ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
蒸し暑く、
不安定な天気が続きますね💦
前回までは、
平野啓一郎さんの新書、
から、主に「分人主義」について、
私なりに紹介・解説を
させていただきましたが、
今回からは、
映画でも話題になった、
氏のロングセラー恋愛小説、
を読んで、
私の印象に残った箇所を、
紹介・解説させていただきます。
小説なので、
ネタバレに注意しながらの
紹介になりますが(^^;
主人公の天才クラシックギタリストの
蒔野聡史は、
ふとしたことから、
国際ジャーナリストの小峰洋子と出会います。
二人は惹かれ合いながら、
徐々に距離を接近させていきますが、
「ある出来事」を機に、
物語はあらぬ方向へと進んでいき・・・
・・・と、
このあたりで止めておきます(^^;
この小説は、
単なる恋愛小説ではなく、
人生とは何か、
過去や未来とは何か、
また、グローバリズムとは何か・・・
といった様々なことを考えさせられる、
深い小説でした。
もちろん、ストーリー展開も秀逸で、
特に、中盤の、
物語の転機となる「ある出来事」からは、
どうなってしまうのか興味津々で、
ぐいぐい引き込まれていきます。
が、今回は、
ストーリーの魅力ではなく、
私の印象に残った文章を題材にして、
考察を深められればと思います。
おそらく、
この箇所は、本小説の、
中核になる部分だと感じますが、
クラシックギタリストの
蒔野聡史が、
こう語る箇所があります。
音楽って
そういうものですよ。
最初に掲示された主題の行方を
最後まで見届けた時、
振り返ってそこに、
どんな風景が広がっているのか?
ベートーヴェンの日記に、
「夕べにすべてを
見届けること。」
っていう
謎めいた一文があるんです。
(中略)
展開を通じて、
そうか、あの主題には
こんなポテンシャルが
あったのかと
気がつく。
そうすると、
もうそのテーマは、
最初と同じようには
聞こえない。
花の姿を知らないまま
眺めた蕾は、
知ってからは、
振り返った記憶の中で、
もう同じ蕾じゃない。
音楽は、
未来に向かって一直線に
前進するだけじゃなくて、
絶えずこんなふうに、
過去に向かっても
広がっていく。
たしかに、音楽は、
最後の終わり方で、
最初の部分の印象が、
変わることがあるような気がします。
花のたとえも、
わかりやすいですね。
繰り返しますが、
「花の姿を知らないまま眺めた蕾は、
知ってからは、振り返った記憶の中で、
もう同じ蕾じゃない。」
・・・そうですね。
花の姿を知ってからの蕾は、
開花というポテンシャルを秘めた
存在だということがわかりますので。
そして、
蒔野聡史は、
こう続けます。
人は、
変えられるのは
未来だけだと思い込んでいる。
だけど、実際は、
未来は常に過去を
変えてるんです。
変えられるともいえるし、
変わってしまうともいえる。
過去は、
それくらい繊細で、
感じやすいものじゃ
ないですか?
未来は常に過去を変えている・・・
・・・う~ん、
交流分析の創始者として有名な、
精神科医のエリック・バーンの名言では、
「過去と他人は変えられない。
未来と自分は変えられる。」
とありますが、
皆さんは、どうお考えになりますか?
・・・私が思うに、
たしかに、
エリック・バーンがいうように、
過去と他人は、
基本的には変えられないと考えた方が
いいと思います。
変えようとして
コントロールできるものでは、
ありませんので(^^;
ただし、
未来によって、
過去に起きた出来事は変えられなくとも
「意味」が変わることは
あると思います。
「捉え方」が変わる、
といってもいいかもしれません。
この物語でも、
未来で、ある事実を知ることで、
過去の「意味」が変わるケースが、
描かれていますが、
過去の「意味」が変わることを、
意識的に捉える力のことを、
私が尊敬する、
田坂広志さんは、
「解釈力」
と呼んでいます。
例えば、
人生で与えられた苦労や困難、
失敗や敗北、
挫折や喪失、
病気や事故など、
様々な逆境を振り返るとき、
「あの苦労のお陰で、
大切なことを学べた」
「あの失敗のお陰で、
成長することができた」
「あの挫折のお陰で、
この道へと導かれた」
といった深い感慨を抱く人は、
決して少なくないだろう。
(7月新刊「教養を磨く」
より引用)
そうですね・・・
その時は、苦しかったり、
迷ったりするばかりで、
分からなくても、
後になってから、
「意味」が分かることって、
ありますよね。
私自身、
振り返ってみても・・・
暗く停滞した高校時代があったからこそ、
そのあとの人生は、
向上したいという気持ちになれたし、
仕事一筋で病気をしたことで、
人生、仕事だけじゃないと
思えるようになったし、
仕事で理不尽な思いをすることで、
自分軸を大切にしようと
思えるようになったし、
妻とぶつかることで、
謙虚な気持ちにもなれたし、
子どもができなかったことで、
思う存分、心の学びを続けることができる
余裕ができたし、
猫の可愛さも体験できたし(^^;
立身出世に行き詰まることで、
競争よりも、自分らしく、
心豊かに生きることの大切さに
気づくことができたし・・・
ふたたび、田坂さんの
「教養を磨く」より引用します。
一度、
自身の人生全体を振り返り、
「幸運は、不運の姿をして
やってきた」
という体験の棚卸をされることを
勧めたい。
読者は、
その棚卸しによって、
いかなる逆境をも
肯定的に受け止め、
それを越えていく力、
「人生の解釈力」
と呼ぶべき力を
身につけることができるだろう。
この「解釈力」とは、
人生で、
いかなる苦労や失敗や挫折が
与えられても、それを、
「この苦労は、
何を学べという天の声なのか」
「この失敗は、
どう成長せよという声なのか」
「この挫折は、
どの道を求めよという声なのか」
と前向きに受け止め、
その逆境を肯定的に解釈する
力のことである。
そして、実は、この
「逆境を肯定的に解釈する力」、
それこそが、
「不運」に見える出来事を
「幸運」へと転じていく力に
他ならない。
・・・
に戻りますと、
この物語は、
どちからといえば、
運命に導かれるように、
過去の「意味」が変わるので、
田坂広志さんがいうように、
あまり意識的に解釈をする
という感じではありませんが、
私は、この小説を読んで、
ふと、今、紹介した、
「解釈力」という言葉が浮かびました。
もっとも、これは、
7月新刊「教養を磨く」を
同時並行で読んだ影響かもしれませんが(^^;
(いずれ「教養を磨く」も
メインで紹介しますね)
もちろん、
今はそういう気分になれない、
という時、
過去の体験が辛すぎて、
まだ受け止められないし、
「解釈」をする気にはなれない時には、
無理しなくていいと思います。
この物語のように、
機が熟すれば、
過去の「意味」が
変わるような出来事が、
自然と訪れるかもしれませんし、
焦ることはないと思います(^^)
ただ、
「解釈力」によって、
人生の一見「マイナス」に見えることを、
「プラス」に捉え直すことができる
ということは、
覚えておいて損はないと思います😊
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました。
次回も、
マチネの終わりにの紹介を続けますね。
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おまけ(^^;
三浦半島の荒井浜で、
毎年恒例?の
シュノーケリング遊びをしました!
平日に休みをとって行けたので、
おかげさまで、けっこう空いていました!
ここは、砂浜と磯と、
両方楽しめます(^^)
水もきれいで、
磯でちょっと潜ると、
たくさんの種類の魚がいます!
やっぱり、自然は癒されますね~😊



