ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」表紙

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を

紹介・解説しております。

 

 

毎日走り続けていると言うと、

そのことに

感心してくれる人がいる。

 

「ずいぶん意志が強いんですね」

とときどき言われる。

 

ほめてもらえれば

もちろん嬉しい。

 

けなされるよりは

ずっといい。

 

しかし思うのだけれど、

意志が強ければ

なんでもできてしまう。

というものではないはずだ。

 

世の中はそれほど

単純にはできていない。

 

というか正直なところ、

日々走り続けることと、

意志の強弱のあいだには、

 

相関関係は

それほどなんじゃないかという

気さえする。

 

僕がこうして二十年以上

走り続けていられるのは、

結局は走ることが

性に合っていたからだろう。

 

少なくとも

「それほど苦痛ではなかった」

からだ。

 

人間というのは、

好きなことは自然に続けられるし、

好きではないことは

続けられないようにできている。

 

そこには意志みたいなものも、

少しくらいは関係しているだろう。

 

しかし

どんなに意志が強い人でも、

どんなに負けず嫌いな人でも、

 

意に染まらないことを

長く続けることはできない。

 

またたとえできたとしても、

かえって身体によくないはずだ。

 

 

なるほど・・・

 

そう考えると、

「長く続いていること」

というのが、

無理していないこと、

そして、

性にあっていること

のバロメーターに

なるかもしれないですね(^^)

 

私の場合は、

やっぱり、なんだかんだ、

「読書」の習慣は続いているので、

性に合っているかと(^^;

(最近は忙しくて、たとえば、

長編小説にどっぷり浸かることが

なかなかできないのが悲しいですが)

 

「歩く」ことも習慣になっています。

雨が強い日を除けば、

駅をひとつ前で降りたり、

バスに乗らなかったりして、

通勤で一日8,000歩は

歩くようにしています(^^)

 

「山歩き」は、

30代から始めて、

一時期少し遠ざかっていましたが、

また復活してきました!

 

「学び」の習慣は?

心の学びなど、好きなことを学ぶことは

もちろん嫌いではないのですが、

やっぱり働きながらだと、

計画性や意志の力は必要・・・ですね(^^;

 

皆さまの、

「長く続いていること」

は何でしょうか😊

 

 

だから僕はランニングを

まわりの誰かに勧めたことは

一度もない。

 

「走るのは素晴らしいことだから、

みんなで走りましょう」

みたいなことは、

極力口にするまいと思っている。

 

もし長い距離を走ることに

興味があれば、

放っておいても、

人はいつか自分から

走り出すだろうし、

 

興味がなければ、

どれだけ熱心に

勧めたところで無駄だ。

 

マラソンは万人に向いた

スポーツではない。

 

小説家が万人に向いた

職業ではないのと同じように。

 

僕は誰かに勧められたり、

求められたりして

小説家になったわけではない

(止められたことすれ)。

 

思うところあって

勝手に小説家になった。

 

それと同じように、

人は誰かに勧められて

ランナーにはならない。

 

人は基本的には、

なるべくしてランナーになるのだ。

 

 

「人は基本的には、

なるべくしてランナーになるのだ」

 

かっこい表現ですね!

 

たしかに、

誰にも強制されずに、

今、続けてやっていることが、

 

やっぱり、

自分に向いていることなのかも

しれませんね。

 

 

とはいえ

こういう文章を読んで興味を持ち、

「じゃあ、

ちょっと走ってみようか」

と思って実際に走ってみたら、

「おお、

けっこう楽しいじゃないか」

というようなことが

あるのかもしれない。

 

それはもちろん麗しい展開ではある。

もしそういうことがあれば、

この本の著者としても

たいへん嬉しい。

 

 

はい、

私もこの本に触発されて、

 

先日、久しぶりに、

鶴見川の河川敷を7キロほど走りました!

 

そしたら、

山歩きとは

ちょっと違った種類の筋肉痛になり、

数日間、

老人のような歩き方になりましたが・・・(^^;

 

ちなみに、

鶴見川の河川敷は、

お正月の箱根駅伝放映後のPMには、

にわかランナーが激増します。

(あくまで自分調べ、

私もその一人ですが(^^;)

 

 

しかし人は

向き不向きがある。

 

フル・マラソンに

向いている人もいれば、

ゴルフに向いている人もいれば、

賭けごとに向いている人もいる。

 

学校で体育の時間に、

生徒全員に

長距離を走らせている光景を

目にするたびに、

 

僕はいつも

「気の毒になあ」

と同情してしまう。

 

走ろうとする意欲のない人間に、

あるいは

体質的に向いていない人間に、

頭ごなしに長距離を走らせるのは

意味のない拷問だ。

 

無駄な犠牲者が出ないうちに、

中学生や高校生に

画一的に長距離を走らせるのは

やめたほうがいいですよと

忠告したいんだけど、

 

まあ、そんなことを

僕ごときが言っても、

きっと誰も耳を貸してはくれまい。

 

学校とはそういうところだ。

 

学校で僕らが学ぶ

もっとも重要なことは、

 

「もっとも重要なことは

学校では学べない」

という真理である。

 

 

・・・最後の文章、

ウイットに富んでいますね(^^;

 

たしかに真理です!

