抵抗の質と大小を感じるという事はどういう事か | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

この記事は、前回の記事http://ameblo.jp/lazerc/entry-11718499717.html の追記です。

しかし、前回の記事の発展形であり、それを凌駕する概念であるとも言えます。

発展形と言っても、前回の記事より理解は難しくないです…そして、前回の記事にはない重要な事象を含んでいます。

だからこの記事は、前回の記事に目を通した上で読んで欲しい。


我々は、全てに浸透する時、何かを感じる筈です。

何かを感じるからこそ、我々の中に感覚という概念が生まれるのです。

色々な感覚があるでしょう…それは好意かも知れないし、喜びであるかも知れないし、嫌悪であるかも知れないし、悪意であるかも知れない…何にせよ、浸透と共に何かを感じ取っている筈です。

場の空気にですら、我々は何かを感じ取ります…そこに漂っているのは、過去の人の歪んだ残留思念であるかも知れないし、その場にいる魂達の放つ感情波であるかも知れません。

我々は森に入ると、リラックスした気持ちになるでしょう…植物の集合体の中では、植物の波動を強く感じるからです。

植物の持つ波動は、他より圧倒的に従属秩序が強いのです…動かないし話さないし、只々黙って光合成という名の生産活動をし続けるし、雰囲気的に見ても従順な事が分かるでしょう。

森に入って抵抗を感じる人はまずいません…植物が従順な波動を放っているが故に、森全体が波動的に従順だからです。

従順であるが為に、あなたが想いを浸透させても植物達には抵抗がありません…従って穏やかさや癒される感じを覚え、人はリラックスするのです。

植物を可愛がって育てている人も、そういう感覚を得ているのですね。

登山をする人も、山を好きという事から、そういう感覚を得ていると判定できます。

逆にこういう人も、従属秩序を必要としているという事から、植物に好かれているのです…植物だって魂がありますから、自分を嫌って足蹴にする様な人より、自分を可愛がって育ててくれる人の方を求めるに決まっています。

植物は従順性を求めているから、従属秩序が高くなっているのです…植物が好きな人と植物は、似た者同士です。

逆に花が嫌いとか植物が嫌いという人は、従順性に対し嫌悪感があるのです…大体第一世代(情緒学習型)の自虐性犠牲秩序主導型で、自分の自我の高さを否定され続けてきたから自分が嫌いで余裕はないが、かといって従順になる事にも嫌悪感を感じている人です。

ハムスターや子犬の様に、愛くるしい姿をした動物にも我々は魅かれます…これについては、森に入った時とはまた別の感覚でしょう。

愛くるしい姿をした者は、甘えたいという感覚が強いのです…他の秩序に対し、吸収秩序が突出しているという事です…色々な感情波を吸収しようとしているから、甘えて色々な愛情を吸収しようとする為で

吸収秩序の高いものに対しては、我々は注意を引き付けられ、執着を感じます…吸収秩序の高いものは、相手から何か精神的魂的なものを貧欲に吸収しようという特性があるので、因果律的に注意を引き付けるのです。

但し、それが必ずしも良い方向に使われるとは限りません…特に地球では悪い方向で使われる事が多いです。

地球には情緒否定性常識崇拝http://ameblo.jp/lazerc/entry-11526286802.html があります。

故に、自我の強い魂程叩かれる事は少なくありません。

事実、人に嫌われる生物の自我は強いのです。

好きな人もいますが、大体は蛇やカエル、ネズミやカラス、豚等は嫌われ者でしょう。

豚は実際、特に家畜として人の役に大変立っているので、豚に大変お世話になっている人が嫌う権限等ある筈もないのですが。

ヒキガエルだとあまり好かれませんがアマガエルだと可愛いと思う人はいますし、蛇や豚をペットとして勝手いる人もいますし、ネズミを可愛いと思う人もいます…そもそもハムスターはネズミそっくりです…カラスを可愛いと思う人は少ないでしょうが、中にはいるでしょう。

これらの生物に共通している事は何か…吸収秩序と破壊創造秩序が高いのです…しかし、統制秩序は低いです。

カラスは賢いと思っている人が多いですが、逃避秩序と従属秩序の高い、右脳と脳梁発達型なのです…色が黒いのは、愛他性挑戦秩序が前面に出ているのです…イメージとしては、性欲が強く乳首が黒い女性と似ています。

例えば、ミレーナ・フュールの様にです…ミレーナ・フュールは信者から黒乳首ドス黒エグマンと仇名をつけられていました…まあこれは信者の冗談ですが。

ミレーナ・フュールについてはミレーナ・フュールの奮闘http://ameblo.jp/lazerc/entry-11598097682.html のⅠ~Ⅷを読んで下さい。

