幸せはいつも自分の中にある*人生を支える意識の法則* -3ページ目
子供が「学校に行きたくない」という時、
理由が分かれば少しは安心できる。
私もずっとそうでした。
二つ前のブログで
息子が学校に行きたくない理由(頭痛)が
フェイクだったという話をしました。
今日はその中で書いた、
学校に行きたくない理由を
知りたかったのは、私が安心したかった
から、ということをもう少し詳しく
書いていこうと思います。
息子は小学校入学直後より登校しぶりが
ありました。
私にとっては、予測もしていなかった事態で、
「どうしてうちの子だけ、みんなのように
学校に行けないんだろう」って、
悲しくて、惨めで。
メンタルがボロボロになり、
息子を支えるどころではなかったのです。
とはいえ、そうこうしているうちに
2ヶ月もすると学校にも慣れて通える
ようになったのです。
2学期、3学期は友達もできて、楽しそうで、
この頃の私は、
息子が学校に行きたくなかったのは、
「新しい環境に慣れるのが苦手だから」
だと、思っていました。
そして、2年生に進級した時も同じように、
はじめの2ヶ月は五月雨登校。
でも、私の不安は1年前とは比べ物に
ならないくらい軽くなっていたのです。
それは、
「この子は新学期が苦手なタイプだから」
と分かっていたし、
慣れれば毎日登校できるようになると
信じていたからです。
こうやって、経験したことのあることは
見通しが立てれるようになる分、
2回目以降は気持ちが
随分楽になるのですよね。
そして、その通りになり、
放課後まで充実した2、3学期を送りました。
(この頃UMIを学び始めたのですが、
子育ての悩みはほとんどなかったのです。)
3年生になると、
1月期もあまり休むことなく行ける
ようになり、「もう大丈夫」と
思っていたのですが、
2学期の後半から、
今度は頭痛を理由に中々行けなく
なってしまったのです。
この頃の私は、
息子の「学校に行けない」気持ちよりも、
私が安心できる材料を無意識に探して
いたのだと思います。
3時間目から登校するパターンが
多かったのですが、
校門まで送っていけば、
一人で教室まで行ける息子の
ランドセルの背中を見て
無性に安心していたことを覚えています。
この子は大丈夫、
頭痛が治ればちゃんと行ける子なんだ、
これまた無意識ではありますが、
そう自分に言い聞かせていたのですよね。
そして、それは
息子の中の頭痛の部分だけピックアップして
問題視して、実は息子そのものを見ようとして
いない。そんな状況でもあったのです。
そうすれば見たくない自分の気持ちからも
逃げることができるので楽だったんですよね。
心の学びをしてきたからこそ、
「こんなはずではなかった」という思いも
どこかにありました。
その現実を直視するのが怖くて、
「大丈夫な母親」でいるために
私は理由を探すことに、
必死になっていたのだとも思います。
裏を返せば、子供たちのために
気丈な母親でいなくては、と思っていた
のですよね。これ愛情です。
でも、今ならわかります。
そうやって無理に作ろうとしていた
大丈夫は私にも、息子にも、余計な
苦しさを残していたのですよね。
そんな不器用な愛情をまずは自分が
認めてあげること。
そして、見ないようにしてきた
自分の弱さや、情けなさ、惨めさ、
そんなネガティブな部分に目を向けること。
そこをちゃんと感じ切ったら、
「息子には今休みが必要」という事実を
シンプルに受け取れるようになりました。
理由探しも、もちろん大切なこと。
だけど、そこはこだわるところでは
ないと思うのです。
大切なのは、子供の気持ち。
それは理由よりも、ずっと重みのあるもの
なのですからね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
子供のことを見て
不安や怖さを感じることを感じることは
ありませんか?
失敗しそうだな
間に合わないかも
大変なことになりそう
こうすればいいのに
そんな気持ちが出てくることはありませんか?
こういう時、あなたの子供を見る目には
マイナスのフィルターが
かかっているかもしれません。
マイナスのフィルターを通して見ると
物事がフラットに見えなくなってしまい
悪いこと、よくないことに変換されて
しまうのです。
例えば
「友達と勉強してくるね」という子供の
言葉に対して、そのまま受け取ると
勉強がんばってきてね〜
友達と一緒だとがんばれるだろうな〜と
応援や信頼を伴う気持ちとして
プラスに受け取れます。
でも、これがマイナスフィルターを通ると
友達と一緒だと集中できないじゃない?
(これ過去の私です笑)
本当に勉強するのかな?
