おはようございます、レオンです。
今日は、ちょっとだけ、小難しい話です。

僕が、まだ、小学生高学年?か中学1年生の頃のことです。
そのころ、ファミコンがブレーク中でした。
ファミマガとマルかつファミコンというゲーム雑誌全盛の時代です。
一番良く読んでいたのが、『魍魎戦記MADARA』と『ウィザードリィ~灰と青春』でした。
この2つは、確か、当時『マルかつ』の方で連載されていたと記憶しています。

何せ、創刊号から熟読していましたから~。
その当時、もうひとつ気になる本が、2分冊で、小学校近くの文具店?(書店)の棚の一番上に、並んでいました。
それは、『ゲーム理論(上下巻)』です。
当時は、まだ、自分が、とっても、ガキでしたから、中身については、全く想像もできませんでしたけど(笑)。
きっと、『攻略法でも書いてあるのだろう?』ぐらいでしたね。
その本を、手に取るまで、結局6年かかりました。

日本って、日経新聞には、特別な思いがあるように思います。
確かに、値段もかなり高いですし(月約4,000円くらい)、小難しいことが書かれているようなイメージが
あるのかもしれません。『難しそうだな~高いし~。手が出ないよな~。』という印象でしょう。

大学生の頃に、会計士の受験をきっかけに読むようになって、新聞の構成に目がいくようになりました。
トップ、政治面、経済面、国際面、社会面、文化面、地域面、事件・事故面、TV欄等ですよね。

関連で、僕の新聞履歴を書いたと思いますが、人によって、新聞の読み始める面って、結構違いがありますよね。一番興味が、ある面から、読み始めるのが、普通なのかな~とは、思いますが(当然逆の方もいらっしゃるでしょう。)

いろいろな知識が、増え始めると、自然と、新聞を読む時間は、増えていきますし、深い洞察というか、背景を知ろうと考え始めますし、その記事に書かれていない事情にも目がいくようになっていきます。
この記事は、完全な真実とどのくらいギャップがあるのだろうか?と。

現在も、様々な事件が起こっていますが、ネットをあちこちさまよっていると、いろいろな記事やデータを見ることになります。
例えば、時々「2ちゃんねる」も見ることが、ありますが、(今までは全く敬遠していました。ネガティブなことが多いですから。書き込みをする気はまったくありませんけど。)、本当に玉石混交です。

一概に否定ばかり出来ないこともあります。その匿名性です。あの掲示板には、いろいろな方が、書き込みされます。その知識水準、事実の把握能力、そして、真実性です。

もちろん、『玉石混交』ですけど。
見る方によっては、明らかに真実に近いと思われることもあれば、専門家しかわからない高度な知識も含まれているのです。
でも、まぁ、見極める能力は、自分で磨くしかありませんが。

この2者の比較は結構有効だと思います。
その『ギャップを知る』という意味では。

でも、時々、辟易とする内容もあることは、ありますけどね。

ギャップが、大きいときと小さいときは、それぞれ、意味があります。

かなり、話がそれました。
話をもとに戻します。

そうそう、先に上げた本が、経済学の中で、ヒトの心に踏み込んだ先駆け的な意味がありますよね。
最近は『行動経済学』が結構注目されています。

その『ゲーム理論』の中で、最もポピュラーな理論が、『囚人のジレンマ』ですね。

共犯の容疑者が捕えられ、別々の独房に入れられて取り調べを受けます。検事は2つの選択権(黙示と自白)を与え、それぞれ刑の重さを告げます。
パターンは、4つ。

詳しく知りたい方は、2つのページを紹介しますので、どちらかお好きな方を、
ご覧になってください。

http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Jouhou/95/Takahasi/prisoner.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E

さて、2人はどのような行動を選択するでしょうか?
仲間に対する信頼と疑い、黙秘と自白をめぐって、心の中で大きなジレンマを持ち、心の葛藤と壮絶な戦いをすることになります。

結論だけ、このゲームの結論だけ述べておきます。
結果として、2人とも相手を裏切って自白してしまい、より重い刑が科せられてしまうのです。

お互いに協力しあえば、より良い結果が得られるのに、エゴを出して自分だけの利益を考えて行動すると、共に不利益を被ることになるのです。

ゲーム理論の前提は、当事者の利害対立です。
つまり、どちらかが得をすれば、その分だけ、相手はかならず、損をするということです。
このようなゲームを「トータル・ゼロのゲーム』という意味で、『ゼロ・サム・ゲーム』なんて、呼ぶ場合があります。

私たちが、遊んでいるゲームのほとんどが、このゲームです。
囲碁、将棋、チェス、麻雀、トランプもそうですし、
入学試験、入社試験、昇進試験、学校での成績評価、企業での人事考課もしかりです。

私たちは、このゲームを日ごろからやり過ぎていて、慣れしたしみ過ぎているため、日常的なことをすべて、このルールで考えてしまいすぎていますよね。

勝ち負けにこだわり過ぎなのかもしれません。
その結果、「勝ち負け」「勝負ありなし」という二分法の基準で、ものごとを判断しています。

ここで、矛盾が生じることになります。

勝つのが難しいと分かっているケースでは、「勝たなくても負けない」という選択をするというちょっと、(屈折した?)道を選ぶことになります。
これでは、何か物足りなくなりますよね。
そこで、軸をもう一つ追加することになります。

「他人に迷惑をかけない」というものです。

そうなるとどうなるか?
結論は、勝った時には、優越感。
負けたときには、劣等感。

では、引き分けたときには?
「勝たなくて良かった」とは、決して思わないでしょう。
「負けなくて良かった」と思って、ほっとします。

全員が、「負けなければ良い」という生き方は、結局、
全員が「負け戦」をすることになります。

「マイナスにさえならなければ」という道を選ぶことは、決して「プラス」には、ならないということです。

自尊心の高い生き方を目指しましょうよ。ね。

それが、「両方とも、勝つ」、『非ゼロサムゲーム』への入口です。
相手を信頼するという「アライアンスの輪」なのですから。

つまり、先ほどの『囚人のジレンマ』の例でいえば、お互いに相手を信じて黙秘する道です。
別に、捕まったら、黙秘したほうが、いいですよ~といっているわけではないですけどね。
あくまで、言いたいことは、別にあります。

要するに、お互いに自尊心を持って、「共生」の生き方を選ぶことが理想であるということです。

「白黒ゲーム」って、あるんですよ。
そのことを自覚させてくれるものです。

ルールは、簡単。
2つのチームに分けて、お互いに碁石を白と黒を出し合って、得点を競います。
「目的は勝つこと」と宣言します。

3分間で、チームの意見をまとめ、ゲーム開始です。

これを5~10回繰り返して総得点を競います。

ルールは、次の通りです。
パターンⅠ チームA白+1 チームB黒-1
パターンⅡ チームA白-1 チームB白-1
パターンⅢ チームA黒-1 チームB白+1
パターンⅣ チームA黒+1 チームB黒+1

ゲームが終った段階で、こう告げるのです。
「私は相手に勝つとは言いませんでした。でも、皆さんは相手に勝つことしか頭にありませんでしたね。」と。

一度考えてみてください。
きっと、良い方策がみつかるはずです。