ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

出張中のため、

書き溜めたブログになります(^^;

 

今回紹介する本は、

思想家、内田樹さんの最新刊!

 

勇気論

 

 

内田樹さんの本は、

いろいろと示唆を与えてくれるので、

周期的に読みたくなるのですが、

 

今回のきっかけは、

たまたまネットを見ていたら、

新刊の情報が配信されていまして、

 

その、タイトルが、

「勇気論」

 

「勇気・・・」

何故か惹かれるものがありました。

 

今、考えると、

おそらく、

「最近の私、

何だか勇気が足りてないな~」

という自覚があったからではないかと

思うのですが(^^;

 

そんな私、

読み進めると、

「なるほどな~」と思える箇所が、

いくつもありました。

 

この本は、

古谷俊勝さんという名編集者の方との

往復書簡という形で

展開するのですが、

 

まずは、

冒頭の部分から、

 

内田先生は、

「勇気とは、孤立を恐れないこと」

であるが、

今は、その、

「勇気を持て」という教えが、

後退しているといいます。

 

何故なのでしょうか。

 

 

・・・その場の

思いつきで

「少年ジャンプ」

のせいかなと答えました

(集英社さん、ごめんなさい)。

 

「少年ジャンプ」

が作家たちに求めた

物語の基本は

「友情・努力・勝利」

でした。

 

最初に「友情」が来ます。

 

でも、

友情と勇気は

相性が悪いんです。

 

 

「少年ジャンプ」のコンセプトが、

「友情・努力・勝利」だというのは、

よく知られた話ですね。

 

私は、このコンセプト、

嫌いではないです。

 

「少年ジャンプ」は、

このコンセプトを外さないからこそ、

今まで多くの少年少女たちに、

支持されてきたと思いますが・・・

 

友情と勇気は、

相性が悪い?

 

 

友情というのは

理解と共感に基づいて

成立するものです

(とりあえずそう

信じられている)。

 

友情を豊かに享受している人は

周りの人たちに理解され、

共感され、支援されます。

 

ぜんぜん孤立していない。

 

でも、勇気というのは、

周りからの理解も共感も支援も

ないところから

なにごとかを始めるために

必要な資質です。

 

ですから、

「すべてはまず友情から始まる」

という世界には

「孤立を恐れない少年」

の居場所がありません。

 

 

なるほど・・・

 

「友情」というのは、

まず、それありきで考えてしまうと、

「孤立」を恐れることになってしまう。

 

理解や共感や支援を得たいがための

「友情」だと、

けっきょく、忖度してしまい、

周りの空気を読むことや、

同調圧力に従うことになりがち、

というわけですね。

 

考えて見ると、

私の学生時代が、そうでした・・・

 

何より、孤立を恐れていたかも。

 

いや、今でも?

 

 

勇気が最優先の

徳目だった時代に、

それに続く徳目は

「親切と親切」でした

(と思います。

個人の感想ですけれど)。

 

1950年代60年代の

少年たちには

「勇気・正直・親切」

が求められた。

 

とりあえず、

僕が読みふけっていたマンガでは

そうでした。

 

 

1950年代60年代に、

「勇気・正直・親切」

その中でも、

孤立を恐れない「勇気」が

特に求められたのは、

 

内田先生いわく、

 

戦前戦中時において、

大人たちが、

自分が「正しい」と思ったことを

口に出さず、

 

大勢に流されて、

ついには亡国の危機を招いてしまった

反省からではないか、

と、この本には述べられています。

 

なるほど・・・

それはあるかもしれません。

 

「少年ジャンプ」のコンセプト、

「友情・努力・勝利」

に対して、

 

1950年代60年代のマンガは、

「勇気・正直・親切」

 

この本を読み進めると、

この「勇気・正直・親切」

ということが、

 

実は今の時代にも、

大切であるということが、

腑に落ちてきます。

 

この本の最後の部分になりますが、

印象的な箇所があります。

 

 

いま、日本だけでなく、

世界のどこでも、

「いじめ」やDVや

レイシストや民族主義者の

暴力が

猖獗(しょうけつ)を

きわめています。

 

この暴力を駆動しているのは、

ぎりぎりまで削ぎ落すと、

 

「理解も共感もできない

他者を前にした時の

不快に耐えられない」

弱さだと僕は思います。

 

「他者の他者性に耐えられない」

というのは、

「孤立に耐えられない」

のと同じことです。

 

暴力をふるう人たちは、

他者を「理解すること」

「共感すること」

にあまりに性急なんです。

 

それは簡単に

手に入るものだと思っている

(そんな訳ないのに)。

 

だから、すぐに

「理解できない」

「共感できない」

と決めつける。

 

 

なるほど・・・

 

ググれば、

すぐに正解が出てくる時代、

 

「理解」「共感」に対して

性急すぎるというのは、

あるような気がします。

 

