Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -2ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』の大ヒット、そして書籍『あの素晴らしい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る』のベストセラー、さらにトリビュートコンサートの開催など、いま改めて再評価される加藤和彦。先日、7月8日に多くの仲間達が集まり、『七夕忌 PANTA一周忌&頭脳警察55周年記念ライブ』が開催されたパンタ。加藤はサディスティック・ミカ・バンド、パンタは頭脳警察として日本のロックの黎明期から活動していたにも関わらず、両者の邂逅は意外と少ない。しかし、そんな貴重な出会いを記録する二人の対談が発見された。幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』の名物企画「リレー対談」(ミュージシャン自ら対談相手を指名し、指名されたミュージシャンが次の対談相手を指名するというリレー形式の対談である)。同誌の1984年3月号の同リレー対談の第4回で、加藤和彦がパンタを指名し、二人の貴重な対談が実現した。ちなみに加藤は1984年2月号に矢野顕子の指名で登場している。パンタはその後、盟友の橋本治を指名し、同対談は1984年8月号に掲載された。

 

同対談のリードに奇しくもおふたりとも1983年度ベストアルバムのポールウィナーとしての登場とあるが、同1984年2月号で、「1983年のベスト・レコード、ベスト・ミュージシャン」を編集部とレギュラーライターで選出、パンタの『SALVAGE(浚渫)』、加藤の『あの頃、マリー・ローランサン』がともに1983年のベスト・レコードを受賞している。まさに彼らは何度目かの絶頂期を迎えていたと言っていいだろう。

 

同対談の転載に際して、加藤の映画や書籍、トリビュートコンサートに関わり、ご遺族からもその遺志を託された内田宣政様、パンタの所属事務所の代表でご遺族からもその権利、遺志などを託された田原章雄様の許諾を改めて得て、ご確認の上、転載のご了承、ご快諾をいただいた。改めて感謝します。また、本原稿を構成したライターの堀ひろかず様にも転載のご快諾いただいている。改めて感謝します。そして、最後に素晴らしい言葉たちを残してくれた加藤和彦様とパンタ様に改めて深い感謝を捧げる――。

 

 

Kazuhiko Kato+PANTA 

 

リレー対談 第4回 加藤和彦+パンタ

■取材・構成/堀ひろかず ■写真/市川清師

 

 

加藤和彦

自分が何を作りたいかってことだけを考えて作ってる方が正直だ、という信念に基づいて作ってる。

 

パンタ

自分がダメになっていくことはファンに対していちばん失礼なことじゃない。

 

 

 

 

リレー対談の第4回目は、加藤和彦さんが指名したのは、パンタです。10年以上前は、かたやサディスティック・ミカ・バンドのリーダーとして、かたや頭脳警察のリーダーとして、日比谷野音や日劇などで共演してたのですが、当時は全くといっていいほど、交流はなかったそう。そこから10年経った今日、奇しくもおふたりとも83年度ベストアルバムのポールウィナーとしての登場。どんな話が出ますやら。

 

 

 

結論から先に言っちゃえば、それがエンターテイメントだと。

 

――たとえば加藤さんは、ご自身の音楽を壁にかける絵のようなものだとおっしゃってますが、たとえば一般の人にとって絵がどれだけ生活に必要なものとしてとらえられているかを考えてみると、そこにズレがあるような気がするんですが。

 

加藤 あれは、ジャンルは問わず何の音楽でもいいんだけど、音楽っていうものが僕たち音楽をやってる人にとっては絶対に必要なものだけど、普通の人にとっては生活に必要なものではないでしょ、切実には。そこのギャップというのは非常に問題で、生活に必要のないものっていうのはいっぱいあるわけだから、絵にしても本にしてもそうかもしれないし。それらは精神的には必要なものでしょ。だから個人差があると思うのね。そういう意味で音楽を聴く人っていうのは一歩離れてみるとすごい特殊な人が聴いてると思うんだよね。特に、いわゆる演歌とか歌謡曲というジャンルじゃない音楽というのはさ、かなり音楽の知識がないとあまり楽しめるものにはなってないわけでしょ。そういうものを僕らは作っちゃってるのも事実なんだよね。だから知識がなくても楽しめて、しかも平たくいうと万人の心を打つというのがあると思うじゃない、これはやっぱりいいレコードだと思うんだよね。どっちでもだめだと思うんだ。そういうのが作りたいと思うけどね。だから、そんな難しく考えないでさ、いわゆる壁にかた絵みたいに、音楽を聞いてその人の気持ちが良くなればってこと。

