ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

猛暑が続いておりますが、

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

私、新型コロナにかかってしまいまして・・・

 

もう熱も下がっており軽症なのですが、

皆さま、

くれぐれも油断なきようにしてくださいね。

 

 

で、本題に入ります(^^;

 

このブログでは

あまり触れてはいないのですが、

 

私には、

(産業)カウンセラーとしての

顔もあります。

 

今、さらにその上位資格を取得すべく、

研鑽に励んでいるところですが、

 

その中で、課題図書のひとつとして

挙げられている本が、

皆さまにも有益だと思ったので、

今回、シェアさせていただきます(^^)

 

図解 やさしくわかる認知行動療法

 

 

図解が多くて、

とても分かりやすい本です。

 

監修者(のひとり)は、

東京家政大学教授 福井至先生。

 

認知行動療法の世界では、

有名な先生ですね。

 

ちなみに、

カウンセリングの理論は、

一般的には、

大きく3つに分けられると

いわれておりまして、

(諸富先生の表現をお借りします)

 

(1)「精神力動論」

 

フロイトの精神分析が代表的ですが、

いわば、

「(幼少期からの)

過去から解放されるアプローチ」

です。

 

(2)「認知行動論」

 

行動療法に、

アーロン・ベックの認知療法や、

アルバート・エリスの論理療法などを

統合した、

いわば、

「練習するアプローチ」

です。

 

(3)「自己成長論」

 

「受容・共感・自己一致」

のカール・ロジャーズに代表される、

「人間性心理学」に、

トランスパーソナル心理学も

含んだものですね。

 

「自己実現の心理学」

いわば、

「自分らしく生きるための心理学」

ともいえます。

 

で、私のカウンセリングスタイルは、

(3)を中心としながらも、

(1)や(2)も取り入れた形の、

統合アプローチなのですが、

 

この中でも、

(2)の「認知行動療法」は、

比較的自分一人で取り組みやすい、

いわゆる「セルフカウンセリング」も

しやすいものなので、

今回、紹介させていただきます。

 

ちなみに、

諸富先生の本には、

(1)の「精神力動論」は、

ドロドロ系、

(2)の「認知行動療法」は、

さわやか系と書かれています(^^;

 

たしかに、

「認知行動療法」は、

(どれもしっかりとエビデンスはありますが)

最も科学的な匂いがするというか、

 

医師が行う場合は、

保険適用もされるということもあるし、

 

一番、怪しく(?)ないかもしれません(^^;

 

で、さわやか系の

「認知行動療法」なのですが、

 

わかりやすい言葉でいえば、

 

「気持ちをつらくする考えかた

(認知)のクセを変える心理療法」

 

だといえます。

 

私たちには、どうしても、

考え方、ものの味方のクセ

というものがあります。

 

もちろんそれは、

いい・悪いではなく、

その人の個性ともいえるのですが、

 

ただ、そのクセが、

気分がつらくなる考えかた、

すなわち、非適応的認知の場合、

 

日常生活に支障をきたしてしまう

こともあるので、

 

その認知を適応的なものに

変えていきましょう、

ということです。

 

たとえば、

仕事でミスをしてしまった場合、

 

「何をやってもうまくいかない・・・」

 

とパッと頭に浮かんでしまう方も、

いらっしゃるのではないでしょうか。

 

これが、非適応的認知、

いわゆる「自動思考」といいいます。

 

 

「何をやってもうまくできない」

と決めつけるのは簡単ですが、

大切なのは客観性です。

 

現実的に考えて、

すべての面で

必ず失敗するというのは、

むしろ難しいことです。

 

 

たしかに、

そうですね(^^;

 

 

しかし、

このように現実を

ゆがめて見るような

非適応的な認知を、

 

じつは多くの人が

もっているのです。

 

こうした認知が

頭のなかにあると、

 

自分の不完全さや

うまくいかないことばかりに

目がいき、

 

つらい感情を抱えこむことに

なってしまいます。

 

「何をやってもうまくできない」

といった非適応的な認知を、

 

「たまには失敗するが、

うまくできていることもある」

 

という適応的な認知に

変えることができれば、

 

つらい感情に悩まされることも

なくなっていきます。

 

 

非適応的な歪んだ認知、

「何をやってもうまくできない」

適応的な客観的な認知、

「たまには失敗するが、

うまくできていることもある」

に変えるということですね。

 

 

たとえば

上司とすれ違ったときに、

上司が挨拶してくれなかったと

します。

 

このときの状況の受け止めかたは

人それぞれで、

 

「上司にきらわれてしまった」

と思う人もいれば、

 

「忙しいから気づかなかったの

だろう」

と受け流す人もいます。

 

こうした自動思考が、

つらい感情を生み出す

原因のひとつです。

 

 

私は、今でこそ後者ですが、

一昔前は、

前者だったかもしれません(^^;

 

 

自動思考は、

私たちの気分や行動、

ときには体の状態にまで

影響します。

 

