ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史(下)

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目(^^;

今回から(下)巻の内容になります。

 

人類は、

必ずしも幸せになったとは言い切れない、

「農業革命」を経て、

 

やがて、

グローバル化を押し進める

「帝国主義」の時代になるわけですが、

そのあたりは割愛しまして、

 

今回は、

「宗教」に対しての「自由主義」、

 

そこから派生した

「資本主義」というものを、

 

本書から引用しながら、

考察していきたいと思います。

 

「自由主義」は、

人間の感情こそが、

道徳的権威だといいます。

 

どういうことでしょうか。

 

 

自由主義者にとって、

道徳性は

神や聖典や国法への

服従ではない。

 

むしろ、

自由主義の道徳性は、

苦しみからの解放を意味する。

 

たとえば、

自由主義者が殺人を犯さないのは、

 

古い書物あるいは

新しい法律が

殺人を禁じているからではなく、

 

殺人が途方もない苦しみを

与えるからだ。

 

(中略)

 

逆に、

もしある行為が

誰にも苦しみを

もたらさないのなら、

 

どんな神や政府が

何と言おうと、

自由主義者はそれを

犯罪だとは思わない。

 

 

なるほど・・・

 

例として、本書では、

同性愛が挙げられています。

 

中世ヨーロッパの

キリスト教世界では、

タブーでしたが、

 

今日の自由民主主義社会の多くでは、

問題なく受け入れられています。

 

 

要するに、

自由主義の道徳性の

モットーは、

 

「もしそれで

気持ちが良いのなら、

そうすればいい!」だ。

 

何かが気持ちよく感じられ、

それが他の誰をも

害さないのなら、

 

それはよいことなのだ。

 

 

そうですね。

 

宗教に縛られた

中世の理不尽な時代より、

それはそれで、

ずいぶん生きやすくなりました(^^)

 

 

自由主義は、

経済にもおおいに

かかわってくる。

 

経済の領域では、

自由主義は自由市場の原理を

擁護する。

 

「有権者がいちばんよく

知っている」

と自由主義の政治が言い、

 

「もしそれで

気持ちが良いのなら、

そうすればいい!」

 

と自由主義の倫理が

断言する一方、

 

自由主義の経済は、

「顧客がつねに正しい」、

 

顧客の欲望よりも

高次の経済的権威はない、

と主張する。

 

 

顧客の欲望を

何よりも重視する

自由主義経済の考え方は、

「資本主義」の発展に、

密接に関わってきます。

 

では、

その「資本主義」の原則とは?

 

 

資本主義の第一の原則は、

経済成長は至高の善である。

 

あるいは、

少なくとも

至高の善に代わるものである

ということだ。

 

なぜなら、

正義や自由や

さらには幸福まで、

 

すべてが経済成長に

左右されるからだ。

 

 

「資本主義」は、

常に「経済成長」が求められ、

 

それが、

人類の「幸せ」にも結びつくという

考え方ですね。

 

既存の宗教に代わって、

今のグローバル社会を覆う、

実質的な宗教が、

 

「資本主義」

 

だと、ハラリさんはいいます。

 

 

この新しい宗教は、

近代科学の発展にも

決定的な影響を

与えてきた。

 

科学研究には、

通常、政府か民間企業が

資金を提供する。

 

資本主義下の政府や企業が

特定の科学プロジェクトへの

投資を考えるときに、

最初に問うのはたいてい、

 

「このプロジェクトは、

生産性と利益の増加を

可能にするだろうか?

 

経済成長を

生み出すだろうか?」だ。

 

 

そうですね。

 

今日でいうと、

政府や民間企業が、

成長の見込めるDXやAI、

バイオの分野に

投資をしているのは、

こういうことですね。

 

「資本主義」と「科学」は、

両輪で発展してきたことが、

本書では、

詳しく述べられているのですが、

 

しかし、

行き過ぎた資本主義には、

いくつかの問題もあるわけであって・・・

 

特に「格差」や「倫理」、

「環境問題」などは喫緊の課題です。

 

これらの危機感から、

たとえば、

世界的なSDGsの動きがあり、

私も個人的にその理念には

大いに賛同するのですが、

 

ただ、企業で実践する場合、

余裕のある一流企業ならともかく、

一般的な企業では、

なかなか優先順位を高められない、

 

表面的なお題目になってしまっているのが、

現実のような気もします。

 

ハラリさんは、

「資本主義」と「消費主義」は、

表裏一体だといいます。

 

 

資本主義と消費主義の

価値体系は、

表裏一体であり、

二つの戒律が合わさったものだ。

 

富める者の至高の戒律は、

「投資せよ!」

であり、

 

それ以外の人々の

至高の戒律は

「買え!」だ。

 

 

「投資せよ!」「買え!」

という

「資本主義」

という名の宗教・・・

 

 

資本主義・消費主義の

価値体系は、

別の面でも革命的だ。

 

