Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

 

年寄りの同窓会なら居酒屋でやれ!――と口さがない若者には、そういわれてしまうかもしれない。しかし、そこに集まったのはとてつもない年寄りだった。時代、世代を超えて、音楽の前線に意地を張ることも無理をすることもなく、楽々と立ち、その雄姿と艶姿を見せつける。会場を息苦しいくらいに埋める満員の観客に、老若男女、世界各国、幅広い世代が来場したのは“ストリート・キングダム”効果か。地引雄一の原作をベースに東京ROCKERSを題材に宮藤官九郎脚本・田口トモロウ監督の青春音楽映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』はとんでもない景色を見せてくれる。

 

 

新宿ロフト(小滝橋ではなく、歌舞伎町!)で、この4月30日(木)、5月6日(水)、5月7日(木)のGWの3日間に渡って、1979年に新宿ロフト(小滝橋!)で開催されたライブイベント“DRIVE TO 80 ’s”( 1979年8月28日から9月2日の6日間)が2026年ヴァージョン“DRIVE FROM 80s”として、まさかの復活。3日間すべて満員で、各日、盛況のうちに幕を閉じた。SNSでは驚きや歓喜など、様々な声が書き込まれる。その盛り上がりにXでもトピックが立った。前代未聞だろう。

 

 

その中日、6日(水)の新宿ロフトに足を運ぶ。会場には懐かしくも新しい音が鳴り響く。この日、DJを務めたのは地引雄一とともに「DRIVE FROM80s」を主催した高木完である。彼は東京ROCKERS世代としては若手(「DRIVE TO 80's」にはFLESHのメンバーとして、当時、十代で出演)だったが、いまも最前線を闊歩し、牽引していく。day2のメインステージへ最初に登場したSHE TALKS SILENCEは高木が2023年12月1日に代官山の「SPACE ODD」で開催した「Lost New Wave 100% Vol.1」に出演している。同イベントは東京のニューウェイブ史を彩る伝説のスポット「NYLON 100%」を再興する音楽イベントだった。高木はこの日の前後、小泉今日子の武道館のイベントでもDJを務めている。新宿ロフトと武道館、彼は“武道館もロフトも変わらない”と言う。いつでもどこでも高木完は自分の音を鳴らすことをやめない。

 

 

SHE TALKS SILENCEは2人組のテクノユニット。ロウファイな音で、どこか、懐かしく感じる。ある意味、時代を超越した音を奏でる。このところ、クラフトワークやスパークスの来日が相次ぎ、SNSなどでライブ映像や感想など、数多、投稿されているせいか、まさに今でしょう感が増している。

 

 

サブステージではリンゴリラ(昨2025年、38年ぶりの復活ライブを行った「あけぼの印」を母体としたバンド)はJON(犬)、シルエット近藤などとともにあの時代を彷彿させる、自由気ままで我ままな音楽を鳴らしていた。考えてみれば、あの時代は売れる、売れないより、聞かせたい、聞きたい音を鳴らし、歌っていた。そんな懐かしい気分になると同時にいま忖度なしに自由奔放というのが忘れられているのではないだろうかと考える。皆、わがままで好き勝手。そんな音楽もあっていいということを再確認する。バンドをやることは経済活動だけが要因ではないだろう。

 

 

メインステージにSHE TALKS SILENCEに続いて登場した突然段ボール。埼玉県深谷市出身のバンドで、1980年、パス・レコードからシングル「ホワイト・マン」でデビューしている。蔦木兄弟の兄・蔦木栄一が2003年に逝去するが、弟・俊二を中心に地元を拠点にマイペースに活動を継続。かつてモーリー・ロバートソンやチコ・ヒゲもメンバーとして参加していた。相変わらず唯我独尊、泰然自若、ひょうひょうとしていながらもぶれがない。改めて「ホワイト・マン」や「変なパーマネント」は人の心をくすぐる。初期のトーキングヘッズを聞いている気分になる。

 

 

 

