家族のつまづきを幸せに変えるシンプルな意識の使い方 -2ページ目
「分かってほしいのに分かってもらえない」
そんな悩みを抱えた人は実は多いものです。
「どうして分かってくれないんだろう」
「分かり合えないな」という気持ち。
パートナーからや職場で、そんな
もやもやを感じることはありませんか?
家族や友達、職場の人
色んな人と関わっていく中で
「分かり合えること」って喜びになること。
自分のことを分かってくれる人がいて
「それすごくいいね!」
「私もそう思う、分かるよ」
って言ってくれたり、
「あの人の考え方いいな、好きだな」
「この人からはいい影響がもらえそう」
そう思える人が、近くにいることもまた
自分にプラスのエネルギーをもたらして
くれることです。
一致団結した時のチームのエネルギーって
相乗効果ですごい力になるなんてことも
ありますしね。
「分かり合える」ってそれぐらい
素敵なことです。
でも、この気持ちに対する思いや期待が
強すぎると執着が生まれて、苦しくなって
しまうことがあります。
「分かってくれない」相手に対して
怒りが湧いてきたり
「分からせよう」とするコントロールの
気持ちが出てくるのですよね。
でも、相手のことは変えられないし、
変わらないんです。
そうなると、負のスパイラルにはまって
しまいます。
私も夫婦関係で経験済みなのですが
「分かってほしい」という意識が
強ければ強いほどに
相手から「分かってもらえない」現実を
作ってしまうのです。
でもね、不思議とうまくいく方法があるんです。
それは、
自分が自分のことをわかってあげること。
「分かってほしい」気持ちが強い時って
実は自分も自分のことが分かっていない時
だったりします。
生まれた時からずっとあなたと一緒にいて
あなたが何が好きで、何が嫌いか。
何が心地よくて、何が不快なのか。
どんな言葉をかけて欲しいのか、
どんな言葉をかけられたくないのか。
誰よりもあなたのことを知っているのは
あなたご自身です。
今、もし分からなくても
じっくりと自分の中にある答えを
聞いてみてくださいね。
自分のことをちゃんと分かってあげて
大切にできるようになれば
他人に求めなくなるし
不思議と「分かってもらえる」現実が
手に入るなんてことが起きてくるのが
意識のおもしろいところなんです。
子供に感じる「分かってくれない」はこちら↓
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いたしますね
うちこし あかね
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
「子供のことは見守りましょう」は
令和の子育て界隈ではスタンダードな
考え方になってきましたね。
私の生まれた昭和の時代は
こうすればうまくいく、こうあるべきが
比較的はっきりして、学歴、我慢、いい子
そんな言葉がキーワードになる時代で
移行期といった感じの平成は
いかに親が子を導けるかが重視されて
きたように感じます。
大切な子供の幸せを望んで
先回りしてレールを引こうとしてきた
私も、心の勉強をして「見守る」を
意識して取り入れるようになりました。
でも、これ私のように
これまでやってこなかった人には
ちょっと難しくもあるんです。
それは「見守る」が
「見守らなきゃいけない」
「何もしちゃいけない」と変換されやすい
からです。
私の場合は子供の勉強でした。
この一年、五月雨登校と不登校の時期を
繰り返している小4の息子を見て
本人がやる気にならないうちは勉強は
無理にさせてはいけない、と言わないよう
にしていました。
先日ある方と息子の話をしていた時に
「この子には勉強はさせた方がいい」
と言われたんですね。
その理由は勉強が
「この子の未来に必要になること」
だから。
未来の自分のことを考えてあげてね
というメッセージを伝えていったり
その子が興味を持ちそうなことを
さりげなく見せてあげる。
体験させてあげる。
世界を見せてあげること。
そのためには
さも子供が自分で気づいたように
感じられるように仕向けるテクニックも
必要ということを言われたのです。
それを聞いた時に私が感じたのは
「その視点すっかり忘れていたな」
ということです。
元々の私はそういうお母さんだったんです。
先回りというと聞こえが悪いけど、
この子は音楽が好きなようだから
ピアノを習わせよう。
数字が好きなんだな、この子の強みに
なるかもしれないからくもんをさせて
みよう。
そんな風に感じて習い事を選んだり
ここに連れていってあげたいな、
これを見せてあげたいな、と
子供の知らない世界を見せてあげたり。
でも、不登校や心の勉強をきっかけに
こういうことまで親のエゴや
コントロールになるような気がして
引っ込めるようになっていた自分に
気づいたのです。
「子供に任せること」
「親が機会を作ってあげること」
どちらも間違いではないのですが
極端に偏りすぎると子供の負担に
なってしまいます。
大切なのはバランスなのです。
物事には陰と陽がありますからね。
SNSで情報の溢れるこの時代、
「これだけやっておけば大丈夫!」
みたいな謳い文句は溢れていますが
子育てのようなナマモノに限っては
決まったやり方も、正解もないのです。
私たちお母さんが見るところは
今ココにいる子供と
今と同じとは限らない、少し未来の子供。
そこが見えると
この子にとって何が必要なのかな?
ということは見えてくるはずです。
子供の生きてる世界は、大人のそれと
比べると狭いし、経験値も予測能力も
まだまだ未熟です。
そんな子供に大人が見せてあげられる
世界や、伝えられることって
実はたくさんあるのではないでしょうか。
子供の力を信じて「見守ること」は
もちろん大事なことです。
でも、それと同じくらい親は伝えてもいいし
時には、子供の世界を広げるための
優しいコントロールが必要となる
場面もあるのです。
親子の心がいい形でつながっていれば
その子に応じた、バランスやタイミングが
見えてくるはずです。
(ご褒美目当てではありますが)
久しぶりに勉強して
「全部あってた!天才すぎて怖いわ〜」と
おどける息子を見ていると
「この子の未来に必要なこと」なんだな、と
すとんと腑に落ちた私でした。
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今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
「ママ、こんな私に育ててくれて
ほんまにありがとう」
中2の娘に最近言われた言葉です。
娘は今の自分のことがめっちゃ
気に入ってるらしいのです。
例えば、、、
自分を喜ばせるのが得意なとこ
欲しいものがあったらすぐ買いに
行っちゃうとこ
計画立てるのが好きなこと
(実行率は割と低めです笑)
やる時はやるところ
やればできるところ
英語が得意なところ
ギャップ萌えなところ
(学校ではしっかり者キャラなのに部屋
めっちゃ汚いのです笑)
人の気持ちが分かるところ
本番に強いところ
娘から聞いたことを書き出すと
まだまだあるのですが、こんなことを
感情豊かに話してくれます。
なんというか、意欲に満ちているんです。
「こんな私に育ててくれてありがとう」
中学生にこんなこと言われるなんて
予測すらしていなかった私は
面食らってしまいました。
そこで浮かんだ言葉は自立です。
私の「育てる」お仕事は
もう終わったのかもしれないなって
思ったんです。
もちろん
ごはんも作るし、お金も出します。
おしゃべりな娘の取り留めない話や
(特に嬉しい時と困ってる時はよく話します)
相談事にも乗ります。
そういうことはするけど
この子はもう自分の足でまっすぐ立って
いられるし進んでいけるのだな、って
思ったのです。
時には寄っかかってくることもあるけど
いつの間にか、また自分で歩き始めている。
そんな感じがするんですよね。
お気に入りの自分で
娘は娘の人生を歩き始めたと思うと
少し淋しくもあるけど
私も私の人生を歩いていかなきゃ、と
思うのです。
ここからまた、新たな娘との関係が
築いていけると思うとそれも楽しみ!
最近そんなことを感じている私です。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
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