 

学校って基本、集団生活ですから、

「個」に合わせたことは、

なかなかできない。

 

無理矢理やらせることの効能を

強いてあげるとすれば、

自分の向き不向きが実感としてわかる、

ということですかね。

 

ですので、

向いていないとわかったことは、

さっさとやめられればいいのですが、

それが、なかなかできないのが、

悩ましいところ・・・

 

もっとも、

社会に出てからの我慢する力、

忍耐力はつくかもしれませんが(^^;

 

(そう考えると、大学は中高と違って

比較的好きな単位を選択できるので、

よかったな~)

 

社会に出ると、

もちろん、嫌なことや、

我慢しなければならないことが

たくさんあるのが現実であって、

そこから逃げるわけにはいかないのですが、

 

その中でも、

なるべく、自分に向いていること、

自分の好きなこと、

性にあっていること、に割く時間を

しっかりと確保していきたいですね😊

 

 

 

*******************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続ける予定です(^^;

 

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

どんなに忙しくても、

月に1度は山歩きしたい!

 

トレッキングシューズ

 

ということで、

 

新しいトレッキングシューズも、

買ったことだし(^^)

履き慣らしも兼ねて・・・

 

 

仏果山岩場コースの登山道

 

仏果山の岩場コース!

(半原越からのルート)

 

鎖場越えて・・・

 

 

仏果山山頂の石仏と道標

 

着きました!

 

 

仏果山山頂標識と石碑

 

仏果山山頂!

 

 

仏果山山頂看板 705.7m

 

高取山まで足を伸ばし・・・

 

 

山頂からの街並みと緑豊かな山々

 

鉄塔の上からの眺め・・・

 

湘南方面、おお絶景!

 

 

仏果山山頂からの絶景、宮ヶ瀬湖と丹沢方面

 

宮ケ瀬湖と丹沢方面・・・

 

 

仏果山山頂からの眺め

 

ヤセ尾根越えて、戻ります。

 

 

木漏れ日と新緑の山道

 

鳥のさえずりに囲まれながら

ちょっと一息・・・

 

やっぱり自然は癒されますね~😊

 

このコース、

低山ですがスリリングで楽しめます!

(ヤマビルはもう大丈夫でした)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、バタバタして、

なかなかブログがアップできない

日々が続いておりますが・・・💦

 

今回紹介させていただく本は、

村上春樹さんの文庫本、

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹さんの小説は、

若い頃よく読みました。

(内容はかなり忘れていますが(^^;)

 

最近だと

街とその不確かな壁

(過去に紹介させていただきました。

よかったらご覧ください)

 

が、まさに村上ワールドといった感じで、

物語の世界を堪能した記憶がありますが、

 

今回読ませていただいたのは、

エッセーです。

 

タイトルのとおり、

「走ること」がテーマなのですが、

いやあ、村上春樹さんはすごいですね!

 

年に一回はフルマラソンを走り、

トライアスロンにも参加することもあるという、

(現在は分かりませんが)

 

ストイックな方だとは、

存じ上げていましたが、

単なるストイックというだけでなく、

 

何というか、

「思想」のようなものが、

その根底にあるような気がします。

 

その「思想」が、

私たちがよりよい人生を歩んでいくうえで、

とても示唆に富むと感じたので、

いくつか引用させていただきますね。

 

 

一般的なランナーの多くは

「今回はこれくらいの

タイムで走ろう」

とあらかじめ個人的目標を決めて

レースに挑む。

 

そのタイム内で

走ることができれば、

彼/彼女は

「何かを達成した」

ということになるし、

 

もし走れなければ、

「何かが達成できなかった」

ことになる。

 

もしタイム内で

走れなかったとしても、

やれる限りのことはやったという

満足感となり、

 

次につながっていく

ポジティブな手応えがあれば、

また何かしらの

大きな発見のようなものがあれば、

 

たぶんそれはひとつの

達成となるだとう。

 

言い換えれば、

走り終えて自分に誇り

(あるいは誇りに似たもの)

が持てるかどうか、

 

それが長距離ランナーにとっての

大事な基準になる。

 

 

そうですね。

 

「やれる限りのことはやった」

という満足感は、

「誇り」につながる・・・

 

 

同じことが

仕事についても言える。

 

小説家という職業に

―少なくとも僕にとっては

ということだけれど―

勝ち負けはない。

 

発売部数や、文学賞や、

批評の良し悪しは

達成のひとつの

目安になるかもしれないが、

本質的な問題とは言えない。

 

書いたものが

自分の設定した基準に

到達できているかいないか

というのが

何よりも大事になってくるし、

 

それは簡単には

言い訳のきかないことだ。

 

他人に対しては

何とでも適当に説明できるだろう。

 

しかし自分自身の心を

ごまかすことはできない。

 

そういう意味では

小説を書くことは、

フル・マラソンを走るのに

似ている。

 

基本的なことを言えば、

創作者にとって、

そのモチベーションは

自らの中に静かに確実に

存在するのであって、

 

外部にかたちや基準を

求めるべきではない。

 

 

・・・いやあ、

ステキな考え方ですね!