前者のような

自動思考が浮かぶ人は、

気分が抑うつ的になり、

周囲との会話にも

消極的になります。

 

抑うつ感により

体が重くなり、

朝起きられなくなることも

あるでしょう。

 

そして、

こうした自動思考の

もとになっているのは、

その人の基本的な人生観や価値観、

信念ともいえるスキーマです。

 

「自分は人に愛される

価値のない人間だ」

 

などのスキーマをもっていると、

前者のような自動思考が

わき起こってくるのです。

 

 

「自動思考」のもとになっている、

人生観や価値観、信念を、

「スキーマ」というのですね。

 

 

スキーマは、

生まれながらの性質や

過去の経験などを受けて、

形成されてきたものです。

 

幼少期に、

両親からどのように

育てられたかなどにも

関係します。

 

そのため意識しても

なかなか簡単に

変えられるものでは

ありません。

 

そこで、

認知行動療法では、

まず非適応的な自動思考を、

適応的な自動思考に変える

トレーニングをおこないます。

 

複数の自動思考を修正し、

適応的な思考が身についてきた

ところで、

 

非適応的なスキーマを

適応的なスキーマ―に変える

トレーニングに挑戦します。

 

 

「スキーマ」を変えるのは、

容易ではないので、

 

まず、複数の歪んだ認知、

「自動思考」を修正してから、

次に「スキーマ」の修正に

取り組むのですね。

 

この本には、

多くのワークシートもついていますので、

実際にそこに書き込んでいくと、

 

一人でも、

「自動思考」や「スキーマ」の

修正は可能です(^^)

 

ただ、

一人で自分自身と向き合うのは、

けっこうしんどいので、

その場合は、カウンセラーの手を借りるのも

手かもしれません。

 

(うつ病などの病気が疑われる場合は、

医師のもとで、

薬と併用した治療をおすすめします)

 

ちなみに、もう少し、

「自動思考」を解説すると、

 

「自動思考」がパッと浮かぶ前に、

「推論の誤り」というものが、

生じているのですが、

 

それは、およそ10種類に

分けられます・・・

 

長くなりそうなので、

次回に続きますね(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回のこの本から、

認知行動療法の解説をさせていただきます。

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

久しぶりに宮音(みやお)くん登場です!

 

 

 

 

ど~ん!

 

 

 

なんか偉そう(^^;

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

お盆休みの時期ですが、

皆さまはいかがお過ごしですか。

 

台風の被害が小さくなること、

祈っています。

 

平野啓一郎さんの

映画化もされた

ロングセラー恋愛小説、

 

マチネの終わりに

 

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しております。

 

前回は、主人公の、

「未来は常に過去を変えている」

というセリフから、

田坂広志さんの「解釈力」まで、

話が飛躍しましたが(^^;

 

今回は、別の箇所で、

私がすごく印象に残り、

また、考えさせられた会話の部分を

紹介させていただきます。

 

国際ジャーナリスト

「小峰洋子」と、

 

天才クラシックギタリスト

蒔野聡史のマネージャー

「三谷早苗」の会話です。

 

この女性2人の関係を

象徴するようなシーンでもあるのですが、

 

早苗は、言います。

 

 

「わたし、

キリスト教って、

よくわからないんですよねー。

 

授業でいつも

聖書を読まされましたけど、

特にあの、

・・・マルタとマリアっていう

姉妹の話、

ありますよね?ー

 

イエスが家に来た時、

姉のマルタは、

彼をもてなすために

一生懸命働いているのに、

 

妹のマリアはただ、

側に座って

話を聞いているだけ。

 

それで、

マルタはいらっとして、

イエスに、

 

妹に手伝うように

言ってくださいって

訴えるんですよね。

 

そしたらイエスは、

庇ってくれるどころか、

 

マリアの方が正しい

って言うでしょう!?」

 

「・・・『マルタ、マルタ、

あなたは多くのことに思い悩み、

心を乱している。

 

しかし、必要なことは

ただ一つだけである。

 

マリアは良い方を選んだ。

 

それを取り上げては

ならない。』・・・」

 

 

・・・皆さん、いかがでしょうか。

 

ちなみに、

遠藤周作さんも、

このシーンは、

 

イエスに邂った女たち

 

 

という本に、

ベラスケスの名画とともに、

取り上げていますね。

 

遠藤周作さんの解釈では、

2人の喧嘩に弱り果てたイエスが、

マルタを静めようとした

苦肉の言葉ではないかということですが(^^;

 

早苗はこう続けます。

 

 

「わたし、

マリアは絶対、

わかってやってるんだと

思うんです。

 

姉が忙しく準備してるのは

百も承知で、

 

その上で、

ただずっと、

イエスの側にいたんだと

思うんです。

 

マリアは心の中では、

姉を馬鹿にしているんですよ!

