ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
村上春樹さんの長編小説、
を紹介、解説しています。
「騎士団」といえば、
ロックバンド「氣志團」
をイメージしてしまうのは、
世代のせいなのか、
それとも、
私が低俗なせいなのか(^^;
(けっこう好きです。
昔よくカラオケで歌いました)
今回は、第2部の、
「遷ろうメタファー編」
から、
私の印象に残った箇所を、
紹介・解説していきます(^^)
この小説には、イデアとしての、
「騎士団長」が登場します。
「イデア」とは
いったい何なのか?
ネットのAI調べですが・・・
イデアとは、
プラトン哲学における
「現実世界にある個々のもの
(花、人間など)
の背後にある、
完全で永遠不変な『本質』や『原型』」
のことで、
「理想の姿」「理念」を指します。
私たちが「美しい」と感じるのは、
不完全な現実の「美しい花」ではなく、
完全な「美のイデア」を
魂(精神)の目で捉えるからだとされ、
現代の「アイデア(思いつき)」
の語源でもありますが、
元々は「形」「姿」という意味です。
イデアとは、
個々の背後にある、
完全で永遠不変な「本質」である。
ちょっと抽象的なので、
「花」で、
もう少しわかりやすく例えると・・・
現実の花は枯れて形が変わるけど、
「完璧な花」としての
「花のイデア」は永遠に変わらない、
というイメージです。
私たちが「これは花だ」
と認識できるのは、
この「花のイデア」
を知っているからだと考えます。
なるほど・・・
イデアとは既に知っている
「記憶」のようなものでしょうか。
「記憶」といっても、
それは後天的に学習して覚えたもの
というよりも、
生まれる前から知っていること。
プラトンの想起説によると・・・
私たちは生まれる前に
イデアを見ていたけれども、
生まれるときにそれを忘れてしまう。
私たちは生まれてから忘れられた
イデアの記憶を「想い起こす」、
つまり学習とは想起に他ならない
と考えます。
生まれる前に見ていたイデアを、
想い起こす。
学習とは「想起」に他ならない・・・
面白い考え方ですね~
私は若い頃、
プラトンの「イデア論」や「想起説」、
「洞窟の比喩」などに興味があって、
本を何冊か読んだりもしました。
(内容はかなり忘れておりますが(^^;)
もちろん、
「イデア論」は、実証できるものではなく、
一種のファンタジーの世界なのですが、
でも一方で、
(直感的にですが)
もしかしたら、
真実の一端を含んでいるのではないかと
いう気もしております。
・・・それはさておき、
この小説の中のイデアの概念は、
切り口が微妙に違う感じです。
以下、本書からの引用。
騎士団長が語ります。
「・・・しかるに
イデアの優位な点は、
もともと姿かたちを
持っておらないことだ。
イデアは他者に
認識されることによって
初めてイデアとして成立し、
それなりの形状を
身につけもする。
その形状は
もちろん便宜的な借り物に
すぎないわけだが」
「つまり他者による
認識のないところに
イデアは存在し得ない」
イデアは、
他者に認識されることによって、
初めて成立し、形作られる。
主人公は、
騎士団長に問いかけます。
「・・・イデアには
モラルみたいなものはないと
言いました。
イデアというのは
どこまでも中立的な観念であり、
それを良くするのも
悪くするのも、
人間次第である、と。
だとすれば、
イデアは人間に良いことを
するかもしれないけれど、
逆によくないことを
する場合だってある。
そうですよね?」
それに対して、
騎士団長は・・・
「E=mc2という概念は
本来中立であるはずなのに、
それは結果的に
原子爆弾を生み出すことになった。
そしてそれは
広島と長崎に
実際に投下された。
諸君が言いたいのは
たとえばそういうことかね?
