ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

五木寛之さんのエッセー、

林住期

 

 

から、

私の印象に残ったところを、

引用して、

紹介・解説しています(^^)

 

今回で4回目。

この本の紹介は最終回です(^^;

 

「林住期」とは、

50歳から75歳までの期間を差しますが、

この時期が、

「人生のクライマックス(黄金期)」

だといいます。

 

今回は、まず、

 

「50歳から学ぶという選択」

 

という章の中から、

引用します。

 

 

私は子どものころから

勉強が嫌いだった。

 

中学、高校と、

勉強をさぼって、

適当にごまかしてすごした。

 

本を読むのは大好きだったが、

学ぶという熱意には

欠けていたように思う。

 

だから受験勉強も、

いやいや仕方なくやった。

 

大学では

アルバイトがほとんどで、

たまに教室に顔を出すと、

仲間にめずらしがられた

ものだった。

 

 

現代を代表する知識人、

大作家である

五木寛之さんほどの方ですから、

おそらく成績優秀だったとは思いますが、

勉強が好きではなかったんですね(^^;

 

ちなみに、私も、

(一緒にするのは畏れ多いですが)

いわゆる学校の勉強は

あまり好きではなく、

特に、計算や漢字など、

反復練習が必要なものは、

できるだけ避けて、

逃げまくっていました・・・

 

おかげで、

高校生のころに

そのツケが回ってきましたが(^^;

 

浪人して、

なんとか大学生になってからは・・・

 

他に、

面白いことがたくさんありましたので、

残念ながら、

大学の勉強には身が入らず(^^;

 

ぎりぎりの単位で

なんとか卒業した感じです(笑)

 

本も、私、

中学生くらいまでは、

あまり読みませんでした。

 

思春期に入って、

いろいろな悩みを抱えるように

なってからでしょうか。

 

太宰治さんとかも読むようになって・・・

(けっこう、ありがちな道ですが)

そこからですね。

 

 

本書の内容に戻ります(^^;

 

五木寛之さんは、

50歳になるころ、聴講生という形で、

京都のある大学で学ぶことになったのですが、

(たしか、龍谷大学で

仏教を学ばれたのだと思います)

 

そこで、はじめて、

「学ぶ喜び」に目覚めたといいます。

 

 

先生の話も、

すごくよく頭に入る。

 

ものを学ぶということは、

こんなにおもしろいものかと、

ようやく気づいたのだ。

 

休校になったりすると、

本気で腹を立てたものだった。

 

勉強をするということが、

そんなにおもしろいということに、

どうして早く

気づかなかっただろうと、

残念に思う。

 

しかし、それは

年をとって学ぶから

おもしろくてたまらないのだろう。

 

要するに若いときには

わからないことが、

たくさんあるということだ。

 

 

たしかに、

年をとってからの学びは

おもしろいですね!

 

「若いときにはわからないことが

たくさんある」

 

そうなんです(^^)

 

人生経験を重ねた今だからこそ、

腑に落ちて分かるということが、

けっこうあります。

 

これは、

昔読んだ本を再読した時にも、

感じます。

 

私事になりますが、

コミュニケーションについては、

若い頃から学んでいるのですが、

40代になってからは、

本格的に、心の学び、

カウンセリングの学びを始めました。

 

ある程度、

人生経験を重ねてからの

心の学びは、

腑に落ちて分かることも多いんですね。

 

しかも、

押し付けられた学びではなく、

自ら興味を持って、好きで選んだ学び。

 

おかげさまで、

こうやって、

ブログで発信することもできますし。

(読んでくださる方に本当に感謝です)

 

そんな学びは、

ほんと、楽しいです(^^)

 

 

定年で退職した

60歳からでも、

おそくはないが、

もう十年早いと

もっといいだろう。

 

50歳で退職して

学生にもどる、

というのが

理想ではあるまいか。

 

 

50歳で学生に完全にもどるのは、

貯えが十分にないと

なかなかできないと思いますが(^^;

 

各自のできる範囲で、

働きながらでも、主婦(夫)をしながらでも、

学ぶことはできると思います。

 

必ずしも、大学にいかなくても、

セミナーに参加したり、

興味のある分野の資格取得のために

講座に通ったり、

 

今は、

オンラインでも気軽に参加できますし。

 

有り難い時代ですよね(^^)

 

 

年をとることはおもしろい、

というのは、

そういうことだ。

 

みずみずしい情感が

失われていくかわりに、

以前はみえていなかったことが

みえるようになる。

 

頭でわかっていたつもりで

いたことが、

ぜんぜんちがう角度から

実感できるようになってくる。

 

学ぶことのおもしろさに

目覚めることも、

その年をとる効用のひとつだろう。

 

60歳からでも、おそくはない。

 

70歳になって大学に顔をだす、

などというのも

悪くない老後の楽しみだ。

 

 

「学ぶのに遅すぎることはない」

といいますが、

思い立ったその時から、

人は、何歳からでも

学ぶことができると思います。

 

