ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今から遡ること約2000年前、

ローマ帝国時代のストア派の哲学者、

セネカさんの著作、

 

人生の短さについて 他2篇

 

 

を読んで、私がなるほどと思ったところを、

紹介・解説しています(^^)


今回で3回目です。

 

前回は、

「人は、人生の多くの時間を

浪費してしまう」

という、

セネカさんの説を紹介しました。

 

なぜ、浪費してしまうのか。

 

他人や、一時的な感情に振り回され、

自分を見失うから。

 

それは、なぜか。

 

自分の心を見つめることを

しないから。

 

だというのです(^^;

 

だから、

人は、人生の多くの時間を

浪費してしまう・・・

 

 

いったい、

どうしてこんなことに

なってしまうのだろう。

 

それは、

あなたたちが、

まるで永遠に

生きられるかのように

生きているからだ。

 

 

どきっ・・・

 

たしかに、子どもの頃は、

自分は永遠に生きられると、

思っていたような・・・

 

いや、

今でも、正直、

自分の人生が終わることは、

実感としては、

なかなか湧いてこないかも・・・(^^;

 

 

あなたたちが、

自分のもろさに

いつまでも

気づかないからだ。

 

あなたたちが、

どれだけたくさんの

時間が過ぎてしまったかを、

気にもとめないからだ。

 

あなたたちが、

まるで豊かにあふれる泉から

湧いてくるかのように、

時間を無駄遣いしているからだ。

 

たぶん、

そんなことをしているうちに、

あなたたちの最後の日となる、

まさにその日が

やってくるのだろう―

 

まあその日だって、

[自分のためでなく]

別のだれかや、

別の用事のために

使われているわけだがね。

 

あなたは、

たくさんの人たちが、

こう言っているのを

耳にするだろう―

 

五十を過ぎたら

仕事を引退しよう。

 

六十になれば、

公の役目からも

解放されることだろうと。

 

だが、

あなたがそんなに

長生きする保証が、

どこにあるというのか。

 

あなたの思い通りに

計画が進むことを、

だれが許したというのか。

 

 

今の感覚だと、

65歳くらいで仕事を引退・・・

というのが、一般的かもしれませんが、

でも、考えてみたら、

そこまで生きる保証はないわけです(^^;

 

 

人生の残りかすを

自分のために取っておき、

善き精神的活動のために、

もうなんの仕事も

できなくなった時間しか

あてがわないなんて、

恥ずかしいとは思わないのか。

 

生きることをやめなければ

ならないときに、

生きることを始めるとは、

遅すぎるのではないか。

 

自分が死すべき存在

ということを忘れ、

五十や六十という歳になるまで

賢明な計画を先延ばしにし、

わずかな人たちしか

達することのない

年齢になってから

人生を始めようとするとは、

どこまで愚かなのか。

 

 

そうですね・・・

 

今は苦しくても、

ひたすら我慢して、お金を貯めて、

老後に人生を謳歌しようと思っても、

その時に健康である保証は

どこにもないわけです。

 

なのに、私たちは、

つい、人生を先送りしてしまう・・・

 

そして、

「いま、ここ」

をおろそかにしがちです(^^;

 

 

先見の明があると

自惚れている人たちの

意見くらい、

信用できないものがあろうか。

 

彼らは、

よりよく生きられるようにと、

多忙をきわめている。

 

生を築こうとして、

生を使い果たしてしまう。

 

彼らは、

遠い将来のことを考えて

計画を立てる。

 

ところが、

先延ばしは、人生の最大の

損失なのだ。

 

先延ばしは、

次から次へ、

日々を奪い去っていく。

 

それは、

未来を担保にして、

今この時を奪い取るのだ。

 

生きるうえでの

最大の障害は期待である。

 

期待は明日にすがりつき、

今日を滅ぼすからだ。

 

あなたは、

運命の手の中にあるものを

計画し、

自分の手の中にあるものを

取り逃がしてしまう。

 

あなたは、

どこを見ているのか。

 

あなたは、

どこを目指しているのか。

 

これからやってくることは、

みな不確かではないか。

 

今すぐ生きなさい。

 

みよ、

最も偉大な詩人が叫んでいる。

 

彼は、

まるで神の言葉を

吹き込まれたかのように、

救いの詩をうたっている。

 

哀れな死すべき人間にとって、

人生最良の日は、

まっさきに逃げていく。

 

 

先延ばしをせずに、

未来に期待せずに、

 