 

イエスって、

どうしてそういう女の

狡賢さが

わからないのかなって。」

 

 

・・・(笑)

 

たしかに、そういわれれば、

そんな気もしてきます。

 

 

(中略)

 

「洋子さんは、やっぱり、

マリア派なんですね?」

 

「派っていうか、・・・」

 

「この話、今まで誰としても、

わたしも含めて、

みんなマルタ派だったんです。

 

(中略)

 

 

皆さん、いかがですか。

 

マルタ派?

 

マリア派?

 

たしかに、

女性は、マルタ派のほうが多いような

気がしますが(^^;

 

ちなみに、

私自身は、

もしイエスが家に来るとしたら、

おそらくマリアになりますね。

 

イエスを、もてなすことはせずに、

話に聞き入ってしまう・・・

 

そして、

後で妻が不機嫌になるという(笑)

 

ということで、

私自身の中身は、マリア的なのですが、

 

しかし、

マルタには、すごく同情しますし、

彼女のような人がいてくれると

ほんと助かります。

 

口うるさいのは嫌ですが(^^;

実際に一緒にいて有り難いのは、

気が利くマルタタイプかもしれません。

 

「マルタ」と「マリア」

 

これは、言い換えると、

 

「生活」と「人生」

 

といえるかもしれません。

 

私は特定の宗教の信者ではありませんが、

聖書の言葉を読むと、

精神性が高まる感じがします。

 

聖書だけでなく、

仏教の本でも同じで、

スピリチュアルなものには、

心惹かれるものがあります。

 

優れた文学、芸術や、

大自然に触れた時にも、

感じるものがあります。

 

しかし、

そういった精神的なもの、

自分の心にあくまで

忠実であろうとすることが、

「人生」だとすると、

 

世間や他人を考慮して、

現実的に生きていくのが、

「生活」だといえます。

 

もちろん、

「生活」は大事です(^^;

 

マズローの欲求5段階説

ではないですが、

まずは欠乏欲求を満たす必要があります。

 

食べていくには稼がねばなりませんし、

そのためには、

たとえば、職場の人間関係も

円滑にしたほうがいい。

 

身近な人とは、

折り合いをつけて、

うまくやっていかなければなりませんし、

 

ある程度は、

老後の資金も必要になってくるのが

現実です。

 

ともすれば、

「人生」に惹きつけられがちな、

私の志向性に対して、

 

「生活」は

「人生」に流されないようにするための、

ストッパーのような役割を

担ってくれていると思います。

 

今になって、

「生活」のために、

必死で生きていた両親の気持ちが、

少し分かるような気がします。

 

 

 しかし、

「生活」だけの人生は、

どこか虚しい。

 

やはり、

精神的に満たされるものが欲しい。

 

特に、中年になってからは、

そんな思いが強くなっています。

 

平野啓一郎さんの、

「分人」でいえば、

 

様々な「生活」を生きる「分人」と、

様々な「人生」を生きる「分人」。

 

それらの両方を、

うまくバランスを取りながら、

育てていく。

 

それが、

ウェルビーイングな生き方に、

繋がっていくのかな~

 

と私は考えます😊

 

皆さんはいかがでしょうか。

 

 

 

***********************************

 

 

以上、

2回にわたって、

平野啓一郎さんの恋愛小説、

 

マチネの終わりに

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

引用して、

紹介・解説させていただきました。

 

ストーリーの中身には、

ネタバレになるので、

あまり触れませんでしたので、

魅力がなかなか

伝わらなかったかもしれませんが、

 

実際にはストーリー展開も秀逸で、

特に、中盤で「ある出来事」

が生じてからは、

ぐいぐい引き込まれます!

 

また、

少し紹介させていただいたように、

「生き方」について

深く考えさせられるような

フレーズも満載です。

 

もちろん、

珠玉の恋愛小説としても楽しめます。

 

私は、何だか、

懐かしい感覚を

呼び起こされた感じがしました(^^;

 

クラシックギターやクラシック音楽が

好きな方も、

楽しめると思います。

 

興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みください(^^)

 

 

なお、この作品は、

福山雅治さん、石田ゆり子さん主演で、

映画化もされています!

 

アマゾンプライムで無料だったので、

さっそく観て見ました。

(今回のブログで取り上げた箇所は、

カットされていましたが(^^;)

 

福山さん、

かっこよすぎな感じでしたが(^^;

 

彼のつま弾く、

クラシックギターの音色が、

とても心に沁みました・・・

 

「幸福の硬貨」という曲が、

印象的です。

 

ユーチューブにありました!

 

 

素敵な曲です・・・♪

是非、ご視聴あれ!