 

私としては、

村上春樹さんには是非

ノーベル文学賞を受賞していただきたいと

願ってはおりますが、

 

それはさておき(^^;

 

「書いたものが

自分の設定した基準に

到達できているかいないか」

それが何よりも大事。

 

完全に、

他人軸ではなく、自分軸ですね!

 

「モチベーションは

自らの中に静かに確実に存在するのであって、

外部にかたちや基準を求めるべきではない。」

 

そうですね~

 

モチベーションは自分の中にある、

だから、

何をどこまでやるのかは、自分で決める!

 

このあくまで

「自己決定する」

というのは、

自分が納得できる人生を歩むうえで、

重要なことだと思います。

 

他人が決めたことだと、

仮にうまくいかなかった時に、

他人のせいにしたくなりますしね(^^;

 

村上春樹さんは、

こんなことも述べています。

 

 

誰かに故のない

(と少なくとも僕には思える)

非難を受けたとき、

 

あるいは

当然受け入れてもらえると

期待していた誰かに

受け入れてもらえなかった

ようなとき、

 

僕はいつもより

少しだけ長い距離を

走るようにしている。

 

いつもより

長い距離を走ることによって、

そのぶん自分を

肉体的に消耗させる。

 

そして自分が

能力的に限りがある、

弱い人間だということを

あらためて認識する。

 

いちばん底の部分で

フィジカルに認識する。

 

そして

いつもより長い距離を走ったぶん、

結果的には自分の肉体を、

ほんのわずかではあるけれども

強化したことになる。

 

腹が立ったらその分

自分にあたればいい。

 

悔しい思いをしたら

そのぶん自分を磨けばいい。

 

そう考えて生きてきた。

 

黙って呑み込めるものは、

そっくりそのまま

自分の中に呑み込み、

それを

(できるだけ

姿かたちを大きく変えて)

小説という容物の中に、

物語の一部として

放出するように

つとめてきた。

 

 

「悔しい思いをしたら

そのぶん自分を磨けばいい」

 

ほんとカッコイイ生き方ですね!

 

「肉体的に消耗させることで、

自分が能力的に限りがある、

弱い人間だということをあらためて認識する」

 

これは、

謙虚さを呼び起こすうえで、

効果的な手法だと思います。

 

肉体は鍛えればその分、

確実に強化されるわけで、

 

とにかく、

今できる何か有益なことをやる!

 

「黙って呑み込めるものは、

自分の中に呑み込み、

物語の一部として放出する・・・」

 

果たして物語のどの箇所に、

それが反映されているのか・・・

 

小説を読み返したくなりますね(^^)

 

 

山歩きもいいけど、

何だか久しぶりに、

河川敷をランニングしたい気分になりました😊

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

**********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

大雄山最乗寺

明神ヶ岳に行きました!

(9月下旬)

 

石碑が並ぶ森の参道

 

神秘的な参道通って・・・

 

 

大雄山最乗寺への石段と仏像

 

奥の院を越えて、

明神ヶ岳へ!

 

 

森の中の地面で草を食む鹿

 

ひたすら登って、

もうすぐ山頂・・・あれっ、

 

 

山林で草を食む一頭の鹿

 

鹿ちゃんお出迎え(^^)

 

 

富士山と山々を望む登山道

 

ここの風景、

お気に入りです🗻

 

 

明神さんのお札、山道に吊るされた様子

 

森の中の小さな祠と鳥居

 

私の守り神、

明神さんお参りして・・・

 

 

明神ヶ岳 登山道案内標識

 

山頂、着きました!(^^)!

 

 

富士山と山々の風景

 

富士山バックに金時山!

 

 

山頂からの眺め、海岸線と街並み

 

下山します。湘南方面ですね。

 

 

石仏群と献花

 

・・・もうすぐ最乗寺、

 

 

大雄山最乗寺の滝と庭園

 

最乗寺戻りました。

 

 

大雄山最乗寺の苔むした岩と滝

 

ほんと、このお寺は自然が美しい・・・

 

 

大雄山最乗寺の風情ある灯篭と石段

 

見どころ満載なのに、拝観無料・・・

 

 

大雄山最乗寺の石段と山門

 

大雄山最乗寺

紅葉の時期が楽しみです😊

 

 

ピンクの紅葉が石段に落ちる

 

赤い彼岸花と苔むした石

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

東畑開人「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」新潮文庫

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

本書の中で、

著者は、

「も」の思想

ということを述べています。

 

「も」の思想。

 

これは、

私たちが困難な時代を生きていくうえで、

有益な思想だと思ったので、

シェアさせていただきますね(^^)

 

 

「も」の思想。

 

それこそが

この本を貫いていた思想です。

 

僕は繰り返し繰り返し

「も」を強調してきました。

 

現実は不純で、複雑です。

 

そのせいで、

僕らは現在地を見失うし、

方向喪失に陥る。

 

