ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

カウンセラー東畑開人さんの

2026年新書大賞受賞作!

 

カウンセリングとは何か 変化するということ

 

カウンセリングとは何か 東畑開人著書

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

カウンセリングには、

大きく分けて、

 

(1)「生活=作戦会議」

としてのカウンセリング

と、

 

(2)「人生=冒険」

としてのカウンセリング

 

の2つがあるという説を、

紹介させていただきました。

 

本書には、

それぞれ、具体的に

どんなカウンセリングが展開されるのかが、

 

(1)「カナタ」さんの事例

(2)「ハルカ」さんの事例

(※もちろん守秘義務がありますので、

いくつかの事例が統合、脚色されたものです)

 

を通じて、紹介されているのですが、

この事例紹介が、

まさに、この本の真骨頂!

 

まるで自分がカウンセリングを

受けているような感覚になります。

 

東畑さんは、学者ではなく、

さすが、実際に臨床の現場で

活躍されている方だけあって、

リアリティが抜群!

 

「変化する」

ということが具体的にどういうことなのか、

腑に落ちで理解できるのですが・・・

 

・・・詳しい内容は、

是非、本書をお読みください(^^;

 

ということで、

今回は、ちょっとだけ、

(1)「カナタ」さんの事例

から、私の印象に残った箇所を紹介して、

そこを掘り下げてみたいと思います。

 

「カナタ」さんは、

上司との関係からくるストレスから、

ゲームにのめり込み、不眠症になり、

「うつ病」と診断され、

休職することになります。

 

しかし、

カウンセリング(作戦会議)

を続けることで、少しずつ回復をして、

やがて復職します。

 

その時点での、

カウンセラー(東畑さん)

のコメントです。

 

 

カナタさんの

作戦会議としての

カウンセリングは

終盤に入っています。

 

ひとまず目の前で解決すべき

問題はなく、

問題が起きても、

彼が自分で解決できるように

なっている。

 

ですから、

この2週間について

話すことがないと

彼が言ったとき、

 

そこに僕は

「自立」のニュアンスを

感じ取りました。

 

先輩との仲が

接近しているのも

いいですね。

 

よく言われるように、

依存先が増えるのが

自立の条件です。

 

 

えっ・・・

依存先が増えるのが自立の条件?

 

この言葉、

ちょっと引っ掛かりました。

 

依存先が増えれば、

そこにどんどん依存してしまい、

自立からは遠ざかるのではないか?

 

浅はかな私は、

一瞬、そう考えてしまったのですが(^^;

 

この言葉、

注釈があって、

「熊谷晋一郎さんの名言」

とあります。


名言と?

 

URLもありましたので、

さっそく見てみました。

 

 
小児科医の熊谷晋一郎さんは、
新生児仮死の後遺症で脳性まひになり、
以後車いす生活となります。
 

HPから引用します。

 

 

東日本大震災のとき、

私は職場である5階の研究室から

逃げ遅れてしまいました。

 

なぜかというと簡単で、

エレベーターが

止まってしまったからです。

 

そのとき、

逃げるということを可能にする

“依存先”が、自分には

少なかったことを知りました。

 

エレベーターが止まっても、

他の人は階段やはしごで逃げられます。

5階から逃げるという行為に対して

三つも依存先があります。

 

ところが私には

エレベーターしかなかった。

 

これが障害の本質だと思うんです。

つまり、“障害者”というのは、

「依存先が限られてしまっている人たち」

のこと。

 

健常者は

何にも頼らずに自立していて、

障害者は

いろいろなものに頼らないと

生きていけない人だと

勘違いされている。

 

けれども真実は逆で、

健常者はさまざまなものに

依存できていて、

障害者は限られたものにしか

依存できていない。

 

依存先を増やして、

一つひとつへの

依存度を浅くすると、

何にも依存してないかのように

錯覚できます。

 

“健常者である”というのは

まさにそういうことなのです。

 

世の中のほとんどのものが

健常者向けにデザインされていて、

その便利さに

依存していることを

忘れているわけです。

 

実は膨大なものに

依存しているのに、

「私は何にも依存していない」

と感じられる状態こそが、

“自立”といわれる状態

なのだろうと思います。

 

だから、自立を目指すなら、

むしろ依存先を

増やさないといけない。

 

障害者の多くは

親か施設しか頼るものがなく、

依存先が集中している状態です。

 

だから、障害者の自立生活運動は

「依存先を親や施設以外に広げる運動」

だと言い換えることが

できると思います。

 

今にして思えば、

私の一人暮らし体験は、

親からの自立ではなくて、

親以外に依存先を

開拓するためでしたね。

 

 

・・・なるほどです。

 

私たちが悩みに直面した時も

同じですね(^^;

 

たとえば、

依存先が、会社の上司しかいなかったり、

親しかいなかったり、

 

依存先が限られている時には、

そこでの関係が上手くいかなくなれば、

行き詰ってしまいがちですよね。

 

また、

本当は依存先はたくさんあるのに、

視野が狭くなって

気づかない場合もあります。

 

