家族のつまづきを幸せに変えるシンプルな意識の使い方 -6ページ目
みなさんは料理が好きですか?
私は好きとも嫌いとも言えない微妙な感じ‥。
どうも歯切れが悪くなってしまいます。
というのも、料理へのモチベーションって
自分のコンディションにすごく影響されやすい
ものだと感じているからです。
仕事が休みの平日などは時間にも気持ちにも
余裕があるので買い物に行ってスーパーを
ウロウロしながら
このイワシを圧力鍋で煮付けたら美味しい
だろうな〜
この茗荷を酢漬けにしたら私が喜ぶな〜
唐揚げやハンバーグは子供が喜ぶな〜
ってあれこれ考えている時はワクワクします。
こういう時の料理は
楽しい気持ちでスイスイできてしまいます。
でも
仕事やお出かけで疲れた日とか
体調が悪い日とかは
自分に余裕がなくて面倒でしかない。
そう考えると料理ってすごくエネルギー
が必要な家事だな、って感じます。
料理って愛情を伝える手段でもあるの
ですよね。
(同期にカウンセリングしてもらった時に
教えてもらった話をシェアしますね)
例えばお母さんが
楽しく、ご機嫌に
美味しくなーれって愛情を込めたり
家族に美味しく食べて欲しいな、って
愛情を込めて材料を切ったり
炒めたり、煮たり、の工程を丁寧に
やっていくと、それはプラスの意識の
のった料理になります。
味も美味しくなるし、家族も喜んで
食べてくれるのだそう。
逆にお母さんが
疲れたな、作りたくないな、私ばっかり
大変、あー面倒くさいな、って
マイナスの意識で料理するとそこには
愛情が入っていないばかりか
お母さんの重たいマイナスの意識が入って
しまうのです。
無理してがんばって作った時に限って
なぜか家族に残されてしまう、という
ことが私は時々あるのですが
そういうことだったんだなって納得。
そんなものを食べさせようとしていた
と思うとちょっと怖くもなりました。
そして、今までもったいないことして
いたな、って感じたのです。
子供が小さいうちは一緒に過ごす時間も
長いし、スキンシップや言葉で
「大好き」を伝える機会がたくさん
ありました。
成長に伴って親ができることって
段々と減ってくるんですよね
その中でも
見守る、必要なことにお金を出してあげる
ことと並んで食事を作ることって
親が子供に愛情を伝える手段に
できるんですよね。
だから、お母さんは毎日愛情を込めて
料理しましょう!というわけでは
ないんですよ。
子供たちに
元気でいてほしいな
しっかり栄養をつけてがんばってね〜
というエールの気持ちを送りたいなら
そんな気持ちを感じながら
料理に丁寧に愛情をかけていく
そういうこともできますよ、という話。
とはいえ
子供がその愛情を受け取れるか?というと
それはまた子供のコンディションにも
よるし、子供の自由なのですよね。
これも聞いた話ですが
子供が落ち込んだりして
エネルギーが減ってる時ってお母さんの
愛情というエネルギーの乗った料理が
食べれない、食べたくないっていうことも
あるそうです。
そして、そういう時って
人のエネルギーが乗っていない
ファーストフードやインスタント食品の
方が食べやすいということもあるようです。
子供は自分の状況に応じて食べ物を
選択しているんですよね。
私たちお母さんはそんな時こそ
「しっかり栄養のあるものを食べてほしい」
って思いやすいし、それももちろん子供への
愛情ではあるのですが、伝えたい愛情と
子供が受け取る愛情は必ずしも一致しない
のですよね。
愛情をどう受け取ってもらうかまでは
期待しない(コントロールしようとしない)
ことがポイントです。
料理を通して食べてくれる人に
何を伝えたいかは作るか、作らないかも
含めて自分で選べるものなんですよね。
こんな丁寧なお料理が出てきたら
私はエネルギー受け取れる自信あります!
誰か作って〜
大人の私も料理からエネルギーを受け取る
こともあります、過去記事です↓
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
12月に入り、個別懇談の時期が近づいて
きましたね。
娘の通う中学校では
懇談前に先生から生徒への
カウンセリングがあるそうです。
娘は何故だかトップバッターで先生に
呼ばれてお話したようです。
「先生にめっちゃうれしいこと
言われてんよ。
芯がしっかりしていて、見ていて
尊敬するよって」
日本語が不思議なのはご愛嬌でお願い
します(笑)
先生よく分かってらっしゃる!