たしかに、

他者を「理解」「共感」

するのは難しいことです。

 

だから、

すぐに諦めてしまったり、

 

逆に、とりあえず、

「理解」「共感」したふりをする、

ということもあります。

 

河合隼雄さんが言っているように、

実は「人を理解する」

ことは、命がけのことなんですね。

 

それを、

安易に、わかったふりをする。

 

これは、

「勇気・正直・親切」

の「正直」に反しますね(^^;

 

自戒を込めて。

 

 

孤立に耐えることの

できる人は

他者の他者性に

耐えることができる。

 

理解も共感もできない他者を

前にした時に、

 

それを

「人間でない」とか

「忌まわしいもの」

とかいうふうに

ラベルを貼って分類して、

処理することを自制して、

 

しばらくの間の

「判断保留」に

耐えることができる。

 

人間の暴力を駆動しているのは

「何だかわからないもの」

に対するこの

嫌悪と恐怖なんです。

 

あらゆる戦争も、

差別も、ジェノサイドも、

起源までたどると、

 

「他者が他者であることの不快」

に耐えられない

人間の弱さにたどりつきます。

 

 

「何だかわからないもの」

に対する嫌悪と恐怖。

 

暴力は、

「恐れ」からくるわけです。

 

この恐れをなくす、

ということは・・・

実際、難しいのですが、

 

では、軽減させるには?

 

過去ブログにも、

何回か書きましたが、

 

自分の中にもある、

「何だかよくわからないもの」

に対して、

受容的になることだと私は考えます。

 

つまり、

「自己受容」ですね。

 

「他者受容」の前に、

まずは、

「自己受容」(^^)

 

 

勇気とは

この弱さとまっすぐに向き合い、

自分を少しずつ強くするための

足場です。

 

他者が他者であることに

耐えることのできる力です。

 

この力を僕は

勇気と呼びたいと

思っているのです。

 

 

自分の弱さを

しっかりと見つめる。

 

そして、あせることなく、

そのままの他者を受け止める。

 

他者はなかなか理解できない

ということを

前提としながらも、

 

その中でも、

少しでも分かろうとする

姿勢は忘れずにいる。

 

難しいことですが、

心がけていきたいです😊

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続ける

予定です!

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

滋賀県版!

 

 

 

いざ、彦根城へ!

 

 

 

動かない、ひこにゃんと(^^;

 

 

 

駆け足で玄宮園。

 

 

 

彦根の天寧寺。

五百羅漢さま、圧巻でした・・・

 

映画「関ケ原」の撮影でも使われたそうです。

隠れたおすすめスポット!

 

 

 

巨大布袋さま(^^)

 

 

 

彦根の街が一望できました!

 

 

 

多賀大社。

 

 

 

おおっ、美しい!

 

 

 

拝殿から本殿まで、

奥行きがありました。

 

うわさにたがわぬ、

美しい大社でした!

 

 

 

湖東三山のひとつ、

西明寺。

 

 

 

苔がもりもり。

 

 

 

庭園を抜けると、

おおっ、

国宝の本堂と、三重塔が!

 

 

 

本堂内では、

丁寧に解説もしていただけます。

 

自然と一体化した、

とても美しいお寺でした(^^)

 

 

 

一度行ってみたかった佐和山城跡。

 

 

 

石田三成公。

 

 

 

本丸跡から彦根城方面を望む・・・

 

 

 

これは、佐和山城天守閣!

(の復元ミニチュア模型(^^;)

 

 

 

石田三成公。

地元で愛されている様子がうかがえます。

 

きっと善政を敷かれていたんだろうなあ~。

 

(滋賀県版、次回も続きます)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

出張中のため、

書き溜めたブログになります(^^;

 

直木賞作家、

白石一文さんの最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

から、

私の印象に残った箇所を

引用して、

私なりに解説しています(^^)

 

前回は、

「自分」を観察する

もうひとりの

「観察者としての自分」

とは、いったい何だろう?

 

という話でしたが、

今回は、その続きです。

 

「神様」が出てきます(^^;

 

 

「苦しいときの神頼み」

というように、

 

人間は困ったときにだけ

神にすがる印象があるが、

 

実は幸福なときも案外、

神を思い出すものだ。

 

人は強い幸福感に

浸されると瞬間的に、

 

「ああ、神様

ほんとうにありがとうございます」

とこころのうちでつぶやく。

 

もとから

神社仏閣で必勝祈願をしていた

アスリートが勝利を掴んで

神に感謝を捧げるといった

場合なら別だが、

 

実際は、それまでに何にも

神を意識していなかったとしても、

 

人は望外な喜びや

思わぬ幸運、

辛くも危地を脱したときなどに、

ついつい

 

「神様ありがとうございます」

 

と感謝してしまう。

 

 

