ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

吉野源三郎さんのロングセラー、

 

君たちはどう生きるか

(岩波文庫)

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

この本には、

主人公のコペル君

(戦前の旧制中学、今の高校生くらい)

に対して、

叔父さんが、

「おじさんのNote」

といった形で、

いわば、

「人生訓」

を語る場面がいくつかあります。

 

今の時代だと、

ちょっと、道徳的というか、

説教くさいかもしれませんが(^^;

逆に新鮮で、心に響きます。

 

いくつか紹介していきますね。

 

コペル君の家は裕福なのですが、

叔父さんはこう述べます。

 

 

コペル君、

たとえちゃんとした

自尊心をもっている人でも、

貧乏な暮らしをしていれば、

何かにつけて

引け目を感じるというのは、

免れがたい人情なんだ。

 

だから、

お互いに、

そういう人々に

余計なはずかしい

思いをさせないように、

平生、その慎みを

忘れてはいけないのだ。

 

人間として、

自尊心を傷つけられるほど

厭な思いのすることはない。

 

貧しい暮らしをしている人々は、

その厭な思いを

嘗めさせられていることが

多いのだから、

傷つきやすい自尊心を

心なく傷つけるようなことは、

決してしてはいけない。

 

 

そうですね・・・

 

私は、子ども時代、

決して裕福とは言えなかったのですが、

たしかに、

裕福なご家庭に遊びに行くと、

子ども心に、

何故か負い目のようなものを

感じていたような気がします・・・

 

親は、そんな思いを感じさせないように、

精一杯、努力してくれていたと、

今となっては思いますが。

 

 

(中略)

 

貧しい境遇にいる人々の、

傷つきやすい心を

かえりみないでも

いいとはいえない。

 

少なくとも、コペル君、

 

君が貧しい人々と

同じ境遇に立ち、

貧乏の辛さ苦しさを

嘗めつくし、

その上でなお

自信を失わず、

堂々と世の中に

立ってゆける日までは、

君には決して

そんな資格がないのだよ。

 

このことは、

よくよく心にとめて

おきたまえ。

 

もしも君が、

うちの暮らしのいいことを

多少とも誇る気になったり、

貧しい人々を見さげるような

心を起こしたら、

それこそ君は、

心ある人からは

冷笑される人間に

なってしまうのだ。

 

人間として肝心なことの

分からない人間、

その意味で憐れむべき

馬鹿者になってしまうのだ。

 

 

藤原正彦さんの、

ミリオンセラー

 

国家の品格

 

 

では、

「惻隠(そくいん)の情」

という言葉で語られていたのを、

想起しました(^^)

 

弱者への思いやりの心。

 

戦前の、エリート候補には、

こういった、エリート教育が、

しっかりなされていたのだと思います。

 

ひるがえって、

今の日本は・・・

どうなのでしょうか。

 

意外と、今の子ども(中高生)たちは、

弱者に対して、優しいような気もします。

 

むしろ大人の方が・・・(苦笑)

 

 

君のように

なんの妨げもなく勉強ができ、

自分の才能を思うままに

伸ばしてゆけるということが、

どんなにありがたいことか、

ということだ。

 

コペル君!

「ありがたい」

という言葉に

よく気をつけて見たまえ。

 

この言葉は、

「感謝すべきことだ」

とか、

「御礼をいうだけの

値打ちがある」

とかいう言葉で使われているね。

 

しかし、

この言葉のもとの意味は、

「そうあることがむずかしい」

という意味だ。

 

「めったにあることじゃあない」

という意味だ。

 

自分の受けている仕合せが、

めったにあることじゃあないと

思えばこそ、

われわれは、

それに感謝する気持ちになる。

 

(中略)

 

君の現在は、

本当に言葉どおり、

「ありがたい」

ことではないだろうか。

 

 

私は、好んで、

 

「有り難うございます」

 

と漢字にして書くことが多いのですが、

それには、

この思いが込められています(^^;

 

ちなみに、

私は、決して、

裕福な家庭で育ったわけではないですし、

今の生活も、そうでもないのですが(^^;

 

しかし、

世界から見れば・・・

 

日本人として生まれてきたこと自体が、

かなり恵まれている。

 

平和で、戦争がなく、

自由が認められている先進国で

暮らしているというだけでも、

ずいぶん恵まれている。

 

そもそも、

この世に誕生してきたこと自体・・・

 

ものすごい確率の中から

私たちは生を授けられたわけです。

 