そういうときに、

少しでも現実を理解し、

道筋を見出すために

懐中電灯の光を灯す。

補助線を引く。

 

それは現実の複雑さを切り捨てて、

シンプルにするためでは

ありません。

 

白と黒に分けるのは、

黒を捨て、

白にしがみつためではない。

 

「も」の一文字を

堅持し続けるためです。

 

自分の中に

複数の声があることを許す。

 

ああでもない

こうでもないと

時間をかけて

考えることを続ける。

 

それが

複雑な現実を

複雑に受け止めることを

可能にしてくれます。

 

そうやって、

複雑な現実に

ケース・バイ・ケースで

折り合うための

やり方を見つける。

 

そのために、

補助線は引かれるべきなのです。

 

 

「補助線」という考え方は、

本書の前半部分で紹介されています。

 

五角形に補助線を引くと、

三角形と四角形の組み合わせであることが

わかるように、

 

複雑なものを、

一度シンプルな形へ分割して、

再びそれらを結びつけることです。

 

たとえば、

夫に絶望している

妻の気持ちに補助線を引くと、

 

憎しみと同時に、

まだ愛している気持ち「も」

残っていることがわかる・・・

 

という感じです。

 

 

もしかしたら、

あなたから

「ポジティブすぎる」

と言われてしまうかもしれません。

 

現実というものに対して、

楽観的すぎるし、

希望を抱きすぎていると

思われるかもしれない。

 

現実は時に残酷で、

絶望的です。

 

ひどいことが

たくさん起こるし、

他者から悪意を向けられることが

日常茶飯事。

 

僕らが生きている社会には

根深い問題が山積している。

 

それはそうだと思う。

 

それでも、

現実はシンプルではない。

複雑です。

 

この世界には

さまざまな他者たちが

生きています。

 

あなたに悪意を向けてくる

他者もいれば、

あなたの苦痛に

無関心な他者もいることでしょう。

 

だけど、

それだけじゃない。

 

そこには

善意を抱いている他者

「も」いるはずです。

 

あなたの苦境を

見て見ぬふりできない他者

「も」いるはずです。

 

必ずどこかには

そういう他者たちが存在している。

 

そう信じている。

 

 

そうですね。

 

私たちの「認知」というものは、

どうしても片寄ってしまいますので、

 

たとえば、

楽しい時には、

楽しいことしか見えないし、

 

苦しいときには、

世の中、

苦しいことばかりのように

感じてしまいがちです(^^;

 

しかし、

楽しいことの裏側には、

見えないマイナス「も」潜んでいる。

 

たとえば、

調子に乗っていると、

いずれ、

しっぺ返しをくらったりしますし(^^;

 

逆に、苦しみは、

デメリットだけでなく、

メリット「も」あるわけです。

 

たとえば、

我慢強さが身に付いたり、

謙虚になれたり、

人の痛みが分かるようになったり、

あたりまえのことが

有り難く感じられるようになったり・・・

 

人間関係でも、

(本書からの引用のように)

たしかに、苦しい時には、

周りがすべて敵に見えたりしますが、

 

よくよく観察していると、

どこかに必ず

味方になってくれる人はいるものです。

 

職場の身近な人間関係で苦しい時は、

別の部署や取引先に理解者がいたり、

はたまた、家族が優しかったり、

 

家庭の人間関係が苦しい時は、

逆に職場が救いになったり・・・

 

・・・えっ、人間で

味方になってくれる人はいない?

 

そういう時は、

動物が慰めてくれたり😺

 

 

僕の仕事は、

現実で傷ついたクライエントを

小さな部屋で待っていて、

50分間だけ話をして、

 

そして彼らが

現実へと帰っていくのを

見送る仕事です。

 

現実は生きるに足るものである。

 

このポジティブな認識が、

臨床というタフな仕事を

支えています。

 

根底に存在するその信頼が、

僕にこの仕事を

しぶとく続けさせてきたし、

 

これからもずっと

続けていこうと思わせてくれる。

 

ですから、

こういう結論になります。

 

幸福とは何か。

 

複雑な現実を

できるだけ複雑に生きることである。

 

 

「幸福とは、複雑な現実を

できるだけ複雑に生きることである」

 

・・・皆さまは、

いきなりそんなことを言われても

いまいちピンとこないかもしれませんが、

 

本書を通読すると、

この言葉が腑に落ちると思います。

 

複雑な現実、そのものを受け入れる。

それができるだけの、

「心の器」を時間をかけて作っていく。

 

変に抑えつけたり、切り捨てようとはせず、

複雑さは、そのまま受け入れたうえで、

時と場合に応じてバランスを取りながら、

そこから「選択」をしていく。

 

簡単なことではありませんが、

そんな生き方、

心がけていきたいです😊

 

 

 

***********************************************

 

 

以上、3回にわたって、

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

東畑開人「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」新潮文庫

 

を紹介してきました。

 

この本では、

「小舟」という言葉がよく出てきます。

 

その小舟とは、

私たち個人のことを指すのですが、

 