以前の倫理体系の大半は、

人々にずいぶんと

厳しい条件を突き付けてきた。

 

人々は楽園を約束されたが、

それは

思いやりと寛容さを養い、

渇望と怒りを克服し、

利己心を抑え込んだ場合に

限られた。

 

ほとんどの人にとって、

これはあまりに難しすぎた。

 

倫理の歴史は、

誰も達成できない

素晴らしい理想の

悲しい物語だ。

 

キリスト教徒の大半は

キリストを真似ず、

 

仏教徒の大半は

ブッダに倣えず、

 

儒者の大半は

孔子に癇癪を起させた

だろうような振る舞いを見せた。

 

 

そうですね・・・

 

伝統的な宗教の倫理体系は、

現実の生活を生きている私たちには、

なかなか守ることはできない。

 

が、果てなき欲望のストッパーの役割は、

担ってきたような気がします(^^;

 

 

それとは対照的に、

今日ではほとんどの人が

資本主義・消費主義の理想を

首尾よく体現している。

 

この新しい価値体系も

楽園を約束するが、

 

その条件は、

富める者が強欲であり続け、

さらにお金を儲けるために

時間を使い、

 

一般大衆が

自らの渇望と感情に

したい放題にさせ、

ますます多くを買うことだ。

 

これは、

信奉者が求められたことを

実際にやっている、

史上最強の宗教だ。

 

だが、

引き換えに本当に

楽園が手に入ると、

どうしてわかるのか?

 

それは、

テレビで見たからだ。

 

 

・・・最後は、

痛烈な皮肉ですね(^^;

 

私たちは、

キリスト教や仏教と言った、

伝統的な宗教の戒律は、

なかなか守ることができないのに、

 

「資本主義」という名の

宗教に求められていることは、

いとも簡単にやっている・・・

 

「自由主義」の、

快感原則を重視する考え方が、

常に経済成長を志向する

「資本主義」と合わさると、

 

消費に歯止めが利かなくなると

いうことです。

 

 

う~ん、

私自身振り返って見ると・・・

 

そんなに欲深いほうだとは、

思わないのですが、

 

でも、やっぱり、

消費欲、所有欲からは、

逃れられないわけでありまして・・・

 

たとえば、

セール品を見ると、

つい衝動買いをしてしまうことがありますし、

(その瞬間は得した気分でうれし~!)

 

本も、図書館で借りるよりも、

できれば自分のものにしたいし、

電子書籍よりも、

本棚に並べておきたい。

(もうスペースが無いのですが(^^;)

 

最近、若い人は、

カーシェアなどを

うまく活用しているようですが、

 

私は、やっぱり、

高級でなくても全然いいので、

車は自分のものとして所有したい。

(愛着が湧きますし)

 

やっぱ昭和世代ということも、

あるのでしょうか(^^;

 

物欲はなかなか捨てられません・・・

 

しかし、

 

感情の気持ちよさ、

すなわち、

快感原則に身を委ねていては、

際限がない・・・

 

どこまでいっても満たされない。

 

もちろん、

消費することの楽しみを、

捨て去る必要はないと思いますが、

 

資本主義・消費主義は、

戒律がゆるい一種の宗教である

ということ。

 

踊らされることのないよう、

「自覚」したいですね(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

 

*********************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

近所、週末ウォーキングの旅。

 

 

 

新羽の西方寺。

茅葺屋根の素朴で美しいお寺です😊

 

 

 

何だか田舎に来た気分になれます。

 

 

 

足を延ばして・・・

 

 

 

久しぶりに、小机城址!

 

 

 

空堀。

後北条氏の遺構。

よく保存されています!

 

 

翌日も天気がめちゃくちゃ良かったので・・・

 

 

 

また、丹沢に、

山歩きに行っちゃいました(^^;

 

 

 

鍋割山山頂!

 

 

ああっ、絶景・・・

 

 

 

小田原方面の海。

ちょっと見えるのは伊豆大島でしょうか。

 

あまりにも快晴で、気持ちがいいので・・・

 

 

 

 

欲張って塔ノ岳まで足を延ばしました(^^;

 

 

 

相変わらず賑わっています。

山頂は、ほぼ360度パノラマ風景です!

 

 

 

ここからも、

絵画のような富士山🗻

 

 

 

塔ノ岳からは、

大山が見下ろせます!

