ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
今回ご紹介させていただく本は、
みうらじゅんさんの、
実は、SNSで紹介されていた、
みうらじゅんさんの最新刊、
に興味をもったので、
仕事の帰り道、
駅前の本屋で探したら、
残念ながら見当たらなかったのですが、
「たしか、みうらじゅんさんの本、
家にあったな~」
と思い、本棚を探ったら出てきた本が、
この、
10年以上ぶりになりますが、
久々に読み返してみました。
みうらじゅんさんといえば、
「マイブーム」
という言葉を作ったイラストレーターで、
ちょっとエロくて、
かなりオモロイお方なのですが(^^)
「見仏記」
などのベストセラーもあるように、
仏像ブームをけん引した
お方でもあるんですね!
少年時代に京都・東寺の仏像群を見て、
「怪獣みたいでかっこいい!」
と思ったのがきっかけで、
「将来の夢は住職」になったという、
筋金入りの仏像好き!
四天王に踏まれている邪鬼を、
自分に見立てたり、
「弘法大師のマネ」
をクラスメイトに披露して、
ドン引きされたり(笑)
笑えるエピソード満載なのですが、
思い返せば、
私自身も子供の頃から、
けっこう仏像好きだったかも(^^;
鎧武者みたいな謎の絵を
よく書いていた記憶がありますが、
あれは、四天王像に感化されていた?
たしかに、
先入観のない子供にとっては、
怪獣も仏像も、
同じ魅力あるキャラクターですしね。
もっとも、
みうらじゅんさんのように、
友達に「仏像が好き!」と
無邪鬼にいえるほどの勇気は、
ありませんでしたが(^^;
で、この本、
笑える中にも、
けっこう「深く」て
「はっとさせられる」ことが書かれています。
私が印象に残った箇所を、
いくつか紹介・解説していきますね。
「機嫌」という言葉は仏教から・・・
という話から、
最近、この「機嫌を取る」
ということの重要性について
よく考えます。
「人のご機嫌を取る」
ということは、
ご機嫌にいいことではないかと
思うのです。
「人のご機嫌を取る」
う~ん、行き過ぎると、
ちょっと軽薄な感じもしますが・・・
「人のご機嫌を取る」
というと、
「あいつは人の顔色ばかりを
うかがっている」と、
悪い意味にとらえられる
こともあります。
しかし、
家庭でも恋愛でも、
人間関係が
上手くいっていないときというのは、
得てして相手の機嫌を取ることを
怠っている時です。
すべてとは言い切れませんが、
たしかに、そうかもしれません・・・
「相手のことを思って行動する」
のは、人間関係の基本です。
相手の機嫌をちゃんととって、
「ご機嫌」になってもらえば、
回り回ってこちらの
「機嫌」もよくなります。
「機嫌を取る」
ブームが起きれば、
世の中少しは
マシになるのではないでしょうか。
たしかに・・・
機嫌は伝播しますしね。
人の機嫌を取っているだけだと、
「あいつは調子がいい」
などと言われがちですが、
人の機嫌を気にして
生きていくことが、
そんなに悪いことだとは
思えません。
「ご機嫌を取る」
と似たような言葉に、
「相手の身になって考える」
というのがあります。
しかし
「相手の身」というものが
本当はどういうものなのか
わかるはずもありません。
あくまでこれは
「自分の考える相手の身」です。
しかし
「ご機嫌を取る」であれば、
これは「相手の身」にならなくても
できるはずです。
なるほど~、
「相手の身になる」ということが
悪いことだとは思いませんが、
それによって、
「相手をわかったつもり」になると、
変に押し付けがましく
なってしまったりします。
それよりも、
「ご機嫌を取る」
すなわち、
相手を喜ばせたり、
具体的な気遣いをするほうが、
いいのかもしれません(^^)
なかなかそう上手くいかないのが
人間ですが、
それも「修行」だとあきらめて、
人の機嫌を取ろうではありませんか。
例えば、
「家のゴミを出してきて」
と妻に頼まれた場合。
「そうすれば妻が喜ぶのだから、
ご機嫌を取るためにやろう」
と思うか、
「何で俺がゴミを
出さなきゃいけないんだ」
と思うか。
どきっ、
私は後者かも・・・
特に、ぶっきらぼうに、
あたりまえのように言われた場合には、
カチンときます(^^;
そもそも
「機嫌を取る修行」
を普段からしていれば、
口ごたえもしないだろうし、
妻に言われる前から
ゴミを出しているかもしれません。
ううっ、そうか・・・
修行が足りんですね(^^;
かつては
「男は黙ってサッポロビール」。
