ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ちょっと、

ブログの間隔が空いてしまいました(^^;

 

猛暑が続きますが、

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

 

先日、

念願の富士登山に行ってまいりました🗻

おまけコーナーで

写真アップさせていただきますね(^^)

 

さておき、

今回紹介させていただく本は、

沢木耕太郎さんの

旅文学ノンフィクション、

 

天路の旅人(上)(下)

 

 

沢木耕太郎さんの代表作と言えば、

言わずと知れた

深夜特急シリーズ

 

大学生の頃、

心躍らせて読みました(^^)

 

「よし、オレもシュラフ(寝袋)

持参で一人旅に出よう!」

 

という気になったのですが、

 

小心者の私は、

海外に一人で行く勇気はなく、

北海道の旅で

お茶を濁した記憶があります(^^;

 

で、今回の、

天路の旅人(上)(下)

 

第二次世界大戦中、

密偵として、

中国北部からチベット、

インドまで苛酷な旅を続けた、

西川一三氏のノンフィクションです。

 

いやあ、

さすがに沢木耕太郎さん、

読ませますね~

 

まるで主人公になったような気分で、

旅の世界にグイグイ引き込まれます(^^)

 

私は中国に安ツアーで訪れたことは、

何度かあるのですが、

 

「ああ、チベットやインドにも

行ってみたいなあ~」

という気分になりました(^^)

 

ネタバレになるので、

ストーリーの詳細は割愛するとして、

 

私の印象に残った箇所を、

引用、紹介させていただきますね。

 

西川氏は、

帰国後、化粧品の卸売店を営むのですが、

晩年、著者のインタビューに、

こう答えます。

 

 

「狭くて、汚い店です」

西川はそう言った。

 

だが、それも、

あえて汚いままにしてあると

いうことであるらしい。

 

「人はむしろ

汚いくらいのほうが

安心するんです。

 

通行人が道を訊くために

店に入るのは、

近隣の中ではうちが最も

多いくらいのものでね」

 

そして、

自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても

生きていけるものです、

 

と言った。

 

 

「自分を低いところに

置くことができるなら、

どのようにしても生きていける」

 

そうですね~

 

西川氏は、

駱駝が落としていった糞を

湯を沸かす燃料にするような

苛酷な旅を経験したからこそ、

言える言葉ですね。

 

そして、西川氏が

何度もピンチに会いながらも、

生き延びてこられたのは、

 

どんな民族や職業の人に対しても、

決して見下したりしない、

 

人として尊重する姿勢、

謙虚さがあったからこそではないかと

思えてきます。

 

西川氏は、

正月の1日以外は、

364日毎日仕事をする

(休みなし!)という

生活を続けていました。

 

そのせいで、

沢木耕太郎さんの取材は、

いつも仕事を終わった後の

晩酌タイムだったというエピソードが

述べられていますが、

 

古き良き日本人、

という感じがしますね(^^)

 

ゴビ砂漠へ向かう中でのシーン・・・

 

 

(雪の積もる中)

出発が可能になり、

歩き始めれば、

 

西に向かう西川たちの背中に

東から昇ってくる陽光が当たり、

 

その暖かさと

自分の発する熱によって

ポカポカしてくる。

 

― 幸せとは

こういうことを言うのか・・・。

 

西川は歩きながら思っていた。

 

旅に出ると、

生活が単純化されていく。

 

その結果、

旅人は生きる上で

何が大切なのか、

どんなことが重要なのかを

思い知らされることになる。

 

火がおきてくれれば

湯が沸き、

太陽の光を浴びれば

体が暖かくなる。

 

たったそれだけで

幸せになる・・・。

 

 

そうですね。

私たち現代人は、

便利なものに囲まれて生活しているので、

 

それが当たり前になっており、

なかなか幸せが

実感できなくなっていますが、

 

でも、ほんらい、

湯が沸いたり、

太陽の光を浴びられることは、

それ自体で、

とても幸せなことなんですよね。

 

ただ、苛酷な体験をしなければ、

それが実感できないのは、

人間の悲しい性でありまして・・・

 

ちなみに、

私は山歩きをするのですが、

 

汗だくで疲れ切って

下山した後に入る日帰り温泉、

 

「ああ、ありがたや~」

といつになく幸せを感じます(^^)

 

(同レベルにするな!と、

西川氏に怒られそうですが(^^;)

 

 

立ち止まって、

はるか遠くを見ると、

 

西方に真っ白な

ジャルタイ塩湖が

太陽の光を浴びて

輝いている。

 

それを見ながら、

西川は考えていた。

 

― 砂漠を歩いていると、

路傍にさまざまな動物の死骸が

横たわっているのにぶつかる。

 