しかし、

依存先を多く持つ、

もしくは、

多くあることに気づいていれば、

 

特定の依存先がダメでも、

それに固執する必要はなくなりますし、

 

他に選択肢があるので、

心に余裕ができ、

思いきった行動が取れるようにもなります。

 

ちなみに、山口周さんも、

「オプション・バリュー」

(常に選択肢を複数持つ)

という考え方を提唱しています。

 

人生の経営戦略

 

たとえば、やりたいことがある場合、

できれば本業を残しておいて取り組んだ方が、

大胆なチャレンジができる。

 

本業を辞めて退路を断つと、

逆にリスクが怖くて小粒な取り組みになり

失敗してしまう。

 

同感です(^^)

 

主体的な「選択」をしやすくなるように、

「依存先」を増やしておく。

 

それが「自立」に繋がる。

 

今回は本書から、

ちょっと脱線気味な話になりましたが(^^;

 

覚えておいて損はない

考え方だと思いましたので、

紹介させていただきました😊

 

 

 

*****************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

*****************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

石祠に苔むした石仏と供物

 

久しぶりにシダンゴ山へ

 

 

シダンゴ山 標高七五八米 登山道

 

頂上は・・・

 

 

馬酔木(アセビ)の花が咲く様子

 

馬酔木(アセビ)

が咲き始めでしょうか。

 

(西條さんに教えていただいた花)

 

馬酔木の花咲く小道と森

 

馬酔木(アセビ)を越えて・・・

 

 

森に咲くミツマタの花と木々

 

おお、今度は、

 

 

ミツマタの花、山歩きの春風景

 

思いがけず、ミツマタ桃源郷が!

 

 

ミツマタの花と「三椏の森散策路」の看板

 

ほのかな、

いい香りがします(^^)

 

 

森の精と語らう処、ミツマタの花

 

はい、少し休んで、

語らいました😊

 

鷹巣五段の滝の道標

 

小滝と枯葉の積もる岩場

 

小振りながらも、

なかなか見事な滝でした!

 

タケ山富士見台への道標と山並み

 

タケ山、富士見台。

残念ながら🗻見えず😢

 

 

タケ山展望台への道標と山々の風景

 

タケ山展望台。

こちらは表丹沢方面が、

なかなかの絶景でした!

 

 

枝に咲く黄緑色の小花

 

このあたり、

アブラチャン(という低木)

の群生地だそうです(^^)

 

 

満開の枝垂れ桜と青い車

 

下山後、

なかなかみごとな、枝垂れ桜!

 

 

枝垂れ桜と青空

 

真下から見上げると、

何だか桜に抱かれた感じ🌸

 

 

桜並木と河原、山並み。春の風景

 

 

今回の山歩きは、

花に恵まれ、人も少なく、

静かに春を満喫できました😊

 

ルートを整備してくださっている、

「虫沢古道を守る会」

の皆さまに感謝です!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

首都圏の桜は、

満開のところが多くなってきました🌸

 

今回は、

カウンセラー東畑開人さんの

ベストセラー!

 

カウンセリングとは何か 変化するということ

 

カウンセリングとは何か 東畑開人 本

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます。

 

この本、

売れてます!!

 

2026新書大賞も受賞して、

売れ行きに拍車がついた感もあります(^^)

 

東畑節で、

まるで小説を読むかのように

ぐいぐい引き込まれる

(事例の)物語的な魅力は、

今までの著作と同じく健在なのですが、

 

今回の本は、

それに加えて、

タイトルのとおり、

「カウンセリングとはなにか」

という問いに対して、

一般の方でもイメージしやすい表現で

定義がされています。

 

たとえば、

世の中には様々な

カウンセリングの手法がありますが、

それらは、

「生活」「人生」

のいずれかに焦点を置くかによって、

変わってくるといいます。

 

 

生活は物理的で、

身体的で、経済的です。

 

部屋が片付いていること、

エアコンが動いていること、

眠れていること、

通う場所があること、

お金がちゃんと回っていること、

 

そういうときに、

生活は成り立っていて、

日常はグルグルと

滞りなく回転していきます。

 

 

「生活」

 

私たちが日々生きていくために、

必要なことですね。

 

 

これに対して、

人生は文学的で、

演劇的で、

歴史的です。

 

僕らの心には

過去と現在と未来があって、

これらをつなぐ

ふんわりとした

物語の糸たちがあります。

(その中に緋(ひ)色の

糸も混じっている)

 

それらがきちんと

紡がれてるときに、

僕らは人生をしかと

歩んでいる感じがする。

 

今一緒にいる人を安心して

愛することができるし、

これから成そうとしている

仕事の意味を感じられる。

 

逆に、

糸がこんがらがると、

自分が人生の迷子に

なったように感じる。

 

「このままでいいのか」

という実存的な問いが

やってきます。

 

 

「人生」

 

この場合は、

生きる意味とか、

充実感のことでしょうか。

 

「生活」と「人生」

 

