昨日(1月6日)の読売新聞1面。
「日本史高校必修化」の見出しが躍りました。
どうやらこれまでは国際化社会を受け、よりグローバルスタンダードを取り入れる形で、世界史が必修となり、地理、日本史は選択科目になっていったとか。
至る所に現われますね、〝グローバルスタンダード”。
このあたりよく考えてほしい!
本当にそれで良いのだろうか。
そもそもグローバルスタンダードって何目線なのよ!?
記事でも指摘されていますが、国際社会で外国人と共生の道を図ろうと望むので
あれば、少し英語が話せるよりも、語るべき「ナニカ」を持っている人の方が
魅力的だ。
普通に考えればすぐに分かりそうなものだけど。。
これまで何度も言ってきたけど、単に英語が話せれば良い国際人になれるかといえば、そうではない。
それよりむしろ、自国の文化やそのバックボーンに造詣が深く、外国人にもきちんと自国の素晴らしさが語れる、そして自分が一体どんな人間であるのかが語れる…
そういうことをきちんと自ら発信できるような人こそ本当に世界の舞台で魅力的に活動できるのでしょう。
日本人は何かと「外」からのものに敏感に反応します。
なにやら「外」からやってきた『ソレ』は随分と良く見えてしまうようなのです。
・・・というわけでその傾向を是正しようというのが今回の文科省の施策。
もちろん世界史だって大事だし、地理だって、もちろん公民(現代社会)だって、現代を生きる人間であれば知っておいて損することはないことばかり。
とはいえ、やっぱり僕自身もそうですが、自国の文化や伝統などは自分自身のバックボーンでありますから、それなりに知識を持っていた方が良いに決まっている。
僕自身は高校生の時、世界史も地理も日本史も履修しました。
中でも世界史はたくさん授業時間数があったような感覚です。
僕自身は歴史が好きな方なので、大学入試の際も世界史を選択しました。
じゃあなんで日本史を選ばなかったのか、といえば、
簡単に言えば、日本史の場合、歴史的用語もさることながら、
漢字も覚えなければならないから。
特に普段あまり見かけないような字(漢字)が人名などを中心に
たくさん出てきます。
これに耐えられなかった。
すでに高校入試の際に、僕は筆圧が強いので、
「書いて書いて書いて書きまくる」勉強のし過ぎが原因となり、
右手(利き手)中指にごっついペンダコが出来てしまい、
あまり長時間ペンを握っていられなくなってしまったのです。
…なので、大学入試に際しては(高校の定期試験勉強の際から)書いて覚えるのではなく、声に出してしゃべる、「音読暗記法」で勉強を進めていました。
最初は必要に迫られて何となくやり始めた方法でしたが、
だんだんと「書くのが面倒臭い」「楽ちん」という、
ちょっと怠惰な理由で続けていたんですね。
まぁ、とはいえ今考えれば、非常に効果的な方法なんですね、これ。
●学習内容や先生の解説をそのまま何度も何度も声に出して読む・しゃべる…
●たまに図を書いてみたり、重要な部分、間違えそうになる部分だけ、書き出してみたりする…
●最後に自分が先生になった気分で、「誰かに教えるとしたら」の体で授業のようにまとめてしゃべる(板書をするように重要事項を書く)…
この方法に学習効果があるのは、
単に書き倒すだけの学習よりも、
単にじっとながめるだけの学習よりも、
単に聞いているだけの学習よりも、
単に問題集の問題を解いただけの学習よりも、
声に出す(発信・表現する)というアクティブな活動であり、さらに頭だけでなく体もきちんと使っていたからなんですね。
みなさんも経験的にお分かりだと思いますが、
一度体で覚えた知識というのは、忘れにくいんですね。
例えば自転車の乗り方とか。
少し話が脱線してしまいましたが、
要は歴史も地理も公民も、どれも大事。
しかし、特に歴史などは、毎年毎年積み重なるわけで、
とにかく覚えるべきとされていることが大量にある。
しかも、「本当にそれだけ知っていて何になるの?」と思ってしまう
枝葉の部分にも分け隔てなく均等に時間やテストの紙面が割かれる。
これこそが歴史をはじめとした「社会」嫌いを生み出す要因となってしまうのでしょう。
その最たるものがやはりテストですよね。
テストでの点数が力を持っているから、やっぱりどんな意味のある出来事かというよりも、どれだけ点数につながるかという視点でしか歴史を観れなくなってしまう。
これって本末転倒。
というより、かなり寂しいというか、さもしいというか、極端に言えば、ストレスに対する忍耐力以外何が身につくのだろうかと思ってしまうほどの出来事だ。
大きな時代の流れや、時に、当時の人間の生活をグッとクローズアップして、
なぜそうした事件が起こったのか、ということに思いを馳せてみる…
過去の出来事が今現在の何につながるのか、
逆に、現在とは、どんなふうに、なぜ断絶しているのか、
そんな大切なことを知るにはやはり歴史を学ぶ必要があるでしょう。
そして、それは現代に視点を持っていると思っている自分を時に強く揺さぶる非常に魅力的であり、ちょっぴり危険が伴うスリリングな営みだと思うのです。
戦後日本は歴史認識という点で、お隣の国とピリピリしています。
最近もその国と日本との間の話題と言えば、ドラマかアイドルか歴史問題か、というような何ともおかしな取り合わせ。
彼らが言うことが正しいのか、それとも、両者それぞれに誤解があるのか、いずれにせよきちんと知ることから始めないといけませんね。
いや、自分たちは未だ真実(真理)を知らないのだということを知ることからやり直さないといけないですね。
特にこういう一筋縄で答えが出せない問題に向き合う時は。
みなさんはこの話題についてどうお考えですか?

□横浜の個別指導・グループ指導学習塾・作文教室 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室へ

↓ぜひクリックお願いします!↓
↑プリーズワンクリック 応援よろしくお願いします!↑
※みなさんのおかげで最近ランキングが上がってきました!
ありがとうございます。ぜひもうワンプッシュ

