大丈夫は自分の中にある*人生を支える意識の法則* -2ページ目
夜、歯を磨きながらなんとなく見ていた
テレビで視聴者から届いたお悩みに
芸能人が答えるというのをやっていました。
その中で、就活中の大学生の女性の
お悩みが印象に残りました。
彼女は地元が好きで、趣味も多いので
地元のこじんまりした会社で
プライベートの時間をしっかり取りながら
自分のペースで働きたいと思っています。
幼い頃から人と競争したりすることが
極端に嫌いだった自分の性格を
鑑みての思いでもあるとのこと。
でも、お母さんは
大手企業への就職を強く勧めてくる
そうで、お母さんのことが大好きな
彼女はどうしたらいいのか迷っている
というお悩みでした。
見ていた私が感じたのは、
私とは違う反応だな、ということです。
就職ではありませんが、
進路を決める時、私も親に反対されたん
ですよね。
私がはじめにいいなと思っていたのは、
自宅からは通えない私立大の文系学部でした。
でも、母に
「私立で下宿はお金がないから無理」
とあっさり却下され、代わりに自宅から
通える地元では評判のいい私立大を
勧められました。
ちょっと捻くれていた私は、
すんなり従うわけもなく、
それなら国公立の看護大学を目指すこと
にしました。
看護学に対して純粋におもしろそう!
という興味ももちろんあったのですが、
「思い通りになんてなってあげない」
という母への反抗心が動機の芽生えだった
のかもしれません。
そして、そのあと
更に父に反対されたんです。
「看護師なんて大変やからやめとけ。
公務員の方がいい。」ってね。
氷河期、不景気真っ只中だったことも考えると、
公務員になって安定した生活を
送ってほしいと考えるのも
父の愛情だったのだと思います。
でも、当時の私は親に
希望する進路を「反対される」
=「大切にしてもらえない」と感じ
とても悲しかったんです。
今思うと反抗しながらも、
親の期待に応えられない自分を責めている
私もいたのかもしれません。
でも、私は諦めませんでした。
特段父を説得するわけでもなく、
そのまま突き進みました。
両親は、それを見守ってくれました。
当時の私は、「反対された」と思って
いたけど、父は大人の立場からの
「意見を言った」だけだったんだと
思うんですよね。
そして、それは私に苦労させたくない、
幸せになってほしいという
父なりの愛情の形だった。
父も母も私の気持ちを尊重してくれない。
そう思いながらも、高校生だった私は
自分の進路を自分で選択しました。
今の私が客観的に眺めると、
みんな尊いなあ、と思うのです。
冒頭の女子大生のお母さんがどんな人
なのかは分かりません。
でも、大好きなお母さんだからこそ
どんな道を選んだとしても、
娘が幸せになるために選んだことなら
いつかその思いは届くんじゃないかな。
そんな風にも感じました。
自分の気持ちを丁寧に見つめられる
素敵なお嬢さん。
あの頃の私にも、
素敵なお嬢さんにも、
自分で選んだ道を大切に歩いてね。
そんなエールを送りたくなる夜でした。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
突然ですが、
あなたは自分は「幸せだ」って
言えますか?
「俺、自称大田区で一番幸せな男なんです。」
テレビをつけたら、
すごくいい表情でそう語る男の人が
目に入ってきました。
ちらっと見ただけなのですが、
不良だらけの会社を立て直した
社長さんの特集で、
その男性は元不良の社員さん
のようでした。
繰り返しになりますが、
本当にいい表情をされていてね。
(例えるなら、演歌歌手の香田晋さんの
ような深みのあるいい顔。)
そこには自分に対する敬意と自信が
満ちているように感じました。
ありのままの自分に
心から満足している人って
キラキラが内側から滲み出ている
んですよね。
素敵だなぁ、
自称大田区一幸せな男って言えるの
最高だなぁ。
見てるだけであたたかい気持ちに
なりました。
どんな状況であっても、
自分が「幸せ」って感じられれば、
それは「幸せ」です。
お金がなかったとしても、
大きな病気を抱えていたとしても、
大切な人を失ったとしても、
人がどう思おうと、
自分が幸せだと感じているのならば、
それは紛れもない「幸せ」なのです。
反対に
どんなにたくさんのお金を持っていても、
仕事で成功していても、
モデルさんみたいな恵まれた容姿でも、
自分が幸せを感じていないのであれば、
「幸せではない」人なんです。
人から羨ましがられるような人が
本当に幸せかは、その人にしか
分からないのですよね。
私たちが求めている幸せって
一人一人違うもの。
どういうことに幸せを感じるのか、
どういうことで心が満たされるのか、
分かりますか?
