ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

中村哲さんの自伝、

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

 

 

を紹介・解説しています(^^)

 

中村哲氏は、

もともとは医師として

アフガニスタンに赴き、

ハンセン病の治療などに

従事されていたのですが、

 

干ばつの進む中、

診療所を訪れる人の多くの病気が、

十分な食料、清潔な水があれば

防げることに気づきます。

 

そこで、

砂漠地帯に井戸を掘り、

灌漑用水路の開拓に

取り組むようになるのですが、

 

土木工事の技術者としては素人ですので、

苦労の連続です。

 

しかし、

現地の人々や日本人の青年たちと

試行錯誤をしつつも、

井戸は1,600か所、

灌漑用水路は25Kmを超えるものが

完成します(^^)

 

 

小高い丘から望むと、

砂漠に囲まれる緑の人里は、

壮大な天・地・人の構図だ。

 

厚い砂防林の森が、

砂漠と人里とを、

くっきりと分けている。

 

苛酷な自然の中で、

人間は身を寄せ合って

生きている。

 

生殺与奪の権を持つ

大自然の前に、

つつましく生命を営む様子に、

 

改めて

「天、共に在り」

という実感と、

安堵を覚えるのである。

 

自然は喋らないが、

人を欺かない。

 

高く仰ぐ天が、

常にあることを実感させる。

 

絶望的な人の世とは無関係に、

与えられた豊かな恵みが

在ることを知らせる。

 

 

本書には、実際、

用水路ができる前と後の写真が

掲載されていますが、

 

砂漠が緑の大地に

劇的に変わっているさまが

一目瞭然です!

 

ちなみに、興味深いのは、

用水路の取水堰には、

氏の地元の筑後川(朝倉市)で

江戸時代に作られた

山田堰(斜め堰)の技術が

使われていることです。

 

江戸時代の治水技術の高さを

物語るとともに、

素人ながらも、そこに目を付けた

中村哲氏の眼力はスゴイですね!

 

必死の思いがあったからこそ、

そのアイデアを導き出せたのだと思います。

 

では、なぜ、

専門家ではない中村哲氏が、

国家予算規模の治水工事を

完遂することができたのか。

 

もちろん、

多大な寄付金が集まったことや、

日本の専門家や技術者の

知恵を借りたこともあると思いますが、

 

やはり、

内戦、空爆、テロの続く中でも、

現地の人たちと、

現場で泥まみれになりながら

一緒に汗を流したからだと考えます。

 

 

現地三十年の体験を通じて

言えることは、

 

私たちが己の分限を知り、

誠実である限り、

天の恵みと人のまごころは

信頼に足るということです。

 

 

机上論者ではなく、

実践の人であった中村哲さんの発言は、

説得力があるというか、

重みがありますね(^^)

 

本書の最終章は、

「日本の人々へ」

というメッセージです。

 

考えさせられるメッセージですが、

その一部を引用します。

 

 

今、周囲を見渡せば、

手軽に不安を忘れさせる

享楽の手段や、

大小の「権威ある声」

に事欠かない。

 

私たちは過去、

易々とその餌食に

なってきたのである。

 

このことは

洋の東西変わらない。

 

一見勇ましい

「戦争も辞さず」

という論調や、

国際社会の暴力化も、

その一つである。

 

経済的利権を求めて

和を損ない、

「非民主的で遅れた国家」

や寸土の領有に目を吊り上げ、

不況を回復すれば

幸せが訪れると信ずるのは

愚かである。

 

人の幸せは別次元にある。

 

人間にとって

本当に必要なものは、

そう多くはない。

 

少なくとも私は

「カネさえあれば何でもできて

幸せになる」という迷信、

 

「武力さえあれば

身が守られる」

という妄信から自由である。

 

何が真実で何が不要か、

何が人として

最低限共有できるものなのか、

 

目を凝らして見つめ、

健全な感性と自然との関係を

回復することである。

 

 

この本の初版は、

2013年ですので、

もう10年以上前のメッセージですが、

 

今の時代の私たちが

問われているような気がします。

 

 

「天、共に在り」

 

本書を貫くこの縦糸は、

我々を根底から支える

不動の事実である。

 

やがて、

自然から遊離する

バベルの塔は倒れる。

 

人も自然の一部である。

 

それは人間内部にもあって

生命の営みを律する

厳然たる摂理であり、

恵みである。

 

科学や経済、

医学や農業、

あらゆる人の営みが、

 

自然と人、

人と人との和解を探る以外、

我々が生き延びる道は

ないだろう。

 

それがまっとうな文明だと

信じている。

 

その声は今小さくとも、

やがて現在が裁かれ、

大きな潮流とならざるを

得ないだろう。

 

これが、

三十年間の現地活動を通じて得た

平凡な結論とメッセージである。

 

 

