Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -2ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

 

 

▲(写真左から)亀(G)、オカジママリコ(B)、サエキけんぞう(Vo)、

泉水敏郎(Dr)、小嶋りん(Vil)、吉田仁郎(G)

 

活動休止か――Perfumeではない、ジョリッツだ。先月、9月21日(日)に下北沢「Flowers Loft」で、XOXO EXTREME(キスエク)の小嶋りん(Vl)をフィーチャリングして『10周年だよ!ジョリッツ生誕祭』というバンド結成10周年のお祝いをしたばかり。まさに青天の霹靂である。サエキけんぞう(Vo)、泉水敏郎(Dr)、吉田仁郎(G)、亀(G)、オカジママリコ(B)という5人での活動は暫く行わないという。解散宣言をしたわけではないが、次の予定や計画は、いまは決まってないそうだ。

 

 

ジョリッツは10年前、ハルメンズやハルメンズX、少年ホームランズなどの“周年プロジェクト” (ジョリッツは2015年に「ハルメンズXプロジェクト」内バンドとして結成。「ハルメンズXプロジェクト」終了後もジョリッツの活動は独立して継続されている)でサエキと泉水が“再会”。2015年12月11日(金)には渋谷「スターラウンジ」で「ハルメンズ×クリスマス2015」を開催している。サエキけんぞう&Boogie theマッハモータースfeaturing泉水敏郎として出演した。他の出演者はBoogie theマッハモータース、リアル3区、テンテンコ、ジョリッツ、DJは中嶋勇二になる。同ライブには既にジョリッツも出演している。サエキに確認したところ、同イベントでのライブがジョリッツの初ステージになるそうだ。サエキはプロデューサー&サウンドクリエイターとして注目されていたHELLHEAD、野獣のリリアンの吉田と共同作業を開始、その渦中に泉水が“バンドやろうぜ”と宣言したことで、バンド構想が持ち上がる。泉水、サエキ、吉田というジョリッツの核が出来上がり、吉田の要望で、ぐしゃ人間、リアル3区の亀とカストルファンクラブのオカジママリコをメンバーに引き入れ、ジョリッツが誕生した。2017年10月にファーストアルバム『ジョリッツ登場』をリリースしている。2018年9月にメンバーが産育休のため一時活休、サポートベースを加えて活動。2018年11月には2ndアルバム『ジョリッツ暴発』、2022年12月に3rdアルバム『妖しいビルディング』リリースしている。

 

 

音楽仲間が自然と集まり、バンドが生まれる。サエキ、泉水は当時、既にキャリア40年超えのベテランながら、バンドが誕生して、成長していく物語を見せてくれた。私自身もその誕生の瞬間を目撃している。それがジョリッツのデビューライブだったかは不確かだが、少なくとも上記のライブは見ているのだ。

 

 

物語の始まりに出会える――そんな機会はそうあるものではない。出会えただけでも奇跡や僥倖というものだろう。音楽ファンの期待を背負い、バンドは徐々に人気者になっていった。だからといって、そこに変な戦略や姑息な仕掛けなどはなく、ロックバンドの正しい誕生と成長の軌跡を描いてみせる。

 

当然ながらロックンロールのサクセスゲームとは無縁、むしろ、インディーズ創世記のバンドのような地道ながら確かな歩みをしつつ、当時の状況や環境に的確に対応して活動していったのだ。

 

 

スモール・サークル・オブ・フレンズ――小さなネットワークを作り、それがSNSやリアルで少しづつ広がって、やがて緩やかで適正規模のサークルになる。そうして作られた観客と演者の距離は近く、まるでジュリッツ・ファミリーのような関係が生まれる。いい意味でのサークル活動、そんなことをこの日のライブを見て、改めて感じた。10年目にして気づくこともある。

 

 

この日のライブはオープニングに音楽と映像をコラージュしたヒストリー映像(!?)が流れ、周年気分を盛り上げる。同映像の音楽を作ったのは吉田である。演奏が始まってからもところどころでジョリッツの専属カメラマン(!?)が撮影したという貴重写真や映像が紹介される。まるでサークルの活動報告か。

 

 

ジュリッツを足掛かりにして全国制覇や芸能界参入など、“ロックンロールドリーム”を実現する時機や機会はいくらでもあったと思う、それだけの逸材が揃っている。しかし、それを敢えてしなかった、と書くのが正しいかわからないが、生活ベースに同バンドがある。あくまでもバンド仲間の生活や活動を最優先する。ジョリッツは前述通り、デビュー直後に出産、育休のため、一時、活動を休止したメンバーがいる。その間、サポートを入れ、活動するものの、あくまでもサポートで、代わりにメンバーを入れることはしなかった。産休、育休がちゃんとある……まるで優良企業のようだ。ロックンロールの世界にはブラック企業的な発想や体質が付きまとうが、それとは無縁である。メンバーの復帰をじっくりと待つ。何か、新しいバンドの在り方を感じさせる。“お前の代わりはいくらでもいる”というパワハラ発言もないだろう。そんな姿勢も実に清々しい。この日、そのメンバーが仲間に感謝の言葉を伝えていたが、何かとても、微笑ましいものに感じた。