「今を生きる」

 

スティーブ・ジョブズさんは、

 

「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」

 

マハトマ・ガンジーさんは、

 

「明日死ぬと思って生きなさい。

永遠に生きると思って学びなさい」

 

という名言を残されましたが、

 

今を大切に生きることが、

結果的に、

充実した人生を過ごすことにつながることは、

間違いないと思います。

 

 

う~ん、でも・・・

 

そうはいっても・・・

 

なかなかそこまで、

日々、「明日死ぬかも」

という覚悟を持って生きるのは、

しんどいですよね。

 

たまには、無駄なこと、

浪費や息抜き、

寄り道もしたいし・・・(笑)

 

日々の生活の雑事もありますし・・・

 

では、どうすれば・・・

 

 

 

ヒントになる考え方として、

 

名著、「7つの習慣」では、

第3の習慣として、

 

「最優先事項を優先する」

 

という考え方が紹介されています。

 

過去ブログ記事、

 

 

でも紹介させていただきましたので、

よかったら参考にしてください。

 

「緊急ではないが、重要である」

という

「第二領域」を優先させるということですね。

 

そのコツとしては、

スケジュールを立てる時には、

「第二領域」から埋めていくということです。

(大きな石のたとえで説明されています)

 

これは、私も実践しています(^^;

 

それから、

私が敬愛する、

小説家の遠藤周作さんの

 

「生活」と「人生」は別。

 

という考え方があります。

 

これも、過去ブログ記事で、

紹介させていただきました(^^)

 

 

 

 

「生活」とは、

食い扶持を稼ぐ仕事や、家事、日々の雑事など、

生きていくために必要なことです。

(いわば、現実論)

 

「人生」とは、

自分らしく、自分の価値観で生きることでしょうか。

(いわば、理想論)

 

もちろん、「生活」は大事です。

 

マズローの欲求5段階説でも

述べられているように、

やはり、まずは衣・食・住が充実していないと、

「人生」どころではないと思います。

 

私は、スタンスとして、

決して、「生活」は軽視しません。

 

「生活」に追われつつも、

食べるために必死で生きている人たちには、

親近感を抱きます。

(私もそうなので(^^;)

 

しかし、

「生活」だけで生きるのは味気ない。

 

やはり、せっかく生まれてきたからには、

「自分らしい人生」も謳歌したい。

 

そのためには、

「生活」の中に、うまく、

「人生」の要素を組み入れていくことが、

悔いのない一生を送るためのポイントだと

考えています。

 

最近だと、

山口周さんと尾原和啓さんが、

仮想空間シフト

という本の中で、

 

「ライスワーク」と「ライフワーク」

 

という考え方を語られていました。

 

アフターコロナの時代、

たとえば、仕事で考えると、

「ライスワーク」

(食い扶持を稼ぐ仕事)

だけでなく、

副業や兼業として、

「ライフワーク」

(精神的に満たされる仕事)

を組み入れていくことが、

豊かな人生を過ごすために

重要だとおっしゃっています。

 

共感します・・・

 

仕事に限りませんが、

皆さんには、

「自分らしい人生」

「ライフワーク」といえるものは、

ありますか?

 

 

・・・ちなみに、

私のライフワークは、

 

「カウンセラー」(メンタルコーチ)として、

引き続き、心の学びと実践を、

続けていきたいと考えています(^^;

 

それから・・・

仕事というわけではないのですが、

たとえば、このブログは、

おかげさまで、

 

「心ゆたかに生きる」

 

という「ライフワーク」のひとつとして、

楽しませていただいております(^^)

 

これも、ひとえに、

読んでくださる読者の方がいるおかげです。

 

・・・何だか、

感謝の気持ちが湧いてきました🍀

 

皆様、いつも、

本当に有り難うございます😊

 

 

次回も、もう少し、

この本から引用させていただきますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

--------------------------------------------------

 

 

長野県別所温泉にある、

八角三重塔で有名な

「安楽寺」さんという

お寺の入り口にあった標語です。

 

 

 

 

・・・たしかに😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ローマ帝国時代のストア派の哲学者、

セネカさんの著作、

 

人生の短さについて 他2篇

 

 

を読んで、私の印象深かったところを、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で2回目です。

 

セネカさんは、

人の一生について、

 

 

われわれが

手にしている時間は、

決して短くはない。

 

むしろ、

われわれが、

たくさんの時間を

浪費しているのだ。

 

