振り回されて、

苦しんでいる」

 

 

「この人も私と同じだ」

という視点ですね。

 

この人も、私と同じで、

未熟なところもあるし、

人に理解してもらいたいと願っているし、

エゴを抱えながら生きている・・・

 

 

それが、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力に他ならず、

 

この視点の転換ができたとき、

不思議なほど、

自分の心が変わり始め、

相手との関係が好転していく。

 

 

もちろん、

法令、コンプライアンスの観点から、

明らかに相手が間違っている時や、

こちらが被害を被っている時などは、

毅然とした態度を示す必要があります。

 

しかし、

実際の行動とは別に、

自分の中に、

「相手も自分と同じく、

エゴを抱えた人間なんだ」

という視点があれば、

 

相手の気持ちを理解することに繋がるし、

その姿勢は、

相手にもきっと伝わるので、

 

人間関係は、

好転しやすくなると思います😊

 

 

「人間の心の『エゴ』に処する力」

の2つめは、

 

「自分のエゴに処する力」です。

 

ただしこれは、

「エゴを捨てる」ことや

「我欲を捨てる」ことではないといます。

 

 

なぜなら、

我々の心の中の

「エゴ」や「我欲」は、

生物としての

「生存本能」

と深く結びついた、

極めて強固なものであり、

 

捨てようと思って

捨てられるほど、

生易しいものでは

ないからである。

 

 

たしかに・・・

 

仮にエゴをすべて捨ててしまったら、

「生きる気力」のようなものも

同時に失ってしまうような気がします(^^;

 

 

それゆえ、

「エゴを捨てよう」

と思って、

エゴを抑圧しても、

 

それは、一時、

心の表面から姿を消すだけで、

必ず、どこかでまた、

鎌首をもたげてくる。

 

 

そうですね。

エゴを捨てたつもりでも、

それは単に抑圧しただけであって、

 

抑圧すると、

今度は無意識の領域から、

悪さをしはじめますから(^^;

 

余計に制御しずらくなってしまう。

 

では、どうすればいいのか?

 

田坂さんはいいます。

 

 

否定も肯定もせず、

ただ、静かに見つめる。

 

 

エゴを、

ただ、静かに見つめる?

 

 

実際、

自身の心の中のエゴが

蠢(うごめ)くとき、

叫ぶとき、

 

それを抑圧するのではなく、

ただ静かに、

 

「ああ、自分の中で、

嫉妬心が動いている」

 

「ああ、心の中で、

怒りが湧き上がっている」

 

と見つめるならば、

不思議なほど、

そのエゴは静まっていく。

 

 

なるほど・・・

 

まずはエゴがうごめいていることに、

「気づいて」

そして、

肯定も否定もせずに、

「静かに見つめる」

ということですね。

 

まずは、

エゴの存在を認めて、

それに「気づく」ところから。

 

瞑想もそうですね。

 

ちなみに、

天外伺朗さんは、

自分を見つめる瞑想法のことを、

「鳥の瞑想」と名付けています。

 

自分の後方右上3メートル付近に

鳥が飛んでると仮定して、

そこから自分を見つめるという手法です。

 

いわゆる「メタ認知」ですね。

私も意識してやっています。

(なかなかうまくいかないことも

多いですが(^^;)

 

 

逆に、

「エゴを捨てよ!」

「我欲を捨てよ!」と、

無理矢理エゴを抑圧すると、

 

しばしば、

「自分はエゴを捨てた人間である」

と思い込み、

 

自分が一段深い境地に

入ったと思い込む、

「エゴの自己欺瞞」や

「エゴの巧妙な罠」に

陥ってしまう。

 

 

どきっ・・・

これはありますね(^^;

 

ある程度歳を重ねて丸くなり、

まるで達観したような、

悟りの境地に入ったと勘違いをする。

 

つまり、

すっかり「いい人」になったと(^^;

 

でも、実際はそんなことはないし、

自分のエゴをオープンに話す人を、

どこか見下すことにもなりかねない。

 

それって、

「エゴ」ですよね(笑)

 

「エゴ」に知らぬ間に乗っ取られている(^^;

 

「エゴ」はなくすことはできないし、

抑えつけても、

今度は無意識の領域から

私たちを脅かすことになるので、

もっと質が悪くなる(^^;

 

ですので、

まずは「エゴ」の存在に気づいて、

それを静かに見つめる。

 

時には言語化してみる。

 

そういう意味でも、

カウンセリングという手法は、

有効なのかなと思います😊

 

 

 

 

*********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

 

*********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

晴れた日の週末は、

山歩きすることが多いのですが、

 

梅雨の時期も、

土日いずれかは晴れ(曇り)

の日が多かったので、

 

毎週のように山に行っています(^^;

 

晴耕雨読ならぬ、

晴山雨読(^^;

 

 

 

足柄の21世紀の森から、

矢倉岳へ!