 

パンタ 昔、アメリカのレコードの購買層のピークが30歳で日本は15歳だって聞いて、じゃあ日本のレコード購買層っていうのはどんな層だろうって考えた時に、家具としてのステレオセットをぼんと置いて、そこにたぶんレーモン・ルフェーブルは入ってくっかもしんない。とかね、ビートルズはたぶん入るだろう。こんなことをいっちゃ失礼かもしれないけど、たとえばさだまさしは入ってるかもしれない。で、そういった時にそこに食い込むには身を削るような努力が自分に必要なんじゃないかっていう。だから、もうそこははっきりあきらめちゃおうと。

 

加藤 (笑)

 

パンタ (笑)マニアはもちろんたくさんいるんだけど。たぶん加藤さんの言っていることもそこに関連性はあるんじゃないかと思うんだけど。

 

加藤 たぶんね、パンタもずつと長いわけでしょ。その間いろいろ変わってきたと思うのね。僕なんかは、いい意味であまり買う人のことだとかさ、聴く人のことってのは考えてないというか。もちろん全然考えないっていったらウソになっちゃうかもしれないけど、自分が何を作りたいかってことだけを考えてってる方が正直だ、という信念に基づいて作ってるのね、最近は。

 

パンタ 結論から先に言っちゃえば、それがエンターテイメントだと(笑)。それでそれが自分たちのコマーシャルだっていう気がんですよね。『あの頃、マリー・ローランサン』も実に楽しんで作ってますね。あれは絶対、顧客のことは考えてないね(笑)。

 

 

パンクのムーブメントも結局価値観を変えられなかったね。

 

加藤 特に日本人って持って生まれて器用でしょ、だからいろんなことできんだよね。これはもう国民的性質として(笑)。だから本当に自分がオレがこれがしたんだぞっていうことを常に思ってないと、なんか自分が知らないうちにとんでもないものができちゃうってことない(笑)。

 

パンタ あるよ、やっぱり。たとえばね、自分がダメになっていくってことは、いちばんファンに対して失礼なことじゃない。

 

加藤 自分で自信がないようなものを作らされてね。

 

パンタ 『KISS』 の時に、それでもめたわけですよ。ファン・クラブの会報なんかでも「あんなのヴォーカルじゃない」とかもうケチョンケチョンにけなされてね。けなされたんだけど、自分がやりたいんだからしょうがないじゃない、って感じでね。もしそれがウソをついて唄っていくようになったら、それこそファンに対して失礼だと思ったんですけどね。

 

加藤 今、たくさんレコード出てるじゃない。そこから、音楽的に刺激を受けるってことあんまりなくなっちゃったんだよね。他のレコードを聴いて感激するとかさ、そういうのはほとんど最近ないんだよね。それは、曲を聴き過ぎたせいかな、とも一時思ったんだけど最近は日本のレコードも外国のレコードも複雑なものを作り過ぎてんじゃないか(笑)って気がして。5年位前だっけ、パンクが出始めた頃ってそういう価値観を破るかなってったんだけども、なんか全然破れなかったね。

 

パンタ あの動きは興味ありました?

 

加藤 うん、すごい興味あったよね。

パンタ 同じパンクの中でも、わりとテクノがかったり、感性だけでぶっとんじゃうやつとか、スタンダードな、たとえばフーをそのままやっているのとか、何種類かありましたよね。どのへんがいちばん興味ありましたか?

 

加藤 うーん。

 

パンタ 全体のムーブメントとして?

 

加藤 うん、特に何のグループってことがないんだけども、パンクの最初って何だっけ。

パンタ ピストルズ。

 

加藤 やっぱピストルズだよね。アレ的な感じってさ、常にイギリスのロックは持ってたからさ。アンチの姿勢には驚かないけどさ、それによって派生したヘタウマ的なものの容認で価値観変わるかと思ったけど、変わんなかったね。

 

 

今も「あの時代はロマンがあった」って言われる時が来るのかもしれない。

 

加藤 東京好き?