私の敬愛する、

田坂広志さんは、それを、

 

「it's a miracle」

 

と述べられていますが、

私たちが存在すること自体が、

ほんと奇跡的なことなんですね。

 

「有り難い」

という、

感謝の気持ち、

常に忘れずにいたいです(^^;

 

 

なるほど、

貧しい境遇に育ち、

小学校を終えただけで、

あとはただからだを働かせて

生きて来た人たちには、

大人になっても、

君だけの知識を

もっていない人が多い。

 

(中略)

 

こういう点からだけ

見てゆけば、

君は、自分の方が

あの人々より上等な人間だと

考えるのも無理はない。

 

しかし、

見方を変えて見ると、

あの人々こそ、

この世の中全体を、

がっしりとその肩に

かついでいる人たちなんだ。

 

君なんかとは

比べものにならない

立派な人たちなんだ。

 

―考えて見たまえ。

 

世の中の人が

生きてゆくために必要なものは、

どれ一つとして、

人間の労働の産物でないものは

ないじゃあないか。

 

いや、学芸だの、

芸術だのという

高尚な仕事だって、

そのために必要なものは、

やはり、すべてあの人々が

額に汗を出して

作り出したものだ。

 

あの人々の

あの労働なしには、

文明もなければ、

世の中の進歩も

ありはしないのだ。

 

 

同感です(^^;

 

学歴や知識量と、

人としての立派さは、関係はない。

 

まったく比例しない。

 

たとえば、

本をどれだけ読んでいるかも、

同様である。

 

むしろ、

頭でっかちで、

評論家的になってしまう恐れがある。

 

本をあまり読まない人を、

見下す意識とかも・・・

 

何だか、

自分の首を絞めているようですが、

(私は中途半端な読書家ですが)

自戒の念を込めて(^^;

 

どんな職業でも、

社会を支えるために、

額に汗水垂らして働いている人は、

立派だと思います。

 

もちろん、いわゆる仕事だけではなく、

家事労働も含めて。

(妻には感謝しています)

 

特に、今のご時世、

エッセンシャルワーカーの方々には、

ほんとうに頭が下がります<(_ _)>

 

有り難うございます。

 

額に汗を流す意識」

 

私自身、

浮足立つことなく、

自分の持ち場で、

改めて大切にしたいと思いました。

 

 

-------------------------------------------

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

 

「ボクは、額に汗を流してないけど・・・」

 

ま、キミは例外(笑)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

吉野源三郎さんのロングセラー、

 

君たちはどう生きるか

(岩波文庫)

 

 

を紹介・解説していきます(^^)

 

この本、漫画版

漫画 君たちはどう生きるか

 

 

で、数年前に、

ミリオンセラーになりましたね!

 

この漫画版の出版社ですが、

意外にも、

ananなどで有名な雑誌系出版社、

マガジンハウスさんなんです(^^)

 

この漫画版を世に問うた、

編集者に、敬意を表します。

 

ちなみに、

今、スタジオジブリ(宮崎駿)さんが

映画化に向けて製作中のようですよ!

(楽しみですね)

 

で、私は、

漫画版は読んだことはないのですが、

こちらの岩波文庫版を、

久しぶりに読み返してみました。

 

う~ん、やっぱり、

熱いものがジーンと込み上げてきます・・・

 

この本の主人公は、

旧制中学(今の高校生くらい)

の年齢なのですが、

大人が読んでも、

心に迫ってくるものがあります(^^;

 

忘れていた大切なものを、

思い起こさせてくれるという感じがします。

 

時代背景は、

戦前の1930年代、

 

内容的には、

通称「コぺル君」が、

学校でのいくつかの事件を通じて、

精神的に成長していくという

物語なのですが、

 

父親代わりの叔父さんや、

母親からのメッセージが、

とても心に沁み入るんですね。

 

本の前半部分の、

叔父さんのメッセージ、

引用します(^^)

 

 

深い智慧の

こもった言葉を

残しておいてくれた、

偉い哲学者や坊さんは

たくさんある。

 

今だって、

本当の文学者、

本当の思想家と

いえるほどの人は、

(同様である)

 

(中略)

 

だから、

君もこれから、

だんだんに

そういう書物を読み、

立派な人々の思想を

学んでゆかなければ

いけないんだが、

 

しかし、

それにしても

最後の鍵は、

 

―コぺル君、

やっぱり君なのだ。

 

君自身のほかには

ないのだ。

 