次なるAUTO-MODも弩級のステージを見せてくれた。ここ数年、彼らの驚愕のライブは配信を含め、まめに見ているし、新譜なども欠かさず、聞いているが、いまのAUTO-MODが一番、良いのではないだろうか。ジュネとは過去記事のことなどで、度々、やり取りしているが、カリスマ性と人なっこさが同居する魅力的なミュージシャンである。この日もオールスター級のミュージシャン達とゴスやポジパンなどを軽く凌駕する驚きのステージを見せてくれた。キング・クリムゾンを聞いたような爽快感がある。改めて「レクイエム」や「ディストピア」などが歌い継がれるべき(と言っても誰もが歌い継げるものではないが)歌だと再確認する。図抜けているのだ。

 

 

東京ROCKERSの“ドン”であるs-kenはs-ken&Bim Bam Boomとして、若い衆を引き連れて登場。その高度な演奏力と多彩な音楽性は彼らしい。「東京ROCKERS」から「TOKYO SOY SOURCE」へという軌跡が被る。当たり前だが、そんな姿勢が彼流のパンクではないだろうか。会場に華やぎを届け、その宴に“パンク侍”たる町田康をぶち込む。演劇的空間も現出した。MOMOYOも関わった「魔都」などもさり気なく披露するところもs-kenらしい。彼は神奈川の三浦市に住む。“三崎港のs-ken studio “Mocambo496”が夢を語るサロンの場と化している”という。かの地からまた、面白いことが生まれそうだ。面白い人のところへは年齢など、関係なく、人が集まって来る。

 

 

 

 

この日のお目当ては“LIZARD Tribute Band 2026”( Vox : 宙也. Guitar : Yukino Bass : 岡本雅彦. Keyboards : 岡村静良. Drums : ナカムラキヨシ)だ。このメンバーならオリジナルにひけを取らない音を鳴らすのではないかという確信していた。

 

宙也は地引雄一やMOMOYOの推薦だという。まさに慧眼だ。彼らはいまのシーンをちゃんと見ている。同時にメンバーが発表になってから岡本やYukinoなどはSNSなどで責任重大とプレッシャーを感じながらも楽しみにしていることを表明していた。それを嬉しくも思う。特に岡本が熱烈なLIZARDファンであることも知っている(山口在住だった岡本はLIZARDのレコードは通信販売で買っていたそうだ)。ライブなどで度々、会うと、はっぱをかけていた(どの立場で言うか、と思われるかもしれない、とりあえず、東京在住のリアルタイム世代ということで、許して欲しい)。

 

実は映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』は、LIZARDが渋谷「屋根裏」で「NEW KIDS IN THE CITY」を演奏するところでやられた。本物の音(演奏と歌は俳優ではなく、オリジナルを使用!)であるとともにそれが2026年の現在でも響くことに驚き、心と身体が打ち震えた。あの時、彼らが鳴らした音が時代を超えた。

 

 

この日の“LIZARD Tribute Band 2026は「NEW KIDS IN THE CITY」から始まった。新世代のストリート・キングダムのアンセムとなる。歌うのは宙也だし、演奏するのは当時のメンバーではないものの、LIZARDに縁あるAUTO‐MODのメンバーや何度目かの再結成時のLIZARDのメンバー、そして地引のテレグラフレコードに縁あるヴェクセルベルクからデビューしたバンドのメンバーもいる。機会があればMOMOYOとステージを共にしたバンドマンではないだろうか。深い愛と高い技術でLIZARDを再現する。宙也は観客に向け、これは歌を引き継ぐ始まりであると言った。歌が時代を超えて生き残る。改めてLIZARDの楽曲の生命力に驚く。「ロボット・ラブ」、「ガイアナ」、「エイシャ~王国」と珠玉の名曲が続く。「エイシャ~王国」はベースのワカの腕の見せどころでもあった。この繋がりを岡本が思い込め、演奏する。世紀の名演だろう。

 

