ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

花粉症の皆さまには、

つらい季節ですね😣

 

私も、花粉症なのですが、

常にマスクをしているせいか、

まだそんなには悪化せずに

なんとか踏ん張っています。

 

が、そろそろやばいかも・・・(^^;

 

関東のスギ花粉の場合、

ピークは今月いっぱいでしょうか。

 

もうひと踏ん張りですね!

 

あと、昨日に、

ワクチン3回目接種をしました。

 

またもや副反応で発熱しましたが、

今日一日ゆっくり休んで、

だいぶ回復してきました。

 

金曜日に接種出来て、

土曜日にゆっくり休めることに、

感謝です(^^)

 

関係者の皆様、

有り難うございます。

 

 

で、今回紹介する本は、

 

パパラギ

 

 

ロングセラーなので、

既に読まれた方も

いらっしゃると思いますが、

 

今回、イラストが多い

絵本テイストの新版が出ましたので、

さっそく読んでみました。

(イラストがとても素敵です!

子どもたちでも読みやすいですよ)

 

どんなお話しかといいますと・・・

 

南太平洋・サモアの島の

族長(酋長)「ツイアビ」さんが、

100年前、

はじめてヨーロッパを旅した時に、

感じた印象をまとめたものです。

 

ちなみに、

「パパラギ」とは、

白人を差すのですが、

いわゆる文明人のことを

言っていますので、

私たち日本人も

「パパラギ」ですね(^^;

 

裏表紙の帯に、

「100年前にSDGsを先取りしていた」

とありますが、

まさに、そんな感じがします。

 

族長ツイアビさんが感じた、

素朴な疑問が、

なかなか鋭い文明批評に

なっているのですね。

 

印象的なところを引用します。

 

 

パパラギは、

自分たちの生活の

味けなさに、

じつは気がついている。

 

だからこそ、

さまざまな汁にひたした

毛を使って、

白いむしろの上に

きれいな絵を描き、

それ以外には

仕事をしないという、

変わったパパラギが

いるのだろう。

 

彼らは、自然の大きな力が

作った物を、

色あざやかに、

喜びをこめて描く。

 

・・・

 

 

絵描きさんのことですね(^^;

 

族長から見れば、

リアルな自然を見れば

もっといいのに

という感じでしょうか。

 

 

パパラギは

私たちのところにも、

彼らの物を

持ってきたがっている。

 

「物があれば、

きみたちはもっと

働くだろう」

と彼らは言う。

 

パパラギの言葉は

バナナのように甘い。

 

だが、

物は毒を塗った矢だ。

 

私たちは

自然の大きな力が

作った物のほかは、

物などほとんど

必要ではないことを

忘れてはいけない。

 

 

100年前に、

これからのSDGsの時代を

先取りしているような発言ですね。

 

文明人と、南の島の族長、

どちらが進んでいるのか分からない。

(インディアンもそうですね)

 

実際、歴史を振り返ると、

未開の地に、

文明人が物欲を持ち込むことで、

せっかくの平和な世界に、

争いや堕落が生じてしまったケースも

あったようです。

 

 

自然の大きな力が

作った物を

「自分の物だ」

と言い張るパパラギに、

大自然は敵を送った。

 

湿気と熱。

火や嵐。

 

これでパパラギの

「私の物」は、

やがて古くなり、

腐ったり、

なくなったりする。

 

 

大自然は敵を送った・・・

 

おもしろい表現ですね(^^;

 

 

そうしてパパラギの心には、

植えつけられてしまった。

 

「私の物」

をなくしはしないかという

恐怖と不安が。

 

そのため、

パパラギはぐっすり

眠ることができない。

 

もっと重い罰は、

「私の物」を

持っている人と

持っていない人の

戦いだ。

 

この戦いが

たくさんの人を

苦しめている。

 

パパラギが

その仲間を大切にし、

「私の物」「あなたの物」

の取り合いで戦うことを

やめたければ、

「私の物」を

分けあえばいいのに。

 

 

そうですね、

 

「私の物」に執着しすぎると、

たしかに、

失うことへの不安を感じます。

 

だから、

分けあえばいい・・・

 

というのは理解できますが、

自分事として考えると、

実際は、

なかなかできないかも(苦笑)

 

やっぱり、

先の見えない今の時代、

 

ある程度は、

(お金も含めて)

持っていないと不安かも・・・

 

というのが

正直なところです(^^;

 

 

自然の大きな力によって

たくさん物をもったら、

仲間に分けてやらなくては

いけない。

 

誰かひとりが、

「私は日なたにいる。

おまえは日かげに行け」

というのも

大自然の心ではない。

 

みんなが

日なたに行くべきである。

 

 

「みんなが日なたに行く」

 

近年、議論されている、

ベーシックインカム

を想起しました。

 

「政府がすべての人に、

一定の現金を定期的に支給する」

制度のことですね。

 

コロナ禍で、

国民全員一律10万円が

給付されたのも、

一時的なベーシックインカムと

いえそうです。

 

そりゃあ、

いただけるものは、

もちろんウェルカム!

ですが(^^;

 

でも、

財源は・・・?