砂漠では

どんな死骸も放置されたままだ。

 

最初こそ無残な姿を

晒すことになるが、

 

すぐに獣や鳥たちに

肉を食べつくされ、

風に吹かれ、

砂に洗われているうちに

美しい白骨となる。

 

そうした大自然の営みを

前にすると、

 

人間の力ではどうしようもない

巨大な力を感じる。

 

そして、

ここにおけるすべてのことは

大自然が解決してくれるように

思える。

 

あるいは、

その大自然の意志を

天と呼ぶのかもしれない。

 

自分は、

その天が命ずるままに、

眼の前に続く道を

歩いて行けば

いいのではないだろうか・・・。

 

 

このような

大自然を畏怖するような

経験をしたことが、

 

西川氏の謙虚な生き様を支える

バックボーンになったのではないか

という気がしてきます。

 

私もスケールは違いますが、

山歩きなどで、

大自然に触れる機会があると、

 

畏敬の念を感じるといいますか、

「自分も大自然の一部なんだ」

という気がしてきて、

敬虔な気持ちになることがあります。

 

ただ、下界に帰ると、

それを忘れてしまいがちなのですが

・・・(^^;

 

次回に続きますね・・・

 

 

 

******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本を紹介します(^^;

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

念願の富士登山に

行ってきました🗻

 

道の駅すばしりで車中泊・・・

 

 

富士山の頭が見える!

 

心配だった天候も、

大丈夫そう!

 

朝4:30シャトルバス始発・・・

 

 

 

シャトルバスから御来光!

 

 

 

おおっ😊

 

 

 

比較的空いているといわれる

須走口の五合目から、

登山スタート!

 

 

 

古御岳神社で安全祈願して、

樹林帯を登ります・・・

 

 

 

山頂は近く見えますが、

ま~だまだ先です(^^;

 

 

 

振り返ると、

山中湖と雲海・・・

 

 

 

・・・ひたすら登って

ようやく八合目まで来ました!

 

 

 

ここからがきつかった・・・

 

空気が薄いせいか、

足取りが重くなります(^^;

 

 

 

うう、もう一息・・・

 

 

 

五合目から5時間半で

ようやく頂上浅間大社奥宮🗻(^O^)

 

ヘロヘロ状態でしたが、

お参りしてからお鉢巡りへ・・・

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの新書、

 

教養を磨く

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回のテーマは、

「『不運』の姿をした幸運」

 

有名な故事

「塞翁が馬」が紹介されています。

 

 

「中国北辺の老人が飼っていた

馬が逃げたが、

後に立派な馬を連れて帰ってきた。

 

老人の息子がその馬から落ちて

足を折ったが、

そのために戦争に行かずにすんだ」

 

 

「塞翁が馬」は、

私が座右の銘のひとつにしている言葉で、

IPS細胞の山中教授や、

サッカーの岡田武史監督なども

よくおっしゃっています。

 

この言葉は、

一見、悪いことのように見えることでも、

実は、悪いことではない。

 

または、

不運の後には、必ず幸運がやってくる。

 

と読み取れると思いますが、

田坂さんは、こう述べます。

 

 

幸運は、不運の姿をして

やってくる

 

 

不運に見える出来事は、

実は、幸運そのものだというのです!

 

 

実際、著者の人生を

顧みるならば、

 

当初、

「なぜ、このような不運が

起こったのか!」

と嘆くような出来事が、

それから何年もの歳月を歩んで

振り返るとき、

 

「ああ、あの出来事のお陰で、

このような有り難い道を

歩むことができた」

と思えることが大半である。

 

 

実際、田坂さんは、

大学院の研究職に就くことが出来ず、

深い挫折感を抱いて

民間企業に入りましたが、

 

そこで新たな、

営業や企画の能力を磨かれて、

その後、シンクタンクの立ち上げ、

ダボス会議での活躍、

やがては内閣官房参与までなられたり、

 

30代で大病を患いましたが、

そこから、

「いま、この瞬間を生き切る」

という生き方と、

「いつ死んでも悔いが無い」

という覚悟を掴まれた。

 

というエピソードが

紹介されています。

 

 

おそらく、

この随想を読まれる

読者の多くも、

 

不運に見えた出来事が、

実は、幸運であった

という体験を、

いくつも持たれているのでは

ないだろうか。

 

例えば、

人生で与えられた苦労や困難、

失敗や敗北、

挫折や喪失、

病気や事故など、

 

様々な逆境を振り返るとき、

 

「あの苦労のお陰で、

大切なことを学べた」

 

「あの失敗のお陰で、

成長することができた」

 

「あの挫折のお陰で、

この道へと導かれた」

 

といった深い感慨を抱く人は、

決して少なくないだろう。

 

 