 

 

ライブそのものは後半に向かって、メンバーも観客も大盛り上がり。メンバーの振付にオーディエンスが合わせて踊ったり、メンバーの動きに合せ、観客もカメラの撮影位置を縦横無尽に替えたりもする。ある意味、“芸”である。アイドルのライブでのオタ芸的な作法や約束にも通じる(かのヨン様の韓流ブーム時の熱狂も彷彿とさせたりする)。演者と観客がコール&レスポンスしているのだ。サエキけんぞうは日本のロックの歴史や若者文化についてトークイベントや大学での講演、講座などを頻繁に開催、かつ、関連の書籍も数多い。ある意味、サブカルチャーの前線にいる。そのライブや活動を見ると、サエキがサブカルとオタクの橋渡しをしているようにも感じる。特にアイドルに強い興味を抱いているわけではないが、アイドルとプログレの関係など、ジュリッツのライブで両者の近似値を感じることが何度もあった。実際、過去のライブリポートでもエマーソン・レイク&パーマーやキング・クリムゾンなどの名前を引き合いに出している。この日もキスエクの小嶋りんがヴァイオリン(というか、フィドル扱い!?)でソロを取る「ホウダウン」におけるホンキートンクやブルーグラスからプログレへという演奏はかのキース・エマーソンを思い出したりもする。

 

 

アニメやアイドルなど、オタク的な関りで言えばサエキはかなり早い時期(初出展は2013年12月31日「コミケ85」国際展示場。 現在コミケは106、85から106まで全て出展している。ちなみに2013年12月31日の「コミケ85」の会場で大滝詠一の訃報を知る)からコミケに出展していたし、モーニング娘。を始め、アイドルにも数多、歌詞を提供している。

また、コミュニケーションツールとしてTik Tokやチェキ(バンドとファンとの撮影会で使用)なども利用している。常に突出した現場に足を運び、リアルなムーブメントが起こる場所に顔を出す。先取の気風を纏い、創作活動に勤しむ。そんなところがジョリッツの音楽には含有され、いつも気分は“NEW WAVE”であろうとしている。

 

 

有志が募って周年祝いのお花を出したり、10周年のバースデイケーキなどを用意して、彼らの “誕生日”を祝い、お手製のジョリッツTシャツをプレゼントするなど、どこか、ほのぼのしつつ、サークルの催しのようでもある。

 

10周年のお祝いのライブは「ジョリッツ・ウォンチュー」でライブを締めて見せたが、会場にいた観客にしてみれば“ウィ・ウォント・ジュリッツ”だろうか。世界はジョリッツの復活を待っている。本来なら活動休止になるので、総括やまとめをすべきかもしれないが、まだ、早過ぎる気がする。それ以前に活動休止の“休止”なんていうのもありそうだ。

 

 

ちなみにまとめの代わりに過去に彼らについて書いたエントリーをリンクしておく。私のブログで“ジョリッツ”と検索したら結構な数があった。中にはジョリッツの名前だけ出てくるものもあるが、なんとなく、NEW WAVEな雰囲気は伝わるはず。長いから時間がある時に読んでいただければ幸い。時間が“たっぷり”ある時がお勧め。

 

 

 

 

▲観客有志からプレゼントされたオリジナルジョリッツ

Tシャツを着ているメンバー。各メンバーの色は本人の

イメージに合せ、有志がセレクトしている。

 

 

 

 

気分はニューウェイブ――戸川純・ハルメンズ・星くず兄弟の伝説

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12103150949.html

 

 

oNEWnoNEWWAVE(オニュウノニューウェイヴ)――ジョリッツの“暴発”

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12423756192.html

 

 

豪華絢爛! ニューウェイブの祭典「oNEWnoWAVE(オニュウノウェイヴ)」

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12424132126.html

 

 

下北沢で“ロアッソ熊本へチア”――テクノの歌姫サトウトモミ『サトウの日vol.6~dawn~』

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12449241377.html

 

 

ハルメンズ再生――「『20世紀』から40周年 ハルメンズ復活ライブ第二弾」

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12715762369.html

 

 

21世紀の電気の武者・地下室のダンディズム――Francis

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12729027440.html

 

 

ニュー・ウェイヴの“希望の矢”となって、私達を射抜く――ジョリッツ「妖しいビルディング」

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12781144445.html

 

 

人生、いろいろ――『パール兄弟・結成40周年 〜ありがとう、ヤッシー〜』

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12824348002.html

 

 

異形のビートルズ『アンダーグラウンド・ビートルズ』(藤本国彦+本橋信宏)発売記念トーク&サイン会

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12856676783.html

 

 

2025年の少年ホームランズ――津田沼PARCOとニューウエイブ時代のソフト&メロウ

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12904248590.html

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真左から)大川正義、牧村憲一、サエキけんぞう、

清水信之、松武秀樹

 