黒人は色が黒いから、これまで差別され虐げられてきたのでしょう…なぜか地球では、色が黒いと差別対象になります。

理由は以下の記事に有ります。

・フィールへの反逆者、それが地球http://ameblo.jp/lazerc/entry-11588249578.html

色が黒いと気持ち悪いと見られるのは、他をある程度強引に変えようという意識が強いからなんです…特に女性の方が、感情波で他を変える力が強い上に雰囲気洗脳や常識洗脳が男性より効き辛い為、その攻撃を受けます。

黒人は性器が大きい上にセックスが上手いと言われますが、歴史的に性器だけではなく、肌全体で相手を変える意識が強かった為にそうなっています…当然乳首や性器が黒い女性同様攻撃をくらう事になります。

性交で意識を変えるという事は、性医学に通じる事であり、故に嫌悪されるのです…実際、黒人の性欲は黄色人や白人に比べ強いのです。

無論、そういう傾向があるというだけで、全てがそうだという訳ではありません…女性は男性より理論力や筋力で劣る傾向がありますが、何に一つの例外も無くそうだという訳では無いのと同様にです…ただし、地球人は歪んだ秩序の教育を受けている性で浅はかですから、そういう傾向性があるというだけで黒人全体を差別したりするのです。

結局、我々地球人は、愚かにも、抵抗を強く感じるもの全てに対し拒絶反応を行っているという事です…それこそ正に「愛排斥システム」の思うつぼです。

だから我々は、異質な性全てに対し、拒絶反応を示し、排斥するのです…男女等、その最たるものでしょう。

私がつくづく感じるのは、性交を汚物視する事から始まり、男女を決して相容れない異物であると教育する地球の腐敗教育の愚劣さです。

男性は只ひたすら理論だけ突き詰め共感という事を知りません…しかし、共感無くしては物事への浸透という直感力に欠け、真実にリンクする力は絶無ですから、結局の所見せかけの屁理屈で世を悪い方向に導きます。

女性は共感だけ追い求め、理論性を求めません…しかも、その直感ですら、宇宙万物を追い求めるのではなく、自分の受け入れられるものだけしか受け入れない排他性の塊の偽愛の生み出すものですから、結局自他を排除する不幸の生産工場の歪曲直感に過ぎません。

男性は女性の腹から出てきたものです…無論女性もですが…故に、性の直感を排他性で歪めてしまえば、男女共に感覚はおかしくなり、世を崩壊に導く訳です。

なぜ性同一性障害者が差別されるか分かりますか…取り分けニューハーフが…つまり、男女の離解において、障壁になるからです。

地球の秩序は、排他性こそが神という、排他性崇拝の世界です…少しでも異質なものを全て恐れ、憎み、排除する事こそが全ての浅ましい事この上ない世界です

実際、男と女の差等極々微々たるもので、別に男に生まれようが女に生まれようが、そんな事は気にせずに、自分の持てる力を生かして幸福に生きれば良いのですが、地球人はその肉体的差があるだけでひたすら両性を離解しようとします。

男性の肉体に女性の魂が入っているとか、女性の肉体に男性の魂が入っている場合、そういう人が幸福に生きているとという事は一つの「個」内で両性が調和している事を意味するので、その情報が外に漏れ出すと危険だからです。

幸福に生きている性同一性障害者が、壁無く色々な人と話し合う事は、男女の離解を崩壊させる恐れがあるのです…それは排他性意識毒をばら撒く為に「女性破壊」を絶対的正義と考える「愛排斥システム」にとっては、絶対に阻止しなくてはならない事な訳です。

ここら辺の原理を更に詳しく知りたい人は、「愛排斥システムの構造と対策」のフォルダーに入っている全ての記事を読んで下さい。

性同一性障害者でも、ニューハーフやホモの様に、女性の肉体に男性の魂が入っているよりも、男性の肉体に女性の魂が入っている方がより強烈な差別を受けます…レズよりホモの方がより強烈な差別を受けるでしょう。

これはなぜかと言うと、今の地球が体裁重視の男性社会だからです…肉体的性質だけでこいつは男だから、女だからこうしなければならないという表面上の性質しか見ない浅はかな地球人にとって、社会を引っ張る肉体的男性が女性的性質を持っていた方が厄介な訳です。

結局、地球人は、排他性意識毒を如何に宇宙に撒き散らすかしか頭に無い訳です…それが正義な訳です…如何に「愛排斥システム」の奴隷になっているかです。

これは風俗嬢とかロリコンとかショタコンとか、他性欲の強い人全てに当てはまる訳です。

全てを有りの儘愛し、全てに濡れて吸い付けるアスマを持つ女性を叩き潰す事自体が、浅ましくて愚か極まりない事です…アスマの意味が分からない人は、「ミレーナ・フュールの奮闘」を全て読めば、そのどこかに真理を発見できるでしょう。

