大丈夫は自分の中にある*人生を支える意識の法則* -52ページ目
機嫌の悪い人を見るとどう感じますか?
嫌な感じ、鬱陶しい、めんどくさいなぁ、
機嫌直してほしいな、とか
私が機嫌を損ねるようなこと何かしたかな?
怖いな、どうしよう?!と
不安に感じて
相手の機嫌をなんとかしようとしますか?
それとも
なんか機嫌悪いなー
でも私には関係ないこと
って一線引いて放っておくことを
選択しますか?
私は相手の機嫌をなんとかしようとする
方でした、圧倒的に
特に夫や子供には
「そんなに機嫌悪くされたら迷惑!」って
真向から戦いにいったり
時には美味しいもので機嫌を直そうと
したり
持ち上げて気分をよくしてあげようと
したり
でも全然効果はありませんでした
寧ろイライラの矛先が私の方に向いてきて
逆効果でしかありませんでした
今なら分かるんです
相手の機嫌をどうにかしようとすること
って相手をコントロールしよう
としていることだから伝わる意識は
マイナスなんですよね
だからマイナスとして返ってきていた
んです
そもそも機嫌が悪いのは本人の選択です
人には、機嫌が悪い状態を選択する
自由があるんです
機嫌よくいる自由と同様に
機嫌悪くいる自由もあるんです
そして、大人も子供も
自分の機嫌を立て直す力を持っています
機嫌が悪くてぐずっている小さい子供を
思い浮かべてみてください
永遠にぐずっているわけではなくて
どこかのタイミングで機嫌を取り戻し
ますよね
その視点で見ると
「相手の機嫌を取ろうとすること」って
その人のことを
「自分の機嫌を自分で取れない人」として
見下していることになります
見下された上に
「機嫌を直せ」と不機嫌でいる自由を
奪われるのです
これってとっても不快なことですよね
結果として
気をつかって機嫌を取ってあげようとした
のに、逆にイライラをぶつけられる
という不毛なことになってしまいがち
なんですよね
機嫌のいい時も悪い時もある
どう感じるのかはその人の自由、なんです
そう聞いても納得がいかない人もいるかも
しれません
それは少し前までの私です(笑)
なぜ納得いかなかったかというと
自分が自分に機嫌の自由を
与えていなかったからです
今私が不機嫌になったら周りの人が
嫌な思いをする、って自分の不機嫌を
引っ込めたり
不機嫌になってしまった自分にOKが
出せなくて責めてしまったり
「不機嫌」というと悪いもののように
感じてしまうけど、その中身は
悲しい、悔しい、苦しい、惨め、、、
などの私の大切な感情が詰まっている
のです
それを感じる自由を自分から
奪ってしまうって自分イジメです
まずは自分のどんな感情も認めてあげて
自分に不機嫌でいる許可を出して
あげましょう
「今、私機嫌が悪いんだな」って
自分で気づいてあげて、その状態を
善悪でジャッジしないことです
不機嫌な時もある、あって当然
別に誰のせいでもない、私の問題
自分が分かってあげれたら、消化できたら
不機嫌はいなくなる、ずっとは続かない
そうやって自分が自分の不機嫌を
受け入れることができれば
安心して相手の不機嫌も受け入れる
ことができるようになります
「不機嫌を受け入れる」というのは
相手の機嫌を取ろうとすることでは
なくて
相手が不機嫌でいることを見守れる
その状態にOKを出せるということです
それでも何とかしないと、という意識が
働いてしまう方は、その場を離れて
物理的に距離を取るというのも
一つの方法ですね
私の不機嫌は私のもの
相手の不機嫌は相手のもの
そこが腑に落ちると
不機嫌な人に対して過剰に働いていた
センサーの感度を落とすことができます
今日これを書いたのは最近
自分のセンサーが反応しすぎてるな、と
いうことに気づいたからです
信頼の気持ちを持って、
センサーの感度を落としていこうと
思います
10年くらい前にゆり園で買ってきたゆり
今年も大きな花を咲かせてます♪
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
昨日は選挙でしたね
私も夫と行ってきました
夫は常日頃から
「新聞を読まないから何も知らない」
「ニュース見ないから世の中について
いってない」
みたいなことを言う昭和のお父さんの
ようなところがあります
新聞とったって読む時間ないし
とってた時もゴミ捨てが大変なだけ
だった
息子にテレビ占領されてて
ニュースもドラマもほとんど観れないん
だから
そもそも、世間にそんなに興味ないねん
ってこちらはこちらの言い分があるん
ですがね
選挙に関しても同じように言われてて
選挙に誘われて、私がどっちでもいい
とか、行かない、とか言おうものなら
信じられへん!って軽蔑の眼差しを
受けていました
今日は携帯ショップの用事に
2人で出かけていて、帰りに投票に行く
というので私も渋々行くことになりました
最寄りの駐車場から小学校へと歩いてる
時に
「誰に入れる決まってるん?」と
夫に聞くと
「いや〜どうしようかな、と思って」と
まさかの歯切れの悪い返事
あれだけ時事にうるさいからてっきり
決まっているのかと思ってました
そうは言いつつも、2つに絞るくらい
までには決まっているようでした
私も分からないなりに、どこに入れても
よくなる感じがしないし、という話を
していると
「白紙で出したらいい」って夫に助言
されました
確かに、それも聞いたことある
どこにも期待していません!っていう
意思表示ですよね
(大きい声では言えませんが)
久しぶりの投票だったこともあり
投票場に着くとあの独特の雰囲気
「間違ってはいけない」というブロック
が働いて、ドキドキしながら慎重に