 

 

 

相模平野と、小さく江ノ島も・・・

 

 

おかげさまで、

週末を満喫できました😊

 

ただ、欲張りすぎたのか、

いまだに疲れが取れませんが・・・😅

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

を紹介しています(^^)

 

今回で3回目です。

 

人類は、狩猟採集時代から、

やがて、

農業革命を経て、

農耕社会に入っていきます。

 

農耕社会は、

狩猟採集時代と比較すると、

豊かで安定した生活を営めるような

イメージがありますが、

 

意外と厳しいところも

あったようです(^^;

 

 

人類は農業革命によって、

手に入る食料の総量を

たしかに増やすことができたが、

 

食料の増加は、

より良い食生活や、

より良い余暇には

結びつかなかった。

 

むしろ人口爆発と

飽食のエリート層の

誕生につながった。

 

平均的な農耕民は、

平均的な狩猟採集民よりも

苦労して働いたのに、

見返りに得られる食べ物は

劣っていた。

 

農業革命は、

史上最大の詐欺だったのだ。

 

 

「農業革命は、史上最大の詐欺!」

 

何とも手厳しいハラリさんの

論調ですが(^^;

 

では、それは、

誰の責任だったのか?

 

 

王のせいでもなければ、

聖職者や商人のせいでもない。

 

犯人は、

小麦、稲、ジャガイモ

などの、

一握りの植物種だった。

 

ホモ・サピエンスが

それらを栽培化したのではなく、

 

逆に

ホモ・サピエンスが

それらに家畜化されたのだ。

 

 

植物種に、

逆に家畜化された?

 

 

人類は

世界の多くの地域で、

朝から晩まで

ほとんどの小麦の

世話ばかりを焼いて

過ごすようになっていた。

 

楽なことではなかった。

小麦は非常に手間がかかった。

 

 

 

小麦を栽培するには、

やたら手間ひまがかかり、

とても重労働だったんですね。

 

他にも、

土地を守るために、

争いが生じたり、

 

ビタミン、ミネラルなどの

栄養素が乏しくなったり、

疫病に弱くなったり、・・・

 

狩猟採取と比べても、

人類にとって、あまりメリットは、

なかったようなのです(^^;

 

たしかに、

食料の供給量は増えましたが、

それによって、

人口が増えすぎてしまい、

子どもの死亡率は

上昇してしまったり・・・

 

より楽な暮らしを求めたら、

かえって、大きな苦難を

呼び込んでしまった。

 

では、

人類は、なぜ、

農耕から手を引かなかったのか?

 

 

一つには、

小さな変化が積み重なって

社会を変えるまでには

何世代もかかり、

 

社会が変わったころには、

かつて違う暮らしを

していたことを

思い出せる人が

誰もいなかったからだ。

 

そして、

人口が増加したために、

もう引き返せなかったという

事情もある。

 

 

何世代も経ての変化なので、

なかなか自覚できず、

そのうち、

どうにも引き返せなくなった(^^;

 

これは、

今日でも起こっている現象だと、

ハラリさんはいいます。

 

 

どれだけ多くの

若い大学卒業生が、

がむしゃらに働いて

お金を稼ぎ、

 

35歳になったら

退職して

本当にやりたいことを

やるのだと誓い、

 

忙しい会社で

きつい仕事に就くことだろう。

 

ところが、

35歳になったころには、

多額のローンを抱え、

子供たちを

学校にやらねばならず、

 

郊外の暮らしには

一世帯に少なくとも

二台の自動車が必要で、

 

本当に良いワインと

国外での高価な

バカンス抜きでは

 

人生の送り甲斐がない

という感覚に

つきまとわれている。

 

彼らはいったい

どうしたらいのか?

 

植物の根を掘り返す

生活に戻るのか?

 

とんでもない。

 

彼らはなおさら

一生懸命取り組み、

あくせく働くのだ。

 

 

・・・ううっ、

たしかに、

 

こうなってしまっては、

どうにも引き返せない(^^;

 

 

歴史の数少ない鉄則の一つに、

贅沢品は必需品となり、

新たな義務を生じさせる、

というものがある。

 

人々は、

ある贅沢品にいったん

慣れてしまうと、

 

それを当たり前と

思うようになる。

 

そのうち、

それに頼り始める。

 

そしてついには、

それなしには

生きられれなくなる。

 

私たちの時代から、

別の馴染み深い

例を引こう。

 

私たちは

過去数十年間に、

 

洗濯機、電気掃除機、

食器洗い機、電話、

携帯電話、

コンピューター、

電子メールなど、

 

時間を節約して

生活にゆとりをもたらして

くれるはずの、

無数の機械や手段を発明した。

 

以前は、

手紙を書き、

封筒に宛先を書いて切手を貼り、

ポストまでもっていくのは

けっこうな手間だった。

 

そして、

返事がくるまで何日も、

何週間も、

ことによると

何ヵ月もかかることがあった。

 

それが今では、

電子メールを

地球の裏側までさっと送り、

(相手がインターネットに

接続していれば)

一分後には

返事が受け取れる。

 

私は以前の手間と暇を

すべて省けたわけだが、

 

前よりもゆとりある生活を

送っているだろうか?

