みんなと一緒

横並び

似たり寄ったり

足並みを揃える


このあたりの言葉を聞いてどう感じますか?



少し前までの私はとても安心すると

感じていたし

守らなければいけないものと

当たり前に感じていました



​みんなと同じがいい



みんなと同じことは選びやすいけど

みんなと違うことは選ぶのに勇気がいる


そんな風にも感じていました



みんなが嫌がることや

関心のないことだと

私だけやりたいって言ったら 

変に思われるかな

と怖くて言うのを躊躇ってしまったり

 


みんなと違う気持ちの自分のことを

おかしいんじゃないの?って疑って

しまったり



私はみんなと同じでないといけない、と

強く思い込んでいたんです



そして

本当はやりたかったのにやりたいと

 言えなかった」


と、自分の意思とは違う選択をして

もやすることがとても多かった



このもやもやって

制限してくる自分に対しての

もやもやです



やりたいと思っているのに

自分にやらせてもらえない



判断が自分基準ではなく

他人基準であるので必然的に

自分の優先度とても低くなって

しまうんです



そう気づくと

そんなことばかりしている自分に嫌気が

さしてきました



誰のための人生?誰のために生きてるの?


そう思ったんです




当たり前なのですが

私が感じることや、「やってみたい」と

思うことって必ずしも人と同じでは

ないんです



私だけでなく、みんな一人一人

違う価値観を持っていて



みんな違って当たり前だし

みんな違うことこそが

キラっと光る個性です



人と違うことを怖がっていては

自分の個性を活かすことができないの

ですよね





私の今までの人生を振り返ると

 


私はたくさんのことを

出しゃばりすぎかな、前のめりすぎるかな

と感じて諦めてきたんですよね



手を挙げようか迷って、迷って

ドキドキして挙げなかった後の後味の悪さ

そんな体感を伴う記憶がたくさんあります



もうこれもやめよう!って決めました



一度きりの人生偽物の私はもうやめて


出しゃばりすぎたっていいし

前のめりのまま生きたっていい




それが私がやりたいことだったら

満足するまでやらせてあげようって

思ったんです



そんな出しゃばりで、前のめりで

何でもやってみたいのが

私で、隠そうとしたって仕方ない

って開き直って



認めて、諦めて、貪欲に

私らしくあることを許して

あげよう



そう決めたんです

そして、心のまま動いてみると

すっきりすることが分かりました



誘ったら迷惑かな?って思ってた

友達を誘ってみたり



みんなが譲り合って決まらないことを

自分の意見で決めてみたり



こんなことくらい人に聞かないで

自分で考えなきゃって思ってたことを

考える前に聞いちゃったり



出しゃばりすぎだと思って引っ込めてた

自分の意見を言わせてあげたり



ささやかなことではありますが

そのまま出していいよ、って自分が

許してくれると自分のままで

いられるんです

           



実際のところ軽率なところや

後先考えずに手を出しちゃって

失敗したな、って後悔することも

多い方で、それも自分を責める理由に

してきたのですが



裏を返せば

思い切りだったり

思い立ったらすぐ行動しちゃう軽やかさ

といった長所にもなるわけです



たくさん失敗しながら

今まで引っ込めていた「私らしさの」

使い方を習得していきたいな、と思うと  

 


伸び代だらけの自分のことが

めっちゃ楽しみになってきます  



年齢に関係なくタイミングがくれば

成長できるんですからね



まずは「みんなと同じ」を選択した時の

自分の気持ちに目を向けてみてくださいね


小さな一歩のきっかけを見つける

チャンスとなるかもしれません




あなたは

みんなと同じが安心ですか?


自分らしさにワクワクしますか?



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございましたにっこり

バレー部に所属する中2の娘


先輩たちが引退して

いよいよ、部の中心となり盛り上げていく

フェーズに入りました



今週末がこのチームでのはじめての

試合で明日はそのための予選なんです


昨日私が仕事から帰ると、娘が

「ママ聞いて!今日すごかってん!」と

言いました


話を聞くと、そこにはドラマがありました



背番号には意味がある


娘の話はユニフォームを渡された話でした


ユニフォームには1-15までの背番号が

印字されているんです


その背番号を配る前に、顧問の先生が

娘たちにこう言ったのだそう


/

背番号には意味があるから

各自で調べるように!

