明日はどんな日になるでしょう?

1ヶ月後、半年後、1年後はどうでしょう?

 

 


そう問われるとどう感じますか?

 

 

 

少し前までの私は

明日も、1ヶ月後も、1年後も、ずっと

今日と同じような明日が来る

疑いもなくそう感じていました

 

 


楽しみにしている予定すら、いつも

それが終わったらまた何も楽しみが

なくなってしまうという淋しさが付き纏う

期間限定の楽しみにしかなりませんでした

 

 

朝起きた瞬間から

早く夜になって寝たいな、と夜を目指し

 


1日1日をこなしながら

休みの日を目指して仕事をする

 


1週間を4回こなしているうちに

1ヶ月が経ち

 


1ヶ月を何度かこなすと季節が変わり

  


季節が4回変わったら1年経っていた

 

 

 

大人になってからの私の生活って

こんなふうにずっとこなしている

という感覚だったんですよね

 

 

楽しいこともあるけど

ずっと楽しいことが続く毎日なんて

想像もできなかったし、私には関係のない

世界だと思っていました

 

 

だからこそ

子供が生まれてからは子供の成長が生き甲斐

になったのだと思います

 

 

日々成長する小さくてかわいい存在は

私の生活に彩りを与えてくれたのです

 


娘が生まれた瞬間から宝物を手に入れたような

安心感がありました

 


この子がいれば私は幸せになれる

という安心感です

 

 


子供がいる生活は 

私の知らなかった世界ををたくさん

見せてくれたし、与えてくれました

  


心からの愛おしさという気持ち

 

成長を見る幸せ

 

求められる幸せ

 

疑うことなく注がれる

まっすぐな信頼


 

どれも、これまで感じていた感覚は

偽物だったのかもしれないと疑い

たくなるほどに私にとっては強烈な

ものでした

 


もちろんそれは素晴らしいものだった

でも、引き込まれるあまり

子供と自分との間の境界線を見失い


子供の成長や体験を通じて

自分を満たそうとするようになったの

です



そな時は全く気づいていなかったけど

それは紛れもなく

子供への依存でした


 


「自分より大切な存在」である子供を

私の人生の主軸にしてしまったんです



よくも悪くも、子供のために生きるように

なり、「お母さん」という役割を生きる

ことで自分の人生を生きることから

目を逸らしてしまったのです



それは自分の幸せを

子供に委ねることでもありました



心のことを学ぶようになりこの怖さに

気づきました



そして

子供たちのことはもちろん大切だけど

娘も息子も自分の人生を自分のために

生きているんだ


という当たり前のことを当たり前に

感じる感覚を取り戻せたように

感じています



私の人生の最優先事項は

私の願いを叶えてあげること



子供のせいで時間がない

子供のせいで自由がない


と思い込んでたけど、そんなことは

ないんです



子供たちを信じて、任せて、やらなきゃ

いけないと思っていたことを手放せば

時間も自由も思っていたより

ずっとたくさんあります



1人で難しければ人に頼ってもいい

ですしね



子供たちの夏休み中ではありますが

今年の私は結構自由にさせてもらって

います



会いたい人に会って

行きたいところに行って

やりたいことにチャレンジする



こういう自分の願いを叶えてあげること

を大切にしています



子供とすごす時間が減ったとしても


子供は子供で自分の時間を過ごして

いるし


私がいなくても実はそんなに困らない

のだということも体感的に

分かってきました




「あー、楽しかった」という私の充実感

は子供にも届くんですよね



お母さんがお母さんの人生を

楽しく生きている様子って子供にしたら

希望でしかないのです



以前の自分を振り返り感じるのは


自分の幸せを子供に委ねて

自分の人生を生きていないお母さんが

子供に


「人生は楽しいよ、人生は自由だよ」


と、言ったとしても嘘だらけだし

説得感のかけらも感じられなかったと

思うのです



究極として感じることは

私は子供のためにも

私の人生を生きることをあきらめない


そんな気持ちです



昨日はあるきっかけをいただいて

少し先のなりたい自分をイメージする

機会がありました



そのイメージには今と同じ私はいません

でした



願望も含めて

今より成長した私 

こうありたいなという私を描くことが

できました

 


私の人生はもうこなしていくものでは

ありません

自分で作っていくものなったんです



自分の人生を生きるってこういうこと

だったんです



そして、私にとっても子供にとっても

「こなす」時間も必要だったんだな

とも感じています



やはり人生に無駄な時間なんて

何もないのです


今後もその時々で自分と相談しながら

バランスをとっていけばいい


今はそうも感じています



あなたは1ヶ月後、1年後、どんな自分

でいたいですか?