 

パンタ うーん、難しいね。

 

加藤 言葉ではわかるわけ、世界中の色んなもの手に入るし、色んなもの食べられるしさ、便利だし。だけど、それがどうしたんでしょうっていう(笑)。東京好きになりたいなと思って。

 

パンタ うーん。やっぱり加藤さんの根底に流れているのはロマンティックってことなのかな。

 

加藤 ロマンティックって言うのかな…。

 

パンタ 決してテクノロジーではないという。

 

加藤 テクノロジーでもいいんだけども、やっぱり人間がそこに介在して、人間がなんかすることによってかわいらしさって生まれてくるわけじゃない。完璧な人間がいないのと同じようにさ。

 

パンタ 田舎にしかないんじゃないかな。

 

加藤 田舎もあるかな、行っても東京と同じ顔してない? やっぱりないからね。僕なんか音で疑似体験みたいのを作りたいと思って。

 

パンタ 昔もなかったんじゃないかな(笑)。

 

加藤 わかんないんだよね、それは(笑)。ないから、みんな昔の時代に憧れんのかもしれないしね。

 

パンタ この時代から離れて、ある程度、年をおいて、僕らが70、80になった時に「あの時代にはロマンがあった」って。

 

加藤 言われるかもしれない。でも、ちょうど始めたのは同じ頃でしょ。60年代後半くらいから。

 

パンタ 加藤さんの方が早いですよ。

 

加藤 でも一緒にコンサートに出てたのはミカバンドの頃だから70年代初期でしょ。学園紛争とかバンバンあって何にでも牙を向けてた時代っていうのはさ、かえって今から思うとおもしろいじゃない。

 

 

音の持ってる不思議さに惹かれるんだよね。

 

 

パンタ 加藤さんがビデオについてお話ししてたのを読んだんですが、やっぱり絵がないほうがいいという観点からしゃべってましたね。

 

加藤 だってさ、音を絵で説明されちゃったらね。

 

パンタ (鈴木)慶一がおもしろこといってたんだけど、いつもビデオで見ててラジオでふと聴いたときに「あれ、これ聴いたような曲だけど何の曲だっけなあ」ってなっちゃうって。絵で覚えているから曲で覚えないって。

 

加藤 やっぱり絵と音と同時に感じるとしたら目の方が覚えているんじゃないかな。

 

パンタ 向こうのビデオの作り方なんかでもリズムに合せてカットが変るところなんか絵のほう若干早めに切り換えちゃうんだって。

 

加藤 じゃないと合ったように感じないんだ。でも僕ははさ、絵よりも音の持ってる不思議さってあるじゃない。たとえばすごい単純なことでさ、ジャーのコードは明るく響くしマイナーのコードはさびしく響くっていうのはなんでかって説明できないことでしょ。できないんだってね。

 

パンタ できないんだ(笑)。

 

加藤 どこへどう影響してどうかっていうのはね。そんな音楽理論知らない人でもさ、同じようにそれを感じるのは不思議だね。そんな音の持っている不思議さっていうのは僕すごい惹かれるんだよね。だから、それを逆に使うっていうか、ニュアンスが複雑になるでしょ。さびしい曲にさびしい詞がついてるともうそれはさびしい曲だけど、さびしい曲に明るい詞がついてバックがもうちょっと違うことを表現してたとしたらさ、すごいふくらんじゃうじゃない。すると、非常に細かいニュアンスが表現できるじゃない。そういうのに興味がある。

 

 

ロックやったってのもいいね。最近ロック少ないし。

 

 

加藤 いちばん最近なんて何やったの。

 

パンタ 『SALVAGE(浚渫)』っていう、本当になんのてらいもなくロックやったっていうのを。

 

加藤 ロックやったってのもいいね。最近ロック少ないし。

 