そうですね・・・

 

私事ですが、

大学受験で、

第2、3、4志望に落ちたにもかかわらず、

第1志望に合格できた時は、

思わず

神に感謝しましたよ(^^)

 

 

私たちは、

自分という人間を見ている

もうひとりの

「自分」を持っているが、

 

同時に、その「自分」を

さらに見守ってくれ、

 

しかも、

たまに幸運を授けてくれる

もう一段上の

「視点」というものを

 

こころのうちに持っている。

 

 

たしかに・・・

 

私は、昔から(今でも)、

特定の宗教の信者ではありませんが、

 

私を見守ってくれている、

「大いなる存在」

があるような気は、しています。

 

 

合わせ鏡の譬えを以前は使ったが、

 

人間はものごころがついて

二つの自分に分裂した時点で、

 

自分を見る自分を見る

自分を見る自分を見る

自分を見る自分を見る自分・・・

 

という構造物を

意識のなかに組み入れてしまう。

 

そしてその構造物を

いつまでも

上に伸ばしていくわけにも

いかなくなって、

 

「納得のいく天井」

を設ける。

 

それが「神」というものなのだ。

 

 

自分を見る自分を見る・・・

 

の「納得のいく天井」が、

すなわち「神」。

 

なるほど・・・

 

こういう定義の仕方は、

考えたことがなかったのですが、

腑に落ちる感じがします。

 

 

この物語は、

後半で、

「揺れるゴンドラ」

のたとえを使って、

 

「私たちはいったい何者なのか?」

 

という問いの核心に迫っていきます・・・

 

・・・が、これ以上は、

ネタバレになりそうなので、

このあたりでやめておきますね(^^;

 

 

***********************************

 

 

この物語を読了した時に、

私は、

 

神との対話

という本の、

 

(この本は、

タイトルは眉唾でちょっとアヤシイですが、

中身は、本質を突いていて、

素晴らしい正統派スピリチュアル本です)

 

 

(過去ブログもあります。

よかったらご参照ください)

 

過去ブログでも

紹介させていただいた箇所なのですが、

 

この本の一節を、

想起したので、

 

改めて引用させていただきますね。

 

「小さな魂と太陽」

のたとえ話です。

 

 

―かつて、

自らが光であることを

知っている魂があった。

 

これは新しい魂だったから、

体験したくてならなかった。

 

「私は光だ」。

 

だが、いくら知っていても、

いくら口に出してみても、

体験にかえることはできない。

 

この魂が生まれた領域では、

光しかなかった。

 

どの魂も偉大で、

どの魂もすばらしく、

どの魂も

わたしの神々しい光を受けて

輝いていた。

 

そこでは、

その小さな魂は、

まるで太陽の前の

ロウソクのようだった。

 

偉大な光のなかでは、

その光の一部である魂は

自らを見ることができないし、

自分が何者であるかも

体験できない。

 

 

 

その魂は

自分自身を

知りたくて知りたくて

たまらなくなった。

 

あまりに知りたがるので、

ある日、

わたしは言った。

 

「小さいものよ、

その望みをかなえるには

どうすればいか、わかるか?」

 

「どうすればいいのですか、

神さま?

わたしは何でもします!」、

小さな魂は答えた。

 

「おまえは

わたしたちから

離れなければならない」

とわたしは言った。

 

「そうして、

闇を求めなければ

ならない」

 

「闇というのは何ですか、

聖なるかた?」

と小さな魂はたずねた。

 

「それは、

おまえではないものだ」

とわたしは答え、

その魂は理解した。

 

そこで、

その魂は全体から離れ、

べつの領域に行った。

 

その領域では、

魂はあらゆる闇を

体験する力を持っていた。

 

そして、闇を体験した。

 

その闇のさなかで、

魂は叫んだ。

 

「父よ、父よ、どうして、

あなたは私を

見捨てたのですか?」

 

たとえば、

あなたがたが

暗闇にいるときのように。

 

だが、

わたしは一度も

あなたがたを

見捨てたことはない。

 

つねにそばにいて、

ほんとうは何者であるかを

思い出させようとしているし、

いつも、

わが家に呼び戻そうと

している。

 

だから、

闇のなかの光になりなさい。

 

そして、

闇のなかにいることを

呪ってはいけない。

 

また、

まわりが

自分と違うものばかりでも、

自分が何者であるかを

忘れてはいけない。

 

そして創造物を

ほめたたえなさい。

 

たとえ、

それを変えたいと思っても。

 

 

・・・私たちは、

ちっぽけな存在ながらも、

 

神の一部であり、

また、

言い換えれば、

 

神そのものなのかも、

しれませんね😊

 

 

 

***********************************

 

 

 

以上、少し、

神との対話

に脱線しましたが(^^;

 

白石一文さんの最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

を2回に渡って

紹介させていただきました。

 

「自分はいったい何者なのか」

「この世界の仕組みとは何なのか」

「死とは何なのか」

 

ということに興味のある方には、

おすすめします!