インフレの心配は・・・?

 

と、ふつう考えますが、

実は、そんなにリスクはなく、

むしろ、

GDPも上がって、

日本経済は復活するというのです(^^)

 

この本に書いてありました。

 

毎年120万円を配れば日本が幸せになる

(井上智洋さんと小野盛司さんの共著、 

なかなかおもしろかったです!)

 

ベーシックインカムに関しては、

もともと、私、懐疑的でしたが、

 

山口周さんの本を紹介した、

過去ブログ、

 

 

でも、少し取り上げたように、

最近は、実現可能なのではないか、

いや、実現したほうがいい!

 

と思うようになりました(^^;

 

 

パパラギの世界では、

人間の重さをはかるものは、

気高さや勇気や

心の輝きではない。

 

一日にどのくらい

お金を作るか、

どのくらいお金を

箱にしまっているかなのだ。

 

私たちは何も持っていない。

 

私たちのところには、

箱いっぱいの

丸い金属や強い紙はない。

 

パパラギに言わせれば、

私たちは貧しくてみじめな

人間たちだ。

 

だがしかし!

 

私たちの目を

金持ちの紳士とくらべてみよう。

 

彼らの目はかすみ、

しょぼしょぼとしているが、

私たちの目は

太陽のように輝いている。

 

喜びに、

力に、

いのちに、

そして健康に

あふれて輝いている。

 

私たちのような目は、

パパラギの国では

子どもだけしか持っていない。

 

言葉をまだ話せなくて、

お金のことを知らない

子どもだけしか。

 

 

知り合いの管理職の、

将来有望な部下が、

会社を辞める理由として、

こんな言葉をつぶやいたそうです。

 

「周りの人たちの目が死んでいる・・・」

 

考えさせられる言葉ですね。

 

 

本音を言えば、

私、お金は大好きで、

もちろん、

あるに越したことはないと

思っています。

 

あれば、

心に余裕もできますし(^^;

行動の選択肢も増えます。

 

が、しかし、

 

本来、お金は手段、

目的ではない。

 

それを使って何をするのかが

問題である・・・

 

「みんなが日なたに行く世界」

 

どうすれば実現できるのか、

考えていきたいと思いました😊

 

 

-----------------------------------------

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回も、この本の解説を続けます(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

養老孟司さんの

「~の壁」シリーズ最新刊!

 

ヒトの壁

 

 

を読んで、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で、

最終回です(^^;

 

今回は、

表紙の帯にも登場している、

養老先生の愛猫、

 

「まる」

 

について、

引用しながら、

いろいろと考察を

深めていきたいと思います(^^)

 

 

まるは雄の

スコティッシュ・フォールドで、

耳が少し垂れて

折り畳まれているのが

特徴だ。

 

顔が丸いから

「まる」。

 

四肢は短く太い。

 

娘が奈良のブリーダーから

もらってきた。

 

 

このまるが、

18歳で天寿を全うしたのですね。

 

在りし日のまるは、

下記、ユーチューブ、ご覧ください。

 

癒されますよ~😸

(どすこい座り、笑えます)

 

 

 

で、本書には、

「ヒト、猫を飼う」

という章で、

まるについて、

詳しく紹介されているのですが、

 

そこから、

印象的な文章を紹介します。

 

 

猫なんて、

役に立つわけではなくて、

迷惑をかけるだけの

存在のはずだ。

 

でも、多くの人が

そんな迷惑をかけるだけの

存在を必要としているとも

言える。

 

私もその一人だったのだ。

 

だいたいうちのまるときたら

動かないし、

ネズミを捕れるはずもない。

 

でも、だからこそ、

あれでも生きているよ、

いいんだよねと思える。

 

 

私も猫を

飼っているのですが、

 

猫を見ていると、

たしかに、

「いいんだよね」

と、何だか気が楽になる

感じがします(^^;

 

 

体重四キロちょっとの

存在なのに、

そう思わせてくれていた。

 

これだけ

飼っている人が多いのは、

役に立つか

儲かるかといった

存在ばかりが

重視される社会で、

実際の人間関係の

辛さの裏返しでは

ないかと思う。

 

そういう存在に

どれだけ

心を癒されているのか。

    

 

そうですね・・・

 

何もしない、

というか、

 

無邪気で、

ありのままの姿を見ていると、

とても癒されます(^^;

 

 

生前は、

よく寝ていた縁側を

ふっとみると

やっぱりそこで

寝ているもんだから、

それでこちらの気が

安まった。

 

今はそれがないので、

いるつもりになるしかない。

 

まるの定位置を

見てしまう癖が

一番抜けない。

 

おまけに、

寝ているまるの頭をたたく

癖があった。

 

でもまるはもういない。

 

しょうがないから、

今はお骨をたたいている。

 

家内は、

私の骨壺と一緒に埋めようと

思っているらしく、

まるの骨壺を身近に置いている。

 

まるという猫は

なんだったのか。

 

いなくなっても、

距離感や関係性は変わらない。

 

今も、

いつもの縁側の窓辺に

まるがいそうな気がする。

 