そうですね・・・

 

過去ブログで

詳しく書かせていただいたことも

ありますが、

私自身思い返してみても・・・

 

暗い高校生活や浪人時代を

過ごしたことをバネに、

希望の大学に入ることができました。

が、そこでは、

特に恋愛関係が

さっぱり上手くいかなかったり(^^;

 

その後、就職は上手くいきましたが、

当初は希望の部署には行けず、

念願叶って異動できたと思ったら、

今度は大病を患ったり、

 

それによって、

働くことへの考え方も変わったり、

また、中間管理職になった頃には、

人間関係や妻との関係で悩みましたが、

それが、ライフワークである

心の学びをすることに繋がったり・・・

 

・・・何だか、

挫折や苦労をしていると、

やがて報われることがあり、

それに調子に乗っていると、

またまた苦労するという、

 

そんなリズム、変化を繰り返して

いるような気がしますが(^^;

 

何だか、

自然界の法則のような、

 

春夏秋冬、季節は巡る、

昼と夜、明けない夜はない、

晴れの日があれば、

雨の日もある・・・

 

雨は、恵みにもなるように、

本来、出来事には、

「いい」「悪い」

はないのかもしれないです。

 

が、私たちの認知は、

どうしても歪んでしまうので、

 

そのまま、つい目先のことに、

とらわれてしまいがちですが(^^;

 

 

読者には、一度、

自身の人生全体を振り返り、

 

「幸運は、不運の姿をして

やってきた」

 

という体験の棚卸を

されることを勧めたい。

 

読者は、その棚卸によって、

いかなる逆境をも肯定的に受け止め、

それを越えていく力、

 

「人生の解釈力」

 

と呼ぶべき力を

身につけることができるだろう。

 

 

人生の「解釈力」?

 

 

この「解釈力」とは、

人生で、

いかなる苦労や失敗や挫折が

与えられても、

それを、

 

「この苦労は、

何を学べという天の声なのか」

 

「この失敗は、

どう成長せよという声なのか」

 

「この挫折は、

どの道を歩めという声なのか」

 

と前向きに受け止め、

その逆境を肯定的に

解釈する力のことである。

 

 

なるほど・・・

 

目先のことにとらわれることなく、

この出来事には、

どのような「意味」があるのか?

と、内省しつつも、

 

広い視野で、肯定的に

「解釈」をするということですね。

 

 

そして、実は、この

「逆境を肯定的に解釈する力」、

 

それこそが、

「不運」に見える出来事を

「幸運」へと転じていく力に

他ならない。

 

一方、我々に、

その「解釈力」が無ければ、

 

人生の逆境を前に、

「なぜ、こんなことが

起こったのか」

「なぜ、こうした不運が

降りかかったのか」

「なぜ、自分は、

いつも不運なのか」

 

といった後向きの想念、

否定的な想念に心が支配され、

 

目の前の問題に正対して

取り組む力は

生まれてこない」

 

 

そうですね・・・

 

田坂さんは、

もともと地頭がよく、

東大出のエリートで

いわゆる成功者だから、

結果論として、

 

「幸運は、不運の姿をしてやってくる」

 

ということが

余裕を持って言えるのではないかと

一瞬思いましたが、

 

実際はそうではなく、

 

逆境に遭遇する度に、

 

「これは何を学べという声なのか」

「どう成長せよという声なのか」

「どの道を歩めという声なのか」

 

と謙虚に自分自身に問いかけて、

それを肯定的に解釈をされてきた。

 

その姿勢、積み重ねがあったからこそ、

今の成功者、人格者としての、

田坂さんがあるのではないか。

 

そんな気がします。

 

田坂さんはこうも述べます。

 

 

我々が、この

「解釈力」を身につけ、

どこまでも深めていくならば、

 

いつか、

次の言葉が真実であると

感じる日が来るだろう。

 

人生で起こること、

すべて良きこと。

 

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

(このタイトルで文庫本にもなっています。

人生で起こること すべて良きこと

 

う~ん、

すべてとは、ちょっと・・・

 

私はまだ、こう言い切れる

境地には達しておりませんが(^^;

 

でも、よくよく考えると・・・

 

そうなのではないか、

という気もしてきます。

 

出来事を、どのように意味づけ、

解釈するのか。

 

「人生で起こること、すべて良きこと」

 

この人生で、少しでも

こう思えるような境地に近づきたいです😊

 

 

 

******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

三浦半島、

秋谷の立石ちらっと見て、

 

 

 

途中のお寺で、感謝のお参りをして、

 

 

 

渓谷を歩き、

その後、黙々と登ると・・・

 

 

 

大楠山山頂!