君自身が生きて見て、

そこで感じた

さまざまな思いをもとにして、

はじめて、

そういう偉い人たちの

言葉の真実も

理解することが出来るのだ。

 

数学や化学を学ぶように、

ただ書物を読んで、

それだけで知るというわけには、

決していかない。

 

 

なるほど~。

 

自分がいろいろと

体験してはじめて、

偉人の言葉の真実が理解できる。

 

コペル君の旧制中学の環境は、

かなり恵まれていて、

周りも知識人や実業家の子息が

多いのですが、

 

頭でっかちにならないように、

戒めているのでしょうか(^^;

 

 

だから、

こういう事について

まず肝心なことは、

いつでも自分が

本当に感じたことや、

真実心を動かされたことから

出発して、

その意味を

考えてゆくことだと思う。

 

君が何か

しみじみと感じたり、

心の底から思ったりしたことを、

少しもゴマ化してはいけない。

 

そうして、

どういう場合に、

どういう事について、

どんな感じを受けたか、

それをよく考えてみるのだ。

 

そうすると、

ある時、ある所で、

君がある感動を受けたという、

繰りかえすことのない、

ただ一度の経験の中に、

その時だけにとどまらない

意味のあることがわかって来る。

 

それが君の思想というものだ。

 

これは、

むずかしい言葉で

いいかえると、

常に自分の体験から出発して

正直に考えてゆけ、

ということなんだが、

 

このことは、

コペル君!

本当に大切なことなんだよ。

 

ここにゴマ化しがあったら、

どんなに偉そうなことを考えたり、

言ったりしても、

みんなウソになってしまうんだ。

 

 

「感動を受けたという

ただ一度の経験の中に、

その時だけにとどまらない意味がある」

 

なるほど・・・

 

「常に自分の体験から出発して

正直に考えてゆけ」

 

そうですね。

 

これは実際には、なかなか難しくて、

大人になっても、

(いや、大人だからこそ)

つい、ゴマ化してしまいがちですが・・・(^^;

 

 

僕もお母さんも、

君に立派な人に

なってもらいたいと、

心から思ってはいるけど、

 

ただ君に、

学業が出来て行儀もよく、

先生から見ても

友だちから見ても、

欠点のあげようのない

中学生になってもらいたい、

 

などと考えているわけじゃあない。

 

また、

将来君が大人になったとき、

世間の誰からも

悪くいわれない人になってくれとか、

世間から見て

難の打ちどころのない人に

なってくれとか、

いっているわけでもない。

 

(中略)

 

もしも君が、

学校でこう教えられ、

世間でもそれが立派なこととして

通っているからといって、

ただそれだけで、

いわれたとおりに行動し、

教えられたとおりに生きて

ゆこうとするならば、

 

―コペル君、

いいか、

 

―それじゃあ、

君はいつまでたっても

一人前の大人になれないんだ。

 

子どものうちは

それでい。

 

しかし、

もう君の年になると、

それだけじゃあダメなんだ。

 

肝心なことは、

世間の眼よりも何よりも、

君自身がまず、

人間の立派さがどこにあるか、

それを本当に

君の魂で知ることだ。

 

そうして、

心底から、

立派な人間になりたいという

気持ちを

起こすことだ。

 

いいいことをいいことだとし、

悪いことを悪いことだとし、

一つ一つ判断をしてゆくときにも、

また、君がいいと判断したことを

やってゆくときにも、

いつでも、

君の胸からわき出て来る

いきいきとした感情に

貫かれていなければいけない。

 

 

「世間の眼よりも何よりも、

君自身がまず、

人間の立派さがどこにあるか、

それを本当に君の魂で知る」

 

周りがどうこうではなく、

自分自身の体験や感じたことから、

人の立派さや善悪を判断する・・・

 

それには、ある意味、

ぶれない「強さ」が必要ですね。

 

 

そうでないと、

僕やお母さんが

君に立派な人に

なってもらいたいと望み、

君もそうなりたいと考えながら、

君はただ、

「立派そうに見える人」

になるばかりで、

ほんとうに

「立派な人」

にはなれないでしまうだろう。

 

世間には、

他人の眼には

立派に見えるように見えるようにと

振る舞っている人が、

ずいぶんある。

 

そういう人は、

自分がひとの眼に

どう映るかということを

一番気にするようになって、

本当の自分、

ありのままの自分が

どんなものかということを、

つい、お留守にしてしまうものだ。

 

僕は、

君にそんな人に

なってもらいたくないと思う。

 