実際、

アフガニスタンの大干ばつ、

砂漠化の進行は、

地球温暖化の影響が否めないといいます。

 

今の日本の異常気象もご多分に漏れず。

 

紛争が続く世界情勢しかり。

 

自然と人、

人と人との和解を探る以外、

我々が生き延びる道はないというのは

その通りだと思います。

 

 

いま、きな臭い世界情勢、

一見勇ましい論調が横行し、

軍事力行使をも

容認しかねない風潮を

眺めるにつけ、

言葉を失う。

 

平和を願う声も

かすれがちである。

 

しかし、

アフガニスタンの実体験において、

確信できることがある。

 

無力によってこの身が

守られたことはなかった。

 

防備は必ずしも

武器によらない。

 

1992年、

ダラエヌール診察所が

襲撃されたとき、

 

「死んでも撃ち返すな」と、

報復の応戦を引き止めたことで

信頼の絆を得、

後々まで私たちと事業を守った。

 

戦場に身をさらした兵士なら、

発砲しない方が

勇気の要ることを知っている。

 

 

そうですね。

 

あらゆる争いは、

正義と正義との戦い。

 

やり返せば、

報復の連鎖が続くわけです。

 

もっとも、

中村哲氏は、現実には、

凶弾に倒れてしまったわけで・・・

 

やはり、

最低限の武力による防備は

必要だったのではないか、

 

・・・実際、

そうかもしれません。

 

しかし、

中村哲氏が30年以上に渡って

アフガニスタンの人々から信頼を得て、

偉大な治水工事を完遂できた最大の要因は、

 

力に頼らなかったからだと思います。

 

 

「信頼」は

一朝にして築かれるものではない。

 

利害を超え、

忍耐を重ね、

裏切られても

裏切り返さない誠実さこそが、

人々の心に触れる。

 

それは、

武力以上に強固な安全を

提供してくれ、

人々を動かすことができる。

 

 

この本を執筆した3年後の2019年、

中村哲氏は車で移動中に襲撃され、

亡くなります。

 

亡くなりましたが、

彼の「生き様」は、

 

影響を受けた内村鑑三氏の

「後世への最大遺物」として、

 

アフガニスタンの人々や、

日本人の心の中に生き続け、

 

そして、

永遠に語り継がれると思います。

 

 

 

****************************************

 

 

以上、

中村哲さんの自伝、

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

 

 

私の印象に残った箇所を

2回にわたって紹介してきました。

 

氏のような生き方は、

私には、とてもできないのですが、

 

同時代の日本人に、

このような人が実在したという事実は、

 

「人間捨てたもんじゃない」

という思いを呼び起こさせます。

 

ご一読をおすすめします😊

 

ちなみに、

アマゾンプライムで、

中村哲さんを描いた

ドキュメンタリーが公開されています。

 

良心の実弾 医師・中村哲が遺したもの

 

48分のドキュメンタリー番組。

こちらも、おすすめします!

 

 

 

***********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

ヤビツ峠から、

さくっと大山登山。

 

 

 

ううっ、

ちょっと曇り気味ですが(^^;

 

真夏は登りで汗だくになるせいか、

意外と空いてました。

 

 

 

山頂は、標高1,200mを越えているので

下界よりも-10℃!

 

そんなに暑くなかったです(^^)

 

 

 

山頂の神社の中?に、

鹿がいましたよ!

 

 

 

三の塔や塔ノ岳方面を臨む・・・

 

気持ちいい~(^^)

 

 

 

亡き父の墓参りの際に、

近くの武蔵陵墓地に立ち寄りました。

 

昭和天皇の武蔵野陵。

 

パワースポットといわれるだけあって、

神聖な雰囲気でした・・・

 

 

 

そして、八王子城跡、

本丸を攻略!

 

 

 

30分くらいの

汗だく💦登山のあと・・・

 

山頂付近の八王子神社が見えてきました!

 

 

 

本丸跡・・・

 

 

 

ぐるっと山歩きした後、

御主殿跡の広場に。

 

礎石がけっこう残っています。

 

 

 

なかなか立派な虎口。

 

 

 

多くは復元とはいえ、

関東では珍しく、

石垣に迫力のある戦国時代の山城です!

