先日、県内の近場へ一泊旅行をしてきました。




普段はゲームとYouTubeにどっぷりと


浸かった生活をしている小5の息子。


(不登校です。)




実はこの旅行には、


ゲームは持っていきませんでした。




家族みんな驚いたのですが、


理由は、大切なswitch2が


「万が一壊れたらめっちゃ困るから」


だったんです。




普段生活の中心になっているといっても


大袈裟でないくらいのゲームがないって


大丈夫なのかな?と逆にこちらが


心配になったりもしたのですが、




結果から言うと、


全然大丈夫でした。




私が家の鍵を閉めて


助手席にに乗り込もうとすると、




あら!息子が先に座ってました。


「あぁ、ここに座るんやったんや〜」


と言い、ちょっぴり戸惑いながら


後部座席のドアを開けた私。




なんだか息子の気合いを感じました。




はじめの目的地まで30分くらいですが、


橋を渡り海を越えて、と景色の変わる


車窓を楽しむ様子も。




目的地の神社でお参りをすませてから


歩いていると、


池にたくさんの鯉がいるのを発見。




近くにある売店の入り口で売っていた


餌を買ってあげてみることにしました。




池には鯉だけではなく、


亀もちらほら泳いでいて


鯉たちが大きな口を開けて餌を


ゲットする勢いに吹き飛ばされそうに


なっていました。




その光景に私たちまで


「何とか亀に餌をあげたい」という


気持ちになってきました。





息子も、


ぽつんと離れているところにいる


亀をめがけて餌を投げ込んでみるの


ですが、


動きの速い鯉にすぐにとられてしまいます。





投げ込むこと数十回。


なんと、息子が投げた餌を亀が食べました!




得意そうに笑う息子の顔をみて


私まで嬉しくなってしまいました。


その後、夫と私も成功!!