ただ、できることなら、

リタイヤする前から、

現役時代から、

学びはじめるに越したことはない

と思います。

 

それが、

心豊かな後半生に

結び付くような気がしています。

 

ポイントは、

重ねて言いますが、

 

「自分の興味のあること、

好きなことを主体的に学ぶ」

 

ということです。

 

しがらみや世間体、義務感から、

あまり好きでもないことを学んでも、

苦しくなると思いますし、身が入りません。

 

「学ばせられる」

のは、

若かりし学生時代だけで

もう十分ですね(^^;

 

 

話は変わりますが、

最後に、

ブッタについて触れられている箇所を

引用します。

 

 

ブッダは、

「この世は苦である」

と語った。

 

それを私は、

「世の中は思うようにはならない」

と、聞いた。

 

思うようにならない世の中に、

私たちはどう生きればよいのか。

 

はたして生きるすべはあるのか。

 

生きる意味はあるのか。

 

ブッダは、

「ある」と言う。

 

物事の道理をきちんとたしかめ、

その道理を知り、

それを解決する手だてを

正しく実践せよ、

 

と教える。

 

そして

人が大切にしなければならない

ことの第一に、

「不殺生」をおいた。

 

これは

「命を大切に」

ということにつきる。

 

命を大事にする、

 

このことが

今の私たちの社会では

もっともなおざりに

されていることではないか。

 

(中略)

 

「盗んではいけない」

とも、ブッダは言う。

 

これは他人の所有物を奪うな、

というだけのことではない。

 

モノを大切にしよう、

ということだ。

 

自然もモノである。

 

山も、川も、

海も、空気もモノである。

 

「モノを大切にしよう」

という立場に立ったとき、

自然からモノを奪い続けてきた

人間の歴史が

はっきり透けて見えてくるだろう。

 

(中略)

 

「不飲酒」

というのは、

ただ酒を飲むなと

言っているのではない。

 

体を大切にしようと

説いているのだ。

 

同じように、

ブッダは

「生を大切に」

「心を大切に」

「家族や仲間を大切に」

と言っている。

 

この

「大切にする」

という、

その思想を

信仰までに高めたところに、

ブッダという人の魅力が

あるのではないか。

 

 

本書は、

2007年初版なので、

もう十数年前に出された本ですが、

まるで、今のご時世に対しての、

メッセージのようですね。

 

(五木寛之さんは、

時代の先を読む先見性がある方だと

いつも感じます)

 

有名人で自ら命を絶つ人・・・

環境問題、SDGsの機運・・・

 

「大切にする」

 

この思想は、

今この時代にこそ、

求められるような気がします。

 

関わるものすべて、

特に、身近な人やモノを大切にする。

 

そして、やっぱり、

最も大切にしたいのは、

 

「自分自身」

 

自分の「身体」を労わるのは、

もちろんのこと、

自分の「気持ち」「感情」も

大切にする。

 

ポジティブな感情、

たとえば、

優しい自分、頑張り屋の自分だけでなく、

ネガティブな感情、

ダメな自分、ずるい自分や、

なまけものの自分も

否定することなく、受け入れる。

 

そうやって、

自分の中に沸き起こる、

正直な気持ち、感情を、

否定することなく、

まずは、受け入れて、

大切にする。

 

それが、

思い通りにならない人生の「後半」を

実りある黄金期にするための

カギになるのかもしれない。

 

そんなことを考えました。

 

 

------------------------------------

 

 

以上、

4回に渡って、

五木寛之さんのエッセー、

 

林住期

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介、解説していきました。

 

もうすぐ、林住期に突入する方はもちろん、

今、林住期の真っただ中の方、

この先に林住期を迎える方にも、

何らかの示唆を与えてくれる本だと思います。

 

文庫本で気軽に読めますし、

おすすめします(^^)

 

なお、

五木寛之さんは、

人生後半については、

他の本でも述べられていますので、

ご自分がピンときたタイトルの本を読まれても

いいと思います(^^)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

寒い日が続いております。

どうぞ暖かくして、ご自愛くださいね🍀

 

 

 

 

-----------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

近所の鶴見川の夕日です。

 

お天道様、いつも有り難うございます😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

五木寛之さんのエッセー、

林住期

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

引用しながら、

紹介、解説しています。

 

今回で3回目です。

 

「林住期」とは、

50歳から75歳までの

人生の「黄金期」のことを差しますが、

 

まずは、

ちょっとショッキングなお話から(^^;

 

 

「歯医者に行ったんですが、

ひどいことを言われましてね」

 

「ほう。どんなひどいことを

言われたんだい?」

 

「どうしてこんなに次々に

歯に不具合が出るんでしょう、

と質問したところが―」

 

「うん」

 

「若い歯科医が、

笑って答えたんですよ。

 

そりゃあ

人間の体の各部分は、

だいたい50年ぐらいは

もつように作られてる

わけですから、

それを過ぎると

全部いっせいに不具合が

生じてきます。

 