パンタ 僕はね、今年になってロックっていうのは死語になるかなあって思ったんだけど、自分の中で脈々と噴出するっていうか……。ほんとはね、『KISS』出して『唇にスパーク』出して、やっぱりああいうラヴ・サウンドを3部作でやりたかったのね、もう1枚。で、もう一枚は「ブルージーンズと皮ジャンパー」とか、全部カバーバージョンでやろうと思って。

 

――丁度、その時、加藤さんのプロデュースでって話が出てきてたという。

 

加藤 おもしろいね、それ。

 

パンタ 僕はセンスとか、ファッション的なものは別にしてわりと本質的なところでかなり結びあえるという思いがあるんですよ。奥の方でね。だから、いずれは何かで……。

 

加藤 じゃ何かよろうよ、やらして。パンタってさ、昔のウォーカー・ブラザーズをやめた頃のスコット・ウォーカーの感じってあるんだよ。翳ってるところがね(笑)。でさ、あの頃のスコット・ウォーカーってバカラックとか唱ってるんだけど全然違うんだよね。

 

パンタ 違うよね。

 

加藤 ロックになってるんだよね。全然ロックの形態はとってないんだよ、でもなんか。

 

パンタ でも彼はウォーカーにいた時からああいうのが好きみたいだったね。ウォーカー・ブラザーズ好きだったな。僕なんか電話リクエスト(ラジオ番組)で育った世代だから。ものすごくうわついたのも好きなんだけど、何か突っ張って。ちょっと前までは、すごく横目で世の中眺めて、斜にかまえてつばを吐いてた世代がね、ある時、もう俺は何をやってもいいんだってことで『KISS』なんかやっちゃったりしたんだけど。かなり自分で今はポジなんじゃないかなというね。加藤さんどうでした。わりと表ではポジのようでも裏でネガのところありませんでした(笑)。

 

加藤 もともと僕はいわゆるフォークソングの出、みたいなもんだから。フォーク・ソングってだいたいそうだもんね。ある種のカウンター・カルチャーじゃない。だから必然的にそういう立場になっちゃうのね。でもそれがある日、急に売れちゃったりするとポジティブになっちゃうでしょ(笑)。で、非常に複雑なもんがあるよね。

 

 

マイ・ペースでしか作れない

 

 

加藤 なんか感動したレコードとかある、最近。

 

パンタ 僕はもう延々フランス・ギャルですよ。

 

加藤 へぇー、フランス・ギャルがそんな好きなの。

 

パンタ 友達がフランス行くっていったら、じゃレコード買ってきてっていう……(笑)。

 

加藤 かわいい人だよね、実に(笑)。

 

パンタ 加藤さんは、いま何に感激っていうか、新鮮な喜びを感じます。

 

加藤 新鮮な喜びねぇ、それはむずかしいですねぇ。それを年中探し求めているっていうのが正解じゃないかな。その感激する心ってのは失いたくないなあって思ってるわけ。

 

パンタ マヒしてるのかなあ、僕らが。

 

加藤 いや、それがわかんないんだよ、ずっと。

 

――そのへんわかんなくなっちゃうでしょうね。感激するものがないのか、自分がマヒしちゃってるのかわからないっていう。

 

加藤 それは、怖いですよ。

 

――そういう状況って不安ですよね。

 

加藤 不安神経症の第一歩ですよ(笑)。

 

パンタ しかし加藤さんってマイ・ペースですね。

 

加藤 マイ・ペースでしかできない(笑)。

 

パンタ あるカメラの雑誌見たんだ。そこで五木寛之のインタビューが載ってたのね。はいま休筆中なんだけど、いま自分が何をやったにしても等身大の仕事しかできない。なぜならそれは大衆が磨かれてないからだ。爆発する時代であれば、自分は2倍、3倍の仕事ができるっていうようなことをおっしゃってたんですね。加藤さんの場合はそれとはちょっと違うみたいで、「等身大の仕事でどこが悪いの」っていう感じなのかな。

 

加藤 いや、彼はそれだけやったんじゃないかな。僕なんかまだまだ言い足りないというか歌い足りないことがあるからこそ作れるんでね。

 

 

3作後に加藤さんに頼みに行くかもしれない。

 

 

――おふたりの次作の予定は。

 