 

残念ながら、違う。

 

(中略)

 

私たちは

時間が節約できると

思っていたのに、

 

逆に人生の踏み車を

以前の10倍の速さで

踏み続ける羽目になり、

 

日々を前より落ち着かず、

いらいらした思いで、

過ごしている。

 

 

そうですね・・・

 

私自身も、

スマホがなかなか手放せないですし(^^;

(歩きスマホだけは

しないようにしておりますが)

 

ヒマさえあれば、

メールチェックをしてしまいます。

 

「贅沢品は必需品となり、

新たな義務を生じさせる」

 

文明の進化は、

「幸せ」という観点からみると、

 

必ずしも、

進化しているとは

いえないのかもしれません。

 

私たち現代人は、

もしかしたら、

無数の機械や手段に、

 

いつのまにか、

「家畜化」

されているのかもしれない。

 

日ごろは生活に追われて、

ついつい流されてしまいがちですが、

 

時には立ち止まって、

 

「自分がほんとうに望んでいるものは

何なのか」を、

 

再確認する必要が

あるのかもしれませんね(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました。

 

次回も、この本の紹介を続けます。

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

 

久々に参拝しました(^^;

 

学問の神様、菅原道真公を祭る、

湯島天神。

 

 

 

こちらは、芝の増上寺。

 

右手に見えますのは、

東京タワーと、

今、話題の麻布台ヒルズ。

(ビルの高さ日本一だそうです!)

 

 

 

 

土曜日は、

天気が良かったので、山歩き。

 

今回は、100名山の丹沢山にチャレンジ!

 

 

 

鎖場越えて・・・

 

 

 

長い階段登った先に・・・

 

 

 

おおっ、頂上着きました!

 

 

 

富士山の絶景・・・

 

 

 

丹沢の山並みが、ダイナミックでした!

 

 


 

暖かく、天気もよくて、

サイコーでした😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

師走に突入しましたね。

 

一年の長さの感じ方は、

今まで生きてきた年数が分母になる

という説があります。

 

たとえば、

6歳の時は、6分の1

51歳の時は、51分の1

 

そりゃ、短く感じるわけです(^^;

 

一日一日を大切に過ごそうと思う

今日この頃です。

 

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

から、

私が印象に残った箇所を

紹介しています。

 

前回、

狩猟採取民は、

私たちが考える以上に、

頭もよく、身体感覚にも優れていて、

 

たくましく、

生きる力に溢れる存在だった

という説を紹介しましたが、

 

続きです(^^;

 

 

狩猟採取民は、

地域ごと、季節ごとに

大きく異なる暮らしを

していたが、

 

後世の農民や牧人、

肉体労働者、

事務員よりも、

全体として快適で

実りの多い生活様式を

享受していたようだ。

 

 

ええっ、

後世の人々よりも、

快適で実りある生活を

していた?

 

 

今日、豊かな社会の人は、

毎週平均して

40~45時間働き、

発展途上国の人々は

毎週60時間、

あるいは80時間も

働くのに対して、

 

今日、カラハリ砂漠のような

最も苛酷な生息環境で暮らす

狩猟採集民でも、

平均すると

週に35~45時間しか

働かない。

 

狩りは3日に1度で、

採集は毎日わずか

3~6時間だ。

 

カラハリ砂漠よりも

肥沃な地域に暮らしていた

古代の狩猟採集民なら、

 

食べ物と原材料を

手に入れるためにかける時間は、

いっそう短かった

可能性が高い。

 

そのうえ、

狩猟採取民は

家事の負担が軽かった。

 

食器を洗ったり、

カーペットに掃除機をかけたり、

床を磨いたり、

おむつを交換したり、

勘定を払ったりする必要が

なかったからだ。

 

 

なるほど・・・

 

たしかに、狩猟採取民は

労働や家事の時間は、

短そうですね(^^;

 

 

狩猟採集経済は、

農業や工業と比べると、

より興味深い暮らしを

大半の人に提供した。

 

(中略)

 

たとえば、

朝8時頃に

野営地を離れたかもしれない。

 

近くの森や草原を

歩き回り、

キノコを摘み、

食べ物になる根を掘り出し、

カエルを捕まえ、

ときおりトラから逃げた。

 

午後近くには

野営地に戻って昼食を作る。

 

そんな調子だから、

噂話をしたり、

物語を作ったり、

子供たちと遊んだり、

 

ただぶらぶらしたりする時間は

たっぷりある。

 

もちろん、

たまにトラに捕まったり、

ヘビに嚙まれたりすることも

あったが、

 

交通事故や産業公害の

心配はなかった。

 

 

「ただぶらぶらしたりする時間は

たっぷりある・・・」

 

うう、うらやましい~

 

余暇の時間が多かったからこそ、

そこから、

うわさ話や物語、

すなわち、

「虚構」(フィクション)

が生まれたんですね!