 

 

 

既にFBなどで簡単に報告しているが、その反響は大きく、たくさんの方が興味を持って読んでいただいたようだ。加藤和彦と安井かずみが作った“ヨーロッパ3部作”、並びに“マリー・ローランサン”をかくも長きに渡り、愛し、聞いている方がいることを改めて知った。



先週、9月4日(木)に渋谷「ロフトナイン」で行われたサエキけんぞうのコアトーク110「加藤和彦:ヨーロッパ3部作とマリー・ローランサンを解く」を“受講”している。プロデューサーの牧村憲一、エンジニアの大川正義、アレンジャー、プレイヤーの清水信之、コンピュータープログラマーの松武秀樹(当初は出演ではなく、見学予定だったが、このプロジェクトの重要人物として急遽、参加してもらったそうだ!)など、“ヨーロッパ3部作”や“マリー・ローランサン”に関わった方々は、敢えて説明不要の日本の音楽業界の宝というべきレジェンドである。それも都市の音楽を創造してきた千両役者達の豪華絢爛の揃い踏みだ。

 


やはり、当事者による貴重な証言や映像は何かを訴え、見るものに深い感動を届けるもの。夢か、現か、リアルなドキュメンタリー、ファンタジーを超える驚愕のノンフィクションを見せてくれる。

彼らが強く思い、熱く語るのは加藤和彦と安井かずみのこと。空前絶後の企みをいとも軽やかにやり遂げてしまう。その手際と口舌は艶やかそのもの。二人の最高傑作というべき、1979年バハマ録音の『パパ・ヘミングウェイ』、1980年ベルリン録音の『うたかたのオペラ』、そして1981年パリ録音の『ベル・エキセントリック』という“ヨーロッパ3部作”と、1983年東京録音の『あの頃、マリー・ローランサン』は加藤和彦と安井かずみと、坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣、矢野顕子、大村憲司、清水信之、小原礼、松武秀樹……など、超一流の音楽家達と紡いだ芸術と文化の結晶だろう。勿論、いまもその輝きは失わない。改めて、このイベントを受講するにあたり、牧村憲一の監修、大川正義のリマスターによってリットーミュージックから出た『バハマ・ベルリン・パリ ヨーロッパ3部作[復刻版]』(ヨーロッパ3部作のリマスターCD3枚を収録し、貴重な写真、資料、制作リポート、コメントなどを掲載したCDブック!)を聞き直し、読み返した。改めて、その完成度の高さと彼らが唯一無二の3部作を作ったことに気づく。加藤和彦自体は映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』やトリビュートコンサートなどの影響もあり、再評価著しいが、フォークルやミカ・バンドなどは話題になるものの、本来、一番美味なる季節とでもいうべき、“ヨーロッパ3部作”までは追いついていない、もしくは抜かされているのではないだろうか。いま、再評価すべきはこの4枚(ヨーロッパ3部作+マリー・ローランサン)だろう。

当時、その場にいた方から聞く話は生々しく、彼らの息遣いも伝わる。オフレコ噺を挟みこまれるので、公開できないものもあるが、とりわけ印象深いのその絆の深さである。YMOは1979年、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』のヒットでブレイク直前。やがて彼らは“世界のYMO”へ。同1979年には坂本龍一はサーカスの「アメリカン・フィーリング」で「日本レコード大賞」編曲賞を受賞している。YMOの活動以外に各所から引く手あまた、国民的&世界的スターへと駆け上りるところである。そんな忙しい中でも彼らは加藤和彦のために駆け付けた。そのミュージシャンシップには頭が下がる。坂本はベルリン録音の直前、ハードワークのため、同作に参加できなくなったが、それを矢野顕子や清水信之、松武秀樹などがサポートし、フォローした。

 



“ヨーロッパ3部作”の発端は「アイランド・レコード」の設立者、クリス・ブラックウェル(『アイランダー クリス・ブラックウェル自伝―ーボブ・マーリーとU2を世界に届けた男』は必読!)によって1977年に建設されたバハマのコンパス・ポイント・スタジオでレコーディングがしたい、加藤が幼少期に家にあった文学全集で読んで影響を受けたヘミングウェイをテーマにしたいという思い付きから始まった。その当時、加藤の中では幼少期、青年時代などを経て、何度目かのヘミングウェイブームだったらしい。当然、その時はバハマ、ベルリン、パリという三都構想はなかったという。ところが、『パパ・ヘミングウェイ』に収録される「スモール・キャフェ」という曲ができたことで、ルンバやタンゴ、レゲエ、ダブ、ラテン、テクノ、インダストリアル……など、様々な音楽を呑み込み、多彩で多様な音楽群をバハマ、ベルリン、パリへと繋ぎ、そこに統一感のようなものも生まれる。3つの点を結ぶ起点になったそうだ。