頭をたたいて

「ばか」と言えるのは

まるだけだった。

 

それがもう口癖だったので、

もし再開できたとしたら

「ばか」といってやろうと思う。

 

享年十八。

 

でも私は聞かれたら

十九でしたと言う。

 

十九歳まで

生きてほしかったから。

 

 

しんみりしますね・・・

 

私も、頭をたたいて

「ばか」と言えるのは、

飼い猫の

「宮音(みやお)」

くらいです(^^;

 

(妻にしたいところですが、

それをやったら、

大変なことになりますので(^^;)

 

「宮音くん、いてくれて有り難う」

 

という気持ちになりました(^^;

 

 

・・・別の本になりますが、

 

猫に関して触れられている、

ある本を想起しました。

 

小説家、白石一文さんの

問題作、

 

この世の全部を敵に回して

 

(これは単行本、今は文庫出てます)

 

帯に、

二十一世紀の「人間失格」

とあります(^^;

 

タイトルからしても、

覚悟が感じられ、

内容的にも、

容赦ない感じなのですが(^^;

 

こんな一節があります。

 

 

ハチは完全室内飼いの

猫だった。

 

ハチと過ごした

十数年のあいだ、

毎日毎日、

狭い家の中で眠るか、

エサ(それは死ぬまで

同じ種類のフードだった)

を食べるか、

排泄をするかだけで

他に何もすべきこともなく、

いかにも無為な日常を送る

ハチを眺めながら、

 

私は、

一体彼の一生というものに

どんな意味があるのだろうかと

しばしば思った。

 

ハチは私たちに

大いなる慰めと癒しを

与えてくれたが、

 

それはハチ自身が

意図して行ったものではなく、

単にハチが

存在していることだけで

私たちが一方的に

受け取ったものであった。

 

ハチはただ

毎日同じ行動を

繰り返しながら、

与えられた寿命を

穏やかに

まっとうしたにすぎない。

 

しかしそんなハチに対して、

私も私の家族も

存分の愛情を注いだと思う。

 

狭い家に閉じこめられ、

自分がなぜここにいるのかも、

どうしてこの家族たちと

暮らしているのかも知らず、

 

それでも

そこにいてくれるだけで

私たちを慰めてくれた

ハチに対して、

 

私たちには

愛情を注ぐ以外に

してあげられることが

何もなかったのだ。

 

 

そうなんです。

 

猫に対して、

私たちは、愛情を注ぐ以外に、

できることはないんですね(^^;

 

猫(に限らずペット)は、

私たちの中に眠っている愛情を

呼び起こしてくれる存在なのかと

思います。

 

 

私たち家族は、

他に何もできないゆえに

ハチを心から愛したのだった。

 

そしてハチが

先に逝ってしまったとき

(それは最初から

予想されたことだ)、

私たちは深く悲しんだ。

 

私たちはハチの一生に

一体どんな意味があるのか

最後まで分からなかったが、

 

分からないからこそ

彼をただただ

可愛がったのである。

 

私は思う。

 

愛とは本来

そうしたものではなくては

ならないのだと。

 

 

何か意味があるからではなく、

いや、むしろ、

それが分からないからこそ、

ただただ可愛がる・・・

 

たしかに、

そういうことが、

「愛」なのかもしれません。

 

 

(中略)

 

愛とは

何か特別の価値が

あるものではない。

 

無意味に生かされている

完全に無力な

私たちにできる、

それはたった一つの

能動的な行為なのだ。

 

 

ささやかな愛情こそが、

無力な私たちのできる、

能動的行為・・・

 

 

だから私は

あなたに警告したい。

 

愛を大きなもの

素晴らしいものとして

声高に語る人間たちを

信じてはならない。

 

彼らは

愛を特別なものに

仕立て上げ、

私たちの日常から

それを遠ざけようと

しているのだ。

 

そういう者たちは、

たとえば

愛に優先順位を

つけようとする。

 

愛に形容詞を

かぶせようとする。

 

愛を

幾つもの種類や品質に

分けられる

商品めいたものに

しつらえようとする。

 

男女の愛、

親子の愛、

家族愛、

人間への愛、

ペットへの愛、

自然への愛、

故郷への愛、

民衆への愛、

国家への愛、

世界への愛

 

―彼らは

愛を細分化し、

時と場合によって

その中のどれを

優先すべきかを

私たちに迫ってくる。

 

そうした言説に

私たちは惑わせれては

いけない。

 

 

愛を大きなもの、

素晴らしいものとして、

特別なものに仕立て上げることによって、

愛を日常から遠ざける。

 

そして、愛に優先順位をつけ、

商品めいたものにしつらえる。

 

なるほど・・・

 

 

私たちが戦場に行って

敵軍と戦うとき、

 

私たちは人間愛と

家族愛とを

天秤にかけさせられて

いるのだ。

 

動乱や戦火の中で

誰かを守るために

生み出される愛情は、

ほんとうの愛情ではない。

 

それは死の恐怖が

呼び起こした

感情の乱れでしかない。

 

そうやって生じる

感情の乱れによって、

私たちの心は

「愛情まがいの強いエネルギー」

を算出されるように

プログラムされている。

 

私たちは、

釈迦やキリストが

なぜあれほどしつこく、

「感情の抑制」

を説いたかを

もっと考えるべきだ。

 

釈迦がどうして、

「妻子、親、朋友

すべてを捨てて、

犀の角のようにただ独り歩め」

と繰り返し説いているのかを

真剣に検討するべきだ。

 

感情の振幅によって生まれる

「愛情まがいの強いエネルギー」

は一体何者によって

利用されてきたのか?