たくさん入っていた餌のおかげで


家族みんなで楽しめました。


後で調べると、この池には病気の回復を祈り鯉を放ち、治癒の感謝に亀を放つ信仰習慣があるとのこと。意味がわかるとよりおもしろいものです。


ゲームをしているいつもの息子を見ていると


依存しているんじゃないのかな、と


不安になることもあるのですが、


なければないで過ごせるもの。




普段は誘ってもあまり外出したがらない


息子ですが、したらしたで楽しめるもの。




そういう息子を見ていると、


「自分で決める」ことって


本当に大切だなと思うのです。




これ、私が


「壊れたらいけないからswitch2は


 置いていきなさい。」って決めていたら


こうはならなかったのだろうなと


思います。





自分で納得して決めると


ゲームができないことにも


きっぱりと諦めがついた息子。




ちなみに、今回の旅行で楽しかったのは


亀の餌やりと、ホテルでした卓球だそう。




4歳上の娘に一勝できたのを


喜んでました。




由緒ある神社の澄んだ空気感


ホテルの部屋から見えた壮大な夕日


新鮮な海鮮丼にビュッフェのお料理。




そういう私が価値を感じたものより、


ずっとささやかだけど、


どこに価値や楽しみを見出すかは


人それぞれなんですよね。




あとね、地味に私が感心したのは


息子の旅の準備。




「何持っていったらいい?」と聞かれて


答えはしましたが、


自分でささっと荷造りして


家を出る直前までゲームをしていたんです。




ホテルで歯磨きをする時に


歯ブラシと歯磨き粉をジップロックから


取り出す息子を見てびっくりしました。




旅行慣れしているとは思ってなかった


ので、女子のような細やかな準備に



教えたわけではないけど


ちゃんと見て覚えているんだなあって感心。




思わず「シゴデキやなぁ!」って


褒めちゃいました。




普段の生活の中で


今はゲームより楽しいこと、


魅力を感じることが少ない。




それが息子にとっての現実かも


しれません。




それでも、その状況が


ずっと続くわけではありません。




今回のように自分で必要性を感じれば


ゲームから離れてすごすこともできるし、


他のことを楽しむこともできる。




そして、一見変化の少なく見える


毎日の中でも成長している。




私にとっては、


そんな風に息子のことを


捉え直すきっかけをくれる旅とも


なりました。




今日も最後までお読みくださり


ありがとうございますにっこり

先日、娘とオープンハイスクールに


行ってきました。




一校目だったその日は私の出身高校。


前を車で通りかかることはあっても、


中に入るのは、卒業して以来はじめての


ことです。




懐かしくて、楽しみな気持ちもありました。





でも、実は


残り半分はなんだか分からないけど


ザワザワする気持ちでした。




私にとって中学時代は


手放しで楽しい時でした。


いつも仲のいい友達たちに囲まれて、


今思うと安心して自分らしく過ごしていた


時期だったんだと思います。





一方で、高校時代は


なんだか馴染めないな、と感じる


ことが多かった。




いわゆる「陽キャ」の人たちの中に


入るとどう振舞っていいのかが


分からなくなる私がいたんです。




無理してまわりに合わせようとしてみたり、


居心地が悪いと思いながらも、


そうするしかないと、そこにいることを選ぶ。




そんなことが増えてくると、


自分の気持ちは置き去りで


意識は外にばかり向きます。




今思うと、その頃の私は


そうやって「私らしさ」を見失って


いったのだと思います。




高3の時、


一緒にいたグループの子たちから


あからさまに避けられることが


ありました。




昼休みのチャイムが鳴ると、


私以外の3人は目を合わせるように


立ち上がり、そのまま私を残して


食堂に行ってしまったんです。



「あれ?」と思った時には、


もう誰も振り返りもしませんでした。




しがみついていた居場所がなくなった


絶望感がずーんと身体の中に響きました。




でも、私はそのグループにいても


ずっと孤独だった。


ずっと前から分かっていたけど、


気づかないように、自分を騙していた


感覚でした。




いつもの私なら、


愛想笑いしながら追いかけていた


と思うのですが、


「もう、いいや。」と思いました。





そして、別のグループの子に


「置いていかれちゃったから、


 一緒に食べてもいい?」


と声をかけると、


「あの子たちきついもんなあ。」


と優しく受け入れてもらえました。




余談ですがこの言葉は私の人生の中でも


5本の指に入るくらいの暖かさとして


今も心に残っています。


 



その後は、その子たちと仲良くなり


恋バナをしたり、

(どうにも自信が持てなかった私は

 片想い専門でした笑)


励まし合って勉強して


受験も一緒に乗り越えたりと、


たくさん笑って、


時には泣きながら話を聞いてもらったりと


自分らしく過ごすことができました。




受験が終わってから


卒業旅行に行ったのも楽しかったな。





改めて、この出来事を振り返ると


持っていたイメージが


がらっと変わりました。




除け者にされたというマイナスの経験


だと思っていたのは、


自分の居場所を自分で決め直した、


というプラスの経験だったのです。




寧ろそれがなければ、


私らしさを封印したまま


居心地の悪いグループで過ごすことに


なったと思うのです。




自分の居場所は自分で決められるし、


変えたかったら変えてもいい。




そんな風に、


今当たり前に思えるのは


当時のこの気づきがあったからこそ


だと思うのです。





実は、今回校舎に入った時に


居心地の悪い感覚が蘇ってきました。




模擬授業のあった教室は、


陽が差し込む明るい部屋でしたが


あの頃の孤独感や淋しさをまとった


空気を感じる瞬間が何度かありました。






場所に戻ると


記憶の中に残っている


体感が呼び起こされることが


あるんですよね。




今だからこそ、


この場所を訪れる


タイミングだったのかもしれません。




未消化な感情があるのを感じるので


もうちょっと自分の心と向き合って


みようと思います。




あの頃の私は


居場所は失うものだと思っていました。



でも、


居場所は自分で選んでいけるもの。




娘と母校を歩きながら


あの日の私に会えたような気がしました。




今日も最後までお読みくださり


ありがとうございましたにっこり




前回からの続きで、


音楽コンクールの伴奏に立候補した


娘の話です。




うきうきと練習に取り組む一方で、


オーディションについての案内が


後手後手なことに対して、


娘が抱えていたもやもやと不安な気持ち。




それは次第に、


「先生たちの音コンに対する意識が


 低すぎる。」


という怒りの気持ちに変わっていきました。




「もう全部嫌になってきた。


 伴奏やめたい。」



と言った娘。




そして、「ちょっと来て!」と


私は娘の部屋に連れて行かれました。


(弟におちょくられるのが嫌なのでね笑)