家で勉強してくれてた方が安心なのに
そんな風に不安や疑いという
マイナスの受け取り方となってしまうのです。
これは表面的にどう対応するか、という
ことではなくて
お母さんの意識がどう反応しているのか
ということです。
相手に伝わるのは
言葉よりも「意識」ですからね。
そのお母さんの意識は子供にも
伝わるんです。
そして、マイナスのフィルターを通して
見たこと、感じたことは現実になって
しまうのです。
子供に対して不安や疑いを向けていたこと
が現実となり
「やっぱり」と思うあの感じです。
お母さんからのマイナス意識は
子供のエネルギーや意欲を奪ってしまい
ますからね。
逆も然りで
お母さんの信頼や応援は
子供にとって暖かくて心地のいいもの。
その中で力を発揮して
意欲的に自分を生きていけるのです。
子供に起こる出来事に
母さんがどんな意識を向けるのかで
子供のエネルギーを奪うことも
注ぐこともできるのです。
この「マイナスのフィルター」は
子供の頃の身近な人たちとの関わりの
中で手に入れたアイテムです。
お母さんから引き継いだものとも
言えます。
幼く、弱く、一人では生きていけなかった
子供だった自分を守るために
傷つかないように
安全に生きていけるようにする方法と
して身につけていったものなのですよね。
マイナスのフィルターを
今も使っているな、と感じる方は
それを外して物事を
ありのままに、フラットに見る練習を
されるといいと思います。
あなたも、子供も
今思っているよりずっと幸せな世界に
生きていることが見えてくるはずですよ。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
「学校に行きたくない」と子供がいう時、
ほとんどのお母さんは理由が気になるのでは
ないでしょうか。
小4の息子の五月雨登校が不登校へと
変わっていった時、
「学校には行きたいけど、頭が痛くていけない」
と言っていました。
精神的なものなんだろうな、と感じながらも
万が一のことも心配して、
頭痛外来、小児科、耳鼻科、
色んな科に連れて行き、
片頭痛や起立性調節障害などと
病名をつけてもらうこともありました。
頭痛でしんどそうな息子をみて、
学校行くどころじゃないんだろうな、って
思いはするのですが、その病名も
ピンとこないな、とは思っていた私。
処方された、漢方薬を飲んで
「ゲームならできる」と一日中ゲームや
動画で目を使っている息子に提案して
みたのです。
「こんなに頭痛が続いているから、
一回目を使うことやめてみない?」ってね。
(今思うと、私の不安からの行動です)
すると、息子から意外な答えが返って
きたんです。
「実はさ、頭痛くないねん」
ってね。
衝撃を受けながらも、まず感じたのは
「よかった」と、安心する気持ちでした。
原因不明のひどい頭痛というのが
一番心配だったので、ほっとしたのです。
次に気になったのは、
いつからフェイクの頭痛だったのか?です。
これは、本当に痛い時もあったけど
小児科で漢方を出してもらったりして
いた時は、痛くなかったそう。
効かなければ、大きい病院で診てもらった
方がいい、と言われて
「おかしなことになってきた、どうしよう」
と不安にも思っていたと苦笑いで話して
くれました。
そうなると、付箋回収のようで
しばらく質問をしては、納得、という
時間をすごしました。
息子は怒られると思って言い出しにく
かったのですが、私が「よかった」を
連発するものだから、
「だから、ゲームはさせてください」って
おどけて言えるくらい、お互いほっとする
時間となりました。
息子は、「全然学校に行く気になれない」
と感じていたけど、そのまま伝えても
母である私に受け取ってもらえないと
思ってたのです。
「頭痛」は息子を守る盾になってくれて
いたのかもしれません。
自分の不甲斐なさも感じました。
でも、それ以上に
このストーリーだったからこそ、
素直に息子の健康を喜べたし、
今は学校に行きたくないという、息子の
気持ちをそのまま受け取れたと思うのです。
息子にとっても、
葛藤しながら私に伝えるという挑戦からの
「伝わった」経験となりました。
一見回り道のような、この体験が
私たち親子にとってはとても大切なもの
だったんですね。
この件を経て、私は息子の頭痛でなく、
息子そのものを見れるようになったと
感じています。
それまでだって、
見れているつもりでしたが、頭痛がよく
なればいい方向に進むんじゃないかな
ってどこかで期待していたんですよね。
でも、そうではなかった。
「今は学校に行きたくない」には明確な
理由は必要ないし、逆に言うと
息子がそう思っていること、それだけで
十分な理由なんだと受け取れるように
なりました。
これが、昨年の夏の終わりのこと。
今は引き続き、おうちで充電中ですが
うずくまってゲームをしていた、
その頃とは違って
冗談も言うし、ふざけるし、
大人びた鋭い洞察力と物言い、
独特の感性を持った息子らしさが戻って
きました。
あの頭痛は、今はもう必要ないのです。
「学校に行けない」という子供を見て
理由を知りたい、と感じるのは親として
は自然なことです。
でも、実はそれを知るのは子供のため
ではなく、親の安心のためなのかも
しれません。
子供が求めているのは、
「行きたくない」という自分の気持ちを
そのまんま受け止めてくれること、
ただそれだけなのですからね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
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