「TVマジック」と「ロック・クリティック」を宙也が叫ぶ。「ロック・クリティック」はLIZARDのMOMOYOが音楽評論家に向け悪意と毒を振りまいたナンバーで、通常のアルバムには収録されていないが、紅蜥蜴時代から歌い継いできたナンバーである。それを原曲通りに披露する。ご存知のように同曲はLIZARDのセカンドアルバム『バビロン・ロッカー』で「浅草六区」へと変わる。当時、MOMOYOはせっかくのシングルを、音楽評論家たちへの攻撃のために使うのは馬鹿らしい、自分のルーツに遡るものにしたいと言っていた。そして自主制作盤が出来上がった時、ユーイチ(地引雄一)とサチ(小嶋さちほ)が思わず嬉しくなり、深夜に商店街を走り抜け、モモ(MOMOYO)の家へ届けたという逸話(残念ながらこれは創作であり、普通にロキシーハウスに届けられた。私自身も出来たことを聞いて、ロキシーハウスまで取りに行ったはず!?)もある「サ・カ・ナ」である。『バビロン・ロッカー』の同曲と自主制作盤は微妙に違うが、この日、披露されたヴァージョンは自主制作盤に近いような感じがする。

 

 

 

そして最後に“奇跡”が起こる。宙也はもう一人のユーイチを紹介するというと、ステージにユーイチを演じた峯田和伸が登場する。まさかの登場である。映画のワールドプレミアか。彼に続き、田口トモロヲ、宮藤官九郎もステージに上がる。そしてステージのそでにはユーイチこと、地引雄一がカメラを構える。演奏したのは映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の主題歌になった「戦線布告」である。映画では峯田和伸と若葉竜也と歌っているが、この日は峯田と宙也である。仕込みのある世の中だが、まさか、こんな仕込みがあるとは驚いた。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が地引雄一と高木完が主催したフェス“DRIVE FROM 80s”まで浸食するとは想像もしなかった。音楽史的にはどうかなという、ミチロウやアケミのオープングやエンディングでの主役扱い(!?)もなんとなく許したくなる。何か、その場の老いも若きも思い切り楽しんでいた。演者たちも笑顔である。なかでも映画組の本当に嬉しそうな笑顔が印象に残る。きっと、この日一番、やったー感があったのは彼らだろう。そして、彼らはこの“ストキン祭り”の締め(かどうかはわからないが)であるこのフェスに参加することで、"東京ROCKERS"の一部になれた気がしたのだと思う。自ら埋もれた伝説に光を当て、掘り起こし、その伝説の一部になる――そんな手応えを感じたのではないだろうか。

 

この日は元バウハウスのデヴッドJも来ていたという。ゴシックやポジパン繋がりか。そんな世界との交流も彼ららしい。とてつもなく、いかした年寄りの最後の光芒ではないが、東京ROCKERS世代は心底、侮れない。

 

何年かぶりに地引さんやコンクリ―ツの清水さんに会ったが、懐かしいと同時に誠実さと楽天さ、それらを自分の中で飼いならし、楽しみながら育てる――その変わらなさに驚く。いろんなことを思い出し、また、頑張ろうという気に改めてさせてくれた1日だった。こんな祭りなら、もっと続いて欲しい。みんなが自分の音を鳴らし、歌を叫べばいいだろう。

 

■牧村憲一と井出靖の“物語”は続く――『井出靖が収集した日本のシティポップ、フュージョンのポスター展 -1977年から1987年まで-』

 

一昨日、5月3日(日・祝)は目黒区美術館区民ギャラリーで開催している『井出靖が収集した日本のシティポップ、フュージョンのポスター展 -1977年から1987年まで-』を観覧。同日は牧村憲一と井出靖のトークショーもあった。実は先日、牧村を始め、奥村靫正、上原“ユカリ”裕、今井裕が出演した本ポスター展を特集したDOMUNE(ドミューン)の番組『JAPANESE MUSIC POSTER SCRAP - POP -CITY POP, FUSION, AOR, ISLAND MUSIC 発刊記念Special<Chepter5>@SUPER DOMMUNE」で聞けなかったムッシュかまやつの話を聞きたかった。勿論、目黒通いの連続記録を更新し、記録と記憶を構築するという大目的もある。