 

 

 

山頂着きました!

 

富士山の絶景がまっているはずが・・・

 

 

 

うう、まったく見えず😢

 

 

 

反対側の小田原方面は

晴れているのに・・・

 

 

 

下山、

木漏れ日きれい・・・

 

帰りの21世紀の森で、

きゅうり、なす、いんげん、

袋パンパンに入って、

それぞれ100円で販売していました😲

 

有り難うございました(^^)

美味しかったです!

 

 

 

近くの河村城跡にも立ち寄り。

 

 

 

遠藤周作さんの影響もあり、

山城、好きになりました(^^)

 

 

 

美しい風景!

 

ちと暑かったけど、癒された一日でした😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で3回目、最終回です。

 

今回は、

「比較三原則」(?)

という言葉から、

 

 

人間は弱いもので、

常に自分を他人と比較して

生きています。

 

また比較しなければ、

自分が今どのような位置に

立っているかを

自覚できないものです。

 

良いか悪いか。

カッコいいかカッコ悪いか。

おもしろいかおもしろくないか。

幸せか不幸せか。

 

 

そうですね~

 

たしかに、比較しないと、

自分の位置が分からないというのは、

ありますね。

 

学生の時から

私たちがさんざん苦しめられてきた

「偏差値」というものは、

その最たるものですし(^^;

 

また、自分に有利な選択をするためにも、

比較は必要です。

 

たとえば、

「あいみつ」を取ったり、

いい意味で競争原理を働かせるためにも、

比較は有効です。

 

特にビジネスの世界では、

まず比較ありき。

 

ビジネスでは差別化が大事ですが、

その差別化を図るためにも、

まずは他社と比較をする必要が

あるわけですし(^^;

 

 

この世にいるのが

自分だけだとしたら、

比較もしないし、

もしかしたら

苦しみも生まれないかも

しれません。

 

他人がいて、

それを比較する言葉があって、

はじめて

自分の立っている位置を

認識します。

 

比較ができるからこそ

人類は進歩したのかも

しれないし、

 

比較こそが

苦しみを生む原因なのかも

しれません。

 

 

そうですね。

比較によって、

人類が進歩してきた半面、

 

そこが、

私たちの苦しみに繋がっているのは、

否めない事実であって。

 

実際、子どもの頃、

比較されるのって嫌でしたよね~。

 

いや、今でも嫌ですが(^^;

 

「比較」は、

進歩を促す一方で、

苦しみの原因にもなる。

 

では、どうすればいいのか。

 

みうらじゅんさんは、

「比較」してはいけないものが、

3つあるといいます。

 

 

「比較三原則」

と私は勝手に呼んでいます。

 

”他人と過去と親”。

 

この三つと自分を

比較してはいけないのです。

 

 

「自分」と、

「他人」「過去」「親」とは、

比較してはいけない。

 

これが、

「比較三原則」

 

なるほど~

たしかに、そうですね。

 

ただ、そうはいっても、

それでも比較してしまうのが、

人間の悲しい性であって・・・

 

 

でも、上手に

「比較三原則」

を意識すれば、

気が楽になることも

あると思います。

 

例えば、

「なんで俺は

この年になって

こんなことを

しているんだろう」

と思ったとしましょう。

 

そう思う理由は、

誰かと自分を

比較しているからです。

 

「比較するから

落ち込んでいるんだ」

と自覚した瞬間、

 

意外と

「なんで俺は~」

という気持ちは

減っていくかもしれません。

 

 

気づいて、

それを自覚できるかどうかが

ポイントなんですね。

 

「ああ、いかんいかん!

これは比較三原則に、引っかかっているな~」

 

と自覚さえできれば、

 

それだけで、

思考がぐるぐる堂々巡りして悩むことは、

少なくなりそうです(^^)

 

みうんらじゅんさんの言葉は、

軽いようで、実は、

よりよく生きる知恵が詰まっている

ような気がしますが、

この言葉もそうです。

 

「そこがいいんじゃない!」

 

 

私はどんなに辛いときも

「そこがいいんじゃない!」

と思うようにしています。

 

私が「マイブーム」

と呼んでいるものは、

出会いの瞬間から

それが好きになって

ハマっているわけでは

ありません。

 

「これは一体何なのか?」

という

「問い」がまずあり、

それについて考え抜くところから

スタートしています。

 

そのように考え続けて、

ようやく出口近くに

さしかかろうという瞬間に

出てくるのが、

 

「そこがいいんじゃない!」

というフレーズです。

 

 

「そこがいいんじゃない!」

 

「美点凝視」

という言葉もありますが、

 

まずは、意識的に、

いいところを見出そうとする

姿勢ですね!