\


娘がもらった背番号は10でした



家に帰ってから調べると10は


◯チームの中心、精神的支柱、

◯セッターやエースに与えられることが

 多い



という意味合いの番号だということが

分かったそう(実際はバレーの背番号の

付け方には決まったルールがある訳では

ないようです)



娘はセッターなので、私が

「いい感じの番号もらえたね〜」と


言うと、ニコニコしながら頷いていました




部活を始めてからの娘の成長は著しくて


上達のため一生懸命取り組む姿や


チームメイト達と葛藤しながらも

関係を築いていく姿


苦手だった先生との関係を克服する姿

↓こちら大嫌いだった先生が大好きに変わった

 お話です


見たことなかった姿をたくさん見せて

くれています



娘はどこか達観してるところもあって

フラットに人間関係を築くし

ストイックに取り組むエネルギーや

情熱を持っています



セッターはもう1人一桁ナンバーの子が

いるのでレギュラーメンバーでは

ないかもしれないけど



10番ぴったりだ!と思ったんです




そして、娘だけでなくチームメイトの

番号も教えてもらいました



1はキャプテンの番号


4はエースの番号



と言われており憧れの番号です


まだ部長が決まっていないので誰が1か

みんなが気になっていたよう


部長になりたいと言っている子が

5人はいるような部なのですよね



結果的にエース番号をもらったのは

キャプテン番号がほしかった子で


キャプテン番号がほしかった子は

エース番号がほしかった子


だったそうで、お互いが悔しいそう

だったし、期待していたけど違う番号だった

子は泣いていた、と娘は話していました



正式に部長が発表されたわけでは

ないのですが、そのあたりにも先生の

戦略を感じます



そして、今回はユニフォームをもらえな

かった2年生もいて


その分、実力のある1年生がもらって

いたりもしたそう


もらえなかった子の中には

もう諦めようかな、と言ってる子もいて

また、それを聞いてあげる子もいて



そう興奮気味に教えてくれながらも

誰が何番だったか、というのをほとんど

覚えてないのが娘らしくもありました(笑)


自分のことに必死で、他にはあまり

興味ないタイプですよね



先生は娘達に

チームの中でどのように見られているのか

また、どのような役割を期待されているのか


ここを自分の現状として理解すること、



そしてこれを理解した上で、チームの中で

どう動くのか、というところを

見ていかれるのでしょう 



10番の場合だと

今は出番は少ないかもしれないけど

がんばり次第では正として使うからね!

という先生からのメッセージなの

かもしれませんね



娘がこれをどう受け取るかは

娘次第ですが


言われたとおり動くのではなく

能動的に自らの役割を自分のものにして

いくことが求められているのだろうな

と思うのですよね



興味で他の番号も調べてみたのですが

どれがいいとか悪いとかはなく

全部役割が違うだけ、なんですよね




宣言してから発表するあたりに

先生の思い入れ、指導者の愛を感じるし


先生も熟考されたのではないかと

思います




背番号に込められた先生の思いを

子供たちがどう受け取り、どう表現して

いくのか、考えてみるとおもしろい!



私はただの保護者で部外者なのですがね(笑)



子供達がこれをどこまで受け取れるかは

分からないし、やってみてまた変更が

かかるのかもしれません



この環境の中で娘が学ぶこと

経験することって楽しいこと、嬉しいこと

だけではなくて苦しいこと、辛いことも

たくさんあると思うのです


10番がいいと感じるか


10番しか無理と感じるか


10番じゃ嫌!と感じるか



娘がどう捉えるかで、全然違う経験に

なりますから




そういうことも含めて

娘の一生の宝になっていく予感を

横から見せてもらって勝手に感じてる  


HSPで心理学が大好きな母が私です(笑).



応援する気持ちは大きいですが


娘が感じるままに娘のやり方でやれれば

いいな、と見守るスタンスが私と娘の

ちょうどよい距離感です




「人の期待に応えようとする」ことって


大人が自分を生きるためには邪魔になり

やすい感覚です



でも、子供の成長のためには大切な感覚

だと思うのですよね



期待を向ける人の期待する役割を


自分なりに理解すること

そのためにどう動くか考えていくこと



こういう力こそが本当の意味での

「期待に応える力」なのかもしれません



私たち親にできることって

子供が安心してこの力を発揮できるよう

信じて「何もしない」ことだけです



娘たちの背番号の物語は

私自身の「期待に応える」のイメージを

アップデートする機会になる出来事と

なりました




ついつい、相手の期待に応えようして

しまう方は


「私はどう理解するのか?」

この視点をプラスしてみてください



ほんの少し「自分」が入るだけでそれは

相手に合わせるのではなく

自分軸での期待に応える力

へと変わります



そうなるとちょっとわくわくしませんか?



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございますにっこり

幼い頃にお母さんに対して感じていたこと

って覚えていますか?

