ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
村上春樹さんの文庫本、
エッセー、
から、
私の印象に残った箇所を、
紹介・解説しています。
今回で3回目、最終回です(^^;
この本には、
「なるほど~」「たしかに!」
と思えることが、
いくつかあったのですが、
今回もそれを紹介します(^^)
「村上さんみたいに毎日、
健康的な生活を送っていたら、
そのうちに小説が
書けなくなるんじゃ
ありませんか?」
みたいなことを
ときどき人に言われる。
外国にいるときには
あまり言われないけれど、
日本ではそういう意見を持つ人が
けっこうたくさんいるようだ。
小説を書くということは、
即ち不健康な行為であり、
作家たるものは
公序良俗から
遠く離れたところで、
できるだけ健全ならざる生活を
送らなくてはならない。
そうすることによって、
作家は世俗と訣別し、
芸術的価値を持つ
純粋な何かにより
近接することができるのだ
ー
といった通念のようなものが
世間には根強く存在する。
長い年月をかけて、
そういう芸術家=不健康(退廃的)
という図式が
作り上げられてきたらしい。
映画やテレビ・ドラマには、
よくこういうステレオタイプの
ーよく言えば神話的なー
作家が登場する
村上春樹氏は、
ほとんど毎日走り続けているような、
いわば「健康的」な作家ですが、
たしかに作家って、
不健康で退廃的なイメージがありますよね(^^;
たとえば、太宰治とかは、
まさにその典型ですが、
私も、デカダンスな生き方に
ちょっと憧れがあり、
飲んだくれてた時期もあります。
(それで体を壊したのですが(^^;)
今でも、
単なる健康的な生活だけだと、
つまらない人生だと思うところがある。
小説を書くのが不健康な作業である
という主張には、
基本的に賛成したい。
我々が小説を書こうとするとき、
つまり文章を用いて
物語を立ち上げようとするときには、
人間存在の根本にある
毒素のようなものが、
否応なく抽出されて表に出てくる。
作家は多かれ少なかれ
その毒素と正面から向き合い、
危険を承知の上で
手際よく処理して
いかなくてはならない。
そのような毒素の介在なしには、
真の意味での創造行為を
おこなうことはできないからだ
(妙なたとえで申しわけないが、
河豚は毒のあるあたりが
いちばん美味い、というのに
ちょっと似ているかもしれない)。
それはどのように考えても
「健康的」な作業とは
言えないだろう。
河豚(ふぐ)のたとえは、
分かりやすいですね(^^;
たしかに、
小説などで人間を描く際には、
毒素、というか、
精神世界で言う「影」、
すなわち、
心の奥底にある闇の部分に触れないと、
深みがでないような気がします。
しかし、そこに安易に触れるというのは、
健康的とはいえませんし、
どっぷり浸かるのは、
危険でもありますね。
生活じたいが、
退廃的になってしまうおそれがある。
(中略)
しかし僕は思うのだが、
息長く職業的に
小説を書き続けていこうと
望むなら、
我々はそのような危険な
(ある場合には命取りになる)
体内の毒素に対抗できる、
自前の免疫システムを
作り上げなくてはならない。
そうすることによって、
我々はより強い毒素を
正しく効率よく
処理できるようになる。
言い換えれば、
よりパワフルな物語を
立ち上げられるようになる。
そしてこの
自己免疫システムを作り上げ、
長期にわたって維持していくには、
生半可ではないエネルギーが
必要になる。
どこかにそのエネルギーを
求めなくてはならない。
そして我々自身の
基礎体力のほかに、
そのエネルギーを
求めるべき場所が
存在するだろうか?