 

 

 

*************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します(^^;

 

 

*************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

 
横浜ベイブリッジを、
下から眺めます・・・
 
 
 
 
ベイブリッジから、
横浜みなとみらい方面を臨む・・・
 
大黒ふ頭から歩いて、
ベイブリッジの途中まで行ける施設(無料です)
がありました。
 
改めて、
港・横浜は素敵な街ですね~
灯台下暗し。
 
とはいっても、
自宅は、かなり内陸の郊外なのですが(^^;
 
 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

蒸し暑く、

不安定な天気が続きますね💦

 

前回までは、

平野啓一郎さんの新書、

私とは何か 「個人」から「分人」へ

 

から、主に「分人主義」について、

私なりに紹介・解説を

させていただきましたが、

 

今回からは、

映画でも話題になった、

氏のロングセラー恋愛小説、

 

マチネの終わりに

 

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきます。

 

小説なので、

ネタバレに注意しながらの

紹介になりますが(^^;

 

主人公の天才クラシックギタリストの

蒔野聡史は、

ふとしたことから、

国際ジャーナリストの小峰洋子と出会います。

 

二人は惹かれ合いながら、

徐々に距離を接近させていきますが、

 

「ある出来事」を機に、

物語はあらぬ方向へと進んでいき・・・

 

・・・と、

このあたりで止めておきます(^^;

 

この小説は、

単なる恋愛小説ではなく、

人生とは何か、

過去や未来とは何か、

また、グローバリズムとは何か・・・

 

といった様々なことを考えさせられる、

深い小説でした。

 

もちろん、ストーリー展開も秀逸で、

特に、中盤の、

物語の転機となる「ある出来事」からは、

どうなってしまうのか興味津々で、

ぐいぐい引き込まれていきます。

 

が、今回は、

ストーリーの魅力ではなく、

私の印象に残った文章を題材にして、

考察を深められればと思います。

 

おそらく、

この箇所は、本小説の、

中核になる部分だと感じますが、

 

クラシックギタリストの

蒔野聡史が、

こう語る箇所があります。

 

 

音楽って

そういうものですよ。

 

最初に掲示された主題の行方を

最後まで見届けた時、

 

振り返ってそこに、

どんな風景が広がっているのか?

 

ベートーヴェンの日記に、

 

「夕べにすべてを

見届けること。」

 

っていう

謎めいた一文があるんです。

 

(中略)

 

展開を通じて、

そうか、あの主題には

こんなポテンシャルが

あったのかと

気がつく。

 

そうすると、

もうそのテーマは、

最初と同じようには

聞こえない。

 

花の姿を知らないまま

眺めた蕾は、

知ってからは、

振り返った記憶の中で、

もう同じ蕾じゃない。

 

音楽は、

未来に向かって一直線に

前進するだけじゃなくて、

 

絶えずこんなふうに、

過去に向かっても

広がっていく。

 

 

たしかに、音楽は、

最後の終わり方で、

最初の部分の印象が、

変わることがあるような気がします。

 

花のたとえも、

わかりやすいですね。

 

繰り返しますが、

 

「花の姿を知らないまま眺めた蕾は、

知ってからは、振り返った記憶の中で、

もう同じ蕾じゃない。」

 

・・・そうですね。

 

花の姿を知ってからの蕾は、

開花というポテンシャルを秘めた

存在だということがわかりますので。

 

そして、

蒔野聡史は、

こう続けます。

 

 

人は、

変えられるのは

未来だけだと思い込んでいる。

 

だけど、実際は、

未来は常に過去を

変えてるんです。

 

変えられるともいえるし、

変わってしまうともいえる。

 

過去は、

それくらい繊細で、

感じやすいものじゃ

ないですか?

 

 

未来は常に過去を変えている・・・

 

・・・う~ん、

 

交流分析の創始者として有名な、

精神科医のエリック・バーンの名言では、

 

「過去と他人は変えられない。

未来と自分は変えられる。」

 

とありますが、

皆さんは、どうお考えになりますか?

 

・・・私が思うに、

 

たしかに、

エリック・バーンがいうように、

 

過去と他人は、

基本的には変えられないと考えた方が

いいと思います。

 

変えようとして

コントロールできるものでは、

ありませんので(^^;

 

ただし、

未来によって、

過去に起きた出来事は変えられなくとも

「意味」が変わることは

あると思います。

 

「捉え方」が変わる、

といってもいいかもしれません。

 

この物語でも、

未来で、ある事実を知ることで、

過去の「意味」が変わるケースが、

描かれていますが、

 

過去の「意味」が変わることを、

意識的に捉える力のことを、

 

私が尊敬する、

田坂広志さんは、

 

「解釈力」

 

と呼んでいます。

 

 

例えば、

人生で与えられた苦労や困難、

失敗や敗北、

挫折や喪失、

病気や事故など、

様々な逆境を振り返るとき、

 

「あの苦労のお陰で、

大切なことを学べた」

 

「あの失敗のお陰で、

成長することができた」

 

「あの挫折のお陰で、

この道へと導かれた」

 

といった深い感慨を抱く人は、

決して少なくないだろう。

 

(7月新刊「教養を磨く」

より引用)

 

 

そうですね・・・

 

その時は、苦しかったり、

迷ったりするばかりで、

分からなくても、

 

後になってから、

「意味」が分かることって、

ありますよね。

 

私自身、

振り返ってみても・・・

 

暗く停滞した高校時代があったからこそ、

そのあとの人生は、

向上したいという気持ちになれたし、

 

