ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

スギ花粉が、絶賛飛散中ですね💦

 

田坂広志さんの、

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志「人間を磨く」こころの技法

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で3回目です。

 

前回、

「人とぶつかった後には、

自分から声をかけ、非を認める」

 

ということを、

エピソードを交えて紹介しましたが、

 

今回は、

「人とぶつかった時こそ、

絆を深める好機」

 

ということを、

人間の「深層心理」という

切り口から深堀りしていきます(^^)

 

 

そもそも、

誰かと意見がぶつかり、

感情がぶつかり、

心が離れたとき、

 

我々の

「表層意識」の世界では、

相手に対する批判や非難、

反感や嫌悪などの感情が

動いている。

 

しかし、実は、

その一方で、

「深層心理」の世界では、

次の二つの感情が動いている。

 

第一は、

自分に対する嫌悪感

(自己嫌悪)

 

第二は、

相手に対する不安感

(他者不安)

 

 

「自己嫌悪」と「他者不安」

 

どういうことでしょうか。

 

 

例えば、

誰かと感情が

ぶつかったときには、

 

表面的には、

「彼はどうして

あんな物の言い方しか

できないんだ」

「彼女は、どうして、

素直に受け止められないんだ」

といった形で、

 

相手の言葉や態度に対する

「批判や非難の感情」

が動いているが、

 

実は、その心の奥深くでは、

 

「どうして、彼の言葉で、

つい感情的に

なってしまったのか・・」

「ああ、彼女の気持ちを考えて、

言葉を選ぶべきだったのに・・」

といった反省とともに、

「自己嫌悪」

の感情が動いている。

 

 

そうですね~。

 

ぶつかったあとに、

何か嫌な感情が残るのは、

この「自己嫌悪」のせいなんですね(^^;

 

 

また、

誰かと感情がぶつかった時には、

表面的には、

「彼は、もう許せない!」

「彼女は、顔を見たくない!」

といった形で、

 

相手に対する

「反感や嫌悪の感情」

が動いているが、

 

実は、

その心の奥深くでは、

「彼が、どこかで、

自分を批判しているのでは

ないか・・」

「彼女は、誰かに、

自分の悪口を

言っているのではないか・・」

といった

「他者不安」と呼ぶべき感情が

動いている。

 

 

・・・はい、

 

小心者の私は、

いつも不安になります(^^;

 

 

我々の心の中にある、

この「深層心理」の世界を

理解するならば、

 

誰かと感情がぶつかったり、

心が離れたりした後、

 

自分から相手に声をかけ、

謝ることがなぜ大切か、

その深い意味が分かるだろう。

 

それは、

ある意味で、

自分と相手の心の中にある

「自己嫌悪」「他者不安」を、

同時に緩和・解消

していくための営みでもある。

 

すなわち、

まず、自分から

「すまなかった」と言って

相手に謝ることによって、

 

我々は、

「人間関係の修復」

ということを越え、

 

自分の心の深くにある

「自己嫌悪」と「他者不安」を

緩和、解消することができる。

 

同時に、

こちらから

「すまなかった」

と謝ることによって、

相手もまた、

「自分こそ、すまなかった」

と謝りやすくなる。

 

そして、

そのことによって、

相手もまた、

心の奥深くにある

「自己嫌悪」と「他者不安」を

緩和・解消することができる。

 

 

なるほど・・・

 

自分から謝ることによって、

自分の「自己嫌悪」「他者不安」

だけでなく、

 

相手のそれも、

緩和・解消できるんですね!

 

だから、

「雨降って地固まる」

ではないですが、

 

ぶつかったことが、

お互いの絆を深めることに

繋がるわけです(^^)

 

それには、

もう一つの理由があるといいます。

 

 

それは、

ぶつかったあと、

お互いに心を開き、

謝り、和解すると、

「深層心理」の世界に

「受容感覚」が

生れるからである。

 

すなわち、

「相手が自分を

受け容れてくれるという

安心感」

が生れるからである。

 

 

「受容感覚」?

どういうことでしょうか。

 

 

なぜなら、

人間同士、ぶつかる前は、

いかに表面的に

良好な関係を築いていても、

 

心の深いところに、

「相手は、

自分の欠点が出たとき、

それも含めて、

受け容れてくれるだろうか?」

 

との不安があるからである。

 

しかし、

たとえ、お互いの

「小さなエゴ」がぶつかり、

お互いに心が離れ、

相手を批判や非難し、

心を閉ざしても、

 

それでも、

お互いに心を開き、

謝り、和解するという

心のプロセスを

辿ることができると、

 

心の深いところに、

「相手は、

自分の欠点や未熟さを含めて、

受け容れてくれた」

という安心感が生まれ、

「受容感覚」が生まれる。

 

そして、

我々は、誰もが、

心の奥底で、

自分自身の欠点や

未熟さを知っており、

 