私の大好きな作家、

遠藤周作さんも、

同様に区別して定義していました。

 

それぞれ役割に違いがありますが、

生きるうえでは、

両方が大事だという考え方。

 

私もその影響を多分に受けています(^^)

 

カウンセリングのアプローチの仕方も

それぞれに違ってくるのですが、

 

「生活」に対しては、

「作戦会議」としてのカウンセリング。

 

「人生」に対しては、

「冒険」としてのカウンセリング。


になるといいます。

 

 

作戦会議としての

カウンセリングは

生活に関わります。

 

日常を立て直すこと、

毎日を維持すること、

現実を破局の脅威から

守ることを目指す。

生存を守る。

 

 

まずは生きていくための

「作戦」を

クライアントと一緒に

考えるということ。

 

たとえば、

眠れない日々が続いているとか、

うつ病になり休職した場合など、

現実的にどうするか、

といったことですね。

 

まずは「生活」が

きちんとできなければ、

はじまりませんので。

 

 

冒険としてのカウンセリングは

人生に関わる。

 

誰とともに生きるか、

何のために生きるか、

自分とはなにか。

 

今まで生きてきた物語を

つまびらかにし、

紡ぎ直すことが

試みられる。

実存に取り組む。

 

 

「冒険」としてのカウンセリングは、

「人生」について

クライアントの内省を促す

といったイメージでしょうか。

 

ここで、

東畑さんの考え方がすばらしいのは、

こちらの「人生」、

すなわち、

「冒険」としてのカウンセリングを

重視しすぎていないところだと考えます。

 

まずは、

「生活」の基盤があってのこと、

それがなければ

「人生」もへったくれもない(^^;

 

「生活」の基盤が出来ていない人に、

「冒険」を求めるような

実存型のカウンセリングをすることは

一種の暴力である。

 

同感です(^^)

 

まずは、

「生活」の基盤を整えたうえで、

次の段階で、

もしくは、既に整っている人が、

「冒険」としてのカウンセリングに

チャレンジする。

 

私も、それが適切だと考えます。

 

したがって、

クライアントの悩みを聞いたうえで、

「生活」「人生」

どちらにより多くの問題を抱えているのか、

 

カウンセラーはそれを

見極める力が問われるということですね。

 

ちなみに、

学派でわけると、以下のようになると、

東畑さんは定義しています。

 

 

学派単位で言うならば、

 

前者に含まれるのが、

認知行動療法や家族療法、

ブリーフセラピー、

支持的心理療法、

ソーシャルワークなどで、

 

後者には

精神分析やユング心理学、

人間性心理学などが含まれます。

 

 

この区分の仕方は、

私的にはとても腑に落ちました(^^)

 

ちなみに、

現代のカウンセリングと言えば、

前者の「作戦会議」の学派、

特に「認知行動療法」

が主流となっています。

 

いったいなぜ、現代は、

「作戦会議」の学派が主流なのか。

 

その理由を東畑さんはこのように

分析されています。

 

 

日本社会の大きな変化です。

 

70年代から90年代の

日本社会は

経済的に豊かで、

比較的安定していました。

 

生存がある程度は

保障されていたということです。

(もちろん、

そうじゃない人は多くいたにせよ、

全体の傾向として)

 

そういうとき、

人々は

「いかに生きるか」

という人生の問題に

取り組むようになり、

冒険としてのカウンセリングが

社会的に求められる

ことになります。

 

いわゆる「心の時代」です。

 

しかし、

2000年代以降、

経済の停滞や格差の拡大によって、

日本社会はどんどん

不安定な場所になっていきました。

 

人々の生存は

脅かされやすくなった。

 

すると、

シビアな日常を

「いかに生き延びるか」

に取り組む

作戦会議としてのカウンセリングが

必要になってくる。

 

 

・・・なるほどです。

 

2000年代以降、

「安心」「安全」ではなく、

「不安」や「不足」を

感じることの多い世の中、

つまり、

「余裕」のない世の中になったので、

 

「冒険」する「余裕」がなくなったと

いうことでしょうか。

 

そう考えると、

「生き延びる」ための、

「作戦会議」としてのカウンセリングが

主流になるのもうなずけます。

 

・・・しかし、やっぱり、

「いかに生きるか」

という実存に向き合うことこそが、

 

ほんとうの意味で

納得感のある「人生」を歩むことに

繋がるのではないか。

 

優先順位ですと、

まずは「生活」を整えることが

もちろん先決ですが、

 

次の段階では、

「人生」に向き合うこと、

も、

大切にしていきたいですね😊

 

(次回に続きます)

 

 

 

*******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本を紹介する予定です(^^;

 

 

*******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

とりあえず資格試験が終わったので、

(発表はまだ先ですが・・・)

 

スギ花粉が猛威を振るう中、

山に行きまくっています💦

 

 

大山寺の彫刻と看板

 

大山寺。

力強い不動明王がいらっしゃいます!

 

 

大山寺の鳥居と本殿、狛犬

 

大山阿夫利神社。

ここからの展望もいいです!