 

と述べています。

 

人は、多くの時間を、

浪費しているというのです(^^;

 

いったいどんなことに、

浪費しているのでしょうか。

 

 

ある者は

飽くことなき貪欲に

とりつかれ、

ある者は無益な仕事に

懸命に汗を流す。

 

ある者は酒びたりとなり、

ある者は怠惰にふける。

 

ある者は

政治への野心を抱くが、

他人の意見に

ふりまわされ続けて、

疲れ果てる。

 

ある者は、

商売でもうけたい一心で、

あらゆる土地とあらゆる海を、

大もうけの夢を見ながら

歩き渡る。

 

ある者たちは

戦をしたくてうずうずしている。

 

そして、

四六時中、

他人を危ない目に

あわせようと

画策したり、

自分が危ない目に

あうのではないかと

心配していたりする。

 

また、

感謝もされないのに

偉い人におもねり、

自分からすすんで

奴隷のように奉仕して、

身をすり減らす者たちもいる。

 

 

今から約2000年前の

ローマ帝国時代に書かれた書物ですが、

意外と今でも共通することが多いですね(^^;

 

「戦がしたくてうずうずしている」

 

実際の戦というよりも、

今だと、組織における権力闘争なんかは、

当てはまりそうですね。

 

「自分が危ない目にあうのではないかと

心配していたりする・・・」

 

杞憂ですが、

気持ちはわかります(^^;

 

「感謝もされないのに偉い人たちにおもねり、

自分からすすんで奴隷のように奉仕して、

身をすり減らす・・・」

 

上司によいしょして、ゴマをする

サラリーマンみたいですね(^^;

(今はだいぶ減ってきた気がしますが)

 

 

多くの人たちは、

他人の幸運につけ込んだり、

自分の不運を嘆いたりすることで

頭がいっぱいだ。

 

また、大多数の人達は、

確固とした目的を持っていない。

 

彼らは不安定で、一貫性がなく、

移り気だ。

 

だから、

彼らは気まぐれに、

次から次に

新しい計画に手をつけるのだ。

 

自分の進むべき道について、

なんの考えも

持ち合わせない人たちもいる。

 

彼らは、

ぼんやりとあくびをしているうちに、

運命の不意打ちをくらう。

 

まったくもって、

最も偉大な詩人の述べる

神のお告げめいた言葉が、

真実であることに

疑いの余地はない。

 

いわく、

「われわれが生きているのは、

人生のごくわずかの部分なり」

と。

 

なるほど、

残りの部分はすべて、

生きているとはいえず、

たんに時が過ぎているだけだ。

 

 

私たちが、

「真の人生」

すなわち、

「主体的な人生」を生きている時間は、

ごくわずかである。

多くは、ただ時が過ぎているだけ・・・

 

他人の言動や、

その時々の感情に振り回されてしまう。

 

つまり、多くの人は、

「ぶれない自分」

というものがないというんですね。

 

・・・うっ、痛たたた。

 

私も人のことは言えません(^^;

 

こんなふうにも、

述べられています。

 

 

おまえときたら、

自己に目を向けようと

したこともなければ、

自己の声に耳を傾けようと

したこともない。

 

だから、

おまえがそのような義務を、

他人に押し付けてよい理由など

ないのだ。

 

じっさい、

おまえがそんなことをしたのは、

他者と共にありたかったがゆえ

ではなく、

自己と共にあることに

耐えられなかったがゆえ

なのだから。

 

 

自己に目を向けたり、

耳を傾けようとしないのは、

 

他者と共にありたいからではなく、

「自己と共にあることに耐えられなかった」

から・・・

 

つまり、

自分の心を見つめるのは、

けっこうしんどいので、つい、避けてしまう。

 

そのせいで、

どうしても、他人に目がいってしまう。

 

そして、結果として、

他人に振り回され、自分を見失い、

限られた人生の時間を浪費してしまう。

 

ということなんですね。


セネカさんは容赦ないお方です(^^;

 

「自分の心を見つめる」

 

ソクラテスさんも、

「汝自身を知れ」

とおっしゃいましたが、

これは大切なことだけれども、

けっこうハードな作業です。

 

試験勉強をやらなければいけないのに、

そういう時に限って、

他のことが気になる心理と

似ているかもしれません。

(ちょっと違うか(^.^;)

 

では、どうすればいいのか。

 

まずは、

 

「自分の感じていることに気づく」

 