仕事一筋で病気をしたことで、

人生、仕事だけじゃないと

思えるようになったし、

 

仕事で理不尽な思いをすることで、

自分軸を大切にしようと

思えるようになったし、

 

妻とぶつかることで、

謙虚な気持ちにもなれたし、

 

子どもができなかったことで、

思う存分、心の学びを続けることができる

余裕ができたし、

 

猫の可愛さも体験できたし(^^;

 

立身出世に行き詰まることで、

競争よりも、自分らしく、

心豊かに生きることの大切さに

気づくことができたし・・・

 

 

ふたたび、田坂さんの

「教養を磨く」より引用します。

 

 

一度、

自身の人生全体を振り返り、

 

「幸運は、不運の姿をして

やってきた」

 

という体験の棚卸をされることを

勧めたい。

 

読者は、

その棚卸しによって、

いかなる逆境をも

肯定的に受け止め、

それを越えていく力、

 

「人生の解釈力」

と呼ぶべき力を

身につけることができるだろう。

 

この「解釈力」とは、

人生で、

いかなる苦労や失敗や挫折が

与えられても、それを、

 

「この苦労は、

何を学べという天の声なのか」

 

「この失敗は、

どう成長せよという声なのか」

 

「この挫折は、

どの道を求めよという声なのか」

 

と前向きに受け止め、

その逆境を肯定的に解釈する

力のことである。

 

そして、実は、この

「逆境を肯定的に解釈する力」、

 

それこそが、

「不運」に見える出来事を

「幸運」へと転じていく力に

他ならない。

 

 

・・・

 

マチネの終わりに

に戻りますと、

 

この物語は、

どちからといえば、

運命に導かれるように、

過去の「意味」が変わるので、

 

田坂広志さんがいうように、

あまり意識的に解釈をする

という感じではありませんが、

 

私は、この小説を読んで、

ふと、今、紹介した、

「解釈力」という言葉が浮かびました。

 

もっとも、これは、

7月新刊「教養を磨く」を

同時並行で読んだ影響かもしれませんが(^^;

 

(いずれ「教養を磨く」も

メインで紹介しますね)

 

もちろん、

今はそういう気分になれない、

という時、

 

過去の体験が辛すぎて、

まだ受け止められないし、

「解釈」をする気にはなれない時には、

 

無理しなくていいと思います。

 

この物語のように、

機が熟すれば、

過去の「意味」が

変わるような出来事が、

自然と訪れるかもしれませんし、

 

焦ることはないと思います(^^)

 

ただ、

「解釈力」によって、

人生の一見「マイナス」に見えることを、

「プラス」に捉え直すことができる

ということは、

 

覚えておいて損はないと思います😊

 

 

 

*************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回も、

マチネの終わりにの紹介を続けますね。

 

 

*************************************

 

 

おまけ(^^;

 

三浦半島の荒井浜で、

毎年恒例?の

シュノーケリング遊びをしました!

 

 

平日に休みをとって行けたので、

おかげさまで、けっこう空いていました!

 

 

 

 

ここは、砂浜と磯と、

両方楽しめます(^^)

 

水もきれいで、

磯でちょっと潜ると、

たくさんの種類の魚がいます!

 

 

 

 

やっぱり、自然は癒されますね~😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

芥川賞受賞作家、

平野啓一郎さんの新書、

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ

 

 

を紹介・解説しています。

 

今回で3回目になります。

 

この本では、

いわゆる「個人」に対して、

「分人」という概念を提唱しています。

 

「分人」とは、

その時、その時の対人関係によって生じる、

様々な自分のことです。

 

「個人」が、

自分だけで完結するものに対して、

 

「分人」は、

自分と他者との対人関係で生じるので、

 

いわば、

他者が自分に混じったもの、

ともいえると思います。

 

「個人」と「分人」について、

本書ではこう述べられています。

 

 

個人は、

確かに分けられない。

 

しかし、

他者とは明確に

分けられる。

区別される。

 

だからこそ、

義務や責任の「独立した主体」

とされている。

 

栄光を掴めば、

それは、

他者とは違うあなたが

したことだ。

 

他者は、

それにまったく

無関係である。

 

罪を犯せば、

それはやはり

あなたがしたことで、

他の人は無関係である。

 

金持ちになっても

貧乏になっても、

 

すべて他者とは「分けられた」

あなたの問題だ。

 

 

西洋的な「個人」主義、

いわゆる

「自己責任」の考え方

ともいえますね。

 

しかし、

「分人」主義で考えると・・・

 

 

人間は、

他者との分人の集合体だ。

 

あなたが何をしようと、

その半分は

他者のお陰であり、

他者のせいだ。

 

 

そうですね・・・

 

肌感覚としても、

たとえば、

仕事において、

うまくいった時というのは、

 

もちろん、

自分が頑張ったせいではあるのですが、

それよりも、

周囲の人からの影響や、

関係者の協力のおかげ

という面が大きい気がします。

 