 

他にも、

本書には、

狩猟採取民の健康状態は

意外と悪くなかったことや、

(農耕社会と比較して、

食物が多様であったため)

 

感染症の被害が少なかったこと

(農耕社会と比較して、

家畜を飼わず、密集していなかったため)

 

が述べられていますが、

 

では、

人類にとって、

狩猟採取民の時代は、

「いいことずくめ」だったのか?

 

といわれれば、

もちろん、

そんなことはないわけであって、

 

 

これらの古代人の生活を

理想化したら、

それは誤りになる。

 

彼らはたしかに

農耕社会や工業社会の人の

大半よりも良い生活を

送っていたが、

 

それでも彼らの世界は

厳しく情け容赦のない

場所になることもあった。

 

(中略)

 

狩猟採集民は、

歳をとったり

障害を負ったりして

集団についていけなくなった人を

置き去りにしたり、

殺しさえしたりすることがある。

 

望まない赤ん坊や子供は

殺すかもしれないし、

宗教心から人間を

生贄にする場合すらある。

 

 

やはり、現代人の感覚から見ると、

野蛮なところもあるわけですが、

 

ここからいえることは、

 

「価値観」というのは、

それぞれの時代や文化によっても

違ってきますし、

 

どの時代や文化が理想的かどうかは

一概にはいえない、

 

ということでしょうか。

 

ただ、

現代人の私からすると、

狩猟採集民のように、

余暇の時間がたっぷりあることは、

 

やっぱり、

うらやましい限りですが・・・

(隣の芝生は青くみえる(^^;)

 

 

(中略)

 

だから、私たちは、

表面的な知識に基づいて、

彼らを悪者扱いしたり

理想化したりしないよう、

注意しなければいけない。

 

アチュ族(現代の狩猟採集民)は

天使でもなければ

悪魔でもなく、

人類だった。

 

そして、

古代の狩猟採取民にしても

同じだったのだ。

 

 

そうですね・・・

 

天使でもなければ

悪魔でもない、

 

言い方を変えれば、

天使の要素も

悪魔の要素も両方ある、

 

過去の歴史を振り返っても、

今の国際情勢を鑑みても、

 

それが、

「人類」なのだと思います。

 

 

その人類は、

狩猟採集時代から、

やがて、

農業革命を経て、

農耕社会に入っていきます。

 

農耕社会といえば、

 

穏やかな人々が、

自然と共存して、

心が満ち足りた生活を営んでいるような

イメージを私は抱いていましたが、

 

実は、そうでもない、

ということが、

本書には述べられています・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

******************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

******************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

 

東京、神宮外苑のイチョウ並木。

 

歩道は激混みでしたが(^^;

ちょうど見頃でした!

 

 

 

 

新国立競技場。

 

学生時代の仲間と、

恒例のラグビー観戦!

 

 

母校が勝ちました!(^^)!

 

 

 

 

エアコンの近くは暖かいニャ~😸

 

 

 

何を見つめてる・・・

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきます(^^)

 

私は、この手の、

いわゆるビックピクチャ―、

壮大な歴史文明論的な本が

昔からけっこう好きで、

 

大学生の頃は、

(一応、西洋史専攻でしたので(^^;)

フランシス・フクヤマさんの、

歴史の終わり

(今は新版が出ていますね)

や、

その後は、

銃・病原菌・鉄

などの名著を、

 

ちょっと背伸びしながらも、

読んでいましたが、

 

今回、ついに文庫化され、

お買い得になったということもあり(^^;

(ありがたや~)

 

満を持して、

サピエンス全史

読んでみました!

 

この本、

サブタイトルにあるとおり、

「文明の構造と人類の幸福」

がテーマなのですが、

 

冒頭に、

著者のハラリさんの、

考えさせられる問いかけがあります。

 

 

一、二世紀後には、

ホモ・サピエンスは

おそらく姿を消し、

 

地球の支配者は、

チンパンジーから

私たちがかけ離れている以上に、

 

私たちとは違った存在に

なるだろう。

 

 

どきっ、

ここでいう支配者とは・・・

 

AIのことでしょうか???

 

 

だが、

私たちサピエンスには、

重要な問いに答える時間が

依然として残っている。

 

その問いとは、

私たちは何になりたいのか、

だ。

 

そして、

自分の欲望さえ

操作できるようになる日も

近いかもしれないので、

 

人類が直面している

真の疑問は、

 

私たちは何を望みたいのか、

なのだ。

 

 

「私たちは何を望みたいのか」

 

う~ん・・・

 

本書(上)(下)を読み終えると、

その問いが

さらに切実に感じられるように

なるのですが、

 

それは、

いったん置いておいて、

 

この本の最初の章は、

「認知革命」

について、述べられています。

 

アフリカで細々と暮らしていた

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

文明を築くことができたのは何故か?