その辺の冒険譚は、まるで冒険活劇を見ているようでもある。“ヨーロッパ3部作”の立役者であるワーナーパイオニア(同作は東芝EMIからワーナーパイオニアへの移籍第一弾になる)の折田育造の鉄火肌の活躍も冒険活劇そのもの。コンパス・ポイントでレコーディングしたリズムトラックを持って、ストリングスをダビングするため、マイアミのクライテリアスタジオへ乗り込むものの、ミュージシャンが見つからず、苦慮する。しかし、そんな状況でも洋楽マンの時代に培ったコネクションを駆使してたった1日でミュージシャンを集め、見事にレコーディングを成し遂げている。

続く、ベルリン録音の『うたかたのオペラ』はドイツ・ベルリンのハンザスタジオでレコーディングされている。同スタジオ、当時はベルリンの壁のそばにあって「Hansa by the Wall」と呼ばれていた。「ベルリンの壁の崩壊」はまだ先のこと(1989年11月9日に崩壊した)で、窓から東ベルリン側を覗くと警備兵が銃を構えていたという。ベルリンは南国の楽園であるバハマと対極、東西冷戦の象徴、緊張感に包まれていた。


1977年にデヴィッド・ボウィが『ロウ』、『ヒーローズ』、イギ―・ポップが『イディオット』、『ラスト・フォー・ライフ』、1979年にボウィが『ロジャー』などのレコーディングしたところとして知られている。加藤は自分達が同所で録音した初の日本人アーティストだと思っていたらしいが、実は一風堂の『REAL』(リリースはともに1980年9月だが、『REAL』は9月21日、『うたかたのオペラ』は9月25日)が先だった。その後、 BOØWY が佐久間正英のプロデュースで同スタジオで『BOØWY』(1984年)をレコーディングしている。

実は今回のイベントではないが、「MUSIC STEADY」の1984年3月号に加藤和彦とPANTAの対談が掲載されている。その対談の中でPANTAがベルリンについて聞くと、加藤がこう答えている。


「ほんとに街が鉛色をしてる。戦争直後に建てた無造作な建物で古びてるんだけども一歩内へ入るとものすごくきれいにして住んでる。あれこそデカダンだね」


いうまでもなく、PANTAはその数年後、1987年に問題作『クリスタルナハト』をリリースする。なお、同対談は頭脳警察・PANTAのHPに再録されている。全文が見れる。機会があれば、読んでいただきたい。

 


【復刻特別掲載】40年目の真実――加藤和彦とパンタ 40年前の幻の対談を復刻!
 

 

 



ベルリンからパリへ。当初はストーンズなどもレコーディングしたパリ郊外のお城を改築したスタジオ、専属シェフのまかい付きで、乗馬もできるという触れ込みだった。ところが、設備等は老朽化し、器材などもままならない、まかないも乗馬もない状況だったという。ストーンズは器材やスタッフなどを最初から持ち込んだらしい。レコーディング中には幽霊が出たなんていう噂も立つ。そんな環境にも関わらず、YMOの3人は各所から同スタジオに集合。最高の仕事をしている。パリから東京へ。清水信之、松武秀樹の東京組がさらなる仕上げをほどこす。松武の仕事に関しては説明不要だが、同時期の清水信之の仕事量に驚愕すべきものがある。清水は加藤和彦とともに大貫妙子のアルバム『ロマンティーク』(1980年)、『アヴァンチュール』(1981年)のレコーディングにも参加しているのだ。実は清水信之を加藤に推薦したのは牧村憲一。彼が17歳の時、「紀の国屋バンド」(1979年にアルバム『SWEET SENSATION』でデビュー。最近、シティポップ絡みでよく聞く名前だろう。牧村が手掛けたオムニバスアルバム『LOFT SESSIONS vol.1 』に参加した 高崎昌子 がヴォーカルだった)時代から目を付けていた。何故か、『LOFT SESSIONS vol.1 』は不参加ながらデビュー時の竹内まりやをサポートしている。


改めて、これだけの人達を動かす加藤和彦や安井かずみの魅力を再確認する。前述通り、二人には音源だけでなく、書籍や映画、ドキュメンタリーなども多く、このところ、新たに脚光を浴びている。だが、それは始まったばかり。加藤と安井の刺激的で生き生き、はつらつとした時代の紹介まで追いついていないのではないだろうか。単なる思い付きだが、朝ドラでも音楽映画でも二人の物語を映像化して欲しい。

 


二人にはチャーミングな逸話も多く、華丸・大吉が毎回、突っ込んでくれるはず。関係者がお元気なうちに発掘作業をして欲しいものだ。

その際、安井かずみのテーブルマナー講座と、お洒落講座、歌唱指導は是非とも、映像化して欲しい。かの川口アパートでの生活や画家の金子國義や詩人の高橋睦郎などの文化サークルの交流など、この日のトークイベントを見て、そこには私達が語り合い、世界に誇るべき文化と芸術があると改めて思う。続け、伝える作業の端緒となるサエキけんぞうのコアトーク。いまは110超えしたばかりだが、200,300‥‥と、1000超えはしてもらいたいもの。