 

 

う~ん・・・

 

今のご時世、

いろいろと考えさせられます。

 

 

私たちの感情を

激しく揺さぶるようなもの

(戦争や犯罪、

さらにはそれらを

成敗するための

正義の戦い)

に私たちを追いやろうと

する者に従っては

ならない。

 

まして手を貸しては

ならない。

 

愛とは、

他に何もできることのない

私たちが、

ハチに向かって

そうしたように行う

ささやかなものでしかない。

 

密やかで力なく、

日常的なものである。

 

飾り立てたり

順位づけられたり

するものではない。

 

 

私たちの感情を、

激しく揺さぶるもの・・・

 

たとえば、

「正義の戦い」と「特別な愛」

は似ているような気がします。

 

戦いは、勝てば官軍。

勝者が正義となる。

 

絶対的な正義など、

ないわけです。

 

そう考えると、

「大きな愛」「素晴らしい愛」

といった、

「特別な愛」

というのは、

ほんとうの愛では

ないのかもしれない・・・

 

 

ほんとうの愛とは、

死すべき運命を

背負わされた

全部の生き物への

憐憫である。

 

それがすべての愛の

源流である。

 

愛は死すべき私たちへの

小さな励ましなのだ。

 

だからこそ愛は、

どんな人間や生物にも

平等に注がれる。

 

善人であろうが

悪人であろうが、

死すべき定めに

何ら変わりはない。

 

あらゆる死すべき

存在へと向けられた

無限大の哀しみこそが

愛の本質なのだ。

 

(中略)

 

愛情とは

憐憫であり哀れみである。

 

 

愛とは、

死すべき生き物に対しての、

小さな励ましであり、

憐憫であり、哀れみである・・・

 

そうですね。

 

愛とは、そういった、

日常的で、

ささやかなものかもしれません。

 

猫に愛情を注ぐような、

いや、猫だけでなく、

身近な人たちや、

もちろん自分自身にも・・・

 

私は、

特に若い頃は、

愛とは、

やっぱり男女の

情熱的な恋愛のことでしたし、

広くとらえると、

大きくて、偉大な物語のようなものだと

思っていた時期があります。

 

あまり、

日常的でささやかなものだとは、

考えていなかった。

 

しかし、

白石一文さんの本をはじめ、

いろいろな本を読む中で、

それは、

「ちょっと違うのではないか」

と思うようになり、

1年半前から、

猫を飼うことによって、

 

ほんとうの愛とは、

身近で、ささやかなものかもしれないと、

リアルに感じられるようになりました。

 

今回、

養老先生の本を読んで、

その思いが強くなりました(^^)

 

 

 

--------------------------------------------

 

 

 

以上、

 

後半は、

白石一文さんの

 

この世の全部を敵に回して

 

からの引用が多くなり、

テーマが「愛」という、

大袈裟な方向になってしまいましたが(^^;

 

養老孟司さんの

「~の壁」シリーズ最新刊!

 

ヒトの壁

 

 

を3回に渡って、

紹介・解説してきました。

 

知的好奇心が掻き立てられ、

一方で、

何だか「ほっ」とできる本だと思います(^^)

 

猫好きの方にも、おすすめします!

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を紹介します。

 

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

 

 

宮音(みやお)です😸

 

(いてくれて、有り難う・・・)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

養老孟司さんの

「~の壁」シリーズ最新刊!

 

ヒトの壁

 

 

から、

私の印象に残った箇所を取り上げて、

紹介、解説しています(^^)

 

前回は、

 

「人間関係」のみの世界だと、

息苦しくて、窮屈な場合もある。

 

もう一つの世界、

「花鳥風月」

すなわち、

「自然」を味わうことで、

視野が広くなり、癒される。

 

という、

養老先生の説を紹介しました(^^)

 

今回は、

それをもう少し掘り下げてみます。

 

 

「ああすれば、こうなる」

が成立するように

人は社会を構築する。

 

それが都会である。

 

意識の産物であり、

理屈が重視される。

 

その理屈通りに

ならない可能性のあるものは、

徹底して排除する。

 

だから都会には

人工物しかなくなってしまう。

 

私はときどき

それを指摘してみるが、

世間にはほとんど通用しない。

 

オフィスには

意味のないものを

置いてみるといいですよ、

と言ったこともあった。

 

意味のあるものだけに

囲まれているのは

むしろ不自然なのだ。

 

しかし、

実行する人は少ない。

 

オフィスにも都会にも、

いつまで経っても

人工物しか置かない。

 

 

そうですね~、

 

理屈通りのもの、

意味のあるもの、

人工物・・・

 