 

「虚構」

 

にあるといいます。

 

「虚構」

すなわち、

作り事、フィクションのことですね。

 

 

一対一で喧嘩をしたら、

ネアンデルタール人は

おそらく

サピエンスを

打ち負かしただろう。

 

だが、

何百人という規模の

争いになったら、

 

ネアンデルタール人には

まったく勝ち目が

なかったはずだ。

 

彼らは

ライオンの居場所についての

情報は共有できたが、

 

部族の精霊についての

物語を語ったり、

改訂したりすることは、

おそらくできなかった。

 

彼らは

虚構を創作する能力を

持たなかったので、

 

大人数が効果的に協力できず、

急速に変化していく問題に

社会的行動を

適応させることもできなかった。

 

 

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

ネアンデルタール人を制して

繁栄できたのは、

 

「虚構」

 

のおかげなんですね。

 

その能力のおかげで、

人類は、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった、

概念を構築することができ、

 

集団を協力に導くことが

できたわけですね。

 

言い方を変えれば、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった概念は、

 

しょせん、人が決めた、

作り事、フィクションに

すぎないとも

言えるわけですが(^^;

 

その、

ホモ・サピエンスの歴史の

膨大な時間(7万年!)

を遡ると、

 

ほとんどの時代は、

狩猟採集民だったといいます。

 

「はじめ人間ギャートルズ」

の世界ですね~。

 

 

(世代が違う方は

分からないかもしれませんが(^^;)

 

日本でいうと、

縄文人ということでしょうか。

 

そして、

その狩猟採集民たちは、

今の私たちと比較しても、

はるかにたくましく、

 

「生きる力」

に溢れた存在だったのです!

 

 

平均的な狩猟採取民は、

現代に生きる子孫の

大半よりも、

直近の環境について、

幅広く、深く、

多様な知識を

もっていたわけだ。

 

今日、

産業社会に暮らす人の

ほとんどは、

自然界について

あまり知らなくても

生き延びることができる。

 

コンピューターエンジニアや

保険代理人、

歴史の教師、

工場労働者として

やっていくには、

いったい何を

本当に知る必要があるのか?

 

自分の狭い専門分野については

多くを知らなければならないが、

 

生活必需品の大多数に関しては、

何も考えずに

他の専門家たちを頼っており、

 

そうした専門家たちの知識も、

狭い専門分野のものに

限られている。

 

人類全体としては、

今日のほうが

古代の集団よりも

はるかに多くを知っている。

 

だが個人のレベルでは、

古代の狩猟採取民は、

知能と技能の点で

歴史上最も優れていたのだ。

 

 

そうですね・・・

 

自然界での一人一人の

サバイバル能力に関しては、

 

現代人は、

狩猟採取民の

足元にも及ばないでしょう(^^;

 

 

平均的な

サピエンスの脳の大きさは、

狩猟採集時代以降、

じつは「縮小した」という

証拠がある。

 

 

なんと!

 

狩猟採取民のほうが、

脳じたいも大きかった😲

 

 

狩猟採集時代に

生き延びるためには、

 

誰もが素晴らしい能力を

持っている必要があった。

 

農業や工業が始まると、

人々は生き延びるために

しだいに他者の技能に

頼れるようになり、

 

「愚か者のニッチ」

が新たに開けた。

 

凡庸な人も、

水の運搬人や

製造ラインの労働者として

働いて生き延び、

 

凡庸な遺伝子を

次の世代に伝えることが

できたのだ。

 

 

「愚か者のニッチ」

とは・・・

思わず苦笑いですが(^^;

 

私など、

狩猟採集時代なら、

まっさきに淘汰される

に違いない・・・

 

もっとも、

「愚か者のニッチ」

であり、

自分一人では生きていけない

弱い人間だからこそ、

 

他人が持つ技能に対して、

有り難みや感謝の気持ちが

湧いてくるともいえるのですが(^^;

 

 

狩猟採取民は、

周囲の動植物や

物の世界ばかりではなく、

 

自分自身の身体や

感覚という内的世界にも

精通するように

なった。

 

彼らは草陰の

ほんのわずかな動きにも

耳を傾け、

 

そこにヘビが

隠れているかどうかを知った。

 

木々を注意深く観察し、

果物やハチの巣、

鳥の巣を見つけた。

 

ほとんど音を立てず、

最小限の労力で働き、

 

もっとも敏捷で

効率的なやり方で座り、

歩き、走ることを知っていた。

 

たえずさまざまな形で

身体を使っているので、

マラソン選手並みに

鍛えられていた。

 

今日の人が何年も

ヨガや太極拳をやった後でさえ

達成できないほどの

器用な身のこなしを

習得していた。

 

 

なるほど・・・

 

自然の中で生きていると、

身体感覚が研ぎ澄まされるのは、

わかるような気がします。

 

ささやかながら、

私も一人静かに

山歩きをしていると、

 

感覚が鋭くなっているような

気がします。

 

たとえば、

草木が、

ガサガサッとすると・・・

 

もしかして、

 

クマ???