 

きっと何らかの

示唆が得られると思います😊

 

 

 

************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回からは、別の本を紹介します。

 

 

 

************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

前回からの続きです!

おつきあいいただければ幸いです(^^)

 

 

 

三重の北畠神社。

美しい庭園がありました。

 

 

 

霧山城址にも登れました!

 

 

 

丹生大師、

神社と癒合した素敵なお寺でした!

 

 

 

津市の専修寺。

 

 

 

大寺院ですが、

堂内にも気軽に入れる、

オープンなお寺でした!

 

 

 

瀧原宮。

静かで厳かなパワースポット。

 

 

 

なんと、磁場の関係か、

木がねじれています!

 

 

 

ところ変わって、

岐阜県中津川市の苗木城!

 

 

 

岩山を利用した山城です!

 

 

 

絶景でした!

 

 

 

こちらは、岩村城。

しばらく山道を登ると・・・

 

 

 

おお、現れました!

美しい六段壁。

 

 

「天空の城ラピュタ」

のような感じの

山城でした!

 

 

 

岩村の街並み保存地区。

 

 

 

愛知県安城市の本證寺。

三河一向一揆で家康に対抗した拠点です。

 

 

 

こちらは、

岡崎の大樹寺。

徳川家の菩提寺です。

 

 

 

岡崎の伊賀八幡宮。

 

 

 

愛知県蒲郡、

がん封じの寺、無量寺。

 

千仏洞めぐり、

無料ですが、雰囲気抜群でした!

 

 

蒲郡の八百富神社。

ミニ江ノ島的な感じ。

 

 

 

 

 

そんなに観光化されておらず、

素敵なパワースポットでした!

 

 

 

蒲郡の子安弘法大師像。

 

写真では分かりにくいですが、

巨大で大迫力!

 

 

 

お大師さまの足元にいた、

ノラちゃん😸

 

 

おつきあいいただきまして、

有り難うございました(^^)

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

5月の長期出張から

ようやく帰ってきました。

 

と思ったら、

6月もまた、れっつごう!

 

ということで、

再び、出張の旅に出る私でございます(^^;

 

今回紹介する本は、

直木賞作家、

白石一文さんの小説で最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

白石一文さんは、

新刊が出ると、私はすかさず

ハードカバーで買っていた

作家さんなのですが、

 

ここ数点は、

買っていませんでした(^^;

 

今回、タイトルやキャッチコピーにも

惹かれたので、

久しぶりに読ませていただいたのですが・・・

 

いやあ~

やっぱりすごいですね!

 

この世界観は、

深遠すぎて、一度読んだだけだと、

なかなか深く味わえないかもしれません(^^;

 

難解な部分もありますが、

そこは白石一文さん、

抜群のストーリーテーリングで、

ぐいぐい物語の世界に引き込まれます。

 

白石一文さんの作品は、

私なりに分類すると、

 

1、人情や男女の機微を繊細に描く作品

2、強者を描くようで実は弱者に寄り添う作品

3、社会問題に鋭く切り込んでいく作品

4、スピリチュアルで摩訶不思議な作品

5、SF風味な作品

 

となります。

(ちょっと強引?)

 

もちろん、グラデーションであって、

どれかひとつの要素だけという

作品はないのですが、

 

この作品は、どちかかといえば、

3、4、5、

 

特に、

5、SF風味な作品

の要素が強いです!

 

ちょっとだけ、

あらすじを紹介しますと・・・

 

老夫婦、

82歳の男性(カズマサ)と

89歳の女性(カヤコ)が

主人公なのですが、

 

この物語の世界では、

Timerという装置を装着すると、

何と、老化のスピードが、

格段に落ちるのです!

 

Timerを装着したカヤコは、

そのおかげで、

89歳とは思えないほど、

若々しく見えるのですが、

 

ただし、

そのTimerには、

大きなリスクがあります。

 

一度、その装置を装着すると、

89歳の最後の日には、

必ず死が訪れるのです。

(つまり90歳以上になることはない)

 

Timerの秘密を知りたくなったカヤコは、

開発者の博士を捜すために、

カズマサと二人で動き始め、

やがて禁断の地へ向かうのですが・・・

 

と、

あらすじはこのくらいにしておきます(^^;

 

途中で、

巨大な「豚」が、爆発して、

大惨事になるという摩訶不思議な事件が、

世界中で頻発したり、

(これには実は、

れっきとした理由があるのですが)

 

「豚」といえば、

中島らもさんの、

ガダラの豚という、

これまた、

すごい印象の作品がありましたが・・・

 

・・・さておき、

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

に戻りまして(^^;

 