 

私は遠藤周作さんの影響もあり、

山城を味わうようになりました(^^)

 

当時の人たちは、

どんな様子だったのか・・・

 

妄想を膨らませます。

 

八王子城跡。

山城好きな人におすすめです😊

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

地域によって不安定な天候が続いています。

どうか被害が拡大しませんように・・・

 

今回、紹介させていただく本は、

中村哲さんの自伝、

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

 

 

中村哲さんといえば、

アフガニスタンの人々のために

生涯を捧げた方。

 

2019年12月に

凶弾に倒れたというニュースは、

まだ記憶に新しい気がしますが、

 

私は以前から、

中村哲さんの生き方には興味があり、

一度、自伝を拝読したいと思っていました。

 

その中村哲氏。

井戸を掘ったり、

用水路を開拓したことが有名ですが、

実は、医師なんですね。

 

もともとは医師として

アフガニスタンに赴き、

ハンセン病の治療などに

従事されていたのですが、

 

診療所を訪れる人の多くの病気が、

十分な食料、清潔な水があれば

防げることに気づきます。

 

そこで、

井戸を掘り、用水路の開拓に

取り組むようになるのですが・・・

 

内戦、空爆、テロが続き、

さらには、

大干ばつも進むアフガニスタンの地。

 

常に命の危険にさらされている中で、

30年以上もアフガニスタンのために

力を尽くされた。

 

その原動力とは、いったい何なのか。

 

興味深く読み進めました。

 

中村哲氏は、

1946年福岡県生まれ。

 

少年期は「昆虫」が大好きで、

ファーブル昆虫記を読み、

将来は農学部の昆虫学科に

進みたいと考えていましたが、

 

西南学院中等部時代に、

キリスト教に出会い、

内村鑑三氏の「後世への最大遺物」

に感化されて、

九州大学医学部に進みます。

 

精神科医ビクトール・フランクル

の影響もあり、

卒業後は佐賀県の療養所の

精神科に勤務します。

 

そこでの

「生きる意味」

にまつわるエピソードが、

なかなか興味深いです(^^)

 

引用します。

 

 

ある時、

受け持ちの統合失調症の患者が

自殺しようとして止めたとき、

患者から尋ねられた。

 

「生きることの意味感が

ないのです。

先生はなぜ生きているのですか」

という。

 

だが、

改めて問われると、

自分もよく分からない。

 

「仕事や昆虫の興味で」

というのも

まともな答えにならないし、

 

「与えられた生命の意義」

を説くほど宗教的でもない。

 

結局、

その時々の状況の中で、

義理や人情に流されながら

生きているだけで、

 

確たる信念を

貫いているわけではない。

 

 

「義理や人情に流されながら

生きているだけ」

 

何とも、正直というか、

謙虚というか(^^)

 

でも、考えてみたら、

私も含めて、

多くの人はそうかもしれません(^^;

 

 

このとき悟ったのは、

「自分」や「個人」

という実態が

あやふやなものだと

いうことである。

 

ヒトという生物個体としての

自分はあるが、

精神生活においては

「自分」や「自我」

というものが、

甚だつかみ所がない。

 

「人間とは関係である」

という難解なことばを

理解したような気がした。

 

哲学者で精神科医の

ヤスパースは明快に述べている。

 

「一人で成り立つ自分はない。

自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。

 

他者との関係において

自分が成り立っている」

 

 

そうですね・・・

 

自分を見つめることは

とても大切なことだと思いますが、

それだけだと、

たしかに、

行き詰ってしまうことがあります。

 

自分というものは、

やっぱり、

他者との関係で試行錯誤する中で

見えてくる部分があると思います。

 

 

それ以上の細かい議論は

よく分からないが、

少なくとも

臨床医としての立場に立つとき、

 

「意味は人間に隠されている。

その隠された意味を

人間が無理に意識しようとすれば、

それは人為の造花になって

虚構から免れない。

 

不安は意識されることによって

現実化する。

 

悩む者に必要なのは、

因果関係の分析で

無意識を意識化することではなく、

意識を無意識の豊かな世界に

戻すことである」

 

と、フランクルは

近代的な精神分析の罠を

警告している。

 

そしてこれらの発見は、

当時の私としては

何かを納得させるものがあった。

 

 

ちょっと難解な感じがしますが、

私なりに読み解いてみますと・・・

 

いわゆる、

フロイトの精神分析では、

「無意識」、つまり、

抑圧された感情や記憶、欲求などを

「意識化」することを重視します。

 

無意識に光を当てることは、

クライアントの気づきにもつながるので、

それはそれで、

大切なことなのですが、

 

一方で、

それがいきすぎると

無意識を無理矢理に解釈する、

たとえば、性の抑圧に強引に結び付けたり

することにもなりかねない。

 

そういうことを

警告しているのではないかと。

 

 

理屈はさておき、

「空の空、一切は空である」

(伝道の書)

と聖書記者が述べるとき、

 

「現象は即ち空、空は即ち現象」

(般若心経)

と仏教徒が唱えるとき、

 

同様のことが

述べられているのである。

 

空とは虚無ではない。

 

そこに

「豊かさと神聖さを

秘めたなにものか」

なのである。

 

 

「色即是空」ですね。

 

ここでいう「空」とは、

さきほどの精神分析でいうと

「無意識」のことだと考えます。

 