(242mの低山ですが(^^;)

 

 

 

下山、

気持ちいい木漏れ日・・・

 

 

 

浄楽寺。

 

 

 

有名な運慶の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。

予約しないと観れませんが、

以前、横須賀美術館の運慶展で拝見しました。

(すばらしい仏像です!)

 

 

 

秋谷海岸。

まだ人は少ないですね(6月末現在)

 

 

 

秋谷の立石。

 


 

岩場の先に行って、

足だけ海に浸かりました!

 

 

 

池みたいなところで、

 

ああ、きもちよかった・・・

 

 

 

なかなかの風光明媚!

 

 

 

車で森戸海岸にも足を延ばしました。

海に浮かぶ鳥居とヨット・・・

(富士山はまったく見えず(^^;)

 

 

 

鳥居の向こうに鳥居・・・

 

おかげさまで、

海と山を、両方満喫できました!

有り難うございます😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回、ご紹介させていただく本は、

田坂広志さんの新書本、

 

教養を磨く

 

 

田坂広志さんの本は、

何十冊も読ませていただいておりますが、

 

志が低くなった時に、

読みたくなるといいますか、

 

私にとって、

人生の羅針盤のような存在です(^^)

 

で、この、

教養を磨く

 

初版が2023年7月なので、

著者の最新刊だと思いますが、

 

サブタイトルに、

「宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで」

とあるように、

 

田坂広志さんの思想の集大成、

いわば、

オールスターのような本であります!

 

氏は、「教養」をこのように定義します。

 

 

真の「教養」とは、

本来、多くの本を読み、

様々な知識を学ぶことではなく、

 

そうした読書と知識を通じて、

「人間としての生き方」

を学び、

実践することである。

 

 

同感です!

 

特に社会人になってからの「教養」とは、

単なる知識を身につけるのではなく、

 

それをいかに、

自分の「生き方」に反映させ、

実践に結び付けるかどうかだと考えます。

 

私が自分の「生き方」に

反映させたいと思った箇所を

紹介していきますね(^^;

 

私たちの悩みの多くは、

「人間関係」の問題ですが、

それを真に解決するために求められるのは、

「人間の心の『エゴ』に処する力」

 

それは2つあるといいます。

 

 

第一は、

「相手のエゴに処する力」

であるが、

 

その力を身につけるためには、

まず、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力を

身につけられなければならない。

 

なぜなら、

人間関係が壊れるのは、

ほとんどの場合

「自分のエゴの視点」

を「正しい基準」

であると思い込み、

 

相手の言動を

「間違っている」

と批判し、非難し、

 

ときに、

嫌悪する状態に

陥ってしまうからである。

 

 

そうですね・・・

 

私たちは、

自分が道徳的に正しい、

明らかに正義だと思う時ほど、

まるで鬼の首をとったかのように、

相手を非難しがちですが、

 

よくよく考えて見ると、

それは片寄った見方であったり、

それこそ、

自分の「エゴ」だったり、

するわけです(^^;

 

 

しかし、もし我々が、

次のような視点で

相手を見つめることが

できるならば、

 

相手の姿は、

全く違って見えてくる。

 

「たとえ、

どのような姿を示していても、

相手には相手の、

必死の思いや叫びがある」

 

「自分を含め、

誰もが未熟さや欠点を抱えており、

その未熟さや欠点で、

内心、悩んでいる」

 

「誰もが、心の中に、

扱いにくいエゴを抱え、

そのエゴに振り回されて、

苦しんでいる」

 

 

「この人も私と同じだ」

という視点ですね。

 

この人も、私と同じで、

未熟なところもあるし、

人に理解してもらいたいと願っているし、

エゴを抱えながら生きている・・・

 

 

それが、

「相手のエゴの思いや叫び」

を理解する力に他ならず、

 

この視点の転換ができたとき、

不思議なほど、

自分の心が変わり始め、

相手との関係が好転していく。

 

 

もちろん、

法令、コンプライアンスの観点から、

明らかに相手が間違っている時や、

こちらが被害を被っている時などは、

毅然とした態度を示す必要があります。

 

しかし、

実際の行動とは別に、

自分の中に、

「相手も自分と同じく、

エゴを抱えた人間なんだ」

という視点があれば、

 

相手の気持ちを理解することに繋がるし、

その姿勢は、

相手にもきっと伝わるので、

 

人間関係は、

好転しやすくなると思います😊

 

 

「人間の心の『エゴ』に処する力」

の2つめは、

 

「自分のエゴに処する力」です。

 

ただしこれは、

「エゴを捨てる」ことや

「我欲を捨てる」ことではないといます。

 

 

なぜなら、

我々の心の中の

「エゴ」や「我欲」は、

生物としての

「生存本能」

と深く結びついた、

極めて強固なものであり、

 