白石一文さんらしい、

物事を突き詰める、

思索的な箇所を引用します。

 

82歳の主人公、

カズマサが語ります。

 

 

人間というのは

物心がついた時点で、

ふたりの自分に分裂する。

 

実人生を悪戦苦闘しながら

歩んでいく自分(車)と、

 

そういう自分を

観察する自分(運転手)だ。

 

この二役を僕たちは

死ぬまで同時にこなしつづける。

 

ふたりとも

与えられた肉体のなかにあるので、

車と運転手のように

ときどき分離することは

かなわない。

 

いまの僕みたいに

車体(脳)が壊れてくると、

それを修理して、

かつてのように上手に

記憶の糸をたぐり寄せる機能を

回復させるには、

ほとんど不可能ということに

なってしまう。

 

僕はいわゆる認知症なのだろう。

 

 

ふたりの自分、

 

・実人生を歩んでいく自分=脳=車

・それを観察する自分=運転手

 

のたとえは、

イメージしやすいですね。

 

車体(脳)が壊れてくるのが、

認知症というのは、

実際そうなのかもしれません。

 

「観察する自分」

に関して、

興味深い「夢」の話も、

出てきます。

 

 

仮に自分という

主語のある夢でも、

半分以上の夢は、

それを観察しているだけだ。

 

たとえば

ライオンに追いかけられる

夢を見たとして、

 

襲われる自分に完全に同化して、

実際にライオンに襲われたとき

(そんな経験はほぼありえないが)

と同じような恐怖を

感じることもあるが、

 

大体はそうやって

逃げ惑う自分自身を

外側からハラハラしつつ

眺めていることが多い。

 

この場合、

正しくは

「ライオンに追いかけられる夢」

ではなく、

「ライオンに追いかけられている

自分を見ている夢」

ということになる。

 

 

たしかに、

言われてみれば、

 

夢って、

自分が体験しているというよりも、

体験している自分を見ていることのほうが、

多いような気がします。

 

 

こんなふうに

夢の話ひとつとっても、

よくよく思い巡らせていると、

 

―そもそも自分とは何だろう?

 

と不思議な心地になる。

 

人間のなかには

ふたりの自分がいて、

それは車と運転手のようなものだ

と言ったけれど、

 

車の方はともかく

運転手の方は

「自分」とは称しても、

その実態は曖昧模糊としている。

 

現実を生きる

「自分」を観察する

もうひとりの

「観察者としての自分」

という点では

一般化できるけれど、

 

じゃあ、その

「観察者」は具体的に

どんな人(自分)なのかと

問われれば、

 

それに答えるには

「観察者」を観察しているさらに

「もうひとりの観察者」

というものを

用意しなくては

ならなくなったりする。

 

要するに

合わせ鏡のような堂々巡りに

陥ってしまうのだ。

 

 

「観察者」って

いったいどんな自分なんだろう?

 

「観察者を観察している観察者」

とはいったい何なのか?

 

う~ん・・・

 

 

こんな歳まで生きながらえて

ようやく分かってきたのだが、

 

僕たちの脳内で

絶え間なく起きている

意識現象は、

 

睡眠時だけでなく

覚醒しているときであっても、

 

僕たちをうっちゃった状態で

勝手にさまざまな想念を

生み出しているようだ。

 

 

これは、

「無意識」の働きでしょうか。

 

 

むろん、

それを観察する自分は

存在するのだろうが

(しかし、

彼は非常に忘れっぽい)、

 

その自分は、

「自分らしさのない

一般的な自分」

(AさんとかBさんとか

Cさんとかの区別のない自分)

で、

 

僕たちが

「そう信ずるところの自分自身」

とはちょっと違うものなのだ。

 

 

「観察する自分」

とは、固有名詞のあるもの、

つまり「自我」ではなく、

 

しかも、

「仮面を剥いだ自分らしい自分」

という訳でもない、

 

ということでしょうか。

 

では、

「観察する自分」とは

いったい何なのでしょうか・・・

 

次回も、

82歳の主人公、

カズマサの語りを引用しながら、

 

さらに考察を深めていきますね(^^;

 

 

 

 

************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介をします!

 

 

 

************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

長期出張で休みの日もあったので、

たくさん観光できました!

 

 

 

三重県、津城址。

 

 

 

津市の四天王寺。

信長の実母のお墓などがありました。

 

 

 

津観音、日本3大観音だそうです!

 

 

 

美しい五重塔。

 

 

 

伊勢の猿田彦神社。

立派な社殿でした!

 

 

 

志摩の風景、美しかった・・・

 

 

 

志摩の「天の岩戸」

 

ここ、鈍感な私でも、

何か感じるものがあるパワースポットでした!

 

 

 

石山観音公園、

穴場スポット!

 

 

 

岩盤に掘られた仏様が、

たくさんいらっしゃいました!