耐用期限切れですから

仕方がないでしょう、って」

 

「うーむ」

 

「期限切れは

ひどいじゃないですか」

 

「まあ、たしかに」

 

 

相手の憤懣に

共感しつつも、

いっぽうで

歯科医の身もフタもない

言い方に

妙なリアリティを

感じてしまうところがあった。

 

 

ううっ、体は、

50年で耐用期限切れ・・・

 

私は、おかげさまで、

歯はなんとか、まだ持っている状態

(このあとくるのか・・・)

なのですが、

たしかに、

いろんなところに

ガタがき始めています(^^;

 

たとえば、眼。

 

近くがとても見えづらくなったので、

最近、近くが見えやすい、

遠近両用のメガネを

作り直したところです。

(おかげで、

本がだいぶ読みやすくなりましたが)

 

他にも、

特に体力の衰えは、

じわじわと感じています。

 

仕事も、

夜遅くまでするのは、

かなり、しんどくなってきましたし・・・

 

無理がきかなくなってきました(^^;

 

織田信長は、

「人間50年」といいました。

 

終戦直後の平均寿命も、

50歳弱だったと、

この本にも書いてありますが、

 

人生100年時代と言われる昨今、

ともすれば、

しばらくは体は大丈夫だろうと

思いがちですが、

そもそも、

人間の体は、

耐用期限50年なんですね。

 

ちょっとショックですが、

ただ、悲観するのではなく、

今まで支えてくれた体に感謝しつつ、

 

「労わること」

「メンテナンス」

 

が必要なのだと思います。

 

そうすれば、

まだまだ、

頑張ってくれるのではないかと(^^;

 

前回、

「身体語に耳を傾けて」

という、

五木寛之さんの提言を、

紹介しましたので、

よろしければ、参考にしてください。

 

今回は、呼吸法について、

引用させていただきます。

 

本書には、

ブッダの呼吸法が紹介されていますが、

それは、

単なる体のトレーニングではない

といいます。

 

 

(ブッダの教える呼吸法は)

 

「生きている自分」

に気づき、

「よりよく生きる」

ことをめざす行である。

 

そこをちゃんと

おさえなければ、

呼吸をする意味が

ないのである。

 

おさえる、

という言い方をしたが、

それを

「気づき」(サティ)

というのだろう。

 

 

「生きている自分」に気づく。

 

普段、私たちは、

呼吸を、無意識に行こなっていますが、

それを、自覚し、気づくことで、

 

「ああ、生きているんだ」

 

と、生を実感できますね。

 

 

よく健康トレーニングの

指導者のなかで、

 

「5分間、左右交互に

この運動をやります。

 

テレビを見ながらでも

かまいません。

 

毎日、欠かさず

続けましょう」

 

などと教えていることがある。

 

これはあきらかに

間違っていると私は思う。

 

かりに手足を

動かしていたとしても、

意識はテレビの画面のほうへ

いっているからだ。

 

それでは、

「サティ」

が不在になってしまう。

 

「心する」

「気づく」

「意識する」

「注意を集中する」

ことに欠けた

トレーニングは、

大して意味がない。

 

 

トレーニングとしては、

テレビを見ながらでも、

悪くはないと思いますが、

 

たしかに、それだと、

肉体運動だけで、

自分の気持ちや、体の感覚には、

意識が向かないので、

もったいないかもしれないですね。

 

 

ブッダは教える。

 

「息を吸うときには、

息を吸っている自分に気づこう

(意識を集中させよう)。

 

吐いてるときには、

吐いている自分に気づこう。

 

喜びを感じながら

息をしよう。

 

心を感じつつ、

心を静めて呼吸しよう。

 

心を安定させ、

心を自由にとき放つように

息をしよう。

 

そして、

無常を感じ、

生の消滅を感じ、

自己を手放すことを

意識しつつ呼吸しよう」

 

 

最後のところは、

ちょっと難易度高めですが(^^;

 

呼吸している自分に

意識を集中させることで、

体の変調に、

気づくことができるかもしれませんし、

自分の気持ち、感じていることも、

自覚できるのではないか

と思います。

 

「心の声を聴く」

ということですね。

 

ふだん、私たちは、

心の声にフタをしていることが多い。

 

もちろん、いちいち

心の声を聴いてばかりいたら、

日常生活が

回らなくなってしまいます(^^;

 

しかし、時には、

呼吸に意識を向けて、

「心の声を聴いてみる」

というのも、

充実した「林住期」を迎えるにあたって、

大切なのではないか。

 

と思いました😊

 

なお、

呼吸に意識を向けるというのは、

いくつかアプローチがあります。

 

まずは、坐禅。

 

私はなんちゃって坐禅のレベルですが、

オンライン坐禅会

(無料・ほぼ毎日夜に開催)

にたまに参加しています。

 

ZOOMですが登録不要、

初心者歓迎、出入り自由、

顔出しもしなくていいので、

気軽に参加できますよ(^^)

 

臨済宗青年僧の会さん、

有り難うございます。

 

それから、

マインドフルネス瞑想。

 

本としては、

過去ブログでも紹介したことがありますが、

 

吉田昌生さんの、

マインドフルネス瞑想入門

 

 

がおすすめです。

 

マインドフルネスの考え方と、

実践方法が、

懇切丁寧に

分かりやすく解説されています(^^)

 

付属のCDが優れものです。

 

「朝の瞑想」

「夜の瞑想」

「日常生活の瞑想」

「ボディスキャン」

など、なんと、

15種類もの瞑想を誘導してくれますよ。

 

これで、1,600円。

安すぎます!