逆にいえば、

うまくいかなかったときは、

自分のせいばかりではなく、

現実問題として、やはり、

周囲の影響は受けているわけです。

 

 

個人は、

人間を個々に分断する単位であり、

個人主義はその思想である。

 

分人は、

人間を個々に分断させない単位であり、

分人主義はその思想である。

 

 

人間を個々に分断させない思想が、

分人主義なんですね。

 

 

それは、

個人を人種や国籍といった、

より大きな単位によって

粗雑に統合するのとは逆に、

 

単位を小さくすることによって、

きめ細やかな繋がりを

発見させる思想である。

 

 

この小さな単位というのは、

身近な人間関係ということ。

 

 

私たちは、

隣人の成功を喜ぶべきである。

 

なぜなら、

分人を通じて、

 

私たち自身が

その成功に与(あずか)って

いるからだ。

 

私たちは

隣人の失敗に優しく手を

差し伸べるべきである。

 

なぜなら、

分人を通じて、

 

その失敗は、

私たち自身にも

由来するものだからだ。

 

 

このように考えると、

他人の失敗は、

責める気になりませんし、

他人の成功には、

自分も嬉しくなりますね。

 

そして、

自分が成功した暁には、

感謝の気持ちが、

自然に湧いてくる気がします(^^)

 

「わたしたちはひとつである」

 

これを、

「人類皆兄弟」

みたいに考えると、

ちょっとボヤっとしてしまい、

私は、

いまいちピーンとこないのですが(^^;

 

「分人主義」で考えると、

イメージがしやくすなります。

 

 

「分人」という考え方は、

「自分のことが好きになれない」

人にも、とても有効です!

 

 

自分に対して

否定的になっている人に、

 

まず自分を愛しなさい、

自分を大切にしなさい

と言っても、

 

あまり意味がないのでは

ないか?

 

嫌いというのは、

不合理な感情だ。

 

単に好きになれと

言われてみても、

ハイそうですか、

とはならないだろう。

 

 

たしかに・・・

 

それができないから

困っているわけであって(^^;

 

 

しかし、

自分という人間の全体を

漠然と考えるのを止めて、

 

分人単位で考えてみると

どうだろうか。

 

自分のことが嫌いな人がいれば、

自分の分人を一つずつ、

考えてみよう。

 

「Aさんと会っているときの

自分は、

快活で、面白い冗談なんかも

自然と口に出来て、

満更でもない。」

 

「Bさんと一緒にいるときの

自分は、

いつも真剣だ。

それはそれで

充実感がある。」

 

「Cさんといるときの

自分は、

なんか、肩が凝って、

イマイチだ。」

 

「Dさんと、・・・」

 

人は、なかなか、

自分の全部が好きだとは言えない。

 

しかし、

誰それといる時の自分(分人)は

好きだとは、

意外と言えるのではないだろうか?

 

逆に、

別の誰それといる時の自分は

嫌いだとも。

 

そうして、もし、

好きな分人が

一つでも二つでもあれば、

そこを足場に生きていけばいい。

 

 

自分の全部が好きでなくとも、

好きな分人が、一つでも二つでもあれば、

いいんですね。

 

 

それは、

生きた人間でなくても

かまわない。

 

私はボードレールの

詩を読んだり、

森鴎外の小説を

読んだりしている時の自分は

嫌いじゃなかった。

 

人生について、

深く考えられたり、

美しい言葉に導かれて、

 

自分がより広い世界と

繋がっているように

感じられた。

 

そこが、

自分を肯定するための

入り口だった。

 

 

・・・私も、

思春期のころから、

多くの作家さんによって、

救われてきました。

 

たとえば、

遠藤周作さんとか・・・

 

とはいっても、

氏の作品の深さを

味わえるようになったのは、

正確には、

中年になってからなのですが(^^;

 

 

分人は、

他者との相互作用で生じる。

 

ナルシシズムが

気持ち悪いのは、

他者を一切必要とせずに、

自分に酔っているところである。

 

そうなると、

周囲は、まあ、じゃあ、

好きにすれば、

という気持ちになる。

 

しかし、

誰かといる時の分人が好き、

という考え方は、

 

必ず一度、

他者を経由している。

 

自分を愛するためには、

他者の存在が不可欠だという、

 

その逆説こそが、

分人主義の自己肯定の

最も重要な点である。

 

 

「自分を愛するためには、

他者の存在が不可欠である」

 

・・・これは、やっぱり、

そうだよな~と思います。

 

人は、ひとりでは、

いずれ行き詰ってしまいますから。

 

ただし、他者は大勢でなくてもいい。

 

 

人間が抱えきれる

分人の数は

限られている。

 

学校で孤独だとしても、

何も級友全員から

好かれなければならない

理由はない。

 

友達が「三人しか」

いないと思うか、

 

好きな分人が「三つも」

あると思うかは

考え方次第だ。

 

逆に十人も二十人も

友達がいて、

そのすべてに

最適に分人化するのも、

けっこう大変だろう。

 

そうして

好きな分人が

一つずつ増えていくなら、

 