 

 

「そこがいいんじゃない!」

と唱えることで、

段々とその対象を

好きになっていきます。

 

考え続けて

苦しい状態も

少し楽になってきます。

 

このように、

「そこがいいんじゃない!」

と発声する訓練をしておくと、

そう発言した瞬間から、

脳が「そうなんだ」

と思い始めてくれます。

 

人間はいつも

脳主導で動いているように

見えますが、

 

このように

言葉を無理矢理にでも

発することで、

その0.1秒後に

脳がついてくる、

ということに気づきました。

 

これは

言葉からの解放かもしれない、

と逆説的に思うこともあります。

 

普段、脳は先輩面していますが、

たまには先輩を困らせて見るのも

一つの手ではないでしょうか。

 

 

「幸せだから笑うのではない、

笑うから幸せになるのだ」

 

という哲学者アランの言葉を

想起しました(^^)

 

 

この

「そこがいいんじゃない!」

は、自分にとっての

念仏みたいなものです。

 

私の「南無阿弥陀仏」が、

「そこがいいんじゃない!」

なのです。

 

(中略)

 

「お金がなくなってきた。

今月ピンチだな」

 

と思ったとしましょう。

 

そこですかさず

「そこがいいんじゃない!」

と言えば、

 

脳も、

「あれ、それもまたいいのかな。

そうだね、

それもおもしろいかもね」

と、

少しポジティブな気持ちに

なれるかもしれません。

 

「彼女にフラれた」

「仕事が上手くいかなかった」

「あの上司が嫌い」

 

どのようなケースでも、

「そこがいいんじゃない!」

と、

本当はよくないかもしれないけど、

そう唱えることで

少しは楽になれるかもしれません。

 

言葉を逆手にとって、

逆境を跳ね返し、

少しでも元気になれるように

仕向けるのです。

 

「そこが」

と言った次の瞬間、

「いいんじゃない!」

と一気に肯定して、

ダメを押すのです。

 

 

もちろん、

逆境に直面した時は

現実的な行動に移すことが大事なのは

いうまでもありません。

 

目を逸らしていては

解決には繋がらないですし、

それはそれで、

しっかりと受けとめることも必要です。

 

しかし、

「そこがいいんじゃない!」

と発することによって、

思考の負のスパイラルに陥ることは

避けられるかもしれませんし、

 

視野を広げたり、

視点を変えるきっかけにもなる。

 

たとえば、

一見、マイナスに見えることでも、

見方を変えれば、

そこにはプラスもあるのだと

発見できたりする。

 

彼女にフラれたからこそ、

自分の自由な時間が持てるように

なるかもしれませんし(^^;

 

仕事が上手くいかなかったからこそ、

その分、

謙虚な気持ちになれるかもしれませんし(^^;

 

上司が嫌いだからこそ、

実は自分の中にも

同じような特徴があることに

気づけるかもしれません(^^;

 

「そこがいいんじゃない!」

 

口癖にしたい言葉(念仏)です😊

 

 

 

****************************************

 

 

以上、3回にわたって、

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

を紹介させていただきました。

 

軽いようで、実は深い。

 

みうらじゅんさんの

仏教ワールド、

一読をおすすめします(^^)

 

次は、

アウト老のすすめ

 

読んでみようかな😊

 

 

 

*******************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

*******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

久しぶりに、池上本門寺。

 

 

 

近くの妙見堂、

アジサイきれいでした!

 

 

 

平日に休みが取れたので、

休日は混みあう塔ノ岳を

バカ尾根ルート、ピストンで!

 

まずは、お参りしてから。

 

 

 

ううっ早くもガスってきました(^^;

 

 

 

何だか、映画ラストサムライの

ワンシーンみたい。

 

伏兵出てきそう(^^;

 

 

 

長い道のりを経て、

頂上着きましたが・・・

 

 

 

絶景の山頂のはずが、

何も見えず・・・😢

 

 

 

下山・・・

「いま、ここ」

ひたすら足元を見て歩きます。

 

何だか修行のような境地になってきました。

歩く瞑想・・・

 

 

 

下界のほうは、

晴れていました(^^;

 

 

 

絶景や富士山の姿は楽しめず、

ひたすら修行のような山歩きでしたが・・・

 

「そこがいいんじゃない!」


歩く瞑想になりましたし、たまにはね(^^)

 

 

 

 

握手・・・

 

 

 

はい😺

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

を読んで、

私が印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回のブログで、

「機嫌を取る」=「自分なくし」

という説を紹介しましたが、

 

「自分なくし」にいく前に、

「自分探し」について、

 

 

「自分探し」

という言葉は

世の中に流布し、

 

学生やOLから、

主婦やサラリーマンまで、

日本人が

「自分探し」に夢中になり、

「本当の自分」というものを

必死になって探していました。

 

中には、

坐禅や写経をするなど、

仏教に触れることで

「自分探し」

をしようなんていう人も

少なからずいたように

見受けられました。

 

しかしこれまで

自分探しを始めた人で、

見事本当の自分を

見つけたという人が

いるのでしょうか?