今日も最後までお読みくださり

ありがとうございますにっこり

少し前のことですが父の言葉に

衝撃を受けたことがありました



わが家の二人の子供のことを話して

いた時にこう言ったのです



二人とも同じようにしようと

したらあかんよ



これを聞いた時に私は衝撃を受けて

困惑しました



えっ!同じようにしないとダメでしょ?


兄弟は平等じゃないとダメでしょ?


って思ったんです




私自身が3人兄弟の一番上で

長女って損だな、とか

妹だけずるい!、弟だけずるい!

と感じた経験がたくさんあったので


自分の子供には平等でいたいという

ポリシーがありました



そして、自分の親だって本当はそう

思っていたけどその時々の状況で

平等にはできない状況があって



本当は平等にしたかったけど

親にしたら仕方なかったこと

だったんだろう、って感じていたんですね



長女の私にしたら辛かったし

理不尽に感じたこともあったけど


親は親で3人の子供を育てることに

精一杯だったんだろうな、と思うと

共感はできないけど理解はできる

という感覚でした



それなのに実際は親に

「仕方なく」という感覚はなく

そもそも平等にしようという思いは

もっていなかったんですよね



私の想像の上をいってる答え!

衝撃を受けたのはここだったんです



でもね

それを知ると理不尽に感じていた

不平等感が実は

親から私への信頼の気持ち

だったんだな、と妙に暖かく受け取る

こともできたんですよね





私たち3人兄弟の子供の頃のイメージは



真面目で努力家の私

不安定で手のかかる妹

お調子者で自分の好きなことをする弟


という感じでした




お察しいただけると思うのですが

兄弟の中で一番手がかからないのは

長子であることだけではなく

性質的にも私だったんです



だからといって子供だった私が

それに納得していたかというと

そんなことはもちろんなくて



自分は大切にされていない、と

淋しさや、悲しさや、悔しさを感じたり



思春期の頃には納得できず親に

抗議したこともありました



でも、そうしながらも

私はちゃんと進んできたし

乗り越えてこれたんですよね



簡単に、ほら大丈夫だったでしょ?

と言われると納得はできませんが

自分で乗り越える力を持っていた

いうのが事実です




親が見ていたのはこれで


これに対する信頼があったから

安心して手を引いて見ていられたんです

よね




そして

うちの親が一貫して

子供に信頼感を持って見守れるタイプか?

というと決してそんなことはないのです



妹に対しては才能を活かそうと躍起に

なったり、妹の代わりに進路を決めたり、

過干渉な親でした(これは主に母です)



弟に対しては末っ子の男の子というのも

あり、両親共にかわいがっていたし

でもどこか頼りなくて助けてあげないと

いけない存在として見ていたようにも

感じます



この距離感の違いを子供だった私は

「不平等」「不公平」だと捉えていた

のですよね




それぞれがタイプの違う私たち3人の

子供を親は 

同じようにしたらあかん

というポリシーのもと育てていた

という視点で見ると



私との間にあった距離感は

信頼という名の愛でしかないな

いのですよね



お金の掛け方や負担の仕方には不満は

ありますが、それもまたこの子なら

自分で払える、親が世話しなくても

大丈夫という信頼だったのかな、と

納得はしないけど理解はできます



もし

妹や弟のような距離感に縮められて

いたら、私はきっと窮屈に感じていた

だろうし、鬱陶しくも感じていただろう

とも冷静に見えてきました



子供から見ると

手の掛けられ方=愛情の大きさ

と捉えがちですが

子供一人一人の個性にあった

ちょうどよい距離感

というのがあって



その距離感を見誤ると

過干渉やネグレクトという極端な距離感

を作ってしまったり



そこまででなくても子供にとっては

心地いい距離感を逸脱した親との距離


近すぎても、遠すぎても不快なものであり

そこにお互いが依存心を生みやすく

なるのです



兄弟であっても中身は全く違う人間ですから

親との心地いい距離感というのはそれぞれ

違うんですよね


一人の子でも時期によっても変わって

くるものでもあります



そこを「同じように」しなければいけない

と感じるのは親にとってもプレッシャー

ですし、子供にとっても押し付けで

しかないのですし



そこに重きを置くことには

実は何も意味がないのです



大切なのは

この子との距離感はいまお互いにとって

心地よいものなのか?