捨てようと思って

捨てられるほど、

生易しいものでは

ないからである。

 

 

たしかに・・・

 

仮にエゴをすべて捨ててしまったら、

「生きる気力」のようなものも

同時に失ってしまうような気がします(^^;

 

 

それゆえ、

「エゴを捨てよう」

と思って、

エゴを抑圧しても、

 

それは、一時、

心の表面から姿を消すだけで、

必ず、どこかでまた、

鎌首をもたげてくる。

 

 

そうですね。

エゴを捨てたつもりでも、

それは単に抑圧しただけであって、

 

抑圧すると、

今度は無意識の領域から、

悪さをしはじめますから(^^;

 

余計に制御しずらくなってしまう。

 

では、どうすればいいのか?

 

田坂さんはいいます。

 

 

否定も肯定もせず、

ただ、静かに見つめる。

 

 

エゴを、

ただ、静かに見つめる?

 

 

実際、

自身の心の中のエゴが

蠢(うごめ)くとき、

叫ぶとき、

 

それを抑圧するのではなく、

ただ静かに、

 

「ああ、自分の中で、

嫉妬心が動いている」

 

「ああ、心の中で、

怒りが湧き上がっている」

 

と見つめるならば、

不思議なほど、

そのエゴは静まっていく。

 

 

なるほど・・・

 

まずはエゴがうごめいていることに、

「気づいて」

そして、

肯定も否定もせずに、

「静かに見つめる」

ということですね。

 

まずは、

エゴの存在を認めて、

それに「気づく」ところから。

 

瞑想もそうですね。

 

ちなみに、

天外伺朗さんは、

自分を見つめる瞑想法のことを、

「鳥の瞑想」と名付けています。

 

自分の後方右上3メートル付近に

鳥が飛んでると仮定して、

そこから自分を見つめるという手法です。

 

いわゆる「メタ認知」ですね。

私も意識してやっています。

(なかなかうまくいかないことも

多いですが(^^;)

 

 

逆に、

「エゴを捨てよ!」

「我欲を捨てよ!」と、

無理矢理エゴを抑圧すると、

 

しばしば、

「自分はエゴを捨てた人間である」

と思い込み、

 

自分が一段深い境地に

入ったと思い込む、

「エゴの自己欺瞞」や

「エゴの巧妙な罠」に

陥ってしまう。

 

 

どきっ・・・

これはありますね(^^;

 

ある程度歳を重ねて丸くなり、

まるで達観したような、

悟りの境地に入ったと勘違いをする。

 

つまり、

すっかり「いい人」になったと(^^;

 

でも、実際はそんなことはないし、

自分のエゴをオープンに話す人を、

どこか見下すことにもなりかねない。

 

それって、

「エゴ」ですよね(笑)

 

「エゴ」に知らぬ間に乗っ取られている(^^;

 

「エゴ」はなくすことはできないし、

抑えつけても、

今度は無意識の領域から

私たちを脅かすことになるので、

もっと質が悪くなる(^^;

 

ですので、

まずは「エゴ」の存在に気づいて、

それを静かに見つめる。

 

時には言語化してみる。

 

そういう意味でも、

カウンセリングという手法は、

有効なのかなと思います😊

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

晴れた日の週末は、

山歩きすることが多いのですが、

 

梅雨の時期も、

土日いずれかは晴れ(曇り)

の日が多かったので、

 

毎週のように山に行っています(^^;

 

晴耕雨読ならぬ、

晴山雨読(^^;

 

 

 

足柄の21世紀の森から、

矢倉岳へ!

 

 

 

山頂着きました!

 

富士山の絶景がまっているはずが・・・

 

 

 

うう、まったく見えず😢

 

 

 

反対側の小田原方面は

晴れているのに・・・

 

 

 

下山、

木漏れ日きれい・・・

 

帰りの21世紀の森で、

きゅうり、なす、いんげん、

袋パンパンに入って、

それぞれ100円で販売していました😲

 

有り難うございました(^^)

美味しかったです!

 

 

 

近くの河村城跡にも立ち寄り。

 

 

 

遠藤周作さんの影響もあり、

山城、好きになりました(^^)

 

 

 

美しい風景!

 

ちと暑かったけど、癒された一日でした😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で3回目、最終回です。

 

今回は、

「比較三原則」(?)