 

 

大山山頂の景色と案内板

 

大山山頂は、

いつも混んでいます(^^;

 

 

日向薬師 仁王門の赤色金剛力士像

 

こちらは、

日向薬師の仁王門。

雰囲気ありますね~

 

 

日向薬師本殿:藁ぶき屋根と赤い旗

 

日向薬師。

藁ぶき屋根の

古風で立派な本殿!

 

 

日向薬師の赤いミツマタと本殿

 

丹沢は

ミツマタの季節です(^^)

 

 

野生の猿が木に登っている様子

 

日向山で野生の猿に遭遇・・・

おもいっきり威嚇されました(^^;

 

 

山頂に電波塔のある山と空

 

おお、

大山の向こうに不思議な雲。

飛行機雲?

 

 

龍雲のような飛行機雲と木々

 

「龍雲」ということに

しておきます(^^;

 

吉兆です!

 

皆さまに幸運が訪れますように😊

 

 

日向薬師の赤いミツマタの花

 

日向薬師には、

珍しい、

赤いミツマタが咲いていました!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

まだまだ寒い日が続きます。

少しずつ春の足音が聞こえてくる感じですね(^^;

 

田坂広志さんの、

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志著「人間関係が好転する「こころの技法」」

 

から、

私の印象に残った箇所を紹介しています(^^)

 

今回が4回目、最終回です。

今回取り上げるテーマは、

 

「人生の解釈力」

「卒業しない試験は追いかけてくる」

です。

 

どういうことなのでしょうか。

 

著者が米国在住の若き日に経験した、

ガソリンスタンドでの

印象深いエピソードが、

紹介されています。

 

引用します。

 

 

カナダの国立公園に、

家族でドライブ旅行に出かけた。

 

そのドライブの途上、

あるカナダのガソリンスタンドに

給油のために立ち寄ったのだが、

 

その店の主人が、

極めて不親切な対応をしたため、

クレームをつけたところ、

口論になってしまった。

 

(中略)

 

「こんな店には、

二度と給油には来ない」

と思っていた。

 

 

こういうことって、ありますよね~

 

こちらが客ということもありますし、

二度と来ないと思うのは、

当然です。

 

実際、私も、

感じの悪かったガソリンスタンドからは、

やっぱり足が遠のきますし(^^;

 

・・・

 

ところが、

カナダからの帰路、

著者の乗っていた車のエンジンの調子が

おかしくなります・・・

 

 

仕方なく、

その道路で最初に目に止まった

ガソリンスタンドに

車を着けたところ、

 

突如、エンジンから

大きな破裂音が聞こえ、

その車は、

全く動かなくなってしまった。

 

「どうしようか・・」

との思いの中、

運転席から目を上げると、

 

何と、そのガソリンスタンドは、

先日、主人と口論になり、

険悪な雰囲気で後にした店であり、

「二度と来ない」

と思った店であった。

 

 

「うわっ、これはツイてない!」

「不運としかいいようがない・・・」

と私なら思ってしまいますが、

 

田坂さんは一味違いました。

 

 

想像もしていなかった、

この状態に、

一瞬、途方に暮れたが、

 

不思議なことに、

次の瞬間、

心の奥深くから

声が聞こえてきた。

 

「この店で、

車が動かなくなったことには、

何か、深い意味がある・・」

 

そして、

その声に続いて、

心の中に、

一つの思いが浮かんできた。

 

「そうだ、

この店の主人に詫びよう。

そのために、

この店で、

車が故障したのだ・・」

 

そう思って、店に入ると、

その主人、

こちらのことを覚えていて、

最初、怪訝な顔をしたが、

 

迷うことなく、

彼の目を見つめ、

心を込めて、こう言った。

 

「先日は、悪かった・・」

 

その瞬間、

彼の表情が変わった。

 

こちらの思いが伝わった

表情であった。

 

その表情を見ながら、

さらに一言、伝えた。

 

「助けてほしい。

車が故障してしまった・・」

 

すると、その主人、

先日とは別人のような

誠実な眼差しで、

こちらを見つめ、

 

静かに一言、

「分かった」と言って、

車を見てくれた。

 

それからの彼の、

親切で献身的な修理は、

いまも、

感謝の気持ちとともに、

深く心に残っている。

 

 

私は、

同様な出来事に遭遇した時に、

このようなふるまいが出来るだろうか・・・

 

ちょっと、自信がありません💦

 

お互いブスっとしたまま、

最低限の修理で済まし、

お茶を濁す結果になるような気がしますが(^^;

 

 

著者が、

この体験を紹介したのは、

 

著者自身が

「不幸な出会い」

と思えるものに

直面したとき、

 

その出会いと出来事についての

「人生の解釈力」

が求められた、

象徴的な出来事

だったからである。

 

 

「人生の解釈力」?