体内の毒素に対抗できる、
自前の免疫システムを作る。
それが基礎体力である。
なるほどです(^^)
たとえば、
禅の修行の世界では、
日々の生活をきちんと
丁寧に過ごすことが求められますが、
これも、一種の
基礎体力作りなのかもしれません。
瞑想を続けていると
「魔境」という境地に陥ることが
あるそうです。
(私はまだ経験はありませんが)
仏陀や如来のイメージが現れることですが、
実はこれはエゴが肥大化したもの
なのだそうです。
日々の修行というものは、
これを防ぐための、
自己免疫システムなのかもしれない。
(中略)
真に不健康なものを
扱うためには、
人はできるだけ
健康でなくてはならない。
それが僕のテーゼである。
つまり不健全な魂もまた、
健全な肉体を
必要としているわけだ。
逆説的に聞こえるかもしれない。
しかしそれは、
職業的小説家になってからこのかた、
僕が身をもって
ひしひしと感じ続けてきたことだ。
健康なるものと
不健康なるものは
決して対極に
位置しているわけではない。
対立しているわけでもない。
それらはお互いを補完し、
ある場合においては
お互いを自然に含みあうことが
できるものなのだ。
往々にして
健康を指向する人々は
健康のことだけを考え、
不健康を指向する人々は
不健康のことだけ考える。
しかしそのような偏りは、
人生を真に
実りあるものにはしない。
「健康」と「不健康」は、
お互いに補完している。
補完することで人生が実りあるものになる。
そうですね・・・
シュルレアリスムの巨匠として知られる
ルネ・マグリットは、
芸術家としては、
非日常的で摩訶不思議な絵を書きますが、
それとは裏腹に、
生活レベルでは、
極めて平凡で規則正しい日々を
過ごしていたいたようです。
だからこそ、
精神世界の闇に飲み込まれることなく、
独創的な作品を多く残せたのだと思います。
カウンセリングで、
時間の枠や、空間の枠といった
「枠」を重要視するのも、
その分、来談者が安心して、
心の深いところまで
降りていけるようになる効果が
あるのだと思います。
私自身、
読書や心の学びの中で、
時には、人間の影や闇の部分にどっぷり浸かり、
それをじっくりと味わうためにも、
日常生活は、
なるべく健康的に過ごして、
基礎体力をつけておきたい。
そんなふうに思いました😊
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以上、3回にわたって、
村上春樹さんの文庫本、
エッセー、
から、
私の印象に残った箇所を紹介しました。
取り上げた箇所以外も、
多くの示唆が得られる本です。
自分で決めた道を
自分のペースで歩んでいこう!
という勇気が湧いてくるような本。
一読をおすすめします😊
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回は別の本を紹介する予定です(^^;
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おまけ写真集(^^;
私の健康、基礎体力作りの一助になっている、
山歩き(^^)
前日に城山(津久井城址)で
足慣らしをしたあと・・・
車中泊・・・
星がきれいだったのですが、
私のスマホレベルでは、
ほとんど写っておらず(^^;
日の出とともにスタート!
蛭ヶ岳二回目。
今度は姫次経由で。
整備された登山道・・・
凍ってました(^^;
姫次到着!
おお、カラマツの間から富士山(^^)
青空の下の紅葉、
映えます!
この角度、
檜洞丸が富士山を隠しています(^^;
振り返れば、紅葉!
頂上見えてきた!
ようし、もう一息・・・
頂上着きました(^^)
神奈川県最高峰、蛭ヶ岳!
前回はガスっていて何も見えなかったので、
リベンジ達成🗻
おかげさまで、最高の天気です!
アップ、
美しい・・・🗻
宮ケ瀬湖と関東平野・・・
蛭ヶ岳山荘で蛭カレーいただきました(^^)
元来た道を、下山します。
みごとな紅葉!
林相が美しい・・・
下山後・・・
素敵な建物ですね。
青根の諏訪神社、無事帰還できました!
有り難うございます😊
見事な大スギです!
蛭ヶ岳登山、
往復10時間近くかかり、
ヘロヘロになりましたが(^^;
天気最高!紅葉も美しく、
おかげさまで満喫できました😊
大自然という名の神様に感謝!
追伸 おまけのおまけ(^^;
遅ればせながら・・・
嫌がってる・・・😸

























































