 

 

 

 

見ごたえあり!

 

森林浴もできる癒しスポット、

おすすめです!

 

 

 

津市のルーブル彫刻美術館。

 

 

 

すべてレプリカでしたが、

なかなか見ごたえありました!

 

 

 

隣の大観音寺。

 

 

巨大な観音様。

大迫力でした!

 

 

おつきあいいただき、

有り難うございました(^^;

(次回に続きます)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)


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いつものブログです。

 

今、長期の出張に出ているため、

GWで書き溜めたブログを

アップしています(^^;

 

遠藤周作さんの名作、

 

わたしが・棄てた・女

 

 

から、

私の印象に残った箇所を

引用しながら、

紹介・解説をしています(^^)

 

今回で3回目、最終回です。

 

前回、

「人の不幸や苦しみには、

はたして意味があるのか」

 

という問いに触れましたが、

今回は、その続きです。

 

引用します。

 

 

「なぜ、

悪いこともしない人に、

こんな苦しみがあるの。

 

病院の患者さんたち、

みんないい人なのに。」

 

ミッちゃんには、

苦しんでいる者たちを見るのが、

何時も耐えられなかったのです。

 

しかし、

どう説明したら

よいのでしょう。

 

人間が苦しんでいる時に、

主もまた、

同じ苦痛を

わかちあってくれている

というのが、

私たちの信仰でございます。

 

どんな苦しみも、

あの孤独の絶望に

まさるものはございません。

 

しかし、

人間はたとえ砂漠の中で

一人ぼっちの時でも、

 

一人だけで

苦しんでいるのでは

ないのです。

 

私たちの苦しみは、

必ず他の人々の

苦しみにつながっている筈です。

 

しかし、

このことを

ミッちゃんにどう、

わかってもらえるか。

 

いいえ、

ミッちゃんは

その苦しみの連帯を、

自分の人生で知らずに

実践していたのです。

 

 

・・・私は、

特定の宗教の信者ではなく、

キリスト教よりも、

むしろ、仏教のほうが

身近で親近感がわくのですが、

 

遠藤周作さんの語る

キリスト教の、

「主が苦しみを分かち合ってくれている」

という考え方には、

とても惹かれます。

 

いや、キリスト教に限らず、

すべての信仰は、

そうなのだと考えます。

 

「苦しみの連帯」

 

イエスさまも苦しんだ。

仏教でも、

人の一生は四苦八苦から

逃れられないという。

 

苦しいのは、

自分だけじゃない。

 

程度の差こそあれ、

誰もが、皆、苦しんでいる。

 

そう考えると、

少しだけ、苦しみが和らぐかも

しれません。

 

 

この小説の最後のシーン、

 

物語を読み進めた最後に、

この箇所を読むと、

とても心に沁みるというか、

考えさせられます。

 

ちょっと長くなりますが、

引用させていただきます。

 

 

(吉岡は)

ながい間、

その手紙を見つめていた。

 

読んでいるというよりは、

見つめていた。

 

(なんでもないじゃないか。)

 

ぼくは自分に言いきかせた。

 

(誰だって・・・

男なら、することだから。

俺だけじゃないさ。)

 

ぼくは、

自分の気持ちに

確証を与えるために、

 

屋上の手すりに靠れて、

黄昏の街を見つめた。

 

灰色の雲の下に、

無数のビルや家がある。

 

ビルディングや家の間に

無数の路がある。

 

バスが走り、

車がながれ、

人々が歩きまわっている。

 

そこには、

数えきれない

生活と人生がある。

 

その数えきれない

人生のなかで、

 

ぼくのミツにしたようなことは、

男なら誰だって

一度は経験することだ。

 

ぼくだけではない筈だ。

 

しかし・・・しかし、

 

この寂しさは、

一体どこから来るのだろう。

 

ぼくには今、

小さいが手がたい幸福がある。

 

その幸福を、

ぼくはミツとの記憶のために、

棄てようとは思わない。

 

しかし、

この寂しさは

どこからくるのだろう。

 

もし、ミツが

ぼくに何か教えたとするならば、

 

それは、

ぼくらの人生を

たった一度でも横切るものは、

 

そこに消すことのできぬ

痕跡を残すということなのか。

 

寂しさは、

その痕跡からくるのだろうか。

 

そして亦、

もし、

この修道女が信じている、

神というものが

本当にあるならば、

 

神はそうした痕跡を通じて、

ぼくらに話しかけるのか。

 

しかしこの寂しさは

何処からくるのだろう。

 


 ここでいう、

「男」とは、

「強者」「勝者」とも言い換えられる

かもしれません。


この寂しさは、

いったい何処からくるのだろう・・・



この物語の主人公ミツは、

私の心にも、

消えぬ痕跡を与えてくれました。

 