という言葉から、

 

 

人間は弱いもので、

常に自分を他人と比較して

生きています。

 

また比較しなければ、

自分が今どのような位置に

立っているかを

自覚できないものです。

 

良いか悪いか。

カッコいいかカッコ悪いか。

おもしろいかおもしろくないか。

幸せか不幸せか。

 

 

そうですね~

 

たしかに、比較しないと、

自分の位置が分からないというのは、

ありますね。

 

学生の時から

私たちがさんざん苦しめられてきた

「偏差値」というものは、

その最たるものですし(^^;

 

また、自分に有利な選択をするためにも、

比較は必要です。

 

たとえば、

「あいみつ」を取ったり、

いい意味で競争原理を働かせるためにも、

比較は有効です。

 

特にビジネスの世界では、

まず比較ありき。

 

ビジネスでは差別化が大事ですが、

その差別化を図るためにも、

まずは他社と比較をする必要が

あるわけですし(^^;

 

 

この世にいるのが

自分だけだとしたら、

比較もしないし、

もしかしたら

苦しみも生まれないかも

しれません。

 

他人がいて、

それを比較する言葉があって、

はじめて

自分の立っている位置を

認識します。

 

比較ができるからこそ

人類は進歩したのかも

しれないし、

 

比較こそが

苦しみを生む原因なのかも

しれません。

 

 

そうですね。

比較によって、

人類が進歩してきた半面、

 

そこが、

私たちの苦しみに繋がっているのは、

否めない事実であって。

 

実際、子どもの頃、

比較されるのって嫌でしたよね~。

 

いや、今でも嫌ですが(^^;

 

「比較」は、

進歩を促す一方で、

苦しみの原因にもなる。

 

では、どうすればいいのか。

 

みうらじゅんさんは、

「比較」してはいけないものが、

3つあるといいます。

 

 

「比較三原則」

と私は勝手に呼んでいます。

 

”他人と過去と親”。

 

この三つと自分を

比較してはいけないのです。

 

 

「自分」と、

「他人」「過去」「親」とは、

比較してはいけない。

 

これが、

「比較三原則」

 

なるほど~

たしかに、そうですね。

 

ただ、そうはいっても、

それでも比較してしまうのが、

人間の悲しい性であって・・・

 

 

でも、上手に

「比較三原則」

を意識すれば、

気が楽になることも

あると思います。

 

例えば、

「なんで俺は

この年になって

こんなことを

しているんだろう」

と思ったとしましょう。

 

そう思う理由は、

誰かと自分を

比較しているからです。

 

「比較するから

落ち込んでいるんだ」

と自覚した瞬間、

 

意外と

「なんで俺は~」

という気持ちは

減っていくかもしれません。

 

 

気づいて、

それを自覚できるかどうかが

ポイントなんですね。

 

「ああ、いかんいかん!

これは比較三原則に、引っかかっているな~」

 

と自覚さえできれば、

 

それだけで、

思考がぐるぐる堂々巡りして悩むことは、

少なくなりそうです(^^)

 

みうんらじゅんさんの言葉は、

軽いようで、実は、

よりよく生きる知恵が詰まっている

ような気がしますが、

この言葉もそうです。

 

「そこがいいんじゃない!」

 

 

私はどんなに辛いときも

「そこがいいんじゃない!」

と思うようにしています。

 

私が「マイブーム」

と呼んでいるものは、

出会いの瞬間から

それが好きになって

ハマっているわけでは

ありません。

 

「これは一体何なのか?」

という

「問い」がまずあり、

それについて考え抜くところから

スタートしています。

 

そのように考え続けて、

ようやく出口近くに

さしかかろうという瞬間に

出てくるのが、

 

「そこがいいんじゃない!」

というフレーズです。

 

 

「そこがいいんじゃない!」

 

「美点凝視」

という言葉もありますが、

 

まずは、意識的に、

いいところを見出そうとする

姿勢ですね!

 

 

「そこがいいんじゃない!」

と唱えることで、

段々とその対象を

好きになっていきます。

 

考え続けて

苦しい状態も

少し楽になってきます。

 

このように、

「そこがいいんじゃない!」

と発声する訓練をしておくと、

そう発言した瞬間から、

脳が「そうなんだ」

と思い始めてくれます。

 

人間はいつも

脳主導で動いているように

見えますが、

 

このように

言葉を無理矢理にでも

発することで、

その0.1秒後に

脳がついてくる、

ということに気づきました。

 

これは

言葉からの解放かもしれない、

と逆説的に思うこともあります。

 

普段、脳は先輩面していますが、

たまには先輩を困らせて見るのも

一つの手ではないでしょうか。

 

 

「幸せだから笑うのではない、

笑うから幸せになるのだ」

 

という哲学者アランの言葉を

想起しました(^^)

 

 

この

「そこがいいんじゃない!」

は、自分にとっての

念仏みたいなものです。

 

私の「南無阿弥陀仏」が、

「そこがいいんじゃない!」

なのです。

 

(中略)

 

「お金がなくなってきた。

今月ピンチだな」

 

と思ったとしましょう。

 