だから、

コペル君、

繰りかえしていうけれど、

君自身が心から感じたことや、

しみじみと心を動かされたことを、

くれぐれも大切にしなくてはいけない。

 

それを忘れないようにして、

その意味を

よく考えてゆくようにしたまえ。

 

 

叔父さんのメッセージ、

熱いですね(^^)

 

今の自分を顧みると・・・

ちょっと耳が痛いです(^^;

 

私自身、こんな熱いメッセージを、

若い頃に直接伝えてもらえたら、

もう少しマシな大人に

なれたかもしれませんが(^^;

 

一方で、

自分が、中学生や高校生だったら、

ピンと来ないだろうし、

かえって、反発してしまう気もします(苦笑)

 

大人になってから、

ある程度、人生経験を積んでからのほうが、

心に沁み入るのかもしれません(^^;

 

人の眼を気にするのではなく、

 

「君自身が心から感じたことや、
しみじみと心を動かされたことを、
大切にする」

 

実際、コペル君も、

「油揚事件」というちょっとした事件を通じて、

実感することになるのですが、

 

(これ、ネタバレになるので触れませんが、

忘れていた気持ちを思い起こさせるような

素敵なエピソードです。

是非、本書をお読みください)

 

ゴマ化すことなく

日々の生活の中の、

 

「自分が心から感じたこと」

「しみじみと心を動かされたこと」

 

を判断基準にする。

 

人生、遅ればせながら、

大切にしていきたいです😊

 

----------------------------------------

 

で、叔父さんがいう、

ほんとうに立派な人とは、

具体的にどういった人なのでしょうか・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました(^^)

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

遠藤周作さんの小説、

深い河

 

 

を読んで、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で3回目になります。

 

いろいろと紹介したいのですが、

ネタバレさせてしまいそうなので、

今回で最終回にしますね(^^;

 

今回は、

この本の主要テーマのひとつ

(であろうと思われる)

 

「転生」

 

について、述べたいと思います。

 

ちなみに、

本書では、

磯部さんという男性が、

先立った奥様の生まれ変わりを

インドで探す場面がありますが、

その結果は、読んでのお楽しみとして(^^;

 

「転生」

 

輪廻転生や、

生まれ変わりなどともいいますが、

作者である遠藤周作さんの考えが、

如実に表れている箇所があります。

 

この場合の「玉ねぎ」とは、

イエスさまのことですが・・・

 

 

「玉ねぎが殺された時」

 

大津は

地面をじっと見つめながら

呟いた。

 

まるで

自分に向かって

言い聞かせるように、

 

「玉ねぎの愛と

その意味とが、

生きのびた弟子たちに

やっとわかったんです。

 

弟子たちは、

一人残らず玉ねぎを見棄てて

逃げて生きのびたのですから。

 

裏切られても

玉ねぎは弟子たちを

愛し続けました。

 

だから彼等一人一人の

うしろめたい心に

玉ねぎの存在が刻みこまれ、

忘れられぬ存在に

なっていったのです。

 

弟子たちは

玉ねぎの生涯の話を

するために

遠い国へ出かけました。

 

(中略)

 

「以来、玉ねぎは

彼等の心のなかに

生きつづけました。

 

玉ねぎは死にました。

 

でも弟子たちのなかに

転生したのです。

 

 

裏切った相手すらも、

愛し続ける、

「玉ねぎ」の無条件の愛。

 

そんな愛を目の当たりにすることは、

めったにありませんが、

弟子たちは、

実際にそれを、

目の前で体感したんですね。

 

それは、

まさに「奇跡」的なこと。

 

「玉ねぎ」の存在は、

弟子たちの心の中に、

深く刻まれることになります。

 

つまり、

イエスさまは死んだけど、

弟子たちの中に、

その「愛」が「転生」した。

 

それが、

「転生」であり、

イエスさまの「復活」、

ということだと思います。

 

そして、

「玉ねぎ」が転生したことによって、

「弱虫」だった弟子たちが、

「強虫」に変貌を遂げるわけです。

 

詳しくは、

過去ブログ、

 

 

で詳しく解説しましたので、

よかったらご一読ください。

 

 

大津さんの話を聞いた、

美津子さんは、

こう反論します。

 

 

「よく、わからない」

 

美津子は強い声で

逆らった。

 

「別世界の話を聞いているような

気がする」

 

 

大津さんは、こう答えます。

 

 

「別世界の話じゃありません。

 

ほら、玉ねぎは今、

あなたの前にいる

このぼくのなかにも

生きているんですから」

 

