ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
日々、少しずつ日が長くなってきている
感じがしますね😊
今、話題の新書、
堤未果さんの
を紹介しています。
海外の巨大テック企業によって、
日本の「行政」「金融」「教育」が
支配される怖れがあると、
警鐘を鳴らしている本なのですが、
その中でも、
「教育」の箇所にフォーカスして、
引用しながら、
紹介、解説をしています。
文科省の公式HPの動画の中で、
女の子がこんなセリフを口にしています。
「タブレットがないと、
全部自分の頭で
考えないといけない。
でもこれ
(タブレット)があれば、
間違えた時すぐ説明されて、
前に進んでいけるんです」
なるほど、
タブレットだと、
間違えた時、
すぐに説明してくれる・・・
タブレットの中に
組み込まれた学習アプリが、
立ち止まって考える間もなく、
すぐに間違いを正してくれ、
その子の
理解の度合いに合わせた
次のステップに
誘導してくれる。
こうした個別の学習ソフトは、
デジタル教材の
目玉の一つとして
宣伝されている。
だがその効果に関しては、
賛否両論あるのが現状だ。
たしかに、
便利な反面、
タブレットに依存しすぎると、
自分の頭で考えられなくなるような
危険性があるかも・・・
言語脳科学者で
東大大学院の酒井教授は、
こう述べています。
紙の教科書と違い、
液晶画面で読むものは、
空間的な手がかりが
つかみにくいため
記憶に残りにくいこと、
ネット検索で情報過多になり、
考える前に
すぐ検索してしまい
頭を使わなくなること、
そしてメモを取る能力と
字を書く能力、
そして内容を咀嚼する能力が
落ちてしまうことだ。
「考える前にすぐ検索してしまい、
頭を使わなくなること」
うーん、これは、
私自身にも当てはまります(^^;
わからなければ、
考えることなく、
すぐグーグル先生で検索・・・
もちろん、
これは、ネット検索技術の
最大の恩恵のひとつで、
ものすごく有り難いことですし、
わからないままにするよりは、
断然いいのですが、
たしかに、
頭はあんまり使わなくなるかも(^^;
記憶の定着度に関しても、
たとえば、
手帳、タブレット、スマホに
それぞれスケジュールを
書き込むのを比較すると、
手帳に書き込むのが、
やはり記憶力が優位に働くようです。
(MRIの脳活動の測定結果による)
酒井教授はこう述べます。
「デジタル文字が
綺麗に並んでいる
タブレットを見ただけで、
わかったような気に
なってしまう。
一方、
自分が書いた文字は
不完全なので、
自ら考えて
結論を出さなくては
なりません」
教科書に
付箋をつけることも含めて、
その学習プロセスにこそ
意味がある。
学習プロセスを踏むことが、
考えることにつながり、
記憶も定着する・・・
実感として、分かる気がします(^^;
やはり、記憶に定着されるためには、
書くことが大事。
私は、最近、
スマホやノートパソコンで
メモを取ることが多くなりましたが、
(手帳は、まだ紙を使っていますが)
手書きで書くことも大切にしたいと
改めて思いました。
今、教科書のデジタル化の是非が
議論されていますが、
紙をなくすのではなく、
デジタル、紙のそれぞれの利点を生かして、
併用していくのが、
最も、子どもたちにとって
利点が多いような気がします。
本書には、
「待つことの価値」
も述べられています。
著者の体験談を引用します。
クラスに
計算がとても遅い
Tくんという子がいた。
毎回計算にすごく
時間がかかるのだが、
その間他の生徒は
いつも先生にこう言われて
待たされていた。
「T君が終わっていないから、
みんなちょっと待っていて」
と。
この時の
「待つ」という体験に、
これほど価値を感じる時が
来るとは、
あの時は思いもしなかった。
今の教育は
先生だけでなく、
親も待てなくなっている。
待てないからすぐに結果を求め、
それを子供が出せないと、
自分自身まで責めてしまう。
今、母親による虐待が
ニュースになると、
SNSにはすぐに
母親を責める声が溢れる。
けれどそこで立ち止まり、
「なぜそこまで
追い詰められたのだろう?」
と想像力を駆使してみると、
別の思いが浮かんでくる。
