ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
前回から、
吉野源三郎さんのロングセラー、
(岩波文庫)
の内容で、
私の印象に残ったところを、
紹介・解説しています。
この本には、
主人公のコペル君
(戦前の旧制中学、今の高校生くらい)
に対して、
叔父さんが、
「おじさんのNote」
といった形で、
いわば、
「人生訓」
を語る場面がいくつかあります。
今の時代だと、
ちょっと、道徳的というか、
説教くさいかもしれませんが(^^;
逆に新鮮で、心に響きます。
いくつか紹介していきますね。
コペル君の家は裕福なのですが、
叔父さんはこう述べます。
コペル君、
たとえちゃんとした
自尊心をもっている人でも、
貧乏な暮らしをしていれば、
何かにつけて
引け目を感じるというのは、
免れがたい人情なんだ。
だから、
お互いに、
そういう人々に
余計なはずかしい
思いをさせないように、
平生、その慎みを
忘れてはいけないのだ。
人間として、
自尊心を傷つけられるほど
厭な思いのすることはない。
貧しい暮らしをしている人々は、
その厭な思いを
嘗めさせられていることが
多いのだから、
傷つきやすい自尊心を
心なく傷つけるようなことは、
決してしてはいけない。
そうですね・・・
私は、子ども時代、
決して裕福とは言えなかったのですが、
たしかに、
裕福なご家庭に遊びに行くと、
子ども心に、
何故か負い目のようなものを
感じていたような気がします・・・
親は、そんな思いを感じさせないように、
精一杯、努力してくれていたと、
今となっては思いますが。
(中略)
貧しい境遇にいる人々の、
傷つきやすい心を
かえりみないでも
いいとはいえない。
少なくとも、コペル君、
君が貧しい人々と
同じ境遇に立ち、
貧乏の辛さ苦しさを
嘗めつくし、
その上でなお
自信を失わず、
堂々と世の中に
立ってゆける日までは、
君には決して
そんな資格がないのだよ。
このことは、
よくよく心にとめて
おきたまえ。
もしも君が、
うちの暮らしのいいことを
多少とも誇る気になったり、
貧しい人々を見さげるような
心を起こしたら、
それこそ君は、
心ある人からは
冷笑される人間に
なってしまうのだ。
人間として肝心なことの
分からない人間、
その意味で憐れむべき
馬鹿者になってしまうのだ。
藤原正彦さんの、
ミリオンセラー
では、
「惻隠(そくいん)の情」
という言葉で語られていたのを、
想起しました(^^)
弱者への思いやりの心。
戦前の、エリート候補には、
こういった、エリート教育が、
しっかりなされていたのだと思います。
ひるがえって、
今の日本は・・・
どうなのでしょうか。
意外と、今の子ども(中高生)たちは、
弱者に対して、優しいような気もします。
むしろ大人の方が・・・(苦笑)
君のように
なんの妨げもなく勉強ができ、
自分の才能を思うままに
伸ばしてゆけるということが、
どんなにありがたいことか、
ということだ。
コペル君!
「ありがたい」
という言葉に
よく気をつけて見たまえ。
この言葉は、
「感謝すべきことだ」
とか、
「御礼をいうだけの
値打ちがある」
とかいう言葉で使われているね。
しかし、
この言葉のもとの意味は、
「そうあることがむずかしい」
という意味だ。
「めったにあることじゃあない」
という意味だ。
自分の受けている仕合せが、
めったにあることじゃあないと
思えばこそ、
われわれは、
それに感謝する気持ちになる。
(中略)
君の現在は、
本当に言葉どおり、
「ありがたい」
ことではないだろうか。
私は、好んで、
「有り難うございます」
と漢字にして書くことが多いのですが、
それには、
この思いが込められています(^^;
ちなみに、
私は、決して、
裕福な家庭で育ったわけではないですし、
今の生活も、そうでもないのですが(^^;
しかし、
世界から見れば・・・
日本人として生まれてきたこと自体が、
かなり恵まれている。
平和で、戦争がなく、
自由が認められている先進国で
暮らしているというだけでも、
ずいぶん恵まれている。
そもそも、
この世に誕生してきたこと自体・・・
ものすごい確率の中から
私たちは生を授けられたわけです。
私の敬愛する、
田坂広志さんは、それを、
「it's a miracle」
と述べられていますが、
私たちが存在すること自体が、
ほんと奇跡的なことなんですね。
「有り難い」
という、
感謝の気持ち、
常に忘れずにいたいです(^^;
なるほど、
貧しい境遇に育ち、
小学校を終えただけで、
あとはただからだを働かせて
生きて来た人たちには、
大人になっても、
君だけの知識を
もっていない人が多い。
(中略)
こういう点からだけ
見てゆけば、
君は、自分の方が
あの人々より上等な人間だと
考えるのも無理はない。
しかし、
見方を変えて見ると、
あの人々こそ、
この世の中全体を、
がっしりとその肩に
かついでいる人たちなんだ。
君なんかとは
比べものにならない
立派な人たちなんだ。
―考えて見たまえ。
世の中の人が
生きてゆくために必要なものは、
どれ一つとして、
人間の労働の産物でないものは
ないじゃあないか。
いや、学芸だの、
芸術だのという
高尚な仕事だって、
そのために必要なものは、
やはり、すべてあの人々が
額に汗を出して
作り出したものだ。
あの人々の
あの労働なしには、
文明もなければ、
世の中の進歩も
ありはしないのだ。
同感です(^^;
学歴や知識量と、
人としての立派さは、関係はない。
まったく比例しない。
たとえば、
本をどれだけ読んでいるかも、
同様である。
むしろ、
頭でっかちで、
評論家的になってしまう恐れがある。
本をあまり読まない人を、
見下す意識とかも・・・
何だか、
自分の首を絞めているようですが、
(私は中途半端な読書家ですが)
自戒の念を込めて(^^;
どんな職業でも、
社会を支えるために、
額に汗水垂らして働いている人は、
立派だと思います。
もちろん、いわゆる仕事だけではなく、
家事労働も含めて。
(妻には感謝しています)
特に、今のご時世、
エッセンシャルワーカーの方々には、
ほんとうに頭が下がります<(_ _)>
有り難うございます。
「額に汗を流す意識」
私自身、
浮足立つことなく、
自分の持ち場で、
改めて大切にしたいと思いました。
-------------------------------------------
次回に続きます(^^;
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
-------------------------------------------
「ボクは、額に汗を流してないけど・・・」
ま、キミは例外(笑)









