境界線の住人 ~大森靖子と浜崎あゆみと…~ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

私はなぜ、こんなにも大森靖子に胸がときめくのか。

最近、「我々はそろそろ浜崎あゆみについて真剣に語らなければならない」と言っている人を見かけて、その人が大森靖子のことも注目していたから、浜崎あゆみが好きで大森靖子を「待ち望んでいた人だ!」と思う私は、そこのところをもっと語った方がいいんじゃないかと思って。

前にも書いたが、大森靖子は椎名林檎の亡霊を葬ることができる人かも知れないと私は思った。

しかし、大森靖子もまた、浜崎あゆみや SPEED、道重さゆみの名前を自分から口にしたり、カバーしたり、道重さゆみに捧げる曲を作ったりしなければ、椎名林檎からの流れで語られていた可能性がある。
けれど、大森靖子がモーニング娘。や浜崎あゆみの名前を挙げるから、そこへ視線が向けられるというのはあると思う。

ちなみに前述の方は、「椎名林檎→大森靖子」で考えていたけど、ふと我に返ってみて、よくよく考えてみると、「浜崎あゆみ→大森靖子」の方がしっくり来るとおっしゃっていた。

「『ミュージックマガジン』とか、すごい私のこと嫌いだろうなと思います。そういう人に嫌われて然るべきだと思ってやってきてて」
大森靖子はこんなことを言っていた。

けれど、大森靖子は実際には、『ミュージックマガジン』が好みそうな、すごい音楽オタクだと思うんです。って、もうみんな気づいてるかも知れないけど(笑)。
だけど、『ミュージックマガジン』の表紙になったときも(そして、表紙になった!)、EXILE とか GReeeeN とか、あえて『ミュージックマガジン』と接点のなさそうなアーティストを挙げていて。
(訂正: EXILE や GReeeeN の名前を出していたのは『ミュージックマガジン』ではなく『14歳Ⅲ』(著・佐々木美夏)でした。申し訳ございません。それでもこの記事の言いたいことは変わらないつもりです)

でも、大森靖子は、豊田道倫や相対性理論や笹口騒音ハーモニカや平賀さち枝をカバーしてたりするし、本当は『ミュージックマガジン』が期待するようなことをいくらでも語れる人だと思うんです。

しかし、大森靖子はそれをしない。

それは何もイジワルでやってるのではなく、そこに意志があると私は思っていて。
『ミュージックマガジン』とか、音楽業界のルールとか、もっといえば社会とかに対して、「それでいいのか?」っていうのとか、あと、「エラくなってたまるもんか」みたいなの(あるいは、そういうものによって埋もれてしまったものをアゲてやるみたいなの)があると思うんですよ。

私は、浜崎あゆみのスマパンとバックストリートボーイズの話を思い出した。(ロッキングオンジャパンでのインタビュー)

浜崎あゆみは、自分のパブリックイメージについて「スマパンとバックストリート・ボーイズがあったら、バックストリート・ボーイズを聴いてる人っていう感じ?」と言った。実際はスマパンばかり聴いてたらしいが、「間違いなく結びつかないと思う、ほとんどの人が。『や、あゆそんなの聴かないでしょ』って」と言っていた。

そして、「今それを結びつけたくてしょうがないんですよね」とインタビュアー(鹿野淳)に言われたのに、それに煽られることなく、「うん。でもなんかね、それはそんなにね、野望じゃないんだよね。達成できなくてもいいの。ただそこに向かおうとしてるプロセスを、自分が楽しみたい」と言ってのけた浜崎あゆみを、私は本当にかっこいいと思ったんだ。

世間の多くはやはり、大森靖子からは椎名林檎(スマパン)を連想し、浜崎あゆみは EXILE (バックストリートボーイズ)とかと一緒に捉えるのだろうか。

それが悪いと言いたいのではない。
だけど、本当にそうなのか?