無意識すなわち空は、

個人の抑圧された感情なども含まれますが、

それよりも、

 

「豊かさと神聖さを秘めたなにものか」

 

ではないかということですね。

 

 

では、

人間に隠された神聖なものを

どうして人間が分かるのか。

 

精神科医フランクルは、

「良心が意味を感ずる器官だ」

と言い、

 

神学者カール・バルトは

神と人の厳然たる序列と一体性、

万人に通ずる恩寵の普遍性を説き、

 

人間中心の

近代の自由神学を否定している。

 

『論語』は最も明快で、

「これを知るを知るとなし、

知らざるを知らずとなせ」、

「温故知新」だと、

この消息を伝えている。

 

 

無意識の中にある

「神聖」なるものを、

どうして人間が分かるのか。

 

それは、

人間には「良心」があり、

それを通じて、神聖なるものに、

触れることが出来るからだ。

 

人間は、あらゆることを

知性で考えて理解できるわけではない。

 

無意識の中には、

人知では計り知れない

神聖なるもの、大いなるものがある。

 

だから、

人間はもっと謙虚になるべきだし、

現代の科学を駆使すればすべて解決できると

思い上がってはいけない。

 

ということでしょうか。

 

 

いささか理屈っぽいが、

以上が精神科医生活で得た

最大のもので、

迷い多き青年期の思想の

総決算だったと思っている。

 

後にペシャワールや

アフガニスタンで

イスラム教に接したとき、

 

特別な違和感を持たず、

むしろ自分の思いが確認され、

誰とでも共通の土俵で

話しができたうように思う。

 

 

中村哲氏は、青年期から、

「人間には、隠された神聖なものがある」

と、心の底から信じていたからこそ、

 

宗教や人種を超えて、

アフガニスタンの人々と

信頼関係を結ぶことができたのではないかと

感じました・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

****************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

***************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

久々に宮音(みやお)くん登場です!

 

 

夏になると増えるポーズ!

 

おっぴろげ~😸

 

 

 

ここでも(^^;

 

 

 

うが~

 

 

 

毎年恒例。

三浦半島荒井浜でのシュノーケリング遊び!

 

波高めでしたが、

おかげさまで、

魚たちとたくさん出会えて楽しめました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

この本は、

第二次世界大戦中、

密偵として、中国北部からチベット、

インドまで苛酷な旅を続けた、

西川一三氏のノンフィクションなのですが、

 

なかなか示唆に富む文章があります。

 

苛酷な砂漠地帯を越えたあと、

西川氏はこんな感慨を抱くようになります。

 

 

もしかしたら、

困難を突破しようと

苦労をしているときが

旅における

最も楽しい時間なのかもしれない。

 

困難を突破してしまうと、

この先にはまた新たな困難が

待ち受けているのではないかと

不安になる。

 

困難のさなかにあるときは、

ただひたすら

それを克服するために

努力すればいいだけだから、

 

むしろ不安は少ない、と。

 

 

なるほど・・・

 

困難に直面しているときは、

早くこの状態から脱したいと、

ただひたすら

願うような気もするのですが(^^;

 

でも、一方で、

 

この旅のような

生きるか死ぬかの苛酷な状況下だと、

そもそも、そんな余裕がないというか、

 

とにかく、

眼の前の困難を克服することに必死で、

余計なことを考える暇もない、

 

だから、

「無心」になれる

ということなのかと思います。

 

変に余裕が出てくると、

私たちは、あれこれ妄想をし、

悲観的になってしまいがちですが(^^;

 

苦労や困難を克服するために集中すれば

それは、

「無心」になれるチャンスともいえる。

 

そう考えると、

苦労や困難の経験も、

悪くはないかもしれませんね😊

 

ちなみに、

私の趣味のひとつが山歩きなのですが、

 

もっとも、何日もかけて縦走したり、

ハードな雪山には登ったりはしない

せいぜい初級~中級レベルの登山なのですが、

 

それでも、鎖場やザレ場、

道が狭く崖になっている箇所など、

多少、危険なところを通ったりもします。

 

私は人が少なめのコースが好きなので、

その分、熊に遭遇するおそれ?もあります😲

 

で、そんな山歩きをすると、

気分がすっきりすることが多いのですが、

それは、

そのような多少のリスクを抱えている中で、

感覚を研ぎ澄まし、

「いま、ここ」に集中して、

「無心」になる瞬間があるからかもしれません。

 

もちろん、

気分がすっきりするのは、

やっぱり、自然に触れ合うことができるのが

大きいとは思いますが、

 

「いま、ここ」に集中して、

「無心」になれる瞬間があることも、

少なからず影響しているような気がします。

 

実際、たまに滑ったり、コケそうになって

冷や汗をかくことがありますが、

 

だいたいその時は、

目の前に集中せずに、

余計なことを考えていたり、

周りの人に気を取られている時です(^^;