そうなんです、
うちの娘、誰とでも仲良くできるし
人にも合わせられるのですが
実は芯が強くて
嫌なことは嫌
好きなことは好き
ブレない芯の強さを持っているんです。
小さい時は
その感覚をうまく言語化して
伝えられないものだから
癇癪を起こすことも多かったし
道に座り込んで動かなくなっちゃうこと
も年長さんくらいまではよくありました。
今よりももっと未熟な母だった私は
バリバリの被害者意識で娘のことを
見ていました。
「大好きでこんなに可愛がっているのに
私の言うことは聞いてくれない」
って思っていたんですね。
これ本当の話です。
我ながら、未熟で恥ずかしいのですが
可愛がってるのにコントロールできない
ことにもどかしさを感じていたのです。
やり直せるものなら
幼い娘の好きや嫌いに寄り添って
存分に表現させてあげたいなぁと
思いますが、過去は
どうにもなりませんからね。
そんな娘も
最近は心の成長が目覚ましいんです。
自分の好きなこと、やりたいことに
エネルギーを注げるようになってきました。
勉強も行事も遊びも自分のペースで
エネルギーを使っていきます。
その熱量が自分だけ高すぎて
周りと合わず愚痴っていることも
よくありました。
まわりをコントロールしたい私の意識
を、引き継いでいたのかもしれません。
それが、
最近は「私はやりたいからやる」と
自分のやりたい気持ちに集中していける
ようになったんですよね。
娘が得たのは自由だと思うのです。
人のことはどうにもできないけど
自分のことなら自由に決めていけ
ますからね。
娘は
「一人も好きだし、みんなといるのも好き」
って言います。
友達たちと楽しそうに過ごす一方で
一人でバスや電車で出かけたり
カフェだって入れちゃいます。
(コーヒー飲めないのでシュガードーナツ
で3時間粘るとかも笑)
好きなアーティストのオープンチャット
に推しの写真集を投稿したりと
SNSも軽やかに使います。
自分の好きにエネルギーを使い
そこに他者は介在させない
これが娘の「芯の強さ」の正体だと
思うんですよね。
そして
それは「好き嫌い」がはっきりしてる
娘にとったら、とても自然で効率的に
自分を幸せにする方法。
癇癪を起こしていた幼稚園時代
言いたいことが言えずにストレスを
溜めていた小学生時代
色んな経験の積み重ねで
今の娘があるのでしょう。
そして、これからも様々な課題は
やってくるのだと思います。
でも、娘はきっと大丈夫。
私たち大人も子供もみんな
幸せに向かって生きています。
人生ってそういうもの。
私たちもそうであったように
子供にも自分が決めてきた人生があります。
不安や怖さを感じる今があるのだと
しても、それは「幸せ」に向かう過程
でしかありません。
必要になれば
その子のタイミングで動いていくし
その子なりのやり方で幸せに向かっていく。
そう信じて、私たちお母さんは
自分の人生を決めて楽しんでいけば
大丈夫な未来しかないのです。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
↓こちらも娘のことを書いてます♡
ちょっとした臨時収入があったので
週末は家族で外食しよう、ということに
なりました。
しゃぶしゃぶ食べ放題の贅沢コース!
ここのところ、家族の外食は食べ盛りの
中学生娘の強い希望で「食べ放題」に
なりがちです(笑)
私は友達と一緒の時や一人の時に
好きなものを食べるので、これはこれで
レジャーとして楽しもう!という境地
になっております。
ところが、予約しないで行った私たちは
まさかの100分待ち。
みんな食べる気満々できたので
待つのは無理で
隣にあった回転寿司に入りました。
この日のルールは
「値段とか気にしないで
好きなものを好きなだけ食べよう」
ということに。
最近の回転寿司は100円で食べれるの
って少ないですからね。
ついつい値段に目がいってしまって
あんまり高額のものばかりにならない
ように調整しちゃう習性があるのでね。
(主婦の性なのか節約魂なのか、、、)
「癖で100円のいってしまうわ〜」って
言っていた夫は中盤以降
穴子の一本握りとか、ウニとか高額のもの
(といっても500円とか600円ですよ)
を嬉しそうに手に取っていました。
私はね
回転寿司のウニには期待してないので
イクラとかホタテとか、カキフライとか
デザートのモンブランとコーヒーまで
思うままにいただいて大満足。
娘はお皿のタワーを作りながら
ポテトとか豚汁とか、、気持ち悪い〜と
いいながらメロンソーダフロートで〆。
少食の小4息子は
早めにデザートまで食べて
休憩していましたが
「こんなんあるよ〜、頼む?」と
コーラフロートの写真を見せると
「うん」ってちょっと嬉しそう。
私の提案は息子に
「いいわ〜」と結構な確率で断られるので
息子の「うん」が出ると、ちょっと
うれしいのですよね。
心の中で「よっしゃ〜」と喜んでます(笑)
姉、弟でフロートをどうやって食べるか
相談したりしてるのも、かわいかったり
してね。
みんなそれぞれに美味しく楽しんで
幸せな時間でした。
お会計を確認すると、4人で一万円
想像よりずっと安かったし
しゃぶしゃぶ食べ放題の予算の半額
だったんです。
そしてね、驚いたことに
普段無意識ながら遠慮して食べている時と
3000円も変わらなかったのです。
この3000円弱でいつもより自由に
楽しく満足感を得られたのだと感じると
今までもったいないことしていたな〜
と感じられたりなんかもして。
この3000円を
高いと感じるか
価値のあるものと感じるかは
体験の価値や豊かさをどう受け取るか
なんだと思います。
ここで「もったいないな」とか
「贅沢しすぎちゃダメ」とか
「無駄遣い」という制限の気持ちが
入ると楽しさに水をさされるのですよね。
臨時収入で家族みんなが
いつもより満足して楽しめた週末でした。
ちなみに
今月はもう一件臨時収入がもう一つ
ありました。
ありがたく自分の喜びのために使って
エネルギーを循環させたいと思います。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