性交とは、年齢差を超える行為です…性交で真の快を得る事は、完全に相手の全てを受け入れ、全く同列の位置にいないと断じて成し得ません…「年上崇拝」が支配するこの地球で、ロリコンやショタコンが差別される理由が分かるでしょう。

・年上崇拝http://ameblo.jp/lazerc/entry-11527624397.html

・喜性逃避自我 原理http://ameblo.jp/lazerc/entry-11631205787.html

敢えてこう言う言葉を使いますが、愚劣なる地球人は、排他的な女性を崇拝し、全抱擁を有する女性を排除します…こういう存在は、いるだけで罪なのですから、即座に消え失せねばなりません。

橋下氏の風俗嬢発言の結果と、教員と風俗嬢を掛け持ちしていた女性を前代未聞の不祥事等と喚いて解雇する地球人…全てを愛し吸い付ける事が、いったいどういう事なのか、分からない程地球人は愚かなのです

いいえ、分かっているから排除する程、地球人は腐り切っているのです…そしてその地球人を歪めた元凶は、地球の腐敗教育であるという事を、我々は断じて忘れてはなりません

無論、性交以外にも、濡れて吸い付くアスマ以外にも、全抱擁の愛の表現はあるでしょう…スケートとか歌とかスポーツとか本とか無限に…。

只、地球人は体裁しか重視しないが故に、一番感触として伝わり易い性交が直接にして確実でしょう…Hでない人等存在しないし、余程意識が歪んでいるか栄養が不足していない限り、最高の愛を伴った性交は気持ち良いものです。

要するに、性交が一番分かり易いんです…鈍い人でも分かるからこそ、地球で一番危険視されるのです

地球人は、只ひたすら異質なものに対し排他的です…例えば、悪意無く親交の意味を込めて握手したり偶然触れただけでもセクハラ等と喚く男性を汚物視する糞女に対し、社会は全身全霊を込めて崇め奉り、必ず男性側を排除します…その癖に全てを愛する事を職業にする風俗嬢を汚物扱い、犯罪者扱いするのでは、この地球が不幸に溢れない訳がありません。

男性も、仕事を男性以上に頑張ったり男性を全力で愛する誠実な女性を貶める腐り切ったプライドを発揮している暇があったら、自分をゴキブリ扱いするカス女に対し正義の鉄槌を下そうという勇気が無いのでしょうか…ゴキブリ扱いされて何とも思わない男は、プライド云々以前に男として余りに腑抜けですから、「アレをちょん切って、とっととどこか私の目の届かない所へ消えて欲しい」と私は思います。

いいえ、男としてというより、人間として恥さらしでしょう…ただしその恥さらしが支配しているのが、今の地球です。

結局、全てが全てそうなのですが、地球では排他性がけじめや正義と言う事になり、排他性を実現する障壁になるものは全て悪な訳です…「喜性逃避自我」により、それを意識の根底に受け付けられているので、男女共に歪んだ意識を持ち、それに翻弄される訳です。

これはそういう風に意識付け、教育付けがなされているからです。
人間社会だけではありません…全生態系においてです。

性的自虐性が高じて遺伝子が性的自虐性に染まった動物を人間は嫌います…これも同様の原理です。

既に、我々の祖先が海から出る前から、「愛排斥システム」の骨格は完成していました…単細胞生物の時代に既にです。

・地球絶対神レクマ、お前はどうしてそんなに宇宙を憎めるhttp://ameblo.jp/lazerc/entry-11714107462.html

故に、幸福な地球の創造は、生態系の改革からなされねばならないのです。

「無理だ」という人がいたら、前回の記事を読んで下さい…無理では断じてありません。

我々の想いは、地球一つ、いいえ、宇宙全体に浸透し全てを変える無限の浸透性を持っているからです。


それでは、抵抗を強く感じるものとは、実際にはどういうものを指すのでしょうか。

生理的に受け付けない、という状態の事です。

これについてですが、全く異質なものに対し、我々が抵抗を感じるという事は有り得ません
感じないと、抵抗はありません。

感じるという事は、自分と関係があると思う事です。

道端に小さな石ころが転がっていたとしても、クレヨンしんちゃんのボーちゃんの様な石コレクターでない限り、何も感じないでしょう。

我々は道端の石ころを、関係無いと思っているからなんです。

我々は、属性の遠いもの程感じにくくなるのが普通です

波動が体を駆け抜けても、普通は何も感じません…意識なら尚更です。

しかし、精神波なら、感じない人はまずいないでしょう…上司に罵倒されたら、胃がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えるでしょう。