 

 

・・・次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

 

 

--------------------------------------------

 

 

 

 

 

新幹線の車窓、富士川鉄橋からパチリ📸

 

 

明けまして

おめでとうございます🎍

 

今年も、皆さまにとって、

素晴らしい年になりますよう、

心よりお祈り申し上げます😊

 

 

-------------------------------------------

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

五木寛之さんのエッセー、

 

林住期

 

 

から、私が印象に残ったところを、

紹介、解説しています。

 

前回は、

 

50歳から75歳までが、

「林住期」という名の黄金期であり、

この時期が人生のクライマックスである。

(したがって、

49歳までは助走期間である(^^;)

 

という五木寛之さんの説を

紹介しました。

 

今年、

「林住期」に突入する身としては、

勇気づけられる限りですが、

ただ、五木寛之さんは、

けっこう辛口です(^^;

 

林住期に入ったら、

 

「まず独りになる」

「必要」からではなく、

「興味」によって何事かをする・・・

 

なぜなら、

 

 

「人身受け難し」

と、仏教ではいう。

 

一人の人間として

生をうけることは、

じつに大海の一栗を拾うほどに

まれなことだ。

 

と教える。

 

人として生まれたこと自体が

奇跡なのだ。

 

それほど稀有で、

貴重な機会をえた私たちには、

いつかはその自己に対しての

義務をはたさなくてはならない

時がくる。

 

本来の自分を生かす。

 

自分をみつめる。

 

心のなかで求めていた

生き方をする。

 

他人や組織のためでなく、

ただ自分のために

残された時間と日々をすごす。

 

それが「林住期」という

時期ではないか。

 

そして、

そこにこそ人生の

真の黄金期が

あるのではないか。

 

 

・・・文豪、夏目漱石さんの

 

「自己本位」

 

という言葉を想起しました。

 

漱石さんのいう

「自己本位」とは、

 

他人の意見や、

世間の常識や、

権威ある言葉に従うのではなく、

自分の頭で一から考え、

自分が感じることを

大切にするということです。

 

五木寛之さんも、

同じ趣旨のことを

おっしゃっているのだと思います。

 

「本来の自分を生かす」

 

「心のなかで求めていた生き方をする」

 

そのためには、

「しっかりと自分を見つめる」

 

簡単なことではありませんが、

私も、少しずつ取り組んでいきたいです。

 

言い方を変えれば、

「林住期」とは、

 

「ほんらいの自分に還る時期」

 

といえるかもしれませんね。

 

 

で、今回は、

充実した「林住期」を

過ごすにあたっての、

五木寛之さんからの提言を

紹介したいと思います。

 

「身体語」に耳を傾けて

 

 

体はつねに

言葉にならない内側からの

メッセージを送っているのだ。

 

その信号を私は

「身体語」

と呼んでいる。

 

私はこの歳まで

ついに英会話を

マスターできなかったが、

「身体語」は

よくわかるようになった。

 

体が発する言葉に耳を傾け、

ときには短い会話をする。

 

気圧が急にさがりかけたり、

体の各部に無理がきたりすると、

体はいろんな表現で

ぶつぶつ言う。

 

その声に耳を傾け、

素直に直感にしたがう。

 

「今日は一日、食べない方がいい」

とか、

「呼吸が乱れているよ」

とか、

「少し温度がさがりすぎているね」

とか、

いろんなことを

言ってくるのだ。

 

その言葉を、

頭で否定してはいけない。

 

素直にしたがうことが

大事である。

 

 

私事になりますが、

若い頃は、体の発する声に

まったく無頓着だった

(というか無視していた)ため、

30代前半で、体を壊し、

2年連続、初夏の時期に

入院するはめになった

経験があります(^^;

 

今、思えば、

もう少し、体の発する声に

耳を澄ましておけば、

少なくとも、

入院は防げたのではないかという

気がしています(^^;

 

今でも、私、

そんなに体の声に敏感なほうでは

ないのですが、

マインドフルネス瞑想や、

ボディスキャンなどをやってみて、

だいぶ聴けるようになってきたという

実感はあります。

 

「林住期」に入ったら、

今まで以上に、

体の声に耳を傾けるようにしたいです(^^;

 

 

それから、

うつ病。

 

うつは「林住期」におちいりやすい

難病である。

 

といいます。

 

では、

うつ病にならないための

工夫はあるのでしょうか。

 

五木寛之さんは、

「ない」といいます・・・

 

 

私は、ない、と思う。

そう簡単に言ってしまえば、

身もフタもないようだが、

どう考えても、

確実にうつ病にかからないための

予防措置などない。

 

 

手厳しいご意見ですが、

たしかに、

確実にかからない予防措置など、

ないかもしれません。

 

うつ病は、将来もなくならない、

むしろ増えていく。

 

医学や薬品が進歩しても、

治療は簡単ではないといいます。

 

何故か?