 

ある心理カウンセラーは、

山歩きは「歩く瞑想」

だとおっしゃっていましたが、

言い得て妙だと思います😊

 

 

・・・さておき、

本書の内容に戻ります(^^;

 

西川氏は、ラマ僧に扮して、

旅の後半はインドを訪れるのですが、

いろいろなところで、

人々から親切にされることが続きます。

 

何故なのでしょうか。

 

 

― いまの自分は、

綺麗に欲がなくなっている。

 

何をしたいとか、

何を得たいとか、

何を食べたいとかといったような

欲望から解放されている。

 

一日分の食糧があれば、

どこで寝ようがかまわないと

思っている。

 

水の流れに漂っている

一枚の葉と同じように、

ただ目の前を歩いている。

 

その欲のなさが、

人の好意を

誘うのかもしれない・・・。

 

 

なるほど・・・

 

八年もの間、

苛酷な旅を続けた西川氏は、

ラマ僧に扮していたとはいえ、

 

本物の修行僧のような境地に

達していたのかもしれませんね。

 

「欲のなさが人の好意を誘う」

 

実際に私も、

人の好意を受ける時というのは、

無欲の時が多いような気がします。

(もっとも、

そんなに頻繁にあるわけではないのですが(^^;)

 

もっと正確にいえば、

無欲というよりも、

どこか感謝の気持ちを抱いている時でしょうか。

 

西川氏はこう述懐します。

 

 

旅における駝夫の日々といい、

シャンでの下男の日々といい、

カリンボンでの

物乞いたちとの日々といい、

デブン寺における

初年坊主の日々といい、

新聞社での見習い職工の日々といい、

この工事現場での苦力の日々といい、

 

人から見れば、

すべて最下層の生活と

思われるかもしれない。

 

いや、実際、

経済的には最も底辺の

生活だったろう。

 

しかし、

あらためて思い返せば、

その日々のなんと自由だったことか。

 

誰に強いられたわけでもなく、

自分が選んだ生活なのだ。

 

やめたければいつでも

やめることができる。

 

それだけでなく、

その最も低いところに在る生活を

受け入れることができれば、

 

失うことを恐れたり、

階段を踏みはずしたり、

坂を転げ落ちたりするのを

心配することもない。

 

何と恵まれているのだろう、

と西川は思った。

 

 

「自由」

 

選択する自由があるということは、

とても恵まれていることなのだと思います。

 

自由がないということは、

たとえ経済的に豊かであっても、

それは、奴隷と同じかもしれない。

 

自由は、

あると当たり前に感じてしまいますが、

実は、とても有り難いこと。

 

自由に感謝する。

そして、

自分の人生は、自分で選択をするということ。

 

忘れずにいたいです😊

 

 

 

****************************************

 

 

以上、

2回にわたって、

 

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説してきました(^^)

 

まるで西川氏になったように、

実際に中国北部からチベット、

インドを放浪したような気分になれる、

 

そして、

自分らしく生きる勇気が湧いてくる本。

 

ご一読をおすすめします😊

 

 

 

********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

********************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

前回の富士登山から、

続きです・・・

 

 

 

ヘロヘロになりながらも・・・

 

 

 

山頂の奥宮(久須志神社)

着きました!

 

 

 

頂上限定お守りゲット😊

 

 

 

せっかくなので、

お鉢巡りにもチャレンジ!

 

 

噴火口・・・

大迫力でした😲

 

 

 

・・・反対側の、

浅間神社奥宮まで来ました!

 

 

 

富士宮方面、

雲海・・・

 

 

 

これが、

3,776mのホントの頂上、剣ヶ峰・・・

 

この登りきつかった💦

 

 

 

何とか着きました\(^o^)/

 

 

 

下ります・・・

 

 

 

山中湖を見下ろしながら・・・

 

 

 

須走の砂走ルート!

 

靴が小石の砂の中に埋もれながら下るという、

他の山では味わえない感覚・・・

 

ヒザは楽ですが、

靴の中が小石まみれ(^^;

(ゲイター・スパッツつけた方がいいです)

 

 

 

シャトルバス停まで、

もう一息・・・

 

 

 

古御岳神社、

無事下山できました。感謝!

 

富士登山・・・

いい思い出になりました。

またいつか、別のルートから登りたいです!