 


ちなみに3時間で4枚は時間が足りない。『あの頃、マリー・ローランサン』は数曲、流すに留まった。同作、改めて聞くと、シティポップの名盤である。そんなところも深掘りして欲しい。やはり続編を希望する。

 

また、現在、入手困難になっているという『バハマ・ベルリン・パリ ヨーロッパ3部作[復刻版]』の再販売も希望する。名盤3枚の揃い踏みに大川正義、牧村憲一などの証言は貴重。どれもが必聴・必読であることはいうまでもない。密かに期待している。



実は、このイベントの翌日、軽井沢へ行っている。同所へ行くのは随分前に決まっていたことで、たまたまの偶然だが、何か、東京から軽井沢へは必然なような気もした。その夜、軽井沢の行きつけの店で、加藤を思い、献杯をさせていただいた。

献杯! 軽井沢にて


☆サエキけんぞうのコアトークvol.110 
「加藤和彦:ヨーロッパ3部作とマリー・ローランサンを解く」
 

9月4日(木) 場所:渋谷ロフトナイン 
OPEN 18:00 / START 19:00(22:00end)【ゲスト】清水信之,牧村憲一、大川正義
場所:LOFT9(ロフトナイン) 
〒150-0044 東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS(キノハウス) 1F
TEL : 03-5784-1239 http://www.loft-prj.co.jp/loft9/
当日 3500円 配信あり
清水信之:「うたかたのオペラ」から加藤和彦の片腕となった編曲家
牧村憲一:ヨーロッパ三部作制作に関わった音楽プロデューサー
大川正義:今回の全4作品に関わったエンジニア
牧村、大川両者はCDブック「バハマ・ベルリン・パリ加藤和彦ヨーロッパ3部作」の制作者。


https://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/326290

 

 
 
 

 

 

 

 

やはり、「フジロック・フェスティバル’25」の3日目、7月27日(日)の「WHITE STAGE(ホワイトステージ)」、佐野元春&THE COYOTE BANDのライブは見ない訳にいかないだろう。同時にそれを報告することは10年ほど前、2014年7年25日(金)に佐野元春がTHE HOBO KING BANDと「フジロック・フェスティバル’14」で行った“『VISITORS』(ヴィジターズ)完全再現ライブ”を見たものとして答え合せをする――それは義務にも感じていた。

 

 

少し前振りが長くなるが、当時のことを書かせてもらう。2014年7月25日(金)、午後3時50分に佐野元春&THE HOBO KING BANDは新潟県・苗場スキー場で開催された「フジロック・フェスティバル’14」のメインステージ「GREEN STAGE(グリーンステージ)」に登場した。クレジットは佐野元春&THE HOBO KING BANDとなっているが、この日、佐野元春(Vo、G、Kb)をバックアップするために集まったのは、

 

 

長田進(G)

井上富雄(B)

古田たかし(Dr)

西本明(P)

Dr. kyOn(Kb)

大井'スパム'洋輔(Perc)

山本拓夫 (Sax)

西村浩二(Tp)

Kumi(Chors)

 

 

という、The Heartland、THE HOBO KING BANDの歴代メンバー、サポートメンバーに加え、バッキング・ヴォーカルとして、ラブ・サイケデリコからKumiが参加している。

 

 

まだ、陽が明るいというか、強烈な日差しの中、へッドライナーの登場に向けて会場が盛り上がる前だが、ステージ前のモッシュ・ゾーンには熱心な佐野元春信者たるオーディエンスが集まる。この日、初めて佐野を知り、聞くというものも多いらしく、遠巻きに様子を伺うようなものも少なくない。SNSには揶揄を込め、ガラガラなどと書かいたものもいたが、決してそんなことはないと付け加えておく。

 

 

1984年5月にリリースされたニューヨーク滞在1年間の記憶と記録とでもいうべき、かの地でレコーディングした超弩級の傑作『VISITORS』。同作を携え、日本へ帰国後、The Heartlandのメンバーと1年以上に渡って全国ツアー『Visitors Tour』を敢行した。しかし、ニューヨークで生まれた音を日本でThe Heartlandのメンバーと演奏することで齟齬みたいなものが生まれていたことも感じていた。それがこのメンバーで演奏されることで、見事なまでに解消され、佐野が届けたかった音をそこに“再現”するとともに“アップデート”もされていた。そんな音楽的な収穫に満足を感じつつ、同時にその場の磁力みたいなものに違和感を抱いたことも事実である。いわゆる“フェス”と“佐野元春”との相性の良し悪しみたいなものを感じていたのだ。

 

 

佐野は2014年の「フジロック」以降、「サマソニ」(2016年)、「ライジングサン」(2015年・2025年)など、フェスなどにも積極的に出演。佐野元春のことをレジェンドとしてしか知らないオーディエンスを前にしてたじろがず、その真価を問う。そんな“武者修行”が佐野元春&THE COYOTE BAND(コヨーテバンド)というバンドの存在を確かなものにしている。