 

 

当初、牧村は同番組でムッシュかまやつのことを話すと告知していたが、ドミューン特有のあっちへ行ったり、こっちへ来たり(決して悪い意味ではない。その分、話が広がり、思いもかけない話が飛び出す!)で、残念ながら聞けなかった。ある意味、ムッシュかまやつは“シティポップ”を語る上で欠かせない音楽家であり、彼の歴史を辿ることは日本の都市音楽の潮流を再確認するものでもあるのだ。

 

ムッシュかまやつは1994年にフォーライフからトラットリアへ移籍して、小山田圭吾とトシ矢嶋のプロデュースのもと、ブランニュー・ヘヴィーズ、ジェイムス・テイラーなど、アシッド・ジャズ界屈指のメンバーに囲まれ、現地ロンドンで録音したアルバム『ゴロワーズ(Gauloise)』(2014年にリリース。2018年にリマスター盤が再発されている)をリリースしている。同アルバムは“90年代渋谷系ブームのど真ん中で完成させた歴史的名盤”と言われている。その移籍劇に牧村が絡んでいる。トラットリアそのものものは彼が関わっているが、かまやつの移籍は彼が端緒ではなく、同レーベルの若者の熱意と行動から始まった。

 

 

しかし、フォーライフはかまやつの移籍を許さず、交渉は難航するかと思われたが、牧村が間に入ることで、それはすんなりとまとまったという。元々、フォーライフは1975年、井上陽水、泉谷しげる、小室等、吉田拓郎らが設立したレコード会社である。音楽家の権利を守り、自由な創造空間を作るため、ミュージシャン自身が作って船出したレコード会社である。井上、泉谷、小室、吉田らとともに同社を支えたのが1971年にユイ音楽工房(現:ユイミュージック)、翌1972年にユイ音楽出版を設立した後藤由多加である。副社長に就任。1982年からは3代目社長を務めた。

 

 

牧村が後藤に直接交渉すると、かまやつの移籍は承諾される。実は牧村はユイ音楽工房の創設メンバーであり、小室等の六文銭のマネージャーをしていた。信用と実績があったゆえのこと。牧村には絶大な信頼と圧倒的な恩義があったのだろう。契約は人なりではないだろうか。

 

 

牧村はロンドンへ同行していないが、彼は後顧の憂いなく、物事が速やかに進むようにスタッフやクルーなどのお膳立てをしている。彼がいなければムッシュかまやつの希代の名盤『ゴロワーズ』は生まれていなかった。

 

実はかまやつとはフォーライフ時代、1990年1月から2月にかけてロンドン、ベルリン、パリを巡る旅に取材という形で同行している。その旅には元サディスティック・ミカ・バンドの福井ミカも帯同。ツアーコーディネイターとして活躍してくれた。スタジオの見学など、創作のための素材や資料集めの旅だが、そのまま、かの地でレコーディングしていれば、ムッシュかまやつの“ヨーロッパ3部作”ができていたかもしれない。

 

 

その旅のハイライトはベルリンの壁の上で、かまやつがある曲を歌ったことだろう。ベルリンの壁の崩壊(壁に穴が開き、まだ、壁自体は完全崩壊していなかった)は、東西ドイツの行き来を可能にし、それが東欧の自由化、ひいてはソ連崩壊に繋がる。

 

 

現地時間、1990年2月23日、かまやつはそのベルリンの壁を登り、その上で、かの「バン・バン・バン」をギターを弾きながら歌っている。その時の模様は雑誌やテレビなどで当時、度々、報道されている。その歌と演奏は「バン バン バン〜- ON THE BERLIN WALL1990.2.23 」として、1990年にフォーライフから出たアルバム『IN AND OUT』に収録されている。