 

おつきあいいただきまして、

有り難うございました😊

 

自由に遊ばせてくれる、

妻にも感謝(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ちょっと、

ブログの間隔が空いてしまいました(^^;

 

猛暑が続きますが、

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

 

先日、

念願の富士登山に行ってまいりました🗻

おまけコーナーで

写真アップさせていただきますね(^^)

 

さておき、

今回紹介させていただく本は、

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

沢木耕太郎さんの代表作と言えば、

言わずと知れた

深夜特急シリーズ

 

大学生の頃、

心躍らせて読みました(^^)

 

「よし、オレもシュラフ(寝袋)

持参で一人旅に出よう!」

 

という気になったのですが、

 

小心者の私は、

海外に一人で行く勇気はなく、

北海道の旅で

お茶を濁した記憶があります(^^;

 

で、今回の、

天路の旅人(上)(下)

 

第二次世界大戦中、

密偵として、

中国北部からチベット、

インドまで苛酷な旅を続けた、

西川一三氏のノンフィクションです。

 

いやあ、

さすがに沢木耕太郎さん、

読ませますね~

 

まるで主人公になったような気分で、

旅の世界にグイグイ引き込まれます(^^)

 

私は中国に安ツアーで訪れたことは、

何度かあるのですが、

 

「ああ、チベットやインドにも

行ってみたいなあ~」

という気分になりました(^^)

 

ネタバレになるので、

ストーリーの詳細は割愛するとして、

 

私の印象に残った箇所を、

引用、紹介させていただきますね。

 

西川氏は、

帰国後、化粧品の卸売店を営むのですが、

晩年、著者のインタビューに、

こう答えます。

 

 

「狭くて、汚い店です」

西川はそう言った。

 

だが、それも、

あえて汚いままにしてあると

いうことであるらしい。

 

「人はむしろ

汚いくらいのほうが

安心するんです。

 

通行人が道を訊くために

店に入るのは、

近隣の中ではうちが最も

多いくらいのものでね」

 

そして、

自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても

生きていけるものです、

 

と言った。

 

 

「自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても生きていける」

 

そうですね~

 

西川氏は、

駱駝が落としていった糞を

湯を沸かす燃料にするような

苛酷な旅を経験したからこそ、

言える言葉ですね。

 

そして、西川氏が

何度もピンチに会いながらも、

生き延びてこられたのは、

 

どんな民族や職業の人に対しても、

決して見下したりしない、

 

人として尊重する姿勢、

謙虚さがあったからこそではないかと

思えてきます。

 

西川氏は、

正月の1日以外は、

364日毎日仕事をする

(休みなし!)という

生活を続けていました。

 

そのせいで、

沢木耕太郎さんの取材は、

いつも仕事を終わった後の

晩酌タイムだったというエピソードが

述べられていますが、

 

古き良き日本人、

という感じがしますね(^^)

 

ゴビ砂漠へ向かう中でのシーン・・・

 

 

(雪の積もる中)

出発が可能になり、

歩き始めれば、

 

西に向かう西川たちの背中に

東から昇ってくる陽光が当たり、

 

その暖かさと

自分の発する熱によって

ポカポカしてくる。

 

― 幸せとは

こういうことを言うのか・・・。

 

西川は歩きながら思っていた。

 

旅に出ると、

生活が単純化されていく。

 

その結果、

旅人は生きる上で

何が大切なのか、

どんなことが重要なのかを

思い知らされることになる。

 

火がおきてくれれば

湯が沸き、

太陽の光を浴びれば

体が暖かくなる。

 

たったそれだけで

幸せになる・・・。

 

 

そうですね。

私たち現代人は、

便利なものに囲まれて生活しているので、

 

それが当たり前になっており、

なかなか幸せが

実感できなくなっていますが、

 

でも、ほんらい、

湯が沸いたり、

太陽の光を浴びられることは、

それ自体で、

とても幸せなことなんですよね。

 

ただ、苛酷な体験をしなければ、

それが実感できないのは、

人間の悲しい性でありまして・・・

 

ちなみに、

私は山歩きをするのですが、

 

汗だくで疲れ切って

下山した後に入る日帰り温泉、

 

「ああ、ありがたや~」

といつになく幸せを感じます(^^)

 

(同レベルにするな!と、

西川氏に怒られそうですが(^^;)

 

 

立ち止まって、

はるか遠くを見ると、

 

西方に真っ白な

ジャルタイ塩湖が

太陽の光を浴びて

輝いている。

 

それを見ながら、

西川は考えていた。

 

― 砂漠を歩いていると、

路傍にさまざまな動物の死骸が

横たわっているのにぶつかる。

 

砂漠では

どんな死骸も放置されたままだ。

 

最初こそ無残な姿を

晒すことになるが、

 

すぐに獣や鳥たちに

肉を食べつくされ、

風に吹かれ、

砂に洗われているうちに

美しい白骨となる。

 

そうした大自然の営みを

前にすると、

 

人間の力ではどうしようもない

巨大な力を感じる。

 

そして、

ここにおけるすべてのことは

大自然が解決してくれるように

思える。

 

あるいは、

その大自然の意志を

天と呼ぶのかもしれない。

 