それゆえ、

心の深層で、

相手や周りの人々に対して

 

「自分の欠点や未熟さを含めて、

認め、受け入れてほしい」

 

という密かな願いを持っている。

 

お互いにぶつかった後の

和解に伴って生まれる

「受容感覚」が、

お互いの人間関係を、

さらに深いところで

結びつけるのは、

それが理由である。

 

 

なるほどです(^^;

 

ぶつかった後に

和解ができたということは、

 

お互いの欠点や未熟さを、

受け容れたということですから、

 

虚勢を張らなくても、

よくなります(^^;

 

自分の弱さや至らなさ、

ホンネの部分も、

出しやすくなるかもしれません。

 

ラクになります(^^;

 

ただ・・・

 

やっぱり、利害関係や打算が絡む、

「職場」の中だと、

 

「受容感覚」を感じられるというのは、

難易度が高いかもしれません。

 

そもそも、

今どきの職場は、

感情を出して、ぶつかるということが、

(少なくとも表面上は)

あまりないような気がしますので、

「和解する」ということもない。

 

だから、絆が深まらないのかも(^^;

 

ちなみに、

田坂さんは、

最も深い「受容感覚」を感じられる場は、

「家族」だといいます。

 

 

永い年月、

一つの屋根の下に住み、

生活を共にし、

お互いの人間としての

欠点や未熟さをさらけ出し、

「小さなエゴ」

がぶつかり合う、

家族という存在。

 

それは、まさに、

「家族は、

自分の欠点や未熟さも含めて、

受け容れてくれている」

という意味で、

本来、最も深い

「受容感覚」を感じられる場に

他ならない。

 

 

もっとも、

家族といえども、

 

ぶつかったあとで、

自分から謝ることができなければ、

「自己嫌悪」と「他者不安」の解消、

すなわち、

「受容感覚」はなかなか得られない。

 

「言わなくても分かるだろう」

という甘えは通用しないわけであって(^^;

 

妻とぶつかった後には、

自分から声をかけ、謝る・・・

(難易度高めですが)

 

ウチの場合の、

「安心・安全の場づくり」

は、まずはそこから・・・か(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

もうすぐ資格試験を受けるので、

その追い込みで、

なかなか遠出ができず・・・

 

鶴見川沿いの道と街並み

 

せめて、

近所の鶴見川で、

ぼお~っと息抜き(^^)

 

たしかに、近年まれにみる、

水量の少なさですね💦

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの、

 

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志「人間を磨く」こころの技法

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

田坂広志さんが大学院時代に、

教授から、

「君は、可愛気が無い」

と言われ、

 

そこから、

「心の中で自分の非を認める」

ことの大切さを学んだという

エピソードを紹介しましたが、

 

今回は、

「自分から声をかけ、目を合わせる」

ということを紹介します。

 

こちらも、

田坂広志さんの若かりし頃の

エピソードが語られています。

 

企画会議で、

同僚のA君と意見が食い違い

議論が白熱。

 

思わず感情的になってしまい・・・

 

 

そうしたときには、

会議が終わった後は、

相手の顔もあまり見たくない

気持ちになり、

 

夜、帰宅の道を歩みながらも、

その会議での

やり取りが思い起こされ、

不愉快な気分が

心を占めることもあった。

 

 

私も若い頃は、

こういうことがよくありました(^^;

 

もっとも、

最近は、そんなにはないのですが、

 

それは、

成長したからというよりも、

そこまで本気で議論する熱量が

なくなってしまったからかも

しれませんが(^^;

 

 

そして、

そのような日の翌日は、

朝起きると、

やはり、

昨日の会議のことが

頭に浮かび、

 

同僚とのやりとりに

自己嫌悪を感じ、

しばし不愉快な気分に

浸されるのだが、

 

不思議なことに、

しばらくすると、

あのY教授の言葉が、

その弟子に対する

温かい眼差しとともに、

心に浮かんでくるのだった。

 

「君はね・・、

可愛げが無いんだよ・・」

 

すると、

これも不思議なことに、

体の奥深くで、

 

自分の非を認める

「可愛げのある心」、

「しなやかな心」が動き出し、

こんな気持ちが

湧き上がってくるのだった。

 

「そうだな・・。

同僚のA君も、A君なりに、

このプロジェクトの

ことを考えて、

ああ言っていたんだな・・。

 

自分は、それを、

もう少し

理解してあげるべきだった・・」

 

 

そうですね・・・

 

翌日になると、

自己嫌悪とともに、

「自分にも非があったな・・・」

と思えてくることが、ある(^^;

 

 

そして、

こうした気持ちになり、

自分の「非」を

認める気持ちになってくると、

 

自然に、

心の奥から、こんな思いが

浮かんでくるのだった。

 