この文庫版のあとがきには、

「小舟の勇気」

ということが述べられています。

 

最後に、そこのさわりの部分を

紹介しますね(^^)

 

 

(小舟の)勇気は

出させるものではなく、

自然に出るものである。

 

雨乞い師が

雨が降るまで待つ仕事であるのと

同じように、

 

臨床家も

勇気が出るまで

一緒に待つ仕事だ。

 

 

臨床家(カウンセラー)の仕事は、

来談者(クライアント)の勇気が出るまで

一緒に待つこと。

 

私も同感です。

 

受容、共感しながら、

待つ・・・

 

勇気を待つ。

それまで、

できることをし続ける。

 

この本で書きたかったのは、

この勇気の質感であった。

 

 

この、

「できること」というのは、

カウンセリングのことでしょうか。

 

そして、

勇気の「質感」とは・・・

 

本書には、

その「質感」がとてもリアルに描かれています。

 

それを味わいたい人には、

是非ご一読をおすすめします!

 

 

 

**********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

**********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

南八ヶ岳、

編笠山・権現岳登山の続きです。

 

南八ヶ岳 権現岳 ギボシ、荒々しい岩肌と緑の山々

 

編笠山の次は、

権現岳(写真右)を目指します!

 

が、その手前の、

ギボシ(写真左)という

険しい山を越えなければなりません(^^;

 

これ登れるの・・・?

 

権現岳、ギボシ、八ヶ岳の岩場

 

うわっ・・・

 

 

権現岳への険しい岩場、鎖場

 

なかなかの岩場でした💦

(ちょっと私の力量を越えていたかも)

 

 

八ヶ岳の山小屋と登山道

 

なんとか安定した場所へ、

権現小屋と権現岳が近づいてきました!

 

小休止・・・

 

蝶々が靴に止まる登山靴

 

ふと足元を見ると、

幸運の蝶々が🦋

 

よし行ける!

 

蝶と黄色い花、緑の山

 

権現小屋(無人でしたが)の前で、

軽くランチ。

 

蝶々と編笠山が

キレイに撮れましたよ🦋

 

 

南八ヶ岳 権現岳・編笠山登山の絶景

 

赤岳と阿弥陀岳が、

よく見えます!

 

南八ヶ岳 権現岳 登山道 案内標識

 

よし、

権現岳頂上は、もう少し・・・

 

権現岳頂上への険しい岩場

 

やった~、

なんとか、たどり着きましたヽ(^o^)丿

2,715m!

 

権現岳頂上、山頂標識と岩

 

これが頂上の岩!

 

 

権現岳頂上の岩と石祠

 

反対側に回ると・・・

 

それにしても、

すごい突き出た岩ですね!

 

八ヶ岳の登山道と山々

 

ここから帰路は、

長~い尾根を下っていきます。

 

 

権現岳頂上:青空と山々の絶景とリュック

 

三ツ頭からふり返ると・・・

 

左のとんがり頭が、さきほどの権現岳、

右が赤岳・・・

 

八ヶ岳の権現岳からの壮大な眺め

 

初級者程度の私には、

ちょっと難易度の高い山々

(特にギボシ越えが)でしたが、

 

天気も史上最高で、

おかげさまで、

いい思い出になりました(^^)

 

大自然という名の神に感謝!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、天候が荒れることが多いですが、

皆さんの地域は大丈夫ですか。

 

私は金曜日の帰宅時、

大雨の影響で

いつもの路線が不通になってしまい、

激混みの中、

何とか遠回りして帰宅しました(^^;

 

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

 

から、

私の印象に残った箇所を中心に、

紹介・解説しています(^^)

 

この本の帯には、

「読むセラピー」

というキャッチコピーが

大きくうたわれています。

 

セラピーというだけあって、

文体は、とても読みやすいのですが、

内容は、かなり歯ごたえのある

深~いエッセーといった感じです。

 

エッセーといっても、

中身の半分くらいは、

「ミキ」と「タツヤ」

を中心とした物語で、

占められています。

 

ミキは、

外資系コンサル企業の

管理職として活躍する、

いわばエリート。

 

人生の嵐の中を、

小舟でサバイブしてきた彼女。

 

不眠症に悩み、

カウンセリングの門をたたきます。

 

カウンセリングを重ね、

やがて、ミキは、

タツヤと出会うことになり、

しだいに親密になっていきます。

 

しかし、

ミキの裏切り行為が発覚し・・・

(それにはもっともな理由が

あるのですが)

 

・・・ネタバレになるので、

これ以上は止めておきます(^^;

 

このあとの、

2人の揺れ動く関係と、

カウンセリングの展開が、

とてもリアルに描かれています。

 

もちろん、

そう簡単に順風満帆とはいかず、

山あり谷ありの展開になるのですが・・・

 

物語の後半、

タツヤの側の心境、

引用します。

 

 

おお、人間を信じるとは

なんと困難なことなのでしょうか。

 

まして

一度壊れてしまった関係を

信じ直すことが

いかに大変なことか。

 

