ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
田坂広志さんの新書、
から、
私の印象に残った箇所を、
紹介・解説しています(^^)
今回のテーマは、
「『不運』の姿をした幸運」
有名な故事
「塞翁が馬」が紹介されています。
「中国北辺の老人が飼っていた
馬が逃げたが、
後に立派な馬を連れて帰ってきた。
老人の息子がその馬から落ちて
足を折ったが、
そのために戦争に行かずにすんだ」
「塞翁が馬」は、
私が座右の銘のひとつにしている言葉で、
IPS細胞の山中教授や、
サッカーの岡田武史監督なども
よくおっしゃっています。
この言葉は、
一見、悪いことのように見えることでも、
実は、悪いことではない。
または、
不運の後には、必ず幸運がやってくる。
と読み取れると思いますが、
田坂さんは、こう述べます。
幸運は、不運の姿をして
やってくる
不運に見える出来事は、
実は、幸運そのものだというのです!
実際、著者の人生を
顧みるならば、
当初、
「なぜ、このような不運が
起こったのか!」
と嘆くような出来事が、
それから何年もの歳月を歩んで
振り返るとき、
「ああ、あの出来事のお陰で、
このような有り難い道を
歩むことができた」
と思えることが大半である。
実際、田坂さんは、
大学院の研究職に就くことが出来ず、
深い挫折感を抱いて
民間企業に入りましたが、
そこで新たな、
営業や企画の能力を磨かれて、
その後、シンクタンクの立ち上げ、
ダボス会議での活躍、
やがては内閣官房参与までなられたり、
30代で大病を患いましたが、
そこから、
「いま、この瞬間を生き切る」
という生き方と、
「いつ死んでも悔いが無い」
という覚悟を掴まれた。
というエピソードが
紹介されています。
おそらく、
この随想を読まれる
読者の多くも、
不運に見えた出来事が、
実は、幸運であった
という体験を、
いくつも持たれているのでは
ないだろうか。
例えば、
人生で与えられた苦労や困難、
失敗や敗北、
挫折や喪失、
病気や事故など、
様々な逆境を振り返るとき、
「あの苦労のお陰で、
大切なことを学べた」
「あの失敗のお陰で、
成長することができた」
「あの挫折のお陰で、
この道へと導かれた」
といった深い感慨を抱く人は、
決して少なくないだろう。
そうですね・・・
過去ブログで
詳しく書かせていただいたことも
ありますが、
私自身思い返してみても・・・
暗い高校生活や浪人時代を
過ごしたことをバネに、
希望の大学に入ることができました。
が、そこでは、
特に恋愛関係が
さっぱり上手くいかなかったり(^^;
その後、就職は上手くいきましたが、
当初は希望の部署には行けず、
念願叶って異動できたと思ったら、
今度は大病を患ったり、
それによって、
働くことへの考え方も変わったり、
また、中間管理職になった頃には、
人間関係や妻との関係で悩みましたが、
それが、ライフワークである
心の学びをすることに繋がったり・・・
・・・何だか、
挫折や苦労をしていると、
やがて報われることがあり、
それに調子に乗っていると、
またまた苦労するという、
そんなリズム、変化を繰り返して
いるような気がしますが(^^;
何だか、
自然界の法則のような、
春夏秋冬、季節は巡る、
昼と夜、明けない夜はない、
晴れの日があれば、
雨の日もある・・・
雨は、恵みにもなるように、
本来、出来事には、
「いい」「悪い」
はないのかもしれないです。
が、私たちの認知は、
どうしても歪んでしまうので、
そのまま、つい目先のことに、
とらわれてしまいがちですが(^^;
読者には、一度、
自身の人生全体を振り返り、
「幸運は、不運の姿をして
やってきた」
という体験の棚卸を
されることを勧めたい。
読者は、その棚卸によって、
いかなる逆境をも肯定的に受け止め、
それを越えていく力、
「人生の解釈力」
と呼ぶべき力を
身につけることができるだろう。
人生の「解釈力」?
この「解釈力」とは、
人生で、
いかなる苦労や失敗や挫折が
与えられても、
それを、
「この苦労は、
何を学べという天の声なのか」
「この失敗は、
どう成長せよという声なのか」
「この挫折は、
どの道を歩めという声なのか」
と前向きに受け止め、
その逆境を肯定的に
解釈する力のことである。
なるほど・・・
目先のことにとらわれることなく、
この出来事には、
どのような「意味」があるのか?
と、内省しつつも、
広い視野で、肯定的に
「解釈」をするということですね。
そして、実は、この
「逆境を肯定的に解釈する力」、
それこそが、
「不運」に見える出来事を
「幸運」へと転じていく力に
他ならない。
一方、我々に、
その「解釈力」が無ければ、
人生の逆境を前に、
「なぜ、こんなことが
起こったのか」
「なぜ、こうした不運が
降りかかったのか」
「なぜ、自分は、
いつも不運なのか」
といった後向きの想念、
否定的な想念に心が支配され、
目の前の問題に正対して
取り組む力は
生まれてこない」
そうですね・・・
田坂さんは、
もともと地頭がよく、
東大出のエリートで
いわゆる成功者だから、
結果論として、
「幸運は、不運の姿をしてやってくる」
ということが
余裕を持って言えるのではないかと
一瞬思いましたが、
実際はそうではなく、
逆境に遭遇する度に、
「これは何を学べという声なのか」
「どう成長せよという声なのか」
「どの道を歩めという声なのか」
と謙虚に自分自身に問いかけて、
それを肯定的に解釈をされてきた。
その姿勢、積み重ねがあったからこそ、
今の成功者、人格者としての、
田坂さんがあるのではないか。
そんな気がします。
田坂さんはこうも述べます。
我々が、この
「解釈力」を身につけ、
どこまでも深めていくならば、
いつか、
次の言葉が真実であると
感じる日が来るだろう。
人生で起こること、
すべて良きこと。
「人生で起こること、すべて良きこと」
(このタイトルで文庫本にもなっています。
う~ん、
すべてとは、ちょっと・・・
私はまだ、こう言い切れる
境地には達しておりませんが(^^;
でも、よくよく考えると・・・
そうなのではないか、
という気もしてきます。
出来事を、どのように意味づけ、
解釈するのか。
「人生で起こること、すべて良きこと」
この人生で、少しでも
こう思えるような境地に近づきたいです😊
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回に続きます(^^;
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おまけ写真集(^^;
三浦半島、
秋谷の立石ちらっと見て、
途中のお寺で、感謝のお参りをして、
渓谷を歩き、
その後、黙々と登ると・・・
大楠山山頂!
(242mの低山ですが(^^;)
下山、
気持ちいい木漏れ日・・・
浄楽寺。
有名な運慶の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。
予約しないと観れませんが、
以前、横須賀美術館の運慶展で拝見しました。
(すばらしい仏像です!)
秋谷海岸。
まだ人は少ないですね(6月末現在)
秋谷の立石。
岩場の先に行って、
足だけ海に浸かりました!
池みたいなところで、
ああ、きもちよかった・・・
なかなかの風光明媚!
車で森戸海岸にも足を延ばしました。
海に浮かぶ鳥居とヨット・・・
(富士山はまったく見えず(^^;)
鳥居の向こうに鳥居・・・
おかげさまで、
海と山を、両方満喫できました!
有り難うございます😊