私は肯いた。
「それについては
私も胸を痛めておるよ
(言うまでもなくこれは
言葉のあやだ。
イデアには肉体もない、
したがって胸もあらないからな)。
あらないからな。
ここは入力ミスではなく、
騎士団長の独特な語り口です(^^;
たしか、
村上春樹さんの他の小説でも、
こんなのがあったような。
続きます・・・
しかしな、諸君、
この宇宙においては、
すべてが、
caveat emptorなのだ」
「はあ?」
「caveat emptor。
カウェアト・エンプトル。
ラテン語で
『買い手責任』のことである。
人の手に渡ったものが
どのように使用されるか、
それは売り手が関与することでは
あらないのだ。
たとえば洋服屋の店先に
並んでいる衣服が、
誰に着られるのか
選ぶことができるかね?」
「なんだか都合の良い
理屈みたいに聞こえますが」
「E=mc2は
原子爆弾を生み出したが、
一方で良きものも
数多く生み出しておるよ」
「たとえばどんな?」
騎士団長は
それについて少し考えていたが、
適当な例が
すぐに思いつけなかったらしく、
口を閉ざしたまま、
両手の手のひらで顔をごしごしと
こすった。
この宇宙においては、
すべてが、
「caveat emptor」
=「買い手責任」
何に使うかは、
すべて買い手に委ねられる。
そうですね・・・
E=mc2が生み出した良きものを、
騎士団長がすぐに答えられないのは、
悲しい現実ですが、
「買い手責任」
たしかに、そうだと思います。
「買い手」がどのように使うかは、
自由である。
多くのスピリチュアル本に
述べられていますが、
私たちの感情は、
究極的には「愛」と「怖れ」しかなく、
行動や選択も、
すべて「愛」か「怖れ」
のいずれかに基づいているといいます。
(「神との対話」という
スピリチュアルの名著にも書かれています。
過去ブログで何回か紹介しました。
よかったらご覧ください)
心理学博士、カウンセラーの
古宮昇先生は、こう述べます。
スピリチュアルな視点では、
愛や怖れのどちらかを選ぶのが
上だとか立派だとか、
そういうことはありません。
あなたがどちらを選ぶかを、
あなたが自由に決めていいのです。
そもそも
そのような選択が可能な場を
経験したくて、
魂の私たちはこの世に来たのです。
そのような選択を通じて
自分を創るのが、生きる目的です。
言い換えれば、
私たちは選択を通じて
「自分は何者になるか」
「何者として生きるか」
を創っており、
それが生きる目的です。
「愛」か「怖れ」の選択を通じて、
自分を「創る」こと。
それが生きる目的である。
・・・深く同意します(^^)
もちろん、
「愛」に基づく選択をしたほうが、
喜びを感じられます。
私も、なるべく
そのような選択をしたいと
思っておりますが、
一方で、
この現実世界は、
「怖れ」による選択も
時には必要なのかとも思います。
たとえば、
世界の水問題に挑む、
起業家の高野雅彰さんによると、
ビジネスを動かすには、
「ワクワク感」と「危機感」
の両方が必要だといいます。
前者が「愛」、後者が「怖れ」
ともいえると思いますが、
「ワクワク感」は「未来に引っ張る力」
「危機感」は「今の場所から動かす力」
両方揃わないと、
人も組織も続かない/動かないといいます。
たしかに、
「ワクワク感」がないと、
イヤイヤやることになり続かないですが、
一方で、「危機感」がないと、
人はどうしても現状維持を望みがちです。
だから、時には「危機感」も必要・・・
ただし、
今の社会情勢を鑑みると、
どうも、
「不安」や「危機感」
を煽るような傾向が強すぎると感じます。
どちらが、良い・悪い、
という訳ではないのですが、
私としては、
両方のバランスを取りつつも、
なるべく「愛」による選択を通じて、
自分の人生を創っていきたい。
そう考えています😊
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以上、最後は本の内容から
かなり脱線してしまいましたが(^^;
2回にわたって、
村上春樹さんの長編小説、
の一部を、
紹介、解説してきました。
人生を考えるうえで、
多くの示唆を与えてくれる
小説だと思います。
年末年始、お時間のある方は、
物語の世界に
どっぷり浸ってみてはいかがでしょうか。
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最後までお読みいただきまして
有り難うございました(^^)
今年も読んで下さる皆さまに支えられて、
ブログを続けることができました。
感謝申し上げます😊
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おまけ写真集(^^;
おかげさまで、今年は、
たくさん山歩きができました(^^)
山歩き納め、
昨日は沢ルートから鍋割山へ!
最高の天気の中・・・
沢越えて・・・
鎖場越えて・・・
おおっ、
鍋割山頂上付近から・・・
雲一つない、
最高の富士山🗻
見えました(^O^)
今年、自由に山歩きに行かせてくれた
妻に感謝です!
では、今年最後に、
愛猫の宮音(みやお)くん。
小説家、白石一文さんの名言。
猫と一緒に暮らすと、
「お互いをまったく
理解しあうことがなくても、
生き物同士は充分に愛し合える」
ということを知る。
ほんと、そう思います。
最後までお付き合いくださいまして、
有り難うございました(^^)
よいお年をお迎えください😊
新年が、
皆さまにとって素晴らしい年で
ありますように・・・























































