そこですかさず

「そこがいいんじゃない!」

と言えば、

 

脳も、

「あれ、それもまたいいのかな。

そうだね、

それもおもしろいかもね」

と、

少しポジティブな気持ちに

なれるかもしれません。

 

「彼女にフラれた」

「仕事が上手くいかなかった」

「あの上司が嫌い」

 

どのようなケースでも、

「そこがいいんじゃない!」

と、

本当はよくないかもしれないけど、

そう唱えることで

少しは楽になれるかもしれません。

 

言葉を逆手にとって、

逆境を跳ね返し、

少しでも元気になれるように

仕向けるのです。

 

「そこが」

と言った次の瞬間、

「いいんじゃない!」

と一気に肯定して、

ダメを押すのです。

 

 

もちろん、

逆境に直面した時は

現実的な行動に移すことが大事なのは

いうまでもありません。

 

目を逸らしていては

解決には繋がらないですし、

それはそれで、

しっかりと受けとめることも必要です。

 

しかし、

「そこがいいんじゃない!」

と発することによって、

思考の負のスパイラルに陥ることは

避けられるかもしれませんし、

 

視野を広げたり、

視点を変えるきっかけにもなる。

 

たとえば、

一見、マイナスに見えることでも、

見方を変えれば、

そこにはプラスもあるのだと

発見できたりする。

 

彼女にフラれたからこそ、

自分の自由な時間が持てるように

なるかもしれませんし(^^;

 

仕事が上手くいかなかったからこそ、

その分、

謙虚な気持ちになれるかもしれませんし(^^;

 

上司が嫌いだからこそ、

実は自分の中にも

同じような特徴があることに

気づけるかもしれません(^^;

 

「そこがいいんじゃない!」

 

口癖にしたい言葉(念仏)です😊

 

 

 

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以上、3回にわたって、

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

を紹介させていただきました。

 

軽いようで、実は深い。

 

みうらじゅんさんの

仏教ワールド、

一読をおすすめします(^^)

 

次は、

アウト老のすすめ

 

読んでみようかな😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

久しぶりに、池上本門寺。

 

 

 

近くの妙見堂、

アジサイきれいでした!

 

 

 

平日に休みが取れたので、

休日は混みあう塔ノ岳を

バカ尾根ルート、ピストンで!

 

まずは、お参りしてから。

 

 

 

ううっ早くもガスってきました(^^;

 

 

 

何だか、映画ラストサムライの

ワンシーンみたい。

 

伏兵出てきそう(^^;

 

 

 

長い道のりを経て、

頂上着きましたが・・・

 

 

 

絶景の山頂のはずが、

何も見えず・・・😢

 

 

 

下山・・・

「いま、ここ」

ひたすら足元を見て歩きます。

 

何だか修行のような境地になってきました。

歩く瞑想・・・

 

 

 

下界のほうは、

晴れていました(^^;

 

 

 

絶景や富士山の姿は楽しめず、

ひたすら修行のような山歩きでしたが・・・

 

「そこがいいんじゃない!」


歩く瞑想になりましたし、たまにはね(^^)

 

 

 

 

握手・・・

 

 

 

はい😺

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

みうらじゅんさんの、

マイ仏教

 

 

を読んで、

私が印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回のブログで、

「機嫌を取る」=「自分なくし」

という説を紹介しましたが、

 

「自分なくし」にいく前に、

「自分探し」について、

 

 

「自分探し」

という言葉は

世の中に流布し、

 

学生やOLから、

主婦やサラリーマンまで、

日本人が

「自分探し」に夢中になり、

「本当の自分」というものを

必死になって探していました。

 

中には、

坐禅や写経をするなど、

仏教に触れることで

「自分探し」

をしようなんていう人も

少なからずいたように

見受けられました。

 

しかしこれまで

自分探しを始めた人で、

見事本当の自分を

見つけたという人が

いるのでしょうか?

 

 

そうですね・・・

 

「自分探し」

をしたくなる人の気持ちは

分かる気がします。

 

たとえば、

社会通念でいうところの

成功を目指したり、

親や周囲の期待に応えようとして

ずっと生きてきたけど、

 

何かが違う。

 

何か、

自分の人生を生きていない気がする。

 

だから、

自分探しをしたい。

 

という考え方には、

とても共感できます(^^)

 

ただ、実際は、

探しても、

見つかるわけではないんですね(^^;

 

探すというよりも、

自分の気持ちを尊重したうえで、

 

試行錯誤しながらも

やっぱり

「自分を創っていく」ことが

大切だと考えますが・・・

 

 

仏教では、

「無我」つまり

「本当の自分」

なんてものはない、

 

ということを

二千五百年前から

説かれているのです。

 