無限の力をもつ神を

信じるよりも、

有限の人間を信じる方が

ずっと難しい。

 

現実のこんがらがった

人間関係は、

映画やドラマの

人間関係のようには

解決されません。

 

あるのは地味な

時間の流れだけです。

 

 

そうですね。

こじれた人間関係は、

簡単に解決されるものでは

ありません。

 

 

しかし、

それこそが

人間を信じるための

唯一の力になります。

 

納得いかないこと、

矛盾に満ちていること、

絶対に許すことができないこと。

 

つまり

論理的思考では

答えの出ないことを、

時間がゆっくりと

溶かしてくれる。

 

 

たしかに、

時間がゆっくりと溶かしてくれることは、

ある・・・

 

 

不毛に見える時間は、

タツヤさんの心の奥底で

ひそかに地道な作業を

続けてくれていました。

 

変化は見えないほどに

ゆっくりと起こっていた。

 

時間をかける。

 

難しいものを

心に抱え続ける。

 

すると、ある日、

それがストンと落ちる。

 

白と黒が混ざり、

灰色になる。

 

そのとき、

タツヤさんの心に、

以前とは違う視界が

広がります。

 

不純なネガティブが

姿を現す。

 

 

時間をかけて

難しいものを抱え続けると、

ストンと落ちる。

 

白と黒が混ざり、

灰色になる。

 

不純なネガティブとは。

 

これは、

白か黒か、といった

極端な分離思考、

 

たとえば、

人を、善と悪の

いずれかに決めつけるのではなく、

 

人には、

正しい部分もあれば、悪い部分もある、

見方によっては、逆になることもある、

 

つまり、どちらか純粋なものではなく、

人は不純、すなわち灰色の存在だと

いうことですね。

 

私は、過去、

どちらかといえば、

灰色のまま抱えていることは

優柔不断で、弱い人のやること、

 

白か黒かはっきりさせることは、

決断力があって男らしく、強い証拠、

 

だと考えていた時期もありましたが、

実はそうではないんですね(^^;

 

灰色のまま抱え続けることは、

心が成熟していて、

心の器がしっかりしていないとできない。

 

言い方を変えれば、

灰色のまま抱え続けることがつらいから、

早く白黒はっきりつけたがるんですね(^^;

 

もちろん、

現実には(特にビジネスの世界などでは)

白黒はっきり決断してから、

先に進まなければならない時もありますが、

 

心の成熟度という観点で見ると、

灰色を抱えられるということは、

成熟しているということなんです。

 

灰色を抱えられる

しっかりとした心の器を作る一助となるのが、

カウンセリングなのだと考えます。

 

 

悲しむことを通じて、

タツヤさんは

理想的なミキさんを諦め、

 

最悪のミキさんから離れ、

現実のミキさんを

発見することができました。

 

消化不良を起こしていた

白と黒を、

悲しみが灰色へと

溶かしてくれたのです。

 

そういうとき、

世界は複雑さを取り戻します。

 

現実は本当のところ、灰色です。

 

白と黒が入り混じった

曖昧な色彩こそが

世界の本格的なありようだと

思うのです。

 

 

同感です・・・

 

 

だから、

悲しむことができたとき、

 

僕らの心は

以前よりも少しだけ、

広く、深くなる。

 

心に複雑なものを

置いておけるだけの

スペースができる。

 

これを僕は

「ネガティブな幸せ」

と呼びたい。

 

 

そうですね・・・

 

人生、喜びもあれば悲しみもある、

 

言い換えれば、

悲しみがあるからこそ、

喜びを感じられるわけであって、

 

仮に、この世界に喜びしかなければ、

それを喜びだと実感することが

できませんし、

 

悲しみという、

世界の半分を味わうことも

できなくなってしまいます。

 

この人生で、悲しみという感情も

十分に味わえるように、

 

広く、深い、

心の器を作っていきたい・・・

 

 

もちろん、

それはつらい時期です。

 

悲しみは気持ちのいいものではなく、

心を落ち込ませます。

 

でも、そういう時間がなければ、

僕らの心はシンプルで、

狭く、浅いままに

とどまってしまう。

 

目の前の複雑な現実と

触れ合えないままに、

白と黒しか存在しない

自分だけの世界に

閉じこもるならば、

世界は貧しくなってしまう。

 

悲しみには豊かさがある。

 

そこには世界の複雑さと、

他者の複雑さと、

自分の複雑さのための余白がある。

 

そういうものを実感できたとき、

僕らはネガティブなことが

起こり続ける人生というものを、

それでも生きるに足るものだと

思える。

 

それを世間では

「大人になる」というのでしょう。

 

 

世界は、白もあれば黒もある

灰色のグラデーション、

複雑な存在です。

 

複雑なのは、

他者もそうだし、自分だってそう。

 

自分の中には、複雑な自分、

すなわち、

立派な自分もいれば、ダメな自分もいれば、

真面目な自分もいれば、アホな自分もいる。

 

「いい奴」の自分、「やな奴」の自分、

理性的な自分、感情的な自分、

努力家な自分、だらしない自分、

優しい自分、意地悪な自分、

腹黒い自分、打算的な自分、

ポジティブな自分、ネガティブな自分・・・

 

そんな複雑な自分を

そのまま受け容れることができたら、

豊かな人生を歩めるだろうし、

 

ひいては、複雑な他者の存在も、

受け容れることができるようになる。

 

それが、

「大人になる」ということ。

 

なかなか険しい道のりですが(^^;

 

(次回に続きます・・・)

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有難うございました。

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

少し前にになりますが、

(8月下旬)

念願の南八ヶ岳、

編笠山、権現岳に登りました!