都会やオフィスには、

それらが溢れていますが、

たしかに、それだけだと、

どんなに、清潔で美しい空間でも、

何だか、落ち着かない、

「ほっ」とできないような気がします。

 

たとえば、

少し、樹木や植物が

あったりするだけで、違う。

 

自宅も、

あまりにも整い過ぎ、

機能的すぎると、

かえって居心地が

よくないような気がします。

 

(といいつつ、

自分のあまりにも乱雑な部屋を

正当化しているのですが(^^;)

 

こんな文章があります。

 

 

森は文化ではない。

しかし森に来る人たちが

よく言うことだが

「癒し」

になるという。

 

私は

「癒し」という言葉が

好きではなかったが、

年中それを聞いているうちに、

文化と癒しは

関係が深いと

思うようになった。

 

つまり

実社会での生活は、

それなりのストレスを与える。

 

特に都市社会の場合には、

ストレスが高いであろうことは、

日常経験することである。

 

文化はその

「癒し」として機能する。

 

芸術、

特に音楽、絵画などの

いわゆるアートは、

まさに癒しとして

機能している。

 

都市生活が

発展するとともに、

不要不急の文化芸術が

栄えるのは、

都市に経済的な余裕が

あるからだけではなかろう。

 

ストレスの多い

社会生活に対する癒しとして、

どうしても必要になると

思われる。

 

 

機能的な都市社会

だからこそ、

「癒し」として、

不要不急の文化芸術が

必要とされる。

 

実感として、

わかる気がします。

 

私も都市生活者ですが、

私の場合は、

たとえば、

好きな音楽を聴いたり、

古い時代の仏像を

鑑賞したりすると、

とても癒されます(^^;

 

もちろん、

自然と触れ合うことも。

 

そう考えると、

文化芸術や自然といった、

不要不急なものを

切り捨ててしまうと、

 

今の世の中、

ますます、

息苦しくなってしまう(^^;

 

養老孟司さんは、

たしか過去の本でも

述べていらしたと思いますが、

 

「平成の参勤交代」

 

という、

面白い説を提唱されています(^^)

 

 

都市生活に

没入することは、

心身の健康上

あまり好ましくないので、

頭と体のバランスを

保つうえで、

一年の中で一時期、

田舎暮らしをしたらどうか、

というものだ。

 

都市生活者が

一日のうちに

仕事の後で

ジムに通うようなことを、

もっと時期を集中して

田舎でやったらいかがかという

提案である。

 

アメリカ映画など見ていると

よくジョギングしているが、

どうせ走るなら

木の手入れなり、

農作業なり、

役に立つことをしても

いいのでは。

 

それなら田舎に

行けばいい。

 

 

一年の中で一時期、

田舎暮らしをする、参勤交代・・・

 

これ、いいですね~(^^)

 

私、ジムに籠って

ストイックに体を鍛えるのは、

あまり好きではなく、

自然の中を散策したり、

それは無理でも、

街中をウォーキングするほうが

好きなのですが、

 

田舎の自然の中で、

体を動かすって、いいですね!

 

田舎に移住(定住)する覚悟は、

なかなか持てませんが(^^;

 

一年の中で一時期だけなら、

バカンス気分で楽しそう!

 

こんなメリットもあります。

 

 

一方では

近年進行している

都市化を防止し、

地域居住を進める、

という狙いもあった。

 

ひょっとすると、

首都直下型地震が

来るようなことがあった時に、

しばらく避難する場所を

確保できるかもしれない。

 

 

コロナ禍という

外圧の影響ではありますが、

リモートワークが加速する中、

地方在住の価値が見直されています。

 

リスク回避という意味でも、

田舎暮らし、

 

そこまでいかなくとも、

都市と田舎を行き来する、

 

「参勤交代」

 

魅力を感じます😊

 

それはたしかに、

不要不急なことかもしれませんが、

 

人間らしく生きていくうえでは、

大切なことかもしれません(^^)

 

 

-------------------------------------------

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は、

養老先生の愛猫「まる」

 

 

を紹介しながら、

いろいろと考察していきます(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

養老孟司さんの

「~の壁」シリーズ最新刊!

 

ヒトの壁

 

 

で、私の印象に残った箇所を、

引用しながら、

紹介、解説していきます。

 

養老孟司さんの本を読むのは

久しぶりなのですが、

平易な文章のなか、

内容は、意外と難解で、

奥が深い印象を受けます(^^;

 

この本の、全体的なテーマは、

 

-----------------------------------

 

私の人生は、「不要不急」である。

 

いや、人生そのものが、

本来、「不要不急」なのではないか。

 

だが、その「不要不急なもの」にこそ、

意味があるのではないか。

 

-----------------------------------

 

ということかと、私は読み解きました。

 

たしかに、

養老孟司さんは、

専門は、解剖学で、

趣味は、昆虫採集(^^;

 

そういう意味では、

「不要不急」なのかもしれませんが、

しかし、

専門はもちろんのこと、

「~の壁」シリーズの著作などでも、

養老さんは、私たちに、

多大なる貢献をされています。

 