浜崎あゆみがあの日語っていた、「そこに向かおうとしてるプロセス」は今どんなところに向かっているのだろう。私が大森靖子を発見したとき、それをちゃんと受信している人がいた!浜崎あゆみがあの日語っていた「プロセス」がこんな形で現れはじめた!浜崎あゆみが歩いてきた道は、無駄ではなかった、実を結びはじめた、そんなことを感じたんだ。

浜崎あゆみそして大森靖子を見ていると、多和田葉子が言っていた「境界線の住人」という言葉を思い出す。
日本語とドイツ語の境界線を消したいのではなく、境界線の住人になりたいのだという話を。


そして、もうみんな知ってるよね!? このニュースを。

宇多田ヒカルカバー盤に浜崎あゆみ参加 歌姫ライバル奇跡のコラボ
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/11/kiji/K20141111009264840.html

2001年3月28日、宇多田ヒカル『Distance』と浜崎あゆみ『A BEST』のアルバム同日発売。

あの日から 13年以上。

こんな日が来るなんて。

このツイート、あまりにもグッときたので引用させてください。

“「2大歌姫」と煽られ、自分より遥かに音楽的素養に富んだ人物をライバルとして意識せざるを得なかった20歳そこそこの少女の苦悩を思えば、宇多田トリビュートへの浜崎あゆみの参加は本当にドラマチック。

考えてみれば、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko……もう笑っちゃうくらいに凄い人達と比べられてきたのが浜崎あゆみで、でも、そういう人達に浜崎あゆみは育てられたとも言えて、かつ、そういう人達と比べられても潰されなかったものを浜崎あゆみは持っていたわけで。で、結局、浜崎あゆみはそこを生き抜いてきたわけで。むしろ、宇多田ヒカルや椎名林檎よりも生き抜いてきたわけで。

『宇多田ヒカルのうた』には椎名林檎も参加している。

特設サイトに参加アーティストのコメントと収録楽曲が載っている。

「宇多田ヒカルのうた ー13組の音楽家による13の解釈についてー」
http://www.utadahikaru.jp/15th/index_pc.html

あゆのコメントいいなぁ。

そして、「Movin' on without you」は『大森靖子コピバン祭』で靖子ちゃんが歌った曲だ。

あゆのカバー、ちら~っと 30秒くらいテレビで流れたのをネットで聴いたのだけど、あの音には、あゆやエイベックスの当時の想いやら闘いやら歴史やら、そして今が鳴ってて、引くわけにはいかなかったところとか、それらすべてを引き受けながらも解き放つあゆの歌唱と……

EDM とかは私よくわからないけど、そういうのを感じたのよ。ま、30秒じゃまだわからないけどね。

宇多田ヒカルに便乗して自分が評価されよう!エラくなろう!っつうのがないっつうか、それこそコメントの通り、ヒカルちゃんの曲を歌ってみたいワクワク!みたいな。でももちろん、想いはある。たぶん、ここに書いてあるようなこと。

宇多田ヒカルとヱヴァ、宇多田ヒカルと浜崎あゆみ
http://ro69.jp/blog/cut/114584

ああ、これはなんの話だったか。

だからさ、フェミニズムがどうしたこうしたの記事でも書いたけど、あゆも靖子ちゃんも、「差別反対!」とかそういうことを言わなくても、「あはは~!」とか笑いながら、精一杯楽しもうとして、気づいたら差別やおかしなルールを解放していた、みたいな。そういうところがあると私はひそかに思っているんだ。

もちろん、靖子ちゃんとあゆは違う。それも私にはわかる。
「大森靖子は器用、浜崎あゆみは不器用」なんじゃないかと鋭いことを言っていた人もいた。

あ~あ、うまく言えたかな。

わからないから、私の今までの靖子ちゃん(とあゆ)の軌跡(の一部)を載せておこう(笑)。

ぐるぐるTOIRO 2013
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-11563221307.html
女をなめんなよ~素直すぎる女の子スペシャル~
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-11760650979.html
第5回 「あゆはロックだ」がロックじゃなくなってきた
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-11815418839.html
大森靖子コピバン祭
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-12033153058.html
2014年10月2日
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-11933393972.html
終わりと始まりが重なるとき
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-11940183932.html

スマパンとバックストリート・ボーイズ
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-10204212566.html

今の靖子ちゃんは、「音楽は魔法ではない」と連呼していたときより先に進んでると私は思います。


P.S.
あゆがスマパンとバックストリートボーイズ発言をしたロッキングオンジャパン、最新号では靖子ちゃん 2万字インタビューが載っています。そこに「あゆとか大好き」という言葉を発見して浮かれていたのは私です。そして何より、今日!靖子ちゃんと握手してお話して、その勢いと情熱でこのブログを私は書きました!