 

 

奇しくも、

このガソリンスタンドの前で、

車が故障したとき、

一瞬の戸惑いの後、

すぐに心に浮かんだのは、

 

「なぜ、こんなことが

起こったのか・・」

 

という思いとともに、

 

「この店で、

車が動かなくなったことは、

何か、深い意味がある・・。

 

この出来事は、

何を教えているのか?」

 

という思いであった。

 

そして、

こうした問題に直面したとき、

我々に問われるのは、

実は、

 

「どうやって、

この問題を解決するか?」

 

「どうやって、

先日、口論をしたこの主人に、

修理をしてもらうか?」

 

ということではない。

 

その前に、

我々が深く考えるべきは、

 

「なぜ、

こうした問題が起こったのか?」

 

「なぜ、よりによって、

このガソリンスタンドの前で、

車が故障したのか?」

 

という問いである。

 

そして、

人生とは不思議なもので、

その問いに正しく答えを出し、

出会いの意味、

出来事の意味を、

正しく解釈すると、

 

なぜか、

自然に目の前の問題が

解決していく。

 

すなわち、

こうした場面で、

我々に真に問われているのは、

「問題の解決力」

ではなく、

「人生の解釈力」

に他ならない。

 

 

私などは、

このようなケースでは、つい、

その場しのぎの「解決志向」

に囚われてしまいがちですが(^^;

 

田坂さんは、

なぜ、このような出来事が起こったのか

この出来事をどう「解釈するか」

が問われているという・・・

 

う~ん、深いですね。

 

 

(中略)

 

著者の心に浮かんできた

答えは、

 

「ああ、これは、

心がぶつかった人と

和解することのできる

『しなやかな心』

を身につけよと、

何かが教えている」

 

との解釈であった。

 

 

「しなやかな心を、身につけよ」

と何かが教えている・・・

 

・・・なるほどです。

 

 

そして、

修理を終え、

このガソリンスタンドを辞して

米国に向かう途中、

ふと、

著者の心の中に、

一つの言葉が浮かんできた。

 

それが、

「卒業しない試験は、

追いかけてくる」

という言葉である。

 

カナダで行く途中で与えられた、

この「店の主人とのトラブル」

という「人生の試験」。

 

その問題に

正しい答えを出さずに去ったとき、

五日後に、その問題が、

劇的な偶然という形で、

ふたたび私に突き付けられた。

 

それは、

いつもながら、

見事なほどの

人生の配剤であった。

 

 

「卒業しない試験は、追いかけてくる」

 

そうですね・・・

 

私事になりますが、

この2月、

グループインした子会社に出向となりました。

 

割と小規模な会社のため、

管理職といえども、

現場仕事や実務もやらないと回らないんですね。

 

正直、抵抗がありました。

 

「これは、私が

若い頃やっていたような仕事ではないか」

 

「管理職が、

いまさらやるような仕事ではない」

 

ちっぽけなプライドが

揺さぶられる思いがしました。

 

しかし・・・

 

田坂さんの言葉を思い出しました。

 

「人生の解釈力」

「卒業しない試験は追いかけてくる・・・」

 

「・・・そうか、

これは、現場や実務を通じて、

仕事の原点に立ち返れということか」

 

「たしかに最近、

その意識が薄れていた」

 

「現場仕事を、

ちょっと見下しているようなところがあった」

 

「まだそこが、

卒業できていなかったということか・・・」

 

私はまだまだ未熟なので、

無理矢理、

言い聞かせているところもありますが(^^;

 

でも、このように解釈することで、

結果的に、意味が感じられ、

モチベーションが維持できるわけですし、

 

少なくとも損することはありません(^^)

 

「人生の解釈力」

「卒業しない試験は追いかけてくる」

 

胸に刻んでおきます(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

以上、田坂広志さんの、

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志著「人間関係が好転する「こころの技法」」

 

を3回にわたって

紹介させていただきました(^^)

 

田坂さんの本は、

志が低くなったと感じられるときに読むと、

エネルギーをチャージできる気がします!

 

おすすめします😊

 

 

 

********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を

紹介させていただく予定です。

 

 

********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

資格試験を受験しました。

学科はおそらく大丈夫!

実技は・・・ちょっと不安ですが(^^;

 

帰り道に散策😊

 

上野公園で咲く桜と青空

 

上野公園、

入口に桜?(ソメイヨシノではないやつ)

咲いてました🌸

 

 

清水観音堂と月の松

 

上野、清水観音堂。

 

 

上野公園の弁天堂と月の松

 

境内の「月の松」から、

弁天堂が見えます😲

 

 

上野公園の清水観音堂と高層ビル

 

弁天堂。

外国人で賑わってました。

 

 

弁天堂の宇賀神像と不忍池

 

なんじゃこりゃ?

(宇賀神さまというようです。

失礼いたしました(^^;)

 

 

上野公園の池と五重塔

 

不忍池。

 

 

不忍池の白鳥ボートとビル群

 

都会のオアシスですね(^^)

 

 

湯島天神の建物と花

 

遅ればせながら、

湯島天神で合格祈願!