「そうだな・・。

今日、会社に行って、

A君と会ったら、

こちらから声をかけよう。

 

そして、

昨日のことを謝ろう・・・」

 

そう思い定めて出社すると、

廊下の向こうから、

A君が歩いてくる。

 

そのA君、

自分に気がつくと、

顔を合わせるのも気まずそうに

歩いてくる。

 

こちらも、

やはり、昨日のことがある。

 

A君と目を合わせるのは、

どこか気まずい。

 

それでも、

彼が近づいてきたタイミングで、

目を合わせることが

できなくとも、

 

心の中から絞り出すように、

声をかけた。

 

「A君・・・、

昨日は、すまななったな・・・。

 

自分が、少し言い過ぎた・・」

 

これは、

著者の若き日の未熟さを示す、

恥ずかしい話だが、

 

こうした形で声をかけることが、

当時の著者にとって、

「こころの修行」であった。

 

 

田坂広志さんほどの人でも、

若き頃には

目を合わせることはできなかった(^^;

 

ただし、それはできずとも、

「自分から声をかける」ことはできた。

 

それだけでも、すごいことです!

実際は、なかなかできませんよ(^^;

 

少なくとも、私は、

気まずい関係になった時に、

自分から声をかけたり、

 

ましてや、

自分の非を認める

発言をしたことは・・・

 

・・・う~ん、

すぐには思い浮かばないのが

つらい(^^;

 

「まあ、時が解決してくれるか・・・」

と寝かしてしまうタイプかも

しれません(^^;

 

ちなみに、飲みの席で、

部下と激しい口論になった時、

 

翌日、部下から、

「昨日は言い過ぎました・・・

申し訳ございません」

というメールをもらったことはあります。

 

もちろん、

「私も言い過ぎました・・・」

と返信はしましたが、

それは、

私のほうから発信してもよかったわけです。

 

部下のほうが大人でした(^^;

 

こんなエピソードも、

紹介されています。

 

 

著者は、若き日に、

ときおり、

母と厳しく意見がぶつかり、

心がぶつかることがあった。

 

いま振り返れば、

それは、

私の未熟さゆえの出来事であり、

苦労をして自分を育ててくれた

親に対する感謝の無い姿が

原因であったのだが、

 

母もまた、

息子に対する

深い愛情を持っていたがゆえに、

人間として

筋の通らないことには、

 

毅然として

厳しい言葉を語る人物であった。

 

当時、こうした形で、

母と心がぶつかったとき、

私の心の中では、

「納得できない!」

という気持ちが渦巻き、

その不愉快な気分のまま外出し、

 

しばらくして、

その気分をもう一度、

母にぶつけようと、

外から電話することがあった。

 

 

この意地になる気持ち、

わかりますね~

 

 

当然のことながら、

母も生身の人間、

感情もある人間、

 

息子の筋の通らない

理屈や理不尽な言葉に、

腹が立たなかったわけでは

ないだろう。

 

心が波立たなかったわけでは

ないだろう。

 

しかし、

こうした衝突の後、

私が母に電話をすると、

 

電話に出た母が、

最初に口にするのは、

必ず、次の一言であった。

 

「広志・・、

すまなかったね・・」

 

(中略)

 

母は、

私から電話があったっとき、

 

必ず、自分から、

「すまなかったね・・」

と語った。

 

自分に非がないときでも、

「すまなかったね」

と語った。

 

そして、

深い思いの込められた、

この母の言葉を聞くと、

 

私は、いつも、

固まってしまった自分の心が、

静かに溶けていくことを

感じていた。

 

 

・・・実は、私の母親も、

毎回ではないにせよ、

私とぶつかったあとに電話で話す時の、

第一声は、

 

「すまなかったね・・・」

 

ということが多いです。

 

私は子供がいないのですが、

もし子供がいたら、

自分から、第一声で、

「すまなかったね」

と言えるだろうか・・・

 

・・・う~ん、

自信がない。

 

まだまだ未熟者ですの~(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介をする予定です(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

ひのきの森広場への道標と木漏れ日

 

近所散策。

 

ひのきの森で、

ちょっと瞑想・・・

 

 

石碑と森の風景

 

昔の神社跡の石碑。

神々しい光が差していました。

 

 

竹林の美しい景色

 

竹林はやっぱり美しいですね。

 

鶴見川の野鳥と動禅

 

鶴見川で野鳥をみながら、

動禅(のまねごと)

 

 

神社にある提灯と石段

 

等々力不動尊、

に立ち寄り。

 

早く渓谷復活しないかな。

 

 

高取山 705.7m 山頂標識

 

高取山。

 

山並みと湖、橋の風景

 

山頂の鉄塔に登ると、

絶景!が待っています(^^)

 

 

高取山からの街並みと山並み

 

東京方面を望む・・・

 

 

山頂の看板と石仏

 

仏果山頂の仏像群。

 

 

鎖場のある登山道

 

低山ですが、

鎖場ルートもあってスリルを味わえます!