それは、

普段は生活の中に埋もれていて、

あえて見ないようにしている、


弱肉強食の世の中、

棄てたつもりでも、


たしかに、

私の中に存在している、

 

寂しい気持ちだったり、

憐憫の情だったり、

弱さを慈しむ声であったり・・・

 

それらを思い出すきっかけとなりました。

 

今でも、

この本を読み返すと、

そんな気持ちが芽生えてきます。

 

 

ぼくの心にはもう一度、

あの渋谷の旅館のことが

甦ってきた。

 

蚊を叩きつぶした

跡のついている壁。

しめった布団。

 

そして、

窓の外に雨がふっていた。

 

雨の中を、

ふとった中年の女が、

だるそうに歩いていた。

 

これが人生と

いうものだ。

 

そして、

その人生をぼくは、

ともかく、

森田ミツという女と

交わったのだ。

 

黄昏の雲の下に、

無数のビルや家がある。

 

バスが走り、

車がながれ、

人人が歩きまわっている。

 

ぼくと同じように、

ぼくらと同じように・・・

 

 

 

・・・私が人と接する時に、

(特にカウンセリングを

させていただく際に)

心がけていることがあります。

 

「この人も私と同じだ・・・」

 

「この人も私と同じだ。

苦痛を避けたいと願っているんだ」

 

「この人も私と同じだ。

幸せでありたいと願っているんだ」

 

「この人も私と同じだ。

人生を通じて学んでいるんだ」

 

皆、弱さを抱え、

さまざまな苦労を重ねながらも、

懸命に生きているわけです。

 

この人も、私も・・・

 

「苦しみの連帯」

 

皆、迷い、悩み、

苦しみながらも、


人生という名の

それぞれの道のりを、

一緒に歩んでいる同志なんだ・・・

 

そんな気持ちを

忘れずにいたいと思います😊

 

 

 

**********************************

 

 

以上、

3回に渡って、

 

遠藤周作さんの珠玉の名作、

 

わたしが・棄てた・女

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきました。

 

ちなみに、映画化は、

ずいぶん前(1969年)に、

されたみたいですが、

私は観ていません。

 

1997年に、

「愛する」と改題されて、

現代風にアレンジされた映画は、

(酒井美紀さん主演の)

観た記憶がありますが、

原作のイメージとは、

だいぶかけ離れていた印象があります。


 

最後に、小説における、

森田ミツの言葉で、

締めくくりたいと思います。

 

 

「さいなら、吉岡さん」

 

 

この言葉は、

物語の最後に発せられますが、

 

このシーン、

切なすぎて、

目頭が熱くなります・・・😢


(ちなみに、森田ミツは、

遠藤周作さんの他の小説にも、

転生?して、

たびたび登場しますよ(^^))


 

わたしが・棄てた・女

 

まだ読んだことのない方には、

ご一読をおすすめいたします!

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介する予定です。

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

富士周遊の旅、

第3弾!

 

 

西湖コウモリ穴、

ヘルメットをかぶって進入です!

 

 

 

昼間なので

コウモリはいませんでしたが、

屈まないと通れない箇所もあり、

けっこうスリリング!

 

 

 

川口浩探検隊(懐かしい~)

の気分を味わえました!

 

 

 

河口湖畔にある、

武田信玄公ゆかりの、

富士御室浅間神社

 

 

 

湖畔では、

やぶさめのイベントをやっており、

大盛況でしたが、

 

境内は、

静寂の空間でした。

 

 

 

里宮。

無骨で渋い感じがして、

かっこよかったです!

 

 

 

本宮の前。

 

 

 

本宮、国の重要文化財。

 

 

 

林の中で、

赤が映えます!

 

 

 

河口湖町の風景。

富士山が身近ですね🗻

 

 

以上、

おつきあいくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

あっ、この子も😸

 

(出張でしばらく会ってないけど、

元気かなあ~)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今、長期で出張に出ているため、

GWで書き溜めたブログを

アップしています(^^;

 

前回から、

遠藤周作さんの名作、

 

わたしが・棄てた・女

 

 

から、

私の印象に残った箇所を引用しながら、

紹介・解説をしています(^^)

 

あらすじは、

ちょっとだけ・・・

 

「冷酷な運命に弄ばれながらも、

崇高な愛に生きる

無知な田舎娘ミツの短い生涯を、

斬新な手法で描く・・・」

 

 

では、さっそく引用します。

 

主要登場人物の吉岡が、

「あの人」の声を聞くシーンです。

 

 

(病気か・・・

あいつ。)

 

ぼくはひどく

疲労を感じた。

 

なぜか知らないが

体だけではなく、

心の芯まで

くたびれているのを感じた。

 

雨にぬれて

一匹の犬が

路をよろめきながら

横切っていった。

 

その瞬間、

突然、誰かが

耳もとでぼく自身に

問いかけるような

錯覚に捉われた。

 