 

そうなんです。

「玉ねぎ」(イエスさま)は、

大津さんの中にも、

転生していたんですね。

 

どうしてそうなったのかは・・・

 

本書をお読みくださいね(^^;

 

 

別の箇所になりますが、

死んだ妻の生まれ変わりを探した

磯部さんの語りが印象的です。

 

 

復讐や憎しみは

政治の世界だけでなく、

宗教の世界でさえ

同じだった。

 

この世は

集団ができると、

対立が生じ、

争いが作られ、

相手を貶めるための

謀略が生まれる。

 

戦争と戦後の

日本の中で生きてきた磯部は

そういう人間や集団を

嫌というほど見た。

 

正義という言葉も

聞きあきるほど耳にした。

 

そしていつか心の底で、

何も信じられぬという

漠然とした気分が

いつも残った。

 

だから会社のなかで

彼は愛想よく

誰とも付き合ったが、

その一人をも

心の底から信じていなかった。

 

それぞれの底には

それぞれのエゴイズムがあり、

そのエゴイズムを

糊塗するために、

善意だの正しい方向だのと

主張していることを

実生活を通じて

承知していた。

 

彼自身も

それを認めた上で

波風のたたぬ人生を

送ってきたのだ。

 

 

そうですね。

会社や組織、集団においては、

 

「それぞれが、

それぞれのエゴイズムを

糊塗するために、

善意だの正しい方向だのと

主張している」

 

これ、ありますね。

(もちろん、

私自身もやっているのでしょうが(^^;)

 

近年の、

SDGsの盛り上がりなども、

結局は、こういったことなのかなあ

という気もします。

(それはそれで、

悪いことではないと思いますが)

 

そして、

力の強い人の意見が、

正義になるという・・・

 

会社や組織は、

そういうものというか、

それが、人間社会の

(悲しい)現実だと思います。

 

 

だが、

一人ぼっちになった今、

磯部は生活と人生とが

根本的に違うことが

やっとわかってきた。

 

そして自分には

生活のために交わった他人は

多かったが、

人生の中で

本当にふれあった人間は

たった二人、

 

母親と妻しかいなかったことを

認めざるを得なかった。

 

 

そうですね。

 

どんなに有名人でも、

社会的に地位の高い人でも、

 

人生の中で、

本当にふれあう人は、

「家族」だけなのかもしれません。

 

家族同様に過ごした、

ペットもそうでしょうか。

 

 

自分のことを愛してくれた人は、

たとえ、亡くなったとしても、

自分の心の中に

「転生」して生き続ける。

 

そして、

生きる勇気を与えてくれる・・・

 

私は、父親を

親孝行する間もなく、

わりと早くに(就職した年に)

亡くしたのですが、

ふだんは、あまり思い出したり、

存在を感じたりすることはありません。

 

しかし、

ふとした瞬間に、

その存在を感じることはあります。

 

たとえば、

 

帰宅時、夜道をひとり歩いているとき、

本のある一節に触れるとき、

出張中の新幹線の車中で・・・

 

・・・ふとした瞬間に、

 

それは、

 

父親が私の中に

「転生」しているのかもしれません(^^)

 

 

 

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以上、

3回にわたって、

遠藤周作さんの小説、

 

深い河

 

 

から、

私の印象に残ったところを引用しながら、

好き勝手に、

解説をさせていただきました(^^;

 

ネタバレになるので、

ストーリーは、細かく紹介できませんでしたが、

遠藤周作さんの小説は、

ストーリー展開も魅力の一つです。

 

今回、私は特に触れませんでしたが、

ビルマ戦線で、壮絶な体験を経て生き延びた男、

木口さんのストーリーは、一気に読ませますし、

考えさせられます。

 

まだ、お読みでない方は、

ご一読をオススメします!

 

特に、

中年以降に差し掛かっている世代の方には、

ご自分の人生を振り返りながら

お読みになると、

いろいろと共感できるのではないかと思います。

 

あと、

きっとインドに行ってみたくなりますよ(^^)

 

私は、まだ行ったことがないので、

一度行ってみたいです!

(妻は、ちょっと恐いと言っていますので、

ソロかな(^^;)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を紹介します🍀

 

 

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追伸

 

9月に、

若松英輔さんのこんな新刊が出ていました。

 

日本人にとってキリスト教とは何か: 遠藤周作『深い河』から考える

 

私もさっそく買いました(^^)

遠藤周作さんファンの方は是非!