 

私の大好きな山です(^^)

(ただし、夏季はヒルに注意(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今年に入ってからの初ブログ!

 

何だか、

月一ペースの記事になりつつある・・・(^^;

 

ブログを書くのは好きなので、

もう少し頻度を上げたいとは思いますが、

最近、気持ちと時間に余裕がなく・・・

 

何とか、自分のペースで

続けていければと思っています。

 

お付き合いいただければ嬉しいです😊

 

で、今回紹介する本は、

私の敬愛する田坂広志さんの新書本、

 

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

人間関係改善「こころの技法」本

 

田坂広志さんの本は、

モチベーションが低下している時に読むと、

何だか勇気づけられる気がします。

 

この本、

久しぶりに読み返してみたのですが、

やはり・・・

 

勇気が湧いてきますね~(^^)

 

タイトルには、

「人間を磨く」とありますが、

それは、

決して「非の無い人間」を

目指すというわけではありません。

 

むしろ、

自分の中の

「非」や「欠点」や「未熟さ」

を抱えたまま、

周りの人々と良き人間関係を築くことを

目指すという・・・

 

それなら、

私にもできそうな気がします(^^)

 

田坂広志さん自身の、

大学院時代の研究室でのエピソードが、

印象深いです。

 

研究室で優秀な成績を収め、

その研究室を去る際に

Y教授から言われた言葉が、

田坂さんの人生を変えた、

いや、救ってくれたというのですが・・・

 

引用します。

 

 

教授室で、Y教授に、

最後の感謝を述べると、

教授も、

「君も、よく頑張ったな」

「君は優秀だな」

といった世辞を述べてくれたが、

 

最後に、

「しかしね・・」と続け、

一言、私の目を見ながら言った。

 

それは、

静かな一言であり、

教授の眼差しは、

弟子への愛情に溢れていたが、

 

その一言は、

私の胸に突き刺さり、

生涯、心の中で

鳴り響く言葉となった。

 

「君はね・・、

可愛気が無いんだよ・・」

 

それは、

恩師からの終生の教えでもあった。

 

なぜなら、

何年か後に大学院を終え、

実社会に出て働き始め、

様々な人間関係の問題に

直面したとき、

いつも自分を救ってくれたのは、

この言葉だったからである。

 

「君は、可愛気が無い」

 

 

「君は、可愛気が無い」

 

これ言われたら、

けっこうドキッとしますよね~

 

この言葉は、文字通り、

「愛想が無い」「愛嬌が無い」という意味も

あると思いますが、

 

そのような

表面的なことだけではないと

田坂さんは考えます。

 

 

この言葉は、実に的確に、

当時の私の、人間としての

「未熟さ」を指摘していた。

 

それは、

私の心の中の

「密かな驕り」

とでも呼ぶべきものを

指摘する言葉でもあった。

 

人間であれば、

誰でも、非があり、欠点があり、

未熟さがある。

 

それにもかかわらず、

「自分には非が無い」

「自分には欠点が無い」

と思い込み、

それを密かに誇る心の姿勢。

 

教授は、

その「密やかな驕り」

「無意識の傲慢さ」を、

当時の私の姿から

感じていたのであろう。

 

 

田坂さんは、東大卒の正真正銘のエリート。

自然な優越感を持っても

決しておかしくはないのですが、

 

そこに、

「密やかな驕り」

「無意識の傲慢さ」

があると自覚した。

 

自分を客観視したうえで、

ここまで内省ができる田坂さんは、

やはりスゴイ人だと言わざるを得ない(^^;

 

 

あの日、

研究室を辞するときに

恩師が教えてくれた、

「可愛気」という言葉。

 

それは、

素直に、自分の非を認め、

欠点を認め、

未熟さを認める、

「しなやかな心」

のことであった。

 

(中略)

 

人は、非があり、

欠点があり、

未熟であるから、

周りの人の心が

離れていくのではない。

 

人は、自分の非を認めず、

欠点を認めず、

自分には非が無い、

欠点が無いと思い込むとき、

周りの人の心は離れていく。

 

 

・・・ほんとそうですね。

 

この、自分の非を認めず、

欠点を認めず、

自分には非が無い、

欠点が無いと思い込んでしまう原因は、

 

私たちの心の中にある、

「小さなエゴ」の働きだといいます。

 

でも、悲しいかな、

人間である以上、

この「小さなエゴ」を

消し去ることはできない。

 

(消し去ることができるという考え自体が、

エゴの罠だというから、やっかいです(^^;)

 

では、どうすればいいのか?