 

 

うつという状態こそは、

人間が生きていく上で

欠かすことのできない

ひとつのエネルギーの

姿だからである。

 

うつというのは、

いわば影だ。

 

影のない世界など

存在しない。

 

そして

光がつよければつよいほど、

影もまた濃いのである。

 

逆にいえば、

影の濃さが

光のエネルギーを

示しているのだ。

 

影のない光はない。

また、

影が存在するということは

光があるということだ。

 

いま私たちの住んでいる社会は、

物理的に驚くほどに明るくなった。

 

目に見える闇の部分が

追放されたかのように感じる。

 

私は先日、

上海に行ったが、

上海もまたじつに

光り輝く都市だった。

 

その夜景を眺めながら、

その背後の闇の濃さを

感じないわけには

いかなかった。

 

要するに明るいだけの世界、

気持ちのいいだけの人生など、

ない、ということだ。

 

光が強ければ当然、

影も濃いのである。

 

 

私も、5、6年前に、

上海の夜景を見たことがありますが、

たしかに、異様なまでに、

キラキラしていました。

 

(中国は、いかにも、

いろいろと見えない闇が

あるような気がします)

 

「光があれば、影がある」

 

私の好きな映画、

「スター・ウォーズ」

の世界観もそうです。

 

世界(宇宙)が、

闇(ダークサイド)に覆われると、

必ず光(ライトサイド)の萌芽があります。

 

逆に、

あまりにも平和になると、

知らずして闇が忍び寄ってくるという・・・

 

相対的な世界を描いているのですね。

 

私も、

この世界は、

 

「光があれば、闇もある」

「プラスもあれば、マイナスもある」

 

という、

相対的なものだと考えています。

 

 

自然の天候を考えてみても、

晴れの日もあれば

曇りの日もある。

 

雨も降れば、

風も吹くのである。

 

まず、

うつを

親の敵みたいに

敵視しないことである。

 

うつを

えたいのしれない

怪物のように

恐れないことである。

 

人はうつとともに

生きるのだ。

 

と覚悟することである。

 

 

そうですね・・・

 

うつを敵視しない。

うつと共存する。

 

敵視すればするほど、

影は強くなるような気がします。

 

誰の心の中にも、

闇はある。

 

ダースべーダーは、

誰の心の中にも、いるわけです(^^;

 

 

子供のころから

「明るく」「元気で」

と教育されて育った人には、

うつに対する免疫力がない。

 

子供時代に

ちょっとしたケガを

したことのない大人が、

大きな交通事故にあう

傾向があるという論文を

読んだことがある。

 

まず、

うつは人間の支えである、

と考える。

 

今のような病んだ時代に、

心が萎えない方がおかしいのだ、

と知る。

 

生きるということは、

楽しい一方ではなく、

うつという重い荷物を背負って

坂道を歩くがごとしと覚悟する。

 

その人間の運命的なうつを、

自分は関係がないと

内側に押しこめ、

無視することから

うつが病気に発展するのだ。

 

 

ディマティーニ・メソッドという

自己変革メソッドがあります。

 

私たちの認知は、だれしも、

(程度の差こそあれ)

歪んでいるので、

自分の価値観にとって、

プラスの出来事があると、

プラスしか見えなくなる。

 

逆に、マイナスの出来事があると、

マイナスしか見えなくなりがちです。

 

ただ、よく見れば、

マイナスと同じだけの、

プラスがあるんですね。

 

うつにもプラスはあると思います。

 

たとえば、

 

自分の生き方を

見直すきっかけになったり、

 

自分の本当の気持ちに

気づけるようになったり、

 

自分を大切にするようになったり・・・

 

そうやって、

「憂うつな気持ち」

を排除することなく、

受け容れることによって、

うつ病という病気にまで

悪化させることが

防げることもあるのではないか・・・

 

 

「林住期」に入るにあたって、

うつな気持ちも、

大切にしていきたいと

改めて思いました😊

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます。

 

 

 

----------------------------------------

 

 

 

新春🎍のおまけです。

 

 

 

寝こ正月・・・

 

失礼いたしました😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

寒い日が続いておりますが、

今日(の横浜)は、

少し、ましでしたね(^^;

 

いよいよ年末年始・・・

 

「よし、本をたくさん読むぞ!」

「映画も見るぞ!」

「カウンセリングの学びも深めるぞ!」

 

と思う一方で、

 

「ちょっとは、掃除もしなければ・・・」

 