 

これから受験する仲間も含めて、

「皆で合格できますように・・・」

 

四つ葉のクローバー🍀

 

妻が庭で見つけた、

四つ葉のクローバー🍀

 

 

山歩き階段と枯草

 

次の日、

久々に山歩き、高松山。

 

山歩きで見た富士山と枯れ木

 

頂上から富士山絶景🗻

やっぱ山はイイナ~♪

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

スギ花粉が、絶賛飛散中ですね💦

 

田坂広志さんの、

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志「人間を磨く」こころの技法

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で3回目です。

 

前回、

「人とぶつかった後には、

自分から声をかけ、非を認める」

 

ということを、

エピソードを交えて紹介しましたが、

 

今回は、

「人とぶつかった時こそ、

絆を深める好機」

 

ということを、

人間の「深層心理」という

切り口から深堀りしていきます(^^)

 

 

そもそも、

誰かと意見がぶつかり、

感情がぶつかり、

心が離れたとき、

 

我々の

「表層意識」の世界では、

相手に対する批判や非難、

反感や嫌悪などの感情が

動いている。

 

しかし、実は、

その一方で、

「深層心理」の世界では、

次の二つの感情が動いている。

 

第一は、

自分に対する嫌悪感

(自己嫌悪)

 

第二は、

相手に対する不安感

(他者不安)

 

 

「自己嫌悪」と「他者不安」

 

どういうことでしょうか。

 

 

例えば、

誰かと感情が

ぶつかったときには、

 

表面的には、

「彼はどうして

あんな物の言い方しか

できないんだ」

「彼女は、どうして、

素直に受け止められないんだ」

といった形で、

 

相手の言葉や態度に対する

「批判や非難の感情」

が動いているが、

 

実は、その心の奥深くでは、

 

「どうして、彼の言葉で、

つい感情的に

なってしまったのか・・」

「ああ、彼女の気持ちを考えて、

言葉を選ぶべきだったのに・・」

といった反省とともに、

「自己嫌悪」

の感情が動いている。

 

 

そうですね~。

 

ぶつかったあとに、

何か嫌な感情が残るのは、

この「自己嫌悪」のせいなんですね(^^;

 

 

また、

誰かと感情がぶつかった時には、

表面的には、

「彼は、もう許せない!」

「彼女は、顔を見たくない!」

といった形で、

 

相手に対する

「反感や嫌悪の感情」

が動いているが、

 

実は、

その心の奥深くでは、

「彼が、どこかで、

自分を批判しているのでは

ないか・・」

「彼女は、誰かに、

自分の悪口を

言っているのではないか・・」

といった

「他者不安」と呼ぶべき感情が

動いている。

 

 

・・・はい、

 

小心者の私は、

いつも不安になります(^^;

 

 

我々の心の中にある、

この「深層心理」の世界を

理解するならば、

 

誰かと感情がぶつかったり、

心が離れたりした後、

 

自分から相手に声をかけ、

謝ることがなぜ大切か、

その深い意味が分かるだろう。

 

それは、

ある意味で、

自分と相手の心の中にある

「自己嫌悪」「他者不安」を、

同時に緩和・解消

していくための営みでもある。

 

すなわち、

まず、自分から

「すまなかった」と言って

相手に謝ることによって、

 

我々は、

「人間関係の修復」

ということを越え、

 

自分の心の深くにある

「自己嫌悪」と「他者不安」を

緩和、解消することができる。

 

同時に、

こちらから

「すまなかった」

と謝ることによって、

相手もまた、

「自分こそ、すまなかった」

と謝りやすくなる。

 

そして、

そのことによって、

相手もまた、

心の奥深くにある

「自己嫌悪」と「他者不安」を

緩和・解消することができる。

 

 

なるほど・・・

 

自分から謝ることによって、

自分の「自己嫌悪」「他者不安」

だけでなく、

 

相手のそれも、

緩和・解消できるんですね!

 

だから、

「雨降って地固まる」

ではないですが、

 

ぶつかったことが、

お互いの絆を深めることに

繋がるわけです(^^)

 

それには、

もう一つの理由があるといいます。

 

 

それは、

ぶつかったあと、

お互いに心を開き、

謝り、和解すると、

「深層心理」の世界に

「受容感覚」が

生れるからである。

 

すなわち、

「相手が自分を

受け容れてくれるという

安心感」

が生れるからである。

 

 

「受容感覚」?