 

 

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ウチの近所の「深い河」

鶴見川です(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

遠藤周作さんの小説、

深い河

 

 

の内容で、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

神は、動物や自分自身も含めた、

ありとあらゆるものに宿っている、

という考え方を紹介しましたが、

 

この本の主人公ともいえる、

大津さんは、

キリスト教の修道院の先輩から、

 

「お前にとって神とは何なのだ」

 

と問われて、

こう述べています。

 

 

「神とは

あななたちのように

人間の外にあって、

仰ぎみるものでは

ないと思います。

 

それは、

人間の中にあって、

しかも人間を包み、

樹を包み、

草花をも包む、

あの大きな命です。

 

 

あらゆるものを包む、

大きな命・・・

 

私も、神とは、

そのような存在だと考えます。

 

(詳しくは、

是非、本書をお読みください)

 

神については、

別の角度からも、

語られています。

 

一行が、

特別なヒンズー寺院の地下を

訪れる場面があります。

 

 

ねっとりとした空気。

うす暗い地価の内部。

 

気味の悪い彫像が

浮かびあがってくる。

 

像の気味の悪さには、

人間がおのれの意識下に

うごめくもの、

意識下にかくれているものを

まともに目にする嫌悪感が

あった。

 

(中略)

 

彼等(男たち)は

わけのわからぬ

不合理で醜悪な女神像の

どこにも心ひかれなかった。

 

女神という言葉から、

男たちは

「優しいもの」

「母なるもの」

を期待していたのだ。

 

 

そうですね。

 

私も、女神というと、

「優しいもの」

「母なるもの」

をつい連想してしまいますが・・・

 

日本人ガイドの江波さんは、

チャームンダーという女神像を前に、

こう述べます。

 

 

「彼女の乳房は

もう老婆のように

萎びています。

 

でもその

萎びた乳房から乳を出して、

並んでいる子供たちに

与えています。

 

彼女の右足は

ハンセン氏病のため、

ただれているのが

わかりますか。

 

腹部も飢えで

へこみにへこみ、

しかもそこには

蠍(さそり)が

噛みついているでしょう。

 

彼女はそんな

病苦や痛みに耐えながらも、

萎びた乳房から

人間に乳を与えているんです」

 

(中略)

 

「彼女は・・・

印度人の苦しみの

すべてを表しているんです。

 

長い間、

印度人が味わねば

ならなかった

病苦や死や飢えが

この像に出てます。

 

長い間、

彼等が苦しんできた

すべての病気に

この女神はかかっています。

 

コブラや蠍の毒にも

耐えています。

 

それなのに彼女は・・・

 

喘ぎながら、

萎びた乳房で

乳を人間に与えている」

 

 

彼女が味わっている苦しみ・・・

 

それは、

時代や場所は変われど、

 

思い通りにはならない、

私たちの「人生」そのもの。

 

それの象徴なのだと思います。

 

 

「じゃ、これは、

ほかの女神たちとちがって・・・

印度の聖母マリアの

ようなものですか」

 

「そうお考えになって

結構です。

 

でも彼女は

聖母マリアのように

清純でも優雅でもない、

美しい衣装も

まとっていません。

 

逆に醜く老い果て、

苦しみに喘ぎ、

それに耐えています。

 

このつりあがった

苦痛に充ちた眼を

見てやってください。

 

彼女は印度人と共に

苦しんでいる・・・」

 

 

私たちの「人生」は、

実際、清純でも、優雅でも、

ないですよね。

 

それなりに長く生きていれば、

汚れてしまう部分も、かなりあるわけで(^^;

 

もちろん、

楽しい時や、ワクワクする時もありますが、

苦しい時や、辛い時、

悲しい時もあるのが現実です。

 

そういう意味では、

印度のチャームンダーという女神は、

人間の影の部分を表してくれる存在、

そして、その影の部分に寄り添ってくれる存在、

なのかなあと思います。

 

ちなみに、

私は仏像を観るのが好きなのですが、

もちろん、神々しい、

如来像や観音像には惹かれるのですが、

最近は、

憤怒の明王像や、

踏みつけられている邪鬼にも、

目が行くようになりました。

 

私の中にも、

醜い感情がありますし、

それを、少しは自覚できるようになったから

かもしれません(^^;

 

聖書の一句でしょうか、

本書では、

こんな言葉が引用されています。

 

 

彼は醜く、

威厳もない。

 

みじめで、

みすぼらしい

 