 

と思ったら、

小鳥やリスだったという。

(たま~に鹿の場合も)

 

単なる小心者ですね(^^;

 

さておき、

 

狩猟採取民は、

私たちが考える以上に、

頭もよく、身体感覚にも優れていて、

たくましく、生きる力に溢れる

存在だったんですね。

 

対して、

現代人は、

AIを使いこなせたり、

 

万能感をくすぐられる

ことも多いですが、

 

個々の能力、

生きる力という意味では、

狩猟採取民に遠く及ばない・・・

 

私たち現代人は、

もう少し、謙虚になる必要が

あるのかもしれませんね(^^;

 

 

 

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・・・次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

 

久々に、横浜市動物園、

ズーラシアに行きました。

 

 

おお、白くまくん!

 

 

 

浮き箱のようなもので、

遊んでました。

 

 

 

たそがれポーズ。

 

 

 

 

きれいな紅葉ありました!

 

 

 

 

 

こちらは、

アンニュイな感じの

宮音くん。

 

最近、寒くなったせいか、

よくベットでくっついてきます😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

を紹介してきました。

 

今回で5回目、

最終回とさせていただきます(^^;

 

今回は、

本の中で、川野先生が推奨されている、

 

「自然の中を歩く、

”プチ・リトリート”のすすめ」

を紹介します。

 

 

都会から離れて

山や高原、海辺など

非日常の空間に身を置くと、

 

それだけで

日常の悩みを忘れられ、

頭がリフレッシュ

できるものです。

 

これを

「リトリート」

といいます。

 

「避難」「退却」「修養」

といった意味をもつ

この言葉が示すように、

 

日常の慌ただしさから

いったん距離を置き、

大自然のなかで

自らの存在と向き合うことが、

 

現代人には

とりわけ必要なのです。

 

 

同感です!

 

近年よく

「リトリート」という言葉を聞きますが、

 

それは、

自然の中の非日常空間に身を置いて、

自らの存在と向き合うことなんですね。

 

ちなみに、私は、

月に1~2回は、

自然に触れ合う時間がないと、

リフレッシュできない身体に

なってきました(^^;

 

 

マインドフル・ウォーキング

においても、

「ふだんとは違う場所で歩く」

ことによって、

瞑想の効果が

顕著に現れやすくなります。

 

休日に野山を裸足で歩く

なんてことができたら

最高に気持ちがよさそうだけど、

わざわざ遠出する時間がとれない、

という人も多いはずです。

 

自宅のそばに、

”プチ・リトリート”

ができる空間はありませんか。

 

 

皆さまは、

”プチ・リトリート”

ができる空間がありますか?

 

私の場合は、

歩いて15分くらいのところに、

鶴見川という、

河川敷もある比較的大きな川が

ありますので、

 

 

天気のいい日は、

ぶらっと散歩して、

そこで、ぼ~としたり、

動禅(太極拳のようなもの)

をしたりします。

 

ちょっと怪しいオジサンですが(^^;

 

 

プチ・リトリートに

適しているのは、

他人の視線を感じない場所や、

他人に話しかけられない

場所ですが、

 

一番良いのは、

鳥のさえずりや風の音、

川のせせらぎなど、

自然を感じられる場所です。

 

 

そうですね。

 

私も、人が多い場所だと、

落ち着かないので、

なるべく人気のないところに

行きます(^^;

 

たとえば、

一人静かに山歩きをしながら、

自然を感じるのが、

一番癒されるのですが、

 

ただ、景色がよくて登りやすい山は、

たいてい混んでいるので、

そこが悩ましいところです(^^;

 

(なので、ちょっとメインではない

ルートを歩いたりもします)

 

では、

なぜ自然を感じられる場所にいくと、

癒されるのでしょうか。

 

 

自然の音や風、

香りなどは絶えず変化していて、

複雑な「ゆらぎ」

があります。

 

この「ゆらぎ」

がいいのです。

 

一時期流行した

「1/fゆらぎ」

がまさにこれを

示しています。

 

1/fゆらぎとは、

「川の流れ」

「雨音」

「そよ風」

「波の音」

といった、

およそ自然界を構成する

あらゆる音に見られる

不規則なリズムです。

 

「森羅万象の足音」

とでもいえるでしょうか。

 

このゆらぎを感じていると

いうことは、

私たちは大自然の一部であり、

大自然に守られている

ということを意味します。

 

 

「1/fゆらぎ」

という言葉は、

私、知らなかったのですが、

 

自然界を構成する

あらゆる音に見られる

不規則なリズムのこと。

 

「森羅万象の足音・・・」

 

素敵な表現ですね(^^)

 

自然界の不規則なリズムが、

癒しに繋がる。

 

なぜなら、私たちは、

大自然の一部だから・・・

 

 

ところが、

時としてあまりにも

機械的、規則的なリズムを

体験すると、

 