三船敏郎が出演した
コマーシャルのように、
他にも
「不器用ですから」
の高倉健のように、
自分から機嫌を
取りにいかないほうが
恰好良い、
とされる時代がありました。
それを世の男性は
真似るようになって、
進んで「ご機嫌を取る」
ことを考えなくなってしまった
のではないでしょうか。
いかにも、昭和の男。
私にはそんな要素はない・・・
・・・いや、ウソです。
少しはあります(^^;
正直、高倉健に
ちょっと憧れるところも
ありますが・・・
しかしそれは、
それなりのルックスや
力量が伴わなければ
成立しません。
誰もが真似できるわけでは
ないのです。
ううっ・・・
容赦ない。
私には無理か(^^;
飲み屋でもよく
「家に帰ると、
女房の機嫌が悪くてさあ」
という発言が
聞こえてきますが、
その理由ははっきりしています。
日ごろ、
その人が奥さんの機嫌を
取っていないからです。
そう発言した人間が
当事者なのは明白なのに、
「機嫌が悪くてさあ」
と言うとき、
どこか他人事で
無責任な感じが
付きまといます。
つまり
責任はすべて相手にある、
という態度です。
「責任はすべて相手にある」
これ、つい、
そう思ってしまいがちですよね(^^;
そのようなとき
一番いけないのは、
「何でこの俺がそんなことを
しなきゃいけないんだ」
というものです。
この「何でこの俺が」
という言葉。
それは
「ご機嫌界」で一番の禁句です。
「何でこの俺が」が、
「ご機嫌界」で一番の禁句!
このときの
「何でこの俺が」
という言葉には、
様々な意味が込められています。
「もう中学生でもないのに
何で俺が」とか、
「こんなに頑張って仕事をしている
俺なのに」とか、
「俺はアーティストなのに」とか、
「俺」に込められた意味は
様々です。
それが大概の怒りの原因です。
「この俺様が、何で」
という特権意識ですね。
特に社会的地位が高くなったりすると、
つい勘違いしてしまいがちです。
これと似た傾向として、
「何か俺の周り、
どうしようもないバカばっかり
なんだよね」
という人がいます。
しかし
「自分のその中の一人である」
ということが、
なぜかその人には
見えていません。
「今日の京都は混んでいるな」
というのも同じです。
自分がその中の一人であり、
原因であることが
見えていないのです。
どきっ、
これは、私が山歩きしていて、
混んでいる時など、
つい、
同じことを思ってしまいますが(^^;
そのときの
「俺」や「私」というものが
一体何であるのかー。
先にも述べましたが、
いくら「自分探し」をしても、
その答えが出るはずが
ありません。
いつの「俺」かも、
どの「私」かも
わからないわけですから。
それよりも、
「自分をなくす」方が、
はるかに具体的な解決に
なるはずです。
つまり
「機嫌を取る」
=「自分なくし」
なのです。
「機嫌を取る」=「自分なくし」
「自分さがし」ではなく、
「自分なくし」。
「自分なくし」とはいったい
どういうことでしょうか?
・・・次回に続きますね(^^;
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回に続きます(^^;
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おまけ写真集(^^;
丹沢の大山を、
マイナーな北尾根ルートから登りました😊
まず札掛の吊り橋を渡ります。
通行注意!って・・・
でもそんな危険じゃなかったです(^^;
吊り橋から、
美しい新緑(^^)
ひたすら登ります・・・
これは、林業用のモノレールのレールです。
最後、はしご超えると・・・
山頂着きました!
曇っていて見晴らしはイマイチでしたが、
やっぱり人気の山、
山頂は混んでました。
(私もその一因(^^;)
山頂の奥の院。
有り難うございます。
よし、中吉!
いいこと書かかれています😊
下山して、
吊り橋を下から眺めながら・・・
ああ・・・
癒されます(^^)
これは別日の鎌倉ハイキング!
鎌倉名物、切通し。
瑞泉寺。
苔むす階段上って・・・
本堂、着きました!
奥の庭園。
これも鎌倉名物、
大きな、やぐら。
鎌倉は、
ハイキングと神社仏閣巡り、
両方楽しめます(^^)
ボクも忘れないで😺
(無防備すぎ~)




























































