 

 

そうですね・・・

 

「自分探し」

をしたくなる人の気持ちは

分かる気がします。

 

たとえば、

社会通念でいうところの

成功を目指したり、

親や周囲の期待に応えようとして

ずっと生きてきたけど、

 

何かが違う。

 

何か、

自分の人生を生きていない気がする。

 

だから、

自分探しをしたい。

 

という考え方には、

とても共感できます(^^)

 

ただ、実際は、

探しても、

見つかるわけではないんですね(^^;

 

探すというよりも、

自分の気持ちを尊重したうえで、

 

試行錯誤しながらも

やっぱり

「自分を創っていく」ことが

大切だと考えますが・・・

 

 

仏教では、

「無我」つまり

「本当の自分」

なんてものはない、

 

ということを

二千五百年前から

説かれているのです。

 

私は、

「自分探し」

よりもむしろ、

「自分なくし」

の方が大事なのではないかと

思っています。

 

お釈迦さんの教えにならい、

「自分探しの旅」

ではなくて、

「自分なくしの旅」

を目指すべきなのです。

 

 

自分なくしの旅・・・

 

ただ、自分をなくそうにも、

そもそも、自分がなければ、

なくしようもないような気もします(^^;

 

私は以下のように捉えましたが・・・

 

人生、自分を創っていく過程で、

人はどうしても、

執着や煩悩を身にまとってしまう。

 

なので、

ある程度、

自分を確立できたと思ったら、

 

次のステップとして、

できるだけ、

執着や煩悩をなくすように意識する。

 

それが、

「自分なくしの旅」であって、

 

その修行の一環として、

相手の「機嫌を取る」

というテーマがあるのかなあと。

 

ただ、これは、

言うは易し、

実際はかなりの苦行ですよね(^^;

 

 

難しいのは、

「機嫌を取る」

ふりをしながら、

 

ひそかにキックバックを

求めてしまうことです。

 

「相手のために

これだけ尽くしたから、

きっとこれだけの報酬を

得られるはず」

というものです。

 

 

どきっ・・・

 

 

別に報酬を求めるのが

悪いことだとは思いません。

 

しかし、

それが目的になってしまうと、

どこかに綻びが

生じてしまうものです。

 

恋愛で

「君のためなら死ねる」と、

究極の「大乗仏教」

のようなことを言ったとしても、

ひそかに下半身を

熱くさせていたり、

 

「会社のために

馬車馬のように働きます」

と言いながら、

ボーナスの計算をしていたり

・・・。

 

 

ううっ・・・

若い頃の自分のことを

言われているようですが(^^;

 

 

残念ながら

人間は弱いもので、

 

どうしてもキックバックを

求めてしまいます。

 

しかし

「ご機嫌界」では、

「修行が足りない」

ということに

なってしまうのです。

 

この

「自分をなくして、

相手の機嫌を取る」行為、

 

これまで

「修行」と呼んでいたものを、

私は「僕滅運動」

と呼ぶことにしました。

 

 

「撲滅」ではなく、

「僕滅運動」

 

(漢字が「僕」に

変換されています(^^;)

 

 

「僕滅運動」

をすることで、

世界平和までは無理でしょうが、

「周囲の平和」

ぐらいまでは

かなり実現できると思います。

 

 

そうですね・・・

 

確かに、

周りは平和になりそうですね。

そして、

その輪が広がっていけば・・・

 

「僕滅運動」

をするにあたって、

みうらじゅんさんから、

こんなアドバイスもありますよ!

 

 

ただ前提として、

このような修行は

好きな人の前でやるに限る

ということがあります。

 

これを嫌いな人相手にも

しなければいけない、

というのは

相当な「荒行」です。

 

これができる、

お釈迦さんや坊さんは

本当の「聖人」です。

 

 

「僕滅運動」

すなわち、

「相手の機嫌を取る」

という修行は、

 

無理して、嫌いな人の前では、

やらなくてもいいんですね!

 

ちょっと、

ほっとした気がしますが(^^;

 

あと、

カウンセラーの立場としていえば、

たとえ好きな人でも、

相手の機嫌の悪い時には、

無理して機嫌を取る(変えようとする)

必要はないと思います。

 

そういう時には、

できることなら、

ちょっと距離を置いたり、

放っておくことが賢明です(^^;

 

・・・さておき、

 

で、私は、

実際、誰の前で、

「僕滅運動」をやろうかな?

 

う~ん・・・

(・・・沈黙10秒・・・)

 

真っ先に妻が浮かんでこない自分は、

まだまだ、修行が足りんですね(^^;

 

(ちなみに、みうらじゅんさんは、

かなりの愛妻家のようです)

 

 

 

******************************************

 

 

 

今回も最後までお読み下さいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

總持寺、月例参禅会に参加。

(本格的な坐禅堂でできます!)