読者に対して、

また、

出版業界に対しても。

 

少なくとも、

決して、不要ではありません(^^;

 

「~の壁」シリーズの第一弾、

450万部突破!の

驚異のミリオンセラー、

 

バカの壁

 

 

(この時、新潮新書の創刊だったんですね、

2003年、懐かしい(^^;)

 

には、今でも、

私の印象に残っている箇所があります。

 

妊娠から出産までの

ドキュメンタリー番組のビデオを見た、

女子学生と男子学生の反応に、

大きな違いがあったというのです。

 

 

ビデオを見た女子学生の

ほとんどは、

 

「大変勉強になりました。

新しい発見が沢山ありました」

という感想でした。

 

一方、

それに対して、

男子学生は皆一様に

 

「こんなことは

既に保健の授業で

知っているようなことばかりだ」

という答え。

 

(中略)

 

どこからこの違いが

生じるのか。

 

その答えは、

与えられた情報に対する

姿勢の問題だ、

ということです。

 

要するに、

男というものは、

「出産」ということについて

実感を持ちたくない。

 

だから同じビデオを見ても、

女子のような発見が

出来なかった。

 

むしろ

積極的に発見をしようと

しなかったということです。

 

つまり、

自分が知りたくないことに

ついては

自主的に情報を

遮断してしまっている。

 

ここに壁が存在しています。

 

これも一種のバカの壁です。

 

(中略)

 

本当は、

色々と知らない場面、情報が

詰まっているはずなのに、

それを見ずに

「わかっている」と言う。

 

本当は何もわかっていないのに

「わかっている」

と思い込んで言うあたりが、

怖いところです。

 

 

自分が知りたくないことには、

自主的に情報を遮断してしまう。

 

これが

「バカの壁」。

 

そして、安易に、

「すでに、わかっているから」

と思い込んでしまう。

 

これは、

カウンセラーや、

経営者、管理職にとっても、

一種の戒めにもなると思います。

 

河合隼雄さんは、

「人の心など、わかるはずがない」

といいます。

 

もちろん、

だからといって、どうせわからないから

諦めろという訳ではありません。

 

安易に、わかったつもりになるな。

わかろうとする姿勢が

大切だということですね。

 

「バカの壁」

気をつけねば(^^;

 

ということで、少し脱線しましたが、

「ヒトの壁」に戻ります。

 

印象的な箇所を紹介します。

 

 

自分が日常を

生きていくときに

排すべきなのは

何かといえば、

 

「本日のコロナによる

死亡者何名」

という神様目線だと

考えている。

 

神様目線が

生存に有効になるような

社会を構築すべきではない。

 

 

「神様目線」とは?

 

別の箇所に書いてあるのですが、

統計数字のような抽象が、

(すなわち、

知っている人の死ではない数字が)

「事実」になってしまうこと、

 

自分の目で確認した

「事実」ではないから、

「神様目線」ということです。

 

 

神様目線の対極は、

前にも書いたが、

文学の目線であろう。

 

我が国の文学は

伝統的に花鳥風月を

主題としてきた。

 

当たり前だが、

花鳥風月は

ヒトではない。

 

(中略)

 

昭和初期

くらいまでは特に、

身の回りの自然の描写に、

小説の冒頭で何ページも

費やされていた。

 

 

そうなんですね~

 

たしかに、

俳句なんかもそうですね。

 

「花鳥風月」

の要素が大きいと思います。

 

 

今は人間関係ばかり。

 

相手の顔色を

うかがい過ぎてないか。

 

たかが人の分際で、

調和をはかろうと

しすぎていないか。

 

コロナが終わった後に

国民の中に

対人の仕事をするより

対物の仕事をする傾向が

育てばと願う。

 

具体的には

職人や一次産業従事者、

あるいはいわゆる

田舎暮らしである。

 

そういうことが

十分に可能であれば

国=社会の将来は

明るいと思う。

 

対人のグローバリズムに

問題は多いが、

対物のグローバリズムに

問題は少ない。

 

自然科学は

対物グローバリズムといっても

いいであろう。

 

物理法則は

言語や文化の違いで

変化しない。

 

対人より対物で生きる方が

幸せだと感じる人は

多いと思う。

 

 

なるほど~、

 

この場合の、

「自然科学」「対物」とは、

いわゆる、

「花鳥風月」

 

つまり、

広い意味での「自然」

のことかと読み解きます。

 

 

登校拒否児が

増えていると聞くが、

学校教育自体が

対人に偏っているからでは

ないかと危惧する。

 

いじめ問題の根源は

それであろう。

 

子どもたちの理想の職業が

ユーチューバーだというのは、

対人偏向を示していないか。

 

なにか他人が気に入るものを

提供しようとうする、

対人の最たるものであろう。

 

人が人のことだけに集中する。

 

これはほとんど

社会の自家中毒と

いうべきではないか。

 

人ばかりを相手にしていると、

私なんぞは疲れてくる。

 

だから猫のまるなのである。

 

 

「子どもたちの理想の職業が

ユーチューバーだというのは、

対人『偏向』ではないか?」

 