 

佐野が“フェス”という関門(!?)を乗り越えた瞬間というものがあったとしたら、それは2015年 8月14日(金)・15日(土)に石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージで開催された『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2015 in EZO』(佐野は14日、「REDSTAR FIELD」に出演)ではないだろうか。

 

実際にその場にいたわけでも配信などで見ていたわけでもないが、まるで同時中継のようにSNSへ投稿される観客達の書き込みを見て、それを確信できた。その名前や存在を知るものの、初めて佐野元春を聞くという人が多かったらしく、そのパフォーマンスを新鮮な驚きで受け止め、知らぬ間にその魅力の虜になるものが続出。“かっこいい!”と絶賛するものもいた。新しい世代のオーディエンスも多く、世代を超え、誰もが歓喜と驚愕の声を上げる。続々と書き込まれる熱い思いに接して、私自身、その場にいるような興奮を味わっていた。そんな経験は初めてかもしれない。

 

また、書き込みなどには“今の政治はとっちらかっている。僕はこの国の人間として歌っていく”と、自らの意志を表明して、「国のための準備」を歌ったことも報告された。同曲は佐野元春&THE HOBO KING BANDが2004年にリリースした傑作『THE SUN』に収録されている。ニール・ヤングに「国のために用意はいいか?(Are You Ready For The country)」という“反戦歌”があるが、そのオマージュだろう。2015年に自らの思いとともに同曲を披露する。その姿勢も世代を超え、多くの共感を呼んだ。

 

 

佐野元春は2010年代以降、『COYOTE』(2007年)の制作を契機に誕生したTHE COYOTE BANDとともにホールやアリーナなどのツアーやコンサートだけでなく、全国のライブハウスを回るクラブサーキットを敢行、同時にフェスやイベントにも積極的に出演している。ライブバンドとしてTHE COYOTE BANDの強度を上げつつ、その間に佐野元春&THE COYOTE BANDは『ZOOEY』(2013年)、『BLOOD MOON』(2015年)、『MANIJU』(2017年)、『ENTERTAINMENT!』 (2022 年4月)、『今、何処』(2022年7月)、『HAYABUSA JET I』(2025年)という極上のアルバムをものにした。

 

 

現在、佐野元春はデビュー45周年、THE COYOTE BAND結成20周年という『佐野元春45周年アニバーサリー・ツアー』の真っ最中、7月5日(土) さいたま市文化センター 大ホールを皮切りに、12月7日(日) 横浜BUNTAIホールまで、全27公演という過去最大規模の全国ツアーを行っている。その間、7月に“フジロック”、8月に“ライジングサン”への出演を始め、10月11日(土)・12日(日)に京都・梅小路公園 芝生広場で開催されるくるり主催の「京都音楽博覧会2025」(佐野の出演は11日)、11月22日(土)・23日(日)に島根県・出雲ドームで開催される「出雲オロチフェス」(佐野の出演は23日)への出演が決定している。

 

 

 

と、少しどころか、前振りがかなり長くなったが、その日のことを書いておく。2025年7月27日(日)、「フジロック・フェスティバル’25」の3日目、午後4時20分過ぎ、佐野元春&THE COYOTE BANDは超満員の「ホワイトステージ」に登場した。

 

同ステージの収容人数は約15000名。「グリーンステージ」に次ぐ、2番目に大きいステージだ。7月25日(金)にはおとぼけビ〜バ〜、Suchmos、MIYAVI、26日(土)にはFAYE WEBSTER、FOURTET、27日(日)はMONO NO AWARE、ROYEL OTIS、羊文学、HAIMなどが同ステージに出演している。ホワイトステージは一番大きいメインステージとでもいうべき、「グリーンステージ」(同ステージへは入場ゲートから5分ほど)から距離は長く(中高年になればなるほど、長距離に感じる!?)、徒歩10分から15分ほどだが、人気バンドが重なると比較的広い通路は埋まり、30分以上かかることがあるから早めに移動をしなければならない。

 

 

この日は晴天。猛暑、酷暑である。恵の雨など、一切なく、観客が入場する前に観覧エリア(当然、席はなく、キャンプ用の折り畳み椅子も使用不可。基本的にオールスタンディング)に水が撒かれたが、その効果は一瞬で消える。

 

 

彼らの演奏時間が近づくにつれ、観客が続々と同所へ集まって来る。開演前に満員御礼状態。佐野と同世代の観客から下の世代、そしてもっと下の世代まで、様々な観客が集まった。ホワイトステージの前は観客の熱気でむせ返るほどだ。

 

 

佐野元春&THE COYOTE BANDのラインナップを改めて記しておこう。佐野元春(Vo、G、Kb)をバックアップするメンバーは、

 

深沼元昭(G)

藤田顥(G)

高桑圭(B)

小松シゲル(Dr)

渡辺シュンスケ(Kb)

 