ことから始めるといいと思います。

 

「いい」「わるい」「~べき」

などのジャッジをせずに、

あるがままの感情を感じる。

 

マインドフルネス瞑想などが、

有効かもしれません。

 

それが、

自分の心を見つめて、

ぶれない自分をつくる、

第一歩になると思います(^^)


カウンセラーの力を借りるのも、

いいかもしれませんね。

 

あとは、

過去ブログ、

 

 

でも紹介させていただきましたが、

「終わりを思い描く」

すなわち、

「自分の最高価値を明確にする」

ことが大切だと思います。

 

最高価値を明確にするには、

過去ブログでも紹介したように、

ディマティーニさんの、

「バリュー・ファクター」という方法論

が効果的ですよ。


・・・続きは次回に(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

---------------------------------------------

 

おまけです(^^;

 

先週、九州を出張で回りました。

鹿児島のホテルの窓から・・・

 

 

 

 

どーんと、桜島!

 

初めてみました😊

雄大でごわした。

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、古典です。

 

ローマ時代のストア派の哲学者、

セネカさんの、

 

人生の短さについて 他2篇

 

 

という本の中から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説していきます(^^)

 

ストア派といえば、

過去ブログ、

 

 

でも、

マルクス・アウレリウス・アントニヌスさんの、

自省録(岩波文庫)

を紹介させていただきました。

 

ストア派の哲学は、

ストイックの語源にもなったということもあり、

かなり手厳しい(理想主義的な)

ところもあると感じるのですが、

現代に生きる私たちにとっても、

なかなか示唆に富む内容なので、

今回、セネカさんの本を、

取り上げてみました。

 

この本は、

光文社「古典新訳文庫」の一冊です。

 

このシリーズ、翻訳が新しく現代的なので、

とても読みやすいです(^^)

 

おすすめです😊

 

私は、このシリーズで、

ドストエフスキーの名著、

カラマーゾフの兄弟

全5巻をなんとか読破しました(^^;

 

出版不況の時代に、

あえて古典シリーズに新たにチャレンジした、

光文社さんに敬意を表します。

 

で、この本の著者、

セネカさんですが、

なかなか波乱万丈な生涯だったようですね(^^;

 

哲学を極めたかったのに、

父に許されず政治の道に。

 

陰謀をかけられ、

コルシカ島に追放されたのちに、

皇帝ネロの教育係になりますが、

最後は、暴君ネロに自殺を命じられるという

波乱の生涯です。

 

そんなセネカさんが、

妻の近親者(一説によると父親)

パウリヌスに宛てて綴られた作品が、

表題作の、

「人生の短さについて」

です。

 

パウリヌスさんは、

ローマ帝国の食糧管理官という、

(今でいうと農林水産省のエリート官僚?)

極めて責任の重い役職についているのですが、

多忙を極める彼に対して、

身を引いて、閑暇な生活を送るように

勧めるんですね。

 

「エリート官僚なのに、もったいない・・・」

 

とも思うのですが、

この作品を読んでいると、

それも、たしかに一理あるなと思えてきます。

 

セネカさんは、

 

 

人生は

使い方しだいで長くなる。

 

なのに、

ひとはそれを浪費して

短くなる

 

 

というのです。

 

 

パウリヌスさん、

大部分の人間は、

自然の悪意を嘆いて、

こう言っている―

 

われわれが生きられる期間は、

とても短い。

 

しかも、

われわれに与えられる時間は、

あっというまに、

すばやく過ぎ去っていく。

 

だから、

ごく少数の例外はあるにしても、

それ以外の大多数の人は、

人生を生きるための備えも

整わないうちに、

人生から見捨てられてしまうのでは

ないかと。

 

 

必死で働いて、働いて、

老後資金を貯めている最中に、

寿命が尽きてしまうといった感じでしょうか。

 

しかし、セネカさんは、

本来、人生は、

決して、短くはないというのです。

 

 

われわれが

手にしている時間は、

決して短くはない。

 

むしろ、

われわれが、

たくさんの時間を

浪費しているのだ。

 

 

人は、たくさんの時間を、

浪費している・・・?