と焦る、今日この頃です(^^;

 

(車の洗車だけはしましたが、

本の山は、雪崩寸前のまま・・・)

 

今回から、

五木寛之さんのエッセー、

 

林住期

 

 

という本の内容を

紹介、解説します(^^)

 

林住期(りんじゅうき)とは・・・

 

 

古代インドでは、

人生を四つの時期に分けて

考えたという。

 

「学生期」、

「家住期」、

そして、

「林住期」と

「遊行期」。

 

「林住期」とは、

社会人としての

務めを終えたあと、

すべての人が迎える、

もっとも輝かしい

「第三の人生」

のことである。

 

 

人生100年時代だと考えると、

50歳から75歳までが、

 

「林住期」

 

五木寛之さんいわく、

この「林住期」こそが、

人生の黄金期、

クライマックスではないかというのです。

 

私は、いよいよ来年から、

「林住期」に突入しますので、

(まだまだ社会人としての務めを

終えるわけにはいかないのですが(^^;)

満を持して、

この本を読んでみようと思いました。

 

実は、今までは、

この本を読むと、

何だか早く老け込んでしてしまうような

気がして、

あえて避けていたのですが・・・

 

もう避けて通れない(笑)

 

 

50歳から75歳までの25年。

 

その季節のためにこそ、

それまでの50年が

あったのだと考えよう。

 

考えるだけではない。

その「林住期」を、

自分の人生の黄金期として

開花させることを

若いうちから計画し、夢み、

実現することが大事なのだ。

 

スポーツもそうだが、

後半のゲームを

どう「つくる」かに

すべてはかかっている。

 

 

一般的に、

人生のピークと考えられる、

25歳から49歳までの

「家住期」は、

黄金期である、

「林住期」のための、

助走期間だというのですね。

 

これからが人生本番!

 

そう考えると、

「林住期」に突入するのも、

ワクワクします😊

 

ただし、準備がきちんとできているかは、

心もとないのですが(^^;

 

 

「林住期」は

人生におけるジャンプであり、

離陸である、

と私は思う。

 

まったく新しく

スタートするのではない。

過去を切りすてて

旅立つのでもない。

 

それまでの暮らしを否定し、

0からやり直すのでもない。

 

これまでにたくわえた

体力、気力、経験、キャリア、

能力、センスなどの豊かな財産の、

すべてを土台にして

ジャンプするのである。

 

その意志のあるなしこそ

「林住期」の成功と失敗を

左右する。

 

「林住期」を

むなしく終えた人には、

むなしい死が

待ちかまえているだけだろう。

 

その第3の人生を

ジャンプしたものだけが、

死を穏やかに受け入れることが

できるのだ。

 

ジャンプしても、

必ずしも満ち足りた日々が

保証されるわけではない。

 

しかし、

かりに清貧というにも

ささやかすぎる暮らしを

することになったとしても、

そこには人間としての、

奇妙な充実感が

得られるだろうと思う。

 

 

五木寛之さんは、

場合によっては、

50歳になったら、

いったんリタイヤする、

 

今の仕事から離れたりして、

生活のためだけに生きるのを

見直すことも、

選択肢の一つではないかといいます。

 

それによって、

仮に清貧生活になっても、

充実感が得られるのではないかと

おっしゃるのです。

 

私は、正直、

まだそこまでの覚悟は

できていない感じですが(^^;

 

でも、その考えは、

一理あると思います。

 

 

私たちは

出家者にはなれない。

 

もちろん、

その気になれば、

60歳、70歳からでも

出家は可能だ。

 

しかし、

俗世界を捨てずとも、

出家者をひとつの手本として、

さまざまな雑事を

究極まで削ぎ落とし、

スリムな生活を

目指すことはできる。

 

林住期に生きる人間は、

まず独りになることが

必要なのではないかと思う。

 

(中略)

 

人生に必要なものは、

じつは驚くほど少ない。

 

一人の友と、

一冊の本と、

一つの思い出があれば、

それでいい。

 

と、言った人がいた。

 

友は性別を問わない。

 

配偶者のこともあれば、

遠方の友でもいい。

 

私の場合なら、

一匹のイヌを

つけ加えたいところだ。

 

 

「スリムな生活」

 

口でいうのは簡単で、

実際にやってみるのは、

かなりの覚悟が問われますが・・・

 

でも、考えてみれば、

ほんとうに必要なものは、

意外と少ないのかもしれません。

 

 

私がここで

書いているのは、

かなり乱暴な提言である。

 

そんなことは

現実には不可能だ、

という意見もあるだろう。

 

気持ちはわかるがね、

と苦笑する人も

いるかもしれない。

 

世の中のことは、

思いどおりにはいかない。

 

そのことは、

よくわかっている。

 

むしろ

思いどおりになることのほうが

少ないのが、

この世というものだ。

 

 

「独りになる」

「自分のやりたいように生きる」

とはいっても、

家族や、いろいろなしがらみがあり、

そう簡単にはいきません。

 

