Rockin' In The Free World(自由な世界でロックしようぜ!)Ⅰ | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

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2020319日(金)――まだ、その時は“自粛要請”や“緊急事態宣言”が出される前だったが、ライブハウスは悪者になりつつあった。34日(水)に大阪のライブハウスで「クラスター」(小規模な集団感染やそれによってできた感染者の集団)が発生した可能性が高いと判断され、その事実が公開されたことから、ライブハウスが発生源と指弾され、非難の矢面に立たされた。密閉空間であり、換気が悪い、近距離での発声や会話がある、手の届く距離に多くの人がいるなど、感染の確率が高くなる濃厚接触にならざるを得ない。「密閉空間」「密集場所」「密接場面」というクラスター発生の“3条件は幸か不幸か、満たしている。

 

既に226日(水)、27日(木)のPerfumeEXILEなどのドーム公演が中止され、229日(土)、31日(日)の東京事変のフォーラム公演が開催され、賛否の声が上がった(というか、是非を問われた)。いずれにしろ、大小問わず、イベントやコンサートなどの開催の中止が相次いだ。

 

ライブハウスなどでは出演者や主催者によって、開催、中止、延期など、その対応は様々だったが、中止や延期がほとんどだった。開催の場合、必ずHPには手洗いや手指の消毒、うがいの履行、マスクの着用、体調の悪い方、発熱されている方、体調に不安のある方はご来場を見合わせる…などの注意喚起がされている。

 

 

潜伏期間はおよそ2週間と言われている。その間、経過観察しなければならない。実はその日の前後2週間、体温を測り続けた(勿論、いまは日課になっている)。高熱を発しているものが行けば迷惑(なんていうものではないだろう)、大変なことになるし、高熱を発したら、こんなものを書いているところではない。仮に書いても書くものは変わってくるだろう。いずれにしろ、感染させても感染してもいけない。

 

 

319日(金)、東京・下北沢「GARDEN」で開催された『Overhaul vol.1 – BREAKTHROUGH–』。出演したバンドはAggressive Dogs aka UZI-ONE(feat.藤沼伸一、獅子の如くStyle)ROCK'N'ROLL GYPSIES、亜無亜危異という3バンド。亜無亜危異はこのところ、The Birthdayやザ・クロマニヨンズ、KiNGONSLEARNERS…などと共演している。対バン・シリーズとでもいうべきライブを積極的に行っている。同シリーズの中、中止や延期になったものもあったが、その日は開催された。

 

この日、ライブハウス(店舗そのものは雑居ビルの地下1階にあるが、地上1階から地下1階への階段があり、ビルそのものも入口は扉などで閉じられていないため、それが空気の通り道になっている)に入場する際、検温や健康状態の確認はなかったものの、入場口を入ってすぐのロビーにはアルコール消毒液が置かれ、トイレには石鹸とアルコール消毒液、ペーパータオルがあった。ロビーからホールへの防音のための厚い扉は開演前なので当たり前だが、開け放たれ、換気が意識的になされている。

 

ステージがあるホールへ入って驚く。この3バンドである、当然、満員御礼状態だと思ったら、ホール前方に人が集まるくらい。普段の入りの3割程度だろうか。後に時間が経つことで、多少、人は増えるものの、あくまでも微増である。変な言い方だが、前の方に集中しなければ、人と人の距離が充分に取れる。半径1メール以上の空きができる。その時は、まだ、聞きなれない言葉だったソーシャル・ディスタンスソーシャル・ディスタンシングという物理的な距離の確保も可能だった。

 

ライブハウスがクラスター発生源とされ、実際にライブハウスでのイベントが中止、延期が相次いでいるので、当たり前と言えば当たり前である。不安があるものは入場券の払い戻しにも応じていた。チケットを購入しながらも実際、会場に来なかった方がほとんではないだろうか。私自身もこの時期にライブハウスへ行くことのリスクも充分に承知していた。事実、最後まで迷ってはいた。決して若くはないし、体力もある方ではない。

 

しかし、1月に同じ会場にて開催されたイベントで、池畑潤二に見に来てくれと言われたこと(ともに新宿ロフトなどを拠点としながらもザ・ルースターズとアナーキーの正式な共演はなかったはず)、また、直前に40年近く前に私が亜無亜危異に取材した記事がSNSに上がったことなどもあり、呼ばれていると勝手に解釈して、行くことにした。当然、そのための準備、前述通り、手洗いや手指の消毒、うがい、検温などは欠かさなかった。