今でもあの瞬間、

どうしてあんな声を

聞いたような気がしたのか

ふしぎである。

 

(ねえ、君があの日、

彼女と会わなかったら)

と、その声は呟いた。

 

(俺の責任じゃないぜ。)

とぼくは首をふった。

 

(一つ一つ、

そんなこと気にしていたら、

誰とも会えないじゃないか。

毎日を送れないじゃないか。)

 

(そりゃそうだ。

だから人生というのは

複雑なんだ。

 

だが忘れちゃいけないよ。

人間は他人の人生に

痕跡を残さずに

交わることはできないんだよ。)

 

ぼくは首をふって、

雨のなかを、

ぬれながら、

歩きつづけた。

 

ちょうどあの渋谷の夜、

仔犬のように

ついてきたミツに

 

眼もくれずに

駅にむかって

歩き出したように・・・

 

 

「人間は他人の人生に

痕跡を残さずに

交わることはできない・・・」

 

そうですね・・・

 

私もふと、

過去のちょっとした出来事を、

思い出すことがあります。

 

ちょっと恥ずかしい、

自己嫌悪を感じるようなことだったり、

もしかしたら、

相手を傷つけたかもしれない

出来事だったりします。

 

忘れたつもりでも、

無意識の中に蓄積されていて、

ふとしたときに、現れてくる。

 

もちろん、

吉岡がいうように、

 

そんなことを気にしていたら、

誰とも会えないし、

日常生活がすごく窮屈になります。

 

だから、

あまり気にする必要は

ないのかもしれませんが、

 

ただ、

「人間は他人の人生に

痕跡を残さずに

交わることはできない・・・」

 

と自覚をすることで、

 

謙虚な気持ちや、思いやりの心が

少し芽生えてくるのかもしれない。

 

そう自分に言い聞かせています(^^;

 

 

この台詞も印象的です。

 

 

「苦しいのは

体のことじゃなくってよ。

 

二年間のあいだに

あたしはやっとわかったわ。

 

苦しいのは・・・

 

誰からも愛されぬことに

耐えることよ。」

 

 

御殿場にある

らい病(ハンセン病)患者の

病院(施設)のシーンですが、

 

過去、ハンセン病患者は、

家族からも見棄てられて、

病院(施設)に隔離されていたといいます。

 

それは、それは、

孤独だったと思います・・・

 

だからこそ、

同じ仲間と助け合い、

励まし合いながら生きていたのだと

思いますが、

 

それにしても、

家族からも見棄てられたというのは、

さぞ、辛かったと想像します。

 

 

主人公のミツと、

修道女のスール・山形の

会話です。

 

 

「あの人たち、

いい人なのに、

なぜ苦しむの。

 

だってさ、

こんなにいい人たちなのに、

なぜこれほど

可哀想な目に会うのよ。」

 

「あたしも、

その問題を毎晩、考えるわ。」

 

スール・山形は

ミツの眼を

じっと見つめながら、

 

「眠れぬ夜に、考えるわ。

世の中には

心のやさしい人ほど

辛い目に会ったり、

苦しい病気に

かかったりするのね。

 

なんのために神さまは

そんな試練を与えるのか、

あたしもよく考えるわ。

 

この病院には

びっくりするほど

心の美しい患者さんが

沢山いるわ。

 

世間にいた時だって、

その人たちは

悪いことなんか

何一つしなかったでしょう。

 

それなのになぜ、

この人たちだけが

こんな病気にかかり、

家族に棄てられ、

泪をながさねばならぬのか、

考えるわ。

 

そんな時、

あたしは自分が信仰している

神さまのことまで、

わからなくなる時もあるの。

 

・・・でも、

あとになって考えなおすのよ。

 

この不幸や泪には

決して意味がなくはないって、

 

必ず大きな

意味があるって・・・」

 

 

・・・そうですね。

 

私も、まだ、

確認が持てるほどでは、

ないのですが、

 

不幸や苦しみというものには、

必ず意味がある、

のだと思います・・・

 

というか、

思いたい。

 

・・・皆さんは、

不幸や苦しみには、

どんな意味があると思いますか。

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

富士周遊の旅、

第2弾!

 

 

竜ヶ岳に登りました!

 

 

 

途中、本栖湖を見下ろします。

 

 

 

山頂?見えてきました。

もしかして雲の中?

 

 

 

山頂、やはりガスってしまた(^^;

 

 

 

おおっ、

一瞬だけ、

雲が晴れて、富士山見えました!

 

 

 

下山時、下の方にいくと、

雲がなく、くっきり見えてきました!

 

 

 

ダイナミック!

 

 

 

青木ヶ原樹海・・・

雄大です!

 

 

 

本栖湖。

 

 

 

山の中の、

静かな湖でした。

 

・・・次回、

第3弾に続きます(^^;