どういうことでしょうか。

 

 

なぜなら、

人間同士、ぶつかる前は、

いかに表面的に

良好な関係を築いていても、

 

心の深いところに、

「相手は、

自分の欠点が出たとき、

それも含めて、

受け容れてくれるだろうか?」

 

との不安があるからである。

 

しかし、

たとえ、お互いの

「小さなエゴ」がぶつかり、

お互いに心が離れ、

相手を批判や非難し、

心を閉ざしても、

 

それでも、

お互いに心を開き、

謝り、和解するという

心のプロセスを

辿ることができると、

 

心の深いところに、

「相手は、

自分の欠点や未熟さを含めて、

受け容れてくれた」

という安心感が生まれ、

「受容感覚」が生まれる。

 

そして、

我々は、誰もが、

心の奥底で、

自分自身の欠点や

未熟さを知っており、

 

それゆえ、

心の深層で、

相手や周りの人々に対して

 

「自分の欠点や未熟さを含めて、

認め、受け入れてほしい」

 

という密かな願いを持っている。

 

お互いにぶつかった後の

和解に伴って生まれる

「受容感覚」が、

お互いの人間関係を、

さらに深いところで

結びつけるのは、

それが理由である。

 

 

なるほどです(^^;

 

ぶつかった後に

和解ができたということは、

 

お互いの欠点や未熟さを、

受け容れたということですから、

 

虚勢を張らなくても、

よくなります(^^;

 

自分の弱さや至らなさ、

ホンネの部分も、

出しやすくなるかもしれません。

 

ラクになります(^^;

 

ただ・・・

 

やっぱり、利害関係や打算が絡む、

「職場」の中だと、

 

「受容感覚」を感じられるというのは、

難易度が高いかもしれません。

 

そもそも、

今どきの職場は、

感情を出して、ぶつかるということが、

(少なくとも表面上は)

あまりないような気がしますので、

「和解する」ということもない。

 

だから、絆が深まらないのかも(^^;

 

ちなみに、

田坂さんは、

最も深い「受容感覚」を感じられる場は、

「家族」だといいます。

 

 

永い年月、

一つの屋根の下に住み、

生活を共にし、

お互いの人間としての

欠点や未熟さをさらけ出し、

「小さなエゴ」

がぶつかり合う、

家族という存在。

 

それは、まさに、

「家族は、

自分の欠点や未熟さも含めて、

受け容れてくれている」

という意味で、

本来、最も深い

「受容感覚」を感じられる場に

他ならない。

 

 

もっとも、

家族といえども、

 

ぶつかったあとで、

自分から謝ることができなければ、

「自己嫌悪」と「他者不安」の解消、

すなわち、

「受容感覚」はなかなか得られない。

 

「言わなくても分かるだろう」

という甘えは通用しないわけであって(^^;

 

妻とぶつかった後には、

自分から声をかけ、謝る・・・

(難易度高めですが)

 

ウチの場合の、

「安心・安全の場づくり」

は、まずはそこから・・・か(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

もうすぐ資格試験を受けるので、

その追い込みで、

なかなか遠出ができず・・・

 

鶴見川沿いの道と街並み

 

せめて、

近所の鶴見川で、

ぼお~っと息抜き(^^)

 

たしかに、近年まれにみる、

水量の少なさですね💦

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの、

 

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志「人間を磨く」こころの技法

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

田坂広志さんが大学院時代に、

教授から、

「君は、可愛気が無い」

と言われ、

 

そこから、

「心の中で自分の非を認める」

ことの大切さを学んだという

エピソードを紹介しましたが、

 

今回は、

「自分から声をかけ、目を合わせる」

ということを紹介します。

 

こちらも、

田坂広志さんの若かりし頃の

エピソードが語られています。

 

企画会議で、

同僚のA君と意見が食い違い

議論が白熱。

 

思わず感情的になってしまい・・・

 

 

そうしたときには、

会議が終わった後は、

相手の顔もあまり見たくない

気持ちになり、

 

夜、帰宅の道を歩みながらも、

その会議での

やり取りが思い起こされ、

不愉快な気分が

心を占めることもあった。

 

 

私も若い頃は、

こういうことがよくありました(^^;

 

もっとも、

最近は、そんなにはないのですが、

 

それは、

成長したからというよりも、

そこまで本気で議論する熱量が

なくなってしまったからかも

しれませんが(^^;

 

 

そして、

そのような日の翌日は、

朝起きると、

やはり、

昨日の会議のことが

頭に浮かび、

 

同僚とのやりとりに

自己嫌悪を感じ、

しばし不愉快な気分に

浸されるのだが、

 

不思議なことに、

しばらくすると、

あのY教授の言葉が、

その弟子に対する

温かい眼差しとともに、

心に浮かんでくるのだった。

 

「君はね・・、

可愛げが無いんだよ・・」

 

すると、

これも不思議なことに、

体の奥深くで、

 

自分の非を認める

「可愛げのある心」、

「しなやかな心」が動き出し、

こんな気持ちが

湧き上がってくるのだった。

 

「そうだな・・。

同僚のA君も、A君なりに、

このプロジェクトの

ことを考えて、

ああ言っていたんだな・・。

 

自分は、それを、

もう少し

理解してあげるべきだった・・」

 

 

そうですね・・・

 

翌日になると、

自己嫌悪とともに、

「自分にも非があったな・・・」

と思えてくることが、ある(^^;

 

 

そして、

こうした気持ちになり、

自分の「非」を

認める気持ちになってくると、

 

自然に、

心の奥から、こんな思いが

浮かんでくるのだった。

 

「そうだな・・。

今日、会社に行って、

A君と会ったら、

こちらから声をかけよう。

 