このゆらぎが乱れたと

脳が認識します。

 

すると脳は、

「自然ではない、

何か大変なこと、

恐ろしいことが

起きようとしている

のではないか」

と判断をして、

 

自覚できない

深層心理のレベルで

ストレスを発生させることに

なるのです。

 

 

なるほど・・・

 

 

マインドフル・

ウォーキングの際にはぜひ、

片足ずつ注意を向けることと

同時に、

 

周囲の景色や

風の感触、

小鳥のさえずりなど、

 

移り変わっていく

自然の「ゆらぎ」を

感じてみましょう。

 

それが、

「気持ちを切り替える力」

を養ってくれます。

 

 

常に変化する

自然の「ゆらぎ」を、

感じることが、

 

「気持ちを切り替える力」

を養うことになる。

 

なるほどです(^^)

 

自然の「ゆらぎ」を

感じることは、

 

「いま・ここ」

に意識を向けることに、

 

すなわち、

「マインドフルネス」にも

つながりますね。

 

 

こうした条件を満たす

お気に入りの散歩コースを

近所に見つけるのも、

また楽しいかもしれません。

 

わざわざ野山に行かなくても、

ゆらぎを感じることはできます。

 

街中の散歩コースも、

日によって条件が

まったく変わります。

 

晴れの日、

雨の日、

交通量の少ない日、

多い日もありすし、

 

公園に咲く花も、

頬をなでる風の香りや強さ、

湿度なども季節ごとに変わる。

 

それも「ゆらぎ」なのです。

 

 

考えてみれば、

私は、若い頃は、

自然の「ゆらぎ」には、

ほとんど無頓着でした(^^;

 

たとえば、

街を歩いていても、

旅行に行った時も、

 

目的地に着くことばかりを、

考えて、

 

道端に咲く花など、

ほとんど目もくれなかったし、

 

気温や湿度にも、

鈍感でした。

 

それが、今は、

道端に咲く花を見て、

美しいと感じるようになったし、

(名前があまり分からないのが、

ちょっと悲しいのですが)

 

空気が乾燥していると、

のどがイガイガしてくることも、

自覚できるようになりました(^^;

 

ちょっとは成長したのかな。

(いや、単にジジイくさく

なっただけという説もありますが(^^;)

 

 

日本人は、昔から、

自然の「ゆらぎ」を感じられる

人たちだったのだと思います。

 

私は、まだ、

深く味わうことはできないのですが、

 

「短歌」や「俳句」などは、

そういった、

自然の「ゆらぎ」を感じる感性から、

生まれたのだと思います。

 

自然界の「ゆらぎ」を

感じて味わうことは、

 

自分の中にある様々な「感情」に

気づいて味わうことにも

繋がるような気がします。

 

「心ゆたかに生きる」ためにも、

自然界の「ゆらぎ」を味わいたい・・・

 

 

・・・ということで、

今の自然の美しい季節、

 

天気のいい週末は、

万難排して、

なるべく山歩きに行くぞ(^O^)


 

 

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以上、5回に渡って、

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

の内容から、

いくつか紹介をさせていただきました。

 

この本は、

タイトルのとおり、

「マインドフル・ウォーキング」

について、触れられていますが、

 

それ以外にも、

人生を豊かにすること、

 

いくつかの瞑想や、

セルフ・コンパッション(自慈心)

といった、

 

マインドフルネスに関する、

有益な内容が満載です。

 

文庫本で気軽に読めますし、

おすすめします😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回からは、

別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

名古屋市の興正寺。

門をくぐると・・・

 

 

 

おおっ、

大仏様のバックに五重塔!

 

 

 

京都にあるような、

素敵なお寺でした!

 

 

 

愛知県吉良の海。

ああ、世界は美しい・・・

 

 

 

こちらは豊川稲荷。

久しぶりに参拝しました。

 

 

 

この奥に、

お稲荷さん(狐)が

た~くさんいらっしゃいます!

 

 

 

 

こちらは、

三河の国一宮、砥鹿(とが)神社。

立派な神社でした!

 

 

 

 

 

ところ変わって・・・

 

神奈川県、丹沢大山の隣にある、

三峰山登山!

 

 

 

ええっ、

そんなこと言われても・・・

 

 

 

たしかに、

このような鎖場が何か所もあり、

かなりアドベンチャーな山でした😅

 

 

 

その分、達成感あり!

 

 

 

途中、相模平野を見下ろす。

遠くに江ノ島が見えます!

 

 

 

丹沢も、色づいてきました。

 

 

 

不動尻の不動の滝。

マイナスイオン!

 

 

 

日向薬師、

茅葺屋根の素敵な本堂!

 

私の中で、

鎌倉市を除く神奈川県で、

ベスト3に入るお寺です(^^)

 

ちなみに、他の2つは、

大雄山最乗寺、總持寺。

 

 

 

皆が幸せでありますように・・・