自分は、

その天が命ずるままに、

眼の前に続く道を

歩いて行けば

いいのではないだろうか・・・。

 

 

このような

大自然を畏怖するような

経験をしたことが、

 

西川氏の謙虚な生き様を支える

バックボーンになったのではないか

という気がしてきます。

 

私もスケールは違いますが、

山歩きなどで、

大自然に触れる機会があると、

 

畏敬の念を感じるといいますか、

「自分も大自然の一部なんだ」

という気がしてきて、

敬虔な気持ちになることがあります。

 

ただ、下界に帰ると、

それを忘れてしまいがちなのですが

・・・(^^;

 

次回に続きますね・・・

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本を紹介します(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

念願の富士登山に

行ってきました🗻

 

道の駅すばしりで車中泊・・・

 

 

富士山の頭が見える!

 

心配だった天候も、

大丈夫そう!

 

朝4:30シャトルバス始発・・・

 

 

 

シャトルバスから御来光!

 

 

 

おおっ😊

 

 

 

比較的空いているといわれる

須走口の五合目から、

登山スタート!

 

 

 

古御岳神社で安全祈願して、

樹林帯を登ります・・・

 

 

 

山頂は近く見えますが、

ま~だまだ先です(^^;

 

 

 

振り返ると、

山中湖と雲海・・・

 

 

 

・・・ひたすら登って

ようやく八合目まで来ました!

 

 

 

ここからがきつかった・・・

 

空気が薄いせいか、

足取りが重くなります(^^;

 

 

 

うう、もう一息・・・

 

 

 

五合目から5時間半で

ようやく頂上浅間大社奥宮🗻(^O^)

 

ヘロヘロ状態でしたが、

お参りしてからお鉢巡りへ・・・

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの新書、

 

教養を磨く

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回のテーマは、

「『不運』の姿をした幸運」

 

有名な故事

「塞翁が馬」が紹介されています。

 

 

「中国北辺の老人が飼っていた

馬が逃げたが、

後に立派な馬を連れて帰ってきた。

 

老人の息子がその馬から落ちて

足を折ったが、

そのために戦争に行かずにすんだ」

 

 

「塞翁が馬」は、

私が座右の銘のひとつにしている言葉で、

IPS細胞の山中教授や、

サッカーの岡田武史監督なども

よくおっしゃっています。

 

この言葉は、

一見、悪いことのように見えることでも、

実は、悪いことではない。

 

または、

不運の後には、必ず幸運がやってくる。

 

と読み取れると思いますが、

田坂さんは、こう述べます。

 

 

幸運は、不運の姿をして

やってくる

 

 

不運に見える出来事は、

実は、幸運そのものだというのです!

 

 

実際、著者の人生を

顧みるならば、

 

当初、

「なぜ、このような不運が

起こったのか!」

と嘆くような出来事が、

それから何年もの歳月を歩んで

振り返るとき、

 

「ああ、あの出来事のお陰で、

このような有り難い道を

歩むことができた」

と思えることが大半である。

 

 

実際、田坂さんは、

大学院の研究職に就くことが出来ず、

深い挫折感を抱いて

民間企業に入りましたが、

 

そこで新たな、

営業や企画の能力を磨かれて、

その後、シンクタンクの立ち上げ、

ダボス会議での活躍、

やがては内閣官房参与までなられたり、

 

30代で大病を患いましたが、

そこから、

「いま、この瞬間を生き切る」

という生き方と、

「いつ死んでも悔いが無い」

という覚悟を掴まれた。

 

というエピソードが

紹介されています。

 

 

おそらく、

この随想を読まれる

読者の多くも、

 

不運に見えた出来事が、

実は、幸運であった

という体験を、

いくつも持たれているのでは

ないだろうか。

 

例えば、

人生で与えられた苦労や困難、

失敗や敗北、

挫折や喪失、

病気や事故など、

 

様々な逆境を振り返るとき、

 

「あの苦労のお陰で、

大切なことを学べた」

 

「あの失敗のお陰で、

成長することができた」

 

「あの挫折のお陰で、

この道へと導かれた」

 

といった深い感慨を抱く人は、

決して少なくないだろう。

 

 

そうですね・・・

 

過去ブログで

詳しく書かせていただいたことも

ありますが、

私自身思い返してみても・・・

 

暗い高校生活や浪人時代を

過ごしたことをバネに、

希望の大学に入ることができました。

が、そこでは、

特に恋愛関係が

さっぱり上手くいかなかったり(^^;

 

その後、就職は上手くいきましたが、

当初は希望の部署には行けず、

念願叶って異動できたと思ったら、

今度は大病を患ったり、

 

それによって、

働くことへの考え方も変わったり、

また、中間管理職になった頃には、

人間関係や妻との関係で悩みましたが、

それが、ライフワークである

心の学びをすることに繋がったり・・・

 