 

浪費とは、いったい、

どういったことでしょうか。

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後まで読み下さいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

書店さんをうろついていたら、

懐かしい書名が、

何故か目に留まりました。

 

そこで、うちに帰って、

久しぶりに読み返してみたのが、

ダニエル・キイスさんの傑作、

 

アルジャーノンに花束を

 

 

という小説です(^^)

 

(写真は私が持っているハードカバー、

今は文庫になっています)

 

数年前、山下智久さん主演で、

ドラマ化もされましたね。

(内容はかなり違っているようですが)

 

ダニエル・キイスさんの小説だと、

多重人格を描いた、

24人のビリー・ミリガン

も有名です。

 

この本、ジャンルは、

SF小説かもしれませんが、

中身は、SFというよりも、

ヒューマン・ドラマです。

 

奥付を見たら、

私のメモで、

1989年11月27日購入と、

律儀にも書いてありました。

 

古っ・・・

高校生の頃ですね。

 

よくぞ生き残っていてくれました(^^;

 

この本を読んだきっかけですが、

私、ロックバンドのBOOWYが好きなんです!

 

当時、既に解散していて、

ボーカルの氷室京介さんは

ソロになっていたのですが、

 

そのファーストアルバム、

FLOWERS for ALGERNON

の中に、

「DEAR ALGERNON」

という名曲(シングル化もされました)

があるんですね。

 

この曲です(^^)

 

 

 

このアルバム、シングルの

モチーフとなったのが、

 

アルジャーノンに花束を

 

という小説だと知って、

さっそく図書館で読んでみて、

本も買おうとしましたが、

どこの書店さんにも

何故か売っていない。

 

今のようにポチッはありませんので、

駆けずり回って、

ようやく手に入れた思い出があります(^^;

 

で、本の内容ですが、

ネタバレにならないように

用心しながら紹介しますと、

 

主人公のチャーリーは、32歳の男性。

 

いわゆる知的障がい者で、

幼児の知能しか持ち合わせていません。

 

そこに、

脳外科手術をすれば、

知能が向上するという話が舞い込んできます。

 

チャーリーは手術を受け、

知能がぐんぐん向上するのですが・・・

 

 

聡明になれば

頭にうかぶどんな言葉も

理解することになるだろうし、

廊下に立っていた

子どもたちのことや

ハーマンおじさんや

両親のことも

みんなわかるように

なるだろうと

ぼくは思っていた。

 

しかし博士が

いっているのは、

ぼくがそれについて

いやな思いをして

不愉快になるだろう

ということだ。

 

 

知能が向上するにつれ、

過去の出来事から、

いままでは理解できなかったことが

見えてくる。

 

しかし、

それは、必ずしも、

知ったほうがよいことばかりでは、

ありませんでした。

 

今まで気づかなかった、

他人の悪意が見えてしまったり・・・

 

 

急激に知能が発達しますが、

情緒面は、なかなかついていきません。

 

憧れの女性教師に対する思い、

 

 

女の扱い方を

男はどうやって学ぶのだろうか?

 

書物はたいして

役にたたない。

 

 

う~ん、

高校生の頃を思い出しますね(^^;

 

 

やがて、

チャーリーは、

本を瞬時に読め、

20か国語を操れるほどの天才に

変貌するのですが、

 

彼を実験動物扱いする、

手術を推進した教授に向かって、

こんな思いを抱くようになります。

 

 

彼に向かって

どなってやりたいと思った、

 

ぼくは人間だ、

一人の人間なんだ

 

―両親や記憶も

過去もあるんだ―

 

おまえがこのぼくを

あの手術室に

運んでいく前だって、

ぼくは存在していたんだ!

 

と。

 

 

そして、

自ら予期したことではありますが、

やがて、

彼に異変が生じ始めます・・・

 

 

・・・と、これ以上は

ネタバレになってしまいますが、

ちょっとだけ(^^;

 

家族に再会するシーン、

特に、母親と妹に再会するシーンは、

胸を打ちます。

 

チャーリーが子どもの頃、

母親も妹も、

厳しく、冷たい態度を取っていたのですが、

それには、

それなりの理由があったということが、

解ります。


 

プラトンの言葉が、

印象的に引用されています。

 

 

・・・洞窟の人々は

彼のことを、

何も見えぬまま、

昇っていき

降りてきたのだと

いうだろう・・・

 

 

「いや、そんなことはない、

チャーリーは、

大切なことを発見したのだ」

 

と、読後、私は思いました。

 

人間の、

弱さ、醜さ、悲しさ、

そして、

優しさ、愛・・・

 

 

チャーリーと、

女性教師アリス・キニアンとの恋愛も、

せつないです。

 

ちなみに、

氷室京介さんの、

「ALISON」

 

 

というバラードは、

このアリス・キニアンが

モチーフになっているのではないかと、

勝手に想像しています(^^;

 

ちなみに、この曲、

無口だった亡きオヤジが、

TV(レコード大賞)を見て、

珍しく、

「うまい・・・」とつぶやいていた、

思い出の曲でもあります。

 

 

話がそれましたが(^^;

 

アルジャーノンに花束を

 

人間の尊厳とは、

いったい何なのか?