というお馴染みのラインナップ。この日のためのゲストは一切なし。佐野元春&THE COYOTE BANDのメンバーのみである。

 

 

開演時間の午後4時20分を少し過ぎ、COYOTE達がステージに飛び出してくる。観客は熱狂と歓声で彼らを迎える。その瞬間、バンドとオーディエンスの幸せな関係が結ばれる。2014年のグリーンステージに興奮と熱狂はあったが、どこか、余所余所しかったことを思い出す。佐野元春&THE COYOTE BANDはフジロックに歓迎されている。それを一瞬にして感じさせる。

 

 

1曲目に披露されたのはセカンドアルバム『HEARTBEAT』(1981年)に収録された「君をさがしている(朝が来るまで)」だ。勿論、最新アルバム『HAYABUSA JET1』(2025年)で “再定義”したヴァージョンだ。

 

ステージと会場が一つになる。まるでさがしている“君たち”に出会えた瞬間だろう。両者はがっちりと握手を交わす。

佐野は満員の会場に“こんにちは!”と思いが口からこぼれ落ちる勢いで告げ、“暑いけど、最後まで楽しんでいってください!”と呼びかける。観客も手を上げ、歓声で応える。

 

 

「ヤングブラッズ」(1986年『Cafe Bohemia』)、「つまらない大人にはなりたくない」(1981年『HEARTBEAT』)を畳みかける。ともに『HAYABUSA JET Ⅰ』で“再定義”されている。

 

「ヤングブラッズ」では1985年のシングルリリース時に制作した同曲のプロモーションビデオをフィーチャーし、さらに同ビデオをコラージュした今回のツアーのために新たに制作された映像も流される。1985年と2025年を繋ぐかのようだ。

 

「つまらない大人にはなりたくない」は『HAYABUSA JET Ⅰ』収録の際に「ガラスのジェネレーション」から改題されている。2025年の新たな名曲とでもいうべき、アップデートされたこの3曲で、観客の心を鷲掴み。“掴みはOK”というところだろう。

 

 

佐野元春はデビュー45周年・THE COYOTE BAND結成20周年のツアーを行っているが、同ツアーのコンサートを踏襲するソングリストでもある。

 

そのセットから一転、「植民地の夜」(2022年7月『今、何処』)、「La Vita è Bella」(2013年『ZOOEY』)というTHE COYOTE BANDの名曲達を放つ。観客は先の3曲同様に歓喜を上げる。いまの佐野元春は観客に向けて新旧の名曲を繰り出す。「植民地の夜」は“まやかしの糸にからまって”や“事実なんかよりましなフェイク”、“邪悪なプロパンガンダ”、“人の心のもろいところ”、“狙っているテクノ・スパイダー”――など、時代を射るパンチラインが並び、心の深いところを刺激する。その内容とリンクするようにそのスクリーンに映し出される映像は先鋭的なものになる。一転、イタリア語で“人生は素晴らしい”という意味を持つ、世代や時代を超える究極のラブソングといっていい「La Vita è Bella」は人の心と身体を蕩けさす。

 

 

そしてコロナ禍にリリースしたアルバム『ENTERTAINMENT!』(2020年4月)のタイトルトラック「ENTERTAINMENT!」を披露する。

 

同曲は2019年から2021年にかけて配信リリースしたシングル5曲、「愛が分母」(2019年)、「この道」(2020年)、「ENTERTAINMENT!」(2020年)、「合言葉」(2020)、そして「街空ハ高ク晴レテ」(2021年)の1曲である(アルバム『ENTERTAINMENT!』はその5曲に「東京に雨が降っている」、「悲しい話」など、コロナ禍の風景をスケッチしレコーディングした曲を加えて完成させている)。

 

実は2020年に開催されるはずだった「フジロック・フェスティバル '20」は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、24回目にして初の完全中止になった。翌2021年の「フジロック・フェスティバル '21」は海外からアーティストを招聘しての開催は断念され、国内のアーティストのみによる開催となっている。入場制限や環境の整備など、様々な規制や制約の中、開催された。

 

 

そして、2025年7月27日(日)は、佐野元春は“フジロックの空の下、みんなでロックしよう”呼びかける。佐野は当時、「コロナ禍に生きる僕ら。こんな時だからよりみんなとシェアしたい曲がある」とメッセージしている。佐野元春の眼差しや思いは世代を越えて同じ時代を生きるすべての人達に向けられた。『ENTERTAINMENT!』には心を鼓舞し、心温まるナンバーが収録されている。コロナ禍の中、不要不急のものとして、活動自粛する中、同アルバムに収録された「この道」などはリモートレコーディングして、その模様を2ヶ月という期間、誰にでも使用できるパブリック•ドメインという形でMVも公開している。佐野は自らできることを模索し、それらを作品として出していたのだ。佐野元春&THE COYOTE BANDは動くことをやめなかった。そのための充分な準備と細心の対応をしてきた。エンターティンメントの意義を改めて世に問うたのだ。そのことを忘れてはならないだろう。