 

田坂さんいわく、

それは・・・

 

「小さなエゴを、

ただ、静かに見つめる」

 

ことだと言います。

 

それが、なかなか難しいのですが(^^;

 

まずは、自分の中に

「小さなエゴ」があることに気づき、

自覚するところ、

 

そこから始めたいですね😊

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

 

*********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

時間もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

明治大学ラグビー部優勝、選手たち歓喜

 

おかげさまで、

母校が大学ラグビー日本一になりました!(^^)!

 

選手の皆さん有り難う!

 

 

大山を望む冬の山々

 

大山を望む・・・

今年もたくさん山歩きするぞ~!

 

 

本棚でくつろぐ猫

 

この子も、

「小さいエゴ」あるのかな・・・?😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの長編小説、

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 橙色の表紙

 

を紹介、解説しています。

 

「騎士団」といえば、

ロックバンド「氣志團」

をイメージしてしまうのは、

世代のせいなのか、

それとも、

私が低俗なせいなのか(^^;

(けっこう好きです。

昔よくカラオケで歌いました)

 

今回は、第2部の、

「遷ろうメタファー編」

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます(^^)

 

この小説には、イデアとしての、

「騎士団長」が登場します。

 

「イデア」とは

いったい何なのか?

 

ネットのAI調べですが・・・

 

 

イデアとは、

プラトン哲学における

「現実世界にある個々のもの

(花、人間など)

の背後にある、

完全で永遠不変な『本質』や『原型』」

のことで、

「理想の姿」「理念」を指します。

 

私たちが「美しい」と感じるのは、

不完全な現実の「美しい花」ではなく、

完全な「美のイデア」を

魂(精神)の目で捉えるからだとされ、

現代の「アイデア(思いつき)」

の語源でもありますが、

元々は「形」「姿」という意味です。

 

 

イデアとは、

個々の背後にある、

完全で永遠不変な「本質」である。

 

ちょっと抽象的なので、

「花」で、

もう少しわかりやすく例えると・・・

 

 

現実の花は枯れて形が変わるけど、

「完璧な花」としての

「花のイデア」は永遠に変わらない、

というイメージです。

 

私たちが「これは花だ」

と認識できるのは、

この「花のイデア」

を知っているからだと考えます。

 

 

なるほど・・・

 

イデアとは既に知っている

「記憶」のようなものでしょうか。

 

「記憶」といっても、

それは後天的に学習して覚えたもの

というよりも、

生まれる前から知っていること。

 

プラトンの想起説によると・・・

 

 

私たちは生まれる前に

イデアを見ていたけれども、

生まれるときにそれを忘れてしまう。

 

私たちは生まれてから忘れられた

イデアの記憶を「想い起こす」、

つまり学習とは想起に他ならない

 

と考えます。

 

 

生まれる前に見ていたイデアを、

想い起こす。

学習とは「想起」に他ならない・・・

 

面白い考え方ですね~

 

私は若い頃、

プラトンの「イデア論」や「想起説」、

「洞窟の比喩」などに興味があって、

本を何冊か読んだりもしました。

(内容はかなり忘れておりますが(^^;)

 

もちろん、

「イデア論」は、実証できるものではなく、

一種のファンタジーの世界なのですが、

 

でも一方で、

(直感的にですが)

もしかしたら、

真実の一端を含んでいるのではないかと

いう気もしております。

 

・・・それはさておき、

 

この小説の中のイデアの概念は、

切り口が微妙に違う感じです。

 

以下、本書からの引用。

騎士団長が語ります。

 

 

「・・・しかるに

イデアの優位な点は、

もともと姿かたちを

持っておらないことだ。

 

イデアは他者に

認識されることによって

初めてイデアとして成立し、

それなりの形状を

身につけもする。

 

その形状は

もちろん便宜的な借り物に

すぎないわけだが」

 

「つまり他者による

認識のないところに

イデアは存在し得ない」

 

 

イデアは、

他者に認識されることによって、

初めて成立し、形作られる。

 

主人公は、

騎士団長に問いかけます。

 

 

「・・・イデアには

モラルみたいなものはないと

言いました。

 

イデアというのは

どこまでも中立的な観念であり、

それを良くするのも

悪くするのも、

人間次第である、と。

 

だとすれば、

イデアは人間に良いことを

するかもしれないけれど、

逆によくないことを

する場合だってある。

 

そうですよね?」

 

 

それに対して、

騎士団長は・・・

 

 

「E=mc2という概念は

本来中立であるはずなのに、

それは結果的に

原子爆弾を生み出すことになった。

 

そしてそれは

広島と長崎に

実際に投下された。

 

諸君が言いたいのは

たとえばそういうことかね?