私は、

「自分探し」

よりもむしろ、

「自分なくし」

の方が大事なのではないかと

思っています。

 

お釈迦さんの教えにならい、

「自分探しの旅」

ではなくて、

「自分なくしの旅」

を目指すべきなのです。

 

 

自分なくしの旅・・・

 

ただ、自分をなくそうにも、

そもそも、自分がなければ、

なくしようもないような気もします(^^;

 

私は以下のように捉えましたが・・・

 

人生、自分を創っていく過程で、

人はどうしても、

執着や煩悩を身にまとってしまう。

 

なので、

ある程度、

自分を確立できたと思ったら、

 

次のステップとして、

できるだけ、

執着や煩悩をなくすように意識する。

 

それが、

「自分なくしの旅」であって、

 

その修行の一環として、

相手の「機嫌を取る」

というテーマがあるのかなあと。

 

ただ、これは、

言うは易し、

実際はかなりの苦行ですよね(^^;

 

 

難しいのは、

「機嫌を取る」

ふりをしながら、

 

ひそかにキックバックを

求めてしまうことです。

 

「相手のために

これだけ尽くしたから、

きっとこれだけの報酬を

得られるはず」

というものです。

 

 

どきっ・・・

 

 

別に報酬を求めるのが

悪いことだとは思いません。

 

しかし、

それが目的になってしまうと、

どこかに綻びが

生じてしまうものです。

 

恋愛で

「君のためなら死ねる」と、

究極の「大乗仏教」

のようなことを言ったとしても、

ひそかに下半身を

熱くさせていたり、

 

「会社のために

馬車馬のように働きます」

と言いながら、

ボーナスの計算をしていたり

・・・。

 

 

ううっ・・・

若い頃の自分のことを

言われているようですが(^^;

 

 

残念ながら

人間は弱いもので、

 

どうしてもキックバックを

求めてしまいます。

 

しかし

「ご機嫌界」では、

「修行が足りない」

ということに

なってしまうのです。

 

この

「自分をなくして、

相手の機嫌を取る」行為、

 

これまで

「修行」と呼んでいたものを、

私は「僕滅運動」

と呼ぶことにしました。

 

 

「撲滅」ではなく、

「僕滅運動」

 

(漢字が「僕」に

変換されています(^^;)

 

 

「僕滅運動」

をすることで、

世界平和までは無理でしょうが、

「周囲の平和」

ぐらいまでは

かなり実現できると思います。

 

 

そうですね・・・

 

確かに、

周りは平和になりそうですね。

そして、

その輪が広がっていけば・・・

 

「僕滅運動」

をするにあたって、

みうらじゅんさんから、

こんなアドバイスもありますよ!

 

 

ただ前提として、

このような修行は

好きな人の前でやるに限る

ということがあります。

 

これを嫌いな人相手にも

しなければいけない、

というのは

相当な「荒行」です。

 

これができる、

お釈迦さんや坊さんは

本当の「聖人」です。

 

 

「僕滅運動」

すなわち、

「相手の機嫌を取る」

という修行は、

 

無理して、嫌いな人の前では、

やらなくてもいいんですね!

 

ちょっと、

ほっとした気がしますが(^^;

 

あと、

カウンセラーの立場としていえば、

たとえ好きな人でも、

相手の機嫌の悪い時には、

無理して機嫌を取る(変えようとする)

必要はないと思います。

 

そういう時には、

できることなら、

ちょっと距離を置いたり、

放っておくことが賢明です(^^;

 

・・・さておき、

 

で、私は、

実際、誰の前で、

「僕滅運動」をやろうかな?

 

う~ん・・・

(・・・沈黙10秒・・・)

 

真っ先に妻が浮かんでこない自分は、

まだまだ、修行が足りんですね(^^;

 

(ちなみに、みうらじゅんさんは、

かなりの愛妻家のようです)

 

 

 

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今回も最後までお読み下さいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

總持寺、月例参禅会に参加。

(本格的な坐禅堂でできます!)

 

私は、満足に足も組めない、

なんちゃって坐禅レベルですが、

気持ちがスッキリします(^^)

 

 

 

奥和留沢みはらしコースから、

箱根、明神ヶ岳へ。

 

 

 

富士山見えてきました!

 

 

 

頂上、着きました!

 

 

 

こちら側は、

大涌谷(もくもく・・・)

 

 

 

金時山方面、

ここ、開けて絶景です😊

 

 

 

金時山を抱く富士山🗻・・・

 

まだ少し雪が残っていますね。

 

 

 

明星ヶ岳にも、

足を延ばしました。

 

 

 

何か癒されます(^^)

 

 

 

 

 

下山の最後に、

沢で顔を洗いました。

 

気持ちよかった~😊