他人に助けを求められず、
すぐに結果を出せない自分を
自分自身が待ってあげられず、
焦るあまりに
子供を虐待してしまったのかも
しれない、と。
社会全体が待てなくなってきている。
スピードこそが
価値を持つ世界の中で、
私たちは
「早くしないと置いていかれる」
と急がされる。
デジタルが
社会生活の中心になると、
ますますそれに歯車が
かかるだろう。
私自身、耳が痛いです(^^;
私は、どちらかというと、
もともと、
せっかちなタイプなような気がしますが、
最近、特に、
待てなくなってきたという自覚があります。
ネット検索で、
ほんの数秒、ぐるぐる待たされるだけで、
「遅い・・・」と感じてしまったり、
駐車場の出口の精算で、
もたもたしている人がいると、
特に急いでいる訳でもないのに、
ちょっとイライラしてしまったり・・・
せこい話ですみません(^^;
教室では、
自分とは違う能力を
持っている人がいる。
でも計算が遅い子が、
例えば図画の授業では
自分や他の子よりも
絵がうまかったりする。
だからそこで切り捨てず、
「この子はこれが苦手だけど、
それも一つの個性だね」
と認めて待てる先生を
作り出す環境を学校が与え、
社会がそれを
受け入れられるかどうか。
そうした「公教育の精神」と
デジタルの間の溝や軋みが、
これから次々に
露呈してくるだろう。
そうですね・・・
あまりにもデジタルによる
効率性が重視されると、
教室という名の空間における
「多様性」というものが、
失われる可能性があるような気がします。
デジタルを、
「多様性を尊重する」方向で、
うまく活用できればいいですね。
今や公民館や図書館も、
街の本屋もどんどん減って、
多様な人が集まれる場所が
次々に消えている。
地域コミュニティーも
機能していないところが多く、
子供だけでなく
大人にとっての
パブリックなプラットフォームまで、
私たちは失いつつある。
色々な立場の、
自分とは違う考えを持つ他者と
同じ空間にいることが、
自分だけでなく
社会にとっても大切なのは、
想像力を使って、
他者に共感する訓練を
せざるを得ないからだ。
子供は、
「こいつ変な奴だな」
と思っても、
物理的に同じ空間にいることを
受け入れる。
それによって
他者への想像力や、共感力、
待たせることと許されること、
それらを体験するうちに、
いつしか海の向こうの
見知らぬ誰かの痛みまで、
心で感じる力が
育まれていく。
なるほど・・・
多様な人と空間を同じくすることが、
想像力や、共感力、受容力を養うことになる。
子供たちは、もちろんのこと、
私たち、大人もそうですね。
それが、
身近なところから広がって・・・
いつしか、海の向こうの、
見知らぬ誰かの痛みまで、
感じる力となる・・・
「教育」をテーマに、
解説してきましたが、
私自身の「あり方」についても、
いろいろと考えさせられました(^^;
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以上、3回にわたって、
堤未果さんの
を紹介してきました。
この本は、
海外の巨大テック企業によって、
日本の「行政」「金融」「教育」が
乗っ取られる脅威があると
述べられているのですが、
「行政」「金融」については、
触れられなかったので、
興味がある方は、
是非、本書をお読みください。
なかなか刺激的でおもしろいですよ!
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回は、別の本を紹介いたします。
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おまけ
平日の金曜日に休みが取れました!
天気もよかったので、
ぶらっと鎌倉を散策しました(^^)
杉本寺、
十一面観音さまがいらっしゃいます。
本堂の中には(コロナの影響?で)入れなくて残念。
宝戒寺、
素敵な地蔵菩薩さまがいらっしゃいました。
鶴岡八幡宮、
いつも混んでいますが、
平日のせいか割と空いていました。
(土日は、大河ドラマの影響もあり、
混みあうかもしれませんね)
梅(?)が咲いていましたよ。
春の足音が聞こえますね😊