 

 

 

いざ!

 

 

 

途中で、富士山ちらっと、

今日の天気は史上最高かも!

 

 

 

巨石を超えて・・・

 

 

はしごを乗り越えて・・・

 

 

ううっ、ここ登らせるか!

 

 

 

振り向くと、おおっ!

 

 

 

もう少しで頂上・・・

 

 

 

着きました!編笠山2,524m

(親切な方が写真撮ってくださいました)

 

 

富士山バック!

 

 

 

南アルプスの、

北岳や甲斐駒ヶ岳もばっちり!

 

 

 

八ヶ岳最高峰、赤岳・・・

 

 

 

富士山アップ!

 

 

 

 

 

それにしても、みごとな快晴!

 

しばらく頂上貸し切り状態、満喫・・・

ああ、ありがたや😊

 

 

 

青年小屋方面に向かいます。

すごい岩場(^^;

 

 

 

遠い飲み屋?(笑)

 

 

 

まだまだこれから・・・

 

 

振り返ると、

青年小屋と、

さっき登った編笠山!

 

 

 

よし、いざ権現岳へ!

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

まだまだ猛暑が続いております・・・💦

皆さまどうぞご自愛くださいね。

 

今回紹介する本は、

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

 

東畑開人さんは、

何というか、

とても味のある文章を書かれる方で、

著書も何冊かあり、

ベストセラーになっています!

 

この本の帯には、

現代の「こころの処方箋」

と書かれていますが、

 

河合隼雄さんの名著、

「こころの処方箋」

 

(過去ブログで紹介しました。

よかったらご参照ください)

 

が書かれた時とは、

時代背景も違います。

 

もちろん、

「こころ」には時代に左右されない

普遍的な部分もありますが、

やはり、

多かれ少なかれ

その時代の影響を受けるわけであって、

 

そういう意味で、

東畑開人氏の著作は、

時代性を感じるといいますか、

今の時代をしっかりと直視したものが

多いような気がします。

(だから、支持されているのかと)

 

で、この、

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

は、文庫化された本なのですが、

 

私たちの存在は、

まるで人生の大海原に放り出された

「小舟」のようだといいます。

 

 

「社会の小舟化」

が進んだということです。

 

かつては違いました。

 

僕らは大船に乗り合わせて、

みんなと一緒に航海していました。

 

「部族」とか「親族」とか

「村落」とか「会社」とか、

 

時代時代で

大船の形は違うにせよ、

 

人類はその乗組員になるよう

プログラムされている

動物なのだと思います。

 

実際、僕らの祖先であるサルたちは

群れで生活していたわけですしね。

 

窮屈なこともあったでしょうし、

不自由なこともあったでしょう。

 

だけど、

何か事故が起きたときには

リスクと責任を

みんなでシェアしてきました。

 

大船とは、

脆弱な個人をフォローし、

助け合う仕組みであったわけです。

 

 

そうですね・・・

 

昭和の高度経済成長期から、

バブル崩壊くらいまでの時期は、

特にそうだったようですね。

 

しがらみこそ多かったと思いますが、

護送船団方式で、

大企業に入れば

まずは人生安泰といった感じで(^^;

 

たとえば、

会社で社員旅行は当たり前だったし、

社員運動会までやったりして、

ずいぶん家族的だったと聞きます。

 

 

時代を経る中で、

人々は少しずつ大船を離れて、

小舟で航海するように

なっていきました。

 

最初に小舟になることを

望んだのは、

大船の窮屈さから逃れたい

少数の人たちだけでした。

 

自由になりたい。

そう望み、

そうやって生きることに

チャレンジした人がいたのです。

 

その流れは

多くの人を巻き込んでいきました。

 

今では望むと望まざるとに

かかわらず、

誰もが小舟で

社会に放り出されるように

なってしまった。

 

 

これは鋭い洞察だと思います。

 

最初に「小舟」になることを望んだのは

チャレンジングな

一部の人たちだったんですね。

 

それがいつのまにか、

大きな流れになり、

望む望まないに関わらず、

「小舟」になることが当たり前の

社会になってしまった。

 

「小舟」という名の「孤独」社会。

 

 

小舟は危険です。

 

小さな波や

ちょっとした風で、

船体はぐらつき、

ひどいときには

転覆してしまいます。

 

舵取りを少し間違えただけで、

取りかえしのつかないところにまで

流されてしまう。

 

なにより危険なのは、

そうやってしまったときの

リスクと責任を、

全部自分で負わないと

いけないことです。

 