という発想は、

私の中には、なかったのですが、

本書を読んで、

なるほどと思いました(^^;

 

ユーチューバーといえば、

自由に伸び伸びと、

自分を表現するイメージがあって、

(私なんぞは、

とても恥ずかしくてできませんが(^^;)

 

それを、職業として目指すのは、

「素晴しいなあ~」

「今の子供たちは柔軟でいいな~」

 

と肯定的にとらえていたのですが、

 

たしかに、

「他人が気に入るものを

提供しようとうする」

 

言い換えると、

「相手の顔色をうかがい過ぎている」

 

ともいえるかもしれません。

 

そう考えると、

ユーチューバーが

対人「偏向」だというのも、

あながち、

的外れではないような気もします。

 

「人が人のことだけに集中する」

のは、

たしかに息苦しいかも(^^;

 

私も、仕事の人間関係や、

妻との関係(?)に疲れてくると、

「自然」と触れ合いたいという

衝動に駆られます(^^;

 

川に行ったり、

海を見たり、

山歩きをしたり、

富士山を眺めたりすると、

心が癒されます(^^)

 

野鳥や動物、

たまに、

鹿やリス、タヌキと遭遇すると、

(熊かと思って、一瞬ビビりますが(^^;)

何だか、嬉しくなります😊

 

 

対人関係だけだと、世界が窮屈で、

時には、息苦しくなる。

 

そんな時は、対物関係、

特に「花鳥風月」の世界、

「自然」に触れ合う。

 

そうすることで、

対人関係では決して

味わうことができない世界が広がる。

 

そして、癒される。

 

そんな気がします(^^)

 

 

・・・ということで、

次回に続きますが、

 

「猫のまる」については、

次回か次々回に取り上げますね(^^;

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

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葉山の森戸神社の先から、

海の向こうの富士山を望む🗻

 

石原裕次郎さんにちなんだ場所で、

記念碑もあります(^^)

 

 

絶景・・・

 

 

しばらく座って見とれてました(^^;

 

天気も良かったので、

思わず、靴下を脱いで足を・・・

 

 

・・・冷たかったけど、

気持ちよかったです😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

近所の書店さんで、

本好きな方にぴったりの、

面白い本を見つけましたよ!

 

100万回死んだねこ

 

 

 

 

・・・あれっ、

 

絵本好きの方はご存知でしょうが、

あの有名な絵本と、表紙が違う・・・

 

 

これは、

100万回生きたねこ

 

 

・・・よく見ると、

タイトルも違う?

 

そうなんです(笑)

 

この本、

100万回死んだねこ

は、

福井県立図書館が、

利用者さんの「書名の覚え間違い」を、

司書さんが探偵のように探り当てて

解決したという事例が、

おもしろおかしく、

紹介されている本なのです(^^)

 

 

利用者:

「100万回死んだねこ」

貸してください。

 

・・・

 

司書:

「100万回生きたねこ」

ですね。

 

 

・・・(笑)

 

たしかに、この絵本、

ねこが100万回死んで生きた、

輪廻転生のような話なので、

内容的には間違いではないのですが・・・(^^;

 

こういった

くすっと笑える事例が本書には満載です。

 

ということで、

紹介していきたいと思いますが、

 

あまり多く紹介してしまうと、

ネタバレになってしまうので、

特に私が笑えた事例のみ、

紹介していきますね(^^;

 

 

利用者:

夏目漱石の「僕ちゃん」

お借りできます?

 

・・・

 

司書:

「坊ちゃん」

でよろしいですね。

 

 

何だか、微笑ましい(^^)

 

 

利用者:

「蚊にピアス」

はどこにありますか?

 

・・・

 

司書:

「蛇にピアス」

ですね。

 

 

金原ひとみさんの

2004年芥川賞受賞作品。

(懐かしい~)

 

「蚊(か)」ではなく、「蛇(へび)」。

確かに、漢字、似ていますが(^^;

 

それにしても、

「蚊にピアス」って、

どんな(笑)

 

 

利用者:

村上春樹の

「そば屋再襲撃」

はありますか。

 

・・・

 

司書:

「パン屋再襲撃」

ですね。

 

 

なにゆえに、

「そば屋」に変換された?(笑)

 

 

利用者:

「衝撃の巨人」

ある?

 

・・・

 

司書:

「進撃の巨人」

ですね。

 

 

たしかに、

ニュアンスはちょっと近いかも(^^;

 

 

利用者:

カフカの「ヘンタイ」

ってあります?

 

・・・

 

司書:

「変身」ですね。

 

 

・・・(笑)

 

これ、口に出すの、

勇気入りますね(^^;

 

 

利用者:

ドラマでやってた

「100リットルの涙」

ってあります?

 

・・・

 

司書:

「1リットルの涙」

ですね。

 

 

100リットル?

どんだけ(笑)

 

 

利用者:

カズキ・イシダの

「わたしを探さないで」

ありますか?

 

・・・

 

司書:

カズオ・イシグロの

「わたしを離さないで」

ですね。

 

 

カズキ・イシダって誰だ?

 

この人、

失踪願望があるのでしょうか(^^;

 

 

利用者:

「人は見た目が7割」

って本は置いてますか?