 

私は肯いた。

 

「それについては

私も胸を痛めておるよ

(言うまでもなくこれは

言葉のあやだ。

イデアには肉体もない、

したがって胸もあらないからな)。

 

 

あらないからな。

 

ここは入力ミスではなく、

騎士団長の独特な語り口です(^^;

 

たしか、

村上春樹さんの他の小説でも、

こんなのがあったような。

 

続きます・・・

 

 

しかしな、諸君、

この宇宙においては、

すべてが、

caveat emptorなのだ」

 

「はあ?」

 

「caveat emptor。

カウェアト・エンプトル。

ラテン語で

『買い手責任』のことである。

 

人の手に渡ったものが

どのように使用されるか、

それは売り手が関与することでは

あらないのだ。

 

たとえば洋服屋の店先に

並んでいる衣服が、

誰に着られるのか

選ぶことができるかね?」

 

「なんだか都合の良い

理屈みたいに聞こえますが」

 

「E=mc2は

原子爆弾を生み出したが、

一方で良きものも

数多く生み出しておるよ」

 

「たとえばどんな?」

 

騎士団長は

それについて少し考えていたが、

適当な例が

すぐに思いつけなかったらしく、

口を閉ざしたまま、

両手の手のひらで顔をごしごしと

こすった。

 

 

この宇宙においては、

すべてが、

「caveat emptor」

=「買い手責任」

 

何に使うかは、

すべて買い手に委ねられる。

 

そうですね・・・

 

E=mc2が生み出した良きものを、

騎士団長がすぐに答えられないのは、

悲しい現実ですが、

 

「買い手責任」

たしかに、そうだと思います。

 

「買い手」がどのように使うかは、

自由である。

 

多くのスピリチュアル本に

述べられていますが、

 

私たちの感情は、

究極的には「愛」と「怖れ」しかなく、

行動や選択も、

すべて「愛」か「怖れ」

のいずれかに基づいているといいます。

 

(「神との対話」という

スピリチュアルの名著にも書かれています。

過去ブログで何回か紹介しました。

よかったらご覧ください)

 

 

 

心理学博士、カウンセラーの

古宮昇先生は、こう述べます。

 

 

スピリチュアルな視点では、

愛や怖れのどちらかを選ぶのが

上だとか立派だとか、

そういうことはありません。

 

あなたがどちらを選ぶかを、

あなたが自由に決めていいのです。

 

そもそも

そのような選択が可能な場を

経験したくて、

魂の私たちはこの世に来たのです。

 

そのような選択を通じて

自分を創るのが、生きる目的です。

 

言い換えれば、

私たちは選択を通じて

「自分は何者になるか」

「何者として生きるか」

を創っており、

それが生きる目的です。

 

 

「愛」か「怖れ」の選択を通じて、

自分を「創る」こと。

それが生きる目的である。

 

・・・深く同意します(^^)

 

もちろん、

「愛」に基づく選択をしたほうが、

喜びを感じられます。

 

私も、なるべく

そのような選択をしたいと

思っておりますが、

一方で、

この現実世界は、

「怖れ」による選択も

時には必要なのかとも思います。

 

たとえば、

世界の水問題に挑む、

起業家の高野雅彰さんによると、

 

ビジネスを動かすには、

「ワクワク感」と「危機感」

の両方が必要だといいます。

 

前者が「愛」、後者が「怖れ」

ともいえると思いますが、

 

「ワクワク感」は「未来に引っ張る力」

「危機感」は「今の場所から動かす力」

 

両方揃わないと、

人も組織も続かない/動かないといいます。

 

たしかに、

「ワクワク感」がないと、

イヤイヤやることになり続かないですが、

一方で、「危機感」がないと、

人はどうしても現状維持を望みがちです。

 

だから、時には「危機感」も必要・・・

 

ただし、

今の社会情勢を鑑みると、

どうも、

「不安」や「危機感」

を煽るような傾向が強すぎると感じます。

 

どちらが、良い・悪い、

という訳ではないのですが、

私としては、

両方のバランスを取りつつも、

なるべく「愛」による選択を通じて、

自分の人生を創っていきたい。

 

そう考えています😊

 

 

 

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以上、最後は本の内容から

かなり脱線してしまいましたが(^^;

 

2回にわたって、

村上春樹さんの長編小説、

 

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 橙色の表紙

 

の一部を、

紹介、解説してきました。

 

人生を考えるうえで、

多くの示唆を与えてくれる

小説だと思います。

 

年末年始、お時間のある方は、

物語の世界に

どっぷり浸ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

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最後までお読みいただきまして

有り難うございました(^^)

 

今年も読んで下さる皆さまに支えられて、

ブログを続けることができました。

感謝申し上げます😊

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

おかげさまで、今年は、

たくさん山歩きができました(^^)

 

山歩き納め、

昨日は沢ルートから鍋割山へ!

 

最高の天気の中・・・

 

沢の岩と枯れ木のある山道

 

沢越えて・・・

 

 

鍋割山山頂付近の鎖場

 

鎖場越えて・・・

 

 

富士山と山々の絶景

 

おおっ、

鍋割山頂上付近から・・・

 

雲一つない、

最高の富士山🗻

見えました(^O^)

 

 

今年、自由に山歩きに行かせてくれた

妻に感謝です!