人は彼を蔑み、

見すてた

 

忌み嫌われる者のように、

彼は手で顔を覆って

人々に侮られる

 

まことに彼は

我々の病を負い

 

我々の悲しみを

担った

 

 

彼とは、

イエスさま

(この小説では玉ねぎ)

のことですね。

 

私は、キリスト教の信者ではないのですが、

遠藤周作さんが描く、イエス像には、

心惹かれるものがあります。

 

私たちと同じく、

イエスさまも、悩み、苦しんだ。

 

そして、私たちの至らなさに、

寄り添ってくれる存在だからです。

 

 

 

次回に続きますね。

 

次回は、この本の主要なテーマのひとつ、

 

「転生」

 

について考えてみたいと思います。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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唐突ですが(^^;

 

 

明治神宮です🍀

(少し遅めの初詣)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

遠藤周作さんの小説、

深い河

 

 

を紹介、解説しながら、

私の感じたことも

述べていきたいと思います(^^)

 

この小説は、

遠藤周作さんの集大成ともいえる、

代表作の一つです。

 

私の持っている文庫版(旧版)は、

初版が1996年ですので、

私が20代の頃、読んだ小説ですが、

それ以来、何度か再読している

数少ない本の中の一つです。

 

そして、この本こそ、

若い頃には、

なかなか深いところまでは味わえない(^^;

 

ある程度、人生経験を重ねてこそ、

心に沁み入る度合いが高まっていく

小説だと感じます。

 

この小説は、

複数の登場人物が、

何が見えない力に導かれるようにして、

インドをめぐる旅に参加するという

ストーリーなのですが、

簡単に主な登場人物を紹介しますと、

 

妻に先立たれ、

妻の生まれ変わりを探すことになる、

昭和気質の男、磯部。

 

知的だが、いつも何か満たされない、

心に空虚さを抱えている、

そして、大津を弄んだことのある女。

成瀬美津子。

 

童話作家で、

少年時代や大病を患ったときに、

動物や鳥に救われた経験を持つ男、

沼田。

 

ビルマ戦線で、

壮絶な体験を経て生き延びた男、

木口。

 

そして、

キリスト教徒だが、

お人好しで、不器用すぎるため、

教会の世界でうまく立ち回れない男、

大津・・・

 

それぞれが、

なかなか人に言えないような、

心の重荷や痛みを抱えながら、

生きてきた様子が描かれているのですが、

 

この小説の興味深いところは、

歴代の、遠藤周作さんの小説のテーマや、

登場人物のキャラクターが、

随所に反映されているところです。

 

たとえば、

小説「おバカさん」の主人公、

ガストンさんが出てきたり、

 

小説「わたしが・棄てた・女」

のテーマが含まれていたり、

(男女が逆になっていますが)

 

他にもいろいろありますが、

そういう意味でも、

遠藤周作さん小説の

オールスター的な感じがします(^^)

 

また、

遠藤周作さん自身の生涯も、

かなり投影されていると思います。

 

たとえば、

登場人物の沼田さんの、

捨て犬クロや九官鳥の話や、

大津さんの、

母親に対する思いなどは、

遠藤周作さん自身の体験が、

色濃く反映されていると感じます。

 

 

・・・では、

ストーリーのネタバレには

注意しながら(^^;

私が印象に残った箇所を、

引用していきたいと思います。

 

登場人物の一人、

大津さんは語ります。

 

 

「あなたから

棄てられたからこそ―、

 

ぼくは・・・

人間から棄てられた

あの人の苦しみが・・・

 

少しはわかったんです」

 

(中略)

 

「・・・ぼくは聞いたんです」

 

「聞いた?・・・何を?」

 

「おいで、という声を。

 

おいで、

私はお前と同じように

捨てられた。

 

だから私だけは決して、

お前を捨てない、

 

という声を」

 

 

あの人とは、

「イエス」のこと、

 

この声とは、

「沈黙」などでも出てくる、

神(イエス・キリスト)の

声なき声ですね。

 

なお、この小説では、

神のことを、

「玉ねぎ」といっています。

(この素朴な表現、好きです)

 

 

「神は存在というより、

働きです。

 

玉ねぎは

愛の働く塊りなんです」

 

(中略)

 

「だって玉ねぎは

ある場所で棄てられたぼくを

いつの間にか

別の場所で

生かしてくれました」

 

(中略)

 

「・・・善のなかにも

悪がひそみ、

悪の中にも

良いことが潜在している

と思います。

 