 

・・・

 

司書:

「人は見た目が9割」ですね。

 

 

たしかに、

7割ぐらいのほうが、

気がラクですが(^^;

 

 

利用者:

「人生が片付くときめきの魔法」

を探しています。

 

・・・

 

司書:

「人生がときめく片付けの魔法」

でしょうか。

 

 

・・・私、ぱっと見、

間違いがよくわからなかったのですが(^^;

 

「人生が片付く・・・」

たしかに、

そんな魔法があったらいいかも(笑)

 

 

利用者:

池波遼太郎の本は、

どこにある?

 

・・・

 

司書:

司馬遼太郎

もしくは

池波正太郎

のことかと思いますが・・・

 

 

これ、どっちだ?

という感じですね(^^;

 

 

利用者:

へのかっぱ

みたいな名前の

作家の本 ある?

 

・・・

 

司書:

妹尾河童ですね。

 

 

はい、これで、

意外と通じると思います(^^;

 

・・・

 

と、このあたりにしようと思いますが、

最後に(^^;

 

 

利用者:

だいぶつじろう

の本ある?

 

・・・

 

司書:

大佛(おさらぎ)次郎ですね。

 

 

大佛(おさらぎ)次郎・・・

 

正直に言います。

 

恥ずかしながら、

私、つい最近まで、

大佛(だいぶつ)だと思っていました(・・;)

 

けど、これ、

覚え違いの定番みたいで、

少しホッとしましたが(^^;

 

以上、

私が、面白いと思った、

「覚え違い」のいくつかを紹介しましたが、

まだまだ本書には、

たくさんの事例が紹介されています。

 

皆さんも、きっと、必ずひとつは、

クスっと笑える事例があると思いまよ。

 

そういえば、昔、

言いまつがい

という、糸井重里さんの、

とてもおもろい本がありましたね。

 

たぶん、まだ本棚の奥にあるはずなので、

引っ張り出してみようかな(^^;

 

今の息苦しい時代には、

こういう、クスッと笑える本を読むのも、

いいかもしれませんね😊

 

それにしても、

書名が間違っていても、

かなりの高確率で、

本を探し当てる司書さんって、

すごいですね!

 

ある司書さんが、

司書を目指した理由として、

こんなことが書かれています。

 

 

(司書課程の)

講義はいつも、

 

「図書館は民主主義の

砦なんです」

 

という一言から始まりました。

 

先生いわく、

 

「住民はいつでも誰でも

無料で情報にアクセスできる。

 

それを保証するのが、

図書館です。

 

だから図書館は

民主主義の砦なんです」

と。

 

毎回毎回、

熱を込めて語られる

言葉に触れているうちに、

自分にもその情熱が

燃え移ってきて、

司書を目指すことに

決めました。

 

 

なるほど~

図書館は、

「民主主義の砦」だと、

熱い志をもっている司書さんがいる。

 

たから、

多少、間違った書名でも、

なんとか探し当てようという

プロフェッショナルな意識を、

お持ちなのかもしれませんね。

 

 

働き出して

カウンターに立つなかで

わかってきたのは、

本が好きで詳しいことや、

図書館全体について

勉強することは

司書ならば、ごく当たり前。

 

それ以上に、

本を提供するためには

利用者とちゃんと

コミュニケーションをとって

いろんなことを聞き出さないと

まったく仕事にならないと

いうことでした。

 

そこがしっかりしていないと

頼ってもらえる職業人には

とてもなれないな、

と思いました。

 

以来、その点は

胸に刻んでいます。

 

 

「利用者とちゃんと

コミュニケーションを取る」

 

グーグルで検索しただけでは、

うまくヒットしない、

覚え違いもあると思います(^^;

 

そう考えると、

司書さんって、ほんと有り難い存在ですね😊

 

 

ということで、

そろそろ、終わりにしようと思いますが、

身近な人から聞いた、

「覚え違い」

を、ふと思い出しました。

(書名ではないですが(^^;)

 

紹介します(^^;

 

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妻:

「しあわせはじぶんのこころがきめる」

の人って誰だっけ?

 

妻の妹さん:

ああ、「せんだみつお」でしょ。

 

・・・

 

「相田みつを」です。

 

ナハ ナハ!

 

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友人A:

キューバ革命の有名な首相って?

 

友人B:

あ、「スカトロ首相?」

 

・・・

 

「カストロ首相」です。

 

紳士淑女の皆さま、

大変、失礼をいたしました<(_ _)>

 

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友人:

そこに駐車場あるよ。

 

私:

いや、げっきょく(月極)って書いてあるから、

とめられないでしょ。

 

・・・

 

つきぎめ(月極)です。

 

恥ずかしながら、

私、いい歳になってから、

正しい読み方を知りました(^^;

 

 

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このへんにしておきます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、別の本を、

紹介します。

 

 

100万回死んだねこ

の見返しをめくったところ、

 

講談社さん、芸が細かい(笑)

 

 

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追伸

 

 

「100万回も死ぬのは、いやだにゃ・・・💤」

by 宮音😸