娘は、私から先生に話してほしいと


言ってきたので、何を言ってほしいのか


聞いていきました。




◯結局、オーディションはあるのか

 ないのか?時期はいつなのか?

 聞く先生によって返答が違うので

 混乱しているし、

 ちゃんと案内してくれないので、

 放っておかれてる感じがしている。


◯すごく楽しみにしていたのに、

 先生たちと温度差を感じている。

 悔しい、イライラする。



要約するとそんな感じでした。




この「温度差」って、娘が反応しやすい


ところなんですよね。




人は自分が大切に感じていることに


対してほど、傷つきやすいものです。




特に自分と同じように大切にしてくれる


だろうと信頼している人に対しては


無意識のうちに同じ温度で感じることを


期待してしまいがちです。




その分、温度差を感じると


「自分は大切にされていない」


「分かってもらえない」と、


心が受け取ってしまいやすいのです。




そこには、


「分かってほしい」気持ちがあるんです。




昨年は文化祭と部活の試合が重なり


学年合唱の伴奏を打診されたのに


断るしかなかった娘。




悔しさを感じながらも、


来年は絶対弾く、と決めていたんですね。




音コンの練習は二学期からだけど、


娘の中では前回の音コンが終わってから


もう始まっていたんです。




娘の中にはこれだけ熱い気持ちが


あるので、


先生方もきっと同じ熱量で全力で


向き合ってくれるだろうと


期待していたのです。




裏返せば、それだけ先生方のことを


信頼していたということかもしれません。




でも、伝えていない人には


分からなくて当然なんですよね。




「友達は分かってくれていると思う?」


と聞くと、思うのだそう。




「どうなったん?」と気にかけてくれたり、


一緒にムカついてくれたり、してくれる


子がちゃんといるんです。




それは、娘が自分の気持ちを


話しているから。




そのあたりから、娘の意識が軽くなって


きたのが分かりました。




「あー、分かった!なんか分かってきた!


 もう大丈夫かも。」




言語化するのは難しいけど、


体感的に安心したのが


私にも伝わってきました。




先生たちは三者面談もあり、


忙しい時期で詳細は決まっていないの


かもしれない。




娘の気持ちを無碍にしているわけでは


ないけど、対応が遅いことは事実です。




「先生にもう一回自分で聞けそう?」




娘にそう聞いてみると、



「やってみる。」と返ってきました。




気持ちが整理できたことで


娘はもう一度先生に聞いてみようと


思えました。




結果は、


はじめに音楽の先生が言ってたとおり


オーディションは二学期。




心が落ち着くと現実は思っていたより


ずっとシンプルでした。




夏休み思う存分練習して、


オーディションに臨む覚悟ができた娘は


すっきりと軽くなっていました。





心の不協和音を敏感に感じとる娘。


だからこそ、一つ一つの出来事が


大事件のようになりやすいのですが、


スルーせずに向き合うことって


大切だなと私に感じさせてくれる存在


です。




この「分かってほしい」は私の中に


根強く居座る意識でもあります。




母の意識は、子供に引き継がれるん


ですよね。


娘という鏡を通して、


自分の心を見ることはよくあります。




「分かってほしい」が出てくると


心の中が忙しくなり現実が見えにくく


なってしまうんです。




そういう時は、まず


自分の気持ちを自分が分かってあげること。


一番の理解者でいてあげること。



それを大切にしていきたいと思っています。




そうしていると


不思議と心が落ち着いてきて、


物事がフラットに見えるようになり


必要な行動が見えてきますからね。




今日も最後までお読みくださり


ありがとうございましたにっこり