加藤 僕は、いま自分自身の曲をちょうど作ってるところで、まだテーマは朧気であるんだけど、言えないっていう感じ。

 

パンタ 僕はシビル16人格っていうのをやってるんですよね。次がたまたま16枚目っていうことで、16曲入れて2枚組にしたいなって思うんですよ。シビルっていう女のコを20年かけてカウンセラーが16の人格を引っ張り出して、最期に17番目の新生自我っていうのがすべてを統轄して出てくるまでを描いたノンフィクション・ノベルがあるんですけど、それをヒントにして作ってるんですが、まだ、2曲しかあがってないんですよね。で、さらにまた、その次があってクリスタル・ナハトっていうんですが、ドイツには、ユダヤ人虐殺に対して悔いる「ガラスの夜」っていう日が定められいるんです。それを日本に置き換えると、日本にも悔いなきゃいけないことがたくさんある気がしてね。

 

加藤 でも、ベルリンに行くとあの時代は全く空白になってるね。本もないし写真集なんてもちろんない。

 

パンタ 戦争に関するおもちゃがひとつもないっていうのは聞いたことがあるけど。

 

加藤 戦争に関するすべてが全くの空白になって。ナチスに関する生理的嫌悪もすごいしね。だから、YMOのあの衣装(YMO散会ライブではナチスをイメージさせるファッション、ステージデザインがされた)をはまずいと思う。よく知ってる人たちだし、当然本人たちはわかってやってるんだろうけど、知らない子たち見るとカッコ良く見えちゃうだけに、やっぱりあれはまずい。

 

パンタ ベルリンってやっぱりすごいですか。

 

加藤 ほんとに街が鉛色をしてる。戦争直後に建てた無造作な建物で古びてるんだけども一歩内へ入るとものすごくきれいにして住んでる。あれこそデカダンだね。

 

パンタ じゃあ、やっぱり行ってみないとだめかなあ。その2作が終わったら、加藤さんに、頼みに行くかもしれない。

 

加藤 いつでも言ってください。

 

『MUSIC STEADY』

 1984年3月号

(ステディ出版)

 

 

 

 

 

苗場へ行ってきた。先日の「ピーターと仲間たち2024」のライブリポートで誰か、見に行ったら教えて欲しいと他人行儀に書いたが、やはり我慢しきれず、車を駆っての苗場入りである。

 

 

昨日、7月26日(金)の新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されている「フジロックフェスティバル2024」の大貫妙子のホワイトステージには猛暑の中、涼風が吹き抜け、トンボが舞い踊る。

 

すでに多くの方がSNSで発信しているが、まさかの“ロック宣言”も飛び出した。内容そのものは先日の東京・六本木の「EXシアター」などで発言している“フジロックは初めてです。漸く、私がロックであることに気づいてくれた”と同じものだが、やはり“(苗場での開催となってから)四半世紀が経って、漸く私がロックだと気づいてくれた”という“現場”での発言には重みがある。

 

改めていうまでもないが、ほとんどの人達は彼女がロックだって気づいているはず。ジャニス・ジョプリンは「ウッドストックフェスティバル」に出演し、ジョニ・ミッチェルはウッドストックについての曲を書いている。それはともに1969年のことだった。二人は説明不要だが、既にロックとして認識されている。

 

 

多様性を謳いながらも意固地なところのあるフジロックが27年間、気づかなかっただけだ。あのミッキー吉野でさえ、出演するまで20年かかっている(2017年に開催された「フジロックフェスティバル2017」にゴールデン・カップスとして出演。残念ながらゴダイゴとしての出演はいまのところない)。私達は知っている。彼女は日本の野外ロックフェスの草分け、1974年7月31日から8月10日まで福島県郡山市で開催された“ワンステップフェスティバル”(花火大会や子供祭りなど様々な催しも並行して開催。ロック・コンサートそのものは8月4・5日および8~10日に開成山公園内の総合陸上競技場で行われている)にシュガーベイブとして出演している。いうまでもなく立派な“有資格者”だろう。

 

 