 

 

安心、信頼、暖かさ、のような

自分を守ってくれる優しいものだったり

 

 

ちゃんと見て欲しい

気にかけて欲しい

認めてほしい

ありのままの自分を愛して欲しい

 


などといったお母さんに求めていた

気持ちだったり

 

 

色々なものが出てくるのでは

ないでしょうか

 

 

この幼少期にお母さんに対して感じていた

ことは大人になってからも

身近な人に対して感じやすい感情と

なるのです

 

 

 言わないでも気づいてくれるのが愛

 

少し前のブログで

「言わないでも気づいてくれるのが愛」という

私の思い込みについて書きました

 

↓こちらがその記事です

 『【言わなくても気づいて欲しい】置いてきぼりだった幼い私の気持ち』「言わなくても気づいてくれるのが愛」 意識はしていなかったけど、私がずっと握りしめていた思いです  私のことを気にかけてくれるのが愛 気にかけていたら言わなく…リンクameblo.jp


これは

幼い頃の私が母からもらいたかったけど

もらえなかった愛なんです



欲しくて欲しくてたまらなかったけど

母は気づいてくれず

 

私がその愛を受け取ることはほとんどが

叶いませんでした

 


言わないのだから、気づいてもらえない

というのはごく自然なことで


母に悪意があったわけでも

愛してもらえていなかったわけでも

ないのだと今ならわかります

 

 


だけど

気づいてもらえない私の気持ちは

ずっと満たされませんでした

 

 

そしてその満たされなかった気持ちは

私の中で生き続けていたんです

 

 

手に入らないけど、諦められない

 


そうなると狂おしいほどに欲しくなり

それ以外のものが見えなくなってしまい

「それしか欲しくない」という強い拘り

となるのです



それが執着です

 

 

 

そして私は

母に満たしてほしかったこの思いを

夫に対して求めるようになったのです



多くの男性は女性が求める程の共感力を

持ち合わせていないので

(これは男性の特徴としてです)

私の夫も私の気づいてほしい

ところには気づいてくれませんでした



家事や子供のことで助けて欲しい時

私から言えばやってくれるけど

言わなければ気づかない夫に対して


 

言わなくても分かるでしょ

気づかないのは愛されていないから

大切に思われていないからだ


と不満を感じていました 



そして

私がお願いをしても

夫は聞き入れてはくれるものの

嫌々、渋々という様子で快くは

応じてもらえないことが多かったのです



私はそれを夫に愛されていない証拠 

と感じて孤独感や悲しさ、虚しさを

強めていきました



「言わないでも気づいてほしい」という 

母が叶えてくれなかった私の思いは


夫にも叶えてもらうことができなかった

んですよね



最終的に私は、こんな思いをするくらいなら

1人でやった方がマシだと、夫を頼ること

を諦めてイライラしながら

自分1人でやってしまうようになり

夫への不信感を強めていきました  



当然ながら

夫婦の溝は更に深まっていったのです




今なら分かるんです



私が夫に伝える時は

どうして分かってくれないんだ!という

不満が隠しきれないほど膨らんでしまって

おり、だからこそ夫も嫌々応じていたし



そんな夫を見て私もまたイライラする



私が発したものが負のループになって

自分に返ってきていたのですよね



夫のことを信頼して素直に伝えれば

こんなことにはならなかったんです



そして

イライラしながらであったとしても

応じてくれたという結果に、夫の愛

や優先してもらえた、という事実が

あるのですよね




ここまでやり切って私は


「言わないでも気づいてくれるのが愛」

という強固な思い込みを



親子であっても、夫婦であっても

 言わないと気づいてもらえない

 言えばちゃんと分かってもらえる」


と書き換えれたのです



文字にすると当たり前のことですが

この当たり前を見えなくさせるのが

幼少期のお母さんとの関係から作られた


メンタルブロックなのです



子供だった私がお母さんの愛を

求めて必死に掴もうとしていたものは

本当は必要ないものだったんです



本当はもっと簡単に手に入るものだったし

実は求めなくてもはじめからちゃんと

はあったんですよ


お母さんも夫もちゃんと愛してくれていた

んです


私が執着していた形の愛でなかった

ただそれだけだったんです



こうやって私たちが無意識のうちに

身近な人に対して母を投影している

ことって意外と多いものです



もし、夫婦関係、親子関係がうまく

いっていないと感じるのであれば

幼少期に

お母さんに対して感じていたことや

お母さんとの関係を見てみるといいですよ



難しいな、と感じる方は



まずは

小さなことでいいので

素直にお願いしてみることから

はじめてみましょう


素直な気持ちは相手のことも素直に

してくれますからね


積み重ねで関係性はきっと

変わってくるはずです