私たちは、その分、

自分に肯定的になれる。

 

否定したい自己が

あったとしても、

 

自分の全体を

自殺というかたちで

消滅させることを考えずに

済むからだ。

 

 

私は、今、

ささやかながら、

チャット悩み相談の

ボランティアカウンセラーとして、

協力しているのですが、

 

その中で、実際、

「消えたい・・・」

「死にたい・・・」

という声も寄せられます。

 

しかし、

たとえ自分のことが好きになれなくても、

その中のひとつの自分、

すなわち、

ひとつの「分人」でも

好きになることが出来れば、

 

生きていくことはできると思います。

 

仮に、一期一会だとしても、

その人の「分人」づくりの

きっかけとなれるような、

 

そんなカウンセラーでありたいと

思っています😊

 

 

 

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以上、

平野啓一郎さんの新書、

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ

 

 

で私の印象に残ったところを、

 

3回に渡って、

紹介・解説してきました。

 

「個人」から「分人」へという考え方は、

 

変化が激しく、

また、個々人が分断されがちな

現代世界において、

 

ウェルビーイング(幸福な状態)

の観点からも、

 

とても有益な考え方だと思いました。

 

興味のある方は、

是非、ご一読ください!

 

ちなみに、

私は、この新書を読んで、

平野啓一郎さんの

「小説」も読んでみたくなりました!

 

まずは、代表作の、

マチネの終わりに

かなあ・・・?

 

ということで、

おそらく次回、

紹介・解説させていただくことになると

思います!

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

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おまけ(^^;

 

 

曹洞宗の大本山、

横浜の總持寺の参禅会に参加しました(^^)

 

コロナ禍以来、

数年ぶりの開催です!

 

 

 

磨き上げられた廊下、健在!

 

 

 

当日飛び入り(予約不要)、

500円で気軽に参加できます。

 

總持寺 参禅会

 

久しぶりで、足が痛かったですが(^^;

おかげさまでリフレッシュできました!

 

有り難うございます😊

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

芥川賞受賞作家、

平野啓一郎さんの新書、

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ

 

 

を紹介・解説しています。

 

「分人」とは・・・

 

対人関係ごとの

様々な自分のことを指します。

 

一人の人間は、

複数の分人が合わさったものであり、

そこには、

「本当の自分」という

中心はない。

 

そして、

その人らしさ(個性)は、

その複数の分人の構成比率によって

決定される。

 

という考え方です。

 

これでは、

「自分軸」

というものがないような気もするのですが、

 

しかし、

この本を一読すると、

 

この「分人」という概念は、

私たちが生きていくうえで、

とても有益な考え方だと思えてきます。

 

なぜなら、

「変化」を肯定的に捉えられるように

なるからです(^^)

 

たとえば・・・

 

 

学校でいじめられている人は、

自分が「本質的に」

いじめられる人間だなどと

考える必要はない。

 

それは、あくまで、

いじめる人間との

関係の問題だ。

 

放課後、

サッカーチームで

練習したり、

自宅で両親と過ごしたり

している時には、

 

快活で、楽しい自分になれると

感じるなら、

 

その分人こそを

足場として、

生きる道を考えるべきである。

 

 

その通りですね。

 

いじめは、

いじめる人間との

「関係」の問題にすぎない。

 

「本質的に」いじめられる人間・・・

な、わけがありません。

 

 

貴重な資産を分散投資して、

リスクヘッジするように、

 

私たちは、

自分という人間を、

複数の分人の同時進行の

プロジェクトのように

考えるべきだ。

 

学校での分人がイヤになっても、

放課後の自分は

うまくいっている。

 

それならば、

その放課後の自分を

足場にすべきだ。

 

それを多重人格だとか、

ウラオモテがあると言って

責めるのは、

 

放課後まで

学校でいじめられている自分を

引きずる辛さを知らない、

浅はかな人間だ。

 

学校での自分と

放課後の自分とは

別の分人だと区別できるだけで、

どれほど気が楽になるだろう?

 

 

そうですね。

 

人生、たとえ、

つまずいてしまうことがあったとしても、

それは、自分の「分人」の

ひとつであるにすぎない。

 

うまくいっている「分人」を

意識的にメインにしていけば

いいわけです(^^)

 

そう考えると、

リスクヘッジという意味でも、

いろいろな対人関係の「分人」を

もっておいたほうが安心ですね。

 

たとえば、

今、会社員の場合、 

副業が解禁される傾向にあります。

 

もちろん、

喜ばしいだけではなく、

会社が社員の面倒を見きれない、

いわば見捨てるといった負の面もあるのは、

否定できませんが、

 

しかし、

いくつかの収入源を確保しておくというのは、

リスクヘッジの意味でも、

これからの時代、重要ですし、

そこから、自分の中の生きがいや、

新たな才能が開花するかもしれません。

 

組織内で不遇な人にとって

副業という

「分人」の足場を作っておくことは、

辞めるという選択肢以外にも、

オプションが増えることにもなります(^^)

 

 

イジメや虐待の

過去を持っている人も、

 

分けられない

「本当の自分」という

考え方を強要されるなら、

 

誰と新しい関係を結ぼうとしても、

毎回、その体験へと

引き戻されてしまう。

 

この人は、

自分に暴力を振るわないだろうか?