 

では、今年最後に、

愛猫の宮音(みやお)くん。

 

愛猫みやおくん、猫と暮らす

 

小説家、白石一文さんの名言。

 

 

猫と一緒に暮らすと、

「お互いをまったく

理解しあうことがなくても、

生き物同士は充分に愛し合える」

ということを知る。

 

 

ほんと、そう思います。

 

最後までお付き合いくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

よいお年をお迎えください😊

 

新年が、

皆さまにとって素晴らしい年で

ありますように・・・

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、仕事やら資格試験の勉強やらで、

なかなか気持ちに余裕がなく、

ブログの更新が滞りがちになっていました・・・

 

が、その割には、山歩きや読書には、

ちゃんと時間を割いているという(^^;

 

で、一か月ぶりのブログになります。

今回ご紹介する本は、

 

またまた村上春樹さんで、

今度は長編小説の、

 

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 著書

 

この本、まだ読んでいなかったので、

ずっと、気になっていたのですが、

 

古本屋でハードカバーの美本が、

格安で売られていたので、

思わず買ってしまいました!

 

この本は、

2巻で1,000ページ以上もある大作、

 

いやあ・・・

資格試験の勉強そっちのけで、

すっかり、物語の沼に

ハマってしまいましたよ(^^;

 

ネタバレにならないように、

ストーリーをちょっとだけ紹介しますと・・・

 

まず、この物語の舞台ですが、

主人公の男性(肖像画を描く画家)は、

山の上に住んでいます。

 

この山というのが、

小田原周辺の山の設定で、

 

・・・ということは、

私がよくいくエリアの一つではないか!

 

急に親近感が湧いたのですが(^^;

それはさておき、

主人公は、

もともと著名な画家が住んでいた

山の上の別荘に、

事情があって住むことになります。

 

そして、そこから見える、

隣の山の豪邸に住む不思議な人物から、

肖像画を描いてほしいと依頼があり、

そこから物語が展開していくわけですが・・・

 

この本のタイトル、

「騎士団長殺し」とは、

絵のタイトルを指します。

 

この絵は、

主人公が間借りしている、

別荘の屋根裏部屋から、

発見された日本画なのですが、

 

(「騎士団長殺し」は、

モーツアルトのオペラに

出てくるシーンなのですが、

この絵は、何故か西洋画ではなく日本画)

 

この日本画、

何とも奇怪で、興味をそそります。

 

引用します。

 

 

そこに描かれているのは、

飛鳥時代の恰好をした男女だった。

 

その時代の服装とその時代の髪型。

しかしその絵は私をひどく驚かせた。

 

それは息を吞むばかりに

暴力的な絵だったからだ。

 

 

日本画というと、

一般的には穏やかなイメージがありますが、

この絵は、とても暴力的だった・・・

 

 

「騎士団長殺し」

という絵の中では、

血が流れていた。

 

それもリアルな血が

たっぷり流れていた。

 

二人の男が

重そうな古代の剣を手に

争っている。

 

それはどうやら個人的な

果たし合いのように見える。

 

争っているのは

一人の若い男と、

一人の年老いた男だ。

 

若い男が、

剣を年上の男の胸に

深く突き立てている。

 

若い男は

細い真っ黒な口髭をはやして、

淡いよもぎ色の

細身の衣装を着ている。

 

年老いた男は

白い装束に身を包み、

豊かな白い髭を生やしている。

 

・・・

 

 

何か、

意味深なシーンですね・・・

 

 

そしてその果し合いを

近くで見守っている人々が

何人かいた。

 

1人は若い女性だった。

 

上品な真っ白な

着物を着た女だ。

 

髪を上にあげ、

大きな髪飾りをつけている。

 

彼女は片手を口の前にやって、

軽く口を開けている。

 

息を吸い込み、

それから大きな悲鳴をあげようと

しているように見える。

 

美しい目は大きく見開かれている。

 

 

若い男が年老いた男を刺すのは、

驚きの展開だったのでしょう・・・

 

 

(中略)

 

そしてもう一人、

そこには奇妙な目撃者がいた。

 

画面の左下に、

まるで本文につけられた

脚注のようなかっこうで、

その男の姿はあった。

 

男は地面についた蓋を

半ば押し開けて、

そこから首をのぞかせていた。

 

蓋は真四角で、

板でできているようだ。

 

その蓋は

この屋根裏に通じる入口の蓋を

私に思い出させた。

 

形も大きさもそっくりだ。

 

男はそこから

地上にいる人々の姿を

うかがっている。

 

(中略)

 

彼は曲がった茄子のような

異様に細長い顔をしていた。

 