かまやつは同所に行き、ベルリンの壁で歌ったことに関して、“Right Time,Right Place”と語ってくれた。然るべき時に然るべき場所にいる――かまやつは スパイダーズ時代を始め、流行や文化の発信地、その最前線にいたという。それを1989年から1990年という激動の時代、改めて体験したく、旅に出ている。1994年、かまやつにとって、“Right Time,Right Place”がロンドンで、かの地の精鋭たちとアルバムを作るということだったのだろう。

 

 

実は話には続きがある。昨2025年5月20日に開催されたDOMUNEのポスター展を巡る番組『Rolling On The Road Special「JAPANESE MUSIC POSTER SCRAP」<Chepter2-1> 「JAPANESE MUSIC POSTER SCRAPの未来」」で、曾我部恵一がゲスト出演。「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を弾き語りで披露しているが、その演奏前に同曲を井出靖に捧げますと、告げている。“君はたとえそれがすごく小さな事でも 何かにこったり 狂ったりした事があるかい”というフレーズがあるが、それを井出に当てはめると、しっくりくるだろう。同曲はこの5月26日に井出靖率いるTHE MILLION IMAGE ORCHESTRAの先行7インチシングルとしてリリースされる。勿論、歌っているのは曾我部恵一だ。

 

 

井出はフリッパーズ解散後、小沢健二をマネージメントし、日比谷野音でフリーコンサートを開催する際、牧村に挨拶しに行っているという。契約は法律に関わるが、そこには礼節や情がある。

 

 

 

牧村はこの日のトークイベントのため、数多の資料を用意し、ファイルして持参したが、それを開くことなく、40分間、淀みなく、彼でなければ語れない話を続けた。時代を賑わせる俊才・鬼才が闊歩する原宿セントラルアパートの物語、亀渕昭信が企画して1985年に国立競技場で開催された国際青年年の記念イベント『ALL TOGETHER NOW』に関して、はっぴいえんどのメンバーとして出演した大滝詠一が「さよならアメリカ さよならニッポン」で共演する若いミュージシャンたちにリハーサル時、“今日はニューミュージックのお葬式である”と語りかけたことを明かす。同発言については、わざわざ、雑誌名を出していただき、同イベントに際して行った大滝詠一と細野晴臣の対談で“ニューミュージックの葬式”という発言をしていることを伝えている。牧村様、お気遣い、ありがとうございます! ちなみに同対談は『大瀧詠一Writing & Talking』(白夜書房)に再録されている。『MUSIC STEADY』 に掲載された大滝詠一徹底研究のインタビューも再録。ヤフオクやメルカリなどで探して欲しい(笑)。

 

 

先日の牧村が出演したドミューンがアーカイブ公開されている。是非、目を通していただきたい。

同ポスター展、開催は明日、5月6日(水)まで。本日、5日(火)は14時からドミューンの宇川がトークイベントにゲスト出演する。間に合うようなら是非、出かけていただきたい。間に合わなかった方は申し訳ありません。既にFBではお知らせしていました(失礼!)。

 

https://x.com/yasushiide/status/2051395574851842498

 

 

 

 

今回の展覧会、シティポップ前後ということで、シティポップやフュージョン、リゾートなど、いろいろなジャンル。種類のポスターが張り出されている。いい意味で混乱するかもしれないが、商業主義的な均衡と並走しながらも独自で諧謔や憧憬を含蓄する作品群が並ぶ。図録はマストバイである。井出のぶれない、仕事ぶり、毎度のことながら頭が下がる。

『井出靖が収集した日本のシティポップ、フュージョンのポスター展 -1977年から1987年まで-』

 

2026年4月29日(水・祝)- 2026年5月6日(水・祝)

目黒区美術館区民ギャラリー 目黒区目黒2-4-36

開館時間 午前11時-午後6時 (最終日は午後4時まで)

 

 

SUPER DOMMUNE 2026/04/23 JAPANESE MUSIC POSTER SCRAP - POP - & Scalameriya & MIDNIGHT TRAFFIC

https://www.youtube.com/watch?v=AijM0JrwINc&t=9s

 

 

■GWは映画館と新宿ロフトへ!――4月29日(水・祝)『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』世界同日公開!!