 

私は、満足に足も組めない、

なんちゃって坐禅レベルですが、

気持ちがスッキリします(^^)

 

 

 

奥和留沢みはらしコースから、

箱根、明神ヶ岳へ。

 

 

 

富士山見えてきました!

 

 

 

頂上、着きました!

 

 

 

こちら側は、

大涌谷(もくもく・・・)

 

 

 

金時山方面、

ここ、開けて絶景です😊

 

 

 

金時山を抱く富士山🗻・・・

 

まだ少し雪が残っていますね。

 

 

 

明星ヶ岳にも、

足を延ばしました。

 

 

 

何か癒されます(^^)

 

 

 

 

 

下山の最後に、

沢で顔を洗いました。

 

気持ちよかった~😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回ご紹介させていただく本は、

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

実は、SNSで紹介されていた、

みうらじゅんさんの最新刊、

アウト老のすすめ

に興味をもったので、

 

仕事の帰り道、

駅前の本屋で探したら、

残念ながら見当たらなかったのですが、

 

「たしか、みうらじゅんさんの本、

家にあったな~」

 

と思い、本棚を探ったら出てきた本が、

この、

マイ仏教

 

10年以上ぶりになりますが、

久々に読み返してみました。

 

みうらじゅんさんといえば、

「マイブーム」

という言葉を作ったイラストレーターで、

ちょっとエロくて、

かなりオモロイお方なのですが(^^)

 

「見仏記」

などのベストセラーもあるように、

仏像ブームをけん引した

お方でもあるんですね!

 

少年時代に京都・東寺の仏像群を見て、

「怪獣みたいでかっこいい!」

と思ったのがきっかけで、

 

「将来の夢は住職」になったという、

筋金入りの仏像好き!

 

四天王に踏まれている邪鬼を、

自分に見立てたり、

 

「弘法大師のマネ」

をクラスメイトに披露して、

ドン引きされたり(笑)

 

笑えるエピソード満載なのですが、

 

思い返せば、

私自身も子供の頃から、

けっこう仏像好きだったかも(^^;

 

鎧武者みたいな謎の絵を

よく書いていた記憶がありますが、

あれは、四天王像に感化されていた?

 

たしかに、

先入観のない子供にとっては、

怪獣も仏像も、

同じ魅力あるキャラクターですしね。

 

もっとも、

みうらじゅんさんのように、

友達に「仏像が好き!」と

無邪鬼にいえるほどの勇気は、

ありませんでしたが(^^;

 

で、この本、

笑える中にも、

けっこう「深く」て

「はっとさせられる」ことが書かれています。

 

私が印象に残った箇所を、

いくつか紹介・解説していきますね。

 

「機嫌」という言葉は仏教から・・・

という話から、

 

 

最近、この「機嫌を取る」

ということの重要性について

よく考えます。

 

「人のご機嫌を取る」

ということは、

ご機嫌にいいことではないかと

思うのです。

 

 

「人のご機嫌を取る」

 

う~ん、行き過ぎると、

ちょっと軽薄な感じもしますが・・・

 

 

「人のご機嫌を取る」

というと、

「あいつは人の顔色ばかりを

うかがっている」と、

悪い意味にとらえられる

こともあります。

 

しかし、

家庭でも恋愛でも、

人間関係が

上手くいっていないときというのは、

得てして相手の機嫌を取ることを

怠っている時です。

 

 

すべてとは言い切れませんが、

たしかに、そうかもしれません・・・

 

 

「相手のことを思って行動する」

のは、人間関係の基本です。

 

相手の機嫌をちゃんととって、

「ご機嫌」になってもらえば、

回り回ってこちらの

「機嫌」もよくなります。

 

「機嫌を取る」

ブームが起きれば、

世の中少しは

マシになるのではないでしょうか。

 

 

たしかに・・・

機嫌は伝播しますしね。

 

 

人の機嫌を取っているだけだと、

「あいつは調子がいい」

などと言われがちですが、

 

人の機嫌を気にして

生きていくことが、

そんなに悪いことだとは

思えません。

 

「ご機嫌を取る」

と似たような言葉に、

「相手の身になって考える」

というのがあります。

 

しかし

「相手の身」というものが

本当はどういうものなのか

わかるはずもありません。

 

あくまでこれは

「自分の考える相手の身」です。

 

しかし

「ご機嫌を取る」であれば、

これは「相手の身」にならなくても

できるはずです。

 

 

なるほど~、

 

「相手の身になる」ということが

悪いことだとは思いませんが、

 

それによって、

「相手をわかったつもり」になると、

変に押し付けがましく

なってしまったりします。

 

それよりも、

「ご機嫌を取る」

 