ましてや、

何が起こるか

先の見えない今の時代。

どうしても、

「不安」が去来します。

 

人生100年時代、 

貯金が最低2000万必要

などと言われたら、

なおさらです(^.^;

 

老後の不安を解消するために、

少しでも多くの収入が欲しい。

 

そのためにも、

まずは、しっかり稼げる仕事を

と考えてしまうのは、無理もありません。

 

 

しかし、

こうしたい、

こうしてみたい、

と思うことは

大事なことなのである。

 

「汝の敵を愛せ」

という。

 

「右の頬を打たれたら、

左の頬をさし出せ」

ともいう。

 

いずれも実際には

むずかしいことだし、

そのとおりにしていたら

生きていけないかもしれない。

 

しかし、

それでもなお、

それらの言葉が

生きて伝えられ、

ときどき思い出されるのは

なぜか。

 

できないことを言う、

というのは大事なことだから

だろう。

 

できたらそうしたい、

という思いも同じことだ。

 

もし、自分の思いが

100パーセント

実現しなくても、

いっこうにかまわないでは

ないか。

 

50パーセント、

いや10パーセントでも

実現したら、

それこそ

めっけものだろう。

 

できなくても、

もともとだ。

 

50歳からの人生を

ジャンプする。

 

やることを変えてもいい。

 

ずっと同じことを

続けてもよい。

 

目的を変える。

 

それがジャンプすることである。

 

 

10%でも実現したら、

めっけもの。

 

そう考えれば、

ジャンプするのも、

気が楽になりますね(^^)

 

で、目的を変える?

 

とは、いったいどういうことでしょうか。

 

 

目的を変える。

 

私たちが働くのは、

一般には、生活のためである。

 

そこをなんとか

変えられないか、ということだ。

 

働くために生きる、

という発想は、

この国には古くからある。

 

日々の労働こそ尊い、

という考え方だ。

 

私はそのことに反対ではない。

 

人間にはどんなことにでも

生き甲斐を見出そうとする

本能が備わっているからである。

 

しかし、

生きるために生きる、

ということこそ、

現代人に残された

数少ない冒険の一つ

ではないだろうか。

 

 

「生きるために生きる」

 

それが、現代人に残された

数少ない冒険の一つ・・・

 

これは、

月並みな言い方になりますが、

 

「自分らしく生きる」

 

ということではないかと考えます。

 

もちろん、

「働くこと」

は尊いことですし、

生活も大事です。

 

私は、できれば75歳くらいまでは、

何らかの形で働いて、

社会貢献したいと思っています。

 

しかし、

「働くこと」

は生きる目的ではありません。

 

社会通念や、

べき論から解放されて、

「自分らしく生きる」

 

すなわち、

「自己実現」することが、

生きる目的、

すなわち、

人生の集大成である

「林住期」のテーマではないのか。

 

そのための手段として、

「働くこと」

は選択肢の一つにすぎない。

 

それだけに縛られる必要はない・・・

 

そんなことを、

この本を読んで、考えました(^^;

 

次回に続きますね・・・

 

 

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最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

皆様が読んでくださるおかげで、

今年も1年間、

ブログを続けることができました。

 

感謝申し上げます😊

 

来年も、皆さまにとって、

よい年になりますように、

心からお祈り申し上げます。

 

よいお年をお迎えください🍀

 

 

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来年は、ボクの年・・・

 

ではなく、寅年か(笑)

 

今年もお世話になりました。

来年も、たまに登場させていただきます!

 

宮音(みやお)😸

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ローマ時代、ストア派の哲学者、

セネカさんの著作、

 

人生の短さについて 他2篇

 

 

の中で、私が印象深かったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目、最終回にします(^^;

 

セネカさんは、

 

「人は、人生というものを、

浪費しがちである」

 

「他人に振り回されずに、

自分自身を見つめて、

今を生きることが大切だ」

 

と述べられています。

 

では、

セネカさん的には、

「今」この時間を、

何に使うのが有益だと

お考えなのでしょうか。

 

 

すべての人間の中で、

閑暇な人といえるのは、

英知を手にするために

時間を使う人だけだ。

 

そのような人だけが、

生きているといえる。

 

 

えっ、閑暇(かんか)な人・・・

それって、暇を持て余している人?