危険も、損失も、

誰も肩代わりできません。

 

小舟で航海する以上は、

外界にセンサーを張り巡らし、

リスクを把握して、

それらをひとつずつ

回避していく必要がある。

 

 

そうですね・・・

 

たしかに、今の私たちは、

リスクを把握して回避することに

かなりのエネルギーを

使っているような気がします。

 

どこか不安で、

脅えているような・・・

 

「小舟化」

は特に働く世界で顕著です。

 

 

ここ数年

トレンドになっていたのは、

起業・副業・転職でした。

 

大船を降りて

自分の小舟だけで生きていくのが起業で、

 

大舟に乗りながら

小舟も同時に走らせるのが副業、

 

大舟と大舟の間を

小舟で渡ってくのが転職です。

 

いかに小舟でサバイブするか。

それがみんなの関心ごとに

なったわけです。

 

すると、

「愛すること」は

小舟化する「働くこと」に

飲み込まれてしまいがちになる。

 

サバイブすることに

必死になると、

すべての時間を

「働くこと」のために

使うようになるからです。

 

 

なるほど・・・

 

ここでいう

「愛すること」とは、

他者を「敵ではない」と感じられること、

他者が「安全である」と信じられること

を指します。

 

サバイバルな世界、

生き残ることに必死だと、

つい、

他者は敵である、安全を脅かす存在だと

感じてしまいますね・・・

 

 

趣味は自己投資の時間になり、

 

誰かと食事を楽しむはずの時間は

仕事のための人脈を広げるための

時間に、

 

学校は自分の

商品価値を上げるための場所になり、

 

結婚は商取引のようになる。

 

これまでビジネスとは無縁だった

領域まで、

ビジネスの言葉で語られるようになる。

 

大舟に乗っていたころには

存在していた

「働くこと」のオンとオフが

消えてしまう。

 

僕らはありとあらゆる

プライベートなことまで、

すべて仕事に役立つか否かで

考えるようになっている。

 

 

そうですね・・・

 

確かに今の時代、

社会全体がビジネス化しているようにも

感じます。

 

 

それだけじゃない。

 

「働くこと」そのものの意味が

変化してしまったのも

見逃せません。

 

「働くこと」は本来、

お金にならない「する」も含めた

ものであったのに、

 

今ではお金と結びつかないものは

無価値なものに見えてくる。

 

 

家事労働や、家族のケア、

自治会の活動などがそうでしょうか、

 

それらのお金に結び付かないものが、

無価値に思えてくる。

 

私の中にも、

「コスパ」「タイパ」

を意識する自分がいるのは事実であって・・・

 

ちょっと耳が痛い(^^;

 

 

「それで食っていけるの?」

 

他者からも自分からも

そんなツッコミが

入ってしまうくらいに、

 

「働くこと」の意味は

貧しくなってしまいました。

 

「愛すること」は

飲み込まれやすく、

 

「働くこと」は

お金とばかり結びつきやすい。

 

僕らは今、

人生がシンプルになりやすい

社会で生きている。

 

 

そうですね・・・

 

私たちが豊かに人生を歩むには、

もちろん、

一定の経済的な豊かさが必要です。

 

そういう意味では、

まずは、失われた30年を取り戻す、

景気を良くすることは大切だと思いますが、

 

しかし、一方で、

それだけでいいのかという気もします。

 

「愛すること」

すなわち、

他者は敵ではなく、

安全な存在であると思えること、

 

それが実感できるためには、

ひたすら働いて

金を稼がなければ生きていけないという

サバイバルな世界だけではなく、

 

やはり、

「安心」「安全」を感じられる場というものが

必要になってくるのだと思います。

 

そのひとつとして、

カウンセラーという存在が

あるのではないかと・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

翌日の南八ヶ岳登山の前に、

甲斐の国ぶらり旅・・・

 

 

武田氏ゆかりの、

武田八幡宮。

 

 

 

趣のある門です。

 

 

 

四つ菱は、

甲斐源氏武田氏の家紋ですね。

 

 

 

美しい本殿でした・・・

重要文化財。

 

静かで趣のある神社でした。

 

 

 

こちらは新府城跡。

 

汗だくになりながら

長~い階段を登ると・・・

 

 

 

神社がありました!

 

 

 

本丸跡・・・

 

 

 

未完成だったようですが、

かなりの規模だったようです。

 

ここでは織田の大軍を支えきれないと考えた

武田勝頼は、この城を捨てますが、

 

その先には家臣の裏切りもあり・・・

 

 

 

明日登る八ヶ岳(?)が見えます(^^)

 

 

 

東出構の跡、

しっかり残っていました!

 

 

 

こちらは、

小淵沢の大滝神社。

 

 

 

湧き水がすごい勢いで!

(冷たくておいしかったです)

 

 

 

白蛇伝説。

ほんとにいたそうです!

 

 

 

おおっ、白蛇の抜け殻!

(本物)

 

湧き水パワーをいただけた神社でした(^^)

 

道の駅で車中泊して

明日はいよいよ、南八ヶ岳へ!