・・・何だか、

挫折や苦労をしていると、

やがて報われることがあり、

それに調子に乗っていると、

またまた苦労するという、

 

そんなリズム、変化を繰り返して

いるような気がしますが(^^;

 

何だか、

自然界の法則のような、

 

春夏秋冬、季節は巡る、

昼と夜、明けない夜はない、

晴れの日があれば、

雨の日もある・・・

 

雨は、恵みにもなるように、

本来、出来事には、

「いい」「悪い」

はないのかもしれないです。

 

が、私たちの認知は、

どうしても歪んでしまうので、

 

そのまま、つい目先のことに、

とらわれてしまいがちですが(^^;

 

 

読者には、一度、

自身の人生全体を振り返り、

 

「幸運は、不運の姿をして

やってきた」

 

という体験の棚卸を

されることを勧めたい。

 

読者は、その棚卸によって、

いかなる逆境をも肯定的に受け止め、

それを越えていく力、

 

「人生の解釈力」

 

と呼ぶべき力を

身につけることができるだろう。

 

 

人生の「解釈力」?

 

 

この「解釈力」とは、

人生で、

いかなる苦労や失敗や挫折が

与えられても、

それを、

 

「この苦労は、

何を学べという天の声なのか」

 

「この失敗は、

どう成長せよという声なのか」

 

「この挫折は、

どの道を歩めという声なのか」

 

と前向きに受け止め、

その逆境を肯定的に

解釈する力のことである。

 

 

なるほど・・・

 

目先のことにとらわれることなく、

この出来事には、

どのような「意味」があるのか?

と、内省しつつも、

 

広い視野で、肯定的に

「解釈」をするということですね。

 

 

そして、実は、この

「逆境を肯定的に解釈する力」、

 

それこそが、

「不運」に見える出来事を

「幸運」へと転じていく力に

他ならない。

 

一方、我々に、

その「解釈力」が無ければ、

 

人生の逆境を前に、

「なぜ、こんなことが

起こったのか」

「なぜ、こうした不運が

降りかかったのか」

「なぜ、自分は、

いつも不運なのか」

 

といった後向きの想念、

否定的な想念に心が支配され、

 

目の前の問題に正対して

取り組む力は

生まれてこない」

 

 

そうですね・・・

 

田坂さんは、

もともと地頭がよく、

東大出のエリートで

いわゆる成功者だから、

結果論として、

 

「幸運は、不運の姿をしてやってくる」

 

ということが

余裕を持って言えるのではないかと

一瞬思いましたが、

 

実際はそうではなく、

 

逆境に遭遇する度に、

 

「これは何を学べという声なのか」

「どう成長せよという声なのか」

「どの道を歩めという声なのか」

 

と謙虚に自分自身に問いかけて、

それを肯定的に解釈をされてきた。

 

その姿勢、積み重ねがあったからこそ、

今の成功者、人格者としての、

田坂さんがあるのではないか。

 

そんな気がします。

 

田坂さんはこうも述べます。

 

 

我々が、この

「解釈力」を身につけ、

どこまでも深めていくならば、

 

いつか、

次の言葉が真実であると

感じる日が来るだろう。

 

人生で起こること、

すべて良きこと。

 

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

(このタイトルで文庫本にもなっています。

人生で起こること すべて良きこと

 

う~ん、

すべてとは、ちょっと・・・

 

私はまだ、こう言い切れる

境地には達しておりませんが(^^;

 

でも、よくよく考えると・・・

 

そうなのではないか、

という気もしてきます。

 

出来事を、どのように意味づけ、

解釈するのか。

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

この人生で、少しでも

こう思えるような境地に近づきたいです😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

三浦半島、

秋谷の立石ちらっと見て、

 

 

 

途中のお寺で、感謝のお参りをして、

 

 

 

渓谷を歩き、

その後、黙々と登ると・・・

 

 

 

大楠山山頂!

(242mの低山ですが(^^;)

 

 

 

下山、

気持ちいい木漏れ日・・・

 

 

 

浄楽寺。

 

 

 

有名な運慶の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。

予約しないと観れませんが、

以前、横須賀美術館の運慶展で拝見しました。

(すばらしい仏像です!)

 

 

 

秋谷海岸。

まだ人は少ないですね(6月末現在)

 

 

 

秋谷の立石。

 


 

岩場の先に行って、

足だけ海に浸かりました!

 

 

 

池みたいなところで、

 

ああ、きもちよかった・・・

 

 

 

なかなかの風光明媚!

 

 

 

車で森戸海岸にも足を延ばしました。

海に浮かぶ鳥居とヨット・・・

(富士山はまったく見えず(^^;)

 

 

 

鳥居の向こうに鳥居・・・

 

おかげさまで、

海と山を、両方満喫できました!

有り難うございます😊