そしてその顔中が黒い髭だらけで、

髪は長くもつれていた。

 

浮浪者のようにも、

世を捨てた隠者のようにも見える。

痴呆のようにも見えなくもない。

 

しかしその眼光は

驚くほど鋭く、

洞察のようなものさえ

うかがえる。

 

とはいえ、その洞察は

知性を通じて獲得されたものではなく、

ある種の逸脱が

ーひょっとしたら狂気のようなものがー

たまたまもたらしたもののように

見える。

 

 

地面のフタを押し開けて、

顔を出している、

この曲がった茄子のような

黒い顔の男。

 

何だか「夢」に現れてきそうな

奇妙なキャラクターですね(^^;

 

主人公の男から、

「顔なが」と名付けられますが、

何だかジブリ映画にも出てきそう。

 

それは「顔なし」か(^^;

 

で、皆さんお察しのように、

この「騎士団長殺し」という日本画に

登場する人物たちは、

「寓意」であり「象徴」なわけですが、

 

では何の象徴か?

というのは・・・

 

読んでみてのお楽しみということで(^^;

 

この「顔なが」が潜んでいる地下の世界は、

村上春樹さんお家芸の「無意識」の世界、

ユング的な「深層心理」の領域ともいえますが、

 

物語の後半では、

主人公が、その地下世界を冒険することになります。

 

物語は、地下世界だけでなく、

歴史の世界、すなわち、

ナチス・ドイツや

日本軍の中国戦線の出来事なども絡み合い、

重層的に展開していくのですが・・・

 

・・・と、

このあたりにしておきますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みいただきまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

11月、少し前になりますが、

天気のいい日は、

山歩きでリフレッシュ!

 

渓流と古い橋、苔むした岩

 

渓流沿いの登山道から、

 

 

滝と森の自然景観

 

不動尻の不動の滝。

 

 

岩場の登山道に設置された鎖場

 

あまたの鎖場越えて、

いざ三峰山へ!

 

秋の山道、紅葉と木漏れ日

 

紅葉に癒されながら・・・

 

 

鎖場のある登山道、根の張る急斜面

 

乗り超えろ!

 

三峰山 標高九三四・六米

着きました!

 

登山道の木製階段と鎖

 

整備されているので、

慎重に行けば大丈夫・・・

 

 

紅葉の山と古木、根っこ

 

下の方は、

ちょうど紅葉ピークでした!

 

 

富士山と山々、紅葉の秋の景色

 

別日に、

今度は表丹沢ルート、三の塔へ、

 

山頂の道標と富士山

 

三ノ塔、眺めいいです!

 

 

登山道の木製階段と山々

 

天気もいいので、

欲張って塔ノ岳まで行くことに!

 

石仏と枯れ木、岩のある風景

 

安全祈願・・・

 

塔ノ岳山頂:富士山を望む景色と登山者

 

塔ノ岳着きました!

 

山歩きと富士山の遠景

 

水墨画みたいに写りました・・・

 

 

小田原の山頂、休憩所と木製小道

 

暗くなる前に、

帰路急がねば・・・

 

富士山と山々の夕暮れ景観

 

今年は、富士山、実際に登ったせいか、

神々しいというよりも、

何だか友達みたいな、

身近な存在になってきました(^^;

 

 

浄発願寺奥の院、洞窟と石仏

 

また別日、

こちらは、浄発願寺奥の院。

 

洞窟の中に、石仏が何体か鎮座されています。

 

 

浄発願寺縁起絵詞伝より弾誓上人

 

弾誓上人が修行されたようですね。

集まってきた珍獣たち?が微笑ましい(^^;

 

 

森の根っこが露出した登山道

 

大山まで足を伸ばします。

 

山道に整備された丸太の階段

 

ひたすら登って・・・

 

大山山頂、丹沢山域の案内標識

 

大山山頂は、やはり賑わってました!

 

石周奥井石材店の温度計

 

山頂は0度・・・

ちょっとぬるめになってしまったカップ麺、

美味かった(^^;

 

 

日向薬師本堂の茅葺き屋根と境内

 

私の大好きなお寺。

日向薬師に立ち寄りました。

 

報道でご存知の方も

いらっしゃるかもしれませんが、

今回、私が歩いた、

浄発願寺奥の院のあたり(日向山の西北?)で、

先日、山火事がありました。

 

幸いにも人的被害はなかったようですが、

奥の院や登山道に、

被害がないことを祈ります・・・

 

 

神宮外苑のイチョウ並木、秋の風景

 

ここは神宮外苑のイチョウ並木。

(今年は、半分以上すでに散っていましたが(^^;)

 

ラグビー早明戦、明治大学対早稲田大学スコアボード

 

ラグビー早明戦、

母校勝ちました!嬉し~

 

おつきあいいただき、

有り難うございました(^^;