すなわち、

相手を喜ばせたり、

具体的な気遣いをするほうが、

いいのかもしれません(^^)

 

 

なかなかそう上手くいかないのが

人間ですが、

 

それも「修行」だとあきらめて、

人の機嫌を取ろうではありませんか。

 

例えば、

「家のゴミを出してきて」

と妻に頼まれた場合。

 

「そうすれば妻が喜ぶのだから、

ご機嫌を取るためにやろう」

と思うか、

 

「何で俺がゴミを

出さなきゃいけないんだ」

と思うか。

 

 

どきっ、

私は後者かも・・・

 

特に、ぶっきらぼうに、

あたりまえのように言われた場合には、

カチンときます(^^;

 

 

そもそも

「機嫌を取る修行」

を普段からしていれば、

口ごたえもしないだろうし、

 

妻に言われる前から

ゴミを出しているかもしれません。

 

 

ううっ、そうか・・・

修行が足りんですね(^^;

 

 

かつては

「男は黙ってサッポロビール」。

三船敏郎が出演した

コマーシャルのように、

 

他にも

「不器用ですから」

の高倉健のように、

 

自分から機嫌を

取りにいかないほうが

恰好良い、

とされる時代がありました。

 

それを世の男性は

真似るようになって、

進んで「ご機嫌を取る」

ことを考えなくなってしまった

のではないでしょうか。

 

 

いかにも、昭和の男。

 

私にはそんな要素はない・・・

・・・いや、ウソです。

 

少しはあります(^^;

 

正直、高倉健に

ちょっと憧れるところも

ありますが・・・

 

 

しかしそれは、

それなりのルックスや

力量が伴わなければ

成立しません。

 

誰もが真似できるわけでは

ないのです。

 

 

ううっ・・・

容赦ない。

 

私には無理か(^^;

 

 

飲み屋でもよく

「家に帰ると、

女房の機嫌が悪くてさあ」

という発言が

聞こえてきますが、

その理由ははっきりしています。

 

日ごろ、

その人が奥さんの機嫌を

取っていないからです。

 

そう発言した人間が

当事者なのは明白なのに、

「機嫌が悪くてさあ」

と言うとき、

 

どこか他人事で

無責任な感じが

付きまといます。

 

つまり

責任はすべて相手にある、

という態度です。

 

 

「責任はすべて相手にある」

これ、つい、

そう思ってしまいがちですよね(^^;

 

 

そのようなとき

一番いけないのは、

「何でこの俺がそんなことを

しなきゃいけないんだ」

というものです。

 

この「何でこの俺が」

という言葉。

 

それは

「ご機嫌界」で一番の禁句です。

 

 

「何でこの俺が」が、

「ご機嫌界」で一番の禁句!

 

 

このときの

「何でこの俺が」

という言葉には、

様々な意味が込められています。

 

「もう中学生でもないのに

何で俺が」とか、

「こんなに頑張って仕事をしている

俺なのに」とか、

「俺はアーティストなのに」とか、

 

「俺」に込められた意味は

様々です。

 

それが大概の怒りの原因です。

 

 

「この俺様が、何で」

という特権意識ですね。

 

特に社会的地位が高くなったりすると、

つい勘違いしてしまいがちです。

 

 

これと似た傾向として、

 

「何か俺の周り、

どうしようもないバカばっかり

なんだよね」

という人がいます。

 

しかし

「自分のその中の一人である」

ということが、

なぜかその人には

見えていません。

 

「今日の京都は混んでいるな」

というのも同じです。

 

自分がその中の一人であり、

原因であることが

見えていないのです。

 

 

どきっ、

これは、私が山歩きしていて、

混んでいる時など、

 

つい、

同じことを思ってしまいますが(^^;

 

 

そのときの

「俺」や「私」というものが

一体何であるのかー。

 

先にも述べましたが、

いくら「自分探し」をしても、

その答えが出るはずが

ありません。

 

いつの「俺」かも、

どの「私」かも

わからないわけですから。

 

それよりも、

「自分をなくす」方が、

はるかに具体的な解決に

なるはずです。

 

つまり

「機嫌を取る」

=「自分なくし」

なのです。

 

 

「機嫌を取る」=「自分なくし」

 

「自分さがし」ではなく、

「自分なくし」。

 

「自分なくし」とはいったい

どういうことでしょうか?

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

丹沢の大山を、

マイナーな北尾根ルートから登りました😊

 

まず札掛の吊り橋を渡ります。

 

通行注意!って・・・

でもそんな危険じゃなかったです(^^;

 

 

 

吊り橋から、

美しい新緑(^^)

 

 

 

ひたすら登ります・・・

これは、林業用のモノレールのレールです。

 

 

 

最後、はしご超えると・・・

 

 

 

山頂着きました!