今の私は、
身体に優しい美味しいものが
食べられると嬉しい。
花粉症の季節なのに鼻が詰まってない
ことが幸せ。
子供との何気ない会話でほっこりして
心が満たされる。
人の優しさや、あたたかさを感じること
で満たされた気持ちになる。
そんな風に感じながら生きています。
いいことばかりでないし、
嫌なこと、不安なことだって
日々起こります。
人間らしく感情の起伏を感じながら
すごす自分のことを、
自称〇〇一の幸せな女です!と
言えるほどではなくても
「そこそこ幸せ」だと思っています。
そして、
私にとって「そこそこ」は
心地のよい幸せなのです。
幸せって人それぞれ。
唯一無二の自分だけの幸せを
叶えてあげられるのは世界でたった1人。
自分自身だけですから。
自分のことを「自称幸せな人」に
してあげたいと思いませんか?
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
元気が出ない日ってありませんか?
人と比べて落ち込んでしまったり、
やる気が出なかったり、
こんな自分嫌だなって自己嫌悪に
陥ってしまったり。
そうしているうちに、
こんな私がお母さんだから
子供の意欲が出ないんだ、
不登校になってしまったんだ。
私のせいで夫婦関係も
家族の雰囲気もよくないんだ。
そんな風に家族の歪みの責任まで
全部引き受けて、より落ち込んでいく。
考え出すと、悪い方に悪い方に
目が向いて、気づけば自分のことを
責めている。
そんな日、私は時々あるんですよ。
ずーん、と気分が落ち込んで
気づかないうちに
「なんでもマイナスに見えてくる眼鏡」を
かけてしまっていることがね。
でも、そうやって落ち込みながらも
「今はその眼鏡をかけてたいんだね。」
って思う私もいるんです。
自分の「今」を受け入れる。
思う存分マイナスの気分に
浸らせてあげる。
これができるようになったのは、
落ち込んでもまた上がってこれる、と
揺らぎながら、生きている自分のことを
ジャッジせず、信じられるように
なったからです。
以前の私はそうはいきませんでした。
元気のない自分を無理に元気に
させようとしていたんです。
大丈夫、大丈夫、と安心させると
見せかけて気をそらせたり、
カラ元気を出させたりして、
なんとか早く元気にさせようと
していたんですね。
元気のない自分でいることが怖くて、
そこから抜け出せなくなるんじゃないか
と思っていたからです。
でもね、人間ですから
元気な時も、落ち込む時もあって当然。
感情があるからこそ揺らぎがあるし、
揺らぎがあることは自然なこと
なんですよね。
そこにいいも、悪いもなくて、
生きているってそういうことなんです。
だから、元気のない自分のことも
そのまんま信じて受け入れてみましょう。
どっぷりと落ち込んでいいし、
自分を責めてもいいけど、
元気のない自分でいることは許してあげる。
そんなイメージです。
それができれば、
自分のタイミングで少しずつ
元気はちゃんと戻ってきますから。
これができるようになるとね、
元気のない家族のことも
安心して見守れるようになります。
そして、雰囲気が悪いと見えてたのは
「なんでもマイナスに見えてくる眼鏡」
のシワザだったんだな、と。
そんな眼鏡のトリックに
ふと気づける日もやってきます。
まずは、どんな自分も受け入れること
からはじめてみませんか?
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