 

自分はやっぱり、

「愛されない人間」

なのではないだろうか?

 

 

「本当の自分はただひとつ」

だと考えると、

たしかに、

過去を引きずってしまいますね・・・

 

 

しかし、

新しく出会う人間は、

決して過去に出会った人間と

同じではない。

 

彼らとは、

まったく新たに分人化する。

 

そして、

虐待やイジメを受けた自分は、

その相手との分人だったのだと、

一度、区別して考えるべきだ。

 

自分を

「愛されない人間」として、

本質規定してしまってはならない。

 

そして、

もし新しい分人が

自分の中で大きく膨らみ、

自信が持てるようになったら、

 

そこを足場にして、

改めて過去の分人と

向き合ってみればいい。

 

「人格は一つしかない」、

「本当の自分はただ一つ」

 

という考え方は、

人に不毛な苦しみを

強いるものである。

 

 

平野啓一郎さんは、

いわゆる、

「高校デビュー」

「大学デビュー」を

肯定的に捉えています。

 

ちなみに、

私も、大学デビューをしたクチですが(^^;

 

たしかに、

今までのしがらみがない場所で、

新たな対人関係をつくり、

新たな「分人」ができることで、

 

新たな世界が広がりますよね!

 

過去の「分人」はいったん置いておいて、

新しい「分人」の割合を高くしていく。

 

そうすることで、

新たな道が開けるかもしれない。

 

環境が変わるということは、

そのいいきっかけになる。

 

社会人になっても、

定年後も、

「~デビュー」すること、

 

素敵なことですね(^o^)

 

もちろん、

過去の「分人」も自分の一部。

 

消えてなくなることはありませんが、

割合を意識的に小さくすることはできる。

 

そして、

自分にとって居心地のいい、

新たな「分人」が確立できてきたら、

 

過去の「分人」と向き合ってみるのも、

いいかもしれません。

 

何か「意味付け」ができるかもしれません。

 

ただし、

そこで、無理矢理、

過去の「分人」を好きにならなくても

いいと思います。

 

「好きになれない自分」

を受け入れる・・・

 

・・・そうやって、

「自己受容」を深めていけると、

素敵ですね(^^)

 

 

 

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なお、

この「分人主義」と似た考え方として、

 

私の心の師、

遠藤周作さんは、

 

「人生いろんな顔を持ったほうが

豊かに生きられる!」

 

とおっしゃっています。

 

現に、遠藤周作さんは、

「沈黙」や「海と毒薬」のような、

シリアスな芥川賞作家という顔だけでなく、

 

「狐狸庵」と名乗り、

ユーモア小説やエッセイを多数書いたり、

 

素人劇団「樹座」の座長として、

芝居を楽しんだりする顔もありました。

 

ちなみに、

心理学的な見地からみても、

ひとつの顔のみで生きると、

それ以外の顔を抑圧することになり、

やがてそれがシャドー化する。

 

そのシャドーが肥大化すると、

無意識の領域から、

その人を脅かすようになるといいます。

(または家族に影響がでることも)

 

特に、

お堅い職業やお立場の人は、

要注意ですね(^^;

 

それから、

多摩大学大学院名誉教授の

田坂広志さんは、

 

人は、誰もが「多重人格」誰も語らなかった「才能開花の技法」

 

 

という興味深い本を上梓されています。

 

人は皆、心の中に

「いくつもの人格」

を持った

「多重人格」であるといい、

 

それらを意識的に育てることによって、

「いくつもの才能」が開花するといいます。

 

すぐれた経営者は、もれなく、

「多重人格」であるという・・・

 

最初は、

「えっ・・・本当か?」

と思いましたが、

本書を読むと納得できます!

 

興味のある方は、是非ご一読ください😊

 

 

 

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次回も、

平野啓一郎さんの新書、

私とは何か 「個人」から「分人」へ

の紹介・解説を続けますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

富士吉田周辺、神社巡りです!

 

 

富士吉田市の

新倉富士浅間神社

 

階段を登り切った後の・・・💦

 

有名な、

五重塔を挟んでの富士山🗻

 

ここは、外国の方が

たくさんいらっしゃいましたよ!

 

 

 

 

 

新屋山神社

 

ここは、金運上昇で有名な神社!

 

 

 

 

こちらは、

北口本宮冨士浅間神社

 

奥の大鳥居(木造としては日本最大だそうです)

 

 

 

 

 

巨木が点在しています!

 

 

 

鈍感な私でも、

何かパワーを感じます!

 

 

 

敷地内の諏訪神社。

 

数ある浅間神社の中でも、

北口本宮冨士浅間神社

が、私は一番好きかもしれません(^^)

 

おすすめします!