順路どおり投票
結局白紙にはせず
夫の意見を参考に選択して記載しました
ただそれだけの出来事なのですが
この中に思い込みがすごくあったな、と
思うんです
◯選挙は自分の意思がはっきりしている人が
行くもの→そうである必要はない
◯行くからには誰に投票するか、どの政党に
投票するかが決まっているもの
→そうとも限らない、決まってなくてもいい
◯投票するからには記載しなければならない
と思っていたこと(白紙は嫌だ)
→選択的白紙という考えもある
この思い込みによって選挙に行くことの
ハードルを自分で上げてたんだな、と
いうことが分かりました
そして、私のようなテレビや新聞を見る
機会の少ない主婦層の女性(もちろん
みんなとは限りませんが)や若者が政治に
関心を持ち、主体的に投票に行けるように
なるには政治家側の工夫や努力が必要な
部分だとも思います
だから現状の選挙戦を見て
「よく分からない」意思表示としての
白紙も十分な自己主張であり
価値のある一票なんですよね
物価高、高齢化の進む日本への不安は
みんなあるし、いい方向に導いて
くれる政党、政治家を求める気持ちは
国民皆が持っていると思うのです
今回の選挙では自民党以外を選ぶという
流れが強かったように感じます
国民の不満や不安が投票という形で
表現された結果なのかもしれません
そして、この結果が今後の政治に
どう生かされていくのか、ということまで
はまだまだ分かりにくさが残っているし
不安はそう簡単に払拭されるものでは
ないと思うのです
今回、私は意図せず投票所に足を運ぶこと
となったのですが、夫とのやりとりで
無関心だったわけではなく、ただ関わり方
を知らなかったんだということに
気づきました
そして、私のようによく分からない人にも
分かるように、生活者の目線で伝えてくれる
政治であって欲しいと思ったし
私も自分事として、少しずつ関わって
いければいいな、とも感じました
参加するって大事な一歩ですね
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
家側の工夫や努力も必要
昨日の夜は思いがけずいい時間が
すごせました
夕食後、娘が「ママウォーキング行こう!」
と誘ってきたので、2人で外に出たんです
娘との夜のウォーキングは色々話せるし
運動不足の自覚もありありの私は
誘ってくれるのが嬉しいんです
↓これもウォーキングで聞いた話♪
ところが数歩歩いたところで、、、
「帰る!何か足痛いから歩けない!」
と誘ってきた娘がまさかのキャンセル
もうすっかり歩く気分になっていた私
でしたが気分屋の思春期女子なので
仕方ないですね
玄関に戻ると息子がいたので
ダメ元で息子を誘ってみると意外にも
快諾!
娘から息子にバトンタッチで
夜のウォーキングはスタートしました
夏休みに入ったものの日中暑すぎて
外で過ごしにくくて息子も運動不足
だね、と話しながら歩き始めました
少し涼しくなって思いの外
歩くのにちょうどよい気候です
息子と私はよく話すんです
波長が合うので話がつきません
寝る前に話し込んでしまうことも
よくあるんです
歩きながら友達のこととか、ゲームのこと
とか、話してくれました
7月は学校にほとんど行かなかったので
家でゲームをして過ごす時間が長かった
んです
私はそれを「淋しいこと」と捉えている
ところがありました
1人で黙々とやってるんだろうな、と
思っていたんです
最近マイクラの楽しさがやっと分かって
よくやっているのですが
宝箱を開けたらめっちゃ大きいダイヤが
入っている時がある、という話を息子が
した時にあまりにも楽しそうに話すので
「それ見つけた時ってどうするん?
静かに喜んでるん?」
って聞いてみました
すると息子は
「K(息子の名前)イェイ!Kイェイ!
ってやってはしゃぎ回ってるで〜」と
走り回り、喜ぶ様子をのりのりで再現して
見せてくれました
あまりにおもしろくて
もう一回やって!と息子にお願いして
3回くらいやってもらってしまいました
黙々と淋しくやってるという私の予想は
見事に外れていましたが
よく考えてみるとはしゃいでいる息子の
方がよっぽど息子らしいな、とも
感じて、1人で留守番してる息子は私が
思っているよりずっと楽しい世界にいる
んだな、とイメージが変わりました
途中、息子が通っていた保育園も
通りました
奥まったところにあるので普段は通る
機会もなくて目にするのも久しぶりでした
「いい保育園やったなぁ〜
あと園庭がもう少し広かったら完璧
やってんけどなぁ」
っておじさんみたいにしみじみ言う息子
アットホームなあたたかい園で
息子も私も心地よくすごさせてもらった
たくさんの思い出のある保育園
園の畑の前を通りながら
「〇〇さんが畑のこと教えてくれて
楽しかったな」
ってこれまたしみじみ言う息子
色々な経験をさせて、息子を育てて
くれた保育園に改めて感謝の気持ちで
心が温かくなりました
こうやって、とりとめのないことを
話しながら30分くらいウォーキング
して帰りました
結構汗もかいたし、ほどよい運動に
なったし
夜もよく眠れて体がすっきりしました
私はこうやって子供1人と私、で
すごす時間が好きです
こういう時ってお互い素直に色々
話せるんですよね
「心が開く」貴重な時間です
だから普段と違うちょっといい時間が
過ごせるし、それって豊かだな、とも
感じます
気まぐれな娘が思いがけずくれた
息子と二人のウォーキングタイム
の話でした
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