だからこそ

神は手品を使えるんです。

 

ぼくの罪さえ活用して、

救いに向けてくださった。

 

 

「玉ねぎは、愛の働く塊り」

 

「悪の中にも、良いことが潜在している」

 

そうですね~、

この小説でも、

登場人物は、それぞれ、

さまざまな苦悩を抱えている訳ですが、

ガンジス川に導かれる過程で、

徐々に救われていくんですね。

 

それは、たしかに、

「神の働き」だと思います。

 

遠藤周作さんの語る神は、

母性的、受容的だといわれますが、

私も、神(というか大いなる存在)の本質は、

そういうものだと考えます。

 

そして、神は、

遠藤周作さんが、「玉ねぎ」というように、

決して、キリスト教にだけ

存在するものではないと思います。

 

ありとあらゆるものに神は宿っている。

もちろん、自分自身にも。

 

私は、特定の宗教を

信じている訳ではないのですが、

仏教、特に浄土真宗の阿弥陀信仰は、

遠藤周作さんの考えに近いと感じます。

 

親鸞さんの語りを集めた、

「歎異抄」に、

 

「善人なおもて往生をとぐ、

いわんや悪人おや」

 

(意訳:善人でさえ救われるのだから、

悪人が救われるのはいうまでもない)

 

という有名な

逆説的なセリフがありますが、

 

この悪人とは、

犯罪者や極悪人というよりも、

「自分の煩悩(弱さ)を自覚している人」

を差すのだと考えます。

 

私たちは、

生きている限り、

煩悩は捨てられません。

 

人から傷つけられもしますし、

また、知らずして、

人を傷つけてしまうこともあります。

 

勇気がなくて、

卑怯な振る舞いをしてしまったり、

 

心の弱さから、

つい、ウソをついてしまったり、

 

いい大人になっても、

泣き言を言いたくなったり(^^;

 

「ああ、もう嫌になる・・・」

 

と自己嫌悪に陥ることも、

ありますよね(^^;

 

そんな私たちに、

「おいで」と言ってくれる存在。

 

「お前を捨てない」

と言ってくれる存在。

 

寄り添いながら、

つらさを分かち合ってくれる存在。

 

それが神というものなのかなあ

と思います。

 

登場人物の沼田さん

(遠藤周作さん自身の投影?)は、

こう語ります。

 

 

沼田は妻に

うしろめたかった。

 

少年の頃から沼田は

心の秘密をいつも

人間ではなく

犬や鳥に

うちあけてきた。

 

今度の場合も、

度重なる手術の失敗で、

滅入った気持ちを

あの犀鳥(さいちょう)

のような鳥に

告白したい願望が

心のどこかにあるのを、

妻はいつの間にか

見抜いていた。

 

しかし、

その方がいいという気持も

胸にある。

 

どうにもならぬ悩みを

妻に話しても

彼女が苦しむだけだ。

 

いたずらに彼女を辛くさせ、

重荷を負わせるだけではないか。

 

しかし

相手が鳥ならば・・・

 

沈黙して

受け入れてくれる。

 

 

身近な人に悩みをぶつければ、

相手を苦しませることもありますし、

場合によっては、

相手から反論されたり、

求めてもいないのに、

アドバイスされることもありますよね。

(私は妻に対して

やってしまうことがあります(^^;)

 

対して、

沈黙しながらも、

黙って受け入れてくれる鳥・・・

 

それには、神が宿っている。

(そして、実は声なき声を発している)

 

そんな気がします。

 

 

見方を変えると、

鳥や動物は、いわば、

人間の鏡になってくれるのかもしれません。

 

鳥や動物に語りかけているようで、

実は、鏡のように、

自分自身に

語りかけているのかもしれない。

 

(うちは、猫を飼っていますので、

今度、辛いことがあったら、

猫に語りかけてみようかな(^^;)

 

そういう意味では、

カウンセラーも、同じなのかもしれません。

 

決して、

沈黙して聴き続けるわけではありませんし、

そもそも、神と同じというのは、

ちっとおこがましいのですが(^^;

 

受容、共感しながら、

クライアントに寄り添い続ける同伴者、

 

暗い森の中を、ゆっくりと、

一緒に歩いていく・・・

 

それは、

「玉ねぎ」のような存在なのではないか。

 

私は、

カウンセラーとしての活動も

行っているのですが、

少しでも、

そのような存在でありたいと思っています。

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

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神が宿っている?

 

 

 

 


 

たぶん😸