シティポップもテクノポップも呑み込む、この日、披露された極彩色の名曲達――時代が彼女に追いついたといってもいいだろう。この日も50分に凝縮されたオールタイムヒッツの如く披露される歌とサウンドは坂本龍一や高橋幸宏などの意志を引き継ぎながらも今のトレンドに自然と重なる。フェビアン・レザ・パネ(Piano)、鈴木正人(Bass)、坂田 学(Drums)、伏見 蛍(Guitar)、網守将平(Keyboards)、toshi808(Sequencer)など、先日の「ピーターと仲間たち2024」と同じく、若き精鋭たちがバックアップ。網守は坂本龍一の東京芸術大学の後輩にあたり、直接、彼から“後は任せた”と後継指名もされている(この日も大貫からそう紹介されている)。セットリストは坂本とコラボレーションした曲を当時の音源を使用しながら演奏した「ピーターと仲間たち2024」(この日も披露された2022年に配信と7インチ・シングルレコードでリリースされている最新シングル「朝のパレット」と同曲にカップリングされた「ふたりの星をさがそう」はともにに網守が編曲、「ふたりの星をさがそう」は高橋幸宏がドラムを叩いている。同曲は彼にとって最後のレコーディング参加作品となったとういう)と同傾向にありながら少し変えてきている。シンフォニックコンサート系の名曲ではなく、ポップで先鋭的な名曲達が並ぶ。野外フェスの鉄板、誰もが知る“ヒット曲”を盛り込むことも忘れない。

 

 

大貫は“常にヒットを飛ばすためにやってきてないけど、長いこと活動していると、ご褒美がある”といっていたが、彼女が1977年にリリースしたアルバム『SUNSHOWER』に収録された「都会」が海外の“大貫妙子好きYOU達”の後押しがきっかけで大ヒットするなど、まさにそんな状態だろう。大貫は“印税が大変です”と、嬉しそうに語る。同曲がある意味、新しい聞き手たちとのフックになっていることは間違いない事実だろう。

 

 

本人は“音楽をやめなくて良かった”と話していたが、しかし、私達こそ、彼女がやめず、こうしてホワイトステージへ“凱旋”してくれたことに感謝するしかないだろう。随分と年季が入って、このために苗場に駆け付けたと思しい方も少なくない。

 

 

この日の苗場は本当に暑かった。大貫が何度も無理せず、水分補給してくださいと、そんな観客に気を遣っていたのが印象に残る。彼女の歌がそんな会場に涼風を運ぶ。大貫に懐き(!)、マイクや大貫の指にとまるトンボとのやりとり(?)も微笑ましい。ホワイトステージは溢れるばかりの人が詰めかけ、まさかの総立ち状態、ベテランからルーキーまで世代や性別を超えて、いろんな人達が集まり、楽しんでいた。きっと、身体には応えたかもしれないが、心の中は小さな幸せが満たす。誰もがそんな気になったはず。

 

 

しかし、ホワイトステージに大貫妙子を持ってくる。流石、フジロックだ。わかってらっしゃる。彼女が同ステージに出るに相応しいことを知っている。フィールドオブヘヴンだと、ちょっと違うだろう。

 

 

野外で聞く大貫妙子。格別である。そうあることではないが、本2024年5月には福岡・海の中道海浜公園 野外劇場で開催された「CIRCLE ’24」にも出演している。今度はもう少し涼しいところを希望する。まずは11月30日(土)には昭和女子大学・人見記念講堂で「大貫妙子 シンフォニック・コンサート 2024」が開催される。思い切り、涙を流すのもいいかもしれない。これからも挑戦と冒険を忘れない、いろんな大貫妙子に会えそうだ。

 

実は、本原稿は一度、FBにタイムラインに書き込んだものだが、同エントリーに出版業界の先輩で、PANTAとも交流のあった方から“人懐っこいトンボには、亡くなられた先達の魂が宿っていたのかもしれません。”という素晴らしい書き込みをいただいた。そんな視点でトンボを例えるなど、流石、PANTA譲りではないだろうか。私はくっついたり、離れたり、離れたり、くっついたり、思い通りになりそうでならない、思い通りになりそうで、思い通りにならなかったり、思い通りにならなそうで、思い通りになったり、と……あの方の顔が浮かんでいる。