 

 

Aggressive Dogs aka UZI-ONE(feat.藤沼伸一、獅子の如くStyle)Aggressive Dogsという名前は以前から知っていたが、1983年、福岡県北九州市で結成され、長い活動歴があるにも関わらず、見るのは初めてだった。ステージには鎧甲冑が飾られ、藤沼の代わりを務める(!?)。まずはバンドのみでスタートする。その音はハードコア・パンクとでもいうべきものだが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン以降のバンドであることを感じさせる。最先端という表現が相応しいかわからないが、尖がっていることは間違いない。そんな鋭角的なサウンドに途中から演奏に加わった藤沼のギターが違和感なく嵌る。藤沼は一時Aggressive Dogsにも参加しているが、考えてみれば、彼は亜無亜危異、舞士、BADFISHなどのメンバーとして活躍。同時に泉谷しげるwith LOSER、下郎、SIONRuby(柴山俊之)のレコーディングやツアーに参加する他、仲野茂、J(LUNA SEA)、DJ KRUSH、澤田純らと異種格闘技ユニット、GaZaも結成していた。某誌では日本の5大ブルース・ギタリストと評価されているが、彼の音楽はブルースに収まらず、パンク、ヒップホップ、テクノ……など、軽々とジャンルを越境していく。そんな彼の存在は亜無亜危異をただのパンクに留まらせない。リアル・パンク・バンドながら歴代のアルバムを通して聞くと、その多彩で重層的な音楽に驚くはず。

 

 

藤沼が加わったAggressive Dogs aka UZI-ONEは、会場を巻き込みつつも抑制が効いていた。おそらく満員であればダイビングやモッシュなど、それも当然の勢いだが、彼らはそれがどんなことを引き起こすかを自覚しているのだろう。そんな満員の景色を想像しながらも、無謀な扇動者なることを良しとしない。過激な音ながら単なる勢いに身を任せないのだ。改めて大人のハードコアであることを確認する。流石、池畑潤二や花田裕之と同郷だけある。

 

彼らの演奏は40分ほどだった。次のバンドまでホールの扉は開け放たれ、換気を図る。15分ほどだが、新鮮な空気が流れ込んだ(気がする)。

 

ステージには花田裕之(GVo)、下山淳(GVo)、市川勝也(B)、池畑潤二(Dr)という、いつもの4人が揃う。彼らは「Frame Up Boogie 」、「TRUCKIN' 」という、お馴染みのナンバーを弾きだす。花田はいつも通り、淡々と歌い、演奏する。そして「こんな時に来てくれて、ありがとう」と、短い言葉ながら謝意を観客に伝える。いかにも彼らしい。「You won't be my friend」、「 Secret Agent Man」と下山が歌い、再び、花田が歌う「Let's Stick Together」が続く。このところ、披露されているナンバーで、ブライアン・フェリーの歌唱で有名だろう。元々はウィルバード・ハリソン(50年代、60年代に活躍したR&B歌手で、後にビートルズもカヴァーした「カンサス・シティ」のヒットでも有名)のヒット・ナンバーのカヴァー。ボブ・ディランのカヴァーもあるが、ブライアン・フェリーのヴァージョンに近い。

 

60分ほどの演奏の最後に彼らはニール・ヤングの「Rockin' In The Free World」を披露する。いうまでもなく、彼が1989年にリリースしたアルバム『フリーダム』に収録されたナンバーで、同曲には逸話や物語も多い。ニール・ヤングは同曲によって、グランジのゴッドファーザーとまで言われ、ある世代にとってはアンセムとなった。ROCK'N'ROLL GYPSIESは、この曲を敢えて最後に持ってきたのではないだろうか。

 

 

彼らの後、亜無亜危異が登場するが、それまでと同じように15分ほど、ホールのドアを開け放し、空気の入れ替えが行わる。

 

仲野茂(Vo)、藤沼伸一(G)、寺岡信芳(B)、小林信夫(Dr)の4人を逸見泰成(G)がOMAMORIとして支える。いきなり、何が、日本の象徴だと歌われる「東京イズバーニング」から始まった。同曲に「心の銃」が続く。「333」、「缶詰」と、1980年にリリースされたデビュー・アルバム『アナーキー』から、彼らの肝ともいうべきナンバーが放たれる。一昨年、2018年にリリースされたいまのところの最新作『パンクロックの奴隷』(新たな最新作は本20205月に控えている)から「タブーの正体」、「くるくるパトリオット」を披露。『アナーキー』から『パンクロックの奴隷』まで、40年近い歳月が流れているが、いい意味で落差や誤差がない。不変のパンクロック・スピリッツが息づく。