 

 

 

日本を代表する「ビートルズ研究家」の藤本国彦さんからのご案内で、映画『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』のオンライン試写を見させてもらった。プレスリリースの丸写しだが、同映画は“1972 年 8 ⽉ 30 ⽇、NY マディソン・スクエア・ガーデンで、知的・発達障がいを持つ⼦どもたちのためのチャリティとして開催された「ワン・トゥ・ワン・コンサート」は、ジョン&ヨーコ、プラスティック・オノ・バンド、エレファンツ・メモリー、そしてスティーヴィー・ワンダーらスペシャル・ゲストが出演。昼夜の 2 公演が完売し計 4 万⼈を動員。結果としてジョンとヨーコが⾏った最初で最後のフル・コンサートとなり、伝説として今に語り継がれている。”という。

 

 

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作アルバム『Sometime in New York City』(サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ)のリリース前後(アルバムは1972年6月にアメリカ、同年9月に英国でリリースされた)だ。あの時代を現代に体験できる。明日、4月29日(水・祝)〜「TOHOシネマズ シャンテ」、「TOHOシネマズ なんば」 他で公開されるが、限られた劇場での公開、上映期間も短いという、この機を逃さず、急いで劇場へ駆け込むべきだ。

 

 

ショーン・オノ・レノン率いるグラミー賞を7回受賞した精鋭チームの手によって、映像のレストア・再編集・リミックスが施されている。映像や音響は鮮明で、一瞬にして、あの時代に引き戻されるが、セピア色ではない、懐古や郷愁とは無縁。ジョンがある曲の前に“今の時代についての歌だ”と語るが、まさに今聞くべき歌や叫びが詰まっている。その音はニューヨークのサウンドとポエトリーを纏う。パンク誕生以前だが、そのパンキッシュな歌と演奏は心惹かれ、身体を揺さぶる。

 

 

実は『Sometime in New York City』を始め、『ウェディング・アルバム 』や『トゥー・ヴァージンズ』など、ジョンとヨーコの共作アルバムを聞きあさった(!?)時期がある。多分、東芝EMIでレコードがオリジナル仕様でシリーズ的に再発された頃だから、1976年くらいか(藤本さん、いつですか?)、かの中村俊夫さんについてレコード会社を回った『ROCK STEADY』のミニコミ時代か。特に『Sometime in New York City』は愛聴した。実は同作に収録された「シスターズ・オー・シスターズ」をベース(コピー!?)にして、当時(おそらく、1980年頃か)、「テクニクス銀座」か、「日立ローディプラザ」か、忘れたが、同所でやっていた『ROCK STEADY』のトークイベントのため、テーマソングをLIZARDのモモヨに作ってもらった。歌は越美晴(コシミハル)で、多分、LIZARDのコーの自宅スタジオで録音したはず。どこかにデモテープが残っているかもしれない。

 

ちなみにオノ・ヨーコとショーンに関しては1990年に日本へ滞在し、あるミュージシャンと共演したレコーディング現場を覗いている。流石、取材などはできなかったが、たまたまスタジオをから出てきた2人に遭遇している。ちょっと緊張した。

 

また、2014年に「FUJI ROCK FESTIVAL’14」で小山田圭吾、あらきゆうこ、PIKA☆(あふりらんぽ)、本田ゆか(Cibo Matto)、大野由美子などが参加したYOKO ONO PLASTIC ONO BANDを見ている。カッコいいステージだった。きわものなどでは決してなかったのだ。残念ながら見れなかった1974年の“ワンステップフェスティバル”の雪辱(!?)を果たす。ちなみに同年の“FUJI ROCK”は佐野元春の“『VISITORS』完全再現ライブ”、“ルースターズ<ORIGINAL FOUR>再結成ライブ”などが行われ、それらも見ている。

 

 

今年のGWは渋滞や混雑を避け、『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』上映館と、"STREET KINGDOM"の聖地・新宿ロフトの『DRIVE FROM 80s』へレッツラ・ゴー!ジョンとヨーコと地引さんに会いにいこう。