ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
今回、ご紹介させていただく本は、
田坂広志さんの新書本、
田坂広志さんの本は、
何十冊も読ませていただいておりますが、
志が低くなった時に、
読みたくなるといいますか、
私にとって、
人生の羅針盤のような存在です(^^)
で、この、
初版が2023年7月なので、
著者の最新刊だと思いますが、
サブタイトルに、
「宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで」
とあるように、
田坂広志さんの思想の集大成、
いわば、
オールスターのような本であります!
氏は、「教養」をこのように定義します。
真の「教養」とは、
本来、多くの本を読み、
様々な知識を学ぶことではなく、
そうした読書と知識を通じて、
「人間としての生き方」
を学び、
実践することである。
同感です!
特に社会人になってからの「教養」とは、
単なる知識を身につけるのではなく、
それをいかに、
自分の「生き方」に反映させ、
実践に結び付けるかどうかだと考えます。
私が自分の「生き方」に
反映させたいと思った箇所を
紹介していきますね(^^;
私たちの悩みの多くは、
「人間関係」の問題ですが、
それを真に解決するために求められるのは、
「人間の心の『エゴ』に処する力」
それは2つあるといいます。
第一は、
「相手のエゴに処する力」
であるが、
その力を身につけるためには、
まず、
「相手のエゴの思いや叫び」
を理解する力を
身につけられなければならない。
なぜなら、
人間関係が壊れるのは、
ほとんどの場合
「自分のエゴの視点」
を「正しい基準」
であると思い込み、
相手の言動を
「間違っている」
と批判し、非難し、
ときに、
嫌悪する状態に
陥ってしまうからである。
そうですね・・・
私たちは、
自分が道徳的に正しい、
明らかに正義だと思う時ほど、
まるで鬼の首をとったかのように、
相手を非難しがちですが、
よくよく考えて見ると、
それは片寄った見方であったり、
それこそ、
自分の「エゴ」だったり、
するわけです(^^;
しかし、もし我々が、
次のような視点で
相手を見つめることが
できるならば、
相手の姿は、
全く違って見えてくる。
「たとえ、
どのような姿を示していても、
相手には相手の、
必死の思いや叫びがある」
「自分を含め、
誰もが未熟さや欠点を抱えており、
その未熟さや欠点で、
内心、悩んでいる」
「誰もが、心の中に、
扱いにくいエゴを抱え、
そのエゴに振り回されて、
苦しんでいる」
「この人も私と同じだ」
という視点ですね。
この人も、私と同じで、
未熟なところもあるし、
人に理解してもらいたいと願っているし、
エゴを抱えながら生きている・・・
それが、
「相手のエゴの思いや叫び」
を理解する力に他ならず、
この視点の転換ができたとき、
不思議なほど、
自分の心が変わり始め、
相手との関係が好転していく。
もちろん、
法令、コンプライアンスの観点から、
明らかに相手が間違っている時や、
こちらが被害を被っている時などは、
毅然とした態度を示す必要があります。
しかし、
実際の行動とは別に、
自分の中に、
「相手も自分と同じく、
エゴを抱えた人間なんだ」
という視点があれば、
相手の気持ちを理解することに繋がるし、
その姿勢は、
相手にもきっと伝わるので、
人間関係は、
好転しやすくなると思います😊
「人間の心の『エゴ』に処する力」
の2つめは、
「自分のエゴに処する力」です。
ただしこれは、
「エゴを捨てる」ことや
「我欲を捨てる」ことではないといます。
なぜなら、
我々の心の中の
「エゴ」や「我欲」は、
生物としての
「生存本能」
と深く結びついた、
極めて強固なものであり、
捨てようと思って
捨てられるほど、
生易しいものでは
ないからである。
たしかに・・・
仮にエゴをすべて捨ててしまったら、
「生きる気力」のようなものも
同時に失ってしまうような気がします(^^;
それゆえ、
「エゴを捨てよう」
と思って、
エゴを抑圧しても、
それは、一時、
心の表面から姿を消すだけで、
必ず、どこかでまた、
鎌首をもたげてくる。
そうですね。
エゴを捨てたつもりでも、
それは単に抑圧しただけであって、
抑圧すると、
今度は無意識の領域から、
悪さをしはじめますから(^^;
余計に制御しずらくなってしまう。
では、どうすればいいのか?
田坂さんはいいます。
否定も肯定もせず、
ただ、静かに見つめる。
エゴを、
ただ、静かに見つめる?
実際、
自身の心の中のエゴが
蠢(うごめ)くとき、
叫ぶとき、
それを抑圧するのではなく、
ただ静かに、
「ああ、自分の中で、
嫉妬心が動いている」
「ああ、心の中で、
怒りが湧き上がっている」
と見つめるならば、
不思議なほど、
そのエゴは静まっていく。
なるほど・・・
まずはエゴがうごめいていることに、
「気づいて」
そして、
肯定も否定もせずに、
「静かに見つめる」
ということですね。
まずは、
エゴの存在を認めて、
それに「気づく」ところから。
瞑想もそうですね。
ちなみに、
天外伺朗さんは、
自分を見つめる瞑想法のことを、
「鳥の瞑想」と名付けています。
自分の後方右上3メートル付近に
鳥が飛んでると仮定して、
そこから自分を見つめるという手法です。
いわゆる「メタ認知」ですね。
私も意識してやっています。
(なかなかうまくいかないことも
多いですが(^^;)
逆に、
「エゴを捨てよ!」
「我欲を捨てよ!」と、
無理矢理エゴを抑圧すると、
しばしば、
「自分はエゴを捨てた人間である」
と思い込み、
自分が一段深い境地に
入ったと思い込む、
「エゴの自己欺瞞」や
「エゴの巧妙な罠」に
陥ってしまう。
どきっ・・・
これはありますね(^^;
ある程度歳を重ねて丸くなり、
まるで達観したような、
悟りの境地に入ったと勘違いをする。
つまり、
すっかり「いい人」になったと(^^;
でも、実際はそんなことはないし、
自分のエゴをオープンに話す人を、
どこか見下すことにもなりかねない。
それって、
「エゴ」ですよね(笑)
「エゴ」に知らぬ間に乗っ取られている(^^;
「エゴ」はなくすことはできないし、
抑えつけても、
今度は無意識の領域から
私たちを脅かすことになるので、
もっと質が悪くなる(^^;
ですので、
まずは「エゴ」の存在に気づいて、
それを静かに見つめる。
時には言語化してみる。
そういう意味でも、
カウンセリングという手法は、
有効なのかなと思います😊
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今回も最後までお読みくださいまして
有り難うございました😊
次回もこの本の紹介を続けます(^^;
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おまけ写真集(^^;
晴れた日の週末は、
山歩きすることが多いのですが、
梅雨の時期も、
土日いずれかは晴れ(曇り)
の日が多かったので、
毎週のように山に行っています(^^;
晴耕雨読ならぬ、
晴山雨読(^^;
足柄の21世紀の森から、
矢倉岳へ!
山頂着きました!
富士山の絶景がまっているはずが・・・
うう、まったく見えず😢
反対側の小田原方面は
晴れているのに・・・
下山、
木漏れ日きれい・・・
帰りの21世紀の森で、
きゅうり、なす、いんげん、
袋パンパンに入って、
それぞれ100円で販売していました😲
有り難うございました(^^)
美味しかったです!
近くの河村城跡にも立ち寄り。
遠藤周作さんの影響もあり、
山城、好きになりました(^^)
美しい風景!
ちと暑かったけど、癒された一日でした😊








































