 

 

佐野はTHE COYOTE BANDと作った『今、何処』(2022年)から「水のように」と「大人のくせに」を畳みかける。“Be water(水になれ)”はかのブルース・リーの言葉として知られているが、2019年の香港の民主化運動のスローガンにもなっている。元々は「上善如水」(最高の善は水の如し)という『老子』の一節で、道教の教え。水は、形や姿を変え、気体や固体にもなる。自由自在、変幻自在か。ブルース・リー世代には響く言葉だろう。同世代への呼びかけにも聞こえる。そして「大人のくせに」は、かつて“つまらない大人にはなりたくない”と願って大人になったKIDS達へ、いま贈るメッセージでもある。“もう大人なのに ナイーブな君だから 間違えて傷つけないように”という但し書きも忘れない。

 

 

そしてアルバム『VISITORS』の最後に収録された「NEW AGE」が披露される。同曲は2014年の苗場で行われた“『VISITORS』完全再現ライブ”でも最後に演奏されたナンバーである。先鋭的であるがゆえ、難解なところもあった革新と挑戦のアルバムの中で、同曲は過去曲との親和性もあり、素直にその場で受け入れられたことを覚えている。いい意味で、緊張が緩んだことを体感した。今回はその特色まま、いまの“THE COYOTE BAND”との親和性はより高く、すんなりと嵌り、この会場の観客に大歓迎される。いい意味で時が経ち、2014年の“THE HOBO KING BAND VISITORS”マナーが2025年の“THE COYOTE BAND VISIRORS”マナーへとアップグレードされる。観客が自分達の新しい“NEW AGE”を受け入れた瞬間ではないだろうか。

 

 

同曲から「約束の橋」(1989年『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』)への流れは誰もが抗えない。“今までの君はまちがえじゃない”という自己肯定感が横溢する。佐野とCOYOTE達は“約束の橋”を渡る。その一体感はこのメンバーでなければ生まれなかっただろう。

 

 

佐野は“いつか、きっと――20代の時に書いた曲ですけど、最近、近づいてきています”と語り、佐野元春が25歳の時にシングルとして1981年6月25日リリースした「SOMEDAY」を2025年7月26日に、本2025年3月13日に69歳になった佐野元春がCOYOTE達と披露する。44年前には、誰もがこんな風景は想像できなかっただろう。しかし、その曲は生き続け、永遠の名曲となる。懐古や郷愁では終わらない。聞く度に“信じる心”や“まごころ”を問いかけるのだ。不思議なもので同曲は世代や時代を超えて、惹きつける。世代の名曲に留まらず、時代の名曲となる。サブスクやダウンロードなどの影響もあるかもしれない。ヒット曲や流行歌だけでなく、過去の曲もいまの曲として聞かれる。そんな環境の変化もあるだろう。そんな中、名曲達は“みんなの歌”になっていく。

 

 

そして最後に、そして最後に「アンジェリーナ」が放たれる。いうまでもないが、1980年3月21日にリリースされた佐野元春のデビューシングル(1980年『バック・トゥ・ザ・ストリート』)だ。東京という街を「街の詩」と「街の音」で歌ったロックンロールである。

 

敢えて“再定義”という必要はないかもしれないが、「SOMEDAY」や「アンジェリーナ」が時代や世代を超え、いま聞かれるべき歌として2025年の意匠を纏う。それを観客はしかと受け止める。一体となって、ホワイトステージは歓喜と至福の渦を巻く。たくさんの愛が振って来る。佐野元春&THE COYOTE BANDは夏の苗場の覇者となる。2014年の雪辱、借り返したのではないだろうか。“VISITORS”完全再現ライブ”で感じた物足りなさは、フジロックが佐野元春をまだ、理解していなかったからかもしれない。同作の音楽性やメンバー、当時のスタンスなどを勘案すれば、グリーンステージではなく、唯一屋根のある「RED MARQUEE(レッドマーキー)」が相応しかったのではないだろうか。出演時間も昼ではなく、夜。闇に包まる時間。さらに前後にヒップホップテイストのバンドなどが出演していれば、『VISITORS』の意味合い、HOBO KING BANDのスタンスやサウンドなど、その意図が理解され、歓迎もされただろう。仕切りが悪いといいたいわけではないが、もう少し佐野元春という個性を把握していれば、また、違ったものとして聞こえてきたはずだ。

 

 

いずれにしろ、2014年に出来なかったことを成し遂げた。満員の観客と歓喜の時間を共有し、その場を多幸感溢れるものにした。そんな場にいれること、改めて佐野元春&THE COYOTE BANDをフジロックへ見に来た方は彼らから大きなものを貰ったはずだ。同時にデビュー45年にして、いまだに進化し続ける彼を見ることができる――なんて、幸せなことだろう。

 

繰り返しになるが、佐野元春の45周年、THE COYOTE BANDとの20周年は続く、機会があれば、どこかで見て欲しい。彼らは私達を落胆させることはない。