 

曇っていて見晴らしはイマイチでしたが、

やっぱり人気の山、

山頂は混んでました。

(私もその一因(^^;)

 

 

 

山頂の奥の院。

有り難うございます。

 

 

 

よし、中吉!

いいこと書かかれています😊

 

 

 

下山して、

吊り橋を下から眺めながら・・・

 

 

 

ああ・・・

癒されます(^^)

 

 

 

これは別日の鎌倉ハイキング!

鎌倉名物、切通し。

 

 

瑞泉寺。

苔むす階段上って・・・

 

 

 

本堂、着きました!

 

 

 

奥の庭園。

 

 

これも鎌倉名物、

大きな、やぐら。

 

 

 

鎌倉は、

ハイキングと神社仏閣巡り、

両方楽しめます(^^)

 

 

 

ボクも忘れないで😺

(無防備すぎ~)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回紹介させていただく本は、

2022年の本屋大賞受賞作!

 

同志少女よ、敵を撃て

 

 

著者は、逢坂冬馬さん。

 

第二次世界大戦の独ソ戦、

ソ連軍の女性の狙撃手と

その部隊を描いた小説ですが、

 

いやあ、

特に中盤以降は、

息もつかせぬ展開で、

途中で本を閉じることが

できなくなりました!

 

読了後も、何だか気分が高揚して、

なかなか寝付けず、

翌日、寝不足で出勤する羽目に

なりましたが(^^;

 

20年以上前に、

「スターリングラード」

という映画を観た記憶が

よみがえってきました。

 

冒頭のヴォルガ川を渡航する

壮絶なシーンが、

今でも記憶に残っている映画ですが、

 

その映画では、

男性の狙撃手が主人公。

 

この小説では、

女性の狙撃手、セラフィマが主人公です。

 

ドイツ軍に、

母や村人を惨殺されたセラフィマは、

復讐のため、

狙撃手になるための過酷な訓練を受け、

やがて、スターリングラードや、

ケーニヒスベルクの激戦地に赴くのですが、

 

はたして、

彼女の「真の敵」とは何なのか?

 

・・・と、ネタバレになるので、

詳しいストーリーは割愛しますが(^^;

 

私の印象に残った箇所を紹介します。

 

ソ連軍のジェーコフ元帥が語ります。

(ジェーコフは実在した人物ですね)

 

逃亡する兵士を処刑することについて、

 

 

ナチに交渉は通じない。

これは通常の戦争ではない。

 

軍隊が瓦解すれば

全ての人民は虐殺され、

奴隷化される。

 

故に、

組織的焦土作戦を用いて

撤退する局面を除いては、

踏みとどまって防戦することが、

唯一ソ連人民が生き残る術なのだ。

 

逃亡する兵士は、

もはや敵であり、

ファシストの手先なのだ。

 

 

独ソ戦というのは、

お互いが生きるか死ぬかの、

壮絶な戦いだったのです。

 

著者はこう語ります。

 

 

復讐を遂げるという

目標によって

生きる理由が生じる。

 

そして

苛酷な戦闘を戦う意義が

生まれる。

 

思えば無数の

ソ連人民の動機もまた、

復讐にある。

 

それが国家に基づくものであれ、

家族に基づくものであれ、

復讐を果たすという動機が、

 

戦争という、

莫大なエネルギーを必要とする

事業を成し遂げ、

 

それを遂行する

巨大国家を支えているのだ。

 

 

ソ連は、国土の多くを

ドイツ軍に蹂躙されたわけですから、

 

「復讐が生きる理由になる」

というのは、

もっともだと思います。

 

特に戦時下においては、

いや、平和な社会においても、

たしかに、

これは生きる理由になりうる。

 

そこからエネルギーが生れるのは

否めない。

 

ただ、

復讐はお互いに連鎖となり、

どちらかが滅ぶまでは終わらない。

 

結果は虚しいものになる。

 

スターリングラード攻防戦は、

史実の通り

ソ連軍の勝利に終わりますが・・・

 

 

失った人命は、

ソ連軍が110万人、

市民20万人。

 

(中略)

 

戦火を免れ生き延びた人も

多くは避難しており、

戦前60万人を数えた

この都市で、

生きて戦争終結を迎えた市民は、

わずかに9000人であった。

 

枢軸軍は72万人を失った。

総勢200万人超の死。

 

 

スターリングラード攻防戦だけで、

総勢200万人超の死・・・

 

想像を絶します。

 

ちなみに、

第二次大戦全体だと、

ドイツは900万、

ソ連は2000万以上の

人命を失ったといいます。

 

日本は300万超。

 

単なる数字の羅列ではなく、

生身の人間として、

この一人一人に

かけがえのない人生があったのかと思うと、

 

いかに戦争というものが、

常軌を逸脱した

非人道的なものであるかと感じます。

 

この小説では、

戦時の女性への暴力もテーマになっています。

 

主人公の幼馴染の男性

(少尉)が語ります。

 