 

聞き所、見所、数あれど、とりわけ印象深かったのは“バラードなんて”――と歌われるロックンロール・ナンバー「バラッド」(1984年にリリースされたアルバム『デラシネ』に収録)から彼らには珍しいバラード・ナンバー「“530”」(1980年にリリースされたセカンド・アルバム『’80維新』に収録)への流れ。緩急の妙である。特に「“530”」は俺たち、精一杯、つっ走ってきたけど、たぶん、これからもずっと走っていくのさ俺たち、いろんなものにつっぱってきたけど、たぶん、これからもずっとつっぱっていくのさこれでいいと、信じているから”――と、自らの半生を振り返りつつ、己の道を再確認するかのような歌詞が歌われる。“530”というタイトルは歌詞が出来上がった時、時計を見たら530分だったことから付けられたらしいが、同曲はまるで晩年の歌のように見えて、実際は40年も前の曲である。むしろ、いまの彼らにこそ、相応しいだろう。その音楽は時代、時代にいろんな意匠を纏ってきたが、そのメッセージは首尾一貫している。

 

彼らはラストへ向かって、「パンクロックの奴隷」、「叫んでやるぜ」、「屋根の下の犬」、「ノット・サティスファイド」と、新旧の名曲たちを一気呵成に畳みかける。観客は少ないながら、まさに興奮の坩堝状態である。

 

仲野茂がペットボトルから水を口に含み、それを一気に霧吹きのごとく、観客にぶちまける――と、思いきや、彼はそれをごくりと呑み込む。この状況下、そんなことをしてしまったら、どんなことになるか、充分に自覚しているのだろう。彼の噴霧はこのところ、恒例行事のようだったので、もし、水を浴びたら、どうなってしまうのか、実はそれを一番、心配していた。彼らの演奏は1時間ほど、Aggressive Dogs ROCK'N'ROLL GYPSIES同様にアンコールはなく、お決まりのセッションもない。しかし、この日はそれが相応しい。むしろ、過度な熱狂や興奮ではなく、彼らの抑制や思慮、配慮が際立つ。そのことがいろんな意味で胸に深く突き刺さった。

 

 

その日の翌日、320日(土)にお世話になった方の葬儀へ列席したものの、それ以降は基本的に不要不急の外出を避け、最低限の外出に留めることとした。イベントなどは当然として、打ち合わせなども大人数が集まるようなところには顔を出さず、在宅作業で対応する。

 

 

日毎のニュースに不安を抱えながら時を過ごす。そして331日(火)、宮藤官九郎が新型コロナウイルスに感染したことを事務所が発表した。

 

NHKニュース「宮藤官九郎さん 新型コロナウイルスに感染 事務所が発表」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200331/k10012361091000.html

 

 

その翌日、41日(水)にロフトプロジェクト代表の平野悠は宮藤が感染した場所はロフトグループの「LOFT HEAVEN」(渋谷)であり、同所で開催されたイベントに宮藤が来場したこと、楽屋で演者に会ったのではないかと、綴っている。

 

ロフト席亭・平野悠のBLOG・何でも見てやろう「コロナ狂騒曲~5」宮藤官九郎さんの感染。

http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1951967.html

 

 

おそろしく身近に感じた。ロフトグループは「LOFT HEAVEN(2019 3月に大江慎也 withヤマジカズヒデ&KAZIのライブを見ている)に関わらず、「新宿ロフト」、「LOFT Shibuya」、「LOFT/PLUS ONE」、「Naked Loft…など、足繁く通った場所である。

 

そして、宮藤官九郎。面識や交流などはないが、ザ・モッズやザ・ロッカーズ(20169月、宮藤はグループ魂で、彼らと共演している)などのライブで度々、見かけている。勝手な親近感を抱いてもいた。

 

身近な場所で、身近な人が感染してしまう。その感染症はおそろしく身近なものだった。不安に留まらず、恐怖に打ち震えもする。我ながら無謀ではなかったか――と後悔はしないが、そんな思いが過る。2週間が経つまで不安と恐怖が去来する。楽天的(というか、能天気)な私でもどこかに暗雲が立ち込める。

 

 

※「Rockin' In The Free World(自由な世界でロックしようぜ!)Ⅱ」に続く