 

ではありません(^^;

 

この場合の閑暇とは、

「自分がほんらいなすべきこと、

自分のためになることをしている

時間のこと」

だと巻末に解説されています。

 

つまり、

本来なすべき、

自分のためになることは、

「英知を学ぶこと」だというのです。

(やはり哲学者ですね(^^;)

 

 

というのも、

そのような人は、

自分の人生を上手に

管理できるだけでなく、

自分の時代に、

すべての時代を

付け加えることが

できるからだ。

 

彼が生まれる以前に

過ぎ去っていった

あらゆる年月が、

彼の年月に

付け加えられるのである。

 

われわれが

ひどい恩知らずで

ないというなら、

こう考えるべきだ―

 

人々に尊敬される

諸学派を作り上げた

高名な創設者たちは、

われわれのために

生まれてくれた。

 

そして、

われわれのために、

生き方のお手本を

用意してくれたのだと。

 

 

なるほど~、

 

たしかに、

過去の賢者の書を読むと、

まれにですが、

 

「うわ、これが、

私が求めていたものだ・・・」

 

と思える時があります(^^)

 

 

他人が苦労してくれた

おかげで、

われわれは

とても素晴らしいものへと

導かれている。

 

それは、

[過去という]

暗闇の中から

掘り起こされて、

光を当てられるのだ。

 

われわれに

閉ざされた時代などない。

 

われわれは、

すべての時代に

近づくことを

許されている。

 

われわれは

大きな心で、

人間の弱点である

視野の狭さを

克服しようとするだけでよい。

 

そうすれば、

広大な時間が

目の前に広がり、

われわれはそこを

訪ね歩いていくことが

できるのである。

 

われわれには、

ソクラテスと共に、

議論することが許されている。

 

・・・

 

(以下、古代ギリシャの

哲学者の名が続く・・・)

 

 

そうですね~。

 

ローマ時代の過去の英知といえば、

ギリシャ哲学くらいしかありませんが、

現代においては、

それこそ、

ギリシャ哲学から、

古代中国やインドの思想、

仏教、キリスト教、

ルネサンス時代、近代哲学、

心理学、文学・・・

 

過去3000年におよぶ

世界中の膨大な数の

すばらしい英知を

学ぶことができるわけです。

 

それも、一冊の本を手に取れば、、

気軽に学ぶことができる。

 

あまたの偉人たちが、

私たちの人生という名の旅路の、

力強い伴侶になってくれる。

 

考えてみると、

幸せな時代ですよね。

 

過去の英知を学ぶ意義と言うのは、

やはり、

「視野が広くなる」

ことだと思います。

 

新たな視点や捉え方、

発想に気づかせてくれる。

 

それに、伝記を読めば、

どんな時代のどんな偉人でも、

苦労したり、

理不尽な思いを味わったりして、

私たちと同じ悩みを抱えていたということが

わかったりもします。

 

人生の後半戦、

少しでも多くの、過去の英知を学び、

人間としての幅を広げたいです(^^)

 

 

で、オススメの本をちょっと紹介すると、

哲学や宗教を網羅的に学びたい方は、

 

哲学と宗教全史

 

 

立命館アジア太平洋大学(APU)学長の

出口治明さんが、

過去3000年の主な哲学と宗教を、

わかりやすく解説してくれています。

 

ただ、この本、

ページ数が400ページ以上もある大著で、

実は、私もまだ読みかけです(^^;

 

年末年始になんとか読了したいと思っていますが、

すべて読めなくても、

字引的に活用するのも手かと思います。

 

あとは、大人の伝記としては、

 

代表的日本人

 

 

既に読まれた方も多いと思いますが、

キリスト教思想家の内村鑑三さんが、

代表的日本人として、

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、

中江藤樹、日蓮上人の5人を取り上げて、

解説しています。

 

この本を読むと、

日本人の美徳が感じられて、

日本人であることが誇りに思えてきますよ!

 

ちなみに、この致知出版社さんの、

「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」

は、どれも現代日本語訳が読みやすくて、

オススメです。

 

あとは、「古典」から学ぶには、

心理カウンセラー、

小倉広さんの

 

ブレない自分をつくる「古典」読書術

 

 

ブレない自分をつくるために、

古典からどのように学べばいいのかを、

主に東洋思想から引用して解説された本です。

 

私は、この本から多くのことを学びました(^^)

 

たしかに、古典から学ぶと、

ブレにくい自分、

すなわち、「人間力」が養えます。

 

おすすめします!

 

なお、巻末には、

「ブックリスト~おさえておくべき古典一覧」

があって、次にどの古典を読もうか迷っている方の、

よい指針になると思います(^^)

 

 

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ということで、ちょっと脱線しましたが、

ローマ時代、ストア派の哲学者、

セネカさんの著作、

 

人生の短さについて 他2篇

 

 

を4回に渡って紹介・解説してきました。

 

この本には、

表題作の他にも、

島流しにあったセネカさんを

心配する母親を慰める

 

「母ヘルウィアへのなぐさめ」

 

年下の親友に向けて、

ブレない生き方をアドバイスした

 

「心の安定について」

 

の2編も収録されています。

 

どちらも、

なかなか示唆に富んだ内容です(^^)

短編なので、割とすぐに読めますよ。

 

「命短し恋せよ乙女」

(黒澤明さんの映画「生きる」のゴンドラの詩)

ともいいますが、

人生は有限です。

 

年末年始、

バタバタと忙しい方も多いと思いますが、

人類の英知の宝庫である、

「古典」の世界を、

ちょっぴり味わってみるのも

いいかもしれません。

 

皆さまも、

何かおすすめの「古典」があれば、

教えてくださいね(^^)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。