 

知能が高ければ、

はたして幸せなのか?

 

いろいろなことを

考えさせられる内容ですが、

一方で、

市井の人は、みな、

必死で生きているんだなあと、

愛おしくなるような小説です。

 

少し、カズオ・イシグロさんの小説にも、

通ずるものがあるかもしれません。

 

まだ読んだことのない方には、

ご一読をオススメします(^^)

 

 

なお、

この小説は、

チャーリー本人の、

「経過報告」という形で

つづられているので、

始めは、あえて、

幼児が書くような文章になっています。

 

しばらく、

ちょっと読みずらいかもしれませんが、

チャーリーになりきって、

臨場感を味わいながらお読みください。

 

そのうち、ページをめくる手が

止まらなくなりますよ!

 

それから、

タイトルの

「アルジャーノン」についてですが、

 

アルジャーノンとは、

白ネズミの名前なんですね。

 

チャーリーと同じように手術を受けた、

実験用ネズミ。

 

物語の最後に、

チャーリーが、

アルジャーノンにふれた言葉・・・


せつないです😢

 

 

-----------------------------------

 

 

以上、

私にとって、思い出深い本、

 

アルジャーノンに花束を

 

 

を紹介・解説しました。

 

ネタバレに気を付けたので、

ちょっと抽象的な紹介に

なってしまいましたが、

ご容赦くださいね。

(小説の紹介は難しいですね(^^;)

 

次回は、別の本を紹介します。

 

最後まで、お読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

曹洞宗の僧侶、

藤田一照さんの、

 

ブッダが教える愉快な生き方

 

 

という本から、

私の印象に残ったところを、

引用して、紹介・解説しています。

 

今回で7回目、最終回です(^^;

 

前回、

解像度の高い眼で、

内的体験を観測することから

導き出された法則が、

 

「苦しみ=痛み×抵抗」

 

だということを述べました。

 

「苦しみ=痛み」

はわかりますが、

「抵抗」が掛け算になっています。

 

何故、「抵抗」が、

「苦しみ」を何倍にも増やしてしまうのか?

 

 

ここで抵抗というのは、

身体的には

筋肉の緊張が増すこと、

心理的には

痛みの存在を

否認しようとすることを

意味します。

 

たとえば、

身体的な痛みが

起きるとします。

 

その瞬間に感じるのは

「痛い」という感覚だけです。

 

しかし、

時間的解像度を上げて

観察すると、

「痛い」という感覚に

体が抵抗することで

筋肉の緊張が増したり、

「あ、嫌だなあ」

という思いが出てきた途端に

苦しみが倍加するという

一連のプロセスが

見えてきます。

 

 

たしかに・・・

 

たとえば、注射を打たれる際にも、

「嫌だなあ・・・」

と構えてしまうと、

何だか、

苦しみが増すような気がします(^^;

 

 

こういう細かい

内的体験の世界が

見えてくると、

生きている限り

避けられない

身体的な痛みに対しては

受容し、

それとは区別できる

内的な抵抗を

訓練によって弱めることが

できるようになります。

 

痛みに対して

不適切な反応をやめて、

適切な対応ができるようになり、

苦しみを減らすことが

できるのです。

 

しかし、

解像度が低ければ、

そもそも何が痛みで、

何が抵抗かを

識別することができません。

 

気がついたら

すでに抵抗して

しまっているのですから、

打つ手がないのです。

 

 

「刺激」と「反応」

といいますが、

たしかに、私たちは、

「刺激」に対して、

反射的に

不適切な「反応」をしがちですよね。

 

たとえば、

「怒り」に対しては、反射的に、

そのまま「怒り」で返してしまったり・・・

 

条件反射、

まるで、

「パブロフの犬」のように(^^;

 

名著、7つの習慣では、

 

「刺激」と「反応」の間には、

スペースがある。

 

そのスペースの中に、

人間が持つ「選択の自由」がある。

 

ということが述べられています。

 