そして、

昨日のことを謝ろう・・・」

 

そう思い定めて出社すると、

廊下の向こうから、

A君が歩いてくる。

 

そのA君、

自分に気がつくと、

顔を合わせるのも気まずそうに

歩いてくる。

 

こちらも、

やはり、昨日のことがある。

 

A君と目を合わせるのは、

どこか気まずい。

 

それでも、

彼が近づいてきたタイミングで、

目を合わせることが

できなくとも、

 

心の中から絞り出すように、

声をかけた。

 

「A君・・・、

昨日は、すまななったな・・・。

 

自分が、少し言い過ぎた・・」

 

これは、

著者の若き日の未熟さを示す、

恥ずかしい話だが、

 

こうした形で声をかけることが、

当時の著者にとって、

「こころの修行」であった。

 

 

田坂広志さんほどの人でも、

若き頃には

目を合わせることはできなかった(^^;

 

ただし、それはできずとも、

「自分から声をかける」ことはできた。

 

それだけでも、すごいことです!

実際は、なかなかできませんよ(^^;

 

少なくとも、私は、

気まずい関係になった時に、

自分から声をかけたり、

 

ましてや、

自分の非を認める

発言をしたことは・・・

 

・・・う~ん、

すぐには思い浮かばないのが

つらい(^^;

 

「まあ、時が解決してくれるか・・・」

と寝かしてしまうタイプかも

しれません(^^;

 

ちなみに、飲みの席で、

部下と激しい口論になった時、

 

翌日、部下から、

「昨日は言い過ぎました・・・

申し訳ございません」

というメールをもらったことはあります。

 

もちろん、

「私も言い過ぎました・・・」

と返信はしましたが、

それは、

私のほうから発信してもよかったわけです。

 

部下のほうが大人でした(^^;

 

こんなエピソードも、

紹介されています。

 

 

著者は、若き日に、

ときおり、

母と厳しく意見がぶつかり、

心がぶつかることがあった。

 

いま振り返れば、

それは、

私の未熟さゆえの出来事であり、

苦労をして自分を育ててくれた

親に対する感謝の無い姿が

原因であったのだが、

 

母もまた、

息子に対する

深い愛情を持っていたがゆえに、

人間として

筋の通らないことには、

 

毅然として

厳しい言葉を語る人物であった。

 

当時、こうした形で、

母と心がぶつかったとき、

私の心の中では、

「納得できない!」

という気持ちが渦巻き、

その不愉快な気分のまま外出し、

 

しばらくして、

その気分をもう一度、

母にぶつけようと、

外から電話することがあった。

 

 

この意地になる気持ち、

わかりますね~

 

 

当然のことながら、

母も生身の人間、

感情もある人間、

 

息子の筋の通らない

理屈や理不尽な言葉に、

腹が立たなかったわけでは

ないだろう。

 

心が波立たなかったわけでは

ないだろう。

 

しかし、

こうした衝突の後、

私が母に電話をすると、

 

電話に出た母が、

最初に口にするのは、

必ず、次の一言であった。

 

「広志・・、

すまなかったね・・」

 

(中略)

 

母は、

私から電話があったっとき、

 

必ず、自分から、

「すまなかったね・・」

と語った。

 

自分に非がないときでも、

「すまなかったね」

と語った。

 

そして、

深い思いの込められた、

この母の言葉を聞くと、

 

私は、いつも、

固まってしまった自分の心が、

静かに溶けていくことを

感じていた。

 

 

・・・実は、私の母親も、

毎回ではないにせよ、

私とぶつかったあとに電話で話す時の、

第一声は、

 

「すまなかったね・・・」

 

ということが多いです。

 

私は子供がいないのですが、

もし子供がいたら、

自分から、第一声で、

「すまなかったね」

と言えるだろうか・・・

 

・・・う~ん、

自信がない。

 

まだまだ未熟者ですの~(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介をする予定です(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

ひのきの森広場への道標と木漏れ日

 

近所散策。

 

ひのきの森で、

ちょっと瞑想・・・

 

 

石碑と森の風景

 

昔の神社跡の石碑。

神々しい光が差していました。

 

 

竹林の美しい景色

 

竹林はやっぱり美しいですね。

 

鶴見川の野鳥と動禅

 

鶴見川で野鳥をみながら、

動禅(のまねごと)

 

 

神社にある提灯と石段

 

等々力不動尊、

に立ち寄り。

 

早く渓谷復活しないかな。

 

 

高取山 705.7m 山頂標識

 

高取山。

 

山並みと湖、橋の風景

 

山頂の鉄塔に登ると、

絶景!が待っています(^^)

 

 

高取山からの街並みと山並み

 

東京方面を望む・・・

 

 

山頂の看板と石仏

 

仏果山頂の仏像群。

 

 

鎖場のある登山道

 

低山ですが、

鎖場ルートもあってスリルを味わえます!

 

私の大好きな山です(^^)

(ただし、夏季はヒルに注意(^^;)