怒の感情波は、確実に人の身体を蝕みます…この様に、段階的に肉体(物質)に近い精神(素粒子)の場合、必ず影響を感じる事になります、近い属性を持つのですから。

全てこれで説明ができてしまうのです。

つまり、抵抗を感じるという事は、自分がそれに近いものを持っているという事なのです

抵抗の大小は、どれだけその度合いが大きいかという事なのです…それだけの事です。

凶悪犯罪に抵抗を感じる…認めたくないでしょうが、これも実際にそうです。

凶悪犯罪とは、正義感に裏打ちされた攻撃性が何らかの要素により歪められた為に起こります。

つまり、正義感に裏打ちされた攻撃性の強い人です。

加えて、感受性の強い人であるとも言う事ができます。

地球は、余りにも理不尽な事に満ち満ちています。

だから、感受性が強いと、自他を責める事になり、自分を責めれば病気になったり自殺に走ったりします…他を責める事になれば凶悪犯罪や戦争になります。

それを強く憎むのも、やはり正義感に裏打ちされた攻撃性が高く、感受性の高い人でしょう…正義感に裏打ちされた攻撃性が高くないと怒りのエネルギーが弱いですし、感受性が高くないと遺族の苦しみ等を鋭敏に察知する事ができません。

例えば、性犯罪の被害に遭う人と、性犯罪者も似た属性を持ちます…因果律的引き寄せは、似た属性が無いと起こり得ません。

性犯罪の被害に遭う人は、相手を受容する意識の強い人です…性犯罪者から見れば、自分を受け入れられなくてノイローゼになってそういう形だけでも受け入れられる形での性交を望んでいる訳ですから、そういう受容意識のある人を襲わないと全くの無駄です。

しかし、そう強く感じるという事は、自分の有りの儘を受容して当然であるという意識があるという事でしょう…やはり、似たものがあるから引き寄せは起こります。

性犯罪は、性的な行為であり、被害者は無論加害者も幸福にはなりません…これも、性的自虐性が高いという点で互いに一致しています…自分の性欲を傷付ける行為だからです。

意外に、性犯罪に遭う女性が、風俗店に勤めるケースが多いのです…風俗は、相手を有りの儘受容し愛する仕事だからです…又、そういう女性が「愛排斥システム」の攻撃を受け自虐性が上がり易いのも納得がいきます。

これは、女性側が男性に対して行い易い保険金殺人等もそうです…男性は女性を抱く若しくは抱かれる事で自分の価値を感じる性なのに対し、女性は男性にお金を稼いでもらう事で自分の価値を感じる性である為、性的に満たされない想いが憎悪に代わると金が絡んだ方法を取り易いのです。

性的に満たされない事により生じる犯罪については、後程「レイプ犯の心理」で取り上げます…そこで、あらゆる性犯罪のみならず、保険金殺人の様な全ての性的自虐性が引き起こす犯罪を取り上げます。

戦争もそうですが、自虐性と他虐性は、元々正義感に裏打ちされた攻撃性です…それが正当なものであれ捻じれているものであれ、自分に向けたか他に向けたかという違いがあるだけなのです。

自分に向ければ自虐性で被害者になり、他に向ければ他虐性で加害者になるという事です…そして加害者は死後天で裁かれますから、やはり不幸になります。

前回の記事と照らし合わせれば、ざるで水をすくう例では、水の抵抗を感じるでしょう…どちらも物質で、近い性だから抵抗を感じるのです。

もし、ざるで紫外線をすくったら、細分化の度合いが全く違うので、何も感じる事無く紫外線はざるを通過します…水より遥かに紫外線の方が細分化されているからであり、異質な度合いが大きいから感じないのです。

異質であればある程抵抗は小さい…異質性の度合いがとても大きければ、感じる事すらできなという事です。


さて、今回も最後に一つ、メッセージを入れます。

今回の記事は、これが書きたいが為に書いたと言っても過言ではありません。

敢えて詳しい説明は入れません…意味が分からない人は、私のここ数ケ月の記事を読んでくれれば分かります。

喜性逃避自我 対策http://ameblo.jp/lazerc/entry-11642162405.html とそれ以降の記事です。

全事象の全てを全魂が根底から知る事ができれば、全ての問題は必ず解決する…これを理解して欲しい。

http://ameblo.jp/superh100/entry-11723775678.html の私のコメント欄とそのやりとりを読んでから読むと、もっと感じられるでしょう。

私は全てを感じる事ができる…波動も前波動も無も、自分の肉体感覚で感知できる。

何故か、有りの儘感じる事ができるからです…つまり意識上のこだわりが一切存在しないからです

恐くないんですよ…全てを感じて下さい

全ての魂が全てを、一切の偏りなく感じる時代、それが新時代です