 

「兵士たちは恐怖も喜びも、

同じ経験を共有することで

仲間になるんだ。

 

・・・部隊で

女を犯そうとなったときに、

それは戦争犯罪だと

言う奴がいれば

間違いなくつまはじきにされる。

 

上官には疎まれ、

部下には相手にされなくなる。

 

裏を返して言えば、

集団で女を犯すことは

部隊の仲間意識を高めて、

その体験を共有した連中の

同志的結束を強めるんだよ

・・・」

 

 

女を犯すことが

同志的結束を高める。

 

とんでもない論理ですが、

戦時下というのは、

それが現実になってしまう

のかもしれません。

 

主人公は言い返しますが・・・

 

 

「たとえどんな

事情があっても、

女性への暴行は

許されることではない」

 

 

少尉はいいます。

 

 

「悲しいけれど、

どれほど普遍的と見える倫理も、

結局は絶対者から

与えられたものではなく、

 

そのときにある種の

「社会」を形成する人間が

合意により作られたものだよ。

 

だから絶対に

してはならないことが

あるわけじゃない。

戦争はその現れだ。

 

(中略)

 

・・・この戦争には、

人間を悪魔にしてしまうような

性質があるんだ。

 

 

戦争には、

人間を悪魔にしてしまうような

性質がある・・・

 

多くの戦争小説やノンフィクションにも

描かれているように、

 

人間は、平時では善良だとしても、

極限状態に陥ると、悪魔にもなりうる。

 

私もおそらくご多分に漏れず・・・

 

もっとも、

それによって決して残虐行為を

正当化してはなりませんが、

 

しかし、

現実としては、そうなってしまうのが、

人間というものの弱さ、

悲しい性なのではないかと思います。

 

そう考えると、

とにかく、戦争は「始めて」はいけない。

そのような極限状態を作ってはならない。

 

始まったら最後、

たとえ、途中でやめようと思っても、

復讐の連鎖で、

どちらかがつぶれるまで続いてしまう。

 

そして、双方に莫大な犠牲が生じる。

 

戦争という手段は、

原子力、核と同じで、

本来、人類の手に負えるものではないと

思います。

 

 

物語に登場する、

伝説の女性狙撃手がいいます。

 

戦後、女性狙撃手がどのように

生きるべきかと問われて・・・

 

 

「誰か愛する人でも見つけろ。

それか趣味を持て。

生きがいだ。

 

私としては、

それを勧める」

 

 

「愛する人か、

生きがいを持て」

 

当たり前の言葉のようにも聞こえますが、

物語の最後で、

この言葉が重く響きます・・・

 

 

 

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以上、断片的ではありますが、

逢坂冬馬さんの

2022年の本屋大賞受賞作!

 

同志少女よ、敵を撃て

 

 

から、私の印象に残った箇所を

紹介・解説させていただきました。

 

まるで当時の戦場にいるような、

スリルや没入感を味わいながらも、

 

読了後は、

今の日本で平和な日々を過ごせることが、

どれだけ貴重で、恵まれているのかを、

考えさせられる小説でした。

 

登場人物が、

絶対的な善人や悪人に

分けられていないところも深みを感じます。

 

果たして、女性狙撃手の

「真の敵」とはいったい何なのか・・・?

 

一読をおすすめします(^^)

 

(あと、エピローグで、

名著、戦争は女の顔をしていない

も出てきますよ)

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございます😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

少し前になりますが、

GW後半、

西丹沢の檜洞丸

(ひのきぼらまる、と読みます)

に登りました!

 

 

西丹沢ビジターセンターの

駐車場で車中泊、

早朝からスタート!

 

 

 

キャンパーたちの群れをよそ目に・・・

 

 

 

ええっ、熊😲

でもツツジ新道(登山道)は、

人が多いので大丈夫!

 

 

 

沢を渡ります!

 

 

 

慎重に・・・

 

 

ツツジ?

少し咲いていました。

 

5月下旬~6月には、

シロヤシオ(ゴヨウツツジ)が

咲き乱れるそうです!

 

 

 

だいぶ来ました。

 

 

バイケイソウがたくさん。

 

 

不思議な木

(シナノキらしいです)

 

 

頂上!

 

 

無事着きました。

有り難うございます(^^)

 

 

山桜?

 

 

反対側は蛭ヶ岳。

 

 

 

犬越路方面へ。

雄大な景色!

 

 

富士山🗻

 

 

 

足元に遊び心!

 

 

 

絶景・・・

しばし、見惚れます。

 

 

 

数か所の鎖場越えて・・・

 

 

 

美しいブナの林。

 

 

 

進め~

 

 

 

へえ~

 

 

ここ、

一応、渡れましたが・・・

 

 

 

無事、戻りました😊

 

檜洞丸、噂にたがわぬ、

素敵な山でした!