これも名著、

夜と霧で有名な、

フランクル博士の

「自覚」「主体性を発揮する」

という考え方ですね(^^)

 

初期の過去ブログ、

 

 

でも紹介しましたので、

よかったらご覧ください。

 

 

仏教には

「第一の矢、第二の矢」

というたとえがあります。

 

今の式に当てはめてみると、

痛みは第一の矢、

抵抗は第二の矢

ということになります。

 

ブッダでも凡夫と同じように

第一の矢を受けることは

ありますが、

凡夫と違って、

第二の矢は受けません。

 

つまり、抵抗がゼロなのです。

 

それなら、

痛みは感じても、

苦しくはないわけです。

 

 

ブッダでも、

もちろん痛みは感じるんですね。

 

第一の矢は防ぎようがない時もある。

 

ただし、抵抗しないので、

苦しくはならない。

 

第二の矢とは、

言い換えると、

「自動思考」

といえるかもしれないですね。

 

自動思考とは、

つい、無意識に、

ぐるぐる妄想してしまうこと。

(たいていは、悪い方に)

 

禅宗では、

自動思考のことを、

「二念を継ぐ」

というようですね。

 

これも、過去ブログ、

 

 

で紹介しましたので、
よかったらご参照ください。
 
本書に戻ります(^^;
 
 
実は、この式が
「苦しみの式」
だとすると、
それとペアになっている
「幸せの式」
というものがあります。
 
それは、
「幸せ=快感÷執着」
という式です。
 
これは、
快感に対して
執着の度合いを上げると
(たとえば、
もっと欲しいと思ったり、
独り占めしようとしたり)、
残念なことに、
幸せの度合いが
割り算で減ってしまう
ということを表しています。
 

 

「幸せ=快感÷執着」

 

なるほど~、

 

「執着」の度合いを上げると、

せっかくの幸せ感が、

割り算で減ってしまう・・・

 

たしかに、

執着をすると、

「もっと、もっと・・・」となり、

満たされた感じがしない。

 

そして、何より、

「感謝」の気持ちが

薄れていくような気がします。

 

個人的に、

もう一つ公式を加えるとすると、

やっぱり、

 

「幸せ=感謝」

 

なのかなあ~

と思います(^^)

 

 

この二つの式が

正しいとすると、

 

苦しみを減らし、

幸せを増すには、

痛みへの抵抗を減らし、

快感への執着を減らせば

いいことになります。

 

要するに、

「痛みも快感も

ありのままを受け取るべし」

です。

 

身体的存在として

生きている私たちは、

痛みや快感には、

不可避的に出会わなければ

なりません。

 

だから、

そういう人生を

愉快に生きるためには、

自分の中に立ち上がってくる

抵抗や執着を

はっきる識別できる

解像度の高い眼を持って、

それらを減らす術を

心得ておくべきなのです。

 

解像度の高い眼で見れば、

生きている細胞を

顕微鏡で見たときのように、

そこには

実に愉快な内的世界が

広がっているに違いありません。

 

 

そうですね・・・

 

「痛みも快感も

ありのままを受け取るべし」

 

そのためには、

解像度の高い眼が必要。

 

「抵抗」や「執着」

すなわち、

自分の中に起きている、

「思考」や「感情」に、

まずは気づくこと。

 

自覚的、意識的になること。

 

なかなか難しいことですが、

坐禅や瞑想をすることで、

私のような凡夫でも、

少しは、解像度の高い眼を

身に付けられるようになるのかなあ~

 

と思っています。

 

そして、

人生の中にある、

「愉快な内的世界」

 

見い出していきたいです😊

 

 

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以上、7回に渡って、

曹洞宗の僧侶、

藤田一照さんの、

 

ブッダが教える愉快な生き方

 

 

の中から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説してきました。

 

この本、

ページも割と薄くて、

お値段も670円(税抜き)と

良心的ですので、

気軽に読めますよ(^^)

 

(このNHK出版さんの

「学びの基本シリーズ」

はどれも良心的ですね)

 

でも、内容は濃いです!

 

ブッダと私たちをつなげる

「愉快な生き方」に興味がある方には、

おすすめいたします!

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

読んでくださる方がいればこそ、

ブログを続けることができます。

 

感謝申し上げます🍀

 

次回は、別の本を紹介します。

 

 

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おまけです(^^;

 

宮音く~ん?

 

 

 

 

 

あれっ・・・

 

 

 

こんなところにいました(笑)