「明日は学校に行くよ」という子供。
それを聞いて
期待の気持ちが高まる一方で
期待が叶わず
絶望する場面も脳裏をよぎる。
朝になると
子供は起きてこなかったり
「やっぱり行けない」と重たい表情。
不登校の経験のある親子なら
容易に想像できる場面ではないでしょうか。
わが家でもよくある光景です。
こんな小4の息子を見てきてしばらくは
「何とかしてあげたいな」と思っていました。
明るく元気に起こしてみたり
自分で起きてくるのを待ってみたり
「この日なら送っていけるよ」と
言ってみたり
時には強引に行かそうとしてみたり。
色んな作戦を使って「何とかしよう」と
してみたしたが、どうにもなりません
でした。
息子は息子の思ったようにしかしないし
自分のペースでしか動かない。
そう悟って、「何とかすること」を
諦めようと頭では思うのに気づけば
「今日は行けるんじゃないか」と
期待してしまっている。
そんな自分に嫌気が刺しちゃうことも。
期待する気持ちって喜びやワクワクを
伴う幸せな気持ちです。
物事がうまく進むイメージですからね。
その分、期待が叶わなかった時の
気持ちって残酷。
幸せからの落胆って高低差が激しすぎます。
それが自分のことならまだいいんです。
期待も落胆も自分に対する気持ち
なので、次どうしていくかも自分で
決めていけます。
これが子供のこととなると残酷さは
増します。
期待してしまった自分や
期待を叶えてくれなかった子供を
責める気持ちが出てきますからね。
そして、子供のことを責める自分のことを
また責めるという、責めるの無限ループ
が完成します。
結論からいうと「期待しないのが一番」。
例えば子供の「明日は学校に行く」という
言葉に期待する気持ちが湧いた時
子供の事実だけを見るのです。
この場合だと
こと今は明日学校に行こうと思っている、
もしくは行かないといけないと思っている。
これが事実です。
それが現実になるかもしれないと
期待しているのは私の気持ち。
そこもまた
「こういう期待する気持ちが私の中に
あるんだな」
って事実を見て寄り添ってあげるんです。
そりゃあ、期待しちゃうよね。
何もなかったようにまた学校に
行きはじめるかもしれない、って
思っちゃってるよね。
そうやって寄り添ってあげる。
期待する気持ちが叶うかどうかは
分からないけど、湧いてきたその気持ちに
寄り添うことはできるのです。
期待してしまうことを
悪とするのではなく
期待してしまう自分をそのまんま
自分が受け止めてくれると
心がゆるまり、少しの余裕が生まれます。
この少しの余裕を少しずつ広げていくと
子供の選択もジャッジすることなく
フラットに受け取れるようになってきます。
そして
お母さんのその意識は必ず子供にも
伝わります。
不登校になる子は人の気持ちに敏感で
優しい子が多いので
学校に行けない自分を責める気持ち
お母さんの期待に応えられない申し訳
なさ、を人一倍感じやすいですよね。
そんな子供にとって
お母さんがジャッジすることなく
まるっと受け取ってくれるというのは
何よりの安心です。
不登校という時間は止まっているように
感じられますが、本当は心を育てる時間。
どんな自分でもいいんだ
受け止めてくれる居場所がある
その安心感が
子供が立ち上がり、一歩を踏み出す
力を育んでくれるのです。
そのためには
まずお母さんが自分に寄り添い
どんな自分も責めずに受け入れること。
それがそのまま子供に寄り添い
見守る力になりますからね。
期待しちゃうよね、でも大丈夫
そうやって自分を受け入れることが
子供を受け入れる第一歩です。
焦らず、ゆっくりで大丈夫ですからね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました![]()