という視点であり


その時々での距離感を調整して

見つけていくことだと思うのです



二人とも同じようにしようと

したらあかんよ



という

父の言葉はこういうことだったのです



兄弟を「平等にしなければ」と力が入り

すぎるとかえって子供との距離感を

狂わせてしまうことがあります



大切なのは

私たち親と子供がお互い心地よく

いられることなので、そこが感じられ

ないようならば距離感を見直してみる

タイミングかもしれません



近すぎないか、離れすぎていないか

というところを見ていくといいですね



同じようにしなくていい、違ってもいい

寧ろ違って当たり前なのですよ〜


わが家の兄弟          

4歳差、性別、性格全然違う2人です



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございましたにっこり

お盆休みで部活が休みの

わが家の中2の娘、昨日は友達とプールに

出かけていました



前日から友達とやりとりして決定したのが

電車とバスを乗り継いで1時間くらい

かかるプールとのこと



「入場料はな、250円でめっちゃ安い

 ねんけど、交通費が2000円くらい

 かかるねん、ママいくら出してくれる?」


と言われましたが、

はっきり返事をしないまま

寝てしまいました



基本的にはお年玉が年間のお小遣い

代わりというわが家なので今回のように

ちょっと額の張る出費時は娘からカンパ

要請が入るんです




朝起きて慌ただしく準備している娘に

千円札を3枚重ねて渡しました



ありがとうございます!と

調子よく受け取った娘は3千円あることに

気づいてびっくりしたんです



その後の娘の言葉に笑っちゃいました



だって

目を見開いてびっくりして、慌てて


「ママ!いただけない!」


って言ったんですよ(笑)



娘は千円だと思っていたから3倍の金額

にびっくりしたよう



その後が娘らしいところで


「いいの?!ありがとう!」って


ちゃっかり受け取っちゃいました




5秒前の「いただけない」は何処へ?

という話なんですが、私はちゃんと

受け取ってもらえて

嬉しかったんですよね



「いただけない」は

おもしろくはあったけど


本当にいただいてもらえなかったら

私はちょっと淋しく感じたと

思うんです



肩透かしをくらったような

ガッカリ感もあったでしょう



この三千円は

「楽しんでおいでね〜」という

私から娘への愛情で

軽やかに出したお金なんです 


つまり、娘の笑顔を思い

気持ちよく出したお金です



なのでそれを遠慮して

受け取ってもらえないいうことは

私にとって残念なことなんですよね



気持ちよく出したお金は

笑顔で気持ちよく受け取って欲しい



そんな気持ちがあるのですからね



ちょっと逆説的にはなりますが


娘が驚きつつも受け取ることを

瞬時に選択したのは


私がプラスのエネルギーで渡したから

とも言えるのですよね



お金はエネルギーなんです



プラスの気持ちで出したものは

笑顔で受け取ってほしいもの


受け取ってもらえると

相手の中で感謝に変わり

自分の元へ暖かく戻ってきます



出した方も幸せ

受け取る方も幸せ


この2つの幸せが揃ってはじめて

循環が生まれます



予想外の金額のお金やプレゼントを

差し出された時



ちょっと重たく感じたり

申し訳ないと罪悪感を感じたり

受け取るのが怖くなったり



そんなふうに感じるなら

もしかしたら自分に受け取り許可

が出せていないのかもしれません



そして

これってお金だけでないんですよね


気持ちも受け取れていない、ことが

多いです



ありがたく受け取ること

受け取れること


これができるって

本当に尊いことなんです



相手のことも自分のことも

信じているからこそできることです

からね



私の渡した3千円は

夕方日焼けして赤くなった顔で

帰ってきた娘の笑顔になって戻って

きました




夏休みを満喫する娘にたくましさを

感じ、それもまた暖かさとして私の

心に暖かく残りました


暑さに負けないこのポーチュラカも

娘に